滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2010年08月31日

仕分け事業の公募を(見聞録)

 長浜市は28日、行政サービスや事業の必要性、妥当性をチェックする「事業仕分け」を行った。
 平成19、20年に続いて3回目となる作業では、公募市民や大学教授、他の自治体職員が「仕分け人」となって21事業を精査し、「不要」「見直し」「民営化」などの評価を下した。
 その評価は来年度の予算編成に反映される。
◇無駄、非効率、不公平で、市民に必要のない事業はどんどん削減して、税金の無駄遣いを無くす取り組みには、大いに賛同する。
 ただ、気がかりなのは、仕分けの「まな板」に載せる事業の選定が、市内部の裁量に委ねられ、どの事業を仕分けるのか、そのプロセスが見えない点だ。
 そこであえて、まな板に載せない事業があるのではないか、という疑念が生じる。というのも、たびたび市議会で問題視されている、あの事業が、仕分けに一度も登場していない。
 それは、長浜市が西上坂町の姉川コミュニティ防災センターで運営している無料風呂。
 これまでも竹内達夫議員が何度となく市議会で取り上げ、「特定の地域だけに無料風呂を提供するのはいかがなものか」と見直しを訴えてきた。
 市当局は「検討する」と答弁していた。
◇今回の事業仕分けでは、公用バス管理事業は「民間バスの借り上げや民間委託の方がよい」、ケーブルテレビによる行政情報提供は「ケーブルテレビが利用できる地域だけのサービスであり、公平・平等性が確保できていない」、長浜市福寿大学は「他の講座から選択すればよい」などと、いずれも「不要」と烙印を押された。
 福祉・文化分野を効率性や公平性を理由に切り捨てるのなら、市議会で問題になっている無料風呂など疑問符が付く行政サービスを取り上げるべきだったのではないか。
 次回、事業仕分けを行う際は、市議や市民から事業を公募する工夫を願いたい。

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2010年08月30日

利権政治と野合を廃せ

 9月の民主党代表選は民主党内のコップの中の争いと見ることは許されない。
 衆議院に絶対多数勢力を持つ民主党なるがゆえにその党首選はそのまま首相選びにつながるからである。
 仮に菅首相が再選されれば菅内閣の続投は決定的だが、逆に小沢氏が当選すればどうなるのか。
 その場合、民主党が一枚岩で菅氏側が党首選の結果を尊重すれば小沢総理が実現しよう。
 しかし、菅氏が国民の声に耳を傾け、国民の支持を背景に、国会における総理指名選に名乗りを上げ、民主党内の反小沢勢力と野党の一部が連合して救国新党に走れば、名実とも小沢外しの菅内閣が生まれるだろう。
 さらに考えられるのは、この場合、菅氏が総理への立候補を辞退して他に有力な与野党(現時点における)の統一候補が出れば、その去就は分からない。
 かつて、1993年、細川非自民政権が誕生した後の政変は記憶に新しい。細川辞任の後、羽田内閣までは小沢指導で動いたが羽田内閣から後はさきがけと社民党の離脱、そして思いもよらぬ自社さ連合政権が誕生した。いわゆる村山社会党内閣、当時の河野洋平自民党総裁は副総理、外相に就任した。
 そのときの構図と現民主党代表を取り巻く状況はあまりにも似ていることに国民は目を離せない。当時のありえない政局と思われた自社さ連合は、実は小沢外しがテーマであった。
 いま、民主党が大荒れの波風を立てているのは、小沢外しか、小沢擁護かにしぼられる。
 当時は今と違い、与党が非自民の複数党の連合勢力であった。現在はほとんど事実上の民主党単独与党である。それに加えて政治不安を残しているのが参議院のねじれ現象であり、重要法案が衆議院を通過しても参院で否決される可能性もある。
 ここにきて、民主党の小沢、反小沢闘争が野党を誘いこむ形で新たな政界再編成に突入すれば、局面はどう変化するか、分からない。
 目下、鳩山前首相を通じて菅の懐柔策が巧みに演出されているのは、以上のことを念頭におけば非常に分かりやすい。
 つまり、小沢外しは国民の声であることを新聞や世論調査で知り尽くしているのが小沢陣営である。そこで小沢に頭を下げて引かす代わりに要職を約束したり、党会計、人事、運営を任せるという密約である。これを日本語で野合という。もちろん、国民は野合を認めはしないし、歓迎もしない。所詮は利権政治の黒い霧を払うか、否かにつきる。【押谷盛利】

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2010年08月27日

小沢出馬は国民を無視

 小沢一郎氏が9月の民主党代表選に出馬することを表明した。菅直人首相と一騎打ちをすることになったが、陣営の悲壮感とは裏腹に救国の大義どころか私利私欲の私闘とばかり、国民の多くはあきれ返っている。
 小沢氏は3カ月前、政治とカネの不信感から当時の鳩山首相と抱き合い心中して幹事長を辞任したばかりだ。
 小沢陣営は彼を教祖とする新興宗教のように狂信的に小沢を擁立したがその言い分は、小沢でなければ日本の危機は打開できぬ、国民経済や国民生活の幸せのためにも小沢でなければ、と随分勝手な放言をしている。
 なにが国のためだ、国民のためだ。聞いている国民の多くは厚かましいにも程がある、おまえさんたちは小沢の利権に洗脳されているのか、国民の名前を使うのは許さんぞ、と怒っているに違いない。
 鳩山も小沢も3カ月前、国民の猛烈な批判に耐えかねて辞めたばかりではないか。ご両人に日本を指導する信頼感はゼロである。なぜならば、両者とも政治とカネの問題で秘書が逮捕されたり、起訴されたが、それで秘書を隠れみのにした両人の脱法疑惑が白になったわけではない。限りなく黒いに近い灰色のまま起訴をまぬがれたにすぎない。
 菅内閣の出現がどん底に落ちていた内閣支持率を上昇させたのは、国民の期待に答えた脱小沢路線の信頼による。3カ月前の支持率どん底の張本人2人が、いま再び手を結んで「国民のため、国家のため」とは空いた口がふさがらぬ。
 国民の側からすれば、ご用済みの両人であり、いま必要なことは彼らに寄せられた検察や国民の疑惑の声に国会の場で説明責任を果たすことである。
 このまま逃げ切ってしまえば法の正義はどうなるのか。国民の失望と政治への不信は取り返しのつかぬ不幸を招く。小沢出馬の理由は、挙党一致を背景にした小沢優遇説の不調にあるといわれている。
 要するに小沢を幹事長に登用したり、小沢陣営を日の当たるところに起用するべしという鳩山仲介案である。
 なんのことはない。政権取引である。菅総理は「なにごとも小沢氏のOKがなければ進まないというのは、よくないのではないか」と拒絶したらしいが、それにしてもこの取引前の菅発言も不穏当である。
 1年生議員との懇談会の席上での話だが、「小沢さんは立派な方で、いずれは日本のリーダーとして登場願わねばならない」「この内閣はあと3年持続して、その後は衆参同時選挙を考えている」。
 これが菅発言だ。3カ月前の「小沢さんは静かにしていた方が国のため、民主党のため、本人のためにもよいのではないか」と、比べれば、一体、心のうちはどうなっているんだ、と皮肉りたくなるではないか。【押谷盛利】

