滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2010年02月26日

不幸のきわみと国民

 作家の山本一力さんが鳩山総理の親不孝を論難して、国民の目線などという資格はない、と書いていることは、さきに述べたが、国民のおさまらないのは12億円もの巨額の金を母親からもらっていながら「知らぬ、知らぬ」を押し通している厚顔無礼ぶりである。
 これがもし、一般の国民ならたちまち脱税で逮捕され、その実態は泥沼の如く何が出てくるやら知れない。政治家には個人献金があるが、死んで不在の人や実在しない人の名をかたって届けを出していることはすでに経理担当者の起訴で明らかになったが、それもこれも「知らぬ、存ぜぬ」で、時間を稼ぎ、結局はウヤムヤのうちに国民の目線を外そうとする段である。
 小沢幹事長のカネと不動産の問題もそうだが、知らぬ半兵衛をつらぬき通すことが国民の心の中に消え去ることのない不信感を植えつけた。まとも常識では到底考えられないことだから、国民は怒りを胸にしまいこんでいつまでものろい続けるであろう。
 一国の宰相や宰相以上に実力を持つ与党の幹事長が小学校の子どもにも恥ずかしいウソ八百を天下さんの力で押し切るというのだから、その罪は深い。政治の信用を落とした点では単なる親不孝のそしりではすまされまい。
 ついでながら親不孝について書く。孝は親を大切にすること、親に心配をかけぬこと、であり、その反対が不孝である。「孝は百善の本」という教えがある。孝行はすべての善行の基本であり、徳行の始まりという中国の古典に由来する。
 養老の滝がいまも人気があり、観光客が絶えないのは孝行息子の褒美に神さまが滝の水を酒にかえたという伝説による。それほど親孝行は人の心を感動させる。
 いつのころからどうなったのか、敗戦後の日本は道徳教育をなくして、孝行という徳目などを吹き飛ばしてしまった。【押谷盛利】

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2010年02月25日

ギリシャの財政再建(見聞録)

 日本は800兆円を超える財政赤字を抱え、台所事情は火の車だが、遠くヨーロッパのギリシャでは財政悪化を引き金に、公務員がストを起こし、マヒ状態となっている。
 財政再建計画を打ち出したが、公務員の社会保障費の削減や増税を盛り込んだ内容のため、公務員が反発。24日には、計画に反対する公務員が一斉にストを起こし、推計で250万人が参加したという。電車、バス、飛行機などの交通機関をはじめ、銀行やテレビも業務を停止した。首都のアテネではデモ隊が警官隊に投石するなど暴徒化したと伝えられる。
 アテネ国際空港は終日、全面閉鎖となり、観光業に大打撃となっている。
◇ギリシャでは、基幹産業の海運、観光の不振に加え、公務員への手厚い社会保障、そして、脱税が横行しているという。
 同国ではこれまでも財政赤字が続いていたのだが、他のEU加盟国に比べて突出したものではなかった。しかし、昨年12月、政府が赤字額を過少計上していたことが発覚し、EU内最悪の実態が表面化。
 他のEU加盟国から早急な財政再建を迫られ、政府が思い切った改革を打ち出した訳だ。
 再建には、税収アップと歳出削減が不可欠なのだが、公務員は歳出削減で給料やボーナスが減らされると猛反発し、今回の全国的ストに発展した。
◇ちなみに、ギリシャの債務残高はGDPの135%にのぼる。
 一方、日本の場合は、昨秋、財務省が発表した資料によると、189・5%という数値で、ギリシャよりも悪い。
 アメリカ87・4%、イギリス75・3%、フランス86・4%、ドイツ78・2%と比べても、日本が突出していることがうかがえる。
 ギリシャはストを呼び込む程の過激な財政再建計画を打ち出したが、日本の民主党政府はいつになったら再建に取り組むのか。
 公務員の削減、天下りの禁止、無駄な公共投資の廃止、バラマキのストップなど、取り組むべきことは無数にある。
 少なくとも、今年からリッター6㌔のアメリカ車に導入した「エコカー補助金」などは、税金の無駄遣い以外の何ものでもない。

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2010年02月24日

拍手でたたえたいこと

 「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」。
 石川啄木のこの歌を噛みしめよ、とばかり、鳩山総理を親不孝者め、と論難している作家がいる。
 1月31日付、天理時報に掲載の山本一力氏の「不幸のきわみ」の一文である。
 同氏は「昨年に始まった不幸の行状が、梅花の今になっても一向にあらたまぬ」と、憤慨している。その不幸者はだれか。鳩山首相である、と断言した切り口が鮮やかである。
 首相は母親から途方もない額の資金援助を受けながら「天地神明に誓って、それを知らなかった」と繰り返す。
 「その口調は、あたかも援助した母の振る舞いを責めるがごとくである」として、ただの一語も「こんな歳になりながら、老いたる母にいまだ苦労をかけました」の感謝の言葉が聞こえてこない、と、これは山本氏の筆鋒である。
 そして、最後に「たわむれに母を背負わず、軽きに泣くこともない御仁には、国民の目線などと言う資格は断じてないと心得よ」と結んでいる。
 民主党をのろう政治とカネの疑惑は長崎知事選と東京の町田市長選を直撃した。いずれも民主党の推薦候補が破れ、自民、公明両党の支援した候補が当選した。しかも接戦ではなく大差をつけて。
 中国と違い、日本は自由で民主主義の国である。マスコミは国民の目線から政治を厳しく見つめており、政府と党の絶対権力に筆をゆがめることをしない。
 3月6日付の「週刊現代」は「やがて哀しき政権」の特集号である。その内容の総トータルは「もう小沢はいらない」。各論では政治評論家の岩見隆夫氏と山内昌之東大教授の対談が興味を呼ぶ。
 「あまりに幼稚な鳩山総理、そして小沢一郎という毒について」。さらに国民に関心をそそるのは「前原首相―枝野官房長官、組閣リストも作ったのに」「反小沢の七奉行さま、3月決起も腰砕けですか」。
 その広告文の最後が光っている。
 「親から大金をもらったり、国民のカネを自分のカネとごっちゃにしたり、それを黙って見てたり、人としてイカれてませんか」「汚れちまった政権交代に、なすところもなく日本は暮れる。これでいいの、民主党諸君」。
 再び、鳩山総理の親不孝に戻る。
 「週刊ポスト」3月5日付の記事。
 「国民を滅ぼす気か」「鳩山脱税王兄弟に納税者が叛乱」「確定申告に異変あり、もうマジメに税金なんて払わない、の大合唱が始まった」。
 ウソは世につきものだが、笑ってすませるウソと絶対に許されないウソがある。鳩山、小沢のウソは許さない、と怒った国民の声が長崎県知事選、町田市長選であり、国民の良識を拍手でたたえたい。【押谷盛利】

