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市民会館の閉鎖に思う(見聞録)

 長年、湖北地域の文化活動拠点として愛され続けてきた長浜市民会館が今月末をもって閉鎖される。
 市民会館は昭和40年に開館。鉄筋コンクリート造6階建てで、約1000人収容の大ホールをはじめ、食堂、集会堂、資料室、会議室、和室、結婚式場などを備え、総工費2億6464万円は当時としては大事業だった。
◇長浜市が昭和42年に発行した「長浜市二十五年史」に、開館までの経緯が紹介されている。
 それによると、戦後、長らく、市民会館の建設は市民の願いで、昭和26年には、市内の文化団体、婦人団体が市庁舎の西側に「市民舘」を整備して欲しい旨の請願を出し、当時の市議会は「趣旨採択」した。その後も、自治会や各種団体から早期建設を望む声が高まり、最初の請願採択から13年後の昭和39年に、ようやく着工となった。
 建設地は当初、市役所付近の予定だったが、地盤が脆弱だったり、最先端の会館を建てるには用地が手狭だったこともあり、計画地を変更。当時、新市街地形成事業として、田園を切り開いて国道8号線バイパスの整備が進んでいた宮司町に白羽の矢が立った。
◇さて、最初の請願が出てから、着工までに13年もの月日を要したが、その背景には、長浜市の財政破たんがあった。
 戦後、長浜市では駅前道路の拡張、市庁舎の建築、小中学校校舎の新築、保育所や消防署の建設など、大きな財政支出の伴う事業を一挙に実施していた。このため、あっけなく財政破たんし、昭和31年3月、国から「財政再建団体」の指定を受けるという深刻な事態に。
 市議会の定数を30人から24人に減らし、10課1局あった行政機構も7課1局に縮小。人員も52人を整理した。36年度に指定解除されるまで、財政再建に追われ、市民会館どころではなかった訳だ。
◇財政再建が終わってようやく、市民会館の整備構想が具現化した。
 建設にあたっては、市民と市当局が一体となって建設協力会を設立。浄財を募ったところ、市内外から4847万円が集まったと記録に残っている。これは総工費の2割にあたり、当時の市民の熱意と期待の高さがうかがえる。
◇長年、市民に文化、芸術、娯楽を提供してくれた市民会館はあと4日で閉鎖を迎えるが、感謝の念はどこへやら、何のセレモニーも行われないという。悲しいことだ。

2008年09月26日 17:00 |


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