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2010年08月26日

専決処分否決の重み(見聞録)

 きのう25日の湖北広域行政事務センターの議会で専決処分案を否決した件について、加筆したい。
 湖北広域行政事務センターは長浜市、米原市の2市で組織する一部事務組合。地方自治法に基づいて設置され、主にごみ処理行政を担当している。自治体と同じように議会が存在し、予算の計上や条例制定・改正には議会の議決が必要となる。
 「専決処分」は、本来、議会の議決や決定を経なければならない事柄について、地方公共団体の長(センターの場合は管理者)が議会を通さずに処理することを言う。ただし、議会を召集する時間の余裕がなかったり、迅速な処理が求められる場合などに限られ、後に議会に承認を求めなければならない。しかし、たとえ議会の承認が得られなくとも、専決処分の効力に変わりないという。
◇さて、昨日のセンター議会の判断は、単に裁判に関する予算を認めないという内容ではなく、力興木材工業に対する営業停止処分そのものが「妥当性がない」として、センターに異議を唱えるものだ。
 民間企業の生殺与奪権とも言うべき「営業停止処分」という権限を持つセンターは、その大きな権限ゆえに、行使に正当性、妥当性が求められる。
 万が一、営業停止処分が杉本敏隆議員の指摘するように、別の業者に肩入れするために行われたのであれば、公平・公正を歪める不当・不正の許されざる職権乱用行為であり、議会での徹底した追及が求められよう。
◇センターが下した営業停止処分に正当性があったのか。その判断は、今後、司法の場に委ねることになるが、専決処分案が議会で否決された意味は非常に重い。

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2010年08月25日

小沢報道と政治とカネ

 ここしばらく、政局の動きに目が離せない。9月に民主党の代表選が行われるからである。代表選の結果次第では政局に嵐が吹き、政界再編成、衆議院解散総選挙も視野に入る。
 ところで、面白いのは新聞の報道スタンスである。
 朝日は終始、小沢氏側に寛大であるし、最近に至っては小沢擁立論をけしかけているようでさえある。
 これに反して、終始小沢批判のスタンスを続けているのが産経である。
 例えば、きょう8月25日付1面3段記事の「小沢氏後援15社、落札率95%」「胆沢ダム工事、835億円受注」なる報道がそれである。
 朝日の小沢氏寄り姿勢、産経の反小沢氏姿勢は両紙の思想、世界観に由来するようである。朝日は親中国、親朝鮮、反皇室、反靖国の記事が濃厚であるが、産経は親米、日米安保重視、国旗・国歌尊重、新教科書推進、靖国護持の紙面が目を引く。
 小沢氏はさきに、子分の政治家など400名を引き連れて中国参りをしたが、朝日の親中姿勢とだぶらせて見ると、憂うべき日本の政治が絡んでくる。
 第一は中国の軍事力の拡大と日本の領海を平気で通る中国の潜水艦、日本と中国の境界的黄海上の天然ガス開発問題、台湾との交流。第二は日本における永住外国人の地方選挙権の付与、高校無償化を朝鮮総連側の朝鮮高校に適用するか。第三は、さきに発表した日韓併合100年に当たる菅総理の謝罪談話に集約される。
 いずれも国運と国家の独立に関係する大事な問題をはらむが、これらの諸問題で、親中国、親朝鮮の立場に立つ朝日や小沢氏側の反応は一致する。
 その逆が産経であるが、そういう思想的立場にこだわると、政治家個人の適否や批判の筆法が曲げられたり、隠されたり、錆つく。
 いま、最も大事な国民の眼は今年の春以来、吹き荒れた政治とカネの問題の行方である。4月ごろ、内閣支持率が20%を割ったことは小鳩体制不信の国民の総意であった。小鳩を継いだ菅氏が「小沢さんは静かにした方が国のためにも党のためにもよい」と反小沢を鮮明にしたことでその支持率は40%に回復した。
 7月の参院選で民主党が敗れたことは消費税もさることながら、選挙戦を陣頭に立って指揮した小沢氏の政治姿勢への反発であった。
 民主党の小沢陣営側は、政治家としての勘を失ったのか、党内の小沢を見て幻惑したのか、肝心かなめの国民の側を見ていない。
 もし、ぼくの意見に疑問を持つ者があるとすれば、この時点で国民の声を聞くがよい。
 「あなたは小沢さんの政治とカネの問題は解決ずみと思いますか」。
 国民の答えはあまりにも歴然としているのではないか。国民の誰もがますます疑惑を深めているのではないか。重ねていう、「信なき政治は立たず」。【押谷盛利】

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2010年08月24日

税金を喰う銀行と官僚(見聞録)

 高給取りで知られる銀行員は、いったい給料をいくらもらっているのか。
 そんな野次馬根性で、先日、東京商工リサーチが発表したデータを確認すると、平均は603万9000円で、トップは新生銀行の849万円だった。これは今年3月末時点の役員を除く一般行員の額。
 さて、この新生銀行、銀行界ナンバー1の高給取りというからには業績もナンバー1と思いきや、2009年度決算は1401億円の赤字を出している。08年度も1430億円の赤字だった。
 ならば、相当の内部保留があるのかと言えば、まったく逆で、実は国の援助で経営再建中の身。まだ、2200億円の公的資金が残っている。さらに今年6月、金融庁から「経営再建計画から大きく乖離している」と業務改善命令を受けている。
 そういえば、6月の決算発表の際、役員4人が1億円以上もの報酬を得ていることが明らかになり、批判を浴びていたのも新生銀行だった。
 新生銀行のモラルが疑われると同時に、このモラル欠如の行員厚遇で赤字経営が続くことを考えると、国民の税金で尻拭いしているのが腹立たしい。
◇税金の無駄使いの温床である「天下り」についても、うんざりするニュースがある。
 同一省庁の出身者が3代続けて公益法人や独立行政法人の役員ポストに就任しているケースが1528例にのぼることが22日、総務省の調査で明らかになった。
 代々、特定の省庁OBが独占しているポストは「天下り指定席」と呼ばれている。公益法人などは国から補助金や事業発注を受けており、省庁がOBの再就職先を厚遇で準備しているようなもの。
 これでは、税金を納める国民や企業の努力が報われない。増税など論外。

