滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2009年01月30日

事故の時こそ、思いやり(見聞録)

 長浜警察署が先日発表した平成20年の交通事故統計によると、長浜市と東浅井郡の事故件数は合わせて3730件。1日あたり平均10件余り。交差点など出合頭の事故が全体の4分の1を占めている。
 ドライバーは常に、交通事故の危険と隣り合わせ、との気持ちで、ハンドルを握る必要がありそうだ。
◇28日、市内の男性から電話を頂いた。交差点で交通事故に遭ったという。
 男性は交通ルールを守って車を運転していたところ、一方通行の道路を逆走して交差点に進入してきた無謀運転の車に追突された。そのうえ、「車に傷をつけやがって。どうしてくれるんや」などと、一方的に怒鳴り散らされたという。
 男性は、萎縮して反論できなかったようだが、あまりの横暴な態度に「非常識なドライバーだ」と怒り心頭。
 事故を起こした際には、相手に怪我が無いかを確認し合うのが、ドライバーのマナーで、一方的に相手が悪いと罵るのは、自己の心の狭隘さをさらけ出しているようなものだ、と指摘していた。
◇小生も数年前、彦根市内で交通事故に遭った。見通しの悪い交差点で、赤色の点滅信号の通りから突っ込んできた車が、小生の車体にのめり込んだ。
 幸い、怪我はなかったが、車を運転していた男性が、ものすごい剣幕で怒鳴り込んできて、あっけにとられたのを覚えている。
 後に現場に来た警察官から「赤点滅は一旦停止が必要ですよ」と諭されたようで、男性は翌日、菓子折りを持って詫びに来た。
◇交通事故を起こしたとき、負傷者がいる場合は真っ先に救護が必要だし、人身、物損に関わらず、警察に報告する義務がある。
 事故の瞬間は、気が動転したり、頭が真っ白になったり、自己防衛意識が働いて一方的に相手が悪いと責め立てることがあるようだ。だが、そういう時こそ、心の平静を保ちたいし、相手を思いやる余裕を持ちたいものだ。

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2009年01月29日

餓死寸前の貧窮と村長

 日本の古代史研究の学者、元立命館大学教授北山茂夫氏は「萬葉集とその世紀・上巻」(新潮社)で、山上憶良の貧窮問答の時代背景を八世紀の前半と解説している。
 具体的には持統天皇の曾孫にあたる聖武天皇が即位してからの10年くらいたった天平時代の初めごろに作られたという。
 筑前の守を経た老官人の憶良が作って上官に差し出したと推測するが、制作年代は未詳である。
◇それでは貧窮問答の答えの一首、長歌を披露する。
 訳文は「萬葉集・高木市之助・田辺幸雄編=角川書店」を参考に意訳した。
 【第二段】
 天地は広いというが、おれのために狭くなったのか、日月は明るいというが、おれのためには照ってくれないのか。だれでもみんなそうなのか、それともおれだけがそうなのか。たまたま人間として存在し、人並みに成長したのに、綿もない布の肩衣の、海藻のようによれよれになったぼろぎれを肩にかけ、押しつぶれ、へし曲がった小屋の中に、土間へ藁を敷いて、両親は、自分の頭の方へ、女房や子どもは足の方へ、ざこ寝のようにまるく固まって、うめき嘆きこぼすことである。
 かまどにはものを焚くことがないので、煙の立つこともなく、米を蒸す蒸し器の中は使わないから蜘蛛(くも)が巣をかける始末。飯をたくことも忘れて、ぬえ鳥のように、か細い不景気な声で何か言っていると、鞭を持った村長の声が寝間の戸口まで来ておれを呼び立ててしまう。世の中の道というものは、これほどまでにどうしようもないものか。
◇土間に藁を敷いて、ぼろぎれを着て、壊れかかったような小屋で、両親、夫婦、子どもらが固まってざこ寝をしている冬のさむざむした様子が目に浮かぶが、それに輪をかけて、食うものもない貧窮の生活。これでは凍ってしまうかもしれぬし、餓死するかもしれぬ。こんなみじめな生活、どうしようもないものか、と嘆く絶望、怒りが想像されてもの悲しくなるではないか。
 ごてごていうと、捕らえて罰を与えるぞという、鞭を持つ村長の声も聞こえそうである。
 憶良はこの長歌の反歌として、次の一首を頓首謹上として上司に差し出している。
「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」(巻5、893)。
 憂しは辛い、やさしは恥ずかしい。
 世の中を辛いとも恥ずかしいとも思うけど飛んでいってしまうこともできかねる。鳥ならほんとにそうするのだが鳥でないから。【押谷盛利】

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2009年01月28日

山上憶良の貧窮問答

 万葉集のなかで最も異彩を放っているのは山上憶良の貧窮問答歌であろう。
 二部構成の長歌で、始めに貧しい男が冬の夜の寒さに耐えかねて絶望的に問いかけ、これに対してさらにみじめな貧しい男が、世の中、なんでこんなに苦しまねばならぬのか、と嘆きながら答えている。
 2人の貧しい男の対話の形をなしているが、作者憶良の当時の庶民感覚による心の叫びであろう。
◇山上憶良は学識の才がありながら家がらの関係か出世コースに乗らず、聖武天皇のころ、晩年になって筑前の守に任ぜられた。言わば身分の低い宮廷役人だった。
 しかし、生まれつき頭脳明晰であったのか、若いころは遣唐使の書記として唐に渡っている。
◇さて、貧窮問答の長歌は内容が具体的で、当時の庶民の暮らしぶりの一端がうかがわれ非常に興味を呼ぶ。
 原文を全部紹介したいが万葉集時代の言葉で分かりにくいところが多く、原文と訳文を書けば紙数をとるので、ここでは、角川書店発行の「万葉集(高木市之助・田辺幸雄編)」の訳文を参考にわかりやすく意訳して紹介する。
【第一段】
 風まじりに雨が降り、雨まじりに雪の降る夜は、どうしようもなく、酒の粕汁をすする。咳は出るし水鼻はぐずぐずするし、不精髭(ひげ)をなでながら、おれ以外は人間らしい人間はあるまいと自慢はするが、やっぱり寒いので、麻のふとんをひっかぶり、布の袖なしをあるだけ引っぱり出して重ね着するが、それでもたまらなく寒い晩だ。
 それなのに、このおれよりももっと貧しい人のおやじやおふくろは飢えて凍えることだろう。その妻や子供は泣きじゃくっているだろうが、こんな時は、君はどんなふうにして暮らしているのだ。
 以下【第二段】の対話は次回へ。【押谷盛利】

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2009年01月27日

八草峠を越えて(見聞録)

 「雪化粧の峠は絶景ですよ」―。知人からの言葉をふと思い出し、湖北地域に久々の雪が舞った先週末、滋賀と岐阜を結ぶ八草峠を訪れた。
 峠を越える303号線は、岐阜市を起点に滋賀県北部を経由して福井県若狭町までを結ぶ104㌔の国道。岐阜の揖斐川町から木之本町金居原にかけては、険しい山岳地形のため、冬季は通行止めになっていたが、昨秋にバイパスが開通し、通行が可能になった。
 従来1時間ほどかかっていた峠越えが、12分に短縮されたうえ、冬の八草峠の景色を楽しむことができる。
◇国道365号線を北上し、木之本町から303号線を東へ進む。杉野、音羽など山中にたたずむ集落を抜けると、次第に雪が深くなり、白く化粧した山々が迫ってくる。
 峠のトンネルを抜けると、そこは岐阜県の旧坂内村(2005年に合併して揖斐川町に)。過疎化が進む典型的な山村集落で、人口は700人を切っている。この村は、長浜市(旧浅井町)とも隣接しているが、金糞岳にさえぎられ、往来はできない。
◇国道沿いの道の駅「夜叉ケ池の里さかうち」で、珍しい食べ物に出会った。
 バブル期、林業の衰退とともに過疎化が進んだ坂内村は、村おこしのためにスキー場とゴルフ場を整備したが、バブルがはじけてゴルフ場を閉鎖。その跡地で始めたのが、ダチョウの飼育だ。
 ダチョウの肉は赤みが強く、脂肪がほとんど無いことからヘルシーな食品として注目され、ステーキや焼肉、ハンバーグなど、牛肉と同じ調理方法で食べることできるという。
 また、エサは野菜クズなどでまかなえるため、輸入飼料に頼らずに飼育でき、食糧自給率向上の一助になるとして、遊休地を利用した飼育が全国に広がり、湖北地域でも余呉町で飼育されている。
 さて、道の駅のレストランでは、ダチョウのコロッケやハンバーグ、串あげ、土手煮などを提供し、売店では冷凍肉を売っている。
 小生は土手煮とコロッケに挑戦したが、もともとクセの無い肉なので、味はよく分からなかった。
◇303号線バイパスのおかげで、新たな発見に出会えた訳だが、このバイパス、ほとんど車が走っていなかった。その反面、冬季の除雪が欠かせず、130億円もつぎ込んだ事業、その費用対効果は怪しい。

