滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2010年12月27日

簿記と政治の決算報告

 帳面をつけておカネの出し入れ、いわゆる収支を明らかにするのを簿記という。今の会社や事業所などは貸借対照表など経理や資金などの状況がすぐ分かる複式簿記を採用しているが、一般には入りと出をその都度書く大福帳式だった。
 いま、師走も大詰めを迎えた段階、役所や会社はきょう27日で終わりとするところが多い。滋賀夕刊も本日を本年の納刊日とし、ぼくの時評も正月までお休みを頂くことになる。
 年の瀬は1年を回顧して収支の決算を明らかにすべきであるが、会計上の帳簿以外に、事業の成否、お客による評判など収支も取り上げ方によって面白いし、とても大事なことである。1年を振り返って国の大本の政治の決算はどうであろうか。
 昨年秋の民主党内閣の上げ湖と世論の興奮を知っている国民は、1年後の現内閣と政治のあり姿に悲哀と絶望感を隠しきれないのではないか。民主党政治の堕落と不信は、票とりのマニフェストが羊頭を揚げて狗肉を売るの詐欺行為であると知ったことが一つ。いま一つ、これは最大の因子であるが、小沢一郎元代表による政治とカネの暗雲である。
 追いつめられた小沢氏が最後は私兵を動かして党分裂と内閣瓦解をほのめかすに至り、党内民主主義いづくにあるやの疑問と、自浄能力ゼロの不信感が募るばかりである。
 ある意味で政治の決算報告は報道機関の実施する世論調査の結果が該当しよう。
 内閣支持率も民主党支持率も日に月に下落傾向が顕著なのは会社経営にたとえれば破綻の手前といえる。党執行部は破綻を食い止めるため野党の一部を抱えようと野党連合を画しているが、それに乗るほど権力とポストはうまみがあるのか。ここは政界再編成の上からも国民は冷徹に拝見するとしよう。
 民主党の決算は赤字も赤字、大赤字の倒産状況にあるが、それでは野党第一党のかつての老舗・自民党はどうか。本来ならば時計の振り子の原則で民主党の落ち目の対局に、上り龍となるべきはずが、どっこい、そうはならない。国民の意識の底に自民時代のやりきれない派バツや族議員政治、官僚と業界、政治の癒着などがこびりついているからであろう。
 さらにその活力のなさは今の谷垣執行部の歯切れの悪さによるところが大きい。世論調査の結果が政治の決算報告と考えるならば、自民党は赤字克服へいま一歩、現状では黒字回復にほど遠し。
 その点、渡辺代表の「みんなの党」は黒字も黒字、国民は投資、増資で大企業なみの成長を期待しているところ。
 公明党は政権への魅力に恋々としつつも現内閣と運命を共にするの愚を避けんと踏ん切りのつかぬゆるふん振りが黒字になりかねている。【押谷盛利】

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2010年12月24日

あなたの隣人を愛せよ

 クリスマスを前に、友人のAさんから「主の御名を賛美します」と前書きしてイエスの有り難い言葉を頂いた。
 Aさんは芸術家であるが、信仰心の篤いクリスチャンでもある。その幸せの便りにはイエスの教えとして大事な二つの命令が書かれていた。とても有り難い言葉なので、クリスマス・イブのプレゼントとして読者の皆さんにもお裾分けする。
 「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」
 「あなたの隣人を、あなた自身のように愛せよ」
 Aさんは、この二つより大事な命令はほかにありませんと確信をもって訴えている。
 ぼくは幸運にもいろんな方から声をかけられ、あたかも幼児が親に手を引かれて歩くように神仏のお陰を頂いている。明日のことは分からないが、今日までは危機一髪のところを救ってもらったり、生死の関頭にさまよいながら一筋の光明に助けられたことが一度や二度ではない。
 年をとって、人生経験が豊かになったと言えば聞こえはいいが、権力におもねったり、ウソでごまかしたり、自己本位に走ったことがなかったのか、と自問自答すれば恥ずべきことの多い人生だった。
 そして、加齢とともに頭脳も手足の働きも鈍くなるにつけ、まるで人生の御褒美のように、ここらで一服しては、と心の緊張感すらなくしがちである。そういう「たるみ心」のぼくに、神の御教えが夢のお諭しのようにクリスマス・カードを通じてもたらされた。
 なんとタイミングのよい素晴らしい御教えであろうか。「心を尽くせ」「思いを尽くせ」「知性を尽くせ」「力を尽くせ」電話一本の応答にも心を尽くそう。自分のためばかりではない。人さまのためにも思いを尽くそう。
 知性の井戸を掘り尽くしているか。その水を汲み尽くす努力を惜しんではいないか。力の出し惜しみはしていないか。
 こんなふうに問い詰められると、恥ずかしい思いながらいい加減なところで妥協したり、楽を考えてさぼったり、いうところの全力投球にほど遠い世界を低迷しているのではないか。
 「隣人を愛せよ。あなた自身を愛するように」というやさしく、寛い心があれば世の中はまろやかに、春の野のように明るく温かくなるはずである。
 冬至がすぎて、これから一日一日、日が長くなり、一陽来復の方向に暦は変化するが、われわれは陰と陽の法則で生かされていることがありがたい。
 暑いといって炎帝をうらんでいたのは、つい4カ月前のことである。これからしばらくは寒い日が続くが、それもほんの一瞬で、すぐ陽気の春が来る。苦しいときもほんの少しの間。逆に絶頂期にふんぞり返っていても何かの拍子で裏がくれば泣かねばならなくなる。
 大事なことは悔いのないよう最善、最大の努力をすること。万一、こと志に反するような結果になっても、くじけることなく、再挑戦するなり、新しい針路を模索すればいい。
 車が順調に回り、平穏な暮らしができる人は自分の心がけもさることながらご先祖や神仏の御加護と感謝することがさらなる幸せの灯を呼ぶことになるのではないか。【押谷盛利】

