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曳山祭の伝統と格式

 桜の開花を前奏曲に、湖国に春を呼ぶ長浜曳山祭がいよいよ13日から始まる。
 いまは4月執行のいわゆる春祭であるが、江戸時代から昭和の戦前までは秋祭だった。
 戦後、秋から春に変更したのは秋の収穫期の最盛期を避けて、桜の季節に合わせ、近郊近在の農家の長浜詣での最適期を考えたものであろう。いわば観光政策といってもいい。
 しかし、観光だからといって、祭のやり方や祭礼の日を変えることは許されぬ。戦後、観光面を重視して、土曜、日曜に執行するようにとの意見が出たことがあるが、山組や総当番の会議で一蹴されたことがある。
 厳粛なる神事なるがゆえに時勢に左右されることなく、古来からの伝統と格式を守るべきだ、と。
◇ちなみに「長浜市史3」は江戸時代の長浜町民の心意気と郷土愛について触れているが、この中にある寛政9年(1979)9月付の祭の日程表が興味深い。
 これは諫皷山・御堂前組の「祭礼留」に記録されている山組若衆惣代2人、中老惣代2人当番、横目が連印の上、町年寄に提出された請書である。
 その内容は次の通り。
 ▽13日=御幣頂戴。朝五ツ時(午前8時)当番町役人・若衆1人を連れて社参し、当番町役人方へ勧請する。
 ▽13日=くじ取り。当番、加番役人、若衆1人だけを召し連れる。申し渡されたことは厳守する。
 ▽14日=場馴し。晴雨に拘わらず、七ツ半時(午前5時)。八幡宮境内への曳山引き入れは日中限りで人数を引き取る。
 ○引山=大物なるゆえ、互いに礼儀をただし、挨拶を励行し、非礼の口論が起きないように。
 ▽15日=一番山、未の上刻(午後1時)に御旅所に曳き付ける。
 15日、雨天。戌の刻(午後8時)までに雨天の場合は役人相談の上、延引の願いを行う。戌の刻過ぎに降雨の場合は急いで進めること。延引の願いはできない。
 ▽15日=御輿還御。夜九ツ時(午後12時)に行う。山渡りが遅れて時刻に間に合わないことが分かったときは、山組役人ども相談の上、狂言・場所なども抜いて、夜九ツ時に還御できるようにする。
 狂言仕組=写本でき次第、中老分へ差し出し、判断の上、役人中に差し出すこと。
 ▽13日=狂言見物。役人中が見分し、長い狂言はその夜に指図して短くする。
 ▽仕組狂言=若衆が仕組む狂言は、ひらがな2300文字以内とし、無言の狂言など仕草を入れないこと。
 ▽短い狂言=例年より短い狂言でも刻限より延引すれば指図により中止となる。
 以上は誓約の請書として総当番へ提出したものである。
◇祭礼の曳山狂言は各山組の若衆によってすすめられ、中老を後見として実施した。
 会計は若衆に任され、多額の経費は頼母子講による利息の益金や他所から山組に居住した養子、家屋敷購入による町入り金などが当てられた。
 祭が盛大となり費用もかかるので、折にふれ領主から派手にしてはならぬ、との達しもあった。
◇記録によると、彦根藩主の井伊直中は曳山を二回、彦根に運ばせ、欅御殿で観覧している。
 江戸期から昭和の10年ころまでは12の曳山が全部出て、子供狂言が行われたが、長浜町衆の祭りにおける意気込みもさることながら、これを支えた長浜商人たちの経済力のしたたかさを知ることができる。【押谷盛利】

2009年04月13日 16:32 |


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