滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2008年12月26日

新しい年、新しい夢(見聞録)

 滋賀夕刊新聞は本日26日付が今年最後の発行となり、当社では正月特集号の準備作業が大詰めを迎える。毎週火曜、金曜にお届けしてきた当コラムも年明けまでお休み。
 1年間の世界を振り返ると、原油や食料価格の高騰、アメリカ金融危機を発端とする世界規模の経済低迷に加え、中国のチベット民族の弾圧、ロシアのグルジア侵攻、インドの無差別テロなど負のニュースが記憶に残った。国内では、旧態の自民党政治が疲弊度を加速させ、食品の汚染や産地偽装、無差別殺傷事件、今月に入ってからは景気の急降下に伴う「派遣切り」などが報じられた。今後の経済や治安、生活、何より、日本という国家の行く末に、多くの読者が不安を抱いたことだろう。
◇マスコミ報道は何かと、そういう負の部分をクローズアップしがちだが、明るいニュースを記憶に残したい。
 アメリカでは初の黒人大統領が誕生した。奴隷制度の完全廃止から140年余りのことだが、人類はこうも「変われる」とのメッセージを発信した。ノーベル賞に日本の4人が選ばれ、日本の学術会に大きな自信と誇りをもたらした。オリンピックでの日本人選手の活躍も記憶に新しい。
 マネーゲームの標的となった原油市場は落ち着きを取り戻し、価格はピーク時の4分の1程度に下降。ガソリンが100円を切るまでに値下がりしているのも明るい話題。
 輸出企業に大打撃の円高も、輸入食品が安くなったり、海外旅行が手軽になると、「近視的」に捉えれば、決して暗いニュースではない。
 この世界経済の混乱に、政治、経済界がモタモタしているのは困るが、我々、末端の一市民がそう悲観する必要はない。そういう感覚を持ちたいものだ。
◇小生の今年はハッピーなニュースで始まった。2月、3月に同僚が相次いで結婚し、新しい人生をスタートさせた。披露宴での幸福に満ちた新郎新婦を見て「こうして新しい未来が築かれるのだな」と、妙に微笑ましく思ったのを、未だ覚えている。その披露宴や取材先、旅先で様々な人に出会い、新たな知識や感性に触れた。読者や地域の配達員とも時事ネタや市政課題について意見を交わす機会もあった。
 そういう出会いに「一期一会」でいられたのか、という点では反省が必要で、また、この1年やり残したことも多くある。新年に向けた課題も少なくない。
◇もうすぐ迎える新年。1カ月後に誕生するアメリカ新政権が世界にどのような変化をもたらすのか注視したいし、何より低迷・混乱を続ける国政の建て直しを衆議院の総選挙に期待したい。
 そういう政治的インパクトに加え、何より楽しみなのが、7月22日の皆既日食。国内では実に46年ぶりで、湖北地域でも太陽の8割が欠けて見える。「天岩戸(アマノイワト)」伝説のように、日食は古代から不吉の前兆とされているが、純粋に天体ショーとして楽しみたいものだ。
 前年のアンハッピーなニュースを引きずらず、新しい年は、新しい夢や期待を抱いて前向きに。読者の方々にも、そういう思いで新年を歩んでいただければ。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月25日

世間さまは教師である

 ぼくの今年の時評は本日、25日が最後となった。下手くそな時評を丹念に読んで下さる読者の皆さんに「おうきに」と心から感謝の気分で今ペンを走らせている。
 えらそうなことを言うわけではないが、ぼくの時評の原点は読者の心にある、と考えている。それは分かり易く言えば読者の心がぼくに響き、ぼくの時評が読者の心に反映し、いわば、ぼくと読者のコミュニケーションの場が時評である、との思いである。
 世の中には知者がいて、世間の人をおろかな者として見下げる向きもあるが、それはホントの知者ではない。
 ぼくは時評を書きながらいつも「世間の人はみんな教師である」と自分自身に言い聞かせている。世間の人とは不特定、多数で漠然としているが、要するに肩書きやポストのない世間一般、大衆ということができる。
 端的に言えば、えらいさんでなく、その他大勢のことと思えばよい。選挙でよく登場する言葉に浮動票がある。浮動票はある意味で世間の声である。
◇さて、世間の人はみんな教師であるから、謙虚にその声を聴くのが賢者であろう。
 世間は物知りであり、情報通であり、偏(かたよ)らない判断をする。理路整然とした話はしないが、ものごとの本質、核心をつく。
 世間というのは歴史と先祖の知恵と自分の人生体験の総和ととらえることもできる。
◇昔から「世間を甘く見てはならない」、「渡る世間に鬼はいない」、「生きていられるのは世間さまのお陰」などというが、このごろは金に目がくらんで、平気で偽装商品に手をつける業者がいる。「信用は金で買えませんぞ」、「正直ものの頭(こうべ)に神宿る」は、一昔前までは世間の常識だったが、今は崩れてしまった。
◇このほど、お年寄りの女性読者から「天に唾を吐く」の有益な手紙を頂いた。
 そのなかに、彼女の祖父の話がある。祖父は家族のものに対して、人として、してはならぬことがある。それを破ると必ず罰が当たる。
 してはならぬことは①人を恨んではならぬ②人を裏切ってはならぬ③人を陥れる行為をしてはならぬ④人の善行の邪魔をしてはならぬ、ということだった。
 そして、彼女は自分の友人の不幸について書いている。その友人は、ある人物をとても嫌い、邪悪なほどの恨みを持ち、その人を陥れることに専念していた。
 なぜ、そこまで、憎むのか。友人の夫の会社にその人が協力してくれなかった、というそれだけの理由からだった。
 友人は今、入院中で、体の自由を失い、仲間も去り、淋しくベッドに横たわっているが、それでも口から出る言葉は医師、看護師らへの恨みや愚痴ばかりだという。
◇ぼくは、この手紙を読んで、「人を呪えば穴二つ」の言葉を思い出した。
 われわれ凡夫は困ったもので、人に注意されると、その人をうとましく思ったり、毛嫌いする。作品や業績を批判されるとそれを喜ばず、ときには根に持つ。「良薬は口に苦し」は必ずしもクスリだけではない。「正論はときに耳に痛し」と解釈してもいい。
 ぼくの時評は常に言っているように、独断、偏見、ときには不快感を与えたり、失礼な文言に走ることもあるかもしれないが、一切他意なく、常に世の中がよくなり、人々が幸せになってくれることのみを願っていることと理解を賜りたい。
 よき新年を祈りつつ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月24日

