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壁崩壊から20年(見聞録)

 東西冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊してから、9日でちょうど20年目を迎える。
 第2次世界大戦後の1949年、ドイツは戦後から駐留している米英仏の資本主義陣営と、ソ連の共産主義陣営により、東西に分断されてしまった。
 首都ベルリンは東ドイツ国内に位置したが、そのベルリン市も東西に分断された。ただ、西ベルリンからは飛行機や鉄道、高速道路で西ドイツに行くことができた。
 共産主義の東ドイツでは言論や思想の自由が許されなかったため、毎年、何万人もの国民が西ベルリン経由で西ドイツに流出。その事態を重く見た東ドイツ政府は自国民の流出を防ぐため、1961年、突如、西ベルリンの周囲160㌔に壁を築いたのだった。
◇ただでさえ東ドイツ内の「孤島」なのに、さらに壁にまで囲まれた西ベルリン。しかし、西ドイツと結ぶ道路や鉄道、航空路線は従来通り利用できたため、西ベルリン市民は自由に移動でき、東側に対する資本主義のショーウィンドーとして、物資も豊富だった。
 一方で、東ドイツの国民は海外旅行の自由が認められず、産業も振るわず、周囲を壁に囲まれた孤島の西ベルリンの方が、よほど自由で裕福だったのは皮肉な話だ。
◇1980年代後半、東ヨーロッパ諸国が革命で相次いで民主化されると、東ドイツ国民はそれらの国を経由して、西ドイツに行くことができるようになった。
 第3国経由で東西が結ばれたことで、ベルリンの壁はその意味を失い、1989年年11月9日、海外旅行自由化に関して政府のスポークスマンが「ベルリンの壁からも出国が認められる」と誤って発表したため、東ドイツ国民が壁の検問所に殺到。国境警備隊はこれを受け入れてゲートを開き、壁はその役目を終えた。
◇それから20年。冷戦はすでに過去となり、東西ドイツは統一。敵対したNATOとワルシャワ条約機構の国々もEUという新しい枠組みで手を取り合っている。
 しかし、ドイツに限定しても失業率や所得で東西の経済格差はまだ残り、その格差不満から、東ドイツへの懐古主義や他民族排斥主義などが生まれている。
 お隣の韓国、北朝鮮はいまだに統一されず、北朝鮮の人々は物理的にも精神的にも「壁」に囲まれ、抑圧された生活を余儀なくされている。
 壁崩壊から20年目を迎え、当時の東西イデオロギーの対立と、その副産物を見つめると、今、日本の民主党政権が進めようとしている共産主義・独裁国家との「友愛外交」を、大いに注視する必要がある、と思う。

2009年11月07日 15:09 |


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