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2010年08月23日

小沢でも菅でもない

 このところ政界情報は9月の民主党代表選に集約される。参院選前に改造した菅内閣だが、9月の代表選に敗れれば総理が交替しかねない。一寸先は闇の政界のことだから、菅代表は敗れても総理の座は離さぬかもしれない。
 この場合、国会が不信任すれば辞めぬわけにはゆかぬが、政界の再編成によって不信任案を否決すれば菅総理の首は持つ。万一、不信任案が通れば、菅首相は解散、総選挙の道を選ぶだろう。
 問題は、かかる想定の上で繰り広げられる政界再編成であろう。
 正直言って、ぼくは思う。国民の多くは小沢の代表選出馬、当選、小沢総理の出現を望んでいない。ならば、小沢陣営から総スカンを食っている菅代表、菅総理を国民はどう思っているのか。これまた小沢同様、国民は望んでいない。一体それはどういうことなんだ。この疑問は尤も至極なことで、詮じつめれば小沢も菅も国民には信用されていないことになる。
 なんちゅうことをいうのか。昨年の夏、国民は民主党を圧倒的に支持したではないか。それが鳩山、菅内閣の背景ではないか。
 その通りである。しかし、その勝利の象徴であった鳩山は半年で転んでしまったではないか。その後継の菅も9月代表選で持つのか、持たないのか危ぶまれている。なんだ、これは、民主党はどうなっているんだ、国民世論は複雑な反応を示しつつ、明確な政治的展望を避けている。
 ぼくが国民に代わって、目下の国民の政治的願望を診断すれば、次のようになるのではないか。
 昨年の総選挙は、民主党のマニフェストにごまかされた。これまでの自民党の利権政治や族議員政治、派バツ政治に愛想をつかした国民がなだれ現象となって政権交替を望んだ。それが総選挙の民主党勝利の原因だが、いまになって振り返ると、国民はいっぱい食わされた感じである。インチキの公約に釣られたのだから、擬餌に引っかかった魚の類である。
 ところで、民主党代表をめぐる小沢|菅の舞台裏の壮烈な戦いを国民の多くはどう見ているのだろうか。
 ぼくは「どっちもどっちだ」「どっちに転んでも国民との距離はありすぎる」「いまの民主党は、ひところの派バツ政治の自民党そっくりだ」「このさい、民主党をぶっ壊せ、そして岡田(外相)、前原(国交相)らを軸とした良識民主党と、自民党の若手改革派、さらにみんなの党の渡辺らによる救国新党をつくるがよい」などの考えに集約されるのではないか。
 国民の声が静かなのは、民主党よ、さよなら、の前兆とみればよく分かる。【押谷盛利】

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2010年08月21日

バラエティ番組に出演して(見聞録)

 先日、深夜のバラエティ番組に滋賀夕刊の記者として出演した。7月に大阪のスタジオで収録されたものだった。
 お盆に合わせた特番で、お笑い芸人が関西のローカルニュースを紹介し、地方紙の記者が解説するというもの。
 司会を務めたのは吉本新喜劇座長の小籔千豊氏と、「南海キャンディーズ」の山里亮太氏。そして、盛り上げ役として6人のお笑い芸人が登場した。新聞社は滋賀、京都、大阪、兵庫、和歌山から計7社が参加した。
◇さて、そのスタジオでの収録時間は4時間にのぼり、打ち合わせを含めると6時間になっただろうか。芸人が十数本のニュースを順番に取り上げ、現地取材した映像を流しながら、だらだらと、おしゃべりするものだから、収録時間が予定を2時間ほどオーバーし、あろうことか、滋賀夕刊のコーナーにたどり着かないまま、収録打ち切りとなった。
 小生は、冒頭で簡単な自社紹介をした以外は、笑ってみたり、拍手したり、というだけのつまらない時間を過ごした。
 不本意な扱われ方に消沈し、どのように編集されるものかと、気を揉んだ結果、先日の放送を確認すると滋賀夕刊のニュースは、わずかだが取り上げられていた。
 たった1時間の番組で7社のニュースを公平に紹介するのは難しく、新聞社やニュースの取捨選択はやむを得ないだろうが、わざわざ大阪にまで足を運んで、である。
◇ただ、いろんな地方紙の記者に出会えたことは収穫だった。
 京都府綾部市をエリアに月、水、金の夕刊で発行しているあやべ市民新聞は購読世帯が発行エリアの6割を超え、「地域最強」(同社)の影響力を持つという。丹波新聞は木曜、日曜の朝刊で篠山市、丹波市へ配達している。わかやま新報は、和歌山市と周辺市を発行エリアに8ページ仕立てで届け、カラーで賑やかなレイアウトが新鮮。姫路経済新聞社は紙媒体ではなく、インターネットの新聞で、記者は1人しかいないという。
 名刺代わりに新聞を交換したのだが、いずれの新聞も市民や読者に密着し、地方紙ならではのきめ細かな情報提供が特徴。大手新聞が取り上げない些細な問題を提起し、紙面からは地方紙としての責務と愛着が伝わってくる。
 インターネットの普及や活字離れで、全国紙の部数が減少し、新聞業界の先行きが不安視される昨今、元気な地方紙の記者に出会えたことは良き刺激になった。

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2010年08月20日

臨終の母を詠む2歌人

 人間として、この世に生まれた幸せは、けものや鳥、魚などに比べれば何人も感謝せずにはおられまい。ご先祖があり、直接的には親があって今日の自分が在る。
 子育ての親のご苦労とこの世に生かしめた不思議の縁に感謝するのが人の道で、親孝行などを論ずるのはむしろ邪道かもしれない。
 しかし、人間は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のたとえの如く、山より高い親のご恩を忘れがちになる。
 そこで昔から為政者が孝行者を表彰したり、水が酒になる養老の滝の伝説を今に伝えている。
 ああ、それなのに、親をごくつぶしの如く乱暴に扱ったり、施設に入れてハイご免とばかり、あとは見向きもせず、葬儀もしないバカ息子がいる。
 このごろ明らかになった社会的不祥事は100歳を超える高齢者の行方不明である。戸籍上は生きており、毎年の敬老の日には祝いを受けとっていながら、その住居地に本人が実在しないという不可解な事件である。
 いわば幽霊の老人が各地の都市で続々と明るみになっている。浮かばれない泉下の老人はかつて育てた息子や娘のことをどう思っているのだろうか。
 このような親不孝の現実を正視し、再発しないよう行政も地域もあらためて老人福祉に取り組んでもらいたい。
 ぼくの参加している短歌誌「牙」(石田比呂志主宰)の7月号に家原文昭という歌人が母の臨終を歌った「枕頭」20首が出ている。
 読めば涙をそそる母への真心が伝わってくる。以下一部を転載する。
 「枕頭に電話機置きて夜夜を寝る施設の母の哀え著く」
 「話せぬ母としなれど出来るだけ長く居らんと椅子を引き寄す」
 「点滴を血管吸収できぬまで老い衰えて母の死にゆく」
 「来るたびに握手をしたる母の手ははやわれの手を握り返さず」
 「眼をあけて虚空眺めていし母の半眼となり呼吸の浅し」
 「手と足に加えて額も頬も冷えははそはの母死に給うなり」
 「苦しまず痛がらずして母死ぬを枕辺に10時間見守れり我は」
 「充分に生きて来たりて望の夜に息の絶えたる母の亡骸」
 斉藤茂吉の歌集「赤光」に「死にたまふ母」28首が出ている。そのなかの有名な短歌を少し紹介しておく。
 「死に近き母の添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる」
 「死に近き母が額をさすりつつ涙ながれて居たりけるかな」
 「わが母よ死にたまひゆくわが母よ我を生まし乳足らひし母よ」
 「わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし」。

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2010年08月19日

30万円の眼鏡(見聞録)