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2010年02月23日

生態系サービス(見聞録)

 我々、人間は、日々の生活の中で地球上の自然界からあらゆる恩恵を受けている。
 例えば、植物は光合成で酸素を生み出し、我々が工場や家庭から排出する空気を浄化してくれる。
 山々の森林と土壌は雨や雪解け水を蓄え、地下水や小川として、澄んだ水を提供してくれる。植物や動物は我々の食糧として各種栄養分を提供してくれる。
 人間は地球の自然によって「生かされている」のだが、それに気付かず、貪り、今の発展を欲しいままにしてきた。
◇科学の世界では、自然界の恩恵を「生態系サービス」という聞き慣れない言葉で表現している。
 自然界が無償で我々に提供してくれる数々のサービスを指し、金額に直すと世界で100兆円とも500兆円にもなるという
 しかし、今、これらの生態系サービスが縮小しつつある。森林の吸収量を超える温室効果ガスの排出による地球温暖化、乱獲や環境破壊による種の激減などがそうであり、山の木々を伐採しすぎたために起こる土砂災害もサービス低下と言えよう。
 先日、臨湖で開かれた長浜ロータリークラブ主催のフォーラムでは、講師の菊池玲奈さんが「地球環境が人間の経済活動に耐えられなくなっている」と訴え、生態系を破壊した地球上で人間だけが幸せに暮らせるのか、と疑問を投げかけた。
◇10月に名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議が開かれる。略して「COP10」と呼ぶ。これからの、人類の経済活動のあり方を、生物多様性の側面から見直す会議だ。
 「生態系サービス」「生物多様性」「COP10」と―難しい言葉が並ぶが、要は自然を大切にしましょう、との考えに行き着く。これは、我々日本人が古来から抱いてきた信仰心に通じるのではないだろうか。
 緑豊かで、四季に富んだ大自然に囲まれた日本は、自然界の森羅万象を神々の「業」とし、崇拝してきた。山々や木々、岩、水、風に神を感じ、敬い、自然の恵みを神の息吹として、感謝の念を捧げてきた。それは八百万の神の信仰に通じる。
 COP10が、自然界の恩恵を再認識する機会となり、我々日本人も自然崇拝の心を取り戻すきっかけとなれば。

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2010年02月22日

あえて警鐘を打つの弁

 友人が「もの忘れして困る。このまま痴呆になってゆくのだろうか」と心配そうにいう。「そんなことはない。年をとると、みんなもの忘れがひどくなるよ」と答えるぼく。
 「耳が遠くなって困ってしまう」という愚痴を聞くが、ぼくは「ろくでもないことは聞かんでよろしい、という神さまのお計らいだから」と慰めることにしている。
 歯が抜けてものが食べにくくなったり、さっさと歩けなくなったり、言葉がすらすら出なくなったり、服の着脱に時間がかかったり、こういう現象は老齢化による自然現象だから悲観することはない。人間はすべて、百人が百人老齢化し、そして、この世から消えてゆく。いわば、この世とのお別れのセレモニーで、いやが応でもこの「衰え」の儀式を通過しなければ自然死は迎えられない。いわば大往生の通過儀礼である。
 平均寿命が伸びたのはめでたいことではあるが、宇宙の神の法則から言えば神意にもとるともいえる。
 なぜなれば、医療技術などと称して、無理無体に生命を生かす術が一般化してきたからである。宇宙規模でものを考えるならば、天の神さまは、人間のみならず生きとし生けるもの、すべての生物にそれぞれの役割を分担させ、それぞれにふさわしい寿命を与えている。それによって気候、環境、生活圏、食糧、資源など地球上の生物のバランスが保たれている。
 そのバランスは神意であるが、近代科学の振興が神の神意であるバランスを崩してしまった。
 人口の爆発的増加と科学技術は資源を食いつぶし、地球を汚し、国家間の争いを助長する。人間は老化して消えてゆくが、他の生物に比べれば、その生存期間は長い。
 犬や猫はたかだか20年だが、虫は1年で消えてゆくものもある。長寿するのが幸せなのではなく、価値ある生き方をし、美しく老いて、美しくおさらばするのが幸せなのであり、それがみんなの願いである。
 だから、ものが食べられなくなったり、呼吸がしにくくなれば、お迎えの信号と思って、いさぎよく応じる心が大切なのに、あらゆる医薬の粋を駆使して、尽きたる命を引き伸ばすのは神意に反するといわねばならぬ。
 そうしないと医療産業がもたないとか、製薬会社が赤字になる、などというのは本末転倒で、人間の尊厳を冒涜する行為である。
 ここで政治論をするのは野暮だが、これからの日本の財政の最大の心配点は医療費と高齢者福祉、年金である。
 年寄りに気がねして高齢化社会による危機を政治家も評論家も言わないが、国民個々の家庭には不幸がしのびよっているし、何よりも高齢者自身がみじめで不幸な最期をおくる。あえて警鐘を打っておく。【押谷盛利】

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2010年02月20日

ラリックの成田美術館(見聞録)

 フランスのガラス作家ルネ・ラリックは1860年にフランスのシャンパーニュ地方に生まれ、装飾美術学校を経て、26歳で宝飾作家として独立。その独創的な作風は一世を風靡した。
 1908年、香水商フランソワ・コティーとの出会いが、転機となる。コティーから香水瓶のデザインを依頼されたラリックは、ガラス工場で製品の量産に乗り出す。ラリックのデザインが吹き込まれた香水瓶は、瞬く間に当時のパリのセレブたちを魅了したという。
 これを機に、ラリックはガラス工芸作家に転身。動植物や女性像などをモチーフにしたデザインと、光の当たり方で色合いが微妙に変化するオパルセントグラスを好んで用いた。
◇長浜市朝日町、北国街道に面する成田美術館は、ラリックに魅了された成田光子館長が収集したコレクションを収蔵。定期的に展示を入れ替え、その魅力を発信している。
 昨年、東京・六本木の国立新美術館で開かれたラリック展では、パリのオルセー美術館、リスボンのグルベンキアン美術館などの世界有数の美術館と並んで、成田美術館からも約20点のコレクションが出品された。
 成田美術館はラリックの世界で知られた存在で、全国からファンが訪れている。これほどの美術館が長浜の地にあることを誇りに思うと同時に、読者には是非とも一度は訪れてもらいたい。
 現在、生誕150年を記念し、ラリックの象徴的な作品を展示している。パリのセレブたちを夢中にさせた、うっとりするような輝きに、きっと魅了されるはず。

