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合併と王道楽土の話

 長浜と北部6町との合併話が行ったり来たりして、周りの者をやきもきさせているが、ぼくはゆくゆくは長浜市議会も合併に踏み切るとみている。いや、踏み切らねばならぬと思っている。なんでやね、と急ぐことに反対する人もあろうが、合併した方がよいから、すすめなさいと、国の方針もあることだし、そのための財政的な支援もあるのだから、鉄は熱いうちに打ての教え通り、同じやるなら早い方がよいと思う。
 それにつけても、長浜市の合併特別委員会は腰が重い。
 腰の重いのは、合併後の損得を慎重に考えているのであろうが、問題は考え方の根本である。合併しなければ現状の長浜市と現状の6カ町がそのまま、これまで通り存在するだけである。合併すれば、長浜と6町が一つになって、長浜市になるだけである。
 どこが違うのか。違うところは一つもない。ばらばらにあっても、一つになっても、この湖北の地域は動くものではなく、人々の暮らしも変わらない。勤めに出る人は勤めるし、百姓する人は百姓するし、年寄りもあれば子供もいる。
◇ぼくは、長浜という一つの枠にとらわれることはどだい頭が古いと思っている。
 明治以前の人は、野瀬村の人は野瀬以外は知らなかったし、行き来もしないし、婚姻もしなかった。それは国友町でも川道でもどこでも同じで、いまの集落が「村」と呼ばれ、村が末端の行政であり、そこに庄屋や村の役人がいた。野瀬が上草野村になっても、国友が長浜市に、川道が大郷村からびわ町になっても、野瀬は野瀬、国友は国友、川道は川道で、それ以外でもなんでもない。
 ただし、世の移りや、産業、交通の変化で、人口の移動や住民の暮らしぶりは変化した。それは日本国中、みんな同じである。
 武士の時代がなつかしいからと、チョンマゲを続ける人もあれば、着物は不自由だから洋服にする人もあったし、バス賃がもったいないから駅まで歩いた人もあり、人々の考え方や行動はいつでもどこでもまちまちである。
◇坂本龍馬は勝海舟に地球儀をみせられて、世界というものを知り、彼自身の人生革命を行ったが、そういう意味では目先がきいた。大久保利通や西郷隆盛、高杉晋作、伊藤博文などは明治期の日本を外国並みに発展させた大功労者だが、みんな「日本」を頭に置いた。
 そのころ、古い頭の藩主や家老、上役は、日本ではなく自己の藩だけが頭にあった。井伊藩のものは近江だけを中心にものを考えた。
 だから、ぼくは、長浜のにえきらぬ議員にはレンコンかチクワを食べさせれば先がよく見えるかもしれないと、ほくそえむのである。
◇一升入るビンには一升以上の水は入らぬ。とりあえず湖北1市6町の容れものを一つにすれば、ものを入れるときに入れやすいし、効率的に入れることができる。1市6町で、それぞれがばらばらの世帯を持っていると無駄ができる。
 合併すれば無駄が省けるから、いままで通りだったら、税金は安くなるにきまっている。住民サービスがよくなれば、さらに住民は得をする。役場が遠くなるとかいう人がいるが、一生のうちに役場を知らぬ人もあるはず。役場なんか見なくとも生活がうまくいけばそれが一番である。
 これからは万事効率よくが最重点で、もし新長浜をよいものにするには、行政の指導者や市議らが頭を180度切り換えて、とりあえず、まんべんなく医療と老人福祉、それに教育にたっぷりと予算を使って、市民の少ない負担で、安心して住みよい世界をつくることだ。それ以外のことは思い切り節約して、新市の市民がみんな兄弟姉妹のように仲よく助け合って、日本でも模範となる住み心地よい郷土にすることだ。そのやり方に知恵をしぼれば、土地が広ければ広いほど宝を探すように希望があり、楽しみがある。王道楽土はみんなして作るのがよい。【押谷盛利】

2009年01月15日 15:17 |


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