不況の嵐に負けるな

 人間の娑婆は一筋縄ではゆかない、というのがぼくの人生哲学である。
 みたところ何不自由なく幸せに暮らしているとみられる人でも愚痴や不満の消えぬ人もある。
 いま、世間が一番気にしている問題は「景気」であるが、その景気一つをとらえても穏やかにクリスマスパーティーや忘年会を開く人もあれば、働き口を締め出されて、住む家もなし、という不幸な人もいる。
 物質や金銭的に心配のない人でも病気で苦しむ人もあれば、自分は健康だが家族の病気で困っている人もいる。人間、個々の生活はばらばらであり、その質は千差万別だが、今、吹きすさぶ不況風のように嵐次第では舟も転覆、家も吹き飛ぶという不安が生じるから、天気予報ではないが、景気の動向にはみんなが敏感になる。
◇景気というものはとらえどころのない怪物である。
 円高が訪れる、株安が来る、と分かっていれば、大手企業ならずともそれに対応できるはずだが、世界の指折りの大企業だって景気の進路やその内容をつかむことが出来なかった。今の、世界同時恐慌的不況は物が売れないからだという。
 売れないのは買う人がいないのか、買う力がないのか、と早とちりするが、買う人もあり、買う力があっても必要でなければ買わないし、今、買うより先に伸ばした方がより安く買えると判断して買い控える場合もある。
◇世間には知ったかぶって、インフレ対策を進めれば景気はよくなるし、物の売れゆきが活発になる、と言いふらすものもいるが、バカを言えと一喝したい。インフレというのは物不足のとき、争って手に入れようとするから物価が上がるのである。
 そこで生産に力を入れるべく土地に、工場に、機械設備に銀行が大盤振る舞いし、そして銀行を応援する国の金融緩和策が輪をかける。こうして土地も株も上がって景気に酔ったが、その一夜の夢のはじけたのが1980年代のバブルであった。
◇日本のインフレの最もひどかったのは1945年の敗戦後の一時期だった。もの不足に輪をかけて占領政策による旧円封鎖が原因した。
 そのころ国民は生活物資に困窮していたから作れば何でも売れた。しかし国民は金がないので思うようには買えなかった。そこで金融が国民の勤労意欲を担保にして貸し出しの枠を広げ、国がその後押しをした。それが消費から生産に連鎖し、拡大再生産の道筋を画きながら物価が上昇し続けた。
◇今、国民は物不足に嘆いているか、欲しいものが手に入らずいらいらしているか。事実は逆である。どの家庭でも住み家は充実し、電化は行き届き、食べ物は捨てるほど豊かになった。
 むしろ、健康と環境のテーマに関心が移り、乗り物をやめよう、車から徒歩へ。ぜいたくなご馳走より野菜重点、と趣向が変わった。身につける衣料品でも若者こそファッションに憧れるが、どこの家でもストックの山積みで、タンスに入りきらない状況である。
 グルメブームで食生活の贅は頂点に達したが、結果は脂肪太りと生活成人病の反発を招き、国民総クスリ漬け時代を迎えた。
 最先端の機械を駆使しての大量生産は、とどのつまりはだれが引き受けるのか。作っても買うものがなければ倉庫が満杯になる。倉庫を担保に銀行が金を貸すだろうか。売れないもの作りは破綻する。そうなれば町には失業者がふえるばかりだ。
 作れば売れる、売れなくとも銀行が金を貸す。拡張だ、設備投資だと景気のよい時代の夢が忘れられないから、インフレ景気などと血迷ったことをほざえるのであるが、嵐の吹くときはじっと我慢して、嵐のやむのを待たねばならぬ。
 売り上げが減少すればそれに釣りあうべく諸経費を切りつめねばなるまいし、賃金や収入が減ればその分、節約する工夫が大事であり、明るい日射しを確信して、がんばるものが勝ち抜く。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月22日

内需振興と財政出動

 もうすぐクリスマス、お正月、というのに世の中の表情は明るくない。
 世界同時恐慌という物騒な言葉が新聞やテレビに出るようになったが、それが一過性のものではなく、長く続くのではないかという悲観的観測が恐ろしい。
 手元の辞書で「恐慌」を引くと、「生産過剰などの原因により、経済が一挙に不況のどん底に落ちる現象。価格の暴落、失業者や滞貨の増大、企業の倒産、銀行の取り付けなどの混乱が起こる。パニック」と説明している。
◇世界一の車生産を誇ったトヨタが減産体制に入ったとたん、名古屋を中心に中部地方の経済が風邪を引き始めた。
 アメリカのGMなどビッグ3の大手自動車メーカーの危機にはアメリカ政府が緊急の財政出動に出たが、国や地方自治体が「助けて」の声に一々財政出動をすれば国の財政がパンクする。
 国の支援の限界と財政出動の効果的政策が問われるが、経済そのものが生きものであるから数学で方程式を解くようにはゆかない。
◇円高影響で輸出産業が手痛い打撃を受けている日本だが、では、それをカバーする意味で内需の開発振興に力を入れては、という意見があるが、それは理屈であって今、日本に内需喚起の起死回生の政策はあるのか。
 例えば、麻生内閣の実施しようとする2兆円の給付金。これは国民に一律、お年玉をプレゼントするようなものだが、それが内需を呼ぶきっかけとなって景気にはね返るか。専門家の多くは否定的であり、逆に2兆円という財源の乱費が財政秩序を壊すのではないか、という厳しい意見がある。
◇それでは、大胆な公共投資を進めては、という提言もある。いつの時代にも公共投資への財政出動は景気振興のカンフル剤の如く言われてきたが、これも特定業界をうるおすだけで、厖大な投資による財政赤字や赤字公債なる負の部分が警戒されるようになった。
◇公共投資は何も建設業界の専門用語とは限らない。医師不足に対する対策、高齢者用の福祉施設、山林資源の保護整備、健康保険の国庫負担の増額、食糧自給率向上の対策。その他、国民負担を軽くする財政出動は枚挙にいとまないが、しかし、それらの財源はどこに求めるのか。政府は年度の始めに一年間の歳出歳入予算を決め、なし得るぎりぎりの線で国家国民の繁栄を図るべく、国会の承認を得ている。
 もし、年度途中で、特別な財政出動を実施しようとすれば、単純にいえば、歳出を減らすか、増税するか、赤字国債を発行するしかない。歳出の圧縮は逆に民需の陰りを誘うことになり、国民の反発を招くであろうし、増税は消費税で明らかなように国民の理解が得がたく、それ以前に行政改革から始めるべき、との声が強い。
 赤字公債の発行は非常時には許されても平時にこれを易々と行うようなことがあってはこれは政治ではない。
 国の財政規律を根本的に崩すのみならず、次世代へ重い借金を背負わす結果になり、まじめな政策とは言えない。
 以上、考察したように内需振興の国策的妙案とは言うべくして、行い難いのが実情である。
◇ここで内需を考えてみよう。内需とは国民が財布の紐を解(ほど)いて、ものを買ったり、旅行したり、好きなことをしてお金を使うことである。
 内需の筆頭は住宅及びその関連、自動車、電化製品、情報関連機器、これに次ぐのが衣料、食糧、医薬、さらに生活内容を充実するためのレジャー、教養、趣味、旅行、観光。
 ちまたには格差社会を批判する向きもあるが、今の日本の国民の多くは、生活の質に恵まれており、まごうことなく中産階級化している。したがって、欲しいものは一応満たしており、さらなる内需を期待することは非常に難しい。しかも金融不安がそれを抑止する傾向にあることを知るべきだ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月20日

経済危機と国家の将来

 アメリカを中心に世界同時不況が来る年の不安をかき立てている。円が高いといわれる日本も例外ではない。
 アメリカ経済の不安はGMなどビッグ3といわれる三大自動車メーカーの経営危機によるものだが、それ以前に低所得者向けの金融未回収による金融不安が底辺にうごめいた。
 かつて、日本も住専(住宅専門供給公社)の経営破綻が一部銀行の危機を招き政府資金の発動で急場をしのいだ経緯がある。
◇経済社会は人間が構築したものであるから常に上向きで、安定しているというわけにはゆかぬ。安心・安全の希望的仮説に依拠して国民の経済生活がなり立っているだけで、いわば約束手形という経済社会を国家が裏書きしているにすぎない。
 したがって、国家の裏書きがなくなれば経済はあっという間に無秩序に混乱し、株券や国債などという資産はただの紙きれに過ぎなくなる。
 ブッシュ大統領がビッグ3の破綻につなぎ融資1・5兆円の救済策を打ち出したのは賢明であり、それが国の裏書きというものの権威である。
◇日本が明治維新を迎えたとき、時の政治家の一番苦慮したのは武士の処遇であった。武士は藩主から領地を与えられ、それが100石とか1000石とかの家禄により生活を支えてきた。いわば役人の俸給のようなものである。ところが藩主は自分の領地を国に返上し、幕府と藩による封建政治が終わって、代わりに明治新政府が生まれた。失業した武士階級に対する救済措置を採らねば不平武士の暴動が全国的に波及する。そこで新政府は武士の禄高を金券で補償する政策を打ち出した。これが武士に対する政府債で、何十年間にわたり償還してゆくシステムで、今の国債と同じ発想であった。
 ところが、国債をもらった失業武士の中には将来の不安からそれを保持することを避けて売却する者が出た。それを安く買う商人が現れて、銀行業が始まった。銀行が国債を買ったのは将来の安心感があるからで、出資に見合う金利を計算した上での商業ベースであった。
 ただし、それには前提があった。明治政府が堅実に政治をすすめ、日本の商工業の発展が約束づけられているという前提であり、これが当時の国民に対する明治新政府の裏書きであった。
◇しかし、国が経済社会の最終的裏書きをしているといっても、国民が危機を乗り切る努力や自衛を講じない限り、小さな穴から堤防が崩れる恐れなしとしない。
 小さな穴から堤防が崩れれば、その怒涛の水の勢いは平野を埋めてしまうかもしれない。それはこれまでの経済社会の破綻を意味し、革命現象につながる。ソ連の出発点となったロシア革命がこれであった。
 為政者や官僚が国民の苦悩を無視して驕り続けたり、国民が自助努力を放棄して、あれもせよ、これもせよと国に注文をつけ、国家の予算をあくことなく拡大してゆけば、行きつく先は国家の経営自体が困窮する。国が破綻すれば、約束手形の裏書きは紙きれ同様の惨事となる。
◇政府が経済の危機に財政出動するのは、アメリカが自動車ビッグ3に融資するのと同様正しい政策であるが、それは決して手放しの救援策であってはならぬ。日本の国債30兆円限度の大原則は小泉内閣の経済安定長期政策だったが、今、麻生内閣で捨てられようとしている。国債を限りなく発行すればその償還に苦しむのは次世代の国民である。苦しみの総和が国家不信、暴動、経済の無秩序、外部からの侮りなどに転移すれば、国の裏書きどころか、国の独立の危機すら招きかねない。それが分からない政治家は国を潰す。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月19日

