滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2009年10月31日

二宮翁から学ぶ(見聞録)

 二宮金次郎といえば、薪を担ぎながら本を読む像で知られ、昭和期の子ども達にとっては勤勉の象徴だった。
 しかし、最近の若者や子ども達の中には知らない人が増えている。学校や家庭で教えられる機会がないからだ。
◇二宮金次郎は正式には二宮尊徳と言い、1787年、相模国足柄上郡(今の神奈川県小田原市)の農家の長男として生まれた。少年時代に父母を失い、大洪水で田畑を流失するなどの不幸に見舞われた。引き取られた伯父方で、寝る間を惜しんで勉学に励み、荒れ地を開墾して収穫を上げてはお金を貯め、田畑広げ、24歳で一家を再興した。
 後に、武家奉公人として小田原藩家老服部家に出入りした際、その才能を買われて同家の財政再建を頼まれ、みごと達成。以来、各家の財政再建に携わり、600以上の村々の農村復興にも打ち込んだ。
 二宮が説いた思想に「報徳」がある。「徳」は人やものに備わっている長所や才能などを指し、「報」は「徳」を生かして、社会や経済に貢献することを指す。
 自己の才能を生かして勤労し、私利私欲を廃して社会に貢献すれば、おのずと自らに還元されると説いた。
◇1904年以降、国定教科書で紹介されたことで、その人物像が全国に知れ渡り、道徳教育の手本となった。ただ、国家社会のために献身的に尽くしたその姿勢が、戦中教育に適った点も見逃せない。
 そして、昭和初期には地域住民や卒業生の寄付によって各地の小学校に二宮像が建てられた。
◇長浜小学校でも昭和10年に市民から寄贈されたが、10数年前、人知れず撤去されていた。
 撤去当時、像の保存や再建の話が出なかったのか、学校関係者は無関心だったのだろうか、小学校に撤去時の記録は残っていないという。
 同校PTAでは「自らの才能を国家社会のために使い、人々の幸福の追求に生涯をささげた二宮翁を、昭和初期までは子どもの成長のお手本としていた。自分の才能や努力して得た知識や技術を国家社会のために使おうという精神は、今日にも通じる」と、再建の意義を説いている。
 道徳教育の今は、二宮に代わってイチローが登場する時代となったが、像を再建することにより二宮翁の報徳の教えが、子ども達に伝わることを願いたい。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月30日

うつ病とクスリ漬け

 皇太子妃・雅子さまのことが新聞や雑誌で盛んに取り上げられているが、東宮職の医師が「適応障害」と発表しているから軽い「うつ」と考えられる。
 側がガヤガヤ騒ぐのはお気の毒で、そっと静かにいたわりの目で時間をかけて療養なさるようお祈りするばかりである。
 そんな雲の上のおえらいお方のみならず、いまの日本には、ガンや糖尿病と同格に、うつの患者が増え続けているという。
 厚生労働省が把握しているうつ患者は100万人といわれるが、実際はその6倍もの人がうつを患っている、と医療ジャーナリストの上野玲氏が今年の文春4月号で訴えている。
 上野氏自身もうつ患者で治療歴は11年。月に2回は精神科に通っているという。なんとか社会生活を送っているが、それでも時に自分で対処できないほど気持ちが落ち込み、寝込んだり、ひどいときには死にたい気持ちになり、「いのちの電話」にすがるときもある、と書いている。
 うつを含めて、いまの日本は広義の意味で、自覚のあるなしに関わらず、精神性の病気を持つものが多い。社会のあちこちで思わぬ事件が発生し、あんなおだやかな、やさしい人がなんであんなむごいことをしたのだろうかとショックを与えることが多い。それは少年といわず、中年といわず、常にマスコミをにぎわしている。
 上野氏の説では、医師はうつの患者には特効薬の如く、「抗うつ剤」を用いるが、抗うつ薬だけで治るとは信じられないという。完治はしなくとも医師は抗うつ剤を続けさせるが、それは現状維持で悪化を防ぐためらしい。患者の中にはお守り代わりに処方してもらっているものもいるらしい。
 うつのクスリだけではなく、日本はクスリ王国といわれるくらい国民がクスリ漬けになっている。いわば国民の大部分が程度の差こそあれ病んでいる。
 予防を含め、一人で何種類ものクスリを飲んでいるが、そのためには医療施設の診療を受けねばならず、国家の医療費は30数兆円という莫大な額に上る。
 まさに医療産業というべきだが、ほくほく顔をしているのは製薬会社である。病院と医師は製薬会社の陰のセールスマンか、厚労省は製薬会社のスポンサーかと思われかねない状況である。
 考えてみれば「うつ病」などというのは人間特有の贅沢病というべきである。
 野生動物のように自然の厳しさの中に必至に生きていればうつになっているヒマなどはない。逆にいえば、ものがあり余り、便利がよくなり、求めるものが得やすくなり、極楽指向が天与の時間まで操作するようになった。
 生きている自然界の人間が、自然界から遊離して科学の世を泳いでいる格好であり、その矛盾が心に響き、肉体のゆがみを誘うことになる。
 新聞や雑誌、テレビなどを見ても、うまいものや旅行やクスリの宣伝ばかりで、いわばおカネの浪費をあおっているが、こんな時期こそ政府が国民のためにスポンサーを買って出て、クスリの飲みすぎはダメだ、甘みや脂肪のご馳走は健康によくない、などと自然に返れの大キャンペーンを展開すべきではないか。
 病気の因縁についても真に国民の健康を考える自然派医師の体験治療話や農薬を避けて自然農法に取り組んでいる農家、環境問題の第一線で苦労している人々の見解や実態を報じることに力を注ぐべきではないか。
 国民の多くは時間の進行の早さと文明の急転回に幻惑されて、ものごとの本質や飲食物の本物の見分けがつかなくなった。インチキ社会に汚染されているから心までがインチキ病に冒されてゆく。【お押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月29日

歴史イベント花盛り(見聞録)

