滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2011年01月31日

日本の国債とエジプト

 「週刊現代」の2月12日号の広告に「痛い死に方 痛くない死に方」という見出しの記事が出ていた。
 結構なご時勢である。楽な暮らし方を話題するのならともかく、あの世ゆきの土壇場での痛さを和らげるのは宗教の世界である。
 昔から言うではないか、「銭もうけと死に病」。どちらもあぶら汗の出るほど苦しい思いをする。死ぬことよりも死なぬ生き方、すなわち健康法こそ日本人の現在の最も大切な生の処方箋であろう。
 連日の海外のニュースはエジプトの大規模な民衆デモで埋まっている。
 ムバラク大統領の30年間の独裁政治に対する国民の不満が爆発したもので大統領の退陣以外に正常化は困難のようだ。カイロをはじめ、アレクサンドリア、スエズなど大都市では死者150人以上、負傷者4000人以上といわれ、全土で夜の外出禁止令が出ているにも拘わらず、例えばカイロ中心部の広場では29日夜、5万人もの市民が集まった。
 エジプトだけではなく、他の国でも政治不安による混乱や大統領の辞任を求めるデモが報道されるが、そのいずれもが独裁型の長期政権に対する国民の反発である。
 さて、ひるがえって、日本の国情と政治の姿はどうか。
 さきごろ、日本の財政の健全化の世界的指標である国債の信用度がCクラスに転落し、中国並みである、と世界の格付審判で明らかにされた。
 これを聞いた菅首相は「疎い」と記者団に語り、物議をかもしている。格付審判をする側が疎いのか、対応する自分が疎いのか、さだかではないが、誰の目にも分かることは、財政健全化に対する民主党政治の疎さである。民主党は、日本のおかれている国際的地位の下落に対し、身内の不祥事に対する自浄作用さえ欠如しているていたらくである。
 内部を固め、国民の信頼を回復して、世界に日本ありとの着実な政治が求められていることに全然気がついていないか、分かっていても政権担当者にその力がないのか。
 「政治とカネ」の問題は帰するところ、小沢一郎元代表への疑惑と不信である。政治は常にぼくがいうように、国民の信頼があってこそ成り立つものであり、政策以前の問題である。
 口にいいことを100万遍繰り返しても信がなければ誰もついてこない。
 小沢氏の離党や議員辞職がない限り、国民は民主党を信頼しない。その民主党内にあって、必死で小沢擁護に走っている子分どもがいるが、彼らがどんな因縁で小沢党になっているのか。彼らは親分の国会での喚問にも反対しているが、日本の今日は、このような古い型のリーダーの生死についてエネルギーを無駄遣いするような余裕はない。
 国民の批判と怒りの声は今年4月の地方選で爆発するだろうが、不思議なことに、地方から「小沢降ろし」の声が出ないことである。
 わが滋賀県を見ても民主党の国会議員から小沢批判の声を聞いたことがない。第二選挙区の田島一成氏は元日の本紙での挨拶でも、さきごろの後援会での新年会においても「政治とカネ」の問題は口を閉ざして語らない。県会議員や市議クラスの連中もそのことに触れようとはしない。
 県民はこのことを強く覚えているだろう。君たちが何をほざこうが、肝心かなめが狂っていては日本の国債同様、C級以上の評価は受けられまい。【押谷盛利】

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2011年01月29日

人任せ、行政任せの風潮(見聞録)

 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズが日本国債の格付けを1段階引き下げ、国債信用度が中国と並んでしまった。
 国債の格付けは、国が発行する債券が確実に償還されるかどうかを投資家が判断する目安で、その国の経済的実力を示す指標となる。
 同社が発表した格付けは最高の「AAA」が米、英、仏、独など、「AAプラス」がベルギー、「AA」がスペイン、そして「AAマイナス」が日本、中国、台湾となった。以下、イタリア、アイルランド、ポルトガルと続く。
◇自民党政権下で緩慢化した財政の建て直しを期待した民主党政権は、子ども手当、高速道路1000円、農業補償、高校授業料無料化といった、バラマキで歳出を増やし、財源として税収以上の赤字国債を発行した。
 同社は、そういう民主党政権に対し、債務問題の戦略性が欠けていると指摘し、日本の財政運営に強い警鐘を鳴らしている。
 格下げに対する菅首相の「私は疎いので」発言はさておき、国会は党利党略を排して財政再建に取り組んでもらいたい。
◇国の借金は1000兆円に迫る勢いで増え続けている。しかし、財政危機が叫ばれながらも、国民がバラマキに怒っているのかというと、「もらえるのなら…」と黙認している雰囲気。道路造れ、橋造れ、車・家電製品に補助金を、そして子育て、教育、福祉、医療支援と、その要望は尽きることがない。
 この国は税金を使い放題の官僚と、選挙目当ての公約バーゲンセールを宣伝する政党、そして過剰サービスを求める国民のために、沈んでしまうのだろうか。
◇今月、何度かの積雪に見舞われた湖北地域。雪が積もるたびに、役所の電話は除雪要請や苦情で鳴りっ放しという。
 除雪車両、人員、予算には限りがあり、広い長浜市を同時並行的に除雪を徹底できる訳がないし、積雪で道路が凸凹になって交通が乱れるのは当り前。いちいち腹を立てて、自治体に文句を言うのは、いただけない。自然現象を受け入れ、雪が降れば早起きして、スコップ持って外に出よう。
 何でも自治体任せにする風潮がはびこれば、財政破綻を招き、市民の首を締めることになる。「人任せ」「行政任せ」ではなく、「結い」の心が、この国の財政を救うのではないか。でなければ、大増税へ一直線だ。