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2010年12月22日

民主党は自浄能力なし

 民主党のごたごたで終わりそうな歳末だが、ごたごたのお陰で国民は随分賢くなった。
 北海道の衆議院補欠選挙を筆頭に各地の選挙は連戦連敗。民主党よ、どこへ行く。お通夜のような淋しさに雨さえも涙雨に思われる。
 ごたごたで人気が落ちたように錯覚するが、そうではない。人気下落の張本人が「政治はおれに任せろ」とばかり子分を連れては気勢をあげ、国会追及を逃げている姿に国民が怒っているのだ。極言すれば小沢鯰に振り回されているのが人気下落の因子なのだ。
 小沢問題とは政治とカネに集約されるが、国民の税金から払われている政党交付金が合法の仮面をかぶって個人の政治資金に化け、その一部4億5000万円もの大金が昨年夏の総選挙に子分どもにばらまかれた。ざっと1人500万円で90人だというが、こればかりではない。残しておいた金だとか、銀行から借りた金だとか、何が元資か分からないが、何億円という土地を個人登記していたり、関係していた秘書が3人とも逮捕されながら「私はやましくない。清潔だ」と親分がふんぞり返っている。その図々しさ、その陰険さ、その疑惑の複雑さに国民はあきれ、愛想をつかしている。
 ひと昔前の国民なら「あいつはやり手だ」と感服したかもしれないが、今の国民は「バカ野郎、エエ加減にさらせ、国民をアホ扱いにさらして」と怒りの声を津々浦々に響かせている。
 その怒りの声が菅内閣の不信につながり、民主党の支持率下落に輪をかけている。
 小沢の子分は親分の大事とばかり、もらったカネやポストへの恩返しに必死のガード役を演じているが、いま衆院を解散すれば子分どもはなだれをうって討死するであろう。
 もっとも小沢の政治とカネが民主党不信の原因のすべてではない。鳩山内閣から菅内閣へ続いている政治状況を眺めていると、健全な日本がだんだんおかしくなってゆくのでは、と先行きが心配される。
 外交では中国や北朝鮮、ロシアに気をつかって、それらの国と仲良くするのはよいが、言うべきことも言い得ず、それらの属国、家来にされるのでは、の心配がいっぱいだ。
 国防はどうか。現実の危機感を前にしながら国防予算を切りつめるやり方や、国内法を展望すると永住外国人への選挙権付与、朝鮮人高校への学費無償化などを進めている。
 また、結婚夫婦の別姓の法律化。人権法のもとに警察国家を上回る人権委員会制度を推進、令状もなく踏み込んだり、捜索する権限を与えるなど戦時中の治安維持法もどきの悪法を考えている。
 なにしろ、韓国の反日デモに参加したことを誇りにするような人間を大臣に据えるのだから危ない、危ない。
 国民はそういう民主党の内抱する危険を1年がかりで勉強してきたので腹がすわってきた。そういう正念場の極月。きょうは冬至湯で温まろう。【押谷盛利】

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2010年12月21日

この1年を振り返り(見聞録)

 あす22日は冬至。今年も残すところあとわずか。過去の滋賀夕刊をペラペラとめくりながら、今年1年のニュースを振り返ってみたい。
 1月に1市6町が合併し、新しい長浜市が誕生。藤井勇治市長を先頭に新市政がスタートしたが、足を引っ張るような公務員の不祥事が相次いだ。
 教育委員会の先生がセクハラで処分されたのに始まり、市職員が業者から風俗店などの接待を受けたとして収賄容疑で逮捕された。また、別の職員は観光協会や緑の募金の公金を横領し、懲戒免職処分に。長浜西中学校同窓会の会計担当者も卒業生から集めたお金を横領していた。
 長浜市南部では若い女による連続放火が発生。警察や自警団が警戒する中でも犯行を重ね、最後は逮捕された。
 秋はドングリなどエサの不足で、クマが人里に降りた。人を襲ったり、射殺されたりと、人、クマ双方に不幸な季節だった。
◇ハッピーなニュースは、子ども達に多かった。
 浅井中学校がギネス記録を目指した270人271脚は足の紐が解けたことから申請を断念したが、正直な生徒の勇気ある告白が美談として、全国ニュースになった。
 スポーツ分野では長浜西中卓球部や湖北中野球部などが県大会で優勝した。長浜出身の田中美衣選手は世界柔道選手権で銀メダルを獲得し、母校の長浜西中に報告に訪れた。
 長浜北高校は創立100周年を迎え、式典が盛大に行われた。数学者・藤原正彦さんの講演もさることながら、来賓出席者は静粛な生徒に感心しきりだった。
 田村山のふもとでは希少種のカスミサンショウウオの生息が確認され、地元自治会や長浜南小学校の児童が保護活動に乗り出している。
◇皇太子殿下が湖北をご訪問され、伊吹山登山や西野水道、渡岸寺視察を楽しまれたのは、市民にとって名誉なニュースだった。
 さて、来年のNHK大河ドラマで浅井三姉妹の末っ子、お江が主役となり、地元では三姉妹博覧会の準備に追われている。
 博覧会の成功を応援するとともに、地元の子ども達には、小谷城や浅井家、三姉妹について学ぶ機会を願う。子ども達が湖北地域の偉人や歴史に触れ、地元に愛着を持つよう、家庭、学校での教育に期待したい。
 小紙としても、来年も子ども達の笑顔が輝く紙面づくりを心がけたい。

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2010年12月20日

 健康の話2人の場合

 ぼくの友人N君は趣味の生活を続けながら病気と仲良く暮らしている。
 病気と仲良く、と言えば勘違いする人があるかも知れないが、要するに運命と諦感し、寝たきりにならぬよう気を付け、医師の指導と薬剤で日常生活に支障のないよう前向きな暮らしをしているといえよう。
 わざわざここでN君に触れるのは、彼の病気は男性にとってはごくありふれたもので、高齢化するにしたがって、他にいろいろ故障が出てくることを示しているから、老人医学の点から参考になるのでは、と思うからである。
 N君は来年1月で満80歳になるからぼくのいう長寿者の仲間入りをする。九州男児で辛抱強く旺盛なファイトを内に秘めている。かつては長浜文学協会の事務局長や会長などボランティアに熱心だったが、今は健康に留意しつつ年金生活の充実につとめている。
 現在の彼は、毎月旧山東町の紅伊吹俳句会の指導に当たりつつ、好きなカラオケを週2回市民交流センターで。このほか、若いときからの趣味で囲碁、将棋もやり、対局の日は同年配くらいと交流するのが楽しみ。問題は彼の病症である。60歳のとき、前立腺肥大症とヘルニアの手術。これは未だに全治していないので、薬は手離せぬ。
 そして、加齢とともに、肩こりがひどくなるようになり、最近は脚立に乗って作業しながら踏み外して転び、左足を捻挫した。犬の散歩を3年ほど続けているが、膝がだんだん痛みを覚えるようになった。
 彼の場合は、痩せ型なので、心臓や血圧、糖尿の気がないので心配はないが、家に引き籠んで楽する人は認知症になったり、歩行が困難になる。
 ぼくが参加している「未来山脈」という現代口語短歌誌12月号に徳島県の古川真さんが老境の達観した短歌を発表している。
 思い当たる人も多いのでは、と思うので一部を披露する。
 「もうここらあたりでいいでしょうとは思いたくない朝夕薬を飲む」
 「ここまで来たのだからもう少しと思うちょっと心配で医者通いもする」
 「壮年のころは老いの峠など考えたことはないこの峠は既に越えて久しい」
 「長生きしているのは体質だろうと医者にも通い一年草の草花が今年も増える」
 「越えられない峠が見え出したこの峠へはゆっくりと登って行こう」
 「体調が少し崩れて老いの予感そんな夕暮れもあっけらかんと晩酌を飲む」
 この作者は年齢を明らかにしていないが、文や内容などから80歳以上の長寿組と考えられる。
 ぼくがわざわざ友人や仲間の歌を取り上げたのは、今の日本では間違いなく長寿の峠に達するからである。
 ここまでは何とか登れるが、これからの90代100代への坂道をどう登り切るか。これからが正念場である。自分の幸せはもちろん、家族への影響、国の医療費、地域社会との関わりを思えば、最大の課題は健康長寿である。すべてがこれにつきる。

