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農山村に明るい手を

 名は体を現すとか、言葉は言霊といって魂が宿るとか言われてきた。
 だから痴呆症を呆けと言わずに認知症という新語を広めさせた。
 学者の知恵だろうが、「認知」と「痴呆」は100%言葉のニュアンスが違う。日本語のよさを潰したような呼び名であるから、これに決めた政府やマスコミは後世の笑いぐさになるだろう。
 それと似た新しい言葉でぼくが許せないと思うのは「限界集落」という新語である。
 高齢者が人口の50%以上を占める村(集落)をそう呼ぶが、これも言霊説からいえば福祉とか、希望に水をぶっかけるような冷たい言葉である。
◇村起こしや、町起こしに、手を替え、品を替えて、全国の農山村が取り組み、その地方の市町村が施策に頭を痛めているとき、老人の多い村をきめつけるかの如く、「限界集落」と表現するのは弱者切り捨ての暴言といってもいいのではないか。
 限界とはぎりぎりの境で、生きるか死ぬかの限界、あるいはこれ以上は走れないという運動の限界。つまり、不幸の一歩手前、闇夜の手前を想像させて、そこに永年住み、営々として村を守ってきた人々から夢と生き甲斐を奪うようなダメージを与えるのではないか。
 それが「限界集落」という言葉のもたらす欠点である。
◇政府や政治家や役人は口先だけなら何とでも言える、と出まかせのように山村復活だとか、棚田保存、山の自然保護、あるいは高齢者福祉などをいうが、人口が流出し、山が荒れ、老人比率の増えてゆく地方のことを本気で案ずるならば、もっと、現実に即した施策があるはずだ。
 利用度の低い高速道路や空港に巨額をつかったり、都会人の遊びや消費を応援するバカな予算や国民に対する一律給付2兆円などをやめて、集落の捨て畑や休耕田の活用、山林の復旧に財政支出をすべきであり、都会人の帰農対策にも支援制度を設けるべきである。
◇また集落に若い人が住まなくなれば、子供はいなくなり、教育、福祉、集落の管理、交通等の上でさまざまな悪条件が重なり、地域の住民の物質的、精神的負担は大きいが、地方にライトを当て、住民に刺激や明るさを注入する現実的対応が必要であり、そのためには住む人たちの願いや要望に耳を傾けねばならぬ。このような前向きの姿勢に水をかけるのが限界集落なる言葉であり、切り捨てを意味する脅しの声でもある。【押谷盛利】

2009年05月29日 15:01 |


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