故郷に帰ろう(見聞録)

 アメリカ金融危機に端を発した経済不況で、製造業の現場では派遣労働者ら非正規雇用の人材が次々と切り捨てられている。
 新聞紙面では連日のように、自動車や家電業界の解雇情報が掲載され、何万、何千という派遣労働者が年末から来年にかけて、職を失うことになる。
 湖北地域でも地域の雇用を支えてきた長浜キヤノン、ヤンマー、日本電気硝子などが、来年にかけて雇用を圧縮させる見込みだ。
 労働者の大量解雇は、社会の消費力の低下につながり、それが企業の業績に打撃を与えるという、マイナス連鎖に陥りかねない。
 好景気もあれば、不景気もある。つい最近まで空前の黒字を計上していた企業が従業員をあっさりと解雇するその姿勢は、労働者を工場で稼働する機械の部品としか見ていないということか。
 そのような感情を殺された職場ではなく、不景気の際には苦労を分かち合うような、家族的職場が今も多く残っていることを願いたい。
◇「新江州」の森建司会長は、「MOH(もう)通信」なる啓発冊子を発行している。「もったいない」「おかげさま」「ほどほどに」の精神を呼びかけているが、その2008年冬号では森会長が「若者よ故郷へ帰ろう」と題したコラムを執筆している。
 「今、われわれはまことに危険な精神的環境の中で生きている。社会全体をはじめ、家族も個人も経済の論理の中だけで生きている。少しでも高い給料を取るために高学歴をとり、大企業に就職する。そして海外にまでいく。郷里に老親や家系や、古き訓(おし)えのすべてを残し、1人旅立つのだ。不幸にしてそのルートを外れ、下層に甘んじるという憂き目を見たものも、故郷を捨てて、都会の孤独の中で破滅していく」。
 金儲け主義の企業家、物質的豊かさばかりを求める人間に警鐘を鳴らし、特に若者に「故郷はそんなに捨てたものではない」と帰郷を呼びかけている。
 華やかな職場を夢見て、故郷を離れた若者が今、解雇や就職難で喘いでいるなら、「一度、帰っておいで」と、語りかけて欲しい。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月18日

「変」の漢字から考える

 いい、悪いは別として今年もあと10日程で暮れてゆく。
 今年の世相というか、特徴を漢字一字に凝縮すればどんな字を挙げるか。
 国民一人一人の思いは千差万別であろうが、国民から募集したなかでは「変」が一番多かった。
 例によって京都は清水寺の管長が墨痕鮮やかに変の一字を披露した。変はよいか、悪いか。こんな質問は愚問である。よい変もあれば、よくない変もある。
◇日本では昔から正月料理に鰤(ぶり)を珍重する。それは出世魚といわれるからである。つまり成長とともに名前が変化する。幼魚は「ワカシ」、関西では「ブリゴ」という。
 それが20㌢から30㌢程になると「イナダ」、関西では「ハマチ」。さらに大きく成長して60㌢くらいになれば「ワラサ」と呼ぶ。
 最後は1㍍ほどの大きさになって日本各地の沿岸を回遊する。産卵のため冬季に南下する寒ブリは美味最高の高級魚として一流料亭へ流される。寒波厳しき日本海ものが喜ばれ、海の荒れる前兆に鳴る雷を「鰤(ぶり)起こし」という。
 成長するに連れて名前が変わるから出世魚であり、縁起がよい。鰤にあやかるわけではなかろうが、人間も江戸時代までは幼名のほか、元服名、成人名と名を変えた。
 このほか子供の成長を祝う儀式に七・五・三参りがある。
◇食べ物はもちろん、動物の死体や枯れた草木などは、地上や地中で腐って土に返るが、これは腐敗菌による物質的変化で、腐らなかったら大変なことになる。市販の飲食物には防腐剤を用いるが、ものが腐らなかったら人間は生きておれない。
 麹(こうじ)菌作用で米が酒になったり、大豆から味噌、醤油が出来るが、これらはものの生命が変化して生かされている人間の知恵の産物である。
◇今年の漢字「変」は、今年の暗い気持ちが発想しており、新しい年のよき変化を望む声ともいえる。
 その点で、一足早く、「変」を政治に求めたのはアメリカ国民だった。「チェンジ(変化)」を合言葉にオバマ氏が大統領に当選した。
 日本の暗い世相は秋葉原の無差別殺傷事件に象徴されるが、それだけではない。
 食品の偽装事件や中国のギョーザ、年末が近づくに連れて円安、株高、生産縮小、人員整理など、世界同時恐慌の嵐の前夜。このおぞまじい変化は世界最大の自動車メーカー・GM社の破綻説まで飛び出る始末。世界の人々の幸せ感に水をぶっかける21世紀最大の変化になるかもしれない。アメリカ国民ではないが、「嵐よ去れ」。祈るような新しい変化への願望が切ない。
◇さて、日本の政治にチェンジはあるのか。その鍵は解散総選挙にある。変人・小泉元首相が手をつけた政治・行政改革は福田、麻生政権下で足踏みしつつ後退の感があるが、他方「改革止めるべからず」の政界再編成の空気も出てきた。
 「変革」「チェンジ」。われわれ自身の心にも生き方にも同様に変革の求められる時である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月16日

面白い!bjリーグ(見聞録)