 戦国時代の研究は、硬派で知的な男の趣味というイメージを抱いていたが、どうやら今は違うらしい。
 戦国時代の武将に惹かれる女性を「歴女」と呼び、各地の城や史跡が女性で賑わっている。
 4年前、伊達政宗や真田幸村ら戦国武将が刀や槍を持って戦うテレビゲームが発売されたのが歴女ブームのきっかけ。登場する武将が美男子に描かれていたことから、漫画やゲーム好きの女性の間で興味を引き、それが一般女性にまで波及したようだ。
 今、書店では、美男子武将が表紙を飾る歴史本が並び、歴史好きを売りにしたタレント「歴ドル」まで登場している。
◇その「歴ドル」として活躍する美甘子さんが31日の土曜日に、長浜を訪れる。
 湖北地域に残る戦国時代の史跡を生かした観光キャンペーンに取り組む「北近江戦国浪漫街道推進協議会」が企画した「戦国英雄コンテスト」の審査員を務めるためだ。
 このコンテストは、戦国武将やお姫様に扮装し、衣装や振る舞いも含めた「なりきり」度を競うもので、グランプリには賞金30万円をプレゼントする。
 当日は午後1時から豊国神社で受付。その後、曳山博物館までを練り歩く予定で、どんな武将や姫が登場するのか楽しみ。なお、飛び入り参加も受け付けているので、興味のある方は、どうぞ。
 曳山博物館前の広場では、東京や京都、彦根の歴史グッズ店6店舗が集い、Tシャツなどを販売する予定。
◇翌11月1日には石田三成の生誕地、長浜市石田町で、「三成祭」が開かれる。409回忌法要、講演会、武者行列などの催しがあり、地元の戦国武将について、造詣を深める良い機会になりそう。
 3日の祝日には浅井三姉妹の縁の地を巡るウォーキングが催される。関ヶ原を出発し、木之本地蔵院までの38㌔を踏破するタフなコースで、こちらは市役所の観光振興課で受け付けている。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月28日

借金棒引きと徳政の話

 不景気だ、失業者が増えている、雇用対策が大事だ、銀行が危ない、などと心配されながら片方で政府の高官が借金の返済の延期や利息のカットなど言いたい放題を言っているが、どだい調子に乗った無責任流というべきであろう。
 借金ができるのは返済されるという信用があるからだ。その信用は本人そのもの経済力と人格によるほか、保証人という最悪の場合の防波堤があるからだ。
 銀行対法人、もしくは個人の貸借関係は書面のあるなしに関わらず契約による。契約は実行されることが前提であり、実行されぬ場合、たとえば契約期限に返済せねば法に基づく強制取り立てや保証人からの返済手続きが取られる。
 そういう取引や金融上の私権の問題に国が権力を行使すれば、それは民主主義でなくなり、経済界のみならず、一般の社会生活にも暗い影響を落とす。
 経済社会は信用で円滑に回るが、一たん信用が破綻すれば国民の商行為に大きな打撃を与えるばかりか、物価や企業運営にも悪い影響が出る。
 むかし、室町時代には幕府(政府)が政治の運用を誤り、経済が立ちゆかなくなって、国の台所が窮地に立ったことがある。絶大な権力を持つ幕府のことだから、金持ちや力のあるものからじゃんじゃん金を借りて台所の赤字をカバーした。しもじもの国民も食ってゆけなくなって、店などから帳付けでものを買うようになった。
 そういうふうにして上も下も借金で首が回らなくなったとき、幕府は徳政というとんでもないことをやった。
 徳政とは政府の法律、命令による債権債務の棒引きをいう。
 室町後期には貧しい農民や武士たちが蜂起して徳政の実力行使をしたことがあり、それがひどくなって、酒屋、米蔵、土蔵などを襲い幕府に徳政令を出さすこともあった。
 分かりやすくいえば借金の帳消しだが、こうなれば経済秩序は破壊され、結果としてその弊害が国民にしわ寄せされる。明治、大正、昭和1ケタ時代は借金が返せず、家も田も売り払って最大限の工面をして誠意を尽くした人もあれば一家が夜逃げすることもあった。
 格差社会などといって貧富の存在を否定するものもあるが、能力と努力と運によって強者になるものも、その反対によって弱者になるものもあるが、社会制度の上で弱者を救済するのが福祉社会である。
 しかし、福祉を前提に働けるものが遊んだり、個人の責任に帰すべき費用を国がばらまき政策でカバーするようなことをすれば重税政策をとらねばならなくなり、国内の資本が海外へ流出し、国の産業経済をおとしめることにもなる。
 まあ、経済だけでなくいまの日本は万事にあまい水、あまい風に酔っている感じで、生きるという現実の厳しさを知らない事が将来の不幸を招くのではないか、と心配するのである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月27日

甲津原あれこれ(見聞録)

 米原市、甲津原の交流センターでペン画家・小野信吾さんの絵画展が始まったというので、先週末、車を走らせた。
 甲津原は米原市の最北に位置し、長浜からは車で約40分の距離。国道365号線の野一色東交差点を伊吹山方面に折れ、県道40号線を、姉川に沿って走る。
◇茅葺集落や古民家のスケッチをライフワークにする小野さんは「残したい湖国の風景画教室」を主宰し、甲津原でも昔ながらに残る集落の風景を描いている。
 センター内には、生徒さんの作品も合わせて30点余り、素朴な色合いの水彩画が並び、甲津原の魅力を表現している。
◇このセンター、米原市が建設し、地元の甲津原区が運営している。主に土日や祝日にオープンし、地元の特産品を販売している。
 標高500㍍余りにもなる甲津原はミョウガの産地として知られ、センター内には女性加工部が生産するミョウガのかす漬、しば漬、甘酢漬などが並び、あざみの漬物など変り種にも出会える。
 喫茶コーナーでは、キーマカレーやシフォンケーキ、そば雑炊など簡単な食事を楽しめ、カレーやケーキは「麻の実」が入った珍しい逸品。
◇冬場、奥伊吹スキー場に出かける以外に、甲津原を通る機会はないが、これから紅葉シーズン。お隣の曲谷で姉川の源流、五色の滝や姉川ダムなどを散策し、お昼を甲津原で楽しんではどうだろうか。
 また、周りに明かりのないことから、秋や冬の星空観望にはもって来いだろう。
◇ところで、甲津原と曲谷の境に「寝すぎ橋」という橋がある。センターの女性によると、その昔、両集落が境界線を決めるため、担当者が夜明けと同時に互いの村を目指して歩き、出会ったところを境にしようと取り決めたが、双方が出会ったのは、かなり甲津原寄り。
 どうやら甲津原村の担当者が寝坊して出発が遅れたのが原因で、以来、この名が付いたという。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月26日

