関東震災と現代の覚悟
9月1日は防災デー。震災記念日でもある。
いまから85年前、1923年(大正12)のこの日、午前11時58分関東地方を襲った大地震は、東京を火の海にした。家屋の倒壊が火災を招き、全壊約13万戸、全焼約45万戸、死者・行方不明約14万人。ちょうど昼前だったため、各戸とも炊事時間と重なり、ガスやかまどの火が火事に結びついた。震源地は相撲湾で、マグニチュード7・9。最大震度6。被害は関東一円に及び、流言飛語が飛び交い、多数の朝鮮人が虐殺された。
日本は活火山、死火山を問わず、列島の地中深くに地震を起こす活断層が走っており、高温のマグマが大地の亀裂をうかがっている。
◇いまは、気象学が進み、近未来における地震発生の可能性を発表するが、それも警告に終わり、緊急時の避難指針には距離がある。
これは、近いうちに襲われるかもしれないが、まだ時間的ゆとりがある、ということで、心の準備を怠るな、という意味だろう。
しかし、危ない、と予告されていても、いつ発生するのか、時期が分からないだけに、当該地域に住む人が家をはらって転居するわけにはゆかない。
人がその地に住むのは、住みなれた土地や家もさることながら、職業や子供の教育環境もあって、現実の暮らしが歴史的、伝統的な住環境を支えている。だから、遠からず地震が来ると、予期されていても、あたふたと住居を変更するわけにはゆかぬ。群衆心理で、一気にその地を逃れようとすると、パニック状の被害が出る心配もあるから、学者といえども地震予報は難しく、慎重の上にも慎重であらねばならぬ。
◇昔の人は、地震は地下の「ナマズ」が怒った、というようなとらえ方をしたが、地下の何ものかが怒ったという素朴な感情は非現代的ではあるが、天地に神が宿るとする古代人の神秘的発想自体は弱者の人間としての原始宗教につながり、尊いともいえる。
地震を「なゐ」ともいう。「なゐ」は大地を意味し、なゐ震(ふる)う。なゐ揺れる、ともいった。さらに転じて、地震そのものを「なゐ」と呼んだ。方丈記に「恐れのなかに恐るべかりけるはただなゐなりけり」とあるくらいだから、昔も今も、恐ろしいものの中の最大の恐きもの、と思われているのはあまりにも当然である。それを身近かに感じたのは、1995年の阪神・淡路大震災である。
◇土は国土、国の意味もあるが、本来は大地である。大地には神が宿る、というのが日本人の伝統的信仰である。その人の生まれた土地を産土(うぶすな)、その土地の守り神を産土神(うぶすながみ)という。われわれが旅行したとき、みやげを買うが、「みやげ」は「土産」と書く。その旅先の土地でとれたもの、それが「みやげ」の語源である。
◇土は生活と密着しており、そこから産出するもろもろの生きものの助けを借りて、人間は生き、発展し続けてきたが、現代の科学文明は、土の尊厳性を忘れて、とかく、土をいじめとおしている。土と水と大気は生命の根幹だが、いま、それがいずれも傷つき、汚れ、それぞれに宿る神々から怒りをかっている、と考えることは間違っているだろうか。
われわれは先祖以来、土足で、人さまの家に上がることを禁じているが、同じ考え方に立つならば、水や空気や土地を汚すことは、それぞれの神さまの住ま居を土足で踏みにじったり、唾(つば)を引っかけたりする行為であろう。
あらためて、なゐ(地震)が大地であることを思い、土地のお陰で、いま生かされていることを感謝し、もし万一の大地の怒りにあったときは、どう対処するか、備えと心の用意は忘れてはなるまい。【押谷盛利】
2008年09月01日 15:39 | パーマリンク
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