 滋賀県内に誕生したプロバスケットボールチーム「滋賀レイクスターズ」の試合が先週末の13、14日、米原市の県立文産会館で開かれた。
 初めての試合の取材で驚かされたのは、そのエンターテイメント性。「見せる」ではなく「魅せる」工夫が盛りだくさんだった。
 会場では常に音楽が流され、DJのマイクパフォーマンスが響く。観客は目まぐるしく変わる攻撃や守備に「ゴーゴー、レイクス」「ディーフェンス」と声を合わせる。敵チームのフリースローの際には、チアリーダーが足を踏み鳴らしてブーイングを送り、観客も一緒になる。
 ゲームの合い間には、チアリーダーのダンス、ロックバンドのライブ、小学生を交えた余興などがあり、観客を楽しませる演出に余念がない。
 最初、腰を下ろして遠慮がちに応援していた観客も、終盤になると、大声を張り上げ、レイクスターズの選手がシュートを決めると、飛び上がって喜ぶなど、ずいぶん盛り上がっていた。
◇ゴール下でカメラを構えていた小欄も、試合の迫力に加え、そのエンターテイメント性にすっかり魅了され、レイクスターズが滋賀初のプロスポーツチームとして根付く潜在性を感じた。
 気がかりなのは観客の少なさ。初日は742人で、客席の7割程しか埋まらなかった。平均して2000人程の入場がある湖南地域に比べ、明らかにファンの開拓が遅れているようだ。
◇bjリーグは、日本初のプロバスケットリーグとして2005年に開幕し、地域密着型のスポーツ・エンターテイメントを目指している。
 しかし、野球やサッカーなどと比べると、バスケットを観戦するというスポーツ文化は、日本に根付いているとは言い難い。
 また、滋賀県民にとっては、突然、出現したレイクスターズに、「ホームタウン」意識を醸成するのは簡単ではないだろう。特に湖北地域の住民にとっては、年に数回の地元ゲームでは、恒常的にホーム意識を持つことは難しいかもしれない。そう思っていた。
 しかし、先日の試合で、バスケットのルールを知らなくても、その魅力を体感できることを知った。
 ファンが拡大しないとすれば、きっとbjリーグの面白さを知らないだけ。ならば、チームはそれを知ってもらう努力をしなければならない。
◇bjリーグのチームの大半は、仙台や富山、新潟、高松、大分、沖縄などの地方都市を拠点にしている。滋賀も負けてはいられない。来年3月には再び文産会館で試合がある。客席をチームカラーの青で埋めたいものだ。
 なお、レイクスターズは学校に選手を派遣して一緒にスポーツを楽しむ「バスケ・クリニック」を開催している。湖南地域では毎週のように開かれているが、湖北地域からの依頼は少ない。せっかくの滋賀初のプロスポーツチーム、その魅力を子ども達に触れさせたいものだ。問い合わせはレイクスターズTEL077(527)6419へ。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月15日

篤姫と明治維新前後

 NHKの日曜の大河ドラマ「篤姫」が終了した。ドラマをめぐる多彩なる登場人物にさながら明治維新前後の歴史を復習する思いであった。これまでの歴史と違うところは、篤姫を主人公とする江戸城・大奥を舞台とする影の歴史にライトを当てたところであろう。
 それにしても痛感するのは、仏法の言葉ではないが、輪廻(りんね)転生(てんしょう)なる人間の歩みである。
 幕末から明治維新にかけての日本の政治・経済の大変革は、数世紀をまたねばならないほどの画期的なものだが、その大事業はなんと20年そこそこの短日月で実現化した。その20年が篤姫の全盛期であったことを思えば、ドラマ「篤姫」は明治維新史の裏版といっても過言ではない。
 事実、登場人物は維新前後の公家、大名、志士、倒幕派、佐幕派の情熱的な若ものが続々と新しい国づくりに身命をかけている。実に驚くべきことだが、維新回天の先駆者であり、軸であった坂本龍馬が暗殺されたのが1867年、それから10年後の1877年、西郷隆盛、その1年後の78年に大久保利通がこれまた暗殺されている。西郷と大久保は徳川政権を倒し、藩幕体制から廃藩置県を断行した維新の立役者だった。極端にいえば、龍馬の死から、西郷、大久保の死に至る10年間で、日本は天と地ほどの大改革を行った。
 歴史の不思議であるが、もし篤姫がいなかったら、勝海舟がいなかったら、一体、江戸はどうなっていたか。あるいは坂本竜馬が勝海舟の弟子になっていなかったら、龍馬は尊皇攘夷派で終わっていたのではないか。あるいは龍馬が生きていたから薩長同盟が結ばれ、倒幕が成功したのではないか。
 考えれば考えるほど幕末、維新の20年前後の年月の価値を尊さに圧倒される。
◇輪廻転生とは、生あるものが生まれ変わり死に変わりすることをいう。流転転生(るてん・てんしょう)ともいう。
◇地球上、いっさいのものは、例えば山を、海を見て、不動の如く思うかもしれないが、不動の中に目に見えぬ動きがあり、年月という歴史の鏡に当てれば、何一つ一定不動のものはなく、今日あるものは、あすは崩れ、明後日は消えているかもしれない。それが輪廻転生であり、われわれは、微塵(みじん)の如きほんの一瞬生きているにすぎない。
 しかし、明治維新が多くの先覚者の犠牲で10年、20年の短日月に成し遂げられたように、われわれの短い人生もまた長い目でみれば平成の大改革の1ページを綴っているのかもしれぬ。
◇すくなくとも、次の代に恥じぬ日本を申し送ることは、われわれの責任であり、回避してはならぬことといえよう。
 それでは、次の代へどんな日本をバトンタッチするのか。
 まず、われわれは日本の国民である以上、日本の国土の尊厳と永遠性に意識しなくてはならぬ。それは他国の尊敬を受けることと、他国から侮りや侵略を受けない国家であることを意味する。
 さらに、日本の豊かなる大自然を守り、公害や乱開発による国土の荒廃を招いてはならぬこと。
 そして、国民が豊かに幸せに文化水準の高い生活をすることのできる国家である。
 このような次世代への日本国家を思うとき、一番気になるのは、国民の健康である。
 すべての基本は、そこに住み、そこで活躍する国民の健康な心と肉体である。
 明治維新を断行した当時の先覚者は、みんな子供のころから厳しい家庭のしつけを受けると共に、内外の書を読み、教養豊かに、かつ、武芸の習練に怠りなかった。
 篤姫からそれを学ぶことができたのは幸せだった。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月12日

市役所の全面禁煙を(見聞録)

 勤務開始直後から、いつも市職員が喫煙室で雑談している―と、長浜市の脇阪宏一議員が10日の市議会一般質問で指摘した。脇阪議員の所属する会派室の向かいに喫煙室があることから、日ごろから気になっていたようだ。
 市側は「勤務時間中に席を離れて喫煙するのは、庁内の完全分煙に従うもので、常識の範囲内の喫煙は服務規程に抵触しない。ただ、長時間、喫煙場所にいるのは市民に誤解を与えるので、あってはならない。指導を徹底したい」と答弁した。
◇2005年に施行された健康増進法は、学校や病院、劇場、百貨店、官公庁施設、飲食店など不特定多数の人が利用する施設に、「受動喫煙」の防止のために必要な措置を講じるよう定めている。
 受動喫煙とは、タバコを吸わない人が周囲のタバコの煙を吸ってしまうことを指す。喫煙者はフィルターを通して有害物質を幾らか除去してから吸うが、タバコの先から立ちのぼる煙「副流煙」には、喫煙者が吸い込むよりも、何倍もの有害物質が含まれている。
 そういう健康上の問題があるから、受動喫煙の防止が求められる訳だが、それ以上にたまらなく不快なのが、臭いが服や髪に染み付くこと。
 さらに、食事の席でのタバコの煙は、味覚を台無しにする。多くの飲食店が「分煙」という形を取っているが、その効果は疑わしく、無頓着な喫煙者も少なくない。
 幸い、滋賀夕刊新聞社は完全禁煙化しているので、煙害に悩まされることはないが、外食や取材先では時々、煙の「攻撃」を受け、閉口してしまう。
◇公共施設の禁煙・分煙化は時代の流れでもあり、滋賀県は今年度中に庁舎内を全面禁煙にする。7カ所の喫煙室をすべて閉鎖し、来年度以降、喫煙できるのは屋外のみとなる。
 先進的なのは神奈川県。小規模飲食店を含む建物内での喫煙を規制する受動喫煙防止条例の策定を進めている。飲食店などから相当の反発が出ているが、施行から3年の猶予期間を設けることで理解を求めている。
 JR東日本は来年4月から首都圏の226駅のほとんどで、全面禁煙とする方針を11日、発表したばかり。
◇長浜市は庁舎内に計4カ所の喫煙室を設置し、玄関や通用口には来庁者がタバコの火を消せるようにと灰皿を置いている。このほか、議員控え室、記者室での喫煙を認めている。
 前出の脇阪議員は庁舎内の禁煙化を提案し、市も「非常に重要な課題」と受け止めている。
 全面禁煙は、愛煙家に一定の辛抱を強いることになるが、長浜市のイメージアップにもつながる。この際、滋賀県と足並みを揃え、全面禁煙を実現させてはどうか。もちろん、議員控え室、記者室も例外なく。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月11日