民主まるまかせは危険

 世間を知らない人は、8月の衆議院選で民主党が勝ったのは民主党の政策を国民が信じたからだと思っているが、そうではない。いままでの自民党政治が余りにも悪すぎたから、いやになっただけで、その反動が時計の振り子のように民主党へなだれ現象を起こしたにすぎない。いわば自業自得なのだが、そういうあわれな結果が招来してもなお既往の「夢よもう一度」を考えているとしたらナンセンスである。
 民主党は自民党の自壊作用で苦もなく政権を誕生させたが、この党の思惑には国の将来について心配せねばならぬことが多いので、今後、政策の議論や、その歩みに深い関心を持たねばならぬ。つまり、安心して、まるまかせしてはならぬということである。
 その一番の心配は外交と防衛であるが、じっと耳を澄ましていると、中国や韓国、北朝鮮寄りの友好外交が音を立てている。
 韓国と北朝鮮が一番期待するのは在日外国人の選挙権付与であるが、鳩山首相はその方向で舵を取っている。日本にいる永住外国人で特別多いのが北朝鮮系と韓国系の人であり、彼らが選挙権を行使する影響は日本の政治家の政策に及ぶことは当然である。
 さらに進めば被選挙権を与えることになるが、もし左翼勢力と労組、市民団体、それに社民党、民主党がバックアップすれば外国人が市長や町長になり得る可能性が生じる。
 民主党政策の第二の心配は夫婦別姓の法的実現である。いまですら家族制度が崩壊しつつあるのに、この上、さらに夫婦別姓となれば、家庭環境はどうなるか。一例をあげれば、子どもが2人あれば1人は夫の姓、1人は妻の姓。あるいは2人とも夫か、妻の姓になる。この場合の家系はどうなるのか、財産相続は、などと考えると、家庭は崩壊するし、家族間の愛情も危うくなる。
 第三の心配は国民道徳の退廃である。民主党のなかで一番力のある勢力は小沢一郎幹事長系であるが、この勢力と不離一体の友好関係にあるのが輿石参院会長をリーダーとする労組出身者と、横路衆院議長らの率いる旧社会党系である。
 そして労組系の中でも最も組織力と闘争力のある日教組(教職員組合)が牽引的役割を持ち民主党の政策をリードしている。
 日教組と旧社会党は戦後一貫して道徳教育に反対しており、安倍内閣の教育基本法改訂にも反対し、国旗、国歌、靖国神社にも否定的である。
 日本の歴史と伝統を否定する思想的政策を持つ勢力が民主党をリードすれば将来の日本の外交はどうなるか。韓国と中国、ロシアに対する領土問題では、先方のご機嫌取りに終始して日本の国益をあやまる恐れが多い。日本人の最も関心の深い拉致被害者救済も霞んでしまう可能性が高い。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月23日

危険な民主党の政策

 国民に幸せという幻想を与えながら将来を危うくするのでは、と思われるのがこのごろの政府と民主党のやり方である。
 子どもに対する一律年間32万円もの手当、高校教育の無料化、高速道路の無料化、農業が引き合わねば保障する…。
 ただほど安いものはないが、ただで日本の国家が運営できるわけがない。
 教育、福祉ばかりでなく、国土の管理や国の安全、防衛などにも莫大なカネがかかるが、民主党のいうバラマキ施策では、どこに財源を求めてゆくのか。
 藤井財務相は税収や既成予算の見直しでカバーできない部分は国債を発行する、と、いとも簡単に断言したが極めて危険な政策で、現在の繁栄を将来の子や孫に肩代わりさせるやり方である。
 このまま進めば将来の子や孫の時代には国の借金返済のため重税に泣かねばならぬ。それどころか、国民の生活や生きる権利が国家権力の圧力や支配を受けることになりかねない。
 現在の国家の金回りと国民需要の最小限の経費を考慮して破綻のない財政運営をするのが政府の責任であるが、経費の方はあれもただ、これもただのバラマキ、おカネの入りについては税金でまかなえぬからすべて借金で、という話では、計画性どころか、出たとこ勝負、その日暮らし、あすはあすの風が吹くという無責任政治ではないか。
 もし、現在、そのように安易にバラマキができるほど国の財政にゆとりがあるのであれば、それこそ景気浮揚のために減税するべきではないか。国民は広範囲に所得税を支払っているが、ただでさえ充分ではない給料から所得税や年金、保険料を払っているのだ。減税して国民の所得を多くすれば、需要を刺激し景気にはね返るのは過去の政策で実証済みだ。
 何よりも政治が一番心しなければならぬのは、働いているものが、汗をかいているものが、喜んで動く気分、より知恵を発揮して生き甲斐を感じさせる政治である。
 今の民主党の発想は、みんな困っているのだろうから一律に政府が助けていこう、その代わり投資的な社会開発はやめる、というのだ。
 失業者が出れば面倒を見る、生活に困れば生活保護する、教育に国民の負担をかけない、子育てにも国が支援する、農業でも引き合わなければ足らない部分を助けよう、というのであるから、一見、夢の天国、さがし求めた青い鳥の極楽のようであるが、それこそ人間を堕落させる社会主義の発想であり、国家権力による国民の支配である。
 その見本を北朝鮮が見せたではないか。在日朝鮮人を日本から引き揚げさせるとき、祖国は教育も医療もタダ、失業者はなく、給与は保証され、農民には土地が与えられる、と夢のような楽土であることを宣伝した。それを信じて帰国した人は人権を奪われ、食料難に苦しみ、奴隷の生活を強いられて、いまも決死の脱北者が続いている。みんなを不幸にする社会主義独裁国家の現実を思えば、いまの民主党の政策は危険と不安でいっぱいである。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月21日

牧水と酒、新走、泣き酒

 「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」。この短歌は若山牧水の有名な酒讃歌である。
 酒と秋は因縁が深いが、かつて酒は自家製で、収穫後の新米をすぐ醸造した。手っとり早いのは「どぶろく」だが、今は新酒はほとんど冬の真っ盛り、いわゆる寒造りである。
 俳句の秋の季語に「新走」がある。これは新酒、今年酒のことで、新米をすぐ醸造したひと昔前の時代背景を知ることができる。
 西洋では古くからワイン、日本では酒だが、洋の東西を問わず酒にまつわる話は多い。それだけ、人間の生活とは切り離せない不思議なかおりを持つといえよう。
 一休さんが酒屋で酔いつぶれていたとき、小僧が「来客です、お帰り下さい」と呼びにきたが、目を覚まさなかった。酒屋の亭主が起こしながら「ごきげんいかがですか」とたずねたところ、「極楽にいる心地だったよ」と答えたという有名な話はすでに紹介した。
 「極楽をいづくのほどと思いしに杉葉立ちたる又六が門」。
 伏見の「月桂冠」や「黄桜」の有名醸造会社の店頭に杉の葉で造ったスズメ蜂の巣ような大きな丸い飾り物が吊している。木之本の冨田酒造でも見かけるが、あれがいわゆる醸造元のマークである。一休が「杉葉立ちたる」と詠んだのはこれを指しているのであり、「又六が門」は当時の京都大徳寺前の有名な酒屋だった。
 日本の歴史上では、万葉集に出ている大伴旅人の酒をたたえる歌が有名である。
 そのなかに泣き上戸の歌がある。怒り酒、笑い酒、けんか酒など、飲み助によって癖はまちまちだが、なぜか旅人は泣き酒を佳しとして次のように歌っている。
 「賢しみと物いうよりは酒のみて酔ひ哭きするしまさりたるらし」
 「世のなかの遊の道にさぶしくは酔い哭きするに有りぬべからし」
 「黙居りて賢しらするは酒飲みて酔い哭きするになほ若かずけり」
 「賢し」は、賢明、利口。「さかしら」は利口そうに、物知りぶること。「さぶし」は物足りない、楽しくない。「黙居りて」は黙っていること。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月20日