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2010年02月19日

みんなの党、政界第3極

 期待した民主党にはがっかりしたが、そうかといって自民党に再生の希望も期待もかけられぬ。両党に不満を持つ人々の良識が結集して政界の再編成をすべきではないか。そういう声がちまたに溢れ始めた。
 ぼくもその説に賛成である。実はその芽は昨年8月の衆議院選に現れた。麻生内閣にいや気がさして、この党に国民の期待を委ねるのはナンセンスとばかり、たった一人で自民党を出た渡辺喜美氏のことである。
 彼は「みんなの党」を組織して徒手空拳とも思われる総選挙を戦ったが、国民から拍手をもって迎えられた。
 全国の総得票数では社民党と同じくらいの支持を受け、現在、衆参合わせて6人の国会議員を抱えるようになった。昨年12月には無所属からエイズ闘争で知られる川田龍平さんが加わった。
 いま選挙をすれば国民の期待は雪崩現象となって、みんなの党に新風が吹くであろう。それはかつての新自由クラブ(河野洋平)や日本新党(細川護煕)の比ではない。
 渡辺氏は小泉内閣、安倍内閣で閣僚となったが、公務員改革と天下り禁止で正論を吐き続け、政治史に残る汗をかいた。
 しかし、彼の一途な改革の熱意は当時の与党・自民党の古い体質に拒まれ、その政策はずたずたに引き裂かれた。
 改革がいかに難しいものか。官僚と政治家の癒着による旧体制の革新は言うは易し行い難しを痛感した彼は国民の声によって所信を貫くことこそ政治家の使命であると大胆に離党した。
 公務員改革と天下り禁止は目下、民主党の手に任されているが、民主党もまた口先だけは念仏のように唱えるが、実質的には自民党と同じで、こけおどしから一歩も出ない。
 公務員のなかのすぐれたエリートは官僚だが、同じ公務員でも別格の権威と力を持つのが組合の役員である。労働組合が社会党を支配し、その社会党が自民党となれあって日本の政治をゆがめたのが俗にいう55年体制であった。
 そのころ、労働組合で政治を動かす最大の力を持っていたのが「総評」である。正式には「日本労働組合総評議会」だが、略して「総評」と呼称した。
 あまりにもその勢いと、横暴が強すぎるので政界や国民のなかから「昔陸軍、今総評」なる言葉が登場した。したい放題の陸軍、したい放題の総評をのろう言葉と考えた方がよい。
 いまは「全労」といっているが、総評なみの力を持ち、小沢民主党幹事長は選挙前は必ず各都道府県を回り、その地の全労幹部と懇親を深めた。だれよりも全労の力の強さを知っているからである。
 その全労は国家公務員を中心とする日本最大の労組組織である。したがって、天下り禁止や公務員改革は彼らの利害に関わるわけで、自民党が官僚と癒着したように民主党は組合と癒着する。だから改革など出来っこない。
 国家と国民のことを考える真の良識政治家は、人知れず、このことを憂慮しているにちがいない。
 そこに渡辺氏のいう政界第3極の夢がある。参議院選を通じ世論は必ずそういう方向へ流れてゆく。それはぼくの予感でもあり、確信的予感である。【押谷盛利】

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2010年02月18日

市長・市議のブログ(見聞録)

 インターネットが日常生活に不可欠な情報収集・発信の手段として定着し、多くの利用者が「ブログ」と呼ばれるネット上の日記を綴っている。
 政治家も、自身の政策や日々の活動を有権者に伝えるため、ブログを開設。個人によってそのテイストは様々で面白い。
 例えば、民主党の田島一成環境副大臣は国会や地元での活動を主に写真で紹介している。
 県議の川島隆二氏は「川島隆二走ってます」のタイトルで、県議会の様子や日々の出来事を綴っている。
 市議の脇阪宏一氏は愛国心溢れる「君が代」というタイトル。教育問題やバレーボールの話題のほか、政権交代後は民主党政権への批判が目立っている。
◇先日の市長選で争った藤井勇治氏と川島信也氏もそれぞれ、ネットを活用している。
 藤井氏は写真を中心にした活動報告で、これは衆院議員時代から続いているもの。
 川島氏は昨年12月からブログ「長浜市長の雑談」(現在は「前長浜~」)をスタートさせた。日常の公務で感じたことや、市長選に向けた準備などを文章のみで伝えている。その気さくな言葉が同氏の人柄を代弁している。
 選挙後は「予想外の敗北でした」とし、「今後は一市民として長浜のためにがんばりたい」と綴っている。また、「市長と市長の間の浪人中はよく外国旅行にでかけました」と振り返り、「長浜には名所旧跡がいっぱいあります。訪れたいところは多々あります。新しい出会いも期待したいです」と続けている。今後も楽しみなブログだ。
◇このほか、興味深いのは市議の押谷友之氏の「風のささやき」。1市6町合併協議が大詰めを迎えていた1年前には、協議の行方を克明に綴り、関係者の注目を集めた。
 今週からは「市政交代劇」と題した連載が始まった。藤井氏の選挙応援に走り回った同氏の目線で描いたドキュメンタリー。きょう18日正午現在で、第3話まで掲載されているので、興味のある方はどうぞ。