手抜き現象の気味悪さ

 麻生首相が「未曾有」を「みぞゆう」と読んだというので、その国語力が問われているが、首相に限らず思い違いしてスカタン読みすることは珍しいことではない。
 われわれは生まれて以来、日本語に接しているから、国語は得意なはずだが、国語とて勉強しなくては上達しないし、読解力のみならず、表現力がともなわない。
◇だれもが政治家や役人、弁護士、作家になるわけではないから、国語力をきわめるなんて大層なことは考えなくてもよいが、一応の常識程度の国語力は国民としての不可欠な教養であろう。
 国語の大事なことは今に始まったことではなく、明治以来、日本人は読み、書き、そろばんが出来れば一人前といわれた。読みは読解力、書きは書道と表現力、そろばんは算数である。
◇言葉は時代とともに変化するが、いつまでも変化せずに親しまれているのが古典である。しかし、その古典を読解するのが難しい。古事記、万葉集、源氏物語などの難しさは時代の変遷によるものとして、解説文にまたねばならぬが、心もとないのは、たかだか100年ばかり前の明治の文豪や詩人の作品が読み難くなったことである。明治、大正文学が古典に属するようになったことを思えば、国語学習の容易でないことがわかる。
◇国語力は本を読むこと、文章を書くことで上達するが、そればかりではダメで人と会話すること、人の話を聴くことが大事である。
 それを考えると、現代の情報化社会は、国語力をつけるにはマイナス要素がありすぎる。まず、家の中で会話が少なくなった。家族みんなが別々のテレビ番組を見、一家がそろって食事時などで会話することをしなくなった。
 テレビやビデオなど映像に遊びの時間を多く割き、読書の時間が少なくなった。手紙を出す習慣が失われて、電話か、ケータイのメールがそれに代わった。新聞や雑誌についても難しい文章や論文を敬遠し、事件もの、うわさもの、漫画などを見るだけという傾向が強まった。
 これがいわゆる活字離れ現象だが、これでは古典どころか、現代の文書にすら接する機会を失ってしまう。
◇このような現象を一口でいえば、ずぼら社会による文化の墓穴である。
 ずぼら社会は経済成長と科学技術の発展によって生まれたもので、いわば後遺症、公害のようなもので、その病状は取り返しがつかないほど深刻である。
 ずぼらは、手抜き現象に集約される。手抜きとは、手を抜くこと。汗をかくこと、辛いこと、苦しいこと、時間のかかることから逃げる流儀を指す。
 一番分かり易い手抜きは、掃除、洗濯、炊事である。これは素晴らしいことで女性が家事から解放されることを意味した。つまり、家事の電化によって、女性の生活時間にゆとりが生じ、それが女性の社会進出に一役買った。
 電話は電話器を回して、電話番号を交換手に申し出て、先方とつないだ時代があったが、それがダイヤル方式からプッシュホンに代わった。なるべく手をかけぬよう、らくをするやり方である。
◇家で炊事をすれば手間がかかるし、生ゴミが出る。それが出発点となって、外食産業や、加工食時代になり、火鉢やコンロから「チン」時代になった。
 手を使うのも足を使うのも、頭を使うのもいや。それが今、われわれを気味悪い世界へ誘ってゆく。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月10日

飯と番茶が健康の秘訣

 日本人の体と心がおかしくなったのは、戦後入ってきた外国文化の影響であると、これはぼくの確信である。
 具体的にいえば、米飯を食わなくなったこと。そしてコカコーラやウーロン茶を飲み始めたことにつきる。
 コカコーラはアメリカから入ってきて、日本人の飲みものの習慣を根本から変えてしまったが、これが引き金になってさまざまなコーラやジュース類が進出し、カネもうけの犠牲になって日本人の健康は、がたがたになってしまった。
◇アメリカは日本と違い、国土全体が広大で山が少なく、空気の乾燥が顕著である。だから日本のように汗をかくことがなく、シャワーだけで風呂に浸かる習慣がない。
 空気の乾燥により咽喉(のど)が乾くから、水やジュースをふんだんに飲む。そのアメリカ流に乗せられて、水とジュースをがぶ飲みする習慣が定着した。
◇考えてもみるがよい。今の60歳以上の人は子供のころ遠足するにも水筒など持った人はいない。
 学校へ行くのにも水筒を持つことはなかった。
 汽車で遠くへ旅行する人が駅弁を食うためについでに茶を買うくらいであった。
 汗を流して労働する人はその場(山や畑)で茶をわかして飲んだ。今のように、至るところでジュース類、清涼飲料を飲む習慣はなかった。
 そして、日本人が古来から愛用してきてた茶をないがしろにして、ウーロン茶やジュースに走る。
 ぼくの少年のころを思い出すと食事のときは番茶を飲んだが、普段は水を飲むことはなかった。
 学校へ上がるようになってからも食事のとき以外は飲みものを飲むことはなかった。
 大人になってからも茶の出るときは作業時や会議などでの休憩時に茶器から注がれる熱い茶であった。夏といえども熱い茶がご馳走だった。
◇飯は日本人の体に二千年来なじみきった主食であって、これをいい加減に扱っている今の食習慣は罰当たりといっていい。すべての食品は長い歴史と伝統によって、その国、その地方に適したものが生産されてきた。
 日本は土地の広い外国と違うから牧畜は発達してこなかった。その代わり周囲の海から海産物がとれた。米と海産物、野菜と山菜が日本人の胃を支えてきた。同じ野菜、果物でもできるだけ、生活する現場に近いところで生産されたものがよく、その上、旬(しゅん)のものを食べることが鉄則である。珍しいからといって、旬外れのものを食うのは栄養面からも、味覚からも決してプラスにはならない。
◇日本人は湿度の高い気象条件に住むから本当は昔のように裸足(はだし)か足袋(たび)がよい。靴下は空気を遮断するからむさる欠陥があり、アメリカなどは空気が乾燥しているから平気だが、考えねばならぬことである。その点、昔の人の知恵は尊い。ワラジや草履(ぞうり)、下駄は歩く足のためには最もよい履物である。
 それを考えると、サッシで密封する日本の現代の住宅は健康面からはよくない。湿気の多い日本だから家は風通しがよくないといけない。
 その点、雨戸、障子、土壁、畳の純日本式住宅は健康保持にはもってこいの優れた建築法である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月09日

鎮魂と復興の願い込め(見聞録)

 「○○ちゃん。これって何で光っているか知ってる?」「これはね、地震でたくさんの人が死んで、その人達を忘れないように光っているんやで」―。若い母親が5歳くらいの女の子に話しかけていた。
 先週から始まった「神戸ルミナリエ」の会場での話。若い母親がこう教えるように、神戸ルミナリエは未曾有の被害を出した阪神淡路大震災の犠牲者を鎮魂し、都市の復興を願い、大震災の発生した1995年の12月に初めて開催された。
◇港町・神戸を象徴するように外国人公館などが並んでいた旧居留地内の通りに、独特の幾何学模様のイルミネーションを飾り、近くの遊園地に、敷地を取り囲むように光の壁を建てている。
 クリスマス時期の神戸のイベントとしてすっかり定着し、全国各地から観光客が訪れている。14回目を迎える今年は開幕5日間(4日~8日)ですでに145万人が足を運んだ。
 大混雑のため、一帯の歩道、車道はすべて規制され、大阪―神戸間には臨時列車が運行されている。
 昨年は400万人の観光客が訪れたという。
◇震災時、神戸に住んでいたことから、当時からルミナリエ会場に足を運んでいるが、観光客の増加に反比例して規模は年々縮小しつつある。
 というのも、開催を支えてきた企業の協賛金が年々減り続けているためだ。昨年は赤字になり、前年度からの繰越金で補てんした。このまま、赤字が続くようであれば、存続が危ぶまれるという。
 このため、会場では観光者からの善意を募り、募金箱を持ったスタッフが「来年も開催できるように協力を」と呼びかけていた。
 また、14回目ともなると、単にイルミネーションを楽しむクリスマスの催しと化し、会場ではカップルが電飾にうっとりしたり、記念写真を撮ってはしゃいだりと、犠牲者の鎮魂というムードは感じられない。
 今の神戸の復興を象徴しているとはいえ、もし、犠牲者の鎮魂という主旨が忘れ去られているならば、開催当初から見守っていた被災者や神戸市民には複雑な思いがあることだろう。
◇そこで冒頭の母親の会話が出てくるのだが、単に芸術的イルミネーションに感動するだけでなく、そこに込められた願いや思いを知り、震災の記憶を受け継ぐ「きっかけ」として、末永く開催されれば、と来年以降の存続を願っている。
 神戸ルミナリエは15日まで。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月08日