 振り込め詐欺や食品の産地偽装、インターネットの架空請求など、人を騙して金儲けをたくらむ輩が潜む世の中。
 県内では昨年1年間、消費生活に関する相談が1万4054件も寄せられた。県民の100人に1人が相談した計算だ。
 県立消費生活センターのまとめでは、架空・不当請求や、借金やローンなどの多重債務に関係する相談が目立っている。
 架空請求の例を挙げると「登録した覚えのない情報サイトの請求メールが届いた。連絡しないと身辺調査をして、自宅や勤務先に回収業者が集金に行くとか、訴訟を起こすと記されている」(40歳代女性)、「債権回収業者を名乗るものから、携帯電話に高額な利用料金の支払要求メールが届いた」(20歳代男性)など。突然の請求で、自宅や職場への回収、訴訟をチラつかせる手口。相手にせず、無視するのが一番だろう。
 多重債務関連は「夫が病気で2カ月仕事を休んで、解雇された。住宅ローンやカードローンなど毎月30万円の返済が困難になった」(50歳代女性)、「生活費として借金し、更にその後、離婚したため、子どもへの送金などで借金が膨れている。税金の滞納もかさみ、差し押さえをされるかも知れない」(50歳代男性)などの相談が寄せられている。
◇敬うべきお年寄りをターゲットにした詐欺や悪徳商法が横行しているのは許せない。
 言葉巧みに家に上がりこんで、防犯機器を無理やり取り付け、契約を迫ったり、水回りのトラブルで過剰な工事を行ったり。「一人暮らしの母が3、4年前から浄水器を次々と買わされている。販売員が優しく、気に入っている様子だが、解約できないものか」(50歳代女性)というのも、ありふれた商法。
 最近、特に気になるのが、仮設店舗にお年寄りを集めて、様々な商品を売る手口。密閉空間で、日用品を格安価格で次々と買わせて、一種の興奮状態を作り上げたうえで、高額商品を契約させる。
 センターにも「近所の仮設店舗でいろいろな品を100円で売っていると誘われて出向いた80歳代の父が、30万円もする眼鏡の契約をしてしまった」(50歳代女性)との相談が寄せられている。
◇騙して金儲けをたくらむ輩は日夜、新たな手口を考えている。弁護士、警察、銀行員などに役割分担する「劇場型」も最近の新たな詐欺で、言葉巧みに銀行のキャッシュカードと暗証番号を手に入れたり、架空の株取引を持ちかけて購入代金を騙し取ったりしている。
 センターは、性別、年齢を問わず誰もが詐欺や悪徳商法のターゲットになる可能性があり、「自分だけはトラブルに巻き込まれない」と考えないことが大切としている。

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2010年08月18日

実存していない長寿者

 戸籍上はもちろん、住民登録にも生きているはずの100歳を超える高齢者が、実際は行方不明であったり、すでに他界していることが分かって社会問題化している。
 都会砂漠という残酷にして空しい社会の実態を、大都会の行政のずさんな管理が暴露している。
 長寿は人間の理想であるが、それは健康で、子や孫や曾孫に助けられながら、あるいは福祉の共同施設で仲間たちと余生を楽しむからである。
 認知症や寝たきり、あるいは病勢のおもむくまま植物人間になれば10人が10人早くあの世へ参りたいと思うだろう。しかし、そういう自意識や自己判断力、実行力がなくなって、ただ医療と福祉の恩恵で生きている人は「あの世へ早く」の願望すら訴える力も能力もない。ただ、時の流れのなかで生かされているにすぎず、自らの意志で生きているとは言い難い。
 それにしても、100歳を超えている帳面上の長寿者が、実際は住民票の住所に存在せず、なかには濃い親族が年金だけ受け取っているケースもある。老人には市町村から敬老の日に祝の金品が贈られるが、本人が生存しているのかどうか、確認もせず、一片の通知や家族の応答で事務処理しているずさんさの結果がそうした幽霊高齢者を生んでいるといえよう。
 役所仕事というのはこの一例が示すように実にいい加減なもので、なるべく面倒なことは避け、前年踏襲主義の無難さを身上としている。
 個人情報の秘匿を隠れみのに地域社会の連帯や民生委員らの協力をたのむ積極性さえみられぬのは行政のルーズというよりは怠慢である。
 もし、不幸にして、真実行方不明ならば家出人としての捜索や、法に基づく戸籍の抹殺もあり得る。極端な場合は犯罪にまき込まれたり、金銭上の利害で他殺されているかもしれない。突然の痴呆で人里離れた山地で死亡していたり、自殺していることもあり得よう。いずれにしても行方不明であれば、生死を徹底的に追及しなくてはならない。
 その点では行政のずさんさもさることながら、高齢者の身内の処し方にも尋常さが見られない。
 自分の親の行方を捜さないのも不可解だが、なかには死亡していても、それを隠し続けているのもある。
 これでは死者の魂は救われない。葬儀はされず、死後の供養も行われず、闇の人間として戸籍の上では生きていることになる。
 子を殺すバカな親。親の面倒を見ず、その死の弔いもしない息子や娘。こんな世の中、だれがした。腹が立って泣く涙もない。【押谷盛利】

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2010年08月17日

お盆に出会った生ハム(見聞録)

 お盆休みが終わり、きょう17日から仕事の再開となった。本紙は土日曜を含め3連休を頂き、小生は墓参り、親族へのあいさつ、そして、友人との食事と、3日間を過ごした。
 15日の日曜は、大阪市内の串かつ屋に、20~30代の友人と合流。
 市内の情報企業に勤務するシステム・エンジニアは10日間の盆休み。北海道へのバイク旅行を楽しんで、大阪へ帰ったばかりだった。
 内装業の友人は盆休みに関係なく、連日の出勤。この日は、仕事を早めに終わらせて、作業着のまま店に駆けつけた。
 電気製品の卸会社に勤務する別の友人は、「お盆の夜は家族団らんの時間なの」と、早めに切り上げた。
 互いに元気にやっていることを確かめ合い、近況報告を交えながら、お酒がすすんだ。
◇さて、2軒目に入ったイタリア・スペイン料理の居酒屋。カウンターのそばに、入荷したばかりという生ハムの「原木」があるのが目に入り、さっそく注文した。スペイン産の「ハモン・セラーノ」。濃厚な味わいに、塩気、脂ののり具合もちょうど。スーパーで売っている「添加物まみれ」とは比べ物にならない。
 「原木」とは整形やカット、スライスなどを行っていない、そのままの形を指す。ヨーロッパの市場やスーパーでは、骨付きハムが丸ごと吊り下げられ、酒場のカウンターでは特製の台に載せられているのを見かける。
 ハムはローマ時代から作られている保存食で、塩漬け、乾燥、熟成させて、常温で保存する。
 湿気の多い日本では、すぐにカビが生えるので、保存が難しいと考えていたが、湿度、温度に気をつけながら、こまめに手入れすれば、常温でも保存できるそうだ。
 インターネットで調べると、10㌔程度の原木が3万円前後から売られている。レストランでの注文と比較すると、かなりのお値打ち価格で、スペインやイタリアの本格的な味に出会える。