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2009年01月26日

大寒と万葉集の貧窮歌

 このところの冷え込みが激しく、さすが大寒を思わせる。朝の室温を見ると大体5度前後である。外の水道は凍っているが室内は凍るほどでもない。
 ぼくの子供のころは、家の中の甕(かめ)に貯えている飲料水の凍ることがたびたびあった。今は水道から温水を出す設備もあり、室温も暖房効果で快適となったが、ひと昔前の冬は泣けた。寒さがひどいと足先や指先が思うように動かず、放っておくと凍傷になるおそれもあった。
 しかし、子供らはともかく、大人たちは、寒いといって泣いているわけにもゆかず、藁仕事であれ、何仕事であれ、働かねばならない。それこそ歯を食いしばって、春の来るのを待つのである。
◇今から1300年以上も前の万葉集に昔の人々の貧しい暮らしぷりが載っているが、やはり、昔も今も冬の寒さには参ったようである。
 万葉集巻5に山上憶良が、世の中、生きるのが辛いけど、鳥でないから逃れるわけにもゆかぬ、という意味の歌を歌っている。
「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」。憂しは辛い、やさしは恥ずかしい。
 山上憶良は子を思う歌でも有名である。
「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば ましてしのはゆ いづくより 来たりしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸かりて安眠(あすい)し寝(な)さぬ」
 瓜を食えば子どものことが思われ、栗を食えばますます気にかかる。どこから来たのだろう。むやみに目先にちらついて、おちおち眠れない。
◇子煩悩な憶良は、大伴旅人のように酒飲みではなかった。宴会の席にあっても、いつまでも歌ったり、遊んだりせず、機を見て、さっと家へ帰った。次の歌は余りにも有名である。
「憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむその彼の母も吾を待つらむそ」
 憶良はもうお先に失礼しよう、家では子供が泣いておりましょう。その母親もきっと私を待っておりましょう。子や妻を思う歌と対称的に取り上げられるのが、これまた有名な大伴旅人の酒の歌である。
「験(しるし)なき物を思はずは一杯(つき)の温れる酒を飲むべくあるらし(巻3)」
 なんのかいもない物思いなどしないので、一杯の濁り酒を飲むべきものである。
 旅人は、賢ぶって酒飲まぬ男を猿に似ていると、ひどい歌も作っている。
「あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似る(巻3)」
◇憶良は酒に溺れることなく、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」と歌っている。
 銀や金や宝石も何にしようぞ、これにまさった宝として子どもに及ぶものがあるものか。
◇憶良の代表作は何といっても貧窮問答歌であろう。
「父母は餓え寒(こご)ゆらむ妻子(めこ)どもはさくり泣くらむ」。長歌の一部だが、紙幅が尽きたので、他日に譲る。
「角川書店(万葉集)高木市之助、田辺幸雄編」参照。【押谷盛利】

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2009年01月22日

時評への投書と合併

 20日付の消印で滋賀夕刊へ投書が寄せられた。「長浜を愛する市民」と書いているが、差出人は名前を隠しているから、だれが寄越したのか、無責任な投書である。たとえ匿名でもそれが読者のプラスになることなら他人の名誉を傷つけない限り掲載するにやぶさかではない。
 今回の投書子は「時評を拝読して」と、タイトルをつけ、1月15日、17日付の時評が気にくわないとみえ、時評の根拠を明らかにせよ、と言わば筆者のぼくに合併の賛否についての議論を吹っかけてきた。
 いつもいうように、ぼくは信念を持って時評を書き、その責任を明らかにするため押谷盛利と本名を記している。自分の顔と名を伏して、公器である新聞に議論を吹っかけても日常の些事ならともかく、合併などという地方行政の将来にわたる重要な課題に答えるのははばかれる。いわば怪文書のたぐいだから一笑に付してもいいわけだが、この投書子は根っからの合併反対論者らしいからその誤りを指摘するためあえて筆を執ることにした。
◇ぼくが過日の時評で「合併した方がよいから進めなさいと国の方針もあることだし」と書いたのが気に食わないのか、「無責任極まりないし、地域に根ざした新聞発行人の言葉かと疑う」「真剣に合併問題を考えている人をバカにしている」と興奮している。
 ぼくは時評で政治や行政、その他を論評することはあるが、真剣勝負の気持ちで、いつの場合も相手をバカにする気持ちはさらさらない。
 平成の大合併は国の方針であり、法律によって進められていることは衆知の通りで、そのこと自体、「合併した方がよいから進めなさい」という国の方針なのである。
 投書子は国の方針そのものが気に食わぬようだが、ぼくは、国の法律がなくとも合併すべきものは合併すべきであると考えている。地方自治体は本来、地方の住民が推進することであり、そのためには識見のある人に、立場にこだわらず、世論をリードする誠実さと奉仕の心が求められ、そういう人がリーダーにならなければならぬ。
◇ぼくは「財政的な支援もある」「合併すれば税金は安くなる」と書いたが、これに対して、投書子は「何を根拠に書いたのか」と問うが、どれだけの財政的援助があるのかは、これまでの長浜市議会でも答弁されているし、投書子がお望みなら市役所へ出向いて聞けば、納得のいく数字を知ることができる。
 合併すれば、分かり易くいえば、安上がりの行政が生まれることだ。もっと端的にいえば地方の行政改革なのだ。いま、国の方でも公務員改革だの、行政改革だのと議論しているのも同じで、要は小さい政府が目標である。
 一つの市と六つの町が合併すれば七つの自治体が一つになるのだからこれの行政経費が人件費を含め大幅に減るのは当たり前である。経費が減り、住民税その他の収入はこれまで通り1市6町分が入る。国からの地方交付税は削減されるが、それを上回る経費節減効果が期待できよう。
 現状と同じ条件のまま合併すれば、歳出が大幅に減る分を福祉や教育、医療等に回せば住民サービスはうんと向上するし、もし、それをせず現状のままでゆくなら経費の減った分を減税に回せるから、税金は安くなるにきまっている。
◇投書子は「湖北は一つというが、気候も風土も習慣も違いがある」「雪を例にしても長浜で降っていなくて、北の方の町で降ることがある。同じ価値観を持てるのか」と変なことをいう。湖北は一つは、いまさら説明するまでもない。地球儀を見たら、湖北どころか、滋賀県ですら一つの点にしか見えない。それも何十倍かの拡大鏡によってである。
 この投書子の頭の中は昔々の村社会のイメージが残っているのかもしれない。
 気候、風土、習慣などというが、滋賀県という高所から見れば一つである。村の枠、町の枠を超えるところに新しい時代にふさわしい地方行政体ができるので、長浜に雪がないのに、北に雪があるからと鬼の首でもつかんだような理屈を述べている。噴飯ものである。
 この人はどう思っているのか知らないが、日本に雪が降らなかったらどうなるか、考えたこともないのだろう。琵琶湖の水も雪のお陰、水道の水も雪のお陰、農業における病害虫も雪のあるなしと無縁でないことをご存じなのだろうか。
◇投書子は6町の議会も長浜市議会も、もっともっと議論する必要があると言うが、議論はだんだん追い寄って、ようやく軌道に乗りだしたが、議論を口実に反対論者が合併潰しをやるようでは話にならぬ。【押谷盛利】

