「八百長」の語源(見聞録)
明治初年、八百屋の店主・長兵衛が、店の商品を売るために、碁仲間との勝負で手抜きし、相手の機嫌をとった。―これが「八百長」の語源とされる。
長兵衛が後に碁会所開きの来賓として招かれた棋士・本因坊秀元と互角の勝負をしたことから、周囲にその実力がばれてしまった。
八百屋が客相手に手抜きするのは商売上のテクニックだが、国技・相撲界で八百長がまかり通っているとなると、ファンはもとより国民に対する背信行為で、国際的にも大恥だ。
◇野球賭博問題に絡んで、警視庁が家宅捜索で押収した力士らの携帯電話に、八百長をうかがわせるメールの記録が残っていた。
例えば、「相撲の内容はどんな感じですか」(恵那司)、「今日はまっすぐ思いっきり当たっていきます。よろしくお願いします」(千代白鵬)とのやり取りや、「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」(清瀬海)、「了解致しました!では流れで少し踏ん張るよ」(春日錦)と、生々しい。勝ち星をカネで売買する記述もあった。
13人の力士・親方の名前が浮上し、すでに複数人が八百長の事実を認めている。
横綱や大関の名が無いことが不幸中の幸いといえようが、部屋も階級も異なる13人が関与していたことから、八百長が相撲界に定着していることは疑いようもない。
相撲協会は再三再四、八百長疑惑を否定してきたが、結局、すべてウソだった。
◇八百屋の長兵衛が碁の手を抜いて機嫌を取っていた相手は、皮肉にも大相撲の年寄だった。
語源に大相撲が登場するのは偶然か。それとも、当時からイカサマ勝負の代名詞的存在だったのだろうか。
大麻、暴行、賭博、八百長―と続く相撲界。これを機に、他国にも誇れる国技として徹底的に刷新し、真剣勝負の土俵を取り戻してもらいたいと期待するのだが。
2011年02月03日 14:35 | パーマリンク
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