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2010年08月13日

征くわれと復るわれ

 「八月や月さびしげに哭くごとし」。これはぼくの最近の句である。
 8月は生涯忘れられないぼくの歴史の一里塚である。いや、ぼくばかりでなく、戦中、戦後を体験した多くの日本人の涙の歴史でもある。
 「ぬけがらとなりて還りし敗残の身に炎えゐたる巨き向日葵」「向日葵の花焦げいろに熟るる日は戦をはりし八月おもへ」。
 これは歌集「息吹」に残したぼくの短歌である。
 敗れて、ぬけがらのように復員したぼくの目にひまわりの花が高々と咲いているのが印象的だった。国敗れて山河ありの心境というべきであろうか。
 以来、8月は敗戦の記憶であり、8月の悲しみはひまわりが唄っているように思える。
 ぼくの歌集「息吹」には「比島戦記」の歌群がある。
 「防人の詩は屍るいるいとジャングルのなか兵の飢ゑ逝く」「友軍の兵を襲ひて飢ゑ癒せし兵も還らじレイテのジャングル」「死者ののどぼとけうましと比島戦記かかる苦しみ吐きて兵逝く」「餓死拒む生の断崖ひとの肉食らひし地獄をわれはうべなふ」。
 ぼくの第2歌集「乾坤」には「終戦忌」なる歌群が今もみずみずしい。
 「8月は常に新し死なざりし戦を今に曳きづりてをり」「征くわれの死ぬる覚悟も敗戦に復る日待ちしもいづれ真実」「護国社に額づく人の珍しく犬死とふ言葉不意に出で来し」「くちなはも鼠も蛙も食いつくしででむしまでも比島のいくさは」「山の尾の一本松にはためける日の丸仰ぎて征きし友らよ」「狼が来るぞ女は山奥へ六十年前の八月十五日」「山奥へ逃ぐる話は聞かざりきアメリ兵と手を組む女」「古里の荒れし障子径歩みつつ征きて還らぬ友に遇ふなり」「とむらひの数珠持つ指の冷ゆる昼流るる雲を空に見てゐつ」「帰投する燃料持たざる特攻機友は恋人を残して散れり」「死ぬることを安きと思ひし虚しさに父は黙して送りくれたり」「青春の墓場のやうにくるわ女を抱きて征きしはだれにも告げず」。
 戦後65年目の終戦忌。奇しくも先祖を供養するお盆の15日。昭和12年(1937)の日中戦争以来、太平洋にまで拡大した8年間の戦は苦闘と涙の悲史であり、その間の戦没者は軍人、軍属、民間人を含め310万人と政府は記録している。外地ではフィリピンの51万8000人が最も多かったという。
 御国の防人となって散った英霊や、戦の尊い犠牲者の霊に心からなる哀悼のまことを捧げるものである。
 同時にこの期に及んで、なお、日本人の自覚や歴史、伝統をかえりみることなく、靖国参拝を拒むフヌケ大臣や政治家に激しい怒りを覚ゆることを付言しておく。【押谷盛利】

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2010年08月12日

首相談話の反応は?(見聞録)

 韓国併合から100年を迎えるにあたって、菅直人首相は10日の談話で「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した。
 談話には野党の自民党などから反発が出たが、民主党はこれを無視して、発表した。アジア重視が色濃い同党の体質からすれば当然の行動だろう。
 さて、この談話について、新聞各紙はどのように論じたのか。社説の違いを伝えたい。
◇民主寄り論評が目立つ朝日は「新しい日韓協働の礎に」との見出しで「共感できる認識だ。私たちも重く受け止めたい」「国家指導者が歴史認識を語り、将来に向けた期待と方針をあらためて示したことには大きな意味がある。和解と信頼獲得にもつながってほしい」と評価。
 保守系議員の「国民や歴史に対する重大な背信だ」とする声明には、「浅く、また、見当違いの見方」と切り捨てた。
 謙虚さを持って、過ちを率直に省みることで、「未来志向」の関係を構築できると諭し、「和解と協働の新たな100年へ、この首相談話を礎石にしたい」と締めくくった。
◇毎日も「節目にあたり新政権として意思表明を行ったものとして意義がある」と評価し、「未来に向けた日韓関係構築の出発点にしたい」とした。
◇読売は「妥当な内容と言えよう」と評価する一方で、「韓国国内で元『従軍慰安婦』などに対する補償を要求する声が再燃する可能性もある。しかし、新たな請求権は認めないとする日本政府の立場は堅持すべきだ。韓国側には冷静な対応を求めたい」と、牽制しているのが朝日、毎日にないポイント。
 最後は「談話を契機にして、経済、文化、人的交流などを含め、今後の日韓関係に弾みをつけることが肝要だ」とした。
◇さて、保守の砦、産経は「与野党で異論が相次ぐ中、談話発表が強行されたことは、極めて遺憾」と真っ向批判。
 「歴史を歪めた私的な見解は断じて許されない。必要なはずの国民的な合意づくりも一切、欠落していた」と問題点を指摘し、「明治以降の日本の先人たちの努力をほぼ全否定し、韓国の立場だけを述べている」として、首相談話を「一方的な歴史認識」と切り捨てた。さらに、「どこの国の首相か疑ってしまう」と容赦ない。
 35年間の韓国併合について「反省すべき点もあるが、鉄道建設や教育の普及など近代化に果たした役割は大きい」と語り、光と影の部分をバランスよく伝えるべき、と訴えている。
 最後は「秋の臨時国会で徹底追及すべき」と鼻息が荒い。
◇以上が首相談話に対する新聞4紙の評価で、それぞれのスタンスが鮮明で興味深い。
 さて、今月15日の韓国の解放記念日「光復節」には李明博大統領の演説が予定されている。併合100年の節目だけに国民の間でも、大統領の演説に関心が集まっている。
 日本首相の「反省とお詫び」に、どういうボールを投げ返すのか。菅談話の評価が問われるところ。