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2009年01月21日

父はぼくの人生の鑑(かがみ)

 人生は死ぬまで勉強である、というのがぼくの体験的人生哲学である。勉強とは強(し)いて勉めると書くが、強いて勉めるとは、自分に鞭(むち)打って励むことを意味する。
 わが子に「勉強しなさい」と親がしつけるのは、学習に精を出して、その能力を高めることを期待するからである。
 しかし、勉強は必ずしも学問だけではない。技芸においても仕事上においても勉強は人を向上させる。
 商売人が客に向かって「勉強します」と勧誘するのは値下げやサービスによって売り上げを増やし、また、そのことによって客の信頼を得、店の繁栄につなごうとするからである。
 いずれにしても積極的に励むことであるから、意志が固く、前向きに、ひるみ心のないことが前提である。
◇死ぬまで勉強とは、おおげさにいえば死ぬまで学習ということであるが、それは、本を読んだり講演を聴くというふうに限定的に考える筋のものではない。木に網を張る蜘蛛(くも)からその生きざまや、巣の張り方を学ぶこともできるし、籠で飼っている小鳥や庭に咲く水仙からでもじっと目をこらせば教えられるところがある。
 学習能力は人間の専売特許ではなく、猿や犬、猫にも、あるいは虫けらにもあるのだが、人間が超越してその能力が高いだけだ。
 人間にのみ与えられた特別大きな学習能力、勉強心をあだや、おろかにしてはならぬ、というのがぼくの説で、それは決して難しい理屈や教えではなく、日常生活の中でだれでも実践できる自己完成の道といえよう。
◇ぼくは、意識して「勉強」に立ち向かうわけではないが、新聞の記事にしろ、友人からの電話にしろ、さまざまなテレビの番組からでもそこから何らかの刺激を受けることを期待する。
 刺激を受けることは、なまけ心にパンチを受ける場合もあるし、仕事や趣味の上でのヒントや教えを感知することもある。それは何も相手が人間に限ることはない。天地、自然のいっさいから刺激を受けることができると、自己流に考えている。
◇どの道、人間は未完のまま、あの世へ行く運命なのだから、大手を振って、威張れるような人生は望むべくもない。望まない人はなかろうが、望んでも完成の道は遠すぎるからである。
◇勉強は自分に鞭打って励むことであるが、鞭打つためには先生(先人)、あるいは目標がなければならない。
 自己流で勉強する手もあるが、人の教えや、歴史から学ぶこともあるし、身近な親や先輩を教師とすることもできる。「お前はだれから何を学んだか。これから何を学びたいか」と問われれば、人は一体どう答えるだろうか。
 ぼくは、多くの人から学んできたが、人格的な面や処世の上での教師は父であると確信している。そしてぼくは、なんぼ努力してもとても父にはかなうまいと思っている。
 父へのこの思いは不思議なことに年をとるごとに深まってゆくようだ。父は正直で、お人好しで、仕事いちまきの働き手だった。ぼくの子供のころは今のように世の中が開けていず、一言でいえば国も家も貧乏だった。
 文化的レベルの低い生活に甘んじているのは国の施策の遅れもさることながら、国民一般に産業が振るわず、いわゆる所得が低かったからである。
 低所得で家族を養うとなれば、戸主である父が身を粉にして働くほかはなかった。
 ぼくの父は1年のうち、正月と盆、春の祭り、夏の半夏生(はんげしょう)以外は働きづめだった。
 行商のほか養蚕、生糸、百姓、山仕事、日雇い。しかも父は片眼が不自由だった。それでも一人前以上に働き、村の交際も隣り組の世話もし、その間仕事の愚痴や人の悪口を聞いたことはなかった。母とけんかするところを見たこともなかった。
 ぼくが大学の受験勉強で家に帰っていたころ、父は何もいわずにぼくの肩をほぐしてくれた。【押谷盛利】

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2009年01月20日

イスラエル・歴史考(見聞録)

 イスラエルとパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの戦争は、合意を見ないままそれぞれが一方的に停戦し、一時の平穏を取り戻した。
 パレスチナ人の死者は1300人を超えている。圧倒的軍事力を持つイスラエルによるガザ市民の殺りく劇だったとの印象を受けるが、イスラエル国内の世論調査では国民の9割がガザ侵攻を支持している。
 なぜ、こうも一方的な戦争が、国民の支持を集めるのか。そもそも、イスラエルとパレスチナの争いの起源はどこにあるのか。
◇近代史を振り返れば、パレスチナの地は、主にイスラム教を信仰するアラブ人が住んでいたが、オスマントルコやイギリスの植民地だった。19世紀後半、そこに、ヨーロッパやアフリカなどからユダヤ人が移り住み、爆発的に人口を増やし、パレスチナ人との対立を生んだ。
 国際連合が仲介し、パレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家に分割する決議を採択したことで、1948年にユダヤ人がイスラエル建国を宣言した。
 これに反発するエジプト、サウジアラビア、イラク、ヨルダン、シリア、レバノンなどの周辺アラブ諸国は、同年、一斉にイスラエルに侵攻したが、兵器と士気に勝るイスラエルが優位に戦争を進め、独立を勝ち取った。一般的には第1次中東戦争と呼ばれているが、イスラエルでは「独立戦争」。
 1956年の第2次中東戦争では、イスラエルがエジプトのシナイ半島に侵攻し、半島の大半を占領した。実は、この戦争、スエズ運河の国有化を打ち出したエジプトに対し、利権獲得のためイギリスとフランスがイスラエルを扇動したものだったが、国際的非難を浴びてその目的は達成できなかった。
◇1967年の第3次中東戦争では、イスラエルがエジプト、シリア、イラク、ヨルダンに先制攻撃し、ヨルダンのヨルダン川西岸、エジプトのガザ、シリアのゴラン高原などを占領し、その領土を戦争前の4倍に拡大させた。たった6日間の出来事。
 1973年の第4次中東戦争は、失地奪還を狙うエジプトとシリアがイスラエルに先制攻撃をしかけ、一時、シナイ半島やゴラン高原などを奪い返すが、次第にイスラエルに押され、再占領を許すことになった。なお、この戦争ではアラブ各国がイスラエルを支援する欧米を牽制するため、石油輸出を制限したことで、「オイルショック」を引き起こした。
 この4度に及ぶ戦争で、今の占領地「ガザ」「ヨルダン川西岸」が生まれた。
◇そもそも、ユダヤ人国家の歴史は紀元前10世紀に遡る。当時、ユダヤ人は古代イスラエル国家をパレスチナ地域に築き、繁栄を謳歌していた。
 しかし、紀元前586年に新バビロニアの侵攻を受けて崩壊。ユダヤ人は奴隷としてバビロン(現イラク国内)に連れ去され(バビロン捕囚)、以来約2000年、国を持たない民族として、欧米やアフリカをさまようことになった。
 19世紀末期からの帰還運動の末、建国されたイスラエルは、ユダヤ人にとって2000年の悲願であり、その死守のためには、血を流すしかないことを中東戦争を通して学んでいる。そして、彼らの生活は常に戦争やテロと隣り合わせ。
 そういう歴史が背景にあるから、今回のように一般市民の犠牲もいとわない作戦が、国民から支持されるのだろう。
 しかし、ユダヤ人は一時、ナチス・ドイツによりヨーロッパで絶滅の危機に追いやられた歴史も持つ。今、その歴史を、立場を変えて繰り返しているように思えてならない。