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2011年01月28日

天変地異と宮崎の被害

 宮崎県の霧島連峰の新燃岳火山が爆発した。すさまじい噴煙が鹿児島にまで飛来、地元に近い都城あたりは灰と粉塵が雪のように降った。農作物は壊滅的打撃を受け、今後、農地を元に復活するのは容易ではない。ハウス栽培用の施設の被害も大きいし、住民は屋根、自動車、植木などに灰や小砂の被害を受けた。
 宮崎県といえば牛の産地だが、口蹄疫の感染で何十万頭を殺処分したのはまだ記憶に新しい。その牛の防疫体制がやっと沈んだと思いきや、今度は不幸にも鳥インフルエンザに見舞われた。何百万羽の鶏を処分したばかりか、その卵までもが流通市場から消された。
 しかも宮崎の鳥インフルを合図の如く、日本最大の養鶏県と知られる鹿児島、愛知県のほか各地の大型養鶏地域に深刻な不安と打撃を与え、鶏肉や卵の値上げが家庭の台所に影響しつつある。
 宮崎県は牛に続く鶏インフルで大打撃を受けている矢先、今度は天変地異の火山の爆発である。
 踏んだり蹴ったりというが、被災地の損害、恐怖、経済的打撃、その後遺症を思うとき心から同情せずにはおられない。隣人の不幸にどう対処すればよいか、各府県あげての見舞いと激励のまごころを期待したい。
 それにしても人間わざでは考えられない宇宙の神秘と苛酷さである。北海道、東北、北陸、山陰地方の豪雪は記録破りと伝えられる。天のお降りというには有り難すぎる大雪であり、白魔と呼ぶべきかもしれない。
 屋根の雪下ろしで転落死した人もあれば、スリップ事故による死傷者、道路の一時閉鎖、交通麻痺などが生じている。山間僻地では独居老人たちが孤立し、病人が出ても救急車やタクシーが動かない状況も報じられている。
 家屋の崩壊を防ぐため屋根の雪下ろしをせねばならぬが、若い人が少なくてその対策も容易ではない。どの自治体も除雪に追われており、食料、燃料、日常品の補給等、雪の中で悲鳴を上げている人の救済も深刻である。
 各地の積雪の異状さを思えば、県下の雪どころ湖北地方の雪はまだ寛大なお降りであろう。
 昭和56年の大雪では各地の体育館が倒壊したが、今年はいまのところ、寒さもまずまずだし、中河内や甲津原の豪雪地帯を含め、たいていは除雪車が間断なく出動して道路を確保している。
 これからの関心事は高齢者宅の除雪や屋根の雪下ろしであろう。隣人愛はもちろんだが、都会へ出ている若ものたちは、こんなときこそ郷土を守るため臨時にUターンして老人たちを喜ばせてほしい。【押谷盛利】

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2011年01月27日

宗教の無慈悲さ(見聞録)

 人間や自然を超える存在として畏怖、尊敬され、教義をさずけてくれる宗教。キリスト、イスラム、ヒンドゥー、仏教をはじめ、あらゆる国にあらゆる宗教が存在している。
 日本人の多くは仏教系だが、その信仰心は年齢に反比例して、年々、劣化しているのではないか。一方、海外を見渡せば、宗教が絶対的存在として君臨し、我々の常識では計り知れない程にまで生活規範や法律に浸透している国もある。
◇唯一神アラーを信仰し、預言者ムハンマドが伝えた「コーラン」の教えを信じるイスラム教は、中央アジアから中東、北アフリカまで分布し、マレーシアやインドネシアなど東南アジアでも信仰されている。
 信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼の「五行」が求められ、その戒律は非常に厳しい。さらにイスラム教や預言者への批判の一切を許さない「冒とく罪」が定められ、厳格・無慈悲な運用が行われている国もある。
 パキスタンもその一つで、今月、「イスラム冒とく罪」を批判したパンジャブ州知事が警護役の警官に射殺される事件が発生した。警官はその場で逮捕されたが、宗教界や市民からは殺害に賞賛の声が上がり、警官を英雄視しているという。
 知事殺害には伏線がある。昨年11月、パンジャブ州でキリスト教徒の40代女性が死刑を言い渡された。女性は、イスラム教徒の同僚から「キリスト教徒がくんできた水は汚くて飲めない」などと言われたことから口論となり、その際、預言者を侮辱する発言をしたとして逮捕された。女性は容疑を否認しているが、イスラム教への冒とく罪が適用された。その罰則は「死刑」以外に無い。
 人権団体などは女性の解放や法改正を求め、リベラル派の州知事も女性の支援を表明。冒とく罪の改正を訴えたことで、イスラム政党など保守勢力から批判にさらされていた。
 そして、警護警官に自動小銃で27発もの銃弾を浴びせられた。
◇さて、殺人容疑で逮捕された警官の判決はどうなるのだろうか?
 イスラマバード弁護士協会は「容疑者の行動はやむを得ず、無罪に値する」として容疑者を弁護する方針。知事側を擁護する弁護士は会員資格を剥奪するという。
 英雄として無罪となるのか、それとも殺人の罪で罰せられるのか。
 もし無罪となれば、イスラム教至上の保守勢力の追い風に、有罪となれば新たな暗殺を生む可能性をはらんでいる。
◇神を絶対的存在と位置づけ、批判勢力には暗殺すら厭わないのは、何も宗教に限った話ではない。
 北朝鮮の金一族も、中国の共産党も自らを絶対的信仰の対象とし、無慈悲にも君臨し続けている。国民を抑圧する疫病神でしかないのだが…。

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2011年01月26日

鍋料理あれこれ万歩記

 正月明け、友人と会えば「いっぱい、どうや」と、すぐ飲み会に話は飛ぶ。
 酒に肴はつきものだが、どこで、何の料理?などと選り好みするのはほんまの左党とはいえぬ。場末のおでん屋でもよければ縄のれんの焼き鳥屋でも、というのが根っからの酒好き。友人たちの意向を聞くと会席といった格式ばったものより鍋もの好みが多いようだ。
 真冬だから温かいものが喜ばれるのは当たり前だが、一つには野菜類がたっぷり食べられるかららしい。というのは、このごろはどこの家庭でも肉や魚に重点を置く、いわゆる脂っこい料理が主流だからどうしても野菜不足になる。
 ことに若いものほど野菜を敬遠する。そういう今の世の食文化の影響か、子どもも親も肥満体が多い。健康上からも菜食の奨めが目立つ。そこらあたりが飲み会の多数を制するのか、存外鍋ものが売れ筋となっている。
 鍋にもよりけりで、風雅なのは「鴨鍋」。大衆的なのは「ちゃんこ鍋」。ぜいたくなのは「河豚鍋」。このほか通俗的なのは「すき焼き」「しゃぶしゃぶ」。一般的に魚類全般を「沖すき」(魚すき)。あるいは「よせ鍋」といっている。
 湖北地方では「うなぎのすき焼き」。少し黒色めいたのが「牡丹鍋」「桜鍋」「紅葉鍋」「狸汁」「塩汁鍋」「石狩鍋」「鮟鱇鍋」「ジンギスカン鍋」。
 牡丹鍋は猪肉の鍋だから猪鍋ともいう。猪は山鯨ともいい、げてもの食いに人気がある。
 桜鍋は桜、いわゆる馬の肉。これに1枚かむのが鹿肉の紅葉鍋。ぼたん、さくら、もみじで、花札を思わせるところが面白い。
 ぼくは食ったことはないが、狸汁もうまいらしい。韓国では犬料理が評判らしいが、猫料理は聞いたことがない。
 しょっつる鍋は秋田地方の郷土料理。はたはた、いわし、にしんなどを麹と塩漬けにして重石をし、その汁の上澄みを調味料にした白身の魚鍋。
 石狩鍋は鮭を使った北海道の鍋料理で、鮭の産地・石狩川にちなんだ郷土料理。
 あんこうは、頭がグロテスクで気味悪いが、味はあっさりしている。
 ジンギスカン鍋は、名前から分かるようにモンゴルを想起する。羊肉を使った独特の料理。
 魚や肉ではなくとも冬は温かい汁ものに限る。お講汁、粕汁。蕪汁、納豆汁、のっぺい汁。おいしい料理は山ほどあるが、このごろは「手抜き」が流行しているから、ほんものの家庭の味は見果てぬ夢となった。
 そこで、予約しての飲み会、始まり始まりの仕儀と相成るのだが、「おあとは財布と相談して」。【押谷盛利】

