滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年02月28日

就活と大学生の悲劇

 鹿児島大学の学生が大阪での就職活動を終えて夜行バスで帰る途中、走行中のバスを横転させたという恐ろしい事件が起きた。
 逮捕された学生はスーツを着用し、持っていたカバンの中には会社の説明会の資料があり、就職活動の悩みから乗客を巻き添えにして自殺を図ったのではないか、と捜査関係者は事件前後の本人の言動などを調べている。
 死者はなかったが、ケガ人はあり、広島県警は殺人未遂の疑いで調べている。大学生だから頭が悪いわけではない。死ぬのは勝手だが、自分の死に他の人を巻き添えにするのは許されぬことである。
 そういう常軌を逸した行為が人を不幸にし、自らの人生を否定することにつらなるのであるが、この学生はそこに気づかなかった。
 就職に悩むことはあり得ることで、今のような厳しい就職戦線下にあってはどの学生だって不安や悩みは抱えている。
 その不安や悩みに打ち勝って、局面を転回してゆくのが若ものの強さであり、特性でもある。
 就職への希望を断ち、他人さまを巻き添えに自分の生命すら捨てるというのは賢いはずの学生にあるまじき行為で、ぼくの診断でいうならば病気である。
 心の病であり、こういう行為は普通の人間の普通の常態では起き得ぬことであるが、不幸にもこういう心の病者が増えていることを正視しなくてはならぬ。
 心の病気は強弱のほか複雑多岐にわたり、季節の変化や置かれている環境によって発症することもあり、千差万別、いちがいに処方することは困難である。
 足が悪ければ歩行が困難になり、胃腸が悪ければ食欲や体調に反応する。風邪をひけば熱があるとか、普通の病気は症状が外に出るし、本人はもちろん、周りの者も治療することに関心を持つが、心の病気は外からは見えないのが悲しい。周囲も分からないが、病む本人もそれに気づかないから厄介である。
 それも人それぞれ、程度の差があって、いちがいにはいえないが、文化の落とし穴といえるのか、文明を謳歌しながら今の世は心の病者が非常に多くなっている。軽度の鬱や躁を含めると、現代人は非常に不安な世を生きていることになる。
 なぜ、そういう不安な不安定な世を生きているのか。これが問題である。
 分かり易くいえば、現代人は文化生活を享受し、十分な教育を受け、アタマはよいが脳は健康ではない。それは身体にもあてはまる。身長、体重、胸囲は伸び、体格はよいが体は弱い。その原因は何か。一口にいえば反自然の生活をするようになったからである。
 いまの人生は甘えの生活の連続である。悪いことは政治のせいにする。これも甘えである。受験地獄も就職氷河も保育所待機も世の中が悪い、政治が悪い、とみんなひとのせいにする。
 そもそも現代は、人間の生まれ、育つ環境そのものが狂っている。生まれた子は昔から「三つ子の魂百まで」といわれるくらい、赤ちゃんから幼児期は母親の手で育てられた。
 それが今は生後3カ月、6カ月くらいから乳児施設に預けっ放しである。母の愛情に欠け、家族の共同生活の中での人間の基礎的モラルを学ぶことがなくなった。
 そして、人間の血や肉を自然の恵みから頂くのではなく、人工の餌や加工食品、クスリ漬け、化学物質を口にしているのである。
 ひとごとと言わず、反省したいことである。【押谷盛利】

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2011年02月25日

うさん臭い話と「維新」

 政権末期ともなると胡散臭い話がつきないが、けったいなことに、そのウサン臭さの火元が民主党の小沢一郎元代表と知れば、なんのことはない民主党の権力争いが日本の政治を暗くし、国民の安全・安心に赤信号を点すことになるのではないか。
 政治の要諦は国土を守り、国民の安全と生活の安心感を確保することだが、内外多事多難の折、内閣を構成し、支えるべき与党が、内部からの倒閣運動にエネルギーを割かねばならぬとは、文字通りの末期現象である。
 民主党内の小沢の子分は、ヤクザの世界のように仁義を切っているつもりかもしれないが、見ていると古くてナンセンスで、ひと昔前の白黒の「清水の次郎長」や「国定忠次」の映画を見ている感じである。
 そういえば小沢政治そのものが古くて役立たずの前世紀の遺物といえる。民主党は独裁型が好きなのか、体質が組合型なのか、民主主義政治についていえば、マッカーサーの戦後批判ではないが、まだ12歳である。
 自民党ですら、長い年月の垢を落とし、自己改革を進めているというのに、民主党は選りによって、最も古風な田中角栄―竹下登―金丸信ラインをいまに引く小沢政治を信服するグループがいる。
 親分の一大事だからとて、その処分に待ったをかけるべく、16人のチンピラ議員が脱党まがいの「会派離脱」を表明したが、世間は、次の選挙が危ないから親分にすがりついた、と笑っている。
 彼ら16人組の決起を材料に親分がどう地獄からの脱出メニューを勘案するのか、その第一陣に側近の松木謙公農水政務官が辞任した。
 前後して、原口元総務相が、小沢のキモ入りで東国原前宮崎県知事や河村名古屋市長らと、「維新の会」とやら、ウサン臭い政治結社で、危険水域の小沢チンピラを救済しようとしている。
 コットウ入りしている古い角栄、金丸流の親分を神格化しているこの動きを日本のだれが「維新」などと思うものか。それが証拠に声をかけられた橋下大阪府知事は「今回は乗りません」と体よく拒否した。
 原口という男、見た目に賢そうで、話ぶりもしっかりしているが、出処進退の一番の要どころで歴史の笑いものになるなかれといいたい。彼は、ポスト菅をささやかれ、いまのうちに小沢と小沢派に貸しをつくり、そのうち小沢の遺産をそっくり引き継ごうという助平根性だが、そのような小手先の器用さで日本の政治をリードできるほど世の中は甘くない。
 国民はヤクザ型の支配する政治に「ノー」と明確に答えるだろうし、調子に乗っている河村名古屋市長の顔にも泥がつくかもしれない。【押谷盛利】

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2011年02月24日

変わらない日本の政治(見聞録)

