滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2008年09月30日

断酒に励む人々(見聞録)

 先週末の28日、大津市の県立体育館でアルコール依存症の患者や家族で組織する「全日本断酒連盟」の全国大会があった。全国から3700人余りが参加し、難病に苦しむ「酒害者」の多さを物語っていた。
 改めてアルコール依存症について考えてみたい。
◇同連盟では、国内にアルコール依存症の患者が82万人いると推定している。しかし、加盟している会員はたった1万人で、その他の多くが依存症であることさえ気付かず、酒を煽り続けている。
 ビールや日本酒、ワイン、焼酎などアルコール飲料を日常的に過剰摂取したあげく、依存症に陥るが、そのきっかけは様々。
 毎日の晩酌の量が徐々に増えた結果だったり、家族の死や別離の悲しみから、仕事の失敗を忘れるため、過去の辛い体験を紛らわせるため、様々な理由で過度の飲酒に走り、いつしか依存症に。
 以前は「アル中」と卑下され、本人の意思が弱いとされてきたが、最近は精神疾患の一つと認知されている。
◇依存症に陥れば、飲酒をコントロールできなくなり、「今日は飲まないでおこう」「ビール1杯だけで」と思っても、気付けば酩酊するほど飲酒してしまう。
 その結果、内臓や精神に障害をもたらすだけでなく、性格が攻撃的、自己中心的になり、家族へ迷惑をかけたり、事件や事故を引き起こし、社会的信頼も失う。また、トラブルを後悔しても、それを忘れるため再び飲酒を続ける。
 そして、最もやっかいなのが、例え治療により10年、20年と「断酒」を成功させても、たった一口飲んだだけで、たちまち、コントロールを失い、以前の酒乱に戻ってしまうこと。
 依存症から決別するには一生、酒を飲まない生活を余儀なくされ、家族や仲間の献身的な支えが不可欠となる。
◇断酒連盟は、そういった「酒害」に苦しむ患者やその家族で組織する自助グループで、ほぼ毎日開く例会で悲惨な体験談や克服への歩みなどを話し、それを聞くことによって、過去を反省し、「明日も断酒に励もう」と誓い合う。
 以前、例会に参加して、その悲惨な体験談を聞いたことがある。アルコール漬けで仕事にならず、職場をクビになり、家では暴力の嵐。常識的な話も通じず、家庭崩壊は当たり前。自殺を考えた患者や家族は少なくなかった。
◇アルコール依存症との戦いは、本人が依存症を認めることから始まる。
 ▽酒を減らさなければならないと感じる▽周囲に飲酒について批判される▽飲酒に罪悪感を感じることがある▽朝から飲んだり、迎え酒をする―。以上に当てはまる人は、依存症の可能性あり。
 長浜保健所(℡65・6660)や長浜市健康推進課(℡65・7779)では随時、相談を受け付けている。

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2008年09月29日

さわやかな小泉退場

 元総理・小泉純一郎さんの退(ひ)きぎわは秋風に似て爽やかそのものである。
 神奈川の選挙区での講演で、総理在職中は全霊全魂、すべてを集中して国政に尽くしてきたと振り返り、辞めた時点で議員を辞めたい心境であったと報告している。しかし任期途中でもあるので、次の解散まで頑張ることにしたという。
 分かりやすく言えば燃えつきたことになる。燃えかすが、うろうろと現役にしがみついていれば政治の進化にブレーキをかけるだけで、国民に申しわけないという彼らしい信念の発露であり、政治家としての美学といえるかもしれない。
◇小泉さんは、さきの郵政民営化選挙で、自民党の総理経験者である中曽根、宮沢の両長老を年齢制限の枠によりあえて公認を外した。その結果、両氏は国会から身を退くことになったが、「老害」とささやかれる長老支配に穴を開ける意味で国民から歓迎された。
 今期限りで国会議員を辞めると宣言した彼の心中には、両先輩引退の経緯が去来したことであろう。
 政治家の出処進退の鮮やかさの要を自らの実践によってアピールしたといえるが、この一事を見ても彼が並々ならぬ政治家であることを証明した。
◇小泉さんは激しい政治家であった。彼の激しさは信念によるものであるが、同時に政治家は所信を発信して、国民とともに政策を遂行せねばならぬ、という民主的政治を貫いたといえる。彼は総理就任以前から、ずっと郵政民営化を叫び続けてきたが、その考えの根底にあったのは、「民で出来るものは官から民へ」の発想であった。
 このことは、歴代内閣の空念仏だった公務員改革の実践と不離一体にあり、さらに言えば官僚国家からの脱皮であった。
 彼が声を大にして叫び、かつ国民から支持されたのは、そういう意味での改革であり、彼が自民党改革に命をかけたのも同じである。
◇彼が燃えつきたと思われるのは郵政改革への歴史的選挙と、改革への切り込みであろう。改革は国民の圧倒的支持を得ながら、行政の端々では官僚の根強い抵抗にあった。第2の改革である道路公団の民営と分轄においても随所で抵抗されたが、その抵抗は法案成立過程の与党の非協力もしくはサボタージュに現れた。小泉改革を内部から崩すのは実は与党の保守体質であった。
 保守体質は古き自民党への郷愁であり、具体的には派バツと族議員政治への復活であった。小泉改革は国民の支持を得ながら党内では陰湿な抵抗にあった。その党内保守派の力がいかに大きいかは、安倍、福田両内閣を通じての派バツの復活と改革潰しの諸政策に現れていた。党内保守派は小泉時代は裏にこもって抵抗したが、小泉以後の自民党では公然と小泉批判が出るようになった。このような内在する抵抗勢力と戦いながら所信を遂行した小泉氏の手腕と力量は並の政治家の及ぶところではない。
 その最大の歴史的事件は平成17年8月の郵政改革解散と、9月総選挙の大勝利だった。命がけの選挙で80名を超す小泉チルドレンを生み、自民の大躍進を招いた。彼の眼には国民があった。今なお国民に人気のあるゆえんである。【押谷盛利】