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2009年01月19日

敏感と鈍感について

 打てば響く、というのは、対応の敏感さを形容するたとえで、頭のひらめき、回転の早さ、行動力といった総合能力の点では出世コースの条件ともいえる。大学生が就職試験でこの能力を試されるのは、口頭試験、いわゆる面接の場かもしれない。
 打てば響くの反対は蛍光灯、あるいは昼行灯(あんどん)にたとえられよう。
 蛍光灯は、スイッチを入れてもすぐ明るくはならない。しばらく、ぼぉっとして、こちらがやきもきしているうちに、だんだん明るさを増してくる。あんどんは、小型の照明器具で、今の電気スタンドのような働きをした。夜間の外出用に携行するのが提灯(ちょうちん)で、これは今の懐中電灯の先祖である。
 昼は日の光で家の中でも明るい。これを念頭において、昼の行灯(あんどん)を想像すればいい。火を点(とも)して、明るくしたつもりでも、その明かりは目立たない。灯(とも)しているのか、どうか、はっきりしない。
◇打てば響くは敏感、昼行灯は鈍感。感じから言えば、馬は敏感、牛は鈍感。
 一を聞いて十を知る聡明さには敏感がふさわしいが、重厚にして踏み外しのないのは、一見鈍感に見えても、四方に目を配り、慎重さがあるからだろう。
 敏感と鈍感は全く相反するようだが、考え方によれば感性の表と裏の両面かもしれない。
 商売人は口八丁、手八丁、とかく敏感さが成功の秘訣のように思われるが、実際は鈍感型が勝利することが多い。敏感すぎては、相手に疑心を抱かせることにもなり、取引上、警戒されることが多い。これに反し、鈍感型は、実直で、安心して取引きできるのかもしれない。この人なら、まさかウソはつくまい、ごまかされることはあるまい、という信頼感が生まれるのであろう。
 そのことを知ってか、商人たちは「すこぼこ」がよい、と後輩を指導する。
 すこぼこは「すこ」と「ぼこ」をミックスした複雑な言葉で「すこ」は「すこい」で、もとは「こすい」。ずるい、わるがしこいの意。
 「ぼこ」は、ぼこいという方言に由来する。ぼけ、ぼんくら、ぼんやりと同じ意味。そこで「すこぼこ」だが、賢いところを表に出さず、一見、ぼんくらふうに見える言葉づかいや態度をいう。
 つまり、賢くても賢いところを表へ出さず、表面は少し、おっとりしているところを見せるのが、相手を安心させるコツだというわけ。
◇意識しての「ぼけ」はともかく、昼行灯は困りもので、こちらが何か用をいいつけてもあるいはものを尋ねても、ちんぷんかんの答が返ってきたり、全く理解していないふうの人がいる。何か別のことを考えているのかもしれない。
 こんなのは、人の話を「うわのそら」で聞いているのかもしれない。耳の不自由な人は別として、人の話に応じられず、ちんぷんかんぷんの受け答えしか出来ない人は、注意力不足としか言いようがない。
 おそらくマンガの読みすぎか、前夜のゲームの失敗が心に残っているのだろう。あるいは近未来の計画に読みふけっているのかもしれない。他のことに心を奪われて、相手が何を言っているのか、とっさに判断がつきかねるから変な受け答えをするのだが、これでは興ざめであり、信用を失う。
◇いま、小学校で問題になるのは、真剣に先生の方を向いて、先生の話を聞く子が少なくなっていることらしい。顔だけは先生の方に向けても、頭の中は別のことを考えている子もあるらしい。全く先生に関心を持たないのは困りもので、他の生徒の授業の妨害になるだけでなく、いわゆる「うわのそら」派を授業妨害派に追いやることになる。一心に、本を読む、ものを学ぶという習慣が子供のころに育たなければ、本人の長い人生に不幸の種を蒔くことになる。【押谷盛利】

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2009年01月17日

合併して損か得かの話

 市町が合併したらどうなるんや、損か得か。近江の人間はふところ勘定が先立つからすぐ金で計算したがるが、住む人間が主体であるから文化や情緒、夢といった側面からの思い入れも大事であろうと思う。
 文化といえば生活の向上もあるが、歴史や伝統の確認、もっと正しくいえば今あるわれわれの血の流れへの回顧、ご先祖参りにも結びつく。
◇ぼくは長浜という枠にとらわれることは頭が古いと書いたが、日本の歴史は記録の上ではたかだか2000年である。縄文の末期に日本へ稲作技術が伝わったといわれ、村の始まりはそのころからだと考えてよい。
 稲作が生活の土台であれば、狩猟や牧畜のようにあちこち動くことは出来ず、一定の地に腰を据えて、同じ土地を耕さねばならぬ。そこに仲間や家族らとの共同生活が始まり集落が時間をかけて形成されてきた。
 縄文時代が弥生時代になることを縄文の人は知るすべもないし、弥生の人が、その後の日本の統一国家の出現や、さらには王朝時代、武家政治時代、現代の自由民主政治を予測するはずがない。
 人間は存在し、その人間には親があり、遠く祖先があり、確認は出来なくともみんな祖先の血を引いている。
 人間の住む生活の原点は集落であり、昔は村(いまの字(あざ))といった。時代の動きとともにそれが発展して、広域の村に、そして町に、市に発展したのであり、その発展の過程には産業、通信、交通、政治システムの流動と変化が背景となってきた。
◇合併したらどうなるやろ、と思うのは当たり前だが、遠き将来の予測などはだれも出来はしない。ただ、だれでも分かることは、長浜と6町の場合は、それぞれの市町に一人ずついる行政のトップ(市長、町長)7人が合併により1人になるし、同じく副市長、副町長7人も1人ですむし、教育長も1人でよい。
 今は市役所のほか、各町に町役場があるが、これも一つあればよし。教育委員会も社会福祉協議会もその他行政上のもろもろの委員会などもみな一つに集約される。それらをお金で計算すると人件費だけでもびっくりするほどに圧縮される。それに伴って、それぞれの現行の役所の維持、管理費がこれまた厖大な数字で節減できる。
 これを一口にいえば地方の行政改革である。
 この改革がすべての決め手になることを市会議員も町会議員も頭のどまん中に入れておく必要がある。もちろん、議員の数はいまは1市6町に100人程だが、これも3分の1の30人くらいでよいはず。
 その次にすぐにはゆかぬが、行政の職員減らしである。七つある役所が一つになるのだから半分くらいに、いや、3分の1くらいに減らすことができる。こうなると、すべての人件費の節減はものすごい額になる。しかも、一年きりでなく、ずっと毎年のことだから、これらの節約でまた厖大な金を医療費や老人福祉、教育費にまわせば、住民の負担はびっくりするほど減るし、税金も安く抑えることができる。
◇大改革の重点の一つは交通と過疎化対策である。心配性の人は合併すれば議員の数が減るから、住民の願いや愚痴が役所に届かないという。
 その心配のためには区長(自治会長)会の運用を工夫しなければならぬ。末端の集落には必ず区長があり、そのポストには定年後、活動力のある人に期待し、その地区地区の老人会をはじめ、村の慣習や行事などを活性化する必要がある。そのためには、都市化の進んだ地域の若い人や、勤めを持った人たちとの連携を一体化し、老若一体化の夢のある町づくりを進める必要がある。
 われわれの先祖は今ほど金や物に恵まれなかったが、それでも長浜の曳山を12基も出して盛大な祭を執行した。他の町においてもその通りで、ゼニ、カネに関わらず、おこないや、寺の普譜、伝統の茶わんまつり、はっさく祭りなどをやってきた。
 広域になればなるほどみんなの知恵が結集しやすく、金も労力も効果的に光ることになる。
 合併してどうなるか。損か得かを引っこみ思案するよりも、こうしよう、ああしようと前向きに「おらが郷土を光らせること」「よかったね、合併して」と他日喜びあえる方向でがんばらねば指導者とは申されまい。【押谷盛利】

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2009年01月16日

不遇の非正規労働者(見聞録)