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2010年02月17日

国民の怒りは広く深く

 古い自民党から新しい民主党にチェンジして日本の政治をよくしようと国民の選んだ政権交代。ところがどっこい、国民の多くは、古い自民党の蒸し返しではないか。いや、それにも勝る国民の不信と不安は、民主党の反民主主義的体質ではなかろうか。
 国家権力にとって一番の大事は国の独立と安全、国民の人権であるが、いまの民主党は小沢幹事長が政府も党も実質的に支配し、その言いなりになっており、外交や防衛は反米、親中路線に針路が回転しつつある。中国や韓国に対しては何一つ言うべきことも言わず、国民の目から観ればまさに土下座外交そのものである。
 小沢幹事長の如きは中国の最高権力者と会談するのに600人の訪中団を組織し、そのうち143人の民主党議員をいちいち先方のえらいさんと握手させて選挙戦の堆肥づくりに終始した。
 日本の領海を侵して測量した潜水艦のことや、日本の領事館を破損した暴力問題、毒ギョーザ事件、東シナ海のトラブルになっている海底のガス田開発など、日本の国益防衛について何らの発言もせず、許しがたいのは、「これから日本の解放にがんばります」と先方に約束している腰抜けと反国民性である。
 小沢氏の日本解放とは何を指すのか。日本人は奴隷のような生活を強いられているのか。日本には自由がないのか。解放は共産国のいう破壊と侵略である。いまでも北朝鮮は韓国を解放するといきまき、中国は常に台湾の解放を叫ぶ。
 沖縄基地の普天間問題でも日米の合意事項を破棄して迷路に入り、アメリカの対日感情を悪化させた。日米防衛同盟の薄くなることこそ中国のねらいであり、民主党は中国の喜ぶ外交で、ひたむきに親中路線を歩もうとしているが、それはそのまま日本の共産化への露払い役となるのであろうか。また、小沢氏は外国人に参政権を与えることを韓国の大統領に約束した。
 いま民主党の最大の危険は、この党が自浄能力をなくし、国民の怒りや不信に答えようとせずに、小沢幹事長や鳩山首相のカネと政治の疑惑に沈黙していることである。議論好きの民主党の元気のいい姿は消えて、一党独裁の中国や北朝鮮のように指導者の号令で一枚岩のような組織になっている。
 12億円もの想像も出来ぬ金を母親にもらいながら知らなかった、という首相は、もしばれなかったら贈与税を払わずにすんだことになる。
 不動産屋になったのかといわれる小沢幹事長は元秘書ら3人が起訴されても道義的、政治的責任にほおかぶりしているが、その実態の不明朗、ゼネコンをめぐる巨額献金の経緯など国民に納得のゆく説明ができず、限りなく黒に近い灰色というべきである。
 国民の怒りは広く深く浸透してゆくばかりである。

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2010年02月16日

長浜市長選を終え(見聞録)

 14日の長浜市長選は、予想外にも1万1000票の大差がついた。投票率が60%を切る選挙ならば、もっと接戦になるのでは、というのが大方の予想だった。
 4選を目指した現職の川島氏が驚くほど票を取れなかった。川島氏は「湖北は一つ」と語り、湖北地域の大同合併を推進してきた。今般の1市6町合併でも、旧6町長の要請に応じて合併協議を進めた。そして、市長選では旧6町長、町議の応援を受けた。しかし、ふたをあければ、旧6町で藤井氏に7000票もの差をつけられていた。
 これは、何を意味するのだろうか。合併を進めた川島氏への反発か、知名度の低さか。それとも73歳という高齢が問題だったのか。
◇川島氏惨敗の一因を推測する材料として、湖北町地区の得票を取り上げたい。
 湖北町地区では藤井氏の3435票に対し、川島氏は1210票と、3分の1しか得票できていない。また、同地区の市議増員選挙では共産党の杉本敏隆氏が対立候補に1000票以上の差をつけて圧勝した。
 杉本氏は一貫して合併反対を訴え続け、1市6町合併後は住民不満の受け皿となって、市に改善要望を訴えていた。
 杉本氏の合併に対する姿勢が民意を呼び込んだとすれば、今般の川島氏の惨敗は、合併への反発や不安に一因ありと、分析できよう。
◇合併は規模のメリットを生かした自治体運営のスリム化、効率化が目的。要は自治体のリストラ。だが、自治体運営のスリム化は、従来の市民サービスに鉈を振るうことにもなり、住民の不満や不安を招きがち。
 選挙中、藤井氏は財政再建について、「税金の無駄遣いを総点検し、市民にも我慢してもらわなければならない」と訴えていた。
 合併効果を実現するためにも、藤井氏には無駄な、不要不急の事業に大鉈をふるってもらい、そして、いつまでも借金を繰り返して子や孫にツケをまわすことがないよう、我々、市民は無いものねだりをやめて、ある程度の我慢をすべきだろう。
 景気低迷で税収が大幅に落ち込む今は、「あれもお願い、これもお願い」では財政が破綻してしまう。新しい長浜市の借金は1400億円。市と市民が協力し合い、次世代の負担を減らす努力が求められる。

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2010年02月15日

藤井さんが新市長に

 合併直後の新長浜市長選は14日行われたが、新人の元衆議院議員・藤井勇治氏(59)が現職の川島信也氏(73)を破り初当選した。
 両氏とも保守陣営に立脚していたが、バックアップの特徴は藤井氏には角川県議ほか知事与党の市議らが、川島氏には自民党の野田県議、次男の川島隆二県議のほか、自民党市議らが結集した。
 結果的には総投票数約5万5000票のうち藤井氏が約3分の2近い、3万3703票で、川島氏を1万1000票以上引き離しての圧勝だった。
 今回の市長選は市民の良識の勝利といえる。
 川島氏は当落を繰り返しながら4選を目指したが、市民の間には多選反対のムードが強かった。
 川島氏は合併実現の功績はあったが、市民の間には、新しい長浜には新しいリーダーをと願う気持ちが強かった。それは一つには川島氏の高年齢による身心への不安があった。
 新長浜市は合併によって大津に次ぐ大きな人口を抱え、市域は市部の中では突出して広く、琵琶湖の面積に匹敵するほどである。合併による新長浜市は、人間でいえば赤ちゃんのようなものである。
 その赤ちゃんを負んぶしながら、抱っこしながら育ててゆくのが親であり、気力、体力、働き盛りの親でなければ赤ちゃんは立派に育たない。そういう意味では、新しい長浜市に2人の候補のうちどちらを選択するかと問えば答えは明らかである。
 4選反対は年齢的なものだけではなく、やはり永年権力の座を占めれば、事業推進に当たってのマンネリ化や、予算執行上の業者との癒着、人事の情実、側近やとりまきによる行政上のゆがみも考えられる。
 75歳以上を後期高齢者と呼んでいるが、政治に役立つか、どうかはこの辺りが線引きの常識的ラインであることは、自民党も民主党も公明党も70歳を越えると国会議員選への公認をしないことを内規できめている。長浜市民はそういうことをも念頭に入れて正しい賢明な審判をした。
 それにしても天の神さまは人知の及ばざる、おつな配慮をなさる。
 投開票日の14日はおりしもバレンタインデーであった。藤井氏には女性の支持者が多かった。そしてそのバレンタイン当日、「市長当選」という大きなチョコレートをもらった。
 そして、その翌日のきょうは15日は朝から小雨が降り続いた。まさに川島さんへの涙雨だった。
 川島さん、ご苦労さんだった。無理をせずに体を大事にして余生を趣味や後輩の指導に、との神さまの慰めの声と受け取るべきである。【押谷盛利】