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2011年01月25日

海賊ならともかく…(見聞録)

 無政府状態が続くアフリカ東北部の国ソマリア沖で、国際タンカーを乗っ取る海賊が暗躍し、日本を含む各国が海軍(自衛隊)を派遣して監視活動にあたっている。
 今月15日、韓国の化学物質運搬船がUAE(アラブ首長国連邦)からスリランカへの航行中に乗っ取られたが、韓国海軍特殊部隊が21日、運搬船を急襲し、韓国人8人を含む乗組員21人全員を救出。海賊8人を射殺し、5人を拘束した。
 韓国軍は昨年、北朝鮮による哨戒艦撃沈や延坪島砲撃とやられっ放しだっただけに、今回の救出劇で汚名返上した形だ。
 李明博大統領は救出作戦を自ら命じ、作戦成功の第一報を特別声明で発表するなど先頭に立ち、国民からは「決断力のある大統領」と称えられ、支持率も上昇中とか。
◇一方、日本では民主党政権が自衛隊の士気を下げている。
 「暴力装置」と評した仙石氏はとりあえず表舞台から消えたが、今度は北沢俊美防衛大臣直轄の「自衛隊情報保全隊」が、陸上自衛隊OBの佐藤正久自民党参院議員や田母神俊雄元航空幕僚長の講演に潜入し、現職自衛官の参加状況を監視していたことが明らかになった。
 保守系集会への現職自衛官の参加の有無、氏名、講演者の発言内容を、報告書として提出させていた。産経新聞が24日、「保守系集会で隊員監視」との見出しで、1面トップ記事で伝えた。
 同隊の本来の任務は自衛隊をスパイから守るための情報収集だが、佐藤、田母神両氏はスパイではない。なら、何ゆえに監視するのか。一般的に考えれば、自衛官と保守勢力の接触を防ぐのが目的であったと推測できる。
 海賊ならともかく身内を監視するよう命じる民主党政権に、国防を担う自衛隊員は何を思うか。寒々しい政権である。

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2011年01月24日

受験期に入っての覚悟

 受験シーズンに入った。高校へ、大学へと志す若ものにとっては苦い季節である。最近は私立中学の入試も厳しく、児童の心も穏やかではない。
 このシーズン、人事を尽くして天命を待つではないが、最後は神頼みになるのか、例えば京都の北野天満宮は受験詣でで門前市をなす盛況ぶり、学問の神さま・菅原道真公も「みんな、思いをかなえてやりたいのだが…」と苦笑されているにちがいない。
 過日、夜のテレビで、大学受験が話題になっていた。ゲストで参加していた「ミス東大」が、司会者から「あなたは入試前は1日何時間くらい勉強しましたか」と問われ、即座に「12時間くらいだった」と何食わぬ顔で答えていた。他のゲストが声を揃えて「えーっ」と感心したり驚いたりしていたのが印象的だった。
 ミス東大といわれるくらいに、さすがに彼女は突出した美人だった。こんな美人に、こんな頭脳を与えなくとも、と神さまの不公平を思いがちだが、それなりの因縁でこの世に出てきたのだから、余計なことだが、彼女の今後の人生に興味が尽きない。
 ところで振り返って、大学受験期のぼくはどうだったろうか。いま思えば、やはり12時間くらいはがんばったようだ。しかし、ぼくのころは、念願叶って合格しても、徴兵猶予の特典はなくなり、男性は大部分、兵隊にとられるか、将校を目指して「海軍予備学生」などに志願した。その結果、戦死したものもあれば、それきり大学と縁の切れたもの、復学するもの、それぞれに苦難の戦後が控えていた。
 1日12時間の受験勉強というのは大変な精神的重労働であるが、それをやれるのは10代後半の体力と精神力であろう。「やらねばならぬ」という自分自身への賦課というべきで、やらねば罰せられるとか、命に関係するとかいう問題ではない。勉強のいやなものには苦しみであるから逃げれば良い。親の命令でいやいや勉強しているものもあるかもしれない。
 大学が人生を全うする絶対の指標でもなく、その人の幸福の鍵というわけでもないから、いやなものはゆかなくともいいし、大学に代わる自己の修練の場は無限にひろがっているとひらき直るのも一つの手である。
 また仮りに志望校に落ちたとしても自分の首が落ちたわけではなく、来年を期して浪人すればよい。2浪、3浪する勇気と根性も捨てたものではない。
 ただし、やけのやんぱち、無為徒食ではつまらない。大学に入る年代だから親のすねかじりから独立して、最小限自活するくらいの気概がほしいし、進学をあきらめても学問への向学心は持続したい。
 書籍類や情報は無限に手に届くところにあり、図書館も完備している。人生いかにあるべきか、わが道の進路いかに、と自ら苦心して茨の道をなりふりかまわず歩く姿に神さまはきっと目を止めてくださるにちがいない。天は自ら助くるものを助く。【押谷盛利】

