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子供のころの父の流感

 インフルエンザと聞けば、ぼくは子供のころの忘れ得ぬ恨みを思い出す。
 そのころはインフルエンザとは言わず、悪性の風邪と承知しており、問わず語らず「流行性感冒」、略して流感と恐れられていた。
 確か昭和9年(1934)の冬で、ぼくは小学5年生だった。放課後、寺の境内で友人と遊んでいた矢先、突然父が通りかかり、ヘナヘナとぼくの肩に寄りかかり、いまにも倒れそうだった。仕事からの寄り道、とても家までは帰れず、ぼくの遊んでいる姿を見て、杖代わりにしようとしたらしい。
 びっくりしたぼくは、遊びどころではなく背にもたれる父を引きずるようにして家へ帰った。
◇翌日、学校から帰ると、父は寝室に重病人のように臥しており、部屋の戸の隙間は全部貼り紙で密閉し、傍に置かれた火鉢にはやかんの湯がしゅんしゅんと音を立て、部屋の温度は高められていた。母が湿布をしていたようだが、記憶は定かではない。
◇医師の診察で流行性感冒と分かり、部屋を温め湿度を高くし、絶対安静が命じられた。妙な話だが、医師はぼくら家族にウガイやマスクを教えることも、他人との接触を禁ずることもしなかった。
◇そのころ、ぼくの村は感冒の流行で沈痛な気分がみなぎった。
 村の戸数は200戸くらいと記憶しているが、流感は燃えひろがり、次から次へと死者が出て、村の火葬場のカマが冷えるいともないといわれるほどだった。
◇叔母が亡くなったのは父が回復した直後だった。
 しかし、学校が休みになることもなく、患者の家の子が登校を止められることもなかった。学校で特別な予防法や対策を講じることもなく、ウガイもマスクも手洗いさえも指導された記憶がない。
◇ようやく冬が終わり、春の4月5日は村の祭だった。
 子供神輿の役が当たっていたぼくに、その日の朝、お祓いを受けるよう世話方から達しがあった。なんで?と不思議がっていると、近親者に不幸があり、けがれを祓うという。お祓いを受けたのは他にも7、8人あった。
 いま、平成の新型インフルを目にして、まさに感無量である。【押谷盛利】

2009年05月22日 14:54 |


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