 「なんだか世の中騒がしいな」と冬眠中のカエルが目を覚まし、テレビをつけたところ、中東の民主化デモを伝えるニュース。「うわー、あっという間の変わり様にビックリ」とポツリ。別のチャンネルでは「内閣の支持率は…」「造反が…」「辞任が…」と日本の政治を伝えるニュース。カエルは「日本のあまりの変わらなさにビックリ」とつぶやいた。
 24日の朝日朝刊の脱力系四コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」の作品だ。カエルは年に数回登場し、時事ネタについてつぶやく。冬は冬眠のため、本来は出番が無いのだが。
◇「天安門事件のようにデモ隊を叩き潰す」は、騒乱が続くリビアのカダフィ大佐の言葉。
 外国人の傭兵を使って自国民に銃弾を注ぐその姿勢は、独裁政治のお手本。その台詞にも独裁者としてのセンスが光るが、中国政府にとっては余計な発言。メディアやインターネットを規制し、国民に伝わらないように、いつもの情報統制。
 チュニジアから始まった北アフリカの民主化・反政府デモはエジプトからムバラク大統領を引きずり落とした。リビアでも国民が血を流しながら、独裁を破るであろう。中国への波及はどの程度か。
◇極東、日本の政治は相変わらずの迷走。民主と自民の2大政党制と政権交代で、緊張感のある政治への変革を期待したが、ここ最近は、小沢氏の起訴と党内処分をめぐるゴタゴタ、衆院選でタナボタ当選した16議員の会派離脱、そして、小沢氏側近の松木謙公農水政務官の辞任と、内輪モメばかり。
 「自民もダメだったけど、やっぱり民主もダメだった」と嘆いたところで、日本の政治が変わる訳でもなし、こちらは民主主義的に選挙を行い、かじ取り役を選び直したい。

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2011年02月23日

胡散臭い話と政局夜話

 株式会社「日本」の株は売りか、買いか。残念ながら信用がた落ちで買い人気は入らない。
 国民の気持ちは売り一色だから菅内閣の支持率はそれに正比例して下落し続けている。海の向こうでは日本の国債を三流国並みに低評価している。
 二進も三進もゆかないどん詰まりを四面楚歌ともいうが、政界はまさに暗雲たれこめている感じである。いつ大雨になるやら、大風が吹くやら、大雪に見舞われるやら、文字通り一寸先は闇である。
 菅首相の命運は旦夕に迫っているが、ここにきて胡散臭い話が目につくようになった。胡散は分かりにくい文字だが、「うさん」と読む。あやしい、不審の意味を持つ。
 臭いは「におい」だが、いい意味には用いず、線香のにおいやご馳走のにおいなどは「匂い」をつかう。
 うさん臭いは「あやしい」「疑わしい、油断できぬ」などの表現に登場するが、アホくさい、面倒くさい、素人くさいの使用例の示すように「ある雰囲気」をただよわせて効果を高めている。
 それはともかく「うさん臭い」話は政界につきものの、国民無視の取引横行である。鳩山内閣で総務大臣だった原口氏が菅さんに干されてのいやがらせか、急速に小沢党化し、平成維新党を発足させるという。これに宮崎県知事を辞めたばかりの東国原氏が加わるという。
 さきに、小沢党を名乗った16人の新人議員は蜂起と呼ぶほどのあっぱれなものではなく、次の選挙に目のないことを自覚してその自己防衛に結束したまでで、原口氏の維新党に抱えてもらっての急場をしのごうとする算段。陰で糸引く小沢氏の遠謀術策は名古屋の河村市長や大村愛知県知事、橋下大阪府知事らをも入れて、解散に備えるらしいが、そうした大邪道を天命がどう処断するか。
 国民の声、地方の声が橋下知事や河村市長らを生み出したが、その声は原口氏や脱党決意の16人組の考えや行動とは全く相反することを知るべきである。
 菅内閣の行き詰まりは政策の破綻もさることながら最大の原因は「政治とカネ」の問題に対する曖昧さと力のなさである。
 もっと明確にいえば国民の声は小沢氏に「党員資格停止」などという甘いものではなく、「議員辞職」を相当と考え、その気持ちは毎回のように表面化しつつ世論調査に明らかである。
 小手先の「うさん臭い」話で局面を転換し、あわよくば小沢問題を棚上げして「親小沢内閣」をつくろうとするのであるが、くわばらくわばら、こんなやからに日本の政治を託してたまるものか。
 それにしても勇気と根性のある政治家の何と少ないことよ。
 自民党の中には16人組と手を結べば、というようなふざけたものもいるらしいが、顔を洗って国民の声に耳を傾けよ。【押谷盛利】

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2011年02月22日

長浜市の新年度予算(見聞録)

 合併メリットの実感と、まずは「元気のある長浜」、将来の長浜の子どもたちへ「健全な資産」を引き継ぐことを基本姿勢に、「将来へ夢を持てる・元気のでる予算」としました―。
 長浜市が21日に発表した2011年度の当初予算案の基本姿勢の文言だ。
◇一般会計の総額は495億円。歳入のうち、自前で調達できている「自主財源」は4割で、その大部分を市税収入が占める。残り6割は「依存財源」と呼び、国からの地方交付税や国庫支出金、県からの支出金、そして借金である市債で賄っている。
 495億円の使い道を分析すると―。
 歳出の2割を占めるのが「扶助費」。児童、高齢者、障害者などの福祉関連費用を指し、全国のいずれの自治体でも年々増加し、財政圧迫の一因となっている。長浜市の場合でも、子ども手当(+5億7300万円)、生活保護費(+2億9900万円)、障害福祉扶助(+2億0700万円)など前年度に比べ14億円近く増加し、総額は99億5300万円となった。
 次いで多いのは総額76億9900万円(前年度比1・3%減)の「人件費」。職員を32人減らし、特別職の給与5%、管理職手当10%をカットすることで、2億3100円を節約した。しかし、議員年金制度の廃止に伴う後始末として年金給付の負担金を国から押し付けられ、議員共済費が前年度の5倍、1億1500万円に膨らんだ。
 3番目に多いのは「公債費」。借金返済のことで、72億6400万円を計上した。うち元金は62億2200万円、利子10億4100万円。
 以上の扶助費、人件費、公債費の3つは「義務的経費」と呼ばれ、支出が義務付けられている。この経費が多いほど、財政運営の自由度が小さくなり、「財政硬直化」などと言われる。
 長浜市の場合は50・3%を占め、前年度より2・2ポイント上昇した。この規模の自治体では特段悪い数値ではないが、50%を切りたいところ。
◇義務的経費が歳出の半分を占める中、市民プール移転、小学校や幼稚園、保育園の耐震工事・増築・改築、学校給食センターの整備、公民館の改築など、保育、教育、文化、スポーツ分野での施設整備を充実させた。
 特に新規事業は39、拡充事業も26事業にのぼり、「元気のでる予算」を具現化しているのが、新年度予算の特徴だろう。