 急速な景気の減退を受け、派遣や期間社員など非正規雇用の従業員の解雇が相次いでいる。
 湖北地域にも長浜キヤノン、ヤンマー、日本電気硝子などが地域の雇用を支えているが、不景気による受注の減少で、生産量を大幅に抑制している。現場の労働者は「仕事量が半分に落ち込んでいる」「3分の1以下になっている」と語り、生産ラインがストップすることも少なくないという。
 長浜市が昨年11月に行った調査では派遣労働者ら非正規雇用の労働者が昨夏に比べ2割、約500人が減少していることが明らかになったが、年末年始にかけてさらに大幅な人員削減が断行されている。
◇県内5工場で期間従業員約500人の半分にあたる250人の削減を決めたヤンマー。対象者には14日の「夕礼」の際、来月2月15日に満了となる契約を更新しないことが伝えられた。期間従業員には寝耳に水だが、生産量の激減を受け、覚悟していた従業員もいた。
 残された250人の期間従業員は胸を撫で下ろしたが、今後も半年ごとの契約更新となっており、「次こそは」と解雇の危機に怯えることになる。
◇湖北地域の他の製造現場では、深刻な「派遣切り」の実態を聞く。「手袋を忘れた」「証明書を所持していなかった」などを理由に、その日のうちに解雇に追い込まれ、派遣会社の寮も追い出されるケースも。
 14日夜、JR長浜駅の1階待合室で、派遣会社の寮を追い出された男性(34)が一夜を過ごそうとしているのを、長浜市議が保護した。男性は1カ月ほど、湖北、湖東地域の公園や駅で野宿を繰り返しており、市議が風呂に入れたり、電車賃を手配するなどして、住民票のある福井県内へ見送った。男性は訳あって神奈川県内の実家に帰ることができず、今後、大阪の派遣会社を目指すという。
◇一方で、嬉しいニュースも。今朝、派遣会社を解雇され、新しい職場を探していた知人の女性(32)から「正社員採用が決まった」とのメール。彼女は大手金融機関に勤務していたが、1月末での解雇が決まっていた。同じく解雇される同僚ら約90人とともに、新しい働き口を探していたが、「コンピュータープログラマーなど技術職なら月給20万円以上の正社員採用があるけど、ほとんどが15万円前後。35歳以上は満足な求人さえない」と厳しい現状を目の当たりにした。35歳以上の同僚は、未だ、職を探しているという。
◇請負・派遣の非正規雇用の労働市場はここ数年で巨大化した。大手メーカーの仕事ができるというブランド意識も手伝って、20代、30代の若い労働力がどんどん請負、派遣業者に吸い込まれた。
 しかし、不景気で雇用環境は一変。非正規の従業員は元々、生産の「調整弁」的役割のため、真っ先に人員整理の対象となっている。
 企業を支えてきた非正規労働者の不遇を聞くたび、労働者の生活を守り抜こうという家庭的精神を抱く経営者は、今の日本からいなくなったのか、と悲しくもなる。

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2009年01月15日

合併と王道楽土の話

 長浜と北部6町との合併話が行ったり来たりして、周りの者をやきもきさせているが、ぼくはゆくゆくは長浜市議会も合併に踏み切るとみている。いや、踏み切らねばならぬと思っている。なんでやね、と急ぐことに反対する人もあろうが、合併した方がよいから、すすめなさいと、国の方針もあることだし、そのための財政的な支援もあるのだから、鉄は熱いうちに打ての教え通り、同じやるなら早い方がよいと思う。
 それにつけても、長浜市の合併特別委員会は腰が重い。
 腰の重いのは、合併後の損得を慎重に考えているのであろうが、問題は考え方の根本である。合併しなければ現状の長浜市と現状の6カ町がそのまま、これまで通り存在するだけである。合併すれば、長浜と6町が一つになって、長浜市になるだけである。
 どこが違うのか。違うところは一つもない。ばらばらにあっても、一つになっても、この湖北の地域は動くものではなく、人々の暮らしも変わらない。勤めに出る人は勤めるし、百姓する人は百姓するし、年寄りもあれば子供もいる。
◇ぼくは、長浜という一つの枠にとらわれることはどだい頭が古いと思っている。
 明治以前の人は、野瀬村の人は野瀬以外は知らなかったし、行き来もしないし、婚姻もしなかった。それは国友町でも川道でもどこでも同じで、いまの集落が「村」と呼ばれ、村が末端の行政であり、そこに庄屋や村の役人がいた。野瀬が上草野村になっても、国友が長浜市に、川道が大郷村からびわ町になっても、野瀬は野瀬、国友は国友、川道は川道で、それ以外でもなんでもない。
 ただし、世の移りや、産業、交通の変化で、人口の移動や住民の暮らしぶりは変化した。それは日本国中、みんな同じである。
 武士の時代がなつかしいからと、チョンマゲを続ける人もあれば、着物は不自由だから洋服にする人もあったし、バス賃がもったいないから駅まで歩いた人もあり、人々の考え方や行動はいつでもどこでもまちまちである。
◇坂本龍馬は勝海舟に地球儀をみせられて、世界というものを知り、彼自身の人生革命を行ったが、そういう意味では目先がきいた。大久保利通や西郷隆盛、高杉晋作、伊藤博文などは明治期の日本を外国並みに発展させた大功労者だが、みんな「日本」を頭に置いた。
 そのころ、古い頭の藩主や家老、上役は、日本ではなく自己の藩だけが頭にあった。井伊藩のものは近江だけを中心にものを考えた。
 だから、ぼくは、長浜のにえきらぬ議員にはレンコンかチクワを食べさせれば先がよく見えるかもしれないと、ほくそえむのである。
◇一升入るビンには一升以上の水は入らぬ。とりあえず湖北1市6町の容れものを一つにすれば、ものを入れるときに入れやすいし、効率的に入れることができる。1市6町で、それぞれがばらばらの世帯を持っていると無駄ができる。
 合併すれば無駄が省けるから、いままで通りだったら、税金は安くなるにきまっている。住民サービスがよくなれば、さらに住民は得をする。役場が遠くなるとかいう人がいるが、一生のうちに役場を知らぬ人もあるはず。役場なんか見なくとも生活がうまくいけばそれが一番である。
 これからは万事効率よくが最重点で、もし新長浜をよいものにするには、行政の指導者や市議らが頭を180度切り換えて、とりあえず、まんべんなく医療と老人福祉、それに教育にたっぷりと予算を使って、市民の少ない負担で、安心して住みよい世界をつくることだ。それ以外のことは思い切り節約して、新市の市民がみんな兄弟姉妹のように仲よく助け合って、日本でも模範となる住み心地よい郷土にすることだ。そのやり方に知恵をしぼれば、土地が広ければ広いほど宝を探すように希望があり、楽しみがある。王道楽土はみんなして作るのがよい。【押谷盛利】