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2010年08月11日

敗戦を予想した研究所

 世間知らずを「井の中の蛙」という。日本がアメリカなどと戦って敗れてから65年目の8月15日を迎えるが、あの戦は陸軍の井の中の蛙たちの思い上がりで始まった。
 昭和16年、日米交渉が難航していたころ、政府内や軍首脳の間で日米戦うべきか、何回となく議論された。後の連合艦隊司令長官の山本五十六氏は終始、非戦論を主張し、「戦えば始めは優位であっても、終局に敗れる」ことを説いた。
 海軍は米内光政大臣以下、アメリカと戦うことを否定したが、軍の大勢は陸軍が主導した。陸軍の好戦的開戦主張は昭和11年の2・26事件の決起を背景にしたもので、その意に反するものへの粛正の不穏さが、政治を全面的に反米への舵となった。
 なぜ、バカな戦をしたのか。これを抑制する政治権力がなぜ発動しなかったのか。絶対的な天皇の力がなぜ効果を出し得なかったのか。後世の国民はその点が不審だった。
 海軍が戦争反対だったのは、海軍が航海によって世界を知り、日米の軍事力や後方の補給力の差などを知っているからだったが、その秀れた判断力が開戦時になぜ役立たなかったのか。その当時の軍の内部や政府の中には一身を投げても国家の危機を救う愛国者はいなかったのか。
 それが国民の疑問であったが、8月1日付の産経新聞で、机上演習「日米もし戦わば」が行われたことが報道されて、やはり「まともな」な政治は存在していたことを知った。
 この記事は「歴史に消えた参謀」の見出しで「吉田茂と辰巳栄一」について触れている回顧である。
 昭和16年7月、首相官邸近くの極秘研究所で「日米もし戦わば」を想定した総力戦の机上演習が行われた。発案者は所長の飯村穣陸軍中将。飯村が統裁官に、松田千秋海軍大佐、堀場一雄陸軍中佐を補助官、その他、研究生を演習に参加させた。
 彼らは数週間をかけて米国相手に机上の戦を挑んだ。
 仮想内閣は兵器の増産の見通し、食糧や燃料の自給度、運送ルートと時間などあらゆるデータを解析し、日米戦争の行方を占った。
 正式名は「内閣総力戦研究所」だった。研究生は軍人のみならず、各省庁、民間からも優秀な若手エリートが選抜された。
 さて、16年夏、日米開戦を想定した第一回総力戦机上演習は「日本敗戦」の予測が出た。日米戦争は長期戦が必至であり、日本の国力はそれに耐えられぬ。しかも戦争末期にソ連の参戦も避けられず、「ゆえに戦争は不可能」という結論だった。
 その演習と分析は的確で、真珠湾攻撃と原爆投下を除いて、現実に起きた戦況に近いとされているが、なぜ、重大な時期にこれが生かされなかったのか。【押谷盛利】

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2010年08月10日

増え続ける県民の借金

 滋賀県の抱える借金は9600億円。県民1人当たりの負担に換算すると68万7000円で、前年に比べ2万8000円増えた。これは県が発表した2009年度の決算の一部。
 決算をわかりやすく紹介すると―。歳入は5363億円で、内訳は県税1370億円、国が拠出する地方交付税と国庫支出金が合わせて1862億円、そして、県債と呼ばれる借金による収入は998億円。このほか、諸収入などを総合すると、歳入の56%を国からの仕送りや借金に依存している。
 裏を返せば、歳入の半分さえも県が自主的に賄えていない状態を指す。
 歳入の中でも、骨格となる県税収入は前年度比454億円、24・9%も減少した。
 2008年秋以降の世界同時不況の影響で、県内企業の業績が大幅に悪化し、法人税収が704億円から283億円に激減したのが主因だ。
◇歳出は5323億円。財政再建に向けて縮減が求められているのだが、国の経済危機対策により前年度比5・3%増加した。
 最大の歳出は教育費の1262億円。前年度に比べ1・8%減少したが、全体の4分の1を占めている。これだけで県税収入の大半が消えたことになる。
 次いで大きな事業は健康福祉費。前年度比31・7%増の920億円にのぼった。介護や子育て支援などの費用は膨らみ続けており、自治体任せの福祉対策を改めない限り、財政破綻の原因になりかねない。
 そして、歳出の3番目は公債費。これは借金返済のことで、752億円を支出している。しかし、前述のように新たに998億円を借金しているから、借金残高は増加している。
◇一般的な家庭では、夫の会社の業績が悪化して、残業の減少、ボーナスカットで収入が減れば、家計を切り詰めるのが当り前。
 県も、家計同様に収入に見合った支出を工夫する必要があるのだが、行政サービスを少しでもカットしようものなら、県民から猛反発を受けるのが常。
 ただ、県民が「無い物ねだり」の要求を続ける限り、財政破綻は遠くない。
 これは、国や市の財政にも言えることで、従来通りの行政サービスを受けたいのなら、増税や保険料アップなど高負担は避けられない。
 高負担を嫌うなら、サービスカットを受け入れるしかない。
 我々の子や孫の負担となる借金に頼った財政運営は改めるべきで、自治体の決算書を眺めるたびに、もどかしく感じる。

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2010年08月09日

キスカ撤退の長詩回顧

 今年の8月は日本が太平洋戦争に敗れて満65周年を迎える。戦線で九死に一生を得て帰還した人、内地で勤労奉仕や学業半ばに兵器工場へ派遣された人、爆撃を受けて家を焼かれ着の身、着のまま生き延びた人、絶望と悲しみの中に立ち上がって祖国の再建に尽くした人の多くは現在80歳以上になっており、すでに他界している人の方が多い。
 広島、長崎の原爆被害はもとより、われわれは生きている限り、戦争の悲劇とむなしさ、その残酷さを語り継がねばならぬ。
 それこそが護国の花と散った英霊への弔慰であり、将来の子孫への最大の贈り物である。
 戦史のなかで硫黄島、ガダルカナル島、サイパン、フィリピン、ビルマなどにおける餓死同様の無謀な作戦は紹介されているが、北太平洋、アリューシャン列島の米領、アッツ島での全滅、キスカ島の奇跡の撤退についてはあまり知らされていない。
 長浜市大井町出身の馬場秋星さん(本名・杉右エ門)の著「ふるさと大井の昔話」に、奇跡のキスカ撤退なる長詩が掲載されており、何回読んでも感動をそそられるので、これについて触れる。
 この長詩は119章からなり、作者は馬場氏の母方の伯父・橋本幸暉海軍少佐(虎姫町唐国)。橋本少佐はすでに幽界の人だが、キスカ島の守備隊第32防空隊長として、同地に出征。歴史に名を残すキスカ撤退作戦に参加した生き証人であった。
 キスカ島攻撃作戦は昭和17年(1942)5月26日の大湊出港から始まり、6月7日、上陸に成功し「鳴神島」と命名。11月10日、北海守備司令部をキスカに設置した。しかし、上陸後は米軍機の爆撃にさらされ、周囲は敵潜水艦によって補給が阻止された。
 米海軍の重囲のなか、大本営は翌昭和18年5月20日キスカ撤退を決定。7月18日、第一次キスカ撤退不成功。7月29日、第二次撤退成功。8月1日、北千島に無事上陸。将兵5183名を1人も残さず救出することができた。
 この救出作戦は第一水雷隊(木村富福少将)により、濃霧のなかを決行された。
 米軍はこれを知らず、2週間の艦砲射撃の後、3万4千余名が上陸したが犬が3匹いただけだった。
 橋本少佐の長詩はそのままキスカ撤退の経緯を語る貴重な文献であり、近く転載するが、一節一節に悲痛な涙がにじみ出る。わが長浜市出身の親近感もあり、先輩の馬場氏により公にされただけに、ぼくは誇りをもって、この長詩を口遊びたいと念じている。【押谷盛利】

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2010年08月07日

花火とごみと中学生(見聞録)