長浜市教委の通信簿(見聞録)

 長浜市教育委員会はこのほど、「教育に関する事務の点検及び評価の結果に関する報告書」なるものを公表した。
 平成20年度に施行された法律に基づいて、教育委員会は毎年、事務や管理に関する点検、評価を行い、その結果を公表することが義務付けられている。
 要は教育委員会の「通信簿」なのだが、自分で自分を採点するのだから、その評価は推して知るべし。
◇報告書では56項目の事業について、「必要性」「効果性」「効率性」「方向性」の4指標を4~8段階で評価している。
 「効果性」の欄を眺めると、A評価(十分効果あり)が35項目、B評価(概ね期待どおり)が21項目で、マイナス評価はゼロ。同じく「効率性」も全項目でAかBの評価となっている。優秀な成績で、そつ無く仕事をこなしている、ということだ。
◇唯一、気になったのは外部委員会による「所見」で、曳山博物館の運営について「指定管理者制度のメリットが十分に活用されていない。接遇やリピーターの増加に努めてください」とある点。
 平成20年度の曳山博物館の入館者は、年度途中のオープンだった平成12年を除くと、過去最低の4万3991人だった。博物館の運営は財団法人長浜曳山文化協会に委託しているが、そこに一層の誘客努力を求めている。
 とはいえ、この手の博物館の入場者を増やすことは、ましてリピーターなど至難の業。展示替えや催しの企画で、まずは市民の関心を誘えるよう知恵を出す必要があるだろう。
◇ただ、市民感覚からすると、曳山博物館の運営よりも、長浜の子ども達の学力が気がかりで、手前味噌な報告書よりも、全国学力テストの結果を公表してくれた方が、よほど教育委員会の評価として分かりやすい指標になるのでは。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月19日

大トラと一休さんの話

 泉山三六という大蔵大臣が国会で女性代議士に抱きついて問題を起こした事件。国会キス事件はさきに触れたが、彼はこの結果、大トラの名を頂戴し、一たん衆議院議員を辞めたものの、その人気で次の参議院選に返り咲いた。
 酒にまつわる話は古来、つきることがない。
 これは神話のことだから遠い夢物語だが、天照大神が弟のスサノオの暴力にたまりかねて天の岩戸へ隠れてしまった。国中がまっ暗になり、神々が困ってしまった。どうしたら天照をこの世へ出すことができるか。評定の挙げ句、天の岩戸の前で酒盛りの大宴会をして、女神たちのヌードダンスパーティー説が取り上げられた。
 当日、乱痴気騒ぎの酒宴の最中、アマノウズメの神がヌードダンスで盛り上げたところ、岩の中の天照がなにごとならんと戸の隙間から覗いた瞬間、天手力男の神が力いっぱい戸を開けて、天照大神を岩屋から救い出した。酒宴のおかげで、日本に再び光りが注がれるようになった。
 第12代景行天皇のころ、九州のまつろわぬ国の熊襲をオウスのミコト(ヤマトタケル)が征代した。熊襲が酒盛りをしている情報を入手して襲撃したものだが、酒にまつわる似た話では平安期の大江山の鬼退治が有名である。
 むかし、丹波の大江山に酒呑童子なる大盗賊がおり、夜になると都へ出ては女をかどわかし、物を盗み民衆が困り果てていた。天皇の命で源頼光が賊に酒を振る舞い、酔い潰れたところを退治して治安を回復することができた。
 日本の禅僧で一番人気のあるのは一休さんであるが、底抜けの酒豪であったらしい。
 一休宗純(1394―1481)は室町中期の臨済宗の高僧で後小松天皇の落胤といわれる。大徳寺の住持となって禅宗の改革に取り組み、狂歌、詩、書画に秀れ、奇行が多く子どもたちにも人気がある。
 ある日、客僧が大徳寺へ彼を訪ねた。一休は門前の酒屋で一パイ飲んで酔いつぶれていた。そこへ小僧が来客です。早くお帰り下さいと呼びにきた。一休は目ざめずにいると、酒屋の亭主が出てきて「よくお休みになりましたネ」「ごきげんいかがですか」。それに応えて「極楽をいづくのほどと思いしに杉葉立ちたる又六が門」と歌った。杉葉は酒屋のしるし。又六は酒屋の名前。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月17日

タワーの背比べ(見聞録)

 東京都墨田区に2012年に開業予定の東京スカイツリーは、自立式の電波塔として、世界最高の634㍍になる。17日の朝刊各紙が伝えている。
 当初計画では610㍍だったが、中国・広州で建設中の電波塔が610㍍と分かり、先端のアンテナ部分を伸ばすという。
 戦後復興を果たした日本のシンボルと言えば、1958年開業の東京タワー。高さ333㍍は、完成当時、仏パリのエッフェル塔の324㍍を抜いて世界一となり、日本の建築技術の高さを世界に見せつけた。
 2012年、電波塔としての役目をスカイツリーにバトンタッチすることになる。
◇ところで、スカイツリーが世界最高なのは、あくまで「自立式の電波塔」との条件下であり、世界で一番高い建造物は、アラブ首長国連邦のドバイに建設中の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」。地上162階建てで、尖塔のアンテナを含めた高さは818㍍になる。すでに外観は完成している。
 このほか、クウェートで1001㍍、ドバイで1400㍍、サウジアラビアで1600㍍のビルの建設が計画されており、高さ競争は果てしなさそう。
◇一方、湖北・湖東地域で一番高い建造物といえば、米原と彦根の境にある「フジテック」のエレベーター研究塔の170㍍。分速1000㍍級の高速機種のテストなどが行われている。
 こちらも完成当時、エレベーター研究塔として世界一を誇ったが、数カ月後に三菱電機が愛知県内にフジテックより3㍍高い実験塔を完成させた。
◇そして、長浜で忘れてはならないのは、駅前通りの長浜タワー。5階建てのビルの上にタワーが載った構造で、昭和の香りをふりまくノスタルジックなたたずまいに、観光客の隠れた写真撮影スポットとなっている。
 昭和38、39年ごろに個人が店舗兼住宅として建築し、奇をてらったのか、屋上にタワーを設置した。展望や電波塔としての機能はない。
 現在も住民がおり、1階は飲食店などとして利用されている。
 昭和の長浜を今に伝える「B級」建築物として、記憶にとどめたいタワーだ。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月16日