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2010年02月12日

米寿と米食った犬の話

 晩学のたとえに「70の手習い」という。
 手習いは習字を学ぶことだが、別に習字に限定する必要はない。音楽、陶芸、俳句、囲碁、その他なんでもよい。生涯学習などといって、死ぬまで学ぶことは成果そのものよりもその行動が身心の健康に役立つところに意義がある。
 人間、齢は取りたくないが十人が十人、正月ごとに齢をもらい、若返ることはない。
 「八十の三つ子」といわれるように、年をとると子どものように無邪気になったり、聞き分けがなくなったり、ちょろちょろ歩き回る。元気よく話していたかと思うと眠りこける。
 人は88歳を米寿といって祝うが、米という字を分析すれば八十八である。
 齢をとったら口だけが達者になるというが、これは話すことと、食べることの両方にかかっている。逆にいえば、しゃべらなくなり、食が細ると先が短い。
 年寄りの頼みは杖である。大事な父親に死別して子が泣き悲しむのは杖とも柱とも頼りにしていたお父さんだったからで、悲しいかな人間は親が生きている間は甘えて粗末にしがちである。
 最近は老人が増えたせいか、老人車をよく見る。乳母車のように押してゆく人もあれば。自動三輪車で乗ったまますいすい道を走るのもある。
 老人車はカッコ悪いからと杖に頼る人もあるが杖をついてもいいから歩くことが大事なのだ。
 カッコを気にして歩くことを忘れるとそのうち足が弱くなって歩けなくなる。足が弱ると腰にくる。なにをするにも動く気が起こらず、腰が重くなる。ひどくなると腰が砕けたり、抜けたり、立てなくなる。高齢化社会は長寿する社会だからめでたいはずだが、必ずしもそうとはいえない。「早く参らしてほしい」と口先だけは殊勝なことをいうが、実際は一日でも長く生きたいのが本性である。
 長生きしながらなぜ病む人が多くなったのか。日本の台所、国家財政の悩みの一つは医療費の増高である。
 この傾向はいよいよ強くなり、医者もクスリも需要は増すばかり。そして老後の患者のための福祉施設とその介護人の予算も国家財政に響いてくる。このまま進めば介護する人、される人、悲しいことだが心の砂漠化が心配になる。
 なぜ、病人の多い、いびつな世の中になったのか。物が豊かになって心が貧しくなったからである。心の貧しさが健康にはね返ってくることを知らぬ世の中が問題である。一粒のご飯でも大切にする心。自然の恵みに合掌して頂く心が消え失せた。
 米のついでに言えば昔の颯棘に「飯食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる」がある。
 大きな悪事をはたらいた者が罪をのがれ、小さな悪事をした者が罰を受けることのたとえである。
 首謀者が助かって、かかわりあった者が罰せられることを指している。これを読んで小沢さんを頭に浮かべた人の脳は健康である。【押谷盛利】

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2010年02月10日

心を拘束するという話

 拘束の拘の意味について考えたい。身体の自由を奪うのが拘束で、警察が容疑者を逮捕して調べるのが拘束の分かりやすい例である。
 それでは外からの力ではなく、自分で自分の行動を拘束する精神的作用は何というのだろうか。
 息子の大学合格を祈って願掛けする親があるかもしれない。その願掛けの一つに茶断ちがある。茶を飲みませんからパスさせて下さいと必死に祈る母親の気持ちはありがたい。
 戦争中、戦地へ召集された兵たちの家庭では、母親が毎朝、氏神へお百度参りしたとか、好きな食べ物を断って祈願したという話は珍しいことではない。
 これは、だれかに強制されたり、命令されたものではなく、わが子かわいさ、わが子の無事帰国を願う親心である。自分で自分の心に誓い、生活の上で一種の拘束をかけることだが、このほかに精神現象としてはだれもが持つ「こだわり」がある。こだわるは拘ると書く。抽象的な言葉で人それぞれに拘る対象がある。
 全くこだわらぬ人もあるかもしれないが、人は無くて7くせというから、目立つ目立たないかの違いかもしれない。
 事例をあげれば納得するだろうが、こだわるよりもこだわらない人の方が好かれるかもしれない。
 左党を例にとりあげれば日本酒かビールか、それとも洋酒か。こだわる人はビールでもキリン、アサヒなどと銘柄にやかましい。
 女性のなかには派手好みか、優越心なのか、ブランドにこだわる人がいる。それは毎日使う化粧品についてもいえる。
 ぼくの子どものころ、祖母はよく「月の7日は旅立ちするな」と戒めた。わけ分からず、7日に出発すればよくないことがあるのだろうと迷信のように思っていたが、別に逆らうこともしなかった。
 後になってよく考えると、人の死につながっていることが分かる。それはこじつけだが、人が死ぬと喪に服し、7日、7日に逮夜参りをする。死者が男の場合は49日、女は35日。最初の7日を初7日という。それを頭に「月の7日は旅立ちするな」。いわば7日を忌み日としたのであろう。
 迷信にもとづくこだわりの一例である。菜食主義もこだわりといえばこだわり。
 なにかを決めるとき、日が良いか、悪いか、暦を見なくては気のおさまらぬ人がいる。こだわるは心の世界だから、これの強い人は頑固ものといわれる。がんこなのは人間が正直ともいえるが、人づきあいにまるみがないことになる。
 がんこものは呆けやすいともいわれるが、礼儀作法や人の道にこだわる人は心に屈託がなく、常に天地を敬う気持ちが強く、宗教心の厚い人が多い。
 なにはともあれ、健康にこだわり、価値ある生き方にこだわって、幸せな生涯を送れれば最高であろう。【押谷盛利】

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2010年02月09日

次世代の「借金」育成?(見聞録)