 5日夜の長浜・北びわ湖大花火大会。小生は例年通り、会場から南側の湖岸で、新聞掲載用の写真撮影。シャッター開放時間や露出を調整しながら苦闘したが、結局、満足のゆく写真は取れずじまい。
 湖北地域の年に1度の花火大会とあって、遠方からも多くの観光客が訪れたようで、主催者によると10万人が楽しんだ。
 道路の混雑も相変わらずだが、会場周辺では主催者や警察、警備関係者の誘導で、大きな事故もなく無事に済んだ。
◇1400㌔。これは花火大会から一夜明けた6日朝、ボランティアによって集められた可燃ごみの量だ。このほか、ビールの空き缶や、シートなどの不燃ごみも大量に集められた。
 可燃ごみの量は昨年の1230㌔に比べ、微増した。人出や露店の出店数など複数の要因を考えると、観覧客のマナーが悪くなったとは断言できないが、ごみの持ち帰りの出来ない非常識人が相変わらず多いことがうかがえる。
 主催者の呼びかけで行われた清掃活動には約600人が参加し、午前7時から、長浜港周辺でごみ拾いに汗した。その主力を担ったのが、地元の長浜西中学校の生徒。今年も有志422人が参加したが、ビールの空き缶やタバコの吸殻など、大人の捨てたごみを、子ども達が拾う姿を見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになったのは小生だけではないはず。
 何年か前、花火大会の数日後に本紙に届いた投書が「美しい花火を見ていながら、人の心は一向に美しくなっていない」と、花火後のごみを嘆いていたのが思い出される。

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2010年08月06日

「なます」「さなぶり」「はげ」

 ぼくが、おっぽろぽんの水泳や「ガアタ」について書いたのは、忘れられようとしているむかし昔の風物を記録に残しておきたいからである。
 時代の変遷に関わらず、山や川や湖(海)は古里のイメージをいつまでも輝かせている。しかし、そこに住んでいた人間、使用していた言葉、使っていた道具、習慣などは驚くほどさま変わりしている。
 例えば母屋といってもこれからは通じるかどうか。
 子沢山の時代は長男が家の跡を取り、次男、三男は分家した。分かれ家ともいうが、次男、三男の一族が本家を母屋(家)と呼んだ。分家にもまた分家ができるが、時代が変わっても一族は必ず母屋を大切に盆、正月の礼や墓参りを欠かすことはなかった。
 冠婚葬祭などには本家の意向が尊重されるが、逆に家運が傾いたり、何かの心配ごとが起きれば本家が先立って、対策を講じたり、親類に呼びかけて救済策を進める。
 家系を守る古きよき伝統であるが、戦後の家族制度の崩壊や今日の少子化社会の実現で母屋、新家がなくなり、言葉も消えかけている。
 料理で喜ばれるのは「刺身」といって生の魚の肉を薄く切って、つけ醤油で食べる。「つくり」「おつくり」ともいった。
 昔はつくりとは言わずに「なます(膾)」といった。
 なますにはいろいろ種類があって必ずしも魚は登場しない。
 夏場は「胡瓜なます」が喜ばれた。これは薄く切った胡瓜を甘酢で和えたものだが、魚の身を細かく切って酢や二杯酢で食べたのがぜいたく食だった。
 「糸なます」という風流な名のなますがあったが、これは新鮮な魚のほか大根や人参などを細かく切って甘酢で和えた珍味。
 昔の人は「鮒なます」「鯉なます」といって、今の刺身のように酒の肴にしたが、今と違って味つけ醤油に酢を加減した。
 魚には川魚と海魚があり、これを区別してタイやヒラメは沖なますといった。いまもその名残りで、冬の鍋料理に「沖鍋」なるメニューがある。
 今は田植えも早く、収穫も盆過ぎから9月の中旬となったが、養蚕、茶仕、麦の収穫など春から半夏(はんげ・はげ)までは農家の休まる日がなかった。
 そこで農家では田植えがすむと「早苗響」と呼ぶ祝いのご馳走をして家族や手伝いを受けた親類などにふるまった。
 半夏は7月の始めだが、この日はこれまでの掛け買いの支払いをしたり、餅をついたり、すしをつくったり、ご馳走して半年の疲れを癒した。
 どの家にも「はんぼ」といって底の浅い大きな飯びつがあり、これで「ごもくすし」をつくったり、石臼で粉をひいた。もちろん、臼や杵は常時出動態勢にあった。【押谷盛利】

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2010年08月05日

銃後の体験談に触れて(見聞録)

 滋賀夕刊で3日から連載が始まった「終戦記念展 戦時下の少年少女たち」。戦時中、木之本高等女学校(現伊香高校)に通っていた女性が、当時の体験談を紹介している。
 これらの資料は、長浜市大依町の浅井歴史民俗資料館の終戦記念展に展示されている。
 木之本高女の生徒は、戦況が厳しさを増した昭和19年以降、軍需生産力の一員として各地の工場に派遣され、戦闘機の製造などを命じられた。親元を離れての不安な寮生活に加え、軍需工場は爆撃の標的に。昼夜を問わない空襲警報に防空壕へ逃げる日々が続いた。
◇体験談には、木之本高女に入学して習い始めた英語は使用禁止になり、勉強そっちのけで、陸軍兵士用の蚊帳作り、真綿作り、出征兵士の農家の稲刈りに動員されたことが綴られている。
 工場勤務では、苦しい仕事に涙を流し、軍歌を歌って友人同士が慰め合った。
 空襲警報が発せられると狭い防空壕に逃げ込み、爆撃の恐怖に怯えた。「今でも、満員のエレベーターに乗るのが怖い」とトラウマに。防空壕に入りきれず、山道に伏せて警報解除を待った生徒もいた。
 寮には石鹸もなく、ノミ、シラミとの戦いだった。
◇体験談の原稿をチェックしていると、当時の過酷な学生生活がありありと浮かび、それと同時に、ここ最近のお年寄りの行方不明のニュースにたまらなくなる。
 家族や近所でさえ、その行方を知らないという異常事態は、現代人が経済的豊かさや個人主義を追求するあまり、家族や地域のつながりを軽んじている証左と見る。
 戦中、戦後の過酷な環境に置かれた日本を支え続けたお年寄りが、こうした「仕打ち」を受ける現実に、現代社会の病巣の深さを憂う。

