世間さまは教師である
ぼくの今年の時評は本日、25日が最後となった。下手くそな時評を丹念に読んで下さる読者の皆さんに「おうきに」と心から感謝の気分で今ペンを走らせている。
えらそうなことを言うわけではないが、ぼくの時評の原点は読者の心にある、と考えている。それは分かり易く言えば読者の心がぼくに響き、ぼくの時評が読者の心に反映し、いわば、ぼくと読者のコミュニケーションの場が時評である、との思いである。
世の中には知者がいて、世間の人をおろかな者として見下げる向きもあるが、それはホントの知者ではない。
ぼくは時評を書きながらいつも「世間の人はみんな教師である」と自分自身に言い聞かせている。世間の人とは不特定、多数で漠然としているが、要するに肩書きやポストのない世間一般、大衆ということができる。
端的に言えば、えらいさんでなく、その他大勢のことと思えばよい。選挙でよく登場する言葉に浮動票がある。浮動票はある意味で世間の声である。
◇さて、世間の人はみんな教師であるから、謙虚にその声を聴くのが賢者であろう。
世間は物知りであり、情報通であり、偏(かたよ)らない判断をする。理路整然とした話はしないが、ものごとの本質、核心をつく。
世間というのは歴史と先祖の知恵と自分の人生体験の総和ととらえることもできる。
◇昔から「世間を甘く見てはならない」、「渡る世間に鬼はいない」、「生きていられるのは世間さまのお陰」などというが、このごろは金に目がくらんで、平気で偽装商品に手をつける業者がいる。「信用は金で買えませんぞ」、「正直ものの頭(こうべ)に神宿る」は、一昔前までは世間の常識だったが、今は崩れてしまった。
◇このほど、お年寄りの女性読者から「天に唾を吐く」の有益な手紙を頂いた。
そのなかに、彼女の祖父の話がある。祖父は家族のものに対して、人として、してはならぬことがある。それを破ると必ず罰が当たる。
してはならぬことは①人を恨んではならぬ②人を裏切ってはならぬ③人を陥れる行為をしてはならぬ④人の善行の邪魔をしてはならぬ、ということだった。
そして、彼女は自分の友人の不幸について書いている。その友人は、ある人物をとても嫌い、邪悪なほどの恨みを持ち、その人を陥れることに専念していた。
なぜ、そこまで、憎むのか。友人の夫の会社にその人が協力してくれなかった、というそれだけの理由からだった。
友人は今、入院中で、体の自由を失い、仲間も去り、淋しくベッドに横たわっているが、それでも口から出る言葉は医師、看護師らへの恨みや愚痴ばかりだという。
◇ぼくは、この手紙を読んで、「人を呪えば穴二つ」の言葉を思い出した。
われわれ凡夫は困ったもので、人に注意されると、その人をうとましく思ったり、毛嫌いする。作品や業績を批判されるとそれを喜ばず、ときには根に持つ。「良薬は口に苦し」は必ずしもクスリだけではない。「正論はときに耳に痛し」と解釈してもいい。
ぼくの時評は常に言っているように、独断、偏見、ときには不快感を与えたり、失礼な文言に走ることもあるかもしれないが、一切他意なく、常に世の中がよくなり、人々が幸せになってくれることのみを願っていることと理解を賜りたい。
よき新年を祈りつつ。【押谷盛利】
2008年12月25日 15:56 | パーマリンク
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