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2010年12月18日

クリスマスの過ごし方(見聞録)

 12月25日のクリスマスまで1週間。神の子イエス・キリストの生誕を祝う神聖な日なのは西洋の話で、仏教徒の我々日本人には、商業主導の行事の一つに過ぎない。
 12月に入ってからは新聞にブランドの宝石やバッグなどの広告が乗り、折込チラシにはプレゼント用の玩具の宣伝。ラジオからはクリスマスソングが流れ、街中にはイルミネーション。否が応でもクリスマスの到来を洗脳的に刷り込まれる。
 子どもの頃はサンタクロースからのプレゼントにワクワクし、大学生時代はちょっとお洒落なレストランを予約したりして、その日を迎えたものだが、滋賀夕刊に勤めてからは正月特集号の準備に追われ、「特別な日」を過ごした記憶はない。慌しい師走の1日に過ぎない。
◇世間はどう過ごしているのだろうか。インターネットで世論リサーチを行っている「マクロミル」が20~59歳の男女各250人の回答をまとめた。
 今年のクリスマスの過ごし方は「家でのんびり過ごす」が45%で最多。次いで「ホームパーティー」が17%、「仕事」が15%となった。
 誰と一緒に過ごすのかの問いには「家族」が64%、「恋人」が11%だった。
 総予算(飲食やプレゼントなど含む)は、男性2万4621円、女性1万6927円となっている。男性が多いのはデート費用を出したり、妻や子ども、恋人へのプレゼント代による。
 欲しいプレゼントは、女性は年齢を問わず「アクセサリー」が最多。男性は20~30代が「腕時計」「バッグ」「アクセサリー」「洋服」など身に付けるアイテムが上位を占め、40~50代は「パソコン」「DVDレコーダー」などが目立つ。
◇金余りの「バブル期」はどうだったのだろうか。
 40代以上を対象に当時の過ごし方を尋ねたところ、「外食で豪華なクリスマスディナーを食べた」(67%)、「シティホテルに泊まった」(20%)など「特別な日」だったようだ。
 一方、20~30代未婚男女に近年のクリスマスデート傾向を尋ねたところ、半数が「夜景・イルミネーションを見る」と回答。「外食で豪華なクリスマスディナーを食べる」は4割に過ぎない。「普通の外食」も4割あり、「家デート(恋人の家で手料理を食べたり、DVD鑑賞)」が3割(いずれも複数回答)。
 不景気を反映してか、比較的お金をかけず、飾らないクリスマスを過ごす若者が増えているようだ。皆さんはいかが?

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2010年12月17日

老人の長寿競争社会を

 最近の傾向であるが各地で老人クラブの会員減が続いている。これは60歳以上もしくは65歳以上を会員とする規約に無理が生じ始めたといえる。
 60歳代はまだまだ現役並みだ。老人クラブに入って年寄りの仲間入りするには抵抗がある、という考えから新規加入を拒んだり、脱退する人が増えていることを物語っている。そういう現実を見据えて老人クラブの見直しや、新たな老人福祉対策を講じる必要がある。
 ぼくは各地の老人クから招かれて講演することがあるが、聴衆は70代の人が最も多く、80歳は少ない。90歳代は非常に珍しい。そういう諸般の状況から考えてもクラブの建て直しと、クラブの会員自身の自己防衛策に本腰を入れる必要がある。
 とにかく声を大きくして行動しなければ、このままずるずると老人問題を引きずりながら、医療費の増高と福祉の難しさに悲鳴をあげるだけに終わりかねない。
 ぼくは65歳以上、70歳代は長寿者予備軍として第一は健康保持を誇る体質に、第二は長寿者の老人福祉へのボランティア活動をあげたい。この道はいつか来ると覚悟すれば、80歳以上の長寿者に喜ばれ、役立つボランティア活動の場は広い。
 年金生活者としての空いた時間は自己充実のための趣味や芸術、あるいは物づくり等に活用すべきだが、さらには予備軍としての企画的組織的ボランティア活動を提唱したい。
 最近、特に社会問題となるのは独居高齢者の増加である。長寿者は体力の弱りから一人で買い物をしたり、目的をもって出かけることが容易ではない。これらに関して手伝ったり、補佐する役割を予備軍に期待したい。たとえば病院への送り迎えの交通サービスもその一つであろう。当然、燃料費その他の諸経費も必要だが、これらは行政や地域の配慮に待たねばならぬ。
 健康対策は最大、最重要の課題だが、これまでの上からの通り一片の指導によるのではなく、地域や行政区の仲間たちが情報を寄り持って、互いの病気克服の経験や、有効な日常生活上の対策をみなが共有することが望ましい。
 健康上の基本は、病院や役所に指導されるという受け身ではなく、自分の身体は自分で強くする、自分で守るという主導的スタンスである。
 これを合い言葉の如く実践するには老人会の働きしかない。老人会は寄り合いが一番であるが、不幸にして出かけられない身体的欠陥者や病人のためには健康な会員がボランティア活動としてそれらの人を訪問し、話を聞いてあげたり、有益な話を伝えたり、要するに交流することである。孤独になって家に籠もれば、ふさいだ気分から鬱状になることもあり、痴呆を促進しかねない。
 交流でいえば、地区の老人会が自分たちの世界にのみ、とらわれるのではなく、他の老人クとの交流や、さらには市全体の交流の場を組織することも重要である。
 これはクラブ全体の話だけではなく、趣味の世界においても他の地域、より大きい地域の人との交流も大事であり、何でも関心を持ち、心わくわく参加することが精神衛生によいのだ。
 結論的にいえば、市が先頭に立って長寿者健康競争施策を樹立し、長寿者の顔が表へ出るようにすることである。【押谷盛利】

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2010年12月16日

生物の神秘に触れ(見聞録)

