真央の涙と民主党政治
バンクーバーの冬季オリンピックは終わった。振るわなかった日本勢だったが、そのなかで、唯ひとり、世界を興奮のルツボに酔わせたフィギュアの浅田真央が光る。
真央はトリプルアクセルの女王としての貫禄を見せたが、惜しくも韓国のヨナに金メダルを奪われた。
銀メダルを手にした真央は「くやしい」と本音をもらすとともに涙を流した。勝負の世界だからその口惜しさは分かる。くやしいのは真央だけではなく、テレビに釘づけされていた国民のみんなの気持ちであった。低調な日本勢にあって世界の関心を集めた真央の華麗な活躍は見事というよりほかはない。
真央の涙が4年後の五輪でどんな花を咲かせるのか。それを楽しみに彼女以下日本の全選手のさらなる前進を期待しよう。
ところで、真央はなぜ金にこだわるのか。民主党が自民党に代わって政権を担ったとき、各省庁から上がった予算のうちムダをはぶくための事業の仕分けをしたのは先ごろのことである。
その仕分け作業の公開の場で、民主党の女性議員が文化、学究、技術関係の事業費のカットを主張したことが報じられた。そのなかで学力、技術関係の国際競争力が問われ、資源のない日本の生きる道は頭脳による技術力の輸出や新商品の開発に世界のトップレベルをねらわねばならぬとする学界からの説明に対し、「なぜ1番でなければならぬのか。2番ではいけないんですか」の彼女の発言が話題になった。
この女性議員の同じ思考が戦後の日本の教育界をわざわいした。それは格差反対、平等という大衆おもねり思想ともいうべきもので、たとえば運動会に1、2、3位の入賞制度を廃止したり、通知簿の10段階、5段階制評価をなくする方向を打ち出した。
これは日教組なる教員組合の悪平等主義の所産であるが、その結果、日本の中学、高校の学術レベルが世界から遅れたことが問題になり、その延長線の「ゆとり教育」の見直しにつながってゆく。
1番でもなくてもいい、5番でも10番でもという考え方は、のっけからトップを走る気概を喪失させるもので、自由社会、競争社会の脱落組の応援団というべきである。
同じ理屈はオリンピックにもいえる。なぜ金メダルなのか。金が最高峰であり、絶対唯一の頂上をただ1人極めることこそスポーツの世界の夢であり、永遠の美である。それを逃したことへの悲しみと自分自身への怒りが真央の涙となり、くやしいの声になった。
涙でいえば、いまの民主党の政策は涙ぬきの全体主義的傾向があり、しっかりと見極めねば日本を世界の2等国、3等国に落とす恐れがある。
その一つが農業政策である。農家がもうからなかったら、その分を国がカバーしようというのは惰民政策で、1番2番を目指すがんばり農業を亡ぼすことになる。【押谷盛利】
2010年03月01日 15:08 | パーマリンク
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