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2011年01月21日

口だけ達者な役立たず

 「耳が遠くなって困っています」と友人のAさんからの便り。聞かなくても宜しいという神さまのお告げかも、と、ぼくは無責任なことを言いながら、「老化」という魔物にうろたえることである。
 正月前、別の友人のBさんが家の中で転んで、なんでもないと安心していたら痛みがだんだんひどくなり、結局入院し、骨の手術をすることになった。
 足を上げたつもりが、上がっておらず、つまずいたのがそもそもの始まり。つまずくことは年齢に限らず、誰でも経験するが、元気なときは上手につまずいて、ケガをすることはない。結局、老齢化とともに日ごろの運動の欠如と相まって、手足の神経や筋肉が機能しなくなるのだ。
 神経や筋肉の劣えは手足のみならず、内臓や脳にまで及ぶからことは面倒である。人間は勝手なもので、調子のよいのが当たり前のように思って、機械でいうならば点検、補修、油さし、手入れなどを怠って、いざパンクとなってからうろたえる。
 考えてみれば、この肉体、70年、80年もこき使ってきたのだから、少しはへこんだり、ボロが出たり、いびつになったりもする。若いころの元気さが高齢になっても持続するというのは化け物の世界である。
 耳が遠くなったり、目がうとくなり、さっさと歩けなくなるのはこの娑婆におさらばの時期が近づいたという信号である。
 信号を正確にキャッチして、無理な背伸びをやめることが自分にとっても家族にとっても幸せである。
 どうせ、口だけ達者の役立たずであるから、家族や国に少しでも迷惑をかけない心掛けが肝心。
 家族や国に迷惑をかけることとは健康を損なうことである。だから老人の日々の目標は極めて簡単なことで健康を維持するだけである。
 長寿している人は、長寿の分を人生の「おつり」と考え、素直に喜び感謝の生活に徹したい。
 幸いにも活気未だ劣ろえずの人は、その活気を世間さまに奉仕するのが最高である。別に難しいことは何一つない。道に捨てているゴミを拾うことだって立派な奉仕活動である。腰を気遣いながら遊び半分、雪なぶりするのも公道であれば立派なボランティアである。独り居の老人に電話をかけて無事を確認するのも素敵な他者への思いやりである。
 もちろん、自らの修業や完成に気力をふりしぼるのは素晴らしい。
 見渡したところ、ぼくの友人たちは短歌や俳句、絵画、カラオケ、小説、彫刻等の思い思いの趣味に生きている。
 うれしいことである。これなら耳が遠くてもできるし、少々目がうとくなっても可能で、自分のうちなる世界に籠もっていられるかもしれない。
 もう、いまさらバタバタしなさるな、これが高齢者へのぼくの声である。【押谷盛利】

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2011年01月20日

又蔵翁、七蔵翁と(見聞録)

 今年で60回目を迎える長浜盆梅展がきょう20日、慶雲館で開幕した。
 長浜市が「歴史・規模ともに日本一の盆梅展」と胸を張るこの長浜盆梅展は、先人2人なしには誕生しなかった。
 1人は慶雲館を建造した長浜の富豪・浅見又蔵氏、もう1人は盆梅を市に寄贈した旧浅井町高山の高山七蔵氏。
◇浅見又蔵氏は明治天皇が京都行幸の帰路に長浜入りされるとの報を受け、明治20年、私財を投じて行在所として慶雲館を建設。「慶雲館」の名は、伊藤博文の命名と言われている。玉座が設けられた2階からは、琵琶湖と伊吹山が一望できた。
 慶雲館は浅見家の別邸としてだけでなく、長浜の迎賓館として使われていたが、昭和10年に国史跡の指定を受けたのに伴い、翌11年、市に寄贈された。
◇もう1人の高山七蔵氏は、湖北の山に自生する梅の古木を集め、自宅で盆栽にして育てていた。「より多くの人に見ていただき、喜んでもらえれば」と昭和26年に約40鉢を市に寄贈し、これをきっかけに翌27年から盆梅展が始まった。
 きょう20日の盆梅展開幕式で孫の高山雅治さんから、当時の七蔵氏の話をうかがうことができた。
 東京生まれの雅治さんは、生後間もなく疎開のため高山町に移り、小学2年生ごろまで祖父の七蔵氏と共に過ごした。当時、自宅の庭や軒先には七蔵氏が山で原木を掘り出して育てた梅が大きな鉢に植えられて置かれていたという。
 雪深い冬になると、部屋の中に盆梅を運び入れ、その姿を眺めながら近所の住民と宴会を開いた。「祖父は盆梅を眺め、いつもにこにこしていました」と振り返る雅治さん。
 そして、「祖父の寄贈した盆梅を引き継いで60年間も育てていただいた方々の努力と、梅を大事にする気持ちが嬉しい」と語っている。
◇盆梅展では、観光協会が所有する300鉢の中から開花時期に合わせて90鉢を展示している。そして将来のデビューを目指して1000鉢を養成中という。
 剪定、植え替え、施肥、害虫駆除など、2カ月間の華やかな盆梅展の舞台の裏側で、丹精込めた世話が今も続いている。

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2011年01月19日

肥満と健康と日常生活

 わずか100㍍か200㍍の距離でも自転車か車を利用する人がいる。こういう人に限って、体操教室に走ったり、ダンスやヨガで体のスリム化を図る。つまらないことに時間とお金を使い、汗をかいたといって、コーヒーやケーキ、アイスクリームを口にする。
 遊びが目的なら、そういう時間つぶしもよかろうが、体力強化や健康保持をねらうなら日常生活の根本的切り替えが望まれる。
 遊び型の健康指向派はどちらかというと家事敬遠派である。なるべくテレビに時間を割くため、家事全般に省力的傾向になる。したがって、食事の調理などは手のかかる面倒なメニューは放棄して、湯を通すか、暖めるか、チンして、ハイ、どうぞと出来上がるインスタント派になる。
 野菜にしても洗ったり、皮をむいたりはいや、揚げ物も材料はすべて買い物。
 食事以外の家事も手や足を使うことは時間がかかるし、面倒だから手抜きを考える。このごろは、こういう家事全般の手抜き指向に応えるため産業界は便利で、らくらくの家庭商品を開発する。
 ぼくが早くから警鐘を鳴らしているものの一つに太り過ぎがある。日本国中、どこへ行っても子どもから大人まで、よくもこんなに太れるものとあきれ返るのである。
 肥満は健康の敵と口やかましく言われるが、総論賛成、各論まちまち、他人さまはともかく、わが家はわが家、おいしいものをたらふく食って、病気をしなかったら幸せではないか。その通りだが、そうはならないから厄介なのだ。
 太り過ぎて腰を痛める。足を痛める。コレステロールが溜まりすぎて血圧が上がる。心臓に負担がかかる。糖尿や脳梗塞の心配をいわれる。
 早めに健診、早めに予防、医者とクスリは親類づきあい、甘いものと脂っこいものには目がなく、動くのがきらいでごろ寝とテレビとうたた寝が好きで…。
 こういう一億総太り現象が子どもにまで蔓延してしまった。病院は繁盛、クスリは売れるは。高齢化が医療費増の元凶のように言われるが、子どもを含め中年層の太りすぎもまた日本の医療産業に貢献していることを思うべし。
 そこで提案。どこへ行くにも歩け歩け。エレベーターやエスカレーターは病人と老人専門に。日常活動は機械や電気に任せず、手足を使って日々これ運動。甘いものとご馳走をひかえて旬の野菜をふんだんに。ご飯は玄米、よく噛みしめる。仕事以外に趣味を持ち、友や世間とコミュニケーション。
 ああ、ありがたや、今日も元気を頂きました。朝夕、神仏に感謝の御礼。乞うご感想。【押谷盛利】