 地球が誕生して46億年。海水から微生物が生まれ、水生生物が陸に上がり、恐竜や哺乳類が誕生し、ネズミ、サル、そして人間へと進化した―。
 というのが、我々日本人が知る一般的な進化論で、学校の授業でもそう習う。生物は変異や変化を繰り返し、偶然に次ぐ偶然の生存競争を生き抜いた種が進化を果たして今に残った。
 キリンの首は、高い所にある木の実や葉を食べるために長くなったのではなく、首の長いキリン、短いキリンが生存競争し、結果として長い方が生き残った訳で、進化のプロセスに生物の意思はなんら働いていない。
 木から下りたサルが2足歩行し、空いた両手で道具を作り、使い、人間の始祖となったのも偶然の産物だ。
 しかし、すべてを進化論で片付けられるのだろうか。キリスト教などが言う創造主の奇跡によって生み出されたのではないか、と考えたくなることもある。
◇というのも、昨日15日、滋賀夕刊事務所の玄関の塀に付着する枯れ葉を見たからだ。
 その枯れ葉は壁に対し垂直に立つように、くっついていた。余りにも不自然だったため、まじまじと観察したところ、触覚らしきものが見える。正体は枯れ葉に擬態した蛾だった。
 アケビコノハと呼ばれる種類で、アジア地域に広く分布している。羽を閉じると、枯れ葉にしか見えず、葉脈までしっかり。しかし、羽を広げると、オレンジ色の鮮やかで美しい姿に変化する。
 さらに興味深いのは、このアケビコノハ、幼虫は体に大きな目玉のような模様を2つ持ち、天敵の鳥はヘビの顔に見間違えて恐れるという。
◇進化論で解釈すれば、アケビコノハも自らの意思で擬態した訳ではない。この蛾の仲間には様々な模様を持つ個体が偶然生まれては消えていったはずだ。そして、たまたま目玉や枯れ葉に似た模様を持ったから、生き残ったというわけだ。
 しかし、である。幼虫、成虫揃って擬態で敵を欺き、成虫に至っては葉脈まで再現するち密さ。何万年という歳月の中で繰り返された生存競争でも、なしえる業とは到底思えず、何らかの意思が働いているのではと勘ぐりたくなる。
 生物の飽くなき生存努力が自身の体をそう変化させたのか、それとも創造主が面白半分に作ったのか。生物の神秘に触れた師走の一日だった。

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2010年12月15日

人の死は自然のままに

 長寿者の医療や福祉対策は口でいうほど生やさしい問題ではないが、日本人の大部分が80歳以上を生きる現実を正視し、国も国民も覚悟のほどを決めねばならぬ。
 たとえば認知症などと言葉をぼかしているが、人は老齢化とともにパーキンソン病になったり、痴呆症になりやすい。ことに寝たきりになればひどくなる。
 福祉と医療は二つの側面から考えねばならないが、ぼくが覚悟のほどを訴えるのは、きょうは元気でも明日はどうなるか。10人が10人、必ず老齢化し、長寿者になり、その過程において病気やケガ、寝たきりなどになってゆく。100歳の長寿者が患うことなく、さよならできるケースもまれにはあるが、多くは家族や施設の介護の助けを受けねばならぬ。
 必ず寝たきりになるのだ、ものが食えなくなるのだ、ぼけがひどくなる、と、こう覚悟して、元気なうちから心の用意を、できる限りそうならない対応が望まれるのであり、その前提に立って国も施策を考えねばならぬ。
 医療を通じての覚悟は、寝たきりで意志の疎通もかなわず、ものを飲み食いする力がなく、自分で呼吸できなくなった場合の延命施術である。
 いま、ぼくが取り上げている問題は医療全般を指しているのではなく、高齢者、長寿者を対象にしていることを付記しておく。
 このような最終段階で、回復不可能と診断されながら、なお延命施術をすることが果たして患者のために幸せなのか。家族の幸せにつながるのか。
 実は、この問題は世界の関心事であり、国によっては安楽死を認めているところもあり、最近注目されている「胃ろう(おなかに穴をあけて胃に栄養や水分を送る治療法)」についてもフランス、オランダ、スウェーデンでは進行した認知症患者には行わないといわれている。
 日本は食べられなくなったら腹から入れるのが当たり前のような状況で、その他、呼吸困難の患者に人工呼吸器をつけたり、とにかく回復不可能と診断されていてもあらゆる方法を駆使して、スパゲティー状に管を肉体につなぐ。そういう病人を見た場合、人はどう思うか。もし、あなたがそういう患者になったらどうしてほしいか。だれもがそんな「むごい状況」でなぶりもののようにさらされることに反対するだろう。
 いったん、医療側が、そういうやり方をすれば、途中でやめることができない、やめたら殺人罪に問われるかもしれない。医師は臨終までそれを続ける。だから前回書いたように元気なうちに、あるいは入院時に、延命施術お断りを家族にも医師にも明らかにする必要がある。それがリビング・ウィルであり、ぼくは延命治療とは言わず延命施術といっている。治療は治すのが目的だが、パイプ流は99%回復しないのに技術によって生かすやり方で、植物人間を医学の実験材料にしているにすぎない。
 人間は自然の働きでこの世に生まれ、自然の働きであの世へ旅立つ。これを拒むやり方は生死いずれも邪道である。【押谷盛利】

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2010年12月14日

花火大会中止に思う(見聞録)

 長浜の夏の風物詩、長浜・北びわ湖大花火大会は来年8月4日を最後に中止される。
 主催の長浜花火協賛会が9日の臨時総会で中止を決定した。
 安全対策強化の困難、観客・露天商のマナー違反、港湾を管理する県の消極姿勢、資金難などが中止の理由だが、市民からは残念がる声が出ている。
◇2001年7月、明石市の花火大会で死者11人、重軽傷者247人を出す歩道橋事故が発生して以降、全国の花火大会で安全対策の強化が求められるようになった。
 この惨事で、警察や市、警備会社の担当者ら12人が業務上過失致死傷容疑で書類送検されたことから、主催者や警察は安全確保に神経質にならざるを得ない。
 全国でも警備が困難として中止になったり、週末から平日へと開催日をずらす花火大会もある。
◇観客の場所取り、ごみ投棄、路上駐車などマナー違反も問題視されている。主催者が注意を呼びかけても意に介さない不届き者もいた。
 毎年、花火大会の翌朝に港湾一帯を清掃する長浜西中生徒に申し訳なく思っている市民も多いのではないだろうか。
 また、露天商のマナーも良いとは言えず、出店規制を無視したり、地方卸売市場の敷地内にごみを捨てたり。あるコンビニのごみ箱にも、露天商が持ち込んだとみられるごみ。
◇市民や企業からの協賛金、県補助金も年々減少し、一方で安全対策の費用が増えている。
 これらの点を考えると、30年の長きにわたって花火大会を主催してくれた協賛会のボランティア精神に頭が下がる。
 そして、対応に限界を感じて、中止と判断を下したのは止むを得ないことだろう。
 さて、本当に来年が最後の花火大会となるのか。協賛会による花火大会は中止となるが、別組織が主体となって再開・継続する可能性だって残されているのではないか。安全対策や資金集め、マナーなどの課題を克服できれば…。長浜市民の気持ち次第か。

