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臨終の母を詠む2歌人

 人間として、この世に生まれた幸せは、けものや鳥、魚などに比べれば何人も感謝せずにはおられまい。ご先祖があり、直接的には親があって今日の自分が在る。
 子育ての親のご苦労とこの世に生かしめた不思議の縁に感謝するのが人の道で、親孝行などを論ずるのはむしろ邪道かもしれない。
 しかし、人間は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえの如く、山より高い親のご恩を忘れがちになる。
 そこで昔から為政者が孝行者を表彰したり、水が酒になる養老の滝の伝説を今に伝えている。
 ああ、それなのに、親をごくつぶしの如く乱暴に扱ったり、施設に入れてハイご免とばかり、あとは見向きもせず、葬儀もしないバカ息子がいる。
 このごろ明らかになった社会的不祥事は100歳を超える高齢者の行方不明である。戸籍上は生きており、毎年の敬老の日には祝いを受けとっていながら、その住居地に本人が実在しないという不可解な事件である。
 いわば幽霊の老人が各地の都市で続々と明るみになっている。浮かばれない泉下の老人はかつて育てた息子や娘のことをどう思っているのだろうか。
 このような親不孝の現実を正視し、再発しないよう行政も地域もあらためて老人福祉に取り組んでもらいたい。
 ぼくの参加している短歌誌「牙」(石田比呂志主宰)の7月号に家原文昭という歌人が母の臨終を歌った「枕頭」20首が出ている。
 読めば涙をそそる母への真心が伝わってくる。以下一部を転載する。
 「枕頭に電話機置きて夜夜を寝る施設の母の哀え著く」
 「話せぬ母としなれど出来るだけ長く居らんと椅子を引き寄す」
 「点滴を血管吸収できぬまで老い衰えて母の死にゆく」
 「来るたびに握手をしたる母の手ははやわれの手を握り返さず」
 「眼をあけて虚空眺めていし母の半眼となり呼吸の浅し」
 「手と足に加えて額も頬も冷えははそはの母死に給うなり」
 「苦しまず痛がらずして母死ぬを枕辺に10時間見守れり我は」
 「充分に生きて来たりて望の夜に息の絶えたる母の亡骸」
 斉藤茂吉の歌集「赤光」に「死にたまふ母」28首が出ている。そのなかの有名な短歌を少し紹介しておく。
 「死に近き母の添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる」
 「死に近き母が額をさすりつつ涙ながれて居たりけるかな」
 「わが母よ死にたまひゆくわが母よ我を生まし乳足らひし母よ」
 「わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし」。

2010年08月20日 14:54 |


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