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2011年01月18日

地震も雪も助け合い(見聞録)

 きのう17日は、阪神・淡路大震災からちょうど16年目だった。
 新聞やテレビでは被災地の復興の様子や、震災を語り継ぐ被災者の活動が取り上げられ、大地震への備えが喚起されていた。
 倒壊した家屋からの脱出、救出作業、学校での避難生活など、被災者の体験談の中で印象深いのは、近所の助け合いを訴える提言。
 阪神・淡路大震災では、救助された被災者の78%が近所の人に助けてもらったという統計がある。
 大震災では警察や消防も被災する。建物の倒壊や道路寸断で、救助の手が届くのを待っている時間的猶予もなく、近所同士の助け合いが住民の命を守ることになる。
 そのためには、日ごろから近所同士であいさつを交わしたり、地元の行事に参加して、顔を覚え、覚えてもらうことが求められる。
◇しかし、近年、近所付き合いの希薄化が言われている。隣近所に誰が住み、どのような家族構成かも分からないような孤立化した家庭。マンションやアパートでは特にそういう傾向が強く、地域行事への参加もない。
 昨17日の大雪でも、近所付き合いの希薄化が顕著になっているのでは、と危惧した。
 久しぶりの大雪に除雪が不十分な通りでは車の立ち往生が相次ぎ、渋滞の原因となった。小生も早朝から雪かきに追われ、午後は新聞配達のアシスト。長浜市街地、神照地域、旧びわ町、旧湖北町内を車や徒歩で回ったが、除雪車が入れないような集落内の道路の状態が、地域によって異なっていた。
 雪かきを徹底している地域は、早朝から近所同士で力を合わせたのだろう、道路の両脇に雪が積み上げられている。子ども達の通学のため歩道の雪を丁寧にどけている地域もある。
 一方で、自宅前の道路や駐車場の雪かきがまったく出来ていない団地やアパートも目に付いた。共働きや高齢世帯で人手が足りないのだろうか。それとも近所で力を合わせて雪かきする習慣がないのだろうか。
 雪かきが近所の助け合いや、団結力を測るバロメーターに見え、この大雪を地域の助け合いの心の醸成の機会とすれば、スコップを握る手にも力が入る?

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2011年01月17日

大雪に困りをり候まま

 どえらい大雪に列島が悲鳴を上げている。長浜、米原、平野部でも50~60㌢、山間部は70~100㌢も降り、17日朝、まだ降り続いているから今後の積雪が心配される。
 ぼくは今、この原稿を窓外の舞い散る雪を目にしながら書いている。いま午前10時。朝から雪あけに汗をかいてからの執筆だが、犬の鳴き声も自動車のエンジン音もなく、すべての音を深い雪が吸いこんでいる感じである。ペンを持つぼくの手は冷たいが、頭は寒さで冴えている。
 執筆に当たり、ぼくは熱い梅干茶で咽喉をうるおし、「さぁ、がんばろう」と内なる心に呼びかけた。
 冬の冷え切った朝の一杯の熱い梅茶は、もののはずみというか、悲壮とは言わぬが、強いやる気を起こさせる。
 ぼくの梅干茶は子どもの頃の父の投影である。雪の降る凍った朝でも父は美濃紙を背負って行商に出た。出発の前に、くど(かまど、へっつい)で、火に暖をとりながら、固く凍りついているゴム製の靴をあぶって和らげた。火でこんがり焼いた梅干に熱い番茶をそそぎ、ふうふう息をかけながら飲むのが出発の合図であった。
 親父の所作を見ていたぼくは、梅干茶の素朴な、てらいなき風味と、それによる穏やかな体の温まりが忘れられず、冬の朝の一服の耐寒剤である。
 昔はいまのような飲みものや薬剤がなかったから、風邪気味なれば熱い風呂に入って、上がりしなに熱い梅茶を飲まされた。梅干が見えぬくらい土しょうがを磨って熱湯にとかすのが最高とされたし、寝る前の熱い玉子酒も効果があった。
 今朝、家の前の道開けをしていて隣人と声かけあったことである。
 「えらいようけもらいましたね」ぼくの一言に隣人は「もらいすぎや」と笑いながらスコップを動かしていた。伊香地方では昔から「雪は天の貢ぎ物」といった。長浜でも最北部の伊香は美濃や若狭、越前の県境で北陸系の雪どころである。
 毎年、毎年、雪で難儀するが、それは先祖譲りの風土であり、雪とどう折あって生きてゆくか、そこに土地の人の根性や生活の工夫を見ることができる。
 雪の少ない年は農耕期の水不足に困る。したがって、雪を天の貢ぎ物とはいうが、雨乞い祈りのような雪やめ祈りはしない。
 雪国では暇があれば雪なぶりする。雪なぶりしなくては雪が減らないからである。外へは出られぬから家に籠もるしかない。籠もって藁仕事や針仕事をしたのは昔の話。
 「書棚より一書抜き出す雪籠」(石昌子)。
 「雪籠もりして十一面観世音」(吉村まさ子)。【押谷盛利】

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2011年01月15日

博覧会に提言2つ(見聞録)

 江・浅井三姉妹博覧会がきょう15日、開幕した。9日から放映が始まったNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」に連動した企画で、小谷城主・浅井長政と、織田信長の妹・お市、その間に生まれた三姉妹をテーマにしている。
 大河ドラマで湖北地域が描かれるのは、山内一豊と妻・千代の「功名が辻」から5年ぶり。
 第1話が放映されて以来、長浜市には博覧会の問い合わせが殺到しており、再び、湖北地域が全国の歴史ファンの注目を集めている。
 きょうの開幕式で福地茂雄NHK会長は「きのう朝、一昨年の大河ドラマの舞台となった長岡市の市長とばったり会った。『天地人は一昨年に終わったが、長岡市の天地人はまだ続いている』と。ずっとお客が続いている」と語り、大河ドラマのインパクトを紹介した。
 このインパクトを観光面だけでなく、市民が郷土に誇りと愛着を持つ機会としたい。
◇そこで、二つの提言。
 一つは新「長浜市民」の一体感の醸成だ。1年前の市町合併で行政組織は統合されたものの、観光協会や商工会はばらばらのまま。博覧会の会場が3カ所に分散していることは、地域観光の回遊性を高めるという視点からは評価できようが、地域による主導権争いの結末とも、市民から見られかねない。
 1年間の博覧会を通して、商工、観光、歴史分野で地域の垣根を越えた連携が図られることを願う。
◇二つ目は、大河ドラマと博覧会を、子ども達が郷土史を学ぶ機会とすること。
 以前、市内のある学校関係者が、小谷城や浅井長政、三姉妹について何の知識もない子ども達がいると嘆いていた。
 数々の歴史上人物が天下を目指して、しのぎを削った湖北地域だけに、郷土史を学校の授業で丁寧に取り上げる工夫が欲しい。
 さらに、学校以上に家庭でも話題にしてもらいたい。長浜市は市内の全小中学生に博覧会の招待券をプレゼントしている。ドラマを観賞し、博覧会場を訪れ、郷土の歴史に触れたい。