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2010年12月13日

自然治癒力と薬品漬け

 長寿化社会にうまく対応しなければ日本の経済は破綻すると書いたが、これは政治の喫緊の課題だけでなく国民一人一人の幸福追求の覚悟でなければならぬ。
 さきにも触れたように70歳代までは福祉の対象とするような高齢者扱いはすべきでない。鼻垂れ小僧とは言わないが、まだまだ現役風を吹かして世のため人のため働ける体力と健康を保持しているのだ。
 今の日本では、身体上、特別なマイナスを背負っていない限り、普通に暮らしていれば10人が10人、みんな80歳以上は生きられる。仮りにその間、病気をしてもケガをしても今の医薬や技術は患者を死に至らしめることはない。
 極端に言えば、生命の終わる肉体的条件にありながらも、医薬の力で死の崖っぷちから命を保持させるのだ。この結果、意識不明や脳死の状況にありながらも、生き続けることが可能となり、死にたくても死ねない悲劇が患者と家族を襲う。
 だから、このような不幸を追放するため「リビング・ウィル」生前の意思の法制化が急がれる。
 「このまま入院していても快癒することが不可能な場合は延命施術は拒否する」という生前の意思を書きとめてこれを家族や医師に告知すれば寝たきりの状況で全身をパイプで生かすという残酷な最期を避けることができる。
 今日の社会風潮は老人問題に関して予防医学を重視するのは当然であるが、問題は予防を医療の側からのみとらえる誤りである。
 これは初期発見とか、初期診断の名で、広く検診の名で網をかけるやり方だが、現代社会のようないびつで、複雑な環境の中で生きているわれわれは、身体全体を綿密に検査すれば、大部分の人は血圧、血糖、コレステロール、脂肪、心臓、その他に正常性を欠くものもあるし、体内にポリープのみとめられる人もあるはず。
 これらの第一次検診の引っかかりから、第二、第三次と検査を受ければ、否応なく彼らは「病気持ち」の患者扱いにされ、「医者通い」「入院」などと病体グループ群への中へ放り込まれてゆく。
 予防検診の必要性は否定しないが、それ以上に重視し、指導しなくてはならぬのが自己防衛の重要さと体内に存在する「自然治癒力」の確認と重視である。
 われわれより一代か二代先の明治、大正人間は今日のような恵まれた医療社会を知らず、もちろん衛生思想や予防医学に無縁で、病院にかつがれてきたときが生死の分かれ目であった。
 しかし、多くの人は富山の置き薬か、言い伝えの治療法で病気と戦い、70歳くらいまでは生きた。そのころは貧困の時代で食物に恵まれなかったし、空調施設や暖冷房は乏しかった。その関係で結核や中風で倒れる人もあったが、子どもから老人に至るまで自然治癒力により健康を維持してきた。
 今は社会生活、地域生活の上で、人間関係が疎遠となり、互いの情報が生活や健康に生かされることがなくなった。逆にテレビなどマスメディアの一方的な情報で洗脳され、商品社会の中にくい込まれてしまった。
 心ある人は薬害の心配からクスリに頼るべからずと警鐘を鳴らすが、生活のありようを含め、食物などを通じての自然重視を訴えたいし、そういう方向での指導と世論の喚起を期待したい。

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2010年12月10日

長寿社会と今日的危機

 滋賀夕刊の死亡記事を見るたびにびっくりするのは長寿者の多いことである。
 長寿者から先参りするのは不思議でもなければ驚くべきことではない。むしろ、生あるものの新陳代謝の原則からみてあまりにも正確、まっとうで、よかった、よかったと祝福するくらいである。では、なぜ、ぼくがびっくりするのか。
 実はその死亡時の年齢の高さに驚いているのである。85歳以上、90歳以上の人が決して珍しいのではなく、じっと前後の死亡者の年齢を眺めていると、80歳前半の方は若い方で、ましてや70歳代はとても高齢者どころではない。高齢化社会の到来は早くから言われていたが、その意味するところは人口に占める65歳以上の老人比率の高さだった。
 老人比率が10%を超えるころから社会問題としての高齢化社会が浮上した。15%を超えると大騒ぎをし、田舎へゆくほどその比率が高く、20%を超えて30%になった。ところが都市でもこの傾向が高まり、いまではどの都市も20%前後になった。
 われわれは高齢化社会というあいまいな表現で、事態のなりゆきに鈍感だったが、この呼び名は刻下の深刻な社会的テーマとしてはふさわしくない。もっと、事態をリアルに捉えて「長寿化社会」と呼ばねばならない。
 なるほど、定年制や年金の受給資格などから65歳以上を高齢者と大枠で仕切っているが、さきにも書いたように65歳どころか、70歳代でも鼻垂れ小僧の状況である。少しもたもたし始め、医療費がかさばり始めるのは80歳代、それも後半からである。老人のほとんどが80歳を超えて生存しているという事実を正視しなくてはならぬ。
 なぜ、ぼくがこれにこだわるかといえば、いわゆる老人問題は80歳以上に限るとして、実労働するか、しないかは別として、国が特別に福祉問題として補助、保護、その他万端の政策的配慮をするのはこの年齢層にしぼるべきだと考えるからだえる。
 なぜならば、そうした政策的転換を大胆にしなければ国の財政がもたないからである。
 国の医療費はすでに40兆を超えるが、このままいくと、20年後には70兆くらいに上昇し、国の財政は完全に破綻する。
 さて、ぼくの言わんとするところはこれからである。85歳以上の長寿者がわんさといるが、正確に言えば現在、男も女もみんな80歳以上を生きているのである。問題は、この長寿者たちがまめで元気で暮らしているかどうかである。
 新聞に出ている死亡者の85歳以上、90歳代、100歳を超える人、まことにおめでたいと喜ぶべきところだが、果たして健康寿命が80歳以上なのか。もし、長病みして施設に入れられたり、自宅で老々介護や家族の世話になっている人がいれば、この人たちは「めでたい長寿者」とは言えない。
 本人の苦しみはもとより介護側の御苦労は並大抵ではない。そこに焦点を当てて、今日抱えている危機に真正面からぶつかることが緊急事である。これについては次に触れる。【押谷盛利】

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2010年12月09日

朝食は1日の活力(見聞録)