 滋賀県の2010年度当初予算案が9日、発表された。
 景気低迷で税収が落ち込むにもかかわらず、必要な事業は数々あるようで、新たに982億円の借金をした。
 借金は「県債」と表現するが、県債残高は2010年度末には9998億円にのぼる見込み。
 県の発表した資料に目を通すと、県債残高は右肩上がり。一方で、県の貯金「基金」は右肩下がり。財政悪化が一目瞭然。
 県民たるもの、ある程度、県の財政がどのような状況にあるのかを知る必要があるので、簡単に紹介したい。
◇一般会計の総額は4946億円。この予算で1年間、福祉や教育、公共工事、職員の人件費などをまかなう。
 4946億円のうち、自前で調達できているのは2196億円で、わずか44%。残りは国から支給される「地方交付税」や「国庫支出金」に頼り、それでも足りないので「県債」で2割をまかなっている。
 一般家庭の家計で表現すれば、1年間の収入のうち、4割が給料で、3割が親(国)からの仕送り、2割が借金となっている。毎年、借金を続けるものだから、借金総額はふくらみ、1兆円まであと2億円に迫った。
 景気低迷で給料が減ったにもかかわらず、医療費(扶助費)やローンの返済(公債費)は増え続け、貯金はすずめの涙。
◇どうして、ここまで財政が悪化するのか。
 一般家庭なら収入に合わせた家計のやりくりを考えるが、自治体は福祉や教育など県民にとって必要不可欠な事業を数多く抱えるので、「支出ありき」で考える傾向にある。
 そして、収入と支出のバランスを精査せず、安易に借金を重ね、その結果、1兆円もの借金を抱えることになった。
 そんな予算編成をしてきた歴代知事、県幹部、チェック機能を担う県議の責任は重いが、県財政に無関心な県民にも責任なしとは言えない。
◇県は当初予算の基本方針を「県民の生命とくらしを守り、次世代を育成する」と銘打っている。
 なるほど、民主党政権が導入した「子ども手当」や「公立高校授業料無償化」は、「次世代の育成」のキャッチフレーズにぴったりだ。
 しかし、1兆円もの借金の返済に追われるのは、これからの若者。まして国は800兆円を超える借金を抱え、日々、次世代の「借金」を育成している。
 昨年の定額給付金、今度の子ども手当など、我々の納めた税金を何の知恵も無しにバラ撒くくらいなら、「減税するか、借金返済でもすれば」と思うのが一般的な感覚ではないか。
 我々、現役世代は、これ以上、子や孫にツケを回してはならない。

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2010年02月08日

事件記事と小沢不起訴

 こだわるは「拘る」と書く。拘泥の拘である。拘は、とらえる・かかわる・ひっかかる・こだわる、など幾つかの読み方がある。
 事件を起こして、被疑者が逮捕される場合、普通身柄を拘束するという。つかまえて行動の自由を制限するからである。専門用語で拘留というが、新しい容疑がなければ30日間までに釈放され、裁判所送りの起訴か逆の不起訴処分になる。
 起訴されるまでは被疑者だが、起訴されれば被告人となる。いつまでも釈放されぬ場合、弁護人や配偶者などが裁判所に対してその理由をただす「勾留理由の開示」を請求することができる。裁判所は公開の法廷で勾留の理由を告げ、関係者の意見を聞く。
 被疑者や被告人を逮捕したまま行動の自由を制限するのを勾留というが、これは法律用語で一般的には拘留と書くべきである。
 これに対して、裁判で懲役、禁固に処せられた者の身柄の拘束を拘禁という。同じ拘禁でも懲役と禁固の違いがあり、禁固は刑務所に入れられるだけで刑務作業の強制は受けない。たとえ起訴されても裁判の結果が出るまでは被告人。また逮捕されても、起訴されるまでは被疑者として人権上の考慮が要求される。
 新聞は事件を大きく報道する。事件といえば単純には、殺人、放火、強盗、強姦、横領、詐欺、それに政治家、役人にまつわる贈収賄その他、刑事事件が浮かぶ。
 小沢一郎民主党幹事長が起訴されるか、どうか。国民はかたずを飲んで注目したが、結局、最高検の腰砕けの形で軍配は小沢さんに上がった。しかし、多くの国民は「おかしい」と思っているし、野党は政治的、道義的責任を追及するだろう。評論家は黒に近いグレーだと言っている。
 起訴された元秘書や石川衆議院議員についてはこれから裁判手続きに入るが、その都度、新聞は大きく報道するに違いない。それだけ世論を動かす大事件なのである。
 3面記事は昔も今も花形だが、今は1面に重点を置き、事件記事といえども1面に併記し、詳細を社会面に譲る場合が多い。
 事件記事は社会面に報じられるが、これを3面記事といったのは明治時代の新聞は全紙4面だったため、事件はもっぱら中開きの3面に載ったからである。
 事件記事は、テレビに「事件記者」の番組があったように読者が最もよく読み、社会的関心が高い。
 一つは「のぞき趣味」にもよるが、多くは、安全、安心への国民の願いがそれに相反する犯罪への怒り告発の思いに通じるからである。【押谷盛利】

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2010年02月06日

タネと仕掛けと話術(見聞録)

 目の前で数々のマジックを披露してくれるバーが野洲にあるというので、先日、友人に連れられてちょっと覗いてきた。
 10人程が座れるカウンター席と、テーブル席が少々。店内にはバーテンダーを兼ねたマジシャンが4人程。カウンターに座ってお酒と料理を注文すれば、目の前で次々とマジックを披露してくれた。
 トランプのカードがいつの間にか未開封のペットボトルの中に移動したり、たばこが100円硬貨を貫通したり、手に握ったはずのトランプの束が消えたり―。
 マジシャンが入れ替わり立ち代わりで、テレビで見たことのあるマジックを目の前で繰り広げたが、タネも仕掛けもまったく分からず、その技術に脱帽した。
 値段も手ごろで、一般的なバーでお酒と食事を楽しむのと、さほど変わらない。最後には、簡単なマジックのタネ明かしもしてくれた。
◇マジックは、カードやコインを巧みに操る技術と、不可能を可能にするための数々の仕掛けで成り立っているが、もうひとつ、話術というエッセンスが欠かせない。
 というのも、マジックは人間の錯覚や思い込みを利用するため、言葉による心理誘導が成功の鍵を握ることになる。客としては「見破ってやろう」と、マジシャンの手元に注意を払うのだが、ついつい巧みな話術で手玉に取られてしまう。
 この話術には心理誘導だけでなく、客を楽しませるための心遣いも含まれる。不思議なマジックをただ鑑賞するのではなく、マジシャンとの掛け合いが楽しいのもマジックバーの魅力だろう。
 なお、県内には野洲のほか八日市や甲賀、草津にもマジックバーがある。湖北地域にはない。