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2011年01月14日

慶雲館と浅見又蔵のこと

 浅井長政の3人の娘、江、初、茶々らを描くNHKドラマの開幕で今年の長浜は活気づくが、間もなくその前奏曲ともいうべき盆梅展が長浜駅近くの慶雲館で始まる。
 慶雲館といえば長浜で知らぬ人はいないが、この建物のいわれや建てた人の名を知る人は少ない。盆梅展もそうである。その歴史やそもそものきっかけを知る人は少なくなった。
 人間は忘れっぽいが、歴史は現在の鑑であり、自らをただす意味においても先人の事績を振り返ることは大事なことである。慶雲館は明治時代の始め、長浜きっての実業家、いや、関西でも指折りの富豪で、かつてぼくが「近江商人と長浜商人」のタイトルで執筆した中の「浅見又蔵」である。先年、ぼくのところへ一通の手紙が届けられた。
 海外旅行の折、浅見家の方に世話になったが、尋ねたいことがあるので、住所や名前を教えてほしいと書いているだけで、浅見家に関する詳しいことは何一つ書いていなかった。ぼくは早速、市役所へ連絡したが、分からないというつれない回答だった。
 浅見又蔵さんは長浜小学校建設の中心的功労者であり、教育面はもちろんのこと、慶雲館の長浜市への寄付など、観光面では今も脚光を浴びている存在だと私見をのべて各課へ調査を依頼したが、いま子孫がどこに、どうしておられるか、音沙汰がないということだった。
 そこで方向を変えて長浜城にある歴史博物館へ問い合わせたが、ここでも同じ回答だった。
 ぼくの記憶では今の曳山博物館のあたりに「浅見家」があったと思うし、なにしろ有名な実業家だったから、すぐ分かると思っていただけに消息不明は意外だった。
 折にふれての浅見家捜しに、昨13日、思わぬ朗報に接し、長浜小学校へかけつけた。
 浅見家の玄孫にあたる繁田正子さん(医師・京都府立医大講師)が社会科の保健の学習で生徒に話されるという。それを機会に浅見家の曾孫会が寄ると聞いてぼくの心ははずんだ。
 浅見又蔵は明治33年没。娘たみとその夫長蔵の間に9人の孫があり、家系は不二雄―啓子(寺本姓)―晃一郎(昭和46年生まれ、銀行員)。
 長浜の関係分では、曳山に生涯をかけた吉田長蔵さんへ孫の千代が嫁ぎ、曾孫が精一、謙一さんら。弁護士の若森梅三郎に孫のはなが嫁ぎ、それぞれ曾孫が活躍している。
 本家がいつの間にか忘れられ、親類の交際が疎遠になると言うのが今の一般的傾向だが、血、伝統、歴史を考えるとき、今の日本の風潮はこれらを破壊する方向へ向いているのでは、と悲しくなるのである。【押谷盛利】

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2011年01月13日

非婚・少子化の空想論(見聞録)

 取材先などで「いい人おらんかー」と結婚相手の紹介を求められることが少なくない。息子や娘の将来を案じて、親は心配でいっぱい。独身男女は、両親だけでなく、職場でも、そのプレッシャーを感じていることだろう。
 政府の調査では独身男女の9割が結婚願望を持っている。
 「異性と付き合いたくない」「絶対に結婚したくない」なんて若者はごくごく少数で、多くの若者が自分を産んでくれた両親のように、いずれは家庭を築きたいと望んでいる。
◇非婚化の要因は何なのか。各種統計調査では、「出会いが少ない」「収入が十分でない」などの理由が主因とされている。
 しかし、それでは片付けられないだろう。
 経済的豊かさ、便利さ、個人主義が非婚化を進めているのは疑いようもない。
 独身で生活するのに、この日本は便利になりすぎた。ワンルームのアパートやマンションが充実し、24時間のコンビニやスーパーがあり、食事に困ることはない。孤独を紛らわすテレビ、ゲーム、インターネットがあり、人恋しくなれば気軽な出会いをネットで探せる。
 「非婚」は「おひとり様」と自嘲を込めた言葉として一定の市民権を得て、世間からの風当たりは和らいだ。「非婚は個人の多様な人生スタイルのひとつで、他人にとやかく言われる筋合いはない」ということだ。
◇動物学上、異性が結ばれ子孫を残すのは至極当然の成り行きで、結婚せず、子どもをつくらないのは「反自然」といえる。
 さらに、非婚、少子化は経済、国力論から語られることも多い。人口が減少すれば、消費人口を確保できず、経済規模が縮小し、国力が劣えるという考えだ。
◇そこで、少し斜めに考えてみたい。
 結婚し、子どもをつくり、人口を増やし続けるという人類のサイクルはどこまで続くのか。
 現在世界には約60億の人類がいるが、地球はいったい何人の人類を支えられるのか。
 全人類に安定した食糧を供給するには50億人が限界で、貧富の差を残したままでも200億人が限界との試算もある。その分析は科学者に譲るが、高度の経済発展は、地球上の食料や化石燃料を食いつぶし、いつの日か、地球が人類の重みに耐えられなくなる。
 非婚・少子化は、地球という一つの巨大生命体が、人類をコントロールするために仕組んだ巧みな「業」ではないのか。これはガイア理論に通じる空想だが、行き過ぎた文明へのブレーキと考えれば、非婚・少子化は地球に優しい神の摂理かもしれない。