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2009年01月14日

歌人・赤彦の時代風刺

 明治、大正のアララギ派の歌人といえば、正岡子規の流れを汲む伊藤左千夫、斉藤茂吉、島木赤彦が傑出している。
 島木赤彦は信州の諏訪湖の近くに住み、小学校の校長などをして、後、東京に出て、歌道一筋、アララギを編集し、後輩を指導した。かたわら小説や童謡も創った。
 なかなかの硬骨漢で、世の中の進歩に深い関心を寄せ、文人としても敬服すべき多くの作品を残している。
 その中の一つに明治36年に発表した「火串録」というエッセイがあるが、今と違って難しい漢字を使っての文語文なので難解だが面白いところを幾つか紹介して、明治後半の世相の一端に触れてみる。
◇「悪を為して人の知らん事を恐る。悪中なお善念あり。善を為して人の知らんことを急ぐ。善所即是悪根」。
 人間の心の急所を衝いたというべきで、悪事をした後、人に知られたら、と内心びくびくと恐れるが、これは悪いと思う心があるからで、それが救いでもある。これに反して、善行をするものは、それが早く人に知られることを願うものだ。つまり善いことをするも、その根は悪である、ということ。
 だから善行は人に知られないのが本当の善である、と言うのである。以下分かり易く記す。
◇「南妙法蓮華経の婆さんが日が暮れて道に困っていた。私はこの婆さんをあわれんで家へ連れてきて泊めてやった。実はその道中談を聞いて何かの参考にするつもりだった。ところが彼女は、夕飯を食い終わるや、箸を置くとともに、ごうごうと大いびきで寝てしまったではないか。翌日、彼女は朝飯を食べて出発したが、偶然にも道中で太鼓を叩いているその婆さんに出会った。ところが昨夜の一宿をころりと忘れて私の顔を見ても知らんぷり。アホーなのか、すれからしなのか。人間もこうなったら気楽なもんよ」。
◇「英国(イギリス)の女性は風采の堂々とした男性を好み、仏国(フランス)の女性は美男で愛嬌のある男を好み、曼国(ドイツ)の女性は正直で律儀なる男を好む。蘭国(オランダ)の女性は穏やかで決闘を好まぬ男を好み、伊国(イタリア)の女性は詩人風の男子を好む。露国(ロシア)の女性は文明人より野蛮人として拒絶されるような男を好み、丁抹(デンマーク)の女性は常に国内にいて、外国旅行を好まぬ男を好むという」。
◇「ワシントン、リンカーン(ともにアメリカの大統領)等が米国を生んだと思ってはいけない。米国の家庭がワシントン、リンカーン等を生んだのだ」。
◇「高山彦九郎は流行を追う男だ。藤田東湖はリキミ男だ。佐久間象山は、みえ坊なり。海舟(勝)や南洲(西郷)は彼に比べると遥かにスケールが大きい」「西郷隆盛は情のある人で、勝海舟は意地の人だ。西郷は天性の人で、もって生まれた徳がある。海舟は苦労して修養して自分を磨いた人。もし刺客が西郷に向かえば、感激して心を入れ換えるだろう。
 刺客が海舟に向かえば恐れをなして心を入れ換えるであろう。子どもが西郷のところへやってくれば一日中、喜んで遊ぶだろう。もし、老人が海舟を訪ねれば一日中話は尽きぬだろう」。
◇「黒岩涙骨(明治のジャーナリストで、万朝報(よろず・ちょうほう)を創刊し、主筆となった)は、人倫の大本は親子道にあらず、君臣道にあらず、夫婦道なりと説いた。実にいいことをいう話せる男だ。夫婦は互いに慕うべきであり、相信ずべきで、慕う心がなければいがみ、信じる心がなければ喧嘩が起きる」。
◇「結婚には奪掠時代、売買時代、贈与時代、見合時代に区別することができる。いまの日本は贈与時代で、嫁をもらう、嫁にやるという」。
◇「毎日、毎日、あきもせず小言をいうものがある。不幸ばかりで、ろくでもないことをいうが、まるでヘソで茶を沸かすようなものだ」。【押谷盛利】

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2009年01月13日

ガザ住民は今…(見聞録)

 昨年末に始まったイスラエルとイスラム原理主義組織ハマスによる戦闘で、死者は900人を超えている。
 イスラエル国内の最新世論調査では、国民の91%が戦闘に賛成し、テロやロケット攻撃に悩まされてきた国民の大多数がハマス殲滅作戦を歓迎している。
 一方、ハマスは圧倒的な軍事的不利の条件ながらイスラエルと果敢に戦う姿勢が、イスラム教徒の支持を集めている。
 双方が、支持率を高めているため、早期停戦の可能性は低いとされ、190万人が住むガザの安寧は遠い。
◇開戦から2週間以上が経過したが、ガザがどういう状況なのか、報道機関の現地入りが許されず、断片的な情報しかニュースに流れていない。
 そんな中、現地で援助活動を行っているNGO「ケア・インターナショナル」のスタッフの日記が、インターネット上で公開され、ガザの生々しさを伝えている。日本語にも翻訳されて、同NGO日本支部のホームページでも公開している。
 スタッフの一人、ジャワード・ハーブさんは、エジプト国境そばのラファという町に妻と6人の子どもと住むパレスチナ人。
 イスラエル軍はガザとエジプトを結ぶ密輸トンネルを破壊するため、ラファで空爆を繰り返しており、その様子を「爆弾は、聞くものではなく、感じるものだ。それは地震のようである。家は左右に揺れる。家の下の地下で起こる波のようだ」と表現している。
 空爆と国境封鎖で国内の食料や燃料の流通は麻痺し、「パンがない。果物も、野菜も、ミルクもない。最後に肉を食べたのは9日前。市場で買ったものだ。今、市場は閉まっている。トンネルから入ってくる食料ももうない。子どもたちのためのお米とマカロニがあるくらいだ。もう蓄えは底をついた。以前、子どもたちが食べていたビスケットももうない。かろうじて生き延びている状況だ」と、その困窮を訴えている。
◇人道上の配慮のため「3時間の停戦」があった1月7日には、「爆撃がおさまるとすぐに、近所の店が開店した。隣人たちは急いで外に出て、食料を買いに行った。みんな走っていた。なぜなら停戦が3時間も続くとは誰も信じていなかったからだ。いつでも空爆があるのではないかと、皆、恐れていた。人々は、米、マカロニ、チーズ、塩と砂糖、卵などの食料を買った。店に残っているものはこれぐらいしかない。食料の価格は今、とても高くなっている。今日は4時間、電気を使うことができ、水を確保することができた。ポンプで水を吸い上げ、洗濯をし、子どもたちを入浴させた。服を洗うのにこんなに興奮したことは初めてだ!数時間の間、生活はほぼ通常に戻った」と記している。
 「3時間の停戦」は守られることなく戦闘が再開されたが、ガザの人々が一瞬の静寂の中で、わずかな日常生活を取り戻したことがうかがえる。
◇戦争の一番の被害者は子ども。イスラエルに空爆される理由さえ知らず、爆発音と振動に怯える毎日。ハーブさんの12歳の息子は「パパ、僕たちはまた平和に暮らせる日が来るの?木に登って、サルみたいにぶらんぶらんしたい。鳥のように飛んでみたい。なんで、僕らは、毎日テレビで見ているような、ほかの子ども達のように遊ぶことができないの?」と、娘は「パパ、もし爆弾が落ちてきたら、どこに行ったらいいの?どうしたらいいの?家はみんな狙われてるから、逃げることもできないわ」と父親に語りかけている。
 今回の戦争で、それぞれ支持率を高めているイスラエル政府とハマスだが、その政治的成功は、ガザ住民の不幸の上に成り立っている。

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2009年01月09日

この20年、振り返る(見聞録)