反自然生活への反省点

 人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになったことを文明というが、それがいつの間にか精神文明の方を置き去りにして物質文明を限りなく追求するようになった。その結果、科学、技術に溺れ、心の重要さと大自然に生かされていることを忘れるようになった。むしろ自然を征服するのが高度文明であるかの如く錯覚するようになった。精神の狂いや不可解な犯罪が増加する今日的危機は、天上の神の「自然に還れ」の警鐘と理解すべきだが、残念にもその神の声は無視され続けてゆく。
◇ぼくは、厚生省元次官らを襲撃、殺傷した小泉毅容疑者の犯罪を通じ、さきの秋葉原の無差別殺人事件など一連の不幸な事件は容疑者の脳の狂いによるものではないか、と推論し、その原因について、現代の高度文明社会のもたらした複合汚染によるものだ、ときめつけた。そして、その複合汚染の実態は、水、空気、土、農水産物、食品、電波、ITを含めた情報化、子育て、教育等における広汎、かつ複雑な汚染の混合による心と肉体の破壊につながっている、と推論した。
 この複合汚染の実態を別の面から見れば、まごうことなき自然への反逆につながっており、それゆえに近年、「地球を自然に返せ」「地上に緑を」「地球の温暖化を防げ」等のキャンペーンが国際的に言われ出した。
 自然に対する反逆が人間の心や肉体を傷つけることを知った人は幸せだが、それが真に人類の幸せに通じるためには、それを知った人が勇気と情熱で「反自然」と戦うことが不可欠である。
 しかし、この戦いは容易ではない。ガンでいえば4期、5期に進んでいるからだ。
 ぼくは声を大にして、同胞を救うため自然に還れの運動を提唱しているが、その輪の広がりを期待するばかりである。
◇いま、国民は時計を見て時間を判断するが、その時計はデジタルである。デジタル以前は長針と短針を見極め、11時15分前、11時15分と脳の働きで判断した。幼児の計算能力の出発点でもあった。今は見た瞬間、何時何分と数字が示し、考える必要はなくなった。コンピューター技術の進歩によるものだが、これがドアの開閉や空調、炊事、洗濯、風呂など日常生活は申すに及ばず、あらゆる生産現場に駆使され、ロボット時代へ突入した。
 他方、現代医薬の発展は、人の死を限りなく延ばし、百人が百人、クスリ漬けの生活を余儀なくされている。
 人間が創造の神から頂いた自然治癒力は時とともに弱まり、長寿はしても人の介護なしには生きられぬのが実態であり、歩くための足が機能しなくなってしまった。
 今年は柿の大豊作だが、農村へ行けば分かるが鈴なりの柿が収穫されず、日に輝いている。子供はもちろん大人さえも柿を食わない。
 農家に聞くと夏の西瓜(すいか)さえ、近年はあまり喜ばれなくなった。無花果(いちじく)も食べる人が少なくなった。子供たちは皮を剥いたり、種を出したり、噛むことを拒むようになった。飲みものやクリーム状にしたものを好み、総じて原型のものより加工したものに目が向く。
 ものを噛むことをしないから歯の力もアゴの力も弱まるし、噛むことによる唾液の殺菌の効果も得られなくなる。
◇食生活でいえば脂肪分の取りすぎがやかましいが、今はあらゆる食品に脂肪が用いられる。砂糖の取りすぎも指摘されるが、一切の加工食品に甘みがふんだんに使用されて、食べ物の本来の味が忘れ去られてしまった。
 食生活の豊かさと飲料加工品漬けの結果、おなかを悪くしたり、いつも満腹感を持つものが多く、結果的に胃腸のクスリを併用することが目立つ。人を健康にし、働く力を付与する食品が逆に病人を増やす作用をする。
 これらはごく一例だが、自然に反する生き方は必ず自然の反発を受けることを知らねばならぬ。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月06日

複合汚染と幸せの鍵

 人間の身体と心を壊す原因について、複合汚染の恐怖に触れてみたい。
 汚染とは汚れることであり、その汚れが貯まったり、ひどくなると身心の健康に悪い影響をもたらす。体の汚染で一番分かり易いのは水俣病など公害による魚類、猫、人間の被害である。
 この系統はイタイイタイ病にもつながるが、水俣病は汚染が集中的だったため被害範囲が広く、死亡や重症者が顕著だった。
 琵琶湖も一時期、死の湖直前に至ったが、漁業が海ほどの規模でなく、食生活での依存度も海水産に比べて低いので、大騒ぎにならなかったが、それでも湖魚の病気、変形、死滅が問題になり、湖水をクリーンにする運動が急浮上した。
 湖魚の水揚げが往時の10分の1以下になったのは100%公害による。
 ぼくの友人が、いたいいたいと十年余りも苦しみ続け、最後は死亡したが、ぼくは湖魚による一種の「イタイイタイ病」ではなかったかと推測している。
◇汚染は広く環境汚染でくくられるが、そのなかで一般的なのは空気汚染と水汚染である。ところによっては鉱山や工場内での粉塵汚染もある。
 空気汚染はガソリンや重油によるものが一番ひどく、川崎、名古屋、尼崎、四日市など国を相手の被害者裁判で国が敗訴したことは衆知の通りである。これらのほか工場内での有毒ガスもしばしば問題化している。
 水の汚染は近年とくに頻発している。工場跡地の化学物質が地下水を汚すケースが多く、また全国的に広がった開発の影響で、化学物質による地下水汚染は想像以上である。全土に建設されたゴルフ場の場合、芝生保全のための除草剤などが地下水を汚していることはまぎれもない事実。近年流行の登山熱のもたらす人糞被害も限界に達している。
 その他、産業界全体が費消する化学物質の被害は捕捉しにくいが、広範囲に長時間、見えぬ形で水や空気や土を汚染している。
 その最大のものは殺虫、除草剤等の農薬であり、今一つは家畜類からの排泄物と水産養殖業の用いる化学物質であろう。
 農業においても昨今は果実のほか促成・抑制栽培における薬品使用が増えるばかりである。
 このほか騒音公害、建物の資材による薬品公害、各種電波による見えざる公害も無視できぬ。
◇空気や水、騒音などによる肉体的、精神的汚染が東の横綱とすれば、食品汚染は西の横綱であろう。食品汚染は偽装や産地ごまかしなど目に余るものがあるが、最大の心配は化学物質の限りなき普及である。
 もはや、日本の食品に自然食を求めるのは不可能になった。農家が自家生産する味噌や漬物ぐらいで、他の一切の市場流通食品は化学物質に丸漬かりである。
 日常生活で不可欠の醤油や酢、茶に至るまで自然の姿は消えてしまった。すべてが人工の調味料や色彩、匂いで、われわれの舌の感覚を麻痺させてしまった。
 魚も肉も野菜も果物もすべてが化学物質やクスリの洗礼を受け、それらの物質の安全許容量は規制されているが、摂取した後の体内での蓄積による影響は無視されており、例えば胎児における母乳公害など戦慄(せんりつ)すべきものを抱えている。
◇以上の水、空気、食品の3大汚染に今一つ、近代化汚染が後を追う。
 さきにもふれたが電波汚染のほか、テレビ、インターネット、ケータイなどIT汚染が人間の頭脳を汚し壊してゆく。そうして、これらありとあらゆる汚染が互いに混(ま)じりあい、いわゆる複合汚染を形づくってゆく。だから体をやられているとか、心をやられていると疑っても、どこの汚染なのか、何による被害なのか、単純にきめつけられなくなった。
 つまりAの汚染、B、C、Dと幾つかの汚染が混じりあって、ときには体をおかしくし、ときには脳をおかしくしてゆく。
 政治も、国民も、これから眼を離してはならないし、それに気づけば生き方に変化がある筈。それが現代人の幸せの鍵である。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月05日