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2011年01月12日

新成人は恋愛音痴か

 11日付、滋賀夕刊の見聞録に「新成人の分析」が載っている。気になる内容が示されているので紹介しながら読者とともに考えてみたい。
 結婚情報サービス会社「オーネット」による新成人の意識調査だが、「あなたは現在交際している人がありますか」という問いについて77%が「いない」と答えている。この数字は15年前の1996年の調査結果の50%に比べると恋愛ベタが格段に進んでいることを証明している。
 しかも注目されるのは、この調査結果を男性に限っていえば実に83%という高率を示している。
 つまり、100人の男性のうち83人もの多数が交際相手がいないわけ。しかも、この年齢に達するまで49%が恋愛の経験が皆無だという。見聞録は、この現象を男性の草食文化が一因と分析しているが、その草食化はいつごろから始まり、今後どうなるのか、については示していない。
 「草食化」は羊のように草を食べているやさしい動物を念頭に浮かべるが、そのやさしい羊でも雄は雌を求めて交尾し、子をもうける。
 いまの日本では恋愛まがいの学校ができたり、縁結びの結婚相談所が各地にでき、国内だけでは男性の希望に添えられぬ、と外国女性を紹介するまでに門戸を広げ、一つの産業として成り立っている。
 この現象を他の面から見ると少子化につながる。少子化は次なる日本人の世代減少を意味し、国債償還、税負担など近未来の国家経営の赤信号の素因となる。
 少子化の行きつく先は需要の減少、生活関連産業の不振、企業の閉鎖と倒産、失業、財政と金融の危機に直結する。草食化男性といえば表現はソフトだが、極言すればフヌケ男性ということになる。
 昔の人は「男女7歳にして席を同じくせず」と戒めた。
 7歳になれば充分、男性を意識し、春に目覚めるから早熟にならぬよう配慮したと考えてよい。男女ともに10代の始めから思春期に入るが、これは交渉すれば赤ちゃんができるという年齢に達したことを意味する。赤ちゃんができるには男女双方の合意による性の一体感が前提となるが、その一体感を醸成する精神的働きが恋愛である。
 思春期以後、異性を意識し、一体感を持とうとするのは自然の掟であり、神の計らいというべきで、これは人間だけでなく、すべての生物への子孫づくりの天の配慮である。
 それなのに、今の日本の若い男が恋愛体験もなければ、現在恋人がいないというのは自然な状況ではない。この反自然な状況はそもそも何に由来しているのか。今の日本のバカな政治家や官僚は「子育てにカネがかかるから」と、とんでもないことをふざけているが、こういうバカが戦後の日本をおかしくしてしまった。
 大正・昭和の世界的版画家、棟方志功は青森県の鍛冶職人の子で、16人の兄弟姉妹のうち6番目に生まれた。同じく明治の文学者で歌人だった与謝野晶子は11人の子を産んでいる。日本人は昭和の初期まではみんな貧乏だった。だけど子どもは少なくて5、6人、多い人は10人以上も産んだ。
 いまでもアフリカなど貧しい国では子沢山の家が多い。子をもうけるのは天のおぼしめしで、貧富に関係ない。
 問題は異性に関心を持ち一体となろうとする情緒が豊かであるかどうかである。その情緒はどこからくるのか、生物学者の領域といえるかもしれないが、むしろそれを超えた哲学的神秘的歴史的遺産によるところが多い。
 科学者の研究によれば世界の文明国において若い男性の精子の減少が指摘されている。精子の減少が異性への男性らしさを失う原因となっているのは納得できるが、ではなぜ文明国では男性の精子が減っているのか。文明は野蛮の反対語であり、科学や技術の発展による反自然な生活と環境が原因していると考えられる。
 自然と文明の調和が男の復権につながってゆく、と、これはあくまでもぼくの考えである。【押谷盛利】

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2011年01月11日

新成人の分析(見聞録)

 9日の日曜日、長浜市内で成人式が行われ、スーツや振り袖姿の新成人が決意を新たにしていた。取材に訪れた長浜ロイヤルホテルの会場は、旧友との再会に喜び、おしゃべりしたり、一緒に写真を撮ったりと、同窓会のようだった。式典は終始、ざわついていたが、特にトラブルもなく無事に済んだ。
 2011年1月1日時点の20歳の人口は、約124万人で5年連続、過去最低を更新。総人口に占める割合は0・97%と、初めて1%を割り込んだ。
 新成人が生まれた1990年4月からの1年間は、東西ドイツの統合などで冷戦が終結し、同時に湾岸戦争が起こった。その後、バブル崩壊で経済は右肩下がりに。学校ではゆとり教育が導入され、日常生活はインターネットや携帯電話の普及で、コミュニケーションの取り方が大きく変化した。
◇この時期になると、「今年の二十歳は…」と、各企業が新成人を対象にした意識調査を行い、今の若者像を分析している。
 結婚情報サービス会社「オーネット」の調査では、新成人の77%が「交際相手がいない」と回答した。15年前の1996年の調査の50%に比べ、大幅に増加しており、男性に限れば83%と、信じたくない数値。さらに、49%が「これまで彼女はひとりもいない」とのこと。恋愛最盛期の二十歳が、である。
 この恋愛ベタは、ステレオタイプに表現すれば男性の「草食化」が一因と言えるだろうが、その男性の「か弱さ」は他の質問からもうかがえる。
 例えば、「これからの時代に英語は必須だ」は男性72%、女性78%、「短期でも良いので海外留学をしてみたい」は男性39%、女性56%と、いずれも女性の方が意欲的。
 一方、「視野が広がる海外旅行よりも、言葉が通じて安心な国内旅行がいい」との意見は、男性に多い。
◇若者男性の自信や意欲をいかにして取り戻すのか。
 これは、恋愛、結婚観、そして少子化にも直結する事象であり、日本の将来を憂う深刻な課題といえるのではないだろうか。
 その原因は戦後政治の制度設計や教育にも一端があるだろうが、その政治について、新成人の85%が「日本の政治がうまくいっていると思わない」と回答し、政権交代直前の2009年に行った調査の88%に迫っている。
 今の民主党政治について、自民党政権末期とそう変わらない不信感・不安感を抱いているようで、自民もだめ、民主もだめ、となると、若者の政治離れは一層、加速してしまうのか。