 朝食を抜いて、朝の集中力が低下してしまった経験はないだろうか?これは、脳にエネルギー源であるブドウ糖が供給されなかったことによる。
 厚生労働省が7日、発表した国民健康・栄養調査結果によると、習慣的に朝食をほとんど食べない人の割合は、男性が10・7%、女性が6・0%にのぼり、20、30代は割合が高くなる。20代、30代の男性に限ると5人に1人が朝食を抜いている。
 前夜の晩御飯が遅かったり、起床の遅れで朝食の時間が無いなどの理由で、「食べたくても食べられない」人もいるが、習慣的に朝食を食べない人の3~4割が「毎日食べるつもりがない」と、欠食を気にかける様子もない。
◇世間では「早寝早起き朝ごはん」を合言葉に、朝食の大切さを訴えてる。
 勉強、仕事に午前中からしっかり打ち込むには、朝食で体のエネルギー源となるブドウ糖を補給する必要がある。
 その効果は文部科学省の平成20年度の全国学力・学習状況調査でも明らかになっており、毎日、朝食を食べている子どもはテストの正答率が高い傾向を示した。
 朝食を抜くと肥満になりやすいとの指摘もある。朝の欠食で昼の空腹感が増し、一気に食べ物を胃に詰め込む「どか喰い」をしがちになる。これが肥満の一因という。
◇ご飯、味噌汁、漬物、焼き魚など昭和の食卓が朝食の理想だが、手間のかからないパンも定番となっている。
 ただし、パンの場合、コーヒーや牛乳だけの組み合わせで済ませることが多く、栄養の偏りが心配される。目玉焼きやサラダ、スープなど副菜を十分に摂れば問題はないが…。
 お米を主食にすると、焼き魚や味噌汁、納豆、酢の物など日本食との組み合わせが豊富で、あれこれ気を使わずともバランス良く栄養を摂れるのではないだろうか。
 また、朝からお米を食べることは、日本の食糧自給率向上にも一役買う。
 前出の調査結果によると、朝食を食べない人のうち、3人に1人が子どもの頃からの欠食が定着している。子どものいる家庭は、今一度、朝食の大切さを見直してもらいたい。

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2010年12月08日

8日、太平洋戦争を開始

 きょう12月8日は何の日であるか、確認しようと尋ねても知っている人が少なくなった。
 昭和16年(1941)12月8日、日本がアメリカ、イギリス、オランダ、中国など連合国に戦争を始めた日である。昭和20年(1945)8月15日は、この戦争に敗れてポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した日である。
 負けた日は甲子園の高校野球でも正午から黙祷するし、マスコミも戦中、戦後を回顧し、いまわしい戦争体験をのろいと鎮魂をこめて記事にし、放映したが、その開戦の最初の日はなぜか触れようとしない。避けようとしているのであろうか。負け戦を追想するのは古傷に触れる痛さを感じるからであろうか。それともぶざまな戦をして、何百万人の若い同胞を犠牲にし、国土を焼け野原にした口惜しさの因縁を若い人に知らせたくないのか。
 人間は妙なもので、なぐられた記憶は忘れぬが、なぐったことは忘れっぽくなる。心理学的に言えば、被害者意識と加害者意識の差であろう。戦争の火ぶたを切ったのは、連合艦隊の特攻潜水艇と空中攻撃機によるハワイの真珠湾攻撃だった。
 米艦船に多大の損害を与え、これをきっかけに日本の勝利を確信するほどの戦意が上がった。日本は同時作戦でマレー半島に上陸し、当時の仏領印度支那やフィリピン、サイパンなど南方作戦を開始した。
 緒戦の勢いは先細りになり、勝った勝ったの大本営発表とは逆に南方における日本軍は守勢一点張りで、占領した島を奪還されたり、食糧や兵器、弾丸をなくして各地で死の行軍が始まり、病気と飢えで死を待つばかりの惨状に陥った。
 逆にアメリカは真珠湾における不意打ちの犠牲を「リメンバー・パールハーバー」の合い言葉で挙国一致の戦意を高めた。
 この戦を日本は大東亜戦争と名付けた。アメリカやイギリス、フランス、オランダによるアジア支配からアジアの人たちを解放するという、いわば正義の牙風を吹かした。
 しかし、これは日本の侵略的帝国主義の売名行為とされ、大正期の第一次世界大戦になぞり第二次世界大戦とも呼ぶ。国語辞典では「太平洋戦争」または「アジア太平洋戦争」と命名している。
 日本は昭和6年(1931)の満州事変以来、軍の台頭による軍国主義が国をあやまり、昭和12年(1937)に始まった中日戦争(当時は支那事変)を経て、泥沼のいくさに身動きできぬようになり、国民は経済の統制、消費の抑制、自由の弾圧、治安維持法による思想や学問、文化、芸術への取り締り強化など、暗い戦争生活への途を余儀なくされた。
 中国との和平交渉も失敗し、太平洋戦争末期はソ連(今のロシア)に和平の仲介を要請する動きもあったが、逆にソ連の日本攻撃に利用されるなど、じり貧の不利な戦を続けた。
 沖縄を占領され、国土は連日、空襲で荒廃し、昭和20年(1945)の3月10日の東京方面の大空襲は横浜に至るまで東京は焦土となった。この年の8月6日、広島に原爆が投下されて、もはや戦争の遂行は不可能視された。それでも軍は国民1人になっても戦うべし、と白旗を掲げることを拒んだ。
 思い返せば、よくぞ今の日本に蘇った、と驚くが、日本のみならず世界に損害を与えたこの戦、その始まりが、きょう12月8日である。【押谷盛利】

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2010年12月07日

お酒は楽しく、健康に(見聞録)

 京都市左京区の京都精華大で11月、学園祭の打ち上げとして行われた飲み会で、女子大生(18)が急性アルコール中毒になり、死亡していたことがわかった。
 学内で開かれた飲み会には約100人が参加していた。26日午後9時ごろ女子大生が体調異変を訴え、学内で休んでいたが、翌27日午前3時半頃、意識を失い青白くなっているのに関係者が気付き、救急車を呼んだ。しかし、約1時間後に急性アルコール中毒による死亡が確認された。
 大学側は一気飲みなどの強要はなかったと説明している。
◇急性アルコール中毒は、お酒に含まれるエチルアルコールを短時間に大量に摂取することで起きる。
 お酒は「百薬の長」と言われるように、適正量なら食欲増進など健康に役に立つ薬理作用がある。
 しかし、飲酒による気分高揚と、その場を盛り上げるための「一気飲み」などの悪習が重なって、許容量を超えるアルコールを摂取すると、こん睡状態に陥ったり、血圧や体温が低下し、死亡する可能性もある。
◇急アルで大学生が死亡する事故は珍しいことではない。今年5月にも神奈川歯科大学のアメフト部の新入生歓迎コンパで男子学生が死亡している。
 先輩からの強要や一気飲みなどに原因があるかもしれない。特に大学生など血気盛んな年頃は、自身のボーダーラインを知らないまま、酔いつぶれることが多々ある。
 小生も学生時代、「追いコン」(追い出しコンパ=送別会)で先輩から散々飲まされた挙句、居酒屋でぶっ倒れた苦い思い出がある。次の日は身動きできなかったが、幸い大事はなかった。
 当時、大学内では未成年の飲酒や一気飲みを禁じるポスターが貼られ、飲酒マナーの向上を呼びかけていた。
 しかし、実際は体育会系の部活動を中心に、後輩にさんざん飲酒を勧める悪習がはびこっていた。
◇飲酒は人の感情を高ぶらせ、時として暴力、犯罪の引き金にもなる。節度ある飲酒を心がけ、適量を知らない若者には、先輩や友人の優しさや気遣いが大切だろう。
 今は忘年会シーズン真っ盛り。お酒とうまく付き合い、楽しいひと時としたい。