国会キス事件と酒の話

 大臣を棒に振り、8月の衆議院選に落選し、あげくの果てに死亡した中川昭一前金融相は各界から惜しまれているが、歴史は彼を「もうろう大臣」と名づけるかもしれない。
 その「もうろう会見」の元祖が立川談志だと聞いて彼ならやりそうなことだとほめる人がいるかもしれない。
 中川氏は風邪グスリを飲みすぎたせい、などと弁解し、神妙に反省して、事件後、選挙区へ頭を下げに回ったが、談志はその逆である。彼は頭を下げるどころか、それをネタにして高座でファンを沸かせた。彼は参議院議員初当選後4年目の70年12月に三木内閣の沖縄開発政務次官(現副大臣)になったが、そのころから型破りの異色政治家だった。
 就任時の記者会見で選挙資金について聞かれたところ、「子どもの面倒を親分が見るのが当然」と派バツを公然と認めた。
 初仕事で沖縄海洋博を視察したとき、二日酔いのまま記者会見にのぞんだ。もうろう会見に際し、「公務と酒とどちらが大切なんだ」と聞かれ「酒に決まってんだろ」と答えたことが問題化した。弁明するはずの参議院決算委を寄席を理由に欠席し、大騒ぎの後、次官を辞任した。就任後36日の短命次官だったが、1期6年の任期は全うした。彼は議員になったのは兼職してもいいと言われたからであり、大衆との接点を持ち続けるのが信条だとして自民党を離党した。問題のこじれたとき、先輩の石原慎太郎氏(現東京都知事)が「謝罪したらどうだ」と説得したが、拒絶した。
 酒は魔物か気狂い水か、政治家と酒にまつわる話は後を絶たない。
 1947年(S22)の衆院選に初当選した泉山三六(山形)は翌年一年生ながら吉田内閣の大蔵大臣になった。その年の12月の衆院予算委で泥酔状態で出席し問題となる。さらに議員食堂前の廊下で山下春江議員(福島)に抱きついてキスを迫る不祥事を起こした。国会キス事件として評判になり、野党の審議拒否によって大臣どころか議員職まで投げ出した。これにはおまけがついた。
 これを契機に議員は酒気帯び登院を厳禁するとして国会決議「議場内粛正に関する決議」を全会一致で可決した。酒気帯び運転ならぬ、酒気帯び登院だが、そこは先生たちの遠大な計らいがあって「議場内粛正」と文言を変化した。
 国会は猿だと吉田元首相が言ったくらい野次と喧騒の議場を見て、この決議の空しさを感じるのは筆者だけではあるまい。
 泉山は大トラ大臣の名をもらったが、これが幸いして知名度が上がったのか、1950年の参院選では全国区7位で当選し、以後2期12年務めた。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月15日

地域で見守る仕組み(見聞録)

 独り暮らしの高齢者や重度の障害者を日ごろから見守り、災害発生時には安否確認、避難支援に取り組む計画を、長浜市内の自治会が進めている。
 対象者の住所や氏名、緊急連絡先、かかりつけ医、昼間過ごす部屋や寝室の位置など確認し、近所の誰が避難や見守り支援を行うのかを「避難支援・見守り支えあい計画」にまとめる。
 「言葉の聞き取りができないので筆談が必要」「インシュリン注射をしているので、避難時に持って行く必要がある」「歩行が困難なので車椅子が必要。車椅子は自宅玄関に置いている」「何かにつかまらないと歩けない。トイレに行くときなどは介助をお願い」など、避難に必要な詳細情報も把握する。
 また、「毎日、居間のカーテンを開けるので、朝に開いていなかったら様子を見て欲しい。新聞が溜まっていないか気にかけてほしい」など、日ごろのチェックポイントも計画書に記される。
 この計画をもとに、近所の住民が「避難支援者」「見守り支援者」となって、活動するわけだ。
 計画は、高齢者や障害者の求めに応じて、自治会の担当者と民生委員が中心になって、1人ずつ策定しており、長浜市によると、これまでに約2000人分にのぼり、県内で最も取り組みが進んでいるという。
◇阪神淡路大震災や新潟中越地震で、倒壊した家屋の下敷きになった住民を助け出したのは、救急隊でも自衛隊でもなく、近所の住民だった。日ごろの近所付き合いが、災害時に絶大な力を発揮することが証明されたが、社会の高齢化、近所付き合いの希薄化が進む今後はどうなるだろうか。
 自治会でこの取り組みが広がることを歓迎し、これを機会に、近所の助け合い精神がより醸成されればと願う。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月14日

もうろう会見の元祖

 今東光という型破りの坊主。河内ものを売りに、破戒坊をネタにした小説でファンを魅了した作家だった。歯に衣着せぬ毒舌家で、テレビに出ては世相を斬った。
 昭和41年、長浜市民会館がオープンしたとき、ぼくは長浜文学協会長だったため、その記念事業に今東光の講演会を企画した。
 そのころ、彼は自民党から参議院全国区への出馬を要請されていた。ぼくの記者時代、大津市政担当に山口という朝日の記者がいて、その縁で、山口氏から今東光を紹介された。氏はすでに朝日を定年退職して、当時今和尚の秘書をしていた。
 参議院選の顔売りもあって、彼は如才なく色紙を用意して何枚か、ファンのためサイン入りの書をくれた。ぼくは今東光の名にしびれてしまってどんな話をするのだろうと期待したが、肝心の話は内容のないつまらぬ時間潰しに終始した。今も覚えているのは、琵琶湖の小アユは全国の河川へ放流されて大きくなってゆく。滋賀県人は外へ出て成功するという近江商人の話だった。
 その年か翌年か、首尾よく全国区で当選したが、小説家としては第一級の大物だったものの、政治家としては存在価値は薄かった。
 今東光の最大の置き土産は小説家の瀬戸内晴美氏を坊主にした功績である。今東光大僧正によって剃髪し、仏門に入った瀬戸内は以後寂聴と名乗った。彼女30歳代の若さである。
 剃髪し、いよいよ仏門入りが決定的となる寸前、和尚は彼女にいった。
 「いまからでも遅くない。引き返すことができるんだよ。君はまだ若いが、仏弟子になれば色欲は断絶だよ。断ち切れるか」。
 「はい、2度と女にはなりませぬ」。
 こうして、決意新たに現在の瀬戸内寂聴が生まれた。
 ぼくが今、今東光なる稀代の小説家を持ち出したのは、過日、ガン対談で漫画家の赤塚不二夫氏と共に登場した落語家の立川談志氏について書きたかったからである。談志も今和尚ではないが、口八丁手八丁、直情径行、毀誉褒貶の激しい芸能人である。
 今氏と似ているところは、同様に自民党から参議院全国区に当選している(1971年)。彼は75年12月、三木内閣の沖縄開発政務次官になったが、在任36日間で辞任させられた。
 8月の衆議院選で落選した中川昭一前金融相の「もうろう会見」の元祖といっていい。沖縄視察後、2日酔いのまま記者会見をした。
 もうろうとしている彼に、記者が「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」ととがめたところ、「酒に決まっているだろ」と言って問題化した。そればかりか、弁明をするはずの参議院決算委を寄席を理由に欠席した。
 このとき、大衆との接点を持ち続けるのが信条だとして離党した。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月13日

子と親の教育(見聞録)

