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米寿と米食った犬の話

 晩学のたとえに「70の手習い」という。
 手習いは習字を学ぶことだが、別に習字に限定する必要はない。音楽、陶芸、俳句、囲碁、その他なんでもよい。生涯学習などといって、死ぬまで学ぶことは成果そのものよりもその行動が身心の健康に役立つところに意義がある。
 人間、齢は取りたくないが十人が十人、正月ごとに齢をもらい、若返ることはない。
 「八十の三つ子」といわれるように、年をとると子どものように無邪気になったり、聞き分けがなくなったり、ちょろちょろ歩き回る。元気よく話していたかと思うと眠りこける。
 人は88歳を米寿といって祝うが、米という字を分析すれば八十八である。
 齢をとったら口だけが達者になるというが、これは話すことと、食べることの両方にかかっている。逆にいえば、しゃべらなくなり、食が細ると先が短い。
 年寄りの頼みは杖である。大事な父親に死別して子が泣き悲しむのは杖とも柱とも頼りにしていたお父さんだったからで、悲しいかな人間は親が生きている間は甘えて粗末にしがちである。
 最近は老人が増えたせいか、老人車をよく見る。乳母車のように押してゆく人もあれば。自動三輪車で乗ったまますいすい道を走るのもある。
 老人車はカッコ悪いからと杖に頼る人もあるが杖をついてもいいから歩くことが大事なのだ。
 カッコを気にして歩くことを忘れるとそのうち足が弱くなって歩けなくなる。足が弱ると腰にくる。なにをするにも動く気が起こらず、腰が重くなる。ひどくなると腰が砕けたり、抜けたり、立てなくなる。高齢化社会は長寿する社会だからめでたいはずだが、必ずしもそうとはいえない。「早く参らしてほしい」と口先だけは殊勝なことをいうが、実際は一日でも長く生きたいのが本性である。
 長生きしながらなぜ病む人が多くなったのか。日本の台所、国家財政の悩みの一つは医療費の増高である。
 この傾向はいよいよ強くなり、医者もクスリも需要は増すばかり。そして老後の患者のための福祉施設とその介護人の予算も国家財政に響いてくる。このまま進めば介護する人、される人、悲しいことだが心の砂漠化が心配になる。
 なぜ、病人の多い、いびつな世の中になったのか。物が豊かになって心が貧しくなったからである。心の貧しさが健康にはね返ってくることを知らぬ世の中が問題である。一粒のご飯でも大切にする心。自然の恵みに合掌して頂く心が消え失せた。
 米のついでに言えば昔の颯棘に「飯食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる」がある。
 大きな悪事をはたらいた者が罪をのがれ、小さな悪事をした者が罰を受けることのたとえである。
 首謀者が助かって、かかわりあった者が罰せられることを指している。これを読んで小沢さんを頭に浮かべた人の脳は健康である。【押谷盛利】

2010年02月12日 14:33 |


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