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2010年08月04日

飛び込みと未婚の母

 ぼくが子どものころ古里の草野川で丸裸で水遊びした話はすでに述べたが、今も記憶に鮮明なのは先輩の飛び込みとその飛び込み流の名前である。
 飛び込みといっても、特別な飛び込み台があるわけではない。野瀬だぶ(淵)は橋の下であった。川の東西をつなぐ木橋で荷車が1台通れるくらいの幅で、村人は「しきょう橋」と呼んだが、しきょうは死去のことで、いわば葬式橋のことである。川の西の山手の中腹に火葬場があるので、村人は十人が十人、この橋を渡らねばあの世へは旅立ちできなかった。
 それはともかく、橋には橋脚とその足場ともいうべき橋台があり、その部分が一段高いので、子どもたちはそこから飛び込むのが夢であった。水が深いのと水面まで少し距離があるので高学年の熟達したカッパでなくては恐怖感が先立ってなかなか飛び込めない。先輩のAはガキ大将よろしく、「オーイ、みんな見とれよ。これから西村流の飛び込みを見せてやるから」と、怒鳴りながら水中めがけて土台を蹴った。
 真正面に飛んだはずだが着水のときはやや体を左にひねったような感じで、すうっと体は水中深く潜って5㍍くらい下流で浮上した。
 なんで「西村流」というのかな、不思議な思いをしつつ、そのうちにこれは西村という若い女教師の飛び込み自殺に由来するものであることをうすうす知るようになった。この話は大人から聞いたわけではなく、大人たちはむしろ子どもたちに聞かすことをしなかった。
 村の小学校の西村先生は若くて美人だったというから、子どもたちに人気があったのかもしれない。新学年の始まりのころだったのか、村をゆるがす大事件が起きた。美人の西村先生が東海道線の列車の窓から浜名湖へ飛び込み自殺したという衝撃的ニュースである。
 先生が赤ちゃんを宿し、もんもんの日々の悩みのなか、お腹がだんだん目立つようになり、思い余って飛び込んだのではないか、と推測された。
 当時は男女同権には程遠い時代だったから、今のように未婚の母などは許される環境ではなかった。それに堕胎罪があって人工中絶は罰された。
 彼女は知識人で、プライドがあったから、親にも先輩にも相談を持ちかけることなく一人で苦しみ、夜も眠れなかったのではないか。
 しかし、世間には、未婚の女性が出産するケースは決して珍しいことではなく、たいていは女性の母が自分の子どもとして出生届をしたり、出生と同時に他家の子として届けられたりした。
 有名な明治、大正、昭和の日本画家・上村松園(1875-1949)もその1人である。彼女は幼女のころから天才的才能を発揮し、子どものころから絵の先生に就き、京都画壇の最高峰・竹内栖鳳らを師として大成長。昭和23年、女性初の文化勲章を受けた。代表作の「序の舞」は切手に図案化されたほどである。
 その松園にも若き日の悩みと苦しみがあった。どの先生の子を宿したのか、遂に明らかにすることなく他界したが、その子は彼女の母が引きとって育てた。後の上村松篁がこの人であり、現在活躍中の淳之は松篁の子である。つまりは松園の孫である。【押谷盛利】

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2010年08月03日

恩知らずの子ども達(見聞録)

 先月、東京都内の111歳の高齢者が、自宅ベッドで白骨化して発見された。
 80歳代の長女夫婦と、40、50歳代の孫2人が一緒に暮らしていた。男性は約30年前に死亡していたが、家族は役所に届けることなく遺体を放置し、役所の訪問に対しては岐阜にいるなどと嘘を付いていた。おまけに家族が年金を受け取っていたというから、詐欺の疑いは免れ得ない。
 そして、今度は同じく都内に住んでいるはずの113歳の女性が、住所登録地に住んでおらず、行方不明となっている。娘は「20年以上会っていない」と話しているという。
 111歳と113歳はそれぞれ都内の男性、女性の最高齢者だった。
 これらは家族に問題がある特殊な事例と言えるだろうが、他にも同様の例があるのでは、と疑うのが一般的感覚だろう
◇100歳以上の高齢者は国内に約4万人いるが、これは、厚生労働省が「敬老の日」に合わせて、地方自治体の集計をまとめたもの。自治体は住民基本台帳のデータで高齢者数を数えるだけで、安否確認をしているわけではない。
 亡くなっても家族が届けなかったり、人知れず亡くなっていたり、行方不明になっている可能性もなきにしもあらず。
 長浜市では6月30日現在で、100歳以上の高齢者が40人いる。
 敬老の日の前後には米寿の88歳、白寿の99歳と、100歳以上の高齢者に、地域の民生委員が長寿のお祝いを渡し、病気や入院などで会えない場合は家族に状況をうかがっている。東京のように亡くなっていたり、行方不明になっているケースはないという。
 市高齢福祉介護課は「100歳以上になると、地域でお祝いがあるし、近所付き合いもあるので、何年も顔を見ないというケースはありえないのでは」と、東京での事件を特殊な事例とみる。
◇しかし、親の年金で生活していた子どもが、親の死亡を隠して受給する詐欺事件は各地で発生している。民生委員が安否確認のため訪問しても、家族が「生きている」と言えば、それ以上、踏み込みようもない。
 東京の事件は、区が警察に相談したことで判明したが、自分を産み育ててくれた親を弔いも供養もせずに放置する恩知らずの子ども達に、行政も警察も大迷惑な話だ。

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2010年08月02日

丁稚小僧と古里の輝き

 子どもは風の子という。ぼくの鼻垂れっ子の昭和1ケタのころを思い出すと、あれだけ遊び呆けて、よくも勉強ができたものと半ばあきれ返るが、子どもの記憶力はそれほど秀れているのかもしれない。
 冬は雪遊び、夏は水遊び、春と秋は山遊び。考えてみれば、家で勉強できる環境ではなかった。子ども部屋があるわけでなく、学用品が揃っていることもなく、座卓も机も紙も帳面も、もちろん参考書や辞書もなかった。
 どの家も生活に追われて、子どもの教育のために本や机を買うことはなかった。学校へ行くことのできるのが最高の幸せで、勉強は学校でするもの、家へ帰れば妹や弟の子守り、家の手伝い、親が仕事で家を空けている場合は、留守番をかねて風呂の水を谷川から汲んだり、近所の子どもと遊ぶのが平均で、家の中で読書したり、学習する子は皆無だった。
 農繁期になると、どこの家も猫の手も借りたいほど忙しい。子どもが「学校へ行かねば」というと、頭からどなられた。「学校なんか、どうでもよい。今日は田植えだから、苗運びや弁当運びなど手伝うんや」。
 ぼくの幼いころは姉が背負って学校へ通った。クラスの友人に抱かれたりしたというが、記憶はない。子守りしながらの勉強だから成果の上がることは無い。
 母は母で、6歳か7歳のころから金持ちの家の子守りにやらされて学校へは行かなかったという。それでも独学で、ひらがなだけは読み書きした。
 ぼくは小学校高等科(2年)まで行くことができたからまだ恵まれた方で、友人の多くは6年生で卒業するや男は都会の商店や企業などに小僧として就職した。いまは使わなくなったが「丁稚」といった。
 「でっち」は「弟子」の音変化というが、商家や職人の親方に奉職して将来の「暖簾分け」や職人としての独立を夢みた制度である。
 先方は一人前に育ててやるからと恩きせがましく、ほんの小遣い程度のカネで雇った。それでも親は外へ出て働いてくれれば食費や衣料費だけでも大助かり。その上、10年ほどの年季を終えて独立できれば最高の親孝行というもの。
 たいていの丁稚は20歳の徴兵検査まで働いて、それから軍隊で2年間。除隊してから番頭として再就職するもの、職人として新規に開業するもの、人それぞれだが、結局自分の村へ帰って家の跡を取って妻帯するもの、都会の工場へ二転三転するもの。
 いずれにしても昭和1ケタ世代は貧乏と戦争に翻弄された。ただ、その苦難の少年時、青年時を経て、心と体はたくましくなった。どんな辛さにも耐え、くじけることはなかった。友情を大切にし、家や親を忘れることはなかった。古里がある限り、心に太陽は輝いた。【押谷盛利】

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