 8日付けの小欄で、あいさつをしない子どもについて、市内の女性からの手紙を紹介したところ、同じような経験を持つ読者から投書を頂いた。
 その読者は「今の子どもは昔のように子どもらしさ、素直さがなく、戸惑います。これもみな母親のせいだと、思います」と指摘している。
 「以前、私は孫と一緒に食事をしていて、孫が気を遣ってめんどうをみてくれましたが、母親が食事中に話すなと注意します。そんないたいけな孫が可愛そうで、一緒に食事するのをやめてしまいました」と語り、「親達を教育することができないものでしょうか」と結んでいる。
◇小生は取材や新聞配達中に見知らぬ子どもに出会い、元気なあいさつをもらうことが多く、家庭や学校での教育が行き届いているのだろうと、感心している。
 ただ、一部の子どもは、言葉が悪かったり、目上への言葉遣いが命令口調だったりして、耳を疑うことがある。家庭に何らかの問題があるのではと、つい勘ぐってしまう。
 投書の読者が指摘するように、子どもの人格形成には両親、特に幼少期に一緒にいる母親の影響が大きいと推測する。
 だが、母親だけに原因を求めることは誤りだろう。子どもの教育の基本は家庭だが、地域や学校の影響、テレビやゲームによる弊害も考えなければならない。
◇最近、長浜市議会でも取り上げられたが、教育現場に理不尽な介入をする保護者「モンスターペアレント」など特殊な例にとどまらず、運動会や子どもの送迎の保護者マナーが問題となっている。
 なぜ、そのような大人が増えているのか。そういう大人に育てた、そのまた親にも責任無しとは言えないだろう。戦後の復興から高度経済成長下、豊かな生活を目指し、日夜仕事や家事に励まれた先輩方を責めるつもりはないが、なぜ、多くの大人が感じるような殺伐とした、思いやりの欠ける世の中になりつつあるのか。それを自問する必要はありそうだ。
◇幸い、ここ湖北地域では学校やPTA、自治会によるあいさつ運動や子どもの見守り運動が盛んで、問題意識を持っているように思う。
 小欄でも読者からの手紙、投書を紹介しながら、家庭や地域への問題提起・提案に努めたい。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月09日

ガン患者2人の対談

 7日付けの時評で「ガンの特効薬はあるのか」をテーマに書いたところ、読者のAさんが「そんなものがあればガンで死ぬ人はなくなるよ」と電話をくれた。
 国立ガンセンターの名誉総長・垣添忠生さんは、わが国の最大の健康上の課題は「ガン」であると指摘し、現在、男性2人に1人が、女性の3人に1人がガンになり、毎年30万人を超す人が亡くなっていると警告している。
 ガン患者が増え続けているのは超高齢化社会になっているからだと統計的に分析されているが、老人であれ、中年者であれ、だれだってガンにはかかりたくないし、ましてや死にたくない。
 今から11年前、平成10年の「文芸春秋」6月号に、漫画家の赤塚不二夫さんと落語家の立川談志さんが、ガン患者としての滅法明るい対談を載せている。
 2人はこのとき同い年の62歳である。ともに前年の平成9年にガンを告知されている。
 立川さんは言いたいことを言いまくる毒舌家として参議院議員になったり、本職以外でも広く芸能活動に携わり、ガンを楽しんでいる風にも見られていたが、さすがに年齢は争えず、今年になって、高座はもちろん、テレビやラジオ、その他一切の活動をやめてしまった。体力の衰えが活動を封鎖したといえる。
 赤塚さんは昨年(H20)8月2日、72歳で死亡している。
 彼は平成9年12月に自宅で吐血し、入院の結果、食道ガンと分かり、手術をしなければ2カ月後に食事が喉を通らなくなる、と言われた。しかし、西洋医学に懐疑的なのか、手術を拒否して民間療法を続けた。それから10年生存して昨年亡くなったが、死因は肺炎だった。
 2人の対談に出てくる話はとてもガン患者とは思えぬ明るくユーモラスな内容である。
 赤塚さんが手術を拒否して民間療法に頼ったのは身近なところにその快癒モデルがあったからだ。彼の元夫人が5、6年前にガンを告げられ、もう死ぬよ、あとふた月だよと言われたのだが、手術を拒んで民間療法をやり、いまじゃぴんぴんしているというのだ。彼もあとふた月で物が食べられなくなると言われたが、それから10年を生きている。
 彼は、この対談のころ、過去10年間で8回も慢性肝炎で入退院を繰り返していた。そのあげくのガン発病だから、記者会見でそれを発表したところ、以来ものすごい数の健康食品やら何やら怪しいものが送りつけられ、家に押し掛けられるわ、電話は鳴りっ放しで、あれを全部試していたら、ほんとうに死んじゃうよ、と言いつつ、結局気にしない、気力で行けっということさ、と達観している。
 「まあ、死ねないっていうか、仕事をやってるときはめしも普通に食えるし、酒も飲めるんだよ。そしたら周りがさ、ガンのくせにと言うんだよ。なんかみんなが、ガン、ガンっていうから、もうなんとも思わなくなっちゃった」。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月08日

登下校の子ども達(見聞録)

 近所付き合いの疎遠化、個人情報保護法の過剰解釈による匿名化の広がりは、社会のつながりを希薄にさせるのでは、と日ごろから憂慮している。
 それに関して、長浜市内の女性から手紙を頂いたので、以下、紹介したい。
◇―10月2日朝の出来事です。家の前の通学路を登校する子どもの声を聞いていました。しばらくすると、ひどい雨が降り出し、主人が「さっき行った子どもらはカッパを着ていなかったけど、どうしたやろ」と、窓から確認しました。
 すると、子ども達は300㍍ほど先で立ち止まり、カッパを着ている最中。しかし、1人はカッパを着る気配がありません。雨はひどくなるばかり。主人は「ありゃ、カッパを持ってやんせんのやな。カッパとタオルを持って行って来るわ」と、軽トラで走りました。
 しかし、帰って来るなり「なんとも寂しい世の中になったものやな」とつぶやくのです。話を聞くと、結局、子ども達は全員がカッパを着ていたのですが、主人が「カッパ着れたのか?」と話しかけても、返事なし。「濡れへんかったか?」と聞いても、返事なし。最後まで子ども達は何も言わなかったと、がっかり。
 学校の行き帰り、知らない人とは口を利かないように教育しておられるのかも。それなら、「変なおじさんに声をかけられた」と問題になったらいかん、と学校に経緯を説明すると、「ありがとうございます。これからも何かあればよろしくお願いします」と言われました―。
◇手紙はもう少し続くのだが、後日、家人にお話をうかがったところ、「今の若い母親の中にも、道ですれ違って目が合っても、あいさつせずに無視する人がいる。親がそうなら、子どもも、そうなってしまう。なんとも殺伐とした世の中ですね」とため息。
◇人は社会という組織に属し、数々の人間関係に支えられながら生活している。「生かされている」とも言える。その社会の中には、家庭があり、学校があり、そのほか、近所や職場、部活動、趣味サークルなど、数々の付き合いがある。
 読者の皆さんには、今一度、日ごろの生活を振り返り、特に子育て中の親は、自分が子どもの手本となって、心地良いあいさつができているのか、確認して欲しい。
 人と人の橋渡しの基本、人間関係の潤滑油となるのが、あいさつなのだから。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月07日