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2010年12月06日

温泉、忘年会、新しい日記

 温泉旅行での1番の目玉はお湯である。このごろは、どこの温泉も客の好みに迎合して、露天湯の設備を宣伝する。第2の目玉は夕食のご馳走である。食べ切れぬほどたくさんの料理を並べて自慢する。蟹のあばれ食いというのがあったが、まずくて手がつかなかった記憶がある。
 昔の温泉は混浴らしかったが、今は男女別々である。大きな暖簾がかかって、殿湯、姫湯と場所を指定しているが、言葉は妙なもので「男湯」「女湯」よりは「殿」「姫」とあるのが気分がいい。おばあさんでも姫湯とあれば悪い気はしない。
 年寄りを爺、婆というが、やはり、翁とか媼と言えば感じがいい。飯は「まま」ともいうが、「ご飯」の方がおいしい感じ、飯は米を炊いたものだが、昔は「いい」と呼んだ。麦や粟でもそう言ったらしいが、万葉集にこれを詠んだ有名な和歌がある。
 「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」。笥は飯を盛る器のこと。家では器に入れるが、旅では椎の葉に包んだ、という。
 昔の「飯」は米を蒸した強飯のことで、煮たものは「かゆ」といった。いま、われわれが食べている米の飯は「姫飯」といい、汁粥に対して「固粥」とも言った。
 ついでながら小正月の粥に入れる餅を粥柱という。お粥腹では仕事ができぬというが、このごろはご馳走をたら腹食って胃を悪くする人が多く、案外お粥やパンを好む人が増えた。
 昔は一汁一菜、一汁二菜など、ご飯のおかずは汁のほかは1皿か2皿の菜で、味噌に熱湯を注いだご飯を「汁かけ」といい、食生活の貧しさは今の人には分からない。今はみそ汁が敬遠されて若い人はスープを愛用する。それもインスタントスープ。
 古事記を読むと配偶者のことを「つま」と読んでいる。夫のことも「つま」、妻のことも「つま」。夫婦が一緒にこもり住むことを「つま隠る」「妻籠み」「妻籠め」というが、長野県の観光地に「馬籠」「妻籠」があるが、一緒に籠もり住む意が原点だろう。
 人間は食っちゃ寝、食っちゃ寝の繰り返しだが、夫婦の寝室を「妻屋」または「寝屋」といった。今はその名残が「寝床」。「ねや」は閨と書き、「閨房」「閨事」。
 今は少子化社会が問題視されているが、40代、50代ぐらいからねやの夫婦別室が多い。晩婚時代に入ったが、精子や卵子に狂いが来ているのではないか。
 このところ日没が早くなり、4時過ぎには暗くなる。間もなく冬至で、1年のうち1番日が短くなる。日没の急な速さは「つるべ落とし」だが、そのつるべを知る人が少なく、トンボ返りの語意のいわれを知るものも少ない。
 年末へ、日はどんどん駈けてゆき、いやがおうでも正月は来る。空元気でもよいから忘年会もよかろう。賀状も書こう。日記を買って夢を育てるのもよし。【押谷盛利】

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2010年12月04日

4紙4様のトップ(見聞録)

 毎朝、大手新聞各紙に目を通すのが日課。政府から重大な発表があったり、尖閣諸島沖での漁船衝突事件、北朝鮮による韓国砲撃など大きなニュースが発生した場合、各紙の1面は見出しも写真も似たり寄ったり。社説の書きっぷりを比較して、各紙の違いを見る。
 一方、大きなニュースがない場合は、各紙の独自ネタが登場したり、他紙が小さく扱ったネタを大きく出したりと、個性が出ていて興味深い。
 例えばきのう3日の朝刊は、重大ニュースが無かったのだろう。1面トップニュースは各紙バラバラだった。
◇朝日新聞は「高速上限2000円 来春から」の見出しで、国道交通省が検討している高速道路の新しい料金制度の見直し案を伝えている。案は、曜日やETCの有無に関係なく、軽自動車やエコカーは上限1000円、普通車は上限2000円としている。
 高速道路利用者には歓迎のニュースだが、現在の料金との差額は税金で補填するので、ツケは国民。
◇読売新聞は「子ども手当 3歳未満2万円で合意」。政府が2011年度以降の子ども手当の支給額などを決める関係閣僚会合で、3歳未満の子どもを持つ世帯に限り、月額1万3000円から2万円に引き上げることで合意したことを紹介している。
 幼児を持つ親には嬉しいが、所得制限のないままのバラマキ拡大で、将来、今の子どもが抱える国の借金はさらに増える。
◇毎日新聞は「特捜事件 一部可視化」の見出し。郵便不正事件の捜査を受け、取り調べ過程の一部を録音・録画する再発防止策を盛り込む方針という。自白の強要など密室での強引な取り調べの防止につながるとみられるが、「捜査に支障を来たす」と反対意見も根強い。
◇産経新聞は「尖閣 教科書に『日本領』 文科省方針 指導要領改定も」とある。
 日本固有の領土である尖閣諸島について、中国が領有権を主張していることを受け、文科省が教科書や教材に「わが国固有の領土」と明記させる方針を固めた。
 保守に好まれる新聞に相応しいニュース。