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2011年02月21日

人生の明暗とイチロー

 人の世は明暗を縄のようにない続ける生涯といえるかもしれない。
 おいしいといって腹いっぱい食べる喜びは「明」であり、食べ過ぎて胃を悪くすれば「暗」となる。花や鳥に囲まれ、楽しくて夢のある青い星を想像すればそれが明である。
 逆に身内や自身が病気になったり、争いごとに巻き込まれたり、思いもかけぬ損をしたり、などの場合は暗である。
 どんな人間でも生涯を通じ明暗を経験しないものは一人もいない。ということは、幸福な人はいつまでも幸福でいられるとは限らないし、不幸を泣く人もいつかは幸せの笑顔を招くことになる。
 人はこの世を明、あの世は暗と見るが、あの世は暗いと考えるのは人間の勝手で、案外明るいかもしれぬ。
 あの世といえば地獄・極楽の世界を頭に浮かべるが、同じあの世でも極楽は明、地獄は暗。生きても明暗、死んでも明暗、どの道、明暗の因縁から逃れるわけにはゆかぬ。
 あの世を黄泉の国、よみじというが、「よもつくに」「冥土」「冥界、冥府」などの言葉が示すように「冥」の字がつく。冥は暗(くらい)、光がない、形や声がない、目に見えないところ、くらやみの意味があり、死後の人間の魂のゆくところとされる。
 冥土が暗いか明るいか、だれもそこから帰ってきて報告するものがいないから本当のところは分からない。
 心霊を研究している人の話のなかに、仮死の人間が蘇生した体験談を聞く。
 ぼくの義弟も仮死体験をしたが、それによると、広い果てしない野に出て、一面に「みどり」と「花」の極彩色のまばゆい世界が広がっていたという。
 あの世が「みどり」と「花」の楽園だったとしたら、「冥土」や「冥府」のイメージとは大違いである。
 さて、現実の問題として、われらの総理・菅首相の命運は旦夕に迫っている。昨年の春、鳩山さんの辞任を受けて党代表、そして総理に選ばれたときは、順風満帆、「明」そのものだったが、あれから1カ年も経たずして、辞めろのコールが厳しい。小沢氏の政治とカネの問題が解決できずに、その能力の限界に国民が失望したわけだが、雲の上のえらいさんでもわずかの間に明暗をなうことになる。
 目下、プロ野球がオープン戦に入り、有名、無名を問わず選手の明暗が明るみに出る。
 早稲田から日ハムに入った斉藤のように、カメラと女学生に追われている人気ものが、実践で明の生活に入れるのか。楽天のマー君こと田中のように入団の年に成果を上げるのは奇跡に近い。斉藤の同僚には同じく早大から西武入りした大石投手がいる。若い人気ものの活躍を期待したいが、プロの世界は甘くない。
 ちょっとレベルが高いからといって得意顔になっている選手は、海の向こうで活躍しているイチローの爪のアカでも煎じて飲むがいい。
 数々の世界記録を更新しているイチローいわく「結果がすべてです」。その結果に向かって全身全魂を注いでいる彼の球人生活こそ鑑であり、そこに彼の明なる人生と哲学を学びたい。【押谷盛利】

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2011年02月19日

匿名の情報提供(見聞録)

 新聞社には連日、情報提供の手紙、電話、メールが届く。
 地域活動や趣味に打ち込んでいる市民を紹介する内容から、日常のニュースの感想、長浜市政や教育現場の問題点の指摘、入札に関する疑惑、任意団体の横領疑惑まで幅広い。
 数々の情報提供の中で扱いに困るのが匿名の物件。どこの誰が出したのか分からないから、返事や取材をしようがない。せめて、電話番号でも記してくれれば、詳しく話が聞けるのだが。
 また、匿名の手紙やファクスには思い込みによる事実誤認や、他人を誹謗中傷するものも少なくない。
 先日は、ある学校の教育姿勢を指摘するファクスが。投書主の指摘する問題点は学校側に伝えたが、投書にある「○○とやらのたいそうな肩書きの…」「この醜い小役人根性はどうでしょう。虫ずが走ります」などという文言には閉口してしまった。
 また、別の投書主は、市長と市職員が昼食を一緒にとる「ランチトーク」を取り上げ、「食事をしながらでないと本音を聞けないとは情けないとは思いませんか」「食事代は誰が支払っているのか」「市民との座布団会議はお茶で、市職員は食事。差別ではないか」と指摘している。
 ランチトークは昼食の時間を利用して市長と職員が意見を交わす試みで、それぞれが弁当を持参するから、食事代を市が負担する訳ではない、と投書主に伝えたいのだが…。
◇一方、投書主が名前を明記する場合は、文章表現に気を配るのだろう。落ち着いた書き回しで、ほのぼのとした内容が多い。不正を追及するような内容でも、問題点を客観的に取り上げ、自身の思いや提言、提案を冷静に綴っている。
 投書や情報提供は実名、匿名にかかわらず小紙にとっては読者との大切な架け橋であり、届くたびに読者との距離の近さを感じる。
 ただ、読者も取材対象者も、そして記者も感情を備えた一人の人間である。

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2011年02月18日

阿川弘之、宮崎信義氏

 先日、次のような内容の短歌を新聞で見た。もらった年賀状70枚のうち自筆のものは1枚だけだった、という感慨歌だった。自筆でないということは印刷したものであり、住所、宛名までパソコンか何か文明の利器による省力作業の結果といえよう。
 作者はそれを味気ないものと批判的に詠んだが、時代の潮流がそれである以上、流れに棹差さねば漱石の「草枕」ではないが、窮屈で困る。
 その段でゆくと、このごろはメールの主役がケータイ(携帯電話)になったが、古きよき時代を懐かしむ人たちは昔ながらの「一筆まゐらせ候」的な手紙にこだわる。手紙は筆跡だけで誰から来たか、すぐ分かるし、自分の人生記録の一端にもなるから大切に保管し、後日、再読する機会もある。
 なぜ、いま手紙が没落したか。スピードの時代についてゆけないからが一つ。今一つは時間的にも場所的にも面倒だから。
 なにしろ、手紙は便箋とペン、それに封筒と切手を要するし、もし毛筆ならば硯と墨、筆を用意せねばならぬ。
 三度の食事ですら手抜きを考える「ズボラもん」時代だから、よほどの変人でない限り、手紙など書かないのでは。
 変人のことをいえば、作家の阿川弘之さんは90歳の卒寿を機に文筆活動や講演から一切、手を引くと宣言された。氏は文芸春秋に毎月20年間にわたり随筆を書いてこられた。
 東大出の元海軍将校だが、学識に加え、資料を掘り起こす情熱の固まりというか、秀れた文章を書き、ぼくは尊敬しつつ毎号楽しみに読んできた。
 氏のどこが変人かというと、その文章が明治、大正時代のそれを思わせるような旧かなづかいだったからである。しかしそのかなづかいが実に正確で、ぼくは短歌を旧かな、文語調でやっているから、氏の文章には教えられるところが多かった。
 いまどき文語や旧かな文で表現する作家は阿川さんを除いては他にはいないかも知れぬが、氏の文章には少しも違和感はなく、むしろ、ほれ惚れするくらいの魅力があった。
 文章に比べると短歌や俳句の世界はまだ旧かなや文語調が幅をきかしている。しかし、短詩形文学のなかでも俳句はともかく、短歌は口語調が出回り始めたし、かなづかいは現代用語というか、新かなづかいが圧倒的に多くなった。
 ぼくの尊敬する歌人の宮崎信義氏は昨年1月2日、97歳10カ月で死去されたが、75年間の長きにわたって、口語、自由短歌の旗を守られた。
 最初は前田夕暮の「詩歌」にはじまり、後「短歌と方法」に拠り、戦後は1949年(S24)「新短歌」を発刊。晩年は光本恵子主宰の「未来山脈」に合併し、その代表となった。
 氏については、別の機会に紙面を割きたいが、文字通り大往生を遂げられたことだけをここに紹介しておく。死の直前まで歌を作り続け、死の半月前の12月12日、食道癌で、もう命がないから、と、光本主宰を京都の自宅に呼び、蔵書の整理、葬儀についてのほか、遺歌集などを遺言。
 翌年の元旦、家族とおとそを祝い、2日の午後1時すぎ昼食を、と1人部屋に座り、座ったまま眠るようになくなった。
 葬儀のあと、書斎の整理をしていると、書きかけの年賀状の挨拶文、自分の戒名、遺歌集の原稿と本の題名まで用意していた。希有の達人といえよう。【押谷盛利】

