敏感と鈍感について
打てば響く、というのは、対応の敏感さを形容するたとえで、頭のひらめき、回転の早さ、行動力といった総合能力の点では出世コースの条件ともいえる。大学生が就職試験でこの能力を試されるのは、口頭試験、いわゆる面接の場かもしれない。
打てば響くの反対は蛍光灯、あるいは昼行灯(あんどん)にたとえられよう。
蛍光灯は、スイッチを入れてもすぐ明るくはならない。しばらく、ぼぉっとして、こちらがやきもきしているうちに、だんだん明るさを増してくる。あんどんは、小型の照明器具で、今の電気スタンドのような働きをした。夜間の外出用に携行するのが提灯(ちょうちん)で、これは今の懐中電灯の先祖である。
昼は日の光で家の中でも明るい。これを念頭において、昼の行灯(あんどん)を想像すればいい。火を点(とも)して、明るくしたつもりでも、その明かりは目立たない。灯(とも)しているのか、どうか、はっきりしない。
◇打てば響くは敏感、昼行灯は鈍感。感じから言えば、馬は敏感、牛は鈍感。
一を聞いて十を知る聡明さには敏感がふさわしいが、重厚にして踏み外しのないのは、一見鈍感に見えても、四方に目を配り、慎重さがあるからだろう。
敏感と鈍感は全く相反するようだが、考え方によれば感性の表と裏の両面かもしれない。
商売人は口八丁、手八丁、とかく敏感さが成功の秘訣のように思われるが、実際は鈍感型が勝利することが多い。敏感すぎては、相手に疑心を抱かせることにもなり、取引上、警戒されることが多い。これに反し、鈍感型は、実直で、安心して取引きできるのかもしれない。この人なら、まさかウソはつくまい、ごまかされることはあるまい、という信頼感が生まれるのであろう。
そのことを知ってか、商人たちは「すこぼこ」がよい、と後輩を指導する。
すこぼこは「すこ」と「ぼこ」をミックスした複雑な言葉で「すこ」は「すこい」で、もとは「こすい」。ずるい、わるがしこいの意。
「ぼこ」は、ぼこいという方言に由来する。ぼけ、ぼんくら、ぼんやりと同じ意味。そこで「すこぼこ」だが、賢いところを表に出さず、一見、ぼんくらふうに見える言葉づかいや態度をいう。
つまり、賢くても賢いところを表へ出さず、表面は少し、おっとりしているところを見せるのが、相手を安心させるコツだというわけ。
◇意識しての「ぼけ」はともかく、昼行灯は困りもので、こちらが何か用をいいつけてもあるいはものを尋ねても、ちんぷんかんの答が返ってきたり、全く理解していないふうの人がいる。何か別のことを考えているのかもしれない。
こんなのは、人の話を「うわのそら」で聞いているのかもしれない。耳の不自由な人は別として、人の話に応じられず、ちんぷんかんぷんの受け答えしか出来ない人は、注意力不足としか言いようがない。
おそらくマンガの読みすぎか、前夜のゲームの失敗が心に残っているのだろう。あるいは近未来の計画に読みふけっているのかもしれない。他のことに心を奪われて、相手が何を言っているのか、とっさに判断がつきかねるから変な受け答えをするのだが、これでは興ざめであり、信用を失う。
◇いま、小学校で問題になるのは、真剣に先生の方を向いて、先生の話を聞く子が少なくなっていることらしい。顔だけは先生の方に向けても、頭の中は別のことを考えている子もあるらしい。全く先生に関心を持たないのは困りもので、他の生徒の授業の妨害になるだけでなく、いわゆる「うわのそら」派を授業妨害派に追いやることになる。一心に、本を読む、ものを学ぶという習慣が子供のころに育たなければ、本人の長い人生に不幸の種を蒔くことになる。【押谷盛利】
2009年01月19日 15:39 | パーマリンク
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