 時代が「昭和」から「平成」に移り、きのう8日でちょうど20年。バブル景気の絶頂を日本人が酔いしれていたころ、産声を上げた子ども達は20歳に成長し、この3連休に成人式を迎える。
 彼ら、彼女らの生まれた当時を振り返り、そこから現代を見つめてみたい。
◇当時の世界情勢は、長らく続いてきた東西冷戦に終わりを告げつつあった。ソ連ではゴルバチョフ書記長が改革「ペレストロイカ」を進め、軍縮や西側との関係改善に乗り出していた。
 1989年にベルリンの壁が崩壊。アメリカでは現大統領の父親ジョージ・H・W・ブッシュが大統領選で初当選し、ゴルバチョフ書記長との会談で冷戦終結を宣言した。
 一方、中東ではイラン・イラク戦争が停戦を迎えたが、このころ、10数年後にアメリカ同時多発テロを引き起こすテロ集団「アルカイーダ」が組織された。
 米ソ2極化時代を勝ち抜いたアメリカは今、ロシア、中国の軍事的・経済的台頭、EUの発足、イスラム諸国での反米意識の高まりを受け、その影響力を急速に低下させつつある。
◇20年前の日本はちょうどバブル景気の絶頂期。株と地価が高騰し、投機に次ぐ投機で世の中に金が溢れた。1989年12月には東証日経平均株価が過去最高の3万8915円。間もなくバブルがはじけ、20年後に1万円を割り込むとは夢にも思わなかったことだろう。
 政治の世界ではリクルート・コスモスの未公開株が政治家や官僚に譲渡されていたことが発覚。この「リクルート事件」には首相経験者ら90人以上が関わったとされたが、大物政治家は誰も立件されなかった。当時の竹下登内閣は、結局、リクルート事件の影響で総辞職することとなる。
 政府の愚策に「ふるさと創生事業」というものがあった。全国の市町村に一律1億円を配るという「バブル」な振る舞いだったが、無意味な箱モノやモニュメントを建てたり、宝くじを購入したりと、無駄遣いする自治体も少なくなかった。
◇20年経過した今、またぞろ、「定額給付金」と称して税金を無意味にばら撒こうとしている政府。カネ余りのバブルの頃ならいざ知らず、国の財政がひっ迫する中でのばら撒きに、政治家の学習能力を疑いたくなる。
 高額所得者の給付金受け取りを「さもしい」と批判していた麻生首相は、あっさりと前言撤回し、「高額所得者も使いましょう」とのこと。
 この2兆円、泡のごとく、消し飛んでしまうのだろう。

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2009年01月08日

今年の日本経済の展望

 5日、7日両日にわたったぼくの時評のテーマは「世界大恐慌」に関するものだった。
 なかには正月早々、縁起でもない、と顔をしかめる人があったかもしれない。
 だれもが恐慌を心配し、戦争回避を願うものだが、世の中の生(なま)の動きを正視し、転ばぬ先の杖というか、備えあれば憂いなしのためには嫌な情報にも目をそむけるわけにはゆかぬ。
 世間には、恐慌って、どんな風が吹くのか、と他人事のようにいう人もあるが、まごうことなくすでに始まっている。ただし、金融が破綻しないのはアメリカでも日本でも欧州でも国が出動して大事になるのを抑えているからである。あたかも豪雨による災害を一時的にダムが避けているようなもので、もし、水量がダムを溢れたり、ダムが決壊すればその後の災厄は予測の限りではない。
◇ぼくの取り上げたアメリカの経済学者・ラビ・バトラ教授は15年も前に、今日の恐慌を予測し、好まないことだが、と前置きして、戦争の可能性を指摘していたが、さて現実はどうであろうか。
 すでにアフガン、イラクには平和はないし、パレスチナ自治区ガザではイスラエルとハマスの戦いが始まっている。ソマリアをはじめアフリカでは小規模とはいえ内戦が頻発している。ロシアは欧州へ天然ガスの供給をストップしているが、各国の不満が爆発しないことを願うことばかりである。
◇おりしも、7日の東京株式市場は約2年9カ月ぶりに株価が上昇し、平均株価9239円を記録した。おそらく今後、上がり下がりを繰り返しながら、実態経済を反映しつつ、さらなる世界同時恐慌へ移行するのではないか。
 その前ぶれではなかろうが、イギリスでは自慢の通貨ポンドが下落し続け、これを受けて、欧州の通貨ユーロは上げ続けている。
 日本のみならず、世界に目を向ければ、だれだって、お金はどうなるのだろうか、預金は?あるいは物価は、税金は、と心配のタネは尽きることがない。その心配を解消する手だてとして、実態経済の動きや専門家の知識に触れることは極めて重要である、といえよう。
◇たまたまぼくは7日、木之本町商工会主催の新春経済講演会で「09年の日本経済の展望」について内外財務研究所の高島信夫理事長の有益な話を聞く機会に恵まれた。氏はテレビなどマスコミ界や各地での経済講演で人気を集めるその道の専門家。
 話を要約すると、アメリカのサブプライムローンによる金融危機の打撃は世界で150兆円の損失を生んだ。今後はドル安、円高が進み、短期金融の逼迫から世界中が混乱し、グローバル経済とドル体制の崩壊が到来する。
 日本は今年3月期の決算の赤字が影響し、株式は6000円台に、為替は円高が進んで70円台になるだろう。アメリカのG・Mなど自動車メーカー・B3は政府の見離しによる3月倒産の可能性もある。
 アメリカでのサブプライムは、所得200万円くらいの最低生活者への住宅ローンで、これまで40年間走り続けた上がりっ放しの住宅神話がパンクしたのが危機の始まり。不動産を証券化したファンドが破綻し、その影響で日本も過去3カ月で200兆円ダウンした。
 20年前の1989年に2400兆円だった日本の不動産は2000年に約半分の1250兆円に下落した。
◇氏は、米国発の住宅価格のバブル崩壊が沈静化するのは来年いっぱいかかり、その後遺症による信用不安が世界的に持続する恐れを指摘し、安定するまでの慎重さを強調した。
 また世界全体が回復するまで輸出主導の景気回復は望めず、内需拡大と年金、医療などの社会保障の安心政策を確立する必要があり、新しい雇用のためにはリース、レンタル、リフォーム、リサイクルの4R産業に目を向けるべきだと語った。※注(ラビ・バトラ著)「世界大恐慌」は総合法令(株)出版。【押谷盛利】

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2009年01月07日

恐慌と政治的力の源泉


 5日付の時評「世界恐慌への関心」は、経済学者・ラビ・バトラ氏の著作によるものだが、時が時だけに多くの反響を呼んだ。
 ラビ・バトラ氏は世界大恐慌は1995年から2010年に起きると書いたが、この本が出たのは今から15年も前だったことを念頭に入れて考えてほしい。
 5日付の時評で確認したように、確かに95年、96年の日本の金融不安は恐慌前夜を思わせた。
 日本はこの金融不安を政府の出動で乗り切ることが出来、再び上昇機運に入ったが、それも束の間、約10年後の08年から09年へかけて、政局の不安とともに経済危機が叫ばれ出した。
 今回の日本の金融不安は10年前のそれとは異なり、アメリカに端を発する世界大恐慌の一環として認識する必要がある。
◇08年12月の米国G・M、フォード、ハイスラー3社の前年同期の売上比は30%以上のダウンだったが、日本のトヨタ、日産、ホンダ各社もまた前年比30%以上のダウンだった。
 この数字を決して過小評価すべきではない。たちまち人員整理、一時休業、操業停止などの再建策が実施されるが、同時に関連産業への影響が深刻である。
 あらゆる下請、孫請産業への発注ダウンは中小零細企業を直撃するし、鉄鋼、運輸、倉庫、貿易関連産業の不振につながるであろう。
 派遣社員の解雇はさらに正規社員の整理にも波及し、それらが社会不安とともに消費市場へ影を落とす。
◇今回の世界金融不安はアメリカから発したものであるが、米大統領は政府出動を決断し、自動車メーカー・ビッグ3へのつなぎ融資を実施したが、これについても各界から異論が出ている。
 例えばシカゴ大学のゲイリー・ベッカー教授は、「特定の企業を合理的な理由もなく守れば不公正であり、得策ではない。破産法を申請すれば負債を大幅に削減できるし、高コストの年金、賃金など労使契約も見直せる」。
 「巨額の負債と高コストの労使契約を見直さない限りビッグ3の復活はない。切り込みが甘くなれば最終的には政府の負担は一千億ドル(約9兆円)に達する可能性もある」と批判している(7日付・朝日)。
◇さて、問題提起のラビ・バトラ教授は、「資本主義システムが崩壊する時代、つまり大恐慌が世界を覆う時代には、何が起こっても不思議ではない。思いもよらない場所で、思いもよならい原因で、大戦争が起こる可能性がある」。
 また、「一つの社会サイクルが終わり、次の時代が始まろうとするときには、天災や疫病が世界を襲うことが多い。今後、資本主義が終わろうとするとき考えられる天災は、日本なら第2次関東大震災でしょうか。アメリカの場合は明らかにエイズです。エイズは現代の反自然的生活、否定的な行為に対する自然からの回答である」とも語っている。
 ラビ・バトラ氏の予測はさらに痛烈で、「現在の円高ドル安は、大恐慌のなかでドル紙幣が紙屑になる日を先取りした動きだ。世界がアメリカに金を貸すのをやめ、ドル価格が礫(つぶて)のように下落するとき、世界は貿易代金としてドル紙幣を受け取るのを拒否し始めるであろう。そのときこそが、ドルが国際通貨であることをやめざるを得ない日である」ときめつけている。
◇この本で興味を呼ぶのは、同氏の理論ともいうべき「社会循環の法則」である。
 この理論の根本的原理は、いかなる文明、いかなる社会においても、政治的な力は三つに分類でき、またこの三つしか存在しないという。
 政治的な力の源泉は第1に武力、第2に知識、第3は富。
 彼はこの法則の正しさを歴史を点検つつも証明している。
 この三つの政治的な力の源泉は、いつの場合もそのうち一つがつねに突出して支配的となる。三つがバランスよく政治的な力をもつのではなく、そのうちの一つがある時代を支配する中枢的な力となる。
 この力の支配には順序があり、どんな文明においても、最初に政治的な権力を握るのは武人、つまり軍人。軍人による支配のあと、次に知識をもった人間。知識人の支配政治が続き、それに代わって次の支配をするのが富裕者。
 こうして、歴史は軍人から知識人へ、そして富裕者へ権力の構造が変わってゆく。アメリカも日本も富裕者権力から軍人権力へと向かう、と彼は指摘するのだが、さて…。【押谷盛利】