ガンの特効薬はあるのか

 10日午後2時から高月町中央公民館で「丸山ワクチン」に関する講演会がある。
 ガン患者が余命いくばくもなしと医師から見離されたとき、家族が最後の寄り処とするのは、どたん場で生還することのできた人の体験手記や宗教、うらないのほか、丸山ワクチンなどがある。
 丸山ワクチンはガンの特効薬として早くから知られているが、いまなお治験効果の研究中で厚労省の認可がおりていない。このため保険制度は利用できないが、患者側が希望すれば主治医の協力で治験的に治療に使用している。使用した医師からの報告によるデータを集積中だが、目下のところ、ガン克服の夢のクスリとして広く患者やその家族に知られている。
 ぼくの親戚でも2件利用したことがあり、祈る気持ちでワクチンの注射液を手に入れたが、期待は報われることがなかった。
 しかし、過去のデータで完治している人や快方に向かっている人もあるので、全く否定することはなく、いまも最後の奇跡を思いつつ、利用している患者が多い。
 国立ガンセンターの最近の統計によると、日本では男女ともガンの患者は増加し続けており、2003年のガン患者数は1975年の約3倍に増えている。増加の主な原因は人口の高齢化による。
 それではガンの死亡数はどうか。
 男女ともガンの死亡数は増加し続け、2007年の死亡数は1975年の約2・5倍。増加の主な原因はやはり人口の高齢化。2007年にガンで死亡した人は33万6468人で、そのうち男性は約60%、女性は40%。このうち死亡数が多い部位の順位をあげれば男性は1位が肺、2位が胃、3位が大腸、4位が肝臓、5位が膵臓。
 女性は①大腸②肺③胃④肝臓⑤膵臓。
 ついでながら1993年から96年にガンと診断された人の5年生存率は49・2%で、男性は45・1%。女性は54・8%。
 それではどの部位のガン死亡が多いのか。2007年の統計では、男性の1位が肺ガンで4万7685人。2位が胃で3万3143、3位が大腸2万3010、4位が肝臓2万2900、5位が膵臓1万3029。以下、食道、前立腺、悪性リンパ、白血病、その他。
 女性は①大腸②肺③胃④膵臓⑤乳房⑥肝臓。以下、胆のう、子宮、卵巣と続く。
 ガン死亡の部位と年齢による変化を見ると、男性では40歳以上で消化器のガン(胃、大腸、肝臓)の死亡が多くを占めるが、70歳代以上ではその割合は減少し、肺ガンと前立腺ガンの割合が増える。
 女性では40歳では乳ガン、子宮ガン、卵巣ガンの死亡が多くを占めるが、高齢になるとその割合は減り、消化器系と肺ガンの割合が増加する。
 ガン罹患率で統計上注意すべきはガンにかかりやすい年代である。大腸ガンは男女とも40歳代後半から増加。前立腺ガンは60歳代から増加。乳ガンは30歳代後半から増加、50歳代から減少。子宮ガンは20歳代から30歳代では増加、50歳代から減少。卵巣ガンは40歳代から増加が目立つ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月06日

アウグスブルク(見聞録)

 長浜市の姉妹都市、独アウグスブルク市のクルト・グリーブル市長ら代表団8人と金管五重奏のメンバー5人が長浜を訪れている。
 姉妹都市提携から50年を迎えるのを記念した来浜で、8日までの3日間、市民と友好を深める。
◇アウグスブルクの歴史は、長浜と比べ物にならないくらい古く、その起源は紀元前15年にまでさかのぼる。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが砦を築き、皇帝の名前をとって「アウグスタ・ヴィンディリクウム」と名づけたのが由来。
 市庁舎の広場から伸びる通りは、イタリアへ通じるローマ軍の軍用道路の名残り。その道は南ドイツからアルプスを越え、イタリアのヴェローナに達し、「ローマ皇帝街道」とも呼ばれていた。ちなみに、ヴェローナも長浜の姉妹都市だ。
◇アウグスブルクにまつわる宗教とカネの話が興味深い。
 中世の豪商フッガー家はアウグスブルクを拠点に貸金業などで莫大な財産を築き、その財力を背景にローマ教皇とのコネクションを持ち、政治や宗教への影響力を高めた。
 この時代、教会は裁判権を有していたが、サン・ピエトロ大聖堂の建設でフッガー家から莫大な借金をしていたローマ教皇は、献金と引き換えに罪を許す「免罪符」を配布。その売上を借金の返済に充てていた。
 それに異議を唱え、教会と対立したのがマルティン・ルターで、アウグスブルクは「宗教改革の街」としても知られている。
◇ヨーロッパで、格段の歴史を誇るアウグスブルク市が、長浜市と姉妹都市提携を結んだのは、ヤンマーディーゼル株式会社の初代社長・山岡孫吉氏の尽力による。
 山岡氏は、ディーゼルエンジンを開発した発明家ルドルフ・ディーゼル博士の顕彰碑をアウグスブルク市内に建立し、これが縁となり、両市が姉妹都市提携を結ぶことになった。
◇50周年を機に両市の親交がより深化することを願うと同時に、昔、学校の教科書で習った「アウグストゥス」「フッガー家」「ルター」「宗教改革」といった歴史の勉強の機会としたい。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月05日

民主党の心配のタネ

 民主党内閣がムダの廃止や官僚の天下りを含む特殊法人の廃止などを進めているのは賛成であるが、心配の種が一つある。
 それは安倍内閣時代に決められた新教育基本法の見直しである。
 新しい教育基本法は国旗と国歌を日本の誇りとして敬愛することを規定し、道徳教育の充実がうたわれた。特に道徳教育については教育補助教材「心のノート」を全国の小中校生に無償で配布している。
 これは子どもの発達段階に応じ、小学生の低、中、高学年用と中学生用の4種類がある。ところが民主党は文科省予算の検証に当たり、これをムダときめつけ廃止する方針だという。
 民主党は道徳教育になぜ冷たいのか。それは民主党内に大きなウエイトを閉める日教組という教育労働組合が反対しているからである。
 戦後の日教組の数ある反政府闘争の中で一番激しく執念深く取り組んできたのは道徳教育だった。
 いまも日教組の教育研究集会には人権教育や平和教育の分科会はあっても道徳関係は一つもない。
 日本の教育現場に関わる先生の組合が一貫して道徳教育を否定しているのは理由がある。それは日教組は社会主義思想を根底に持ち、窮極の社会主義革命において道徳教育はプラスにならないと考えるからである。
 中国の毛沢東が国民党の蒋介石を台湾に追い落とし、共産主義政権を樹立したさい、これまでの同国の国民規範とまで尊ばれてきた孔子の論語を「封建的反動思想」ときめつけて、これを一掃する運動を展開した。
 論語は日本にも早くから伝わり、政治家や役人はいうに及ばず、広く国民の守るべきモラルの書として大切にされてきた。
 その大切な人間のモラルを革命の邪魔になると排撃したのが中国共産党であり、その思想がさらに宗教の否定や寺院潰しに発展し、今日のチベット問題など少数民族の人権無視につながってゆく。
 日教組は官庁、公共団体、公社系の労働組合の中でも先鋭的な闘争活動を続けており、そのねらいは教育の主導権を文科省、教育委員会、校長から奪いとって、組合の方針に基づく教育実施である。そのための道徳教育反対であり、学力テストの廃止や、教員免許更新制反対を叫ぶのである。あな恐ろしきかな。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月03日