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2010年02月05日

長い太巻き寿司について

 去る30日の滋賀夕刊に長浜市北郷里小学校での長い巻き寿司作りの記事と写真が出ていた。
 子ども会、育成会、地区社協などによる恒例行事で節分にあやかった。今年は8回目で、長さ12㍍から始まり、今回は21㍍の新記録を達成した、という。
 今月1日の滋賀夕刊には、これを追いかけるように、今度は米原市近江公民館での長い巻き寿司作りが紹介された。2月3日の節分を前に、地元の奉仕団体が企画したもので地域の親子60人による23㍍の長い巻き寿司を今年の恵方(西南西)に向いて丸かぶりしていた。
 いつも思うことだが、早食い競争とか、大食い競争などのイベントは好ましくない。テレビなどでよく企画するがぼくは反対である。
 なぜかと言われれば、答えは簡単である。食べ物は見せものや遊びの対象にすることに馴染まないからである。
 もっと分かりやすくいえば、食べ物は拝んで頂くものである。感謝の心をこめて、よく噛み、よく味わい、一粒の飯といえども粗末にしてはならぬ。
 大分前の話であるが、学生が酒の一気飲み競争をしたあげく、ぶっ倒れて病院へかつがれたことがあった。元気を競う気持ちは分からぬではないが、牧水の歌のように、酒は静かに飲むべかりけり。ときには祝いごとや記念式のあとの宴会もあるが、それは歌ったり、踊ったり、楽しい癒しの空間で、食べ競争や飲み競争とは無縁である。
 決められた時間内で、ウドンを何杯食べるとか、ビールを何本飲んだとかの量的競争や時間を争う早食い会など、まるで人間を畜生かのように見下ろす見苦しい番組である。
 長い巻き寿司作りは節分という伝統的季節感にマッチした教育の一環だと胸を張るかもしれないが、それならば、そんな実用的でないものにエネルギーをかけるよりは、具材は共通にして、子ども一人一人が自分の家で食べられるような作り方を指導すべきではないか。
 それとともに大切なことは米の炊き方、具材の種類や味つけ、酢や甘みのきかせ方など、いわゆる調理における家庭での手作りに言及してゆくべきではないか。
 さらに一歩進めれば、食の安全について学習し、農薬に犯されぬ野菜や化学物質による合成食品に対する危険性などを話しあうことが生きた課外教育というものであろう。
 長い太巻き寿司や早食い、早飲み競争などは所詮、いまの日本が豊かであることの象徴だが、そういう風潮に慣れてしまうと国民全体が食べ物を神聖なものと思わず、遊びや餌のような感覚に陥り易くなる。
 ハンバーガーやホットドック、インスタントラーメンなどの即席ものが喜ばれること自体、食文化の破壊であり、日本人は原点に戻り、食品は天地からの恵みであり、拝むべきものと反省しよう。【押谷盛利】

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2010年02月04日

横綱たるもの(見聞録)

 長浜曳山祭の子ども歌舞伎の役者を評価した江戸後期の番付表が、彦根市内の民家から発見され、曳山博物館に寄贈された。
 当時、どれほど子ども歌舞伎が町民に愛され、どれほど町民の目が肥えていたかを証明する資料として興味深い。
 気になるのは、役者の演技のランク付け。44人を「大関」「関脇」「小結」「前頭」の4段階で評価し、うち、4人を別格として「行司」「頭取」「勧進元」「惣後見」に位置づけた。
 その中に、力士の最高位「横綱」がいないことを不思議に感じたが、どうやら、当時は横綱という位が存在しなかったようだ。
◇江戸時代、横綱は最高位の大関の中でも、さらに強豪に与えられた「名誉称号」の性格が強く、明確な地位ではなかった。
 番付に登場したのは1890年(明治23)からで、1909年(明治42年)に規約が改正されて、横綱の称号が地位として定められた。
 ちなみに、横綱は一度その地位に付けば、降格することはない。ゆえに、常に最高レベルの成績が求められ、実力が落ちれば、おのずと引退することになるそうだ。
◇いま、横綱・朝青龍が一般男性を殴ってケガを負わせたことが角界を揺るがす大問題となっている。男性との間では「示談」が成立した模様だが、今回の事件を相撲協会がどう裁くのかが、注目される。
 朝青龍の横綱らしからぬ態度はこれまでにも何度も問題化してきたが、相撲協会は彼の強さと人気に遠慮して放任してきたきらいがある。
 背景には、低迷する大相撲にあって、その奔放な振る舞いで一定の人気を集めてきた朝青龍への「甘え」があると推測できるし、朝青龍もそいう角界の実情を知っていて、野放図に振る舞っているとも分析できよう。
◇先日の日本相撲協会の理事選で、元横綱の貴乃花親方が、一門の談合による慣例を打ち破って当選したことは、閉塞感のある、内向きの相撲界に新しい風を吹き込む改革の一歩といえる。
 新しい理事会が、どのように朝青龍問題を片付け、国技としての誇りと品格を挽回するのか。相撲ファンでなくとも気になるところ。