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2009年01月06日

逆境で夢を抱く(見聞録)

 昨年末から急降下する経済情勢に、仕事初めを暗たんたるムードで迎えた方も多いことだろう。
 寮を追われた派遣労働者のホームレス化、わずかな売上金を狙ったタクシー運転手の強盗殺人など、日本の先行きを不安にさせるニュースが年末年始に相次いだ。
 金融危機を引き起こしたアメリカでは、解雇により路頭に迷う国民が溢れ、ローン滞納による住宅の差し押さえで、ゴーストタウン化する町もあると側聞する。
◇物質的豊かさを謳歌してきた日々の生活が急降下するのだから、不安を抱くのは当然だが、嘆いてばかりもいられない。
 今、パレスチナ自治区ガザでは、イスラエルによるイスラム教原理主義組織「ハマス」の掃討のため、空爆に続いて地上戦が始まり、市民生活が破壊されている。そして、イスラエルの攻撃を誘発したハマスは、ガザ市民を守る訳でなし、市民を盾にした市街戦で徹底抗戦するもようだ。
 被害に遭っているのは、ハマスの戦闘員だけでなく、女性や子どもら一般市民。住居を破壊され、家族を殺され、逃げ出す場所もなく、水も食糧も枯渇した生活の中―。
 明日を生きられる可能性さえ見出せないガザ市民、それ以上に民族虐殺、飢饉、貧困、病気が蔓延する後進国の国民を思うとき、日本の不景気は人が生きられない程の危機なのか。
 そういう乱暴な視点に立てば、経済的逆境を嘆くよりも、焼け野原から経済大国を築いた先輩方の汗と夢に思いを馳せたい。
◇新しい夢に前向きでありたいと願う新年早々、小生は突然、元プロ野球投手と栗東市で食事する機会に恵まれた。
 小学校、中学校、高校時代に同級生だった彼は、社会人リーグなどを経て単身渡米し、マイナーリーグで活躍。29歳にして日本プロ球界入りし、オールドルーキーとして注目を集めた。2004年以降77試合に登板し、昨年、戦力外通告を受けた。
 スポーツ紙記者の計らいで、10数年ぶりの再会となり、昔話で盛り上がった。もちろん、プロ選手生活について、例えば全国各地での転戦の様子だったり、各選手の人柄だったり、各地の旨い焼肉屋の話だったり―。
 「今が一番投げられる。今後10年は米球界で活躍してみせる」と語る彼だが、その自信は、これまで重ねてきた努力と経験に裏打ちされたものだろう。何より「野球を出来る喜び」を希求しているのではないか。
 プロという夢を叶えた彼は、現在は「無職」だが、米球界への復帰を目指して日々トレーニングを重ねている。
 どんな境遇にあっても、己の力を信じ、夢を抱くこと。それが今の日本人に求められている。

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2009年01月05日

「世界大恐慌」への関心

 新しい年を迎えて、国民の多くは昨年から伝えられる世界恐慌への関心から目が放せないのではないか。
 ぼくは正月休みに、とんでもない話題性を持つ一冊の本を読んだ。本の名前は「世界大恐慌」。副題は「資本主義は爆発的に崩壊する」。
 実は、この本は今から15年も前の1994年10月に発行されたもので、著者・ラビ・バトラ氏はインド人で、デリー大学卒業後、アメリカに渡り、サザン・イリノイ大学で博士号を取り、現在サザン・メソジスト大学教授。
 彼の名を一躍有名にしたのは1970年代後半に、イラン革命とイラン・イラク戦争を予言したことと、1978年に「資本主義と共産主義の崩壊」なる本を出版し、このなかで、2000年までには共産主義は崩壊する、と書いて的中させたことである。彼の第3の予測は1990年に東京市場で株価の大暴落が起こり、これをきっかけに世界は恐慌に突入するというものだった。
◇さて、今から15年も前に書かれたこの本、その内容を読むと1995年から2010年にかけて世界は大恐慌と戦争に突入し、資本主義は崩壊するというショッキングな予測である。
 こころみに、ぼくは1996年の日本を振り返ってみた。正月早々に住専(住宅金融専門会社)の破綻が報道された。住宅7社の貸付金残高が10兆7196億円、うち実に75・9%の8兆1322億円が不良債権となっていた。不良債権はほとんど回収不能で、そのうちの30%、3兆円以上が暴力団がらみの融資だった。
 明けて1997年10月には、京都共栄銀行が潰れた。原因は不良債権によるもので、表向き259億円の不良債権が実質はその5倍の1290億円になっていた。
 こういう金融不安が景気の回復や株価に影響し、10月14日の東京株式市場の平均株価は2年2カ月ぶりに1万7000円を割り込んだ。
 11月に入ると北海道拓殖銀行が倒産した。政府の出動で預金は保護され取付騒ぎは抑えられたが、同社の株式はただの紙きれになった。
 同月はさらに山一証券の危機が表面化し、日銀の融資や国の財政出動を仰ぐことになった。
 12月に入ると、日産生命の破綻が金融不安に輪をかけた。個人年金保険の運用の失敗によるもので、これら表面化したもの以外にも、株価暴落の要因は広くて深い。
◇著者は、「94年12月末には株価が20%に暴落する。しかし、それは株式市場瓦解の序曲にすぎず、95年に入っても株価は下げ続け、年末にはピーク時の50%以下。アメリカ経済は完全に恐慌局面に入り、金融機関に与える打撃はものすごく、倒産する銀行が続発する。その結果アメリカの信用システムは崩壊する」、と予言していた。
 日本については次のように書いている。日本の株価の暴落は円高、ドル安が引き金になる。94年11月には日経平均は1万8000円を割るでしょう。95年末には日経平均が1万2000円。あるいは1万円になっても驚かない。日経平均が1万2000円などという水準に落ち込むと、金融機関は所有株式を売却しても利益は出ず、不良債権の償却どころではなくなる。
 さらに下落すれば株価の含み損を抱えて日本経済の最悪のシナリオ、金融恐慌の可能性が浮上してくる。
 1995年に始まる大恐慌で、予測する日本経済最悪の事態は日経平均の一万割れです。東京株式市場の暴落が示す最悪の数字は日経平均8000円とみることができる。
◇この予測は13年後の昨2008年の大暴落を思わせる。事態はまさに重症である。【押谷盛利】

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