イスラエル・歴史考(見聞録)
イスラエルとパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの戦争は、合意を見ないままそれぞれが一方的に停戦し、一時の平穏を取り戻した。
パレスチナ人の死者は1300人を超えている。圧倒的軍事力を持つイスラエルによるガザ市民の殺りく劇だったとの印象を受けるが、イスラエル国内の世論調査では国民の9割がガザ侵攻を支持している。
なぜ、こうも一方的な戦争が、国民の支持を集めるのか。そもそも、イスラエルとパレスチナの争いの起源はどこにあるのか。
◇近代史を振り返れば、パレスチナの地は、主にイスラム教を信仰するアラブ人が住んでいたが、オスマントルコやイギリスの植民地だった。19世紀後半、そこに、ヨーロッパやアフリカなどからユダヤ人が移り住み、爆発的に人口を増やし、パレスチナ人との対立を生んだ。
国際連合が仲介し、パレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家に分割する決議を採択したことで、1948年にユダヤ人がイスラエル建国を宣言した。
これに反発するエジプト、サウジアラビア、イラク、ヨルダン、シリア、レバノンなどの周辺アラブ諸国は、同年、一斉にイスラエルに侵攻したが、兵器と士気に勝るイスラエルが優位に戦争を進め、独立を勝ち取った。一般的には第1次中東戦争と呼ばれているが、イスラエルでは「独立戦争」。
1956年の第2次中東戦争では、イスラエルがエジプトのシナイ半島に侵攻し、半島の大半を占領した。実は、この戦争、スエズ運河の国有化を打ち出したエジプトに対し、利権獲得のためイギリスとフランスがイスラエルを扇動したものだったが、国際的非難を浴びてその目的は達成できなかった。
◇1967年の第3次中東戦争では、イスラエルがエジプト、シリア、イラク、ヨルダンに先制攻撃し、ヨルダンのヨルダン川西岸、エジプトのガザ、シリアのゴラン高原などを占領し、その領土を戦争前の4倍に拡大させた。たった6日間の出来事。
1973年の第4次中東戦争は、失地奪還を狙うエジプトとシリアがイスラエルに先制攻撃をしかけ、一時、シナイ半島やゴラン高原などを奪い返すが、次第にイスラエルに押され、再占領を許すことになった。なお、この戦争ではアラブ各国がイスラエルを支援する欧米を牽制するため、石油輸出を制限したことで、「オイルショック」を引き起こした。
この4度に及ぶ戦争で、今の占領地「ガザ」「ヨルダン川西岸」が生まれた。
◇そもそも、ユダヤ人国家の歴史は紀元前10世紀に遡る。当時、ユダヤ人は古代イスラエル国家をパレスチナ地域に築き、繁栄を謳歌していた。
しかし、紀元前586年に新バビロニアの侵攻を受けて崩壊。ユダヤ人は奴隷としてバビロン(現イラク国内)に連れ去され(バビロン捕囚)、以来約2000年、国を持たない民族として、欧米やアフリカをさまようことになった。
19世紀末期からの帰還運動の末、建国されたイスラエルは、ユダヤ人にとって2000年の悲願であり、その死守のためには、血を流すしかないことを中東戦争を通して学んでいる。そして、彼らの生活は常に戦争やテロと隣り合わせ。
そういう歴史が背景にあるから、今回のように一般市民の犠牲もいとわない作戦が、国民から支持されるのだろう。
しかし、ユダヤ人は一時、ナチス・ドイツによりヨーロッパで絶滅の危機に追いやられた歴史も持つ。今、その歴史を、立場を変えて繰り返しているように思えてならない。
2009年01月20日 15:42 | パーマリンク
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