就活戦線 継続中(見聞録)

 滋賀夕刊では2010年3月の大学卒業生を対象に新入社員を迎えることになり、目下、会社見学会・説明会の受け付け中だ。
 あらかじめ新入社員の採用計画があった訳ではなく、急きょの戦力増強。2010年新卒の就職戦線が終結を迎えようとする中での参戦だが、昨秋以来の不景気で、未だ内定を得ていない優秀な学生が残っていると分析する。
◇おととい10月1日には多くの企業で、来春採用者の内定式が開かれたが、その前日の9月30日、彦根市でまだ就職が決まっていない学生を対象にした会社説明会に参加した。学生に就職情報を斡旋する「学情」が、政府の緊急対策に伴って企画し、就職活動に苦戦している滋賀大、県立大、バイオ大、聖泉大の学生らが訪れた。
 関係者によると、国公立大学でも2~4割程の学生が内定を得られず、私立はさらに厳しい状況にさらされているという。
 小紙の説明を受けてくれたある学生は、出身地でのUターン就職を目指していたが、採用企業が少なくて、滋賀での就職活動に切り換えたことを明かしてくれた。
◇そんな中、就職情報を取り扱う「マイコミ」の営業者から2011年の新卒採用向けの企画書を頂いた。早くも来月から就職セミナーが始まるので、その案内だった。
 同社の今年度の「就職戦線総括」によると、新卒者の就職活動はおおよそ5月末で一定の区切りを迎え、昨年の場合は76%が内々定を得ている。しかし、今年は63・5%に落ち込み、6月以降も就職活動を継続させる学生が半数を占めていた。
 大手企業の採用が終わったこの時期、学生は強い危機感を抱いているだろうが、中小企業にとっては優秀な新卒者を採用するチャンスとなる訳で、小紙も期待している。

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月02日

心のマグマがフツフツ

 定年後のダンナが家でごろごろしているほど難儀なものはない、とは、主婦一般の声である。
 ひとむかし前、「ぬれ落葉」が流行したが、長年の一家の柱のゆきつく先がこんな無礼な言葉で笑い種になるとは、世の男性たるもの奮起せざるべからず、ということになる。
 女房の尻にくっついて明け暮れする定年後の男はかわいそうで絵にもならないが、そういう男に限って働きもので、正直で、やさしくて…。女性にとっては最高の「うちのダンナ」であったはず。
 これも昔の流行語だが、「亭主元気で留守がよい」。
 要するに男というのは、時計の針のようにきちきちと正しく回転し、朝は弁当持参で出勤し、帰りは飲み屋の誘惑に負けず、月給はきちんきちんと封を切らずに女房殿に…。
 これがひところの優等生サラリーマンのモデルだった。世の中、万事、さま変わりして、いまどき女房の手作り弁当でもあるまいし、それに月給袋なんかとっくの昔に言葉まで消えてしまった。紙片一枚、手にしただけで、肝心のサラリーは銀行の口座に振り込まれている。
 これではインチキ請求書などヘソクリするどころか、印鑑もろとも女房殿の支配下に。
 「女性を大切にせよ」、だれが言い出したのか。役人さんか大臣さんか。男野郎が小さくなって、やさしくなって、女さんが天下を握るご時勢とはなりにけり。ノーベル平和賞ものだが、その後遺症が草食系男性を世に広めた。
 この風潮は文学の世界にも表れはじめた。10月号の「未来山脈」なる口語短歌誌を紹介しよう。
 以下は諏訪(長野県)のFさんという主婦の短歌。
○家事くらいやれよと怒声を背に浴びながら予約客の確認をする
○働くというならオレの金の上にあぐらをかくなとドアを閉められて
○宅配便の荷物が届く また勝手に買ったの?と問いつめられる
○自分で食べたものくらい片付けろよと土曜の朝から小言始まる
 これはダンナが女房を叱っている図であるが、その叱り声はカワズの頭にションベンくらいの効果でしかない。
 次は福知山(京都)のFさんの短歌。
○スキッと生きて来た人にはじれったいやろオドオド顔色見る女は
○越えたい超えたくない平穏がいいでも心のマグマがフツフツしてる
○兄に叱られていた義姉が伸び伸びといる いつ越えたのか
 ※注「未来山脈」発行所は長野県下諏訪町湖畔、光本恵子主宰。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2009年10月01日

ご縁に感謝して(見聞録)

 きょう10月1日から小紙の社長を担うことになった。
 湖北、湖東地域で50年間発行し続けてきたローカル新聞の、新しい歴史作りを任され、その重責に身震いすると同時に、「覚悟」という言葉が頭の中を駆け巡っている。
 大辞泉によると「覚悟」とは①危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること②仏語。迷いを脱し、真理を悟ること③来るべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること―とある。
 ここ数カ月の小生の心中は、③→①へと移り変わったが、「人間、覚悟を決めた時が成長するチャンス」との兄の言葉に、今はやや吹っ切れている。
◇「地域のことは地域が決める」という、地方分権、地方主権への移行が求められている今、小紙の果たすべき役割は何なのか、自問したい。
 加えて、来年1月1日には長浜市、虎姫町、湖北町、高月町、木之本町、余呉町、西浅井町が合併し、ひとつの市となる。湖北地域の一体感の醸成のため、その一助となりたい。
◇読者の一言が滋賀夕刊を育てる―。そういう思いで、読者からの叱咤や助言を歓迎し、電話、手紙、はがき、Eメールと、手段は何であれ、読者との距離をより縮める機会としたい。
 経験も知識も浅い未熟者ゆえ、至らない点は「盛りだくさん」だが、この湖北地域で滋賀夕刊の発行に携われるのも何かのご縁。このご縁に感謝し、社員一丸となって、新聞制作にあたりたい。

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
“新聞広告の資料請求、ご案内はこちらから"
 
長浜市
長浜市議会