敗戦を予想した研究所
世間知らずを「井の中の蛙」という。日本がアメリカなどと戦って敗れてから65年目の8月15日を迎えるが、あの戦は陸軍の井の中の蛙たちの思い上がりで始まった。
昭和16年、日米交渉が難航していたころ、政府内や軍首脳の間で日米戦うべきか、何回となく議論された。後の連合艦隊司令長官の山本五十六氏は終始、非戦論を主張し、「戦えば始めは優位であっても、終局に敗れる」ことを説いた。
海軍は米内光政大臣以下、アメリカと戦うことを否定したが、軍の大勢は陸軍が主導した。陸軍の好戦的開戦主張は昭和11年の2・26事件の決起を背景にしたもので、その意に反するものへの粛正の不穏さが、政治を全面的に反米への舵となった。
なぜ、バカな戦をしたのか。これを抑制する政治権力がなぜ発動しなかったのか。絶対的な天皇の力がなぜ効果を出し得なかったのか。後世の国民はその点が不審だった。
海軍が戦争反対だったのは、海軍が航海によって世界を知り、日米の軍事力や後方の補給力の差などを知っているからだったが、その秀れた判断力が開戦時になぜ役立たなかったのか。その当時の軍の内部や政府の中には一身を投げても国家の危機を救う愛国者はいなかったのか。
それが国民の疑問であったが、8月1日付の産経新聞で、机上演習「日米もし戦わば」が行われたことが報道されて、やはり「まともな」な政治は存在していたことを知った。
この記事は「歴史に消えた参謀」の見出しで「吉田茂と辰巳栄一」について触れている回顧である。
昭和16年7月、首相官邸近くの極秘研究所で「日米もし戦わば」を想定した総力戦の机上演習が行われた。発案者は所長の飯村穣陸軍中将。飯村が統裁官に、松田千秋海軍大佐、堀場一雄陸軍中佐を補助官、その他、研究生を演習に参加させた。
彼らは数週間をかけて米国相手に机上の戦を挑んだ。
仮想内閣は兵器の増産の見通し、食糧や燃料の自給度、運送ルートと時間などあらゆるデータを解析し、日米戦争の行方を占った。
正式名は「内閣総力戦研究所」だった。研究生は軍人のみならず、各省庁、民間からも優秀な若手エリートが選抜された。
さて、16年夏、日米開戦を想定した第一回総力戦机上演習は「日本敗戦」の予測が出た。日米戦争は長期戦が必至であり、日本の国力はそれに耐えられぬ。しかも戦争末期にソ連の参戦も避けられず、「ゆえに戦争は不可能」という結論だった。
その演習と分析は的確で、真珠湾攻撃と原爆投下を除いて、現実に起きた戦況に近いとされているが、なぜ、重大な時期にこれが生かされなかったのか。【押谷盛利】
2010年08月11日 12:14 | パーマリンク
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