滋賀夕刊50周年の御礼
「滋賀夕刊」は今年50歳を迎えることができました。
去る26日、嘉田知事、田島環境副大臣、各市町長ほか多くの来賓のもと、創立50周年記念式典を催すことのできましたことは、わが社にとって最大の栄光と喜びであります。社員とともにこれまで愛読頂き、ご指導、ご支援下さいました多くのみなさまに心から感謝申し上げます。
滋賀夕刊は昭和34年8月13日を創刊第1号とする日刊地方紙であり、当初は「夕刊滋賀」の題号で、エリアは旧長浜市でした。その後、東浅井、伊香、坂田、彦根版を発行し、一時は「わかさ新報」の名で敦賀方面に進出しました。
彦根は「しが彦根新聞」の題号で週2回刊として愛読されています。
本紙が郵政省から第三種郵便物の認可を受けたのは昭和34年9月24日ですから、今年を昭和年号でいえば昭和84年ということになります。西暦では1959年生まれで、現在2009年、まるまる50年、半世紀に達したわけです。50年前の9月26日は伊勢湾台風の直撃を受け、近畿、東海で死者5000人を超える惨事となりました。
姉川は随所に決壊し、天野川ほか各地の河川が溢れ、至るところで床下浸水があり、長浜市の米川流域では床上浸水の被害もありました。
十年ひと昔といいますが、50年という歳月は、政治、経済、社会、個人の生活に至るまで、夢、まぼろしの如き大きな変化を生みました。
いまの北ビワコホテル、ロイヤルホテル、長浜文芸会館あたりはまんまんと青い水をたたえた琵琶湖でした。長浜駅から宮司、七条に至る広いメインストリートは着工の段階であり、現在の国8(長浜バイパス)は計画段階で昭和41年の市民会館建設が呼び水となりました。
モータリゼーションと呼ばれる車社会は昭和40年代後半からのことで、本紙創刊のころは車を持つ人は極めて限られており、街の中ではどこにでも車を停めることが出来ました。
この50年間は経済のみならず、あらゆる面で豊かさと便利さを追求し、その成果に酔いましたが、しかしその反面、国家と国民の将来に不安をもたらす多くの逆効果を生みました。それは一口に言えば環境破壊であり、国民の生命と健康の脅威ともいうべきもろもろの公害発生でありました。
過去を振り返りながら、あらためて報道の任の重さを痛感し、その使命感に身の引き締まる思いが致します。
さらなる50年を期し、一層のご指導、ご支援を心から御願い致します。【押谷盛利】
2009年09月28日 14:53 | パーマリンク
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