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2010年02月03日

市長選新旧の一騎打ち

 2月14日告示の長浜市長選、無投票かと思われていた状況が昨年暮れから急回転し始めた。
 現職の川島信也さんは早くから準備していたから無投票もしくは泡沫候補相手だったらめでたし、めでたしで、新春のうま酒に酔い痴れることができたかもしれないが、ここにきて顔色が変わった。
 もし、このまま無投票だったら長浜市民の新市に対するリーダーの選択権を失うことになる。若もの、老人、女性を含め各界の有力者の見識が疑われる。
 そういう高所から判断すれば選挙戦が活発に展開し、市民の関心が高まれば、それはそのまま長浜市民の政治的成長につながり、長浜市の発展と市民の福祉に寄与する。
 選挙は水ものといわれてきたが、今は風である。水ものは水や酒などの飲みものをいうが、転じて、そのときの条件によって変わりやすく予想しにくい物事にもいい、そこから選挙は水ものというようになった。
 ところが、時代の変遷か、最近は選挙は風である、というのが一般の認識となった。その象徴は2008年のアメリカ大統領選におけるオバマ氏の勝利だった。
 日本の風は記憶に生々しい。5年前の総選挙で小泉自民党が圧勝したのは、郵政改革を柱とする「改革」の風の勝利だった。そして昨年8月の衆院選は鳩山民主党がこれまた地すべり的勝利に輝いた。この選挙の風は「政権交代」だった。
 今度の長浜市長選は現職対新人の一騎打ちの公算が強い。現職の川島さんは落ちたり、上がったりを繰り返してきたベテランであり、古豪である。
 対する藤井勇治さんは、新人といっても、ただの新人ではない。中央において政策秘書や大臣秘書官を20年以上も経験し、代議士1期4年の政界通である。中央政界や官界における人脈は生かせば光る宝といえよう。
 川島陣営は「もう1期やらせてください、最後の仕上げです」と土下座せんばかりの戦術だが、守る立場としては市民にどんな反応を期待するのだろうか。
 藤井陣営は合併後の新しい市にニューリーダーをとの合言葉に、藤井さんをかつぎ上げた。言わば出たい人より出したい人を、というのが陣営の心意気かもしれない。
 川島さんには二男の川島隆二県議(自民)、旧伊香出身の野田藤雄県議(自民)がバックアップ。藤井さんには知事与党の角川誠県議(旧東浅井)が応援しており、今回の市長選の結果はこの夏の知事選にも影響しよう。
 明日の長浜を託するとき、リーダーの年齢を考えるのは常識であるが、73歳の経験豊富な古豪、59歳の働き盛りの団塊世代新人、審判は市民の胸のうち。【押谷盛利】

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2010年02月02日

市長選あれこれ(見聞録)

 新しい長浜市のかじ取り役を決める長浜市長選挙はいよいよ7日に告示される。
 立候補を表明しているのは現職の川島信也氏と、前衆院議員の藤井勇治氏。
 川島氏は元自民党員で、息子で県議の隆二氏は自民党長浜支部連絡協議会の会長。一方、藤井氏は自民党の衆院議員として4年間活躍し、市長選立候補にあたって離党したばかり。
 選挙は、保守同士の一騎打ちとなるわけだ。
 政権与党の民主党が独自候補の擁立に失敗したことは、地域における同党の脆弱さを露呈しただけでなく、「非保守」の受け皿を用意できなかったという意味で、長浜市民の選択肢を減らした。
◇さて、保守一騎打ちの選挙戦で、頭を悩ませているのが保守支持層。
 これまで、市長選では川島氏、県議選では隆二氏、衆院選では藤井氏と、3人を分け隔てなく応援してきた保守層も少なくない。
 しかし、今回の市長選では「あちらを立てれば、こちらが立たず」という具合だ。
 「寝る」―。積極的に候補応援に動かないことを指す隠語だが、両氏にお世話になったことのある支持者からは「今回は寝る」との声も漏れている。
◇日々の取材先で「選挙情勢はどうですか」と聞かれることが増えてきた。
 川島氏はこの長浜の地で幾度も選挙に挑戦し、熱烈な支持者を持つ。三つ巴だった2006年の市長選では1万5000票余りを獲得。また、1市6町合併の協議を通して旧6町内で人脈を築き、隆二氏の持つ若い世代の支持も強みだろう。
 藤井氏は2005年の郵政選挙で初当選して以来、湖北、湖東地域をくまなく歩いており、知名度は高い。昨夏の総選挙では「政権交代」の逆風の中、1市6町での得票数は約3万票にのぼる。その強みをどう生かすか。
◇各種選挙を取材する限り、最近の有権者の気持ちは移ろいやすい。自民圧勝の05年総選挙、政権交代の09年総選挙が良い例だ。
 移ろいやすいその有権者をどのように振り向かせるのか。田舎型選挙では、人脈や知名度がモノを言うのだろうが、両氏には出来る限り政策やビジョンを語って、有権者への判断材料を増やして欲しいと願う。

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2010年02月01日

パチンコと小鳩さん

 新聞の広告やチラシを見ると世相の一端を知ることができる。
 このごろのチラシで目立つのはパチンコと海外旅行であるが、これは分析すればおもしろい。
 夜の国道を走っていて、あかあかとネオンや照明をきかせて別世界のような豪華な建物の前を通ることがある。ほとんどはパチンコ店である。建物の外観や内部の入れ替えなど常に新しい工夫をしなければ、客足が遠ざかるというこの世界の気まぐれ人気もさることながら、昼といい、夜といい、満員盛況の実態を眺めながら、結構なご時勢かな、と思うことがある。
 なぜ、結構なのか。一言でいえばおカネと暇があるからである。
 忙しくて仕事に追われている人は、パチンコ屋でバクチするような余裕はない。昔のパチンコは100円、200円で遊べたが、今は1000円以上、多い人は何万円ものカネを使う。
 バクチだから、もうかる人もあるはずだが、客がもうかっては企業がもたないからパーセントは分からないが、損する人は圧倒的に多いはず。
 それでもパチンコファンが消えないのはわずかのカネで退屈しのぎにスリルを味わえるからであろう。
 好きこそものの上手というから、パチンコも年中精出していれば、側のものが心配するほど損をしていないかもしれない。
 もっとも、パチンコ族にも意地というか、プライドがあって、負けてもそれを素直に認めるものは少なく、たいていは勝ち負けなしとか、ちょっともうかったと、いい格好をする。
 なかにはもうけた時だけ大きな顔をして誇らしげに自慢する人もいる。あんな単純な掛けごとのどこがよいのか、といぶかる向きもあるが、そこが人間の好みのおもしろさである。
 例えば酒飲みの中には明日の米代にことを欠くほどサイフが逼迫しているのに、ちょいと縄のれんをくぐってこないと寝られないというご仁がいる。アル中ほどひどくはなくとも酒が入らないと生きた気がしないのかもしれない。
 パチンコにしても酒にしてもそれで時間の空白を埋め、精神的なやすらぎが得られるならば結構なことである。
 不況の風が吹きまくるとか、雇用創出が政治の課題とか、必ずしも明るい世相ではないのに、パチンコや海外旅行の宣伝が盛んなのは、国民のふところに使うカネがあるというのだろうか。
 あるといってもたかが知れたもので、鳩山さんのように、知らないうちに10億円ものカネが入っていたり、小沢さんのように景気のよい不動産屋さんの社長ほどにもうけている人もあるが、これは政治家ではなく政治屋であり、けじめをつけてもらいましょう。【押谷盛利】

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