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2011年02月17日

低下する核アレルギー(見聞録)

 戦後、世界唯一の被爆国として「持たず、作らず、持ち込ませず」の核アレルギーが国民の健全な感性だった。
 しかし、産経新聞15日朝刊の世論調査の記事では、政府や国会が核問題を議論することに賛成する人は86・7%、賛成しないのはわずか8・5%という結果となった。
 長年タブー視されてきた核議論に、国民がアレルギーを抱いていない実態が浮き彫りとなった。それほど東アジアを取り巻く軍事情勢が切羽詰っていることをうかがわせた。
◇自民党政権時代の2006年、当時の中川昭一政調会長が「核議論」の必要性を訴えたところ、マスコミの袋叩きにあったのは記憶に新しい。核武装はともかく、議論さえ否定され続けてきた。
 しかし、現実は同盟国のアメリカの核の傘下に入り、原子力空母も日本に寄港している。そして、日本海の向こうで、核武装を準備する北朝鮮、海洋覇権を目指す核保有国の中国の軍事増強を見るにつけ、世論が国会での核議論に賛成するのに違和感はない。
 国民が思考停止に陥っていない証左であろう。
◇核を持つ国、持たざる国の格差が、国際社会の中でどう影響するのか。核保有と非核のメリット、デメリットを分析すべき時期にあるのではないか。
 核保有の目的は核抑止力に他ならない。中国や北朝鮮というやっかいでワガママな国の牽制に効果的であろう。
 しかし、唯一の被爆国が核保有することによる世界へのインパクトはいかほどか。各国のドミノ的核保有を誘発しまいか。
 また、国内では総発電量の3割を原子力発電が占めている。核開発を阻止するために、その原料となる天然ウランに禁輸措置が取られ、経済に深刻な影響を及ぼす可能性も指摘される。
◇広島、長崎を抱える日本だが、戦中、戦後を生き抜いた諸先輩方を前にして、心苦しくも核問題を議論しなければならない時代に入ったのではないか。

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2011年02月16日

ぜいたくな話ではある

 国の政治が乱れているのに国民はわれ関せずで、飽食と旅行と美容、そしてろくでもない買い物に明け暮れている。
 国の借金で将来が心配されているなか、インチキの債券情報でカネを詐取するものや、オレオレ詐欺が新手の商品を開発して老人のヘソクリを盗むなど、この国は金持ちなのか貧乏なのかさっぱり分からない。
 世相を手っ取り早く掴むにはテレビに限るという。どの番組もアホ番組といえば怒られるかもしれないが、コマーシャルもお笑い番組も女性の裸や顔を駆使したり、ペットに人間の優位性を見せたり、品のない言葉や所作で流行をあおったり、美容や健康など国民の関心をいいことに「これがよく効く、あれが宜しい」とお買い得情報を垂れ流す。
 ほんにこの国は、けったいな国で、スキー場は超満員、休日の高速道路は至るところが渋滞。都市といわず、地方といわずもの売り専門の○○駅なる市場の流行。売り手市場がご繁昌とあればその企業群の成り立つ「消費者さま」がなくてはならぬ。
 消費者さまはどんな顔して、どんな空気を吸っているのだろうか。仕事がない、働きたくても働けない、学校を出ても就職地獄で泣かねばならない、などという深刻な声をよそにインチキの申請で何百万円もの生活保護を受けていて逮捕されたものもあるし、出勤簿に判を押しただけで、家へ帰って別の仕事をしていた市役所の職員の話もふざけたニュースである。
 名古屋の河村市長は減税を看板に再選され、ときの人となって大阪の橋下知事と平成維新を期待されるが、その名古屋市民は議会をリコールしたので近く市議選が行われる。予算を通じて提案した減税案を反市長派は潰したが、同じ市民代表でありながら、片や「減税」、片や「反対」という二重構造的自治体そのもののありようが今の日本の「へんてこ」ぶりを物語っている。
 いまの日本の国の政治は大本が狂っているのに、それをただそうとする国民運動が燃えてこない。その辺が「けったいな国」であり、「へんてこな国民感情」なのかもしれない。
 大本が狂っているとは何か。国民が「ノー」と反発し、不信感を募らせている小沢民主党元代表のカネと政治の問題が未解決のまま大事な時間と労力を消費していることをいう。
 政治資金にまつわる疑惑や国民の税金から出している政党交付金のからくり、政治が看板で不動産屋が本職なのか、とにかく国民の信頼感のない政治家が実力者として政権党を牛耳っているという不可解さ。これの解決に「党員資格停止」などというふざけた結論を役員会は出したが、それも事実上、骨抜きされて、この大なまず、強制起訴の被告でありながら裏から日本の政治を動かそうとする。
 全くまともでなく、へんてこそのものだが、それがまかり通るのは国民の腹がふくれているからだろう。ぜいたくな話である。【押谷盛利】

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2011年02月15日

チョコの甘くない話(見聞録)

