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尋常という素敵な言葉

 このごろはあまり、口にしなくなったが尋常という言葉がある。普通という意味である。特別でないこと、あたりまえのこと。そのほか、見苦しくないこと、いさぎよいこと、すなおなこと、りっぱなことの意味もある。
 とても含みのあるいい言葉で、昭和の初期は小学校のことを尋常小学校といった。正しくは尋常高等小学校といい、尋常科が6年制で義務化、その延長線上に高等科があり、希望者だけが進学するコースだった。
 これが戦争中の昭和16年(1941)に国民学校と名を変えた。国民総動員という戦争政策に合わせたもので、せっかくの尋常というよい名を変えてから世の中、あやしくなってきた。
 尋常小学校は明治19年(1886)に設置され、初めは4年制、同40年から6年制となった。
 いま、尋常が懐かしく思い出されるのは、今の世があまりにも尋常でなさすぎるからである。
 赤ちゃんや幼児を虐待して殺す親の話などは聞くことはなかった。手紙を郵便ポストに入れるように赤ちゃんをそっと人の知らぬまに箱の中に捨ててゆく親があり、その捨て箱を用意する役所があったり、義務教育でない高等学校の生徒に金持ちの子も貧乏人の子も一緒ぐるみで国から学費を出す制度など、どう考えても尋常ではない。
 考えれば考えるほど今の日本は尋常ではないことばかり。
 することが尋常でないから、これは狂っているとしか言いようがないが、一流の文化国家、経済国家と自負しながら、狂っているというのは恥ずかしさを通り越して明日の自分はまともでいられるだろうかと不安になる。
 例えば「振り込めサギ」など尋常のアタマでは考えられないことだ。こんな悪いサギ行為は顔の見えない電話や顔の見えない銀行の預金の出し入れを逆手にとって人さまのカネをぼったくるわけだが、やられる被害者も尋常ではない。「わしや」「おれや」と言われて、ほんまの息子や孫と思っていそいそと銀行の指定口座へ振り込む。カネの値打ちがないのか、カネがだぶっているのか、それとも息子の声か孫の声かの判断までができにくくなってしまったのか。
 もし、耳がおかしくなっているのなら、テレビの見過ぎで、音感が狂ったのかもしれない。有名大学の学生やら防衛大学の学生らが強姦や、その未遂で逮捕されたり、学校の先生が女生徒へのわいせつ行為で問題を起こしたり、やっぱりここは明治、大正にさかのぼって原点の尋常小学校に戻した方がよいのかもしれん。【押谷盛利】

2010年03月05日 16:41 |


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