小中学生にケータイ?(見聞録)

 大阪府の橋下徹知事は3日、府内の公立小中学校で、児童の携帯電話の持ち込みを原則禁止とする方針を明らかにした。府立高校については、通学範囲が広いことなどから、持ち込みを認めるが、校内での使用は禁止する。
 学校に携帯電話は必要ない―とのメッセージを明確にした橋下知事だが、その背景には府教委の行った調査がある。
 児童、生徒の1日の通話時間やメール送信回数を集計し、その傾向を調査したところ、携帯電話への依存度が強い子どもほど、学習時間が短いとの傾向が浮き彫りになった。
 携帯電話をいじってばかりいれば、学習する時間が減るとの結果。
◇一方、滋賀県教育委員会が昨年、子どもの携帯電話の所持率を調査したところ、小学生で21・6%、中学生で51・0%にのぼり、小学生にまで普及していることが浮き彫りになった。
 県教委では携帯電話を「学習に不要な物」として学校に持ち込ませないように各市町の教育委員会に指導している。
 ただ、特別の事情がある場合のみ持ち込みを許可し、学校で先生が預かるというケースもある。
◇子どもに携帯電話を持たせるか、持たせないのか。持たせるのなら、いつからが良いのか―。これは今の保護者の率直な悩みだろう。
 夜遅くまで塾に通わせていたり、両親が共働きだったりすると、携帯電話を持たせたくなる理由は分かる。
 これから携帯電話を子どもに与える保護者、すでに持たせている保護者は、家庭でのルール作りが欠かせない。
 滋賀大の宮田仁教授は先月、彦根市で開かれたフォーラムで「週に1度からでも携帯電話を持たせない日を設け、親は持たせた責任を持ち、ルールをしっかりと教える必要がある」と保護者に呼びかけた。
◇「友達が持ってるから」「中学の入学祝いに」などを理由に、安易に子どもに与えようと考えているのなら、少し立ち止まって考えるべきだろう。
 通話やメールのやりとりだけでなく、インターネット端末やカメラも付いている携帯電話は、思春期の子どものあらゆる好奇心と欲求を満たす道具だ。
 しかし、子ども達にどれほどの必要性があるのだろうか。何時間もメールやインターネットで遊ぶよりも、子どものうちは、勉強したり、体を動かしたり、本を読んだり、そういう経験を積むことが大切ではないだろうか。
 人生で一度しかない多感な思春期を、携帯電話と睨めっこして過ごしていてはつまらない。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月04日

脳内の司令塔と教育

 現代の悲劇は、幸福を目的とする近代文化によって、不幸と破滅への墓穴を掘りつつあることだ。
 近代文明が人間を破滅するとは信じ難い矛盾ではないか。
 しかし、その矛盾が至るところにぼろを出し、わけの分からぬ殺人事件があちこちに頻発している。
 狂っているとしか言いようのない不可解な殺人事件はもとより、「なんでそんなおろかなことを」と思われるような事件があきもせず起きており、そのなかには社会的地位や指導的ポストの人もあって、逮捕されたり、職場をクビになったりしている。
◇ぼくは善悪をコントロールする脳内の司令塔が故障したり、正しく機能していないからだと述べたが、それでは脳内の故障は何によるのか。
 一つは先天的なもの、今一つは後天的なものといえる。
 先天的は遺伝子もあるが、そうではなくとも精子、卵子による受精の影響もあれば、胎児の受ける環境や母乳も大きな関わりを持つ。
 胎児の影響を受ける環境とは妊婦の生活すべてといえる。汚染された食べ物や情緒不安のテレビ、ネットがそのまま胎児に影響することは、子と母が1本のヘソの緒でつながっていることからでも理解できる。妊婦と胎児はまさに一体なのである。
◇後天的とは、生まれて成長してゆく段階で、乳幼児期はもちろんのこと成人になるまでの親や家庭の責任は大きいし、学校での教育も大きなウエイトを占める。
 いま、子どもの精神的健康面で一番問題視されているのはケータイ、メール、ネット、テレビゲームである。ろくでもない過激な映像に刺激されたり、出会い系サイトによる不純交際や売春、集団万引、暴力など情報産業のもたらす子どもへの悪影響は目に余るものがある。
 かつて、森喜朗元首相は在任中、「IT革命」を振りかざしアホの一つ覚えのように宣伝した。業界にどれだけの功績があったのか知らぬが、02年から全小中学校にパソコンの導入がすすめられた。
 これの悪影響によって子どもたちはパソコンやゲームから離れず、勉強を捨てて非行に走ったり、問題を起こすことが多くなった。
 大学生の大麻汚染も無関係ではない。
◇子どもの精神汚染はそればかりではない。生まれて、この方、大人たちの生活や社会のもろもろのあり姿をしっかりと眼と耳で感知しているのだ。
 これを簡単にいえば自然の広場で、多くの人間とのふれあいの中で成長するのではなく、閉じこもった家の中、大人の近代化社会のひずみの中で親の愛、社会の愛から疎外されて育ってゆく。
◇さらに教育公害が輪をかける。「競争は悪い、差別を招く」として、小学校の通知簿に反対したり、運動会の1等2等をやめたり、子どもの前で校長おろしをやったり、デモにゆくからといって授業を放棄したり、日本の歴史や伝統を否定するばかりか、国旗や君が代を足蹴(あしげ)にするばかりの先生が教育界をリードしてきた。それがいま問題になっている日教組(日本教職員組合)の社会主義革命路線なのである。
 子どもの心にやさしい情緒を植えつけるのではなく、闘争と破壊の運動の種をまいてきた。これらが相乗効果して、子どもたちの精神汚染を深めてきた。
 子どもの柔らかな肉体と精神は摂取する飲食物と教育環境によってプラスの方向へもマイナスの方向へも伸びてゆく。
 飲食物の汚染のひどさは稿を改めて書くが、こうして抵抗力の弱い子どもが全身的な複合汚染の犠牲になり、体を壊すもの、心を壊すもの、それをひきずって大人になってゆく。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月03日