 昨日14日のバレンタインデーの主役はチョコレート。50年前ならともかく今や特別な食べ物ではなく、平素からスーパーやコンビニで気軽に買える。菓子業界がこの日をイベント化し、我々は踊らされて一喜一憂する。
◇チョコの原料となるカカオ豆はカメルーン、ガーナ、コートジボワール、ナイジェリアといった西アフリカ諸国で多く生産されている。
 しかし、そのカカオ農場では、何万という子ども達が、強制的に労働させられている。学校にも行けず、賃金も、休みさえもなく、毎日、朝から晩まで農場に狩り出され、中には人身売買で連れて来られた子ども達も。
 こうした子ども達の犠牲のうえで、カカオ豆が低価格で輸出され、われわれ先進国の国民の口に入る。
 国際熱帯農業研究所の調査では、西アフリカだけで推計28万4000人の子どもがカカオ農場で働かされている。
 児童労働の撲滅を目指すNGOの訴えで、チョコ業界も児童労働の解消に動いているが、効果は限定的。農場の多くを占める家族経営や小規模農家には目が行き届かない。
◇カカオ農場だけでなない。コーヒーや天然ゴムのプランテーションで、金属や鉱物の採掘場で、子ども達が両親と離れ、教育も受けられないまま、奴隷のように働かされている。
 国際労働機関(ILO)によると世界の児童労働者は2億4600万人にのぼる。これは子ども6人に1人の割合だ。
 我々がチョコを食べ、貴金属を身に付け、便利で快適な生活を謳歌するその裏側に、貧困国の子ども達の犠牲がある。甘いチョコとは正反対の苦い現実も知っておきたい。

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2011年02月14日

国民は肌で感じている

 13日の夜のテレビで評論家たちが憲法その他、国民に関心の高い時局の諸問題を論じていた。
 このなかで、いまの菅首相も話題に上ったが、言論人として多方面に活躍している元テレビキャスターの桜井よし子さんが「議論する気にもなれない」と菅さんを一言のもとにはねつけた。異口同音でもなかろうが、他のみなさんも笑いながら同調する雰囲気だった。
 日本人として、おらが国の総理を悪しざまに言うのは、はばかれるが、それは公私の別で、国民代表として国内はもちろん国際社会で活躍を期待される総理が、チョンボを繰り返したり、党内の政治とカネの膿一つを解決しないようでは「お役ご免」と国民から総スカンを食うのは当然である。
 民主主義というのは本来、そうした国民の声が政治に反映するシステムであり、民主国家においては国民世論が常に政治を支配する。
 エジプトの大統領が30年の独裁政治のうらみから国民の反発を受けて退陣したのはむしろ不可思議な珍現象で、なぜもっと早く退陣させられなかったのか。それを言えば、この国に民主主義が育っていなかったからである。
 現に隣国の北朝鮮がそうである。国の政治が破綻して国民は貧困と飢えに泣いているにも拘わらず、金正日支配下の独裁政治は続いている。生命の危険を冒して外国へ亡命しようとする人民の悲惨な脱北行は韓国に深刻な影響を与えている。北から逃れてきた人を救済するには職と食と住、それに教育や社会福祉の手当てが必要だが、その負担の陰で、北から放たれた工作員(スパイ)の暗躍も伝えられている。
 北朝鮮は1947年以来、金日成―金正日の親子の支配者による独裁政治が続き、国民の苦難をよそに核開発その他、軍事国家としての近代化を進めてきたが、国民生活に安泰の政治は遠くかすみ、国民は不信感を持ちながらも政治に抵抗し反発することができない。それは国民の間に広く深く組織された当局擁護のスパイ網の目に見えぬ恐怖があるからだ。
 独裁国家の一番恐れるのは情報の明るみであるが、そのため新聞もテレビも国営にし、権力者にとって都合の悪い報道は一切しない。国民に内外の真実を知らせず、偏った教育によって金体制をたたえさせられ、すべては偉大なる首領さまによって、幸せに生かされているという体制である。
 そうした独裁国家は腐敗し国民のうらみを買っていつかは崩れるが、こういう国がまだ世界に存在すること自体、人類の不幸の業というべきか。
 欧米に比べれば日本の民主主義はまだ若く未熟な部分が多い。しかし、繰り返す政変を通じて国民の政治的民度は成長し、国民が自国の政治の舵取りに発言力を持つようになったのは結構なことである。
 小泉さんの退陣後、自民、民主を通じ総理が1年ごとに替わり、いま、菅首相も風前の灯となっているのは情けないことだが、日本の民主的政治の成長のためには耐えねばならぬ運命かもしれぬ。
 すでに何回も論じ尽くされたが、菅内閣は潰れることが日本の国家の繁栄と国民の幸せに通じることを国民は肌で感じているのではないか。【押谷盛利】

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2011年02月10日

びわ湖夢王国って?(見聞録)

 「びわ湖夢王国を建国」とのニュースを聞いた瞬間、新しいテーマパークでも出来るのかと、早とちりした。
 福祉ボランティアに取り組む彦根市鳥居本町のNPO法人「夢・同人」が琵琶湖上の架空の国「びわ湖夢王国」の建国構想を発表した。
 夢・同人は、元彦根市長夫人の故・井伊文子さんの呼びかけで1995年に結成され、障害者支援などの福祉活動に取り組んでいる。
 より多くの人にボランティア活動に参加してもらおうと、イベントを企画・運営する組織を立ち上げることになり、ユーモアを交えて「王国」の「建国」を発案した。
 建国目的は「びわ湖を愛し、環境保全や歴史的風土の価値を高めると同時に、『夢』『琵琶湖』『福祉』を育む」というもの。
 元知事の国松善次氏がNPO法人理事長で発起人代表を務め、「今の世の中、夢がどこにもない。王国をつくるというパロディーだが、どでかい夢をもちながら、『国民』のみんなと語り合いたい」と、参加を呼びかけている。
◇さて、建国構想が示されたものの、その多くが未定で、国王、首都、国歌、国旗、憲法などを「国民」みんなで決めるという。
 今後、国民を公募するが、その条件は「琵琶湖を脅かさないこと」。魚(外来魚除く)や野鳥(ふん被害を及ぼさない鳥)など琵琶湖の動物も一員。人間にのみ、1日10円、年間3650円の納税義務がある。納税とは別に「わいろ」(寄付)も受け付けるという。
 また、人間は納税の義務を負うだけでなく、国王の命によりボランティア活動に「こき使われる」という。
 今月20日には、琵琶湖汽船で「船上フォーラム」を開催し、今後の事業展開を話し合う。浜大津港に午前9時半集合。参加費は4192円。申し込みは「夢・同人」TEL0749(22)2353へ。
◇ユーモアや遊びを大切にしながら、ちょっと真面目に福祉や環境保全に取り組むこの事業。ボランティアのイメージを一新する楽しい王国になればと、今後の建国を見守りたい。

