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田舎もんと合併推進

 田園といえば聞こえはよいが、まごうことなく田舎(いなか)のことである。田舎の文字で類推するように田んぼのない田舎はない。
 日本は豊葦原瑞穂の国といわれていたからもともと葦が生い繁り、稗(ひえ)、粟、稲が豊かに穫れた田園国家だった。
 大和政権が日本を統一したのは4世紀から5世紀といわれているが、大和朝廷は飛鳥京、藤原京、平城京など都を奈良に置いた。都は文武百官が政治、治安、軍事を担ったから人が集まり、物資の流通や交易が盛んとなり都市を形成した。
 近江に大津京、京に平安京が生まれるとともに、都市は各地に分散してゆき、後の封建国家により領主の城下町はすべて都市化した。
◇田舎の対語は都(みやこ)であるが、今風に言えば地方と都市である。
 京や江戸が突出して栄えたように、地方の城下町も政治、経済、文化、産業の一大王国を誇り、税負担の農民を水呑み百姓として支配した。
 いまも残る「いなか」なる言葉は都市の驕りが地方を蔑視する象徴的表現と考えてよい。
 しかし、明治以降、地方に定着した「いなか」という言葉は、いつの間にか差別意識を超えて、地方、農村を代弁する日常語となった。
 地方人自身が自らを「田舎もの」と高言し、恥じるどころか、その武骨性、正直さを自負するほどになった。
 田山花袋の小説に「田舎教師」があるが、その社会背景である明治時代は確かに「田舎もん」なる蔑視的ニュアンスが強かった。
◇いま、ここで、田舎と都市の優劣や、住む人々の文化性や感性について語るのは本意でなく、この時評の目的は、なぜ、市町合併にぼくが熱意を持つかという素朴な文化論である。
 言葉の響きはともかく、戦後、田園文化、田園都市、職住同圏、地方分権、などの言葉が重用され始めたのは意味のないことではない。はっきり言えば都市のたそがれと地方の再評価が政治上の課題となったことを意味する。
 ぼくが湖北地方の合併を主張するのは、滋賀の辺地であるこの地方を田舎から脱却させたいからである。
 このままの状態で地方の行政が分散化するならば、それぞれの行政機能は著しく後退するであろうし、少子高齢化時代に即応する住民サービスが成り難い。
 若い頭脳は都市に流れ、地方は動脈硬化の嘆きと共に、その最大の武器である第一次産業の衰退を招く。
◇視野高く、将来の新長浜市を展望するなれば、文字通り山紫水明の文化的健康都市の建設でなければならぬ。
 その第1の前提は広大な水資源と林産資源の宝庫である「山」の確保、経営である。長浜以北の山地は一部を除き伊香郡の木之本、余呉、西浅井町以外にはない。
 第2の前提は琵琶湖の活用であるが、滋賀県の将来を見据えるとき、水清き万葉時代からの「淡海(あわうみ―おうみ)」を今に伝えるのは奥琵琶湖でしかない。この近江の誇りは北近江でしか発信できない。そのためにも湖北、木之本、余呉、西浅井町の合併は新長浜市に欠かせないし、奥琵琶湖を生かす経済、文化、観光都市の出現が望まれる。
 第3の前提は旧長浜市街地を核とする湖北一帯の連鎖市街地の形成である。連鎖市街地は、工業と商業の一体感を促進する意味で虎姫と高月、木之本の計画的開発と新産業の導入が不可欠である。
 第4は人材の育成と住環境の整備であり、これらを基本に滋賀の北部都市が「いなかもん」からの脱却を可能とするのであり、その責任は今のわれわれにあり、その射程距離には米原市を含むことは当然である。【押谷盛利】

2008年10月27日 18:26 |


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