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2010年12月03日

殺人事件と動物への愛

 虫けらでも、これを殺すには気が引ける。子どものころ、大人が鶏の首をひねって毛をむしっているのを見たことがある。正視できず顔をそむけた記憶がある。
 一茶は「やれ打つな蝿が手をする足をする」という有名な句を残している。生きものに対する哀れみの情が弱者として生きた一茶の心を反映して人の心を打つ。
 一茶の句には「痩蛙負けるな一茶ここに有り」「雀の子そこのけ其処のけお馬が通る」という面白いのもある。虫や蛙だけではない。詩人は鶏の卵にすら生の哀れみを歌う。
 斉藤茂吉は「汝兄よ汝兄たまごが鳴くというゆゑに見に行きければ卵が鳴くも」と孵化する直前を歌っている。
 北原白秋は「大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも」と歌っている。
 短歌誌「牙」主宰の石田比呂志は「露のせている店頭の無精卵 卵も涙流すことあり」と歌って、人間の商魂と無精卵という反自然を痛烈に叩いている。
 茂吉は「石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け」とも歌う。「くちなは」は蛇のこと。
 蛙の産卵をこんなふうにも歌う。「やすらなるさまに卵を産みをへし蛙しまらくしづかにをりぬ」。しまらくは「暫く」。
 猿の被害を歌った近藤通子の次の作品も動物愛護の心が溢れている。
 「荒されし吾が菜園におさな言う『おさるさんおなかがすいたのね』」。
 虚子の俳句に「蝶々のもの食ふ音の静かさよ」。
 ぼくが歌や俳句を持ち出して小動物に心を通わせる人間のやさしさを訴えようとするのは、近頃ひんぴんと起きる殺人事件や暴力事犯への憎しみからである。
 生きているもの、すべてのものに対する哀れみの情こそ、人間の仏心とも思えるのに、その人間があっけらかんと人を刺したり殺したりする現実の娑婆が信じられぬ。政府高官が自衛隊を暴力団まがいに見下げる時代だから、国民が暴力に無感症になっているのかもしれないが、いのちの尊厳をあらためて強調したい。
 昨2日は、殺人事件の裁判で1件が懲役17年、他の1件が同18年の判決が言い渡された。
 1件は昨年6月起きた米原市のタンク殺人事件で、被害者は長浜市の小川典子さん(当時28)。殺人罪に問われた森田繁成被告(米原市・41)は否認を続けていたが、状況証拠で合理的疑いを差し挟む余地なしとして、無罪の主張が退けられた。2人は恋愛関係だったが最後は被告の残忍性が取り返しのつかぬ地獄絵図を画いた。
 他の1件は昨年1月、中央大学の高窪統教授(当時45)を殺した卒業生の山本竜太被告(29)に対する公判で懲役18年が言い渡された。
 被告に心身耗弱な点があったとして、執拗かつ残虐な犯行にも拘わらず18年の懲役に科せられた。両事件とも被害者はもちろん、遺族には憎みきれない大罪だが、被告は将来、暗雲の中で身の苦しみに泣かねばならないだろう。
 学校でのいじめ、社会での暴力事件、この殺伐さは一体、何によるのか(文中、俳句、短歌は石田比呂志著・「短歌真髄」による)。【押谷盛利】

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2010年12月02日

ラジコ、滋賀上陸(見聞録)

 きのう1日から滋賀県で「ラジコ」の放送が始まった。
 電波で音声や音楽を放送するラジオに対し、ラジコはインターネットを用いてラジオ放送を発信している。
 今年3月、関東、関西圏を中心にスタートしたばかりの新しいサービスで、12月から滋賀県など周辺県にも発信エリアが拡大された。
 聴くのは簡単。インターネットでラジコのホームページに接続し、放送局を選ぶだけ。登録手続きなどは一切無く、無料だ。
 CMスポンサーの事情などから、番組は地域ごとに限定され、我々関西圏は、ABC(朝日放送)、MBS(毎日放送)、FMCOCOLO、FM802、FMOSAKA、ラジオ大阪の6番組のみ。
◇湖北地域に住んで10年余り。ラジオといえば、FM滋賀とNHK、KBS京都くらいしかなく、寂しい思いをしてきた。
 一時は月々料金を払って衛星放送ラジオ「モバホ!」を聴いていたが、それも昨春、業績低迷からサービスを終了していた。
 昭和生まれの小生にとって、ラジオは最新の音楽や文化情報を入手できる欠かせない道具。また、読書しながら、仕事しながらと、何かをしながら「聴き流せる」のを魅力に思う。
 ラジコを聴きながら小欄を執筆していると、お気に入りの曲が流れると手を止めていた学生時代の受験勉強が思い出され、インターネット技術がラジオの地域格差を解消してくれることに感謝している。

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2010年12月01日

親小沢議員と政治資金

 去る日の政治懇話会で嘉田知事と話したことである。
 知事はぼくの時評を欠かさず読んでいる、と前置きして、「なかなか、民主党には厳しいですね」。
 ぼくは「そうですね、批判の厳しさは県民の声ともいえますね」。
 このところ、マスコミは明けても暮れても民主党の批判や小沢問題でにぎやかだが、それはそれなりに国民の目の厳しさにさらされているわけで、正直に言って、今の政界は与野党を含め政界再編成の直前に来ている。
 菅内閣の倒壊がそのまま政界再編成になだれ現象を生むことだけを予言しておく。
 ぼくは、何回も民主党や小沢批判を書いてきたので、心の中ではもうそろそろ切り上げて別のことを書きたいと思うのだが、どっこい、そりゃアカンぜよ、と次から次へと腹立たしいことが起きてくる。
 日本を守るため、日本人の幸せを求めるためには筆の鉾をおさめてはアカンぜよ、との天の声が聞こえてくる。
 国会において、政治とカネの問題の説明責任を果たすよう小沢一郎氏に求めているのは野党だけでなく、民主党も岡田幹事長以下執行部がその実現にあせっている。
 当の小沢氏に対しては検察審査会による強制起訴が確定している。小沢氏は「逃げも隠れもしない」と言いながらも事実上は逃げ回っている。しかし、人は日々変わり、世の中は日々変化してゆく。
 きょう12月1日付の朝日1面のトップ記事は小沢金権のすさまじさをえぐり出している。
 「小沢氏側から計4・5億円」「09年総選挙前、民主新人ら91人」「新生党残金も原資」。
 トップ4段記事の見出しだが、要するに小沢氏側から小沢チルドレンなど91人に莫大な資金が流されていたという政治資金報告書の解明である。
 産経も1面に4段記事「不記載4億円原資か」「小沢氏 陸山会に3・7億円」「昨夏解散前日」のほか4面トップ、囲みで「小沢氏」「解散日に4億4200万円配付」の見出しで小沢系を中心とした候補89人に4億4200万円が配られ、うち87人が当選し、小沢氏の執念と親小沢議員との強い結びつきが浮かび上がる、と解説。
 これらの記事を読みながら、元、小沢氏の側近で、民主党の実力者、藤井裕久元財務相の「政治とカネ解決していない」の直言記事を思い出す(7月16日付産経参照)。
 今年9月の党代表選前の発言で、「政治とカネの問題が解決したとは思わない。民主党が一番に取り組むべきはこの問題であり、具体的には企業・団体献金の禁止」「小沢さんが政治資金で土地を購入したことが民主党の政治とカネの原点にある、と思う」「自由党時代に計15億円の組織活動費が当時の幹事長(藤井氏)あてに支出されたことは全く知らなかった。どう使われたかも知りようがない」。
 その2日後の7月18日付産経1面トップ記事は「小沢氏側に2300万円」「山崎建設 胆沢ダム受注工作か」。
 この記事は水谷建設側から1億円、山崎建設側からも5000万円の謝礼容疑にも触れており、根が深い。【押谷盛利】

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