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2011年02月09日

大相撲の没落と天命かな

 自業自得という戒めがある。自分の行為の報いを自分自身が受けることをいう。
 いま、話題の八百長問題は相撲協会の自業自得であり、関取全体の自業自得である。
 大相撲に八百長あり、は早くから疑われていたことであり、それを暴露した週刊誌を相撲協会が訴えて勝訴したこともあった。ごまかしてもウソはばれることがあり、人間には良心があって、「八百長をやりました」と告白する元力士もいる。
 相撲ファンならみんなおかしいと思っていたことの一つに千秋楽近くの星の潰し合いがある。
 非常に高い確率を見せていたのは7勝7敗での千秋楽である。たいていは8勝7敗で勝ち越しになっている。
 相手も7勝7敗ならいわゆるガチンコ取り組となるが、相手が6勝以下の場合は、確実といっていいほど千秋楽を飾っている。気合いが入らず、だれが見ても手抜きと思われる場合は、審判員からお目玉を食らうが、八百長の場合、前もって攻めや守りを約束しているからガチンコのように思わせるところがミソである。
 このようなおかしい取組はいつごろから始まったのか。今後の調査を待たねばならないが、ことと次第によっては横綱や大関にも飛び火し、それこそ消すに消されぬ大火事になることもあるから、協会や個々の関取のガードは予想外に固いかもしれぬ。
 八百長には単なる力士同士の貸し借りや売買だけでなく、暴力団がらみの賭博が関わるから、真相追及は容易ではない。
 現にこの種の不祥事を内部告発していた力士がいつの間にか死亡していた事件があった。消されたのではないか、と疑われているが、証拠がない限り、闇に葬られたままである。
 いずれにしても賭博や八百長疑惑の消えぬ大相撲に明るい未来はない。自業自得の天罰を受けていさぎよく一切を告白し、ファンに謝罪すべきであろう。
 ぼくは、先の時評で相撲協会の解散を主張したが、もはや、特殊法人としての国の援助を受けることもできないだろう。
 世界に相撲が広がっている現在、国技などと威張ることもなかろう。このさい、各部屋が6~7のグループに統合し、グループ対抗の選手権大会のような形式にして、ボクシングのように体重など体力による種別対抗をも取り入れて、チャンピオンが横綱を張るようにすればよい。
 NHK、その他のテレビも報道も自ずと自主規制して、ファンをバカにする相撲界の悪因縁を一掃するがよい。
 大相撲が斜陽化しつつあるのは、国産力士が振るわないのも一つの原因だが、電子産業時代の今日、立ったり、しゃがんだり、あの間延びした長い立ち会いの雰囲気が若者にあきられ、中学や高校、大学でも相撲部に入るものが極めて少なくなった。様式そのものがスポーツとしての魅力を失っているのであり、そうした客観状勢のなかで内部から瓦解のウミが出たのだから、よい潮時である。【押谷盛利】

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2011年02月08日

借金1兆円の県財政(見聞録)

 滋賀県の2011年度当初予算案が発表された。一般会計の総額は4984億円。この1年間、福祉や教育、公共工事、職員の給与などを賄う。
 4984億円のうち、滋賀県が自前で調達できているのは約半分の2361億円にすぎない。残りは国から支給される「地方交付税」や「国庫支出金」。そして、「県債」という名の借金で賄っている。
 毎年、借金を重ね、その残高は過去最悪の1兆0282億円に達した。県の台所事情は危機的だ。
◇県予算を嘉田さん一家の家計に置き換えてみると―。
 地方の零細企業に勤務する嘉田さんの月給(県税など自主財源)は23万円しかない。
 しかし、受験対策の学習塾通いなど子どもの教育費に12万8000円を出費している。祖父母の介護や医療(健康福祉費)に8万2000円、家の修繕(土木交通費)に4万5000円、防犯対策(警察費)に2万9000円を使った。ローン返済は月々7万9000円にのぼり、家計を圧迫している。他にもいろいろと出費が…。
 給与では足りないので、親からの仕送り(地方交付税、国庫支出金など)18万2000万円を頼っているが、不足分は銀行からのローン(県債)で7万9000円を埋め合わせ。
 祖父母の介護費用は年を追うごとに増えそう。かといって子どもの教育費を削るのは…。家の修繕も気がかり。地震、大雨に耐えられるかしら…。
 零細企業ゆえ給与が増える見込みもなく、家計が火の車の両親からの仕送り増額も見込めない。借金は増え続けている。嘉田さんは頭を悩ます毎日―。
◇自治体の財政再建には何が必要なのか?
 少子高齢化による生産人口の減少で財源増加は見込めない。しかし、福祉費や公債費(借金返済)は増え続ける。
 ゆえに事業の切り捨てによる歳出圧縮か、増税による歳入の確保かの二者択一を迫られよう。
 優先すべきは前者。まずは徹底的に無駄な事業を省き、それでも再建の道筋が立てられないなら、教育や福祉といった聖域にも踏み込まなければならない。
 借金の放置は、我々の子ども、孫を苦しめることになる。県の覚悟、県民の我慢が求められている。

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2011年02月07日

河村名古屋市長の再選

 浪速の大相撲春場所は八百長相撲で中止になったが、地方政界の名古屋場所は河村、大村コンビの住民政党が民主、自民を蹴落とした。
 先ずはおめでとうと名古屋市長の河村たかしさんに祝意を表そう。大阪府知事の橋下徹さんの向こうを張って中京から日本を変えようとする熱意と実践力には頭が下がる。河村氏は減税日本なる地方政党を立ち上げ、自らは市長の給与を大幅に下げ、議会に対しては議員減らしと議員給与の引き下げを求めた。市民税の減税が議会の反対で否決されるや、民意を問うべく、議会の解散を民意に問うた。いわゆる住民投票による議会の解散の可否だったが、これの投票も解散の声が圧倒的で、この3月には市議選が展開される。
 河村氏の特徴は正義感が強く、極めて平民的で、路地裏のおでん屋でだれとも気さくに飲むといった風情が親近感を持たれている。
 ぼくは彼に注目したことが一つある。もう6、7年も前のことだが、本県の豊郷町が東洋一といわれた豊郷小学校の解体問題で、全国的に注目されたことがある。当時の実力者・大野和三郎町長の強引な施策、問答無用の学校建て替えが始まった。歴史と伝統の校舎を存続せよとの激しい住民運動が自然発生的に湧き上がり、裁判で執行凍結の勝利を得たいきさつがある。
 大野執行部は裁判の流れを無視して一部建物の撤去を始めて、その暴挙が内外の批判を高めた。
 こうして反町長の住民運動は県民の熱い視線を受けたが、おかしいことに県選出の国会議員はだれ1人として住民運動を支援するものはなかった。
 地方政治刷新の住民運動のエネルギーの尊さとその津波のような勢いを知ったぼくは紙面を通じて住民運動を強力に支援した。
 たまたま住民運動の町長リコールが成立し、町長選が行われたが、反町長派の裏切りによって大野町長が再選された。この選挙、県内の2区出身の当時の小西理衆議院議員が大野氏の支援に立った。ぼくは後日、小西氏に「なぜ、住民運動を支援しなかったのか。豊郷小を潰してもいいのか」と詰問したことがある。
 ぼくはこのとき、名古屋からわざわざ住民側の支援に立った河村氏(当時は民主党代議士)に感服した。こういう熱血漢、正義漢の大衆的政治家こそ日本を変えるにふさわしい人物ではないか、ひそかにその将来を期待した。
 愛知県知事に当選した大村秀章氏はこれまで自民党の衆議院議員だったが、河村市長の減税日本に同調して離党し、自ら「中京都構想」を掲げて、民、社、国の3党支援候補に圧勝した。
 これで橋下大阪府知事の維新の会の大阪都構想とドッキングし、さらに東京都知事が1枚加われば文字通り地方政治は根本から変えられる。
 政治腐敗の自浄能力を欠く民主党の落日の日は近い。【押谷盛利】