キレル人は減らない

 厚生省の元次官夫婦や元次官の夫人を殺害した小泉容疑者は分裂症であり、神経が正常に機能していない、とぼくは推量するが、それは、結果から見て彼自身が重大な判断ミスを犯している点でも証明できる。
 彼は犬の死から厚生省のトップ役人をうらみ、逮捕の時点でも官僚への憎しみや批判を述べたが、それは何を目的にしているのか。
 世の中に警鐘を打つためか、役人に反省を求めるためか、役人に恐怖心を与えるためか。
 いずれにしても目立つような行動をすることは自分の存在感を高め、自己満足を図っているとしか考えられない。
 彼が日ごろの鬱憤を晴らしたり、自負心に燃えているとすれば、自分を生かし、その所信を生産的価値に高めねばならぬが、彼はおろかにも殺人という大罪を犯した。
 殺人犯は死刑か無期、あるいは長期刑をまぬがれないが、自己愛の強い彼は生きてこそ生きている値打ちがあるが、死刑か無期では自己抹殺であり、自己満足への心と全く相反する。犯行の計画時や瞬間に、彼はそういう事件後の自分の姿を全く考えていなかった。
 このような自己矛盾が分裂症なのである。心がキレル、というのは正常な脳の神経が切れることなのだが、切れっ放しなら精神科へ強制入院させる手もあるが、まともな時が多くて、ときにキレルのが困りものである。ときにキレルといっても切れ方が小波(さざなみ)のようにひどく感じられず、少し常人と違う程度で見過ごされる場合と、30年、50年に一度に発生する自然災害のように、あるとき大切れすることがある。
 小泉容疑者の場合、ゲリラ豪雨のように突如でっかく切れたに違いない。
◇人間は神さまがうまくお創りになっており、人を傷つけたり、人のものを盗もうと意識した瞬間、「ダメ」「ダメ」と自動的にブレーキがかけられる措置が脳内に組み込まれている。これが良心であり、善悪をコントロールする司令塔が完備している。
 司令塔が故障したり、一部が正常に機能しない場合が厄介である。
 人々からいやな目でみられることにもなるし、軽犯罪の程度のこともあれば社会を動転させるような事件を起こすこともある。
◇人間は複数の人間の中で生きており、いわば社会的動物である。
 で、あるから愛したり愛されたり、つくしたり、つくされたり、助けたり助けられたり。向上すればするほど世のため人のため活動の領域は「私」から「公」へ向かう。
 そうした社会的生きものの本然の姿が強者が弱者を助け、仲間は共同の幸せを図る。これが造化の神の御心である。
 この神の御心は極めて大きい宇宙大自然の法則と思えばよいが、われわれ人間は、おろかにも科学万能に走り、人間の幸せを科学と技術が保障すると考えるようになった。それが19世紀からの産業革命と20世紀の資本主義を生んだ。
◇資本主義は富が目的であり、おカネがすべてであり、カネが国を強くし、人間を幸せにすると考えた。その幸せ追求の根本にあるのは物質世界である。
 このため工業は興り、教育は経済に奉仕し、際限もなく物質文明を追うようになった。
 その近代文明のもたらしたものが、宇宙の法則、造化の神の御心への背信だった。
 その結果、いま、ふり払うべくもがいているのが複合汚染の反省である。しかし、大方の為政者や経済人はまだ気がついていない。
 自然に還れと必死で諭す天上の言葉に耳を傾けない限り、心を病む人、キレル人は増えることこそあれ減ることはない。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月02日

月と星の共演(見聞録)

 今夜は西の空に月と2つの星が輝いて、とても綺麗ですよ―。1日夜、編集作業をしていたところ、お世話になっている高校の先生から何ともロマンティックな電話を頂いた。
 なるほど、西の空に金星と木星が輝き、その右下には三日月。何とも美しい構図だった。
 2つの星のうち、最も強く輝いているのが金星。明るさはマイナス4・5等で、隣の木星はマイナス2等だという。「マイナス」の表現は初耳だが、1等より2・5倍明るいのが0等、そして0等より2・5倍明るいのがマイナス1等という具合に、星の明るさを表現する。
 天上で最も明るい金星と、2番目に明るい木星がランデブーするこの現象は、この先、1週間ほど楽しめ、月との共演はきょう2日夜までの限定だそうだ。
◇12月に入ると、あちこちでクリスマスのイルミネーションが目に付く。最近は一般家庭も工夫を凝らした電飾を施し、美しくライトアップしているのもあれば、派手なだけのものもあり、あれこれ批評するのもこの季節の話題か。
 さて、クリスマスはイエス・キリストの降誕日だが、その時、天上に輝いていた星がクリスマスツリーの天辺にあるそれだ。
 「ベツレヘムの星」と呼ばれ、この星の輝きを見た占い師が「汝の王になるべき人物の誕生を告げている」と占い、ペルシャの3賢者が星を頼りに生まれたばかりのイエスを探した、との伝説が残っている。
 その「ベツレヘムの星」の正体は、天文学上、未だに謎に包まれている。
◇多賀町の天文台「ダイニックアストロパーク天究館」の高橋進館長によると、ハレー彗星や超新星など諸説ある中で最も有力なのが、「惑星会合」という現象。
 地球から見た惑星が同じ位置に集合する現象を指し、イエスが降誕した当時は、金星と木星が重なるように接近して、強く輝いたのではないかと推測されている。
 確かに夜の空を照らす2つの星が重なり合えば、救い主が現われるような気分になりますね、とは高橋館長。
 何かと慌しく感じる12月だが、金星と木星のランデブーなど、夜空の星を眺める心の余裕を持ちたいものだ。

| | トラックバック ( 0 )

2008年12月01日

キレル・キレナイの問題

 厚生省の元次官夫婦を殺した男。第3、第4の襲撃を計画したが警戒が厳しくて諦めたという。子供のころ飼い犬を殺された保健所へのうらみからというが、飛躍がありすぎてつじつまが合わぬ。
 なぜ、元高級官僚を襲ったのか。それを追及しても結果は出ない。ナンセンスである。
 なぜなれば正常な糸が切れているからである。このことは初期の痴呆症を体験している家族は知っているが、健全な意識を持っているつもりが、ある日、あるとき、人間が変わったようにトンチンカンなことを言ったり、自分の行動や家族の顔さえ忘れたりする。
 糸が通っているときは正常だが、切れたとたんにおかしくなる。夜の徘徊だって、切れたときの行為で本人は知らない。
◇このごろ、社会生活が極めて物騒なのは、いつ「キレル」か、分からぬ人がうようよしていることである。風邪のように咳が出るとか、熱がある、といった症状であれば、本人も家族も手当てが出来るが、「キレル」、「キレヌ」は、精神の世界だから本人も家族も世間にも分からぬ。
 ある日、突然、おかしくなって、人を殺傷したりするが、偶然というか、居合わせた被害者こそいい迷惑である。
◇今回の事件、小泉なる容疑者は46歳にもなって何をしているのか。無職、無収入なのに家賃の滞納もなく都会の真中で暮らしていた。暴力まがいの恐怖の言動が伝えられているが、都会生活の闇の部分は茫として霞の彼方である。
 彼は官僚に敵意をもって悪しざまに言っているが、世間にはバカがいて、彼の行動を英雄的とばかり憧れる奴がいるかもしれない。そういうバカに連鎖反応する恐れもあるから切れた男の言葉をまともに無条件に報道することも考えものである。
◇なにはともあれ、不快なこの事件から、われわれはお互いに学ぶべきものを発見しなければならぬ。
 この男の家庭環境はどうだったのか。親はどんな暮らしで、どんな子育て、どんな教育をしてきたのだろうか。宗教や他人との交際、友人関係、親類縁者との関わり・・・などをつぶさに点検分析することの必要性は幼児から、青年期以後の人間の精神生活に大きな影響を持っていると思われるからである。
◇彼は大学を中退しているが、その原因は何だったのか。中退後の歩みなどを知ることは犯罪者心理を研究する上で重要なことである。
 人は孤独では生きられぬというが、これまでの情報の限りでは妻帯の経験もないようだし、恋人も浮かんでいない。仲のよい友人もいなければ話しあう社会的場も持っていない。唯一、孤独から逃れる道はテレビやパソコンかもしれないが、夜の風俗の世界だって、パチンコだってカネがあれば遊ぶ世界に不自由はしない。
 彼の孤独を支えてきたのは何か。それを追及することも犯罪予防の手段でもあろう。
◇ぼくは、彼が生まれて少年期になるまでにどんな暮らしや家族環境、社会環境にあったのか、それが知りたい。さらに言えば、生まれる前の父や母の人柄などについても興味しんしんである。
 父母や家庭、地域社会は子どもの精神形成に大きく関わるからである。分かり易くいえば、よい食品がよい肉体をつくるように、よい環境がよい精神をつくるからである。
 残念乍ら、戦後の日本は精神的生活環境がだんだん悪くなっているし、肉体的食生活環境も悪くなっている。このような好ましからざる環境の悪化は好むと好まざるに関わらず、日本人をクスリ漬けに追いやり、その結果がさまざまな薬害を招く。肉体と同時に脳細胞への影響が精神の健康を破綻させる。鬱現象もその一つだが、「キレル」現象もこれによる。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
 
長浜市
長浜市議会
長浜観光協会