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天上からの神の発信

 絵の世界はデッサンと色彩にあると言われるが、画家に限らず、芸術家は現実の色や形から美を発見する。そればかりでなく空想のなかから真実を追求し、感動的な作品や音曲を創作する。
 それは文学の上でもあてはまることで、風や水の音、鳥の泣き声、花や木や雪への一瞬の出会いからそのものの発する本質をキャッチして、詩に昇華する。これを感度とか感性という。
 曇りなき感性といって子どもの絵などに作品の真実性を発見することはよくあることで、世間ずれした大人の目よりも天真爛漫の子どもの目の方が正直である。
 裸の大将の山下清画伯の絵は緻密で、うっかり見落とすようなことでも大胆にすくいとって、鑑賞者をアッと言わせるが、それは彼に邪心がないからで、描かれる対象と描く彼との距離がないことを証明している。
 俳聖と呼ばれる芭蕉の知的水準は子どもどころか、漢籍の教養といい、世間風に言えば大学の先生級以上だが、それでいて、自然や人情の真実をとっさに発見できたのは、常に心を無にしての鏡のような心境を保持したからであろう。
 芸術は神の心を人間の心につなぐ福音のようなもので、秀れた芸術家は神から選ばれたというべきで、天性のひらめきや心眼、心耳を持つ。
 したがって、暮らしに王侯貴族のような華麗さや豊かさは望むべくもなく、どちらかといえば、芸術を生むため貧しさに耐え、体をすり減らしているともいえる苦難の人生であり、長寿者は少ない。
 人間の幸、不幸、生き甲斐はどんなメジャーで計ることができるだろうか。
 ともすると、現代人はおカネがすべてであり、人間の成功、不成功、幸、不幸をカネで計りたがるが、確信をもってそう言えるだろうか。
 山ほどおカネを持っていても病床にあって医師とクスリの厄介にならねばならぬ人は決して幸福とは言えない。その点、芸術家は、たとえ暮らしが裕福でなくともその作品を通じて多くの人に精神的感動を与えることができる。
 人は、秀れた音楽、劇、映画、小説、詩、絵画、書、彫刻、写真、その他工芸品に興味を持ち、それを鑑賞するのに時間とカネを惜しまないが、それは芸術家の作品を通じて神の心が地上に反映されているからである。
 人々の心を癒し、生きる希望や喜びを与えるのが偉大な芸術であり、人を傷つけ、人を裏切り、常に争うカネの亡者の世界に対する天上からの美の発信と考えるべきである。
 天上からの美の発信は精神世界のみならず、生活という生ぐさい肉体面にも届いているはずである。
 その一つが環境に対する警鐘であり、第二が食生活の自然回帰である。
 人間は科学と技術を過信して、宇宙を征服しようとしたり、カネのために自然に反する農業や食品を生産したりするが、反省することをしない傲慢さが真綿で首を締めるように人類を破滅に追いやるのではないか。
 天をあがめよ。天を畏れよ。【押谷盛利】

2010年01月27日 15:12 |


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