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2011年02月05日

難解・不親切な言葉(見聞録)

 日々、記事を書く際、誰が読んでも分かるようにと、簡潔、明瞭を心がけているが、カタカナや新語の扱いに時々困る。読者から「分かりにくい」とのお叱りを頂くこともある。
 例えば、小紙4日付けの「バイオマス構想を策定―長浜市、稲わら燃料化や廃食油活用」の記事。
 「バイオマス」とは何か?「バイオ」と付くから、生物的なイメージが浮かぶが、正確には…。
 長浜市発表の構想案に添えられた用語説明には「生物資源(bio)の量(mass)を表す概念で、生産可能な、生物由来の有機性資源で化石資源を除いたもの。地球に降り注ぐ太陽のエネルギーを使って無機物である水と二酸化炭素から、生物が光合成によって生成した有機物であり…」と続く。
 小紙はバイオマスの説明にこれだけの行を割けず、「生物由来の資源」に略した。
 環境科学やバイオ技術分野の革新は著しく、それに伴って新たな考え方や概念、用語が登場するのは止むを得ない。
◇しかし、無用なカタカナ語や新語は避けたい。
 同構想の策定にあたって、長浜市は「パブリックコメントを実施する」としているが、一般市民には聞き慣れない言葉だろう。「パブリック」は「大衆」を、「コメント」は「意見」を意味する。
 「構想案について市民から意見を募集します」との表記で完結するはずなのに、「パブリックコメント」という聞き慣れない行政用語を持ち出せば、市民に敬遠されはしまいか。
 このほか、構想案の所々に「賦存量」という言葉が登場する。辞書に載っていないが、どうやら「利用可能量」「存在量」などを意味するようだ。市民に意見を求めておきながら、辞書にも載っていない言葉を使用し、注釈もないのは不親切だろう。
◇人に何かを伝える時、常に受け手の立場で考えることが求められる。
 これは役所の情報発信に限らず、我々記者も忘れてはならず、自戒を込めて提言しておきたい。

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2011年02月04日

相撲協会は解散せよ

 国技の大相撲が国からも国民からも見放されるピンチに立たされている。
 あってはならない八百長相撲の発覚である。昨年の夏、ファンからソッポを向けられたのは暴力団がらみの野球賭博をめぐる恐喝事件が端緒だった。
 前途を期待されていた上位力士や中堅力士が逮捕され、国技の名を辱めたとして、NHKは7月の放送を取りやめた。多くのファンの大相撲放れが、相撲協会の危機感を深めたはずだが、今回の八百長賭博は協会の存亡に関わる不祥事となった。
 文科省は3月13日開幕予定の大阪春場所の中止を検討しており、NHKは、仮りに実施されたとしても中継の生放送は取りやめることにした。
 当然である。八百長事件の発覚は力士間のケータイによるメールのやりとりによる。このメールのやりとりは、昨年夏の野球賭博の証拠物件として警察に押収されていたもので、その中に意識的に消されていた部分があり、再捜査によって消されていたメールが明るみに出た。
 バレることを恐れて押収前に八百長に関する部分を消したが、このメールを再録すると、八百長の仕方や星の貸し借り、次の場所の約束までが浮かび上がり、病的な内部腐敗の生々しさを立証した。
 ファンがひいき筋の応援に、手に汗握ってはらはらしているのをよそに、カネもうけの八百長相撲が蔓延しているとなれば最早や信用するものはあるまい。八百長相撲を見るために国技館にゆくものもないし、そんな腐った相撲は放送してもだれも見向きもしない。
 大相撲は国技だとして、国が面倒を見、公益法人として認可し、国費の助成まで手厚く保護しているが、昨年の賭博事件といい、今回の八百長事件といい、その腐敗の実態は並みのものではない。賭博には胴元が存在するし、八百長にも背後に賭博や暴力団の影が見え隠れする。国民道徳を傷つけ、健全なスポーツを泥まみれにする大相撲に国や公共団体、報道陣の応援するいわれはない。
 それでなくとも、最近の大相撲は国産力士が振るわず、横綱や大関以下中堅は外国人力士のオンパレードで、さっぱり面白くない。
 振り返ればハワイ組の小錦、武蔵丸、曙、モンゴル組は朝青龍、白鵬以下大部屋の独立集団の感があり、加えて、近くはヨーロッパの琴欧州、把瑠都が加わり、ヤマト力士は見る影もなく、窮地を八百長でカバーするするのか。
 日本相撲協会は解散して、今後はプロレス並みに各部屋ごとにチャンピオンをつくって後進の指導と国技の再浮揚に力を入れるがよい。【押谷盛利】

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2011年02月03日

「八百長」の語源(見聞録)