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2011年01月07日

菅内閣崩壊後の政局

 国民の衆望を担ったはずの菅首相が有言不実行でアカンの烙印を押され、いよいよ雪隠詰めに追いやられた感じである。雪隠詰めとは将棋で相手の王将を盤の隅に追い込んで逃げ場のないよう攻めることをいう。
 ただし、この雪隠詰めは野党の追い込みによるよりも身から出た錆の感じである。失策が小火から火事になり火達磨になったようなものである。雪隠詰めだから遠からず、お手上げするが、それから後が問題である。
 不人気な官房長官と国土交通大臣を首にしての内閣改造なのか、維新回天ともいうべき内閣総辞職、政界再編成なのか。後者についてはマスコミは自信がないのか言及しない。
 菅内閣の支持率急落の原因の8割は小沢元代表の政治とカネの問題につきる。小沢とその子分たちは党内多数派の驕りで、「切るなら切ってみろ」とヤクザのセリフよろしく、菅内閣の行き詰まりを菅自身の無能に結びつけて内閣を揺さぶっている。
 要するに反小沢路線を引っこめれば、内閣に協力してゆくという、いわば小沢延命の見え透いた芝居であるが、彼ら小沢派の哀れは国民の心とも言うべき大海を知らないことである。
 今、日本全国、津々浦々、どこへ行っても小沢不信の声ばかりである。小沢を切らねば日本の政治は改革できぬし、国民の信は取り戻せない。そういう国民世論を権力で押し砕こうと小沢軍団が威張っている限り、民主党に花は咲かないし、小手先の内閣改造で人気が挽回するほど世の中は甘くない。
 小沢氏が検察審査会によって強制起訴されるのは時間の問題だが、同氏の国会喚問や離党が今日になっても具体化しないのは民主党そのものに自浄能力の無いことを証明しており、首相及び岡田幹事長らの指導力の問われるところである。
 小沢氏は離党に追いやられれば新党を樹立し、子分どもを傘下に入れるであろう。子分のうち何人が参加するのか、そう多くはないだろうが、これによって菅内閣は潰れる。問題はその後の政界再編成と次期内閣の構成である。
 そこで思い出されるのが1995年の村山社会党首班による自、社、さ(さきがけ)連合政権である。これを今の政局に当てはめれば野党の自民党、公明党と小沢抜き民主党との新保守内閣であろう。当然ながら自民党内からは反対派の分裂による新しい保守路線が台頭し、みんなの党と結びつく可能性がある。
 権力に弱い「立ち上がれ日本」や「改革」は公明党とともに民主党、自民党と新内閣の与党となるだろう。その場合の総理は自民党から出るが、この総理によって衆議院は解散する。
 その結果、小沢新党は壊滅的打撃を受け、自民、公明も大幅に議席を減らし、みんなの党が大躍進する。
 そこから初めて民意に支えられた近代的新保守党が日本丸を舵取りする。【押谷盛利】

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2011年01月06日

新成人の自覚と決意(見聞録)

 1月10日の「成人の日」を前に、小紙はきょう6日付の2・3面で特集を組み、市内の新成人13人から、成人としての決意や抱負、両親への感謝のメッセージを投稿してもらった。
 この13人は成人式の式典後に開かれる「新成人を祝うつどい」の実行委員会のメンバー。恩師のビデオレターの撮影やイベント進行の打ち合わせなど事前準備に追われる中、それぞれがこの20年間を振り返り、新たな門出を迎えるにあたって、両親や家族、地域への感謝の気持ち、大人としての自覚や責任を語っている。
◇成人を祝う儀式は古くからあり、男子は「元服」や「褌祝い」、女子は「裳着」「結髪」などが知られる。20歳に行うのではなく、10代のうちに成人とされた。
 20歳を祝う成人式は、終戦間もない1946年、埼玉県蕨市の「青年祭」がルーツと言われている。終戦後、次代を担う若者に明るい希望を持ってもらおうと、当時の蕨町青年団長が開催を呼びかけた。
 青年祭の主旨に影響を受けた国は1948年に公布した祝日法で「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」として、1月15日を「成人の日」に制定。日は、元服の儀が「小正月」(1月15日)に行われていたという風習に由来する。
 制定以降、ほとんどの自治体でこの日に成人式を行うようになったが、現在は祝日法改正により、1月の第2月曜日が「成人の日」となっている。
◇近年の成人式のニュースは、落ち着きの無い新成人がクローズアップされがちで、昨年の長浜ロイヤルホテルで開かれた成人式も、式典そっちのけで旧友とのおしゃべりに夢中になったり、携帯電話で写真を撮り合う光景が見られ、例年になく落ち着きが無かったのを覚えている。会場内でたばこを吸ったり、奇声を発したり、あげくに壇上にのぼったりと、大はしゃぎで、「学級崩壊」のようだった。
 だが、それは無自覚な一部の新成人のことで、多くが20年間の感謝と新たな気持ちを胸に式典に臨んでいたことだろう。
 今年は長浜市全体で1337人が大人の仲間入りを果たす。成人式会場での凛々しい姿を取材したい。

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2011年01月05日

仏像とほとけさんの事

 正月の雪道を歩いていたら「ありがとうございます」と書かれた標識のようなものが公園のフェンスに吊していた。個人か団体の、世の中を明るくしようとする善意の呼びかけだろうが、そんなことはどうでもいい。
 「ありがとうございます」の、この美しい和やかな言葉にぼくの心は吸い寄せられた。実はこの言葉、日本人の歴史と伝統の中に息づく、言わば日本の大地そのものでもある、と思われるのだが、残念ながら、このごろは埋もれがちになってきた。
 子どもは親が育てるものだと思っていたが、今の民主党の政府や政治家は「社会が育てるもの」だとして、それを子ども手当の理屈にしている。その逆が老人問題である。家庭が年寄りを守るのではなく、社会が老人を守るというのだ。
 万事がこの思想であるから「われわれの幸せは社会、国家に責任がある」とする。この思想の背景には「ありがとうございます」の感謝の心が切り捨てられている。
 なんで「ありがたいのや、当然ではないか。むしろ、まだまだ充分ではないのだから、その不満こそぶっつけるべきではないか」。こういう考え方は社会主義の伝統であり、日本人の古来からの床しい心にそぐわない。
 なぜ、社会主義は感謝の心、ありがとうの心を否定するのか。感謝の心は戦を、争いを拒む心に通じ、暴力革命を否定するからである。
 少し見方を変えて日本人の言葉づかいから、日本人がいかに、ものを大切にする国民かを考えたい。ものの奥に存在する見えない命の大切さを生活の中に生かしているのが、日本人の誇るべき伝統ではないか。
 例えば美術館へ行けば仏像の絵や彫刻を見ることができるが、「仏像」と言えば「もの」「作品」をイメージし、信仰や憧れの対象とは異質である。日本人は神社、仏閣へ参詣すれば必ず「ほとけさん」というが、そこにはあこがれと感謝の心がこめられている。
 正月を「お正月」、うら盆を「お盆」、雑煮は「お雑煮」。その他にも日常的に「おやつ」「お菓子」「お野菜」「お肉」「おさかな」「おとったん」「おっかさん」。言葉に尊敬の意味や美称をつけるのは言葉の対象の奥底に息づく生命や魂への感謝の心をこめるからである。
 これはお世辞でも、「おべんちゃら」でもなく、日本人の心に、昔、むかしから伝わる「ありがとうございます」という他者への敬意と感謝の心である。
 正月のお節料理はお母さんの手足と心がこもるからおいしいのであり、それゆえに「お節」といい、「お料理」という。
 手抜きを文化のように考え、食品を餌と同格視するから「もったい」も無ければ、ありがたみも感じない。
 すさみゆく人の心に愛の灯をつけるのは「ありがとう」の心だけである。【押谷盛利】

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