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ときわに、かきわに考

 ぼくの甥に金属関係の会社を経営している社長がいて、毎年、三陸沖を南下する旬(しゅん)のさんまを送ってくれる。今の「ときわ」、合併前の常磐市に東北工場を設けたのが、きっかけで、季節に入る最も美味な水揚げ直後のさんまを直送してくれるので近所にお裾分けするやら有り難い御縁である。
 常磐は福島県の南東部、太平洋岸にあり、常磐(じょうばん)炭田で広く知られている。
 福島、茨城両県にまたがる炭田で、その中心が「ときわ市」。昭和51年に閉山したが、かつては福岡県の筑豊炭田、北海道の石狩炭田に次ぐ炭鉱の町だった。
 筑豊は日本一の出炭量を誇り、いまの麻生太郎首相の本拠地であり、麻生家は西のお殿様であった。
 石狩炭田は夕張に代表される良質の石炭で栄えたが、平成7年(1995)閉山した。
 今は夕張メロンで有名だが、冬の味覚「石狩鍋」は全国メニューになっている。
◇さて、常磐(じょうばん)を「ときわ」市と仮名書きにしたのは賢明であった。「常磐御前」で知られるように「ときわ」の方が全国向けであり、意味も炭鉱のイメージを払拭して「永遠」を思わせる。
 古事記に「常磐(ときわ)に堅磐(かきわ)に動かず坐(ま)さむ」とある。
 かきわは、固く、しっかりした岩のことで、「ときわかきわ」は永久不変のめでたさをいう。
◇常は一字でも「ときわ」と読み、京都の右京区双ヶ岡(ならびがおか)の南西にある「常磐(ときわ)」という地名の由来はこの地に左大臣・源常(みなもとの ときわ)の山荘があったからと伝えられている。
 源常は7世紀、平安前期の公卿で父は嵯峨天皇。兄弟と共に源朝臣姓を賜わり、当時宮廷政治の首班として一大政治力を発揮した。
 常磐御前(ときわごぜん)は源義経の母で、近衛天皇の中宮に仕えたころ源義朝の妾となって義経を生んだ。義朝の死後、母と子の赦免を条件に平清盛の妾となった。
 このとき一命を許された頼朝、範義、義経らが成長後、平家滅亡の主役になったのは歴史の皮肉といえよう。
◇ときわは、とこいわの音変化で、常に変わらないの意味。常は、一般的には「つね」、「じょう」と読み、いつまでも同じ姿で長く続くことをいう。
 いつまでも長く続いて変わらない物事や道理を「五常」という。仁、義、礼、智、信の五つの不変の道理のことである。
 人が常に守るべき道が常道、戦うごとに必ず勝つのが常勝。
 このごろは常識外れの変人、奇人が多く、常軌を逸した行いもあって、常住坐臥、平穏無事、安らかな人生がおかしくなってきた。【押谷盛利】

2008年11月19日 13:51 |


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