 明治初年、八百屋の店主・長兵衛が、店の商品を売るために、碁仲間との勝負で手抜きし、相手の機嫌をとった。―これが「八百長」の語源とされる。
 長兵衛が後に碁会所開きの来賓として招かれた棋士・本因坊秀元と互角の勝負をしたことから、周囲にその実力がばれてしまった。
 八百屋が客相手に手抜きするのは商売上のテクニックだが、国技・相撲界で八百長がまかり通っているとなると、ファンはもとより国民に対する背信行為で、国際的にも大恥だ。
◇野球賭博問題に絡んで、警視庁が家宅捜索で押収した力士らの携帯電話に、八百長をうかがわせるメールの記録が残っていた。
 例えば、「相撲の内容はどんな感じですか」(恵那司)、「今日はまっすぐ思いっきり当たっていきます。よろしくお願いします」(千代白鵬)とのやり取りや、「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」(清瀬海)、「了解致しました!では流れで少し踏ん張るよ」(春日錦)と、生々しい。勝ち星をカネで売買する記述もあった。
 13人の力士・親方の名前が浮上し、すでに複数人が八百長の事実を認めている。
 横綱や大関の名が無いことが不幸中の幸いといえようが、部屋も階級も異なる13人が関与していたことから、八百長が相撲界に定着していることは疑いようもない。
 相撲協会は再三再四、八百長疑惑を否定してきたが、結局、すべてウソだった。
◇八百屋の長兵衛が碁の手を抜いて機嫌を取っていた相手は、皮肉にも大相撲の年寄だった。
 語源に大相撲が登場するのは偶然か。それとも、当時からイカサマ勝負の代名詞的存在だったのだろうか。
 大麻、暴行、賭博、八百長―と続く相撲界。これを機に、他国にも誇れる国技として徹底的に刷新し、真剣勝負の土俵を取り戻してもらいたいと期待するのだが。

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2011年02月02日

信用なき政府と民主党

 ぼくが1月31日の時評で「日本の国債とエジプト」について書いた日、偶然にも民主党の小沢一郎元代表が強制起訴された。その時評の後段で、「政治は常に国民の信頼があってこそ成り立つものであり、信頼は政策以前の問題である」と説き、内外における日本の困難な時局にさいして、身内の、それも指導者の不祥事に対する自浄能力の欠如している民主党を批判した。
 この時評を読んだ一主婦から「信頼」と「政治」について、もう少し詳しく知りたいとの電話を戴いた。
 少し例を上げて説明しよう。われわれは事業所得であれ、月給であれ、収入のうち必要なる家計費や生活費は支払うが、できるだけ無駄を省いて、残ったお金は貯金に回す。貯金したカネは必要な時に払い戻しできるし、わずかだが利息がつく。仮りに100万円貯金しても払い戻すとき90万円しか出せなかったら、その銀行はとたんに信用を落とすし、取り付け騒ぎに発展して倒産するだろう。
 日本の円が国内はおろか、世界に通用しているのは信用があるからで、為替レートによって、ドルにでもユーロにでも換えられるからである。
 日本の国債が、世界の権威ある格付会社の評価でC級となったのは日本の政治と財政が国際的な信用を落としたからで、これが続くと日本の政府がなんぼ国債を発行しようとしても外国から買い手がつかなくなる。もし、国民が信用しなくなったら、国内での国債消化も難しくなる。
 財政や政治が行き詰まって、金融不安が高まると政府は増税で急場をしのごうとするが、国民は反発して物を買い控えるし、物資の流通が滞り、生産が落ち、企業の整理や倒産、失業の増大、社会不安、おカネの値打ちの下落からインフレが生じ、所得にふさわしい生活が困難になる。
 ぼくの父は少年期のぼくに「化けものとお金は人を見て出る」と言った。臆病者は夜道の枯れ尾花をお化けと思って悲鳴をあげる。
 銀行へおカネを貸してほしいと頼みにいってもその人に信用があればOKとなるが、信用がなければ拒否される。いまはカード時代でローンの世だが、昔はものの売り買いは大福帳による「つけ」が主流だった。店でつけがきくのは、その人に信用があるからだ。いま、信用なしで店でただ食いしたら警察の厄介になること必定である。
 われわれは「おカネ」を命より大事なものと思いがちで、カネのないのは首のないより劣る、とまで極言するものもあるが、そのおカネ、いま1万円札が1万円の値打ちで通用するから「お足」などと重宝されるが、政府や財政の信用下落で1晩後に1万円札が500円の値打ちしかないと判ると大変な騒動に発展する。いまのうちに持っているカネを有効に使わねばとじたばたするうちに1万円札が100円の値打ちに下落することだってある。おカネは信用があってこそ流通するし、大切にされる。
 国債の格付でいえば、最近の権威ある米国の格付会社によると、最高のAAAが米、英、仏、独。AAプラスがベルギー、AAがスペイン、AAマイナスが日本、中国、台湾、以下イタリア、アイルランド、ポルトガル。
 政治とカネで信頼を失った実力政治家が強制起訴されても自浄できない民主党は国民の信をどこまで落とすつもりか。消費税の増税どころか、口先だけの政策に国民はついてこない。すなわち「信用」がないからである。【押谷盛利】

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2011年02月01日

親米?反米?どう転ぶ(見聞録)

 照りつける太陽と、まぶしく反射する砂漠。ナイル川のほとりには豊か緑が広がり、象形文字を施した神殿、天を刺すようにそびえるピラミッド。古代史のロマンと北アフリカの異国情緒にどっぷり浸かれるエジプトが変革期を迎えている。
 独裁体制が崩れたチュニジアに続けとばかりに、連日、ムバラク大統領の退陣を求めるデモが続いている。夜間の外出禁止令は無視され、商店や博物館で略奪が相次ぎ、無政府状態と化している。
 原因は何か。30年に及ぶムバラク大統領の独裁からの脱却なのか。
 同じ独裁国家でも、地下資源の豊富な中央アジアのトルクメニスタンでは、教育、医療、電気、ガス、水道などが無料で、国民生活は安定し、政府の統治も行き届いている。ゆえにエジプトやチュニジアのような政府打倒のデモは発生しない。
◇エジプトはピラミッドや神殿といった5000年の歴史遺産を活用した観光産業以外に、強力な産業、資源を持たない。食糧も輸入に頼っている。
 国力は弱く、国民は貧困にあえいでいる。以前、首都カイロでタクシー運転手の自宅にお邪魔したが、石造りの粗末な家で、壁や天井には穴があき、かろうじて電気が通っていた。地中海の向こう側、欧州の豊かな生活と暮らべるべくもない。
 自国の貧困を顧みて、30年に及ぶ独裁体制に、その不満が爆発したと言って良いのだろう。
◇どうやらムバラク大統領は退場を余儀なくされそうだ。
 国際原子力機関(IAEA)の元事務局長・エルバラダイ氏が中心となって臨時政府が築かれる気配だが、野党勢力には欧米の民主政治を目指す政党から、イスラム原理主義を主張する非合法団体までが群雄割拠。調整がつくのかは不透明だ。
 まして、産業基盤が整っていない同国で、政治体制が変化したからといって、国民の貧困が解消される保障はまったく無い。
 そして何より気がかりなのは、イスラム原理主義を掲げる勢力が表舞台に立つことによって、さらなる中東混迷を招きはしまいか。
 親米、反米はさておき、エジプトに民主国家が民主的に成立するのか。中央アジアから、中東、北アフリカにまたがるイスラム教国にどう作用するのか。目が離せない。

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