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2008年09月26日

市民会館の閉鎖に思う(見聞録)

 長年、湖北地域の文化活動拠点として愛され続けてきた長浜市民会館が今月末をもって閉鎖される。
 市民会館は昭和40年に開館。鉄筋コンクリート造6階建てで、約1000人収容の大ホールをはじめ、食堂、集会堂、資料室、会議室、和室、結婚式場などを備え、総工費2億6464万円は当時としては大事業だった。
◇長浜市が昭和42年に発行した「長浜市二十五年史」に、開館までの経緯が紹介されている。
 それによると、戦後、長らく、市民会館の建設は市民の願いで、昭和26年には、市内の文化団体、婦人団体が市庁舎の西側に「市民舘」を整備して欲しい旨の請願を出し、当時の市議会は「趣旨採択」した。その後も、自治会や各種団体から早期建設を望む声が高まり、最初の請願採択から13年後の昭和39年に、ようやく着工となった。
 建設地は当初、市役所付近の予定だったが、地盤が脆弱だったり、最先端の会館を建てるには用地が手狭だったこともあり、計画地を変更。当時、新市街地形成事業として、田園を切り開いて国道8号線バイパスの整備が進んでいた宮司町に白羽の矢が立った。
◇さて、最初の請願が出てから、着工までに13年もの月日を要したが、その背景には、長浜市の財政破たんがあった。
 戦後、長浜市では駅前道路の拡張、市庁舎の建築、小中学校校舎の新築、保育所や消防署の建設など、大きな財政支出の伴う事業を一挙に実施していた。このため、あっけなく財政破たんし、昭和31年3月、国から「財政再建団体」の指定を受けるという深刻な事態に。
 市議会の定数を30人から24人に減らし、10課1局あった行政機構も7課1局に縮小。人員も52人を整理した。36年度に指定解除されるまで、財政再建に追われ、市民会館どころではなかった訳だ。
◇財政再建が終わってようやく、市民会館の整備構想が具現化した。
 建設にあたっては、市民と市当局が一体となって建設協力会を設立。浄財を募ったところ、市内外から4847万円が集まったと記録に残っている。これは総工費の2割にあたり、当時の市民の熱意と期待の高さがうかがえる。
◇長年、市民に文化、芸術、娯楽を提供してくれた市民会館はあと4日で閉鎖を迎えるが、感謝の念はどこへやら、何のセレモニーも行われないという。悲しいことだ。

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2008年09月25日

格差と平等を考える

 このごろ、広く用いられる言葉に「格差」がある。多くは悪い意味に使用されている。日本人は付和雷同性が強いから、だれかが音頭をとると、すぐそれになびき易い。格差もそうである。格差をなくそう、といえば、いかにももっともらしい響きを持つので、だれかれなしに「格差反対」「格差是正」などと叫ぶ。
◇ものごとを、しっかり眺め、真実を把握するがよい。格差が槍玉に上がるほど悪いものなのか。ひるがえって、わが身、わが環境、さらには日本国土へ目を向けて考えてみるがよい。この世は格差だらけであり、格差のない個人、団体、国家はあり得るはずがない。
 いとも簡単に格差打破を念仏のように称える人がいるが、格差の反対は平等である。公平は政治上も社会生活上も大切な規範であるが、平等はそれ自体ナンセンスである。社会主義の目標は「平等」であるが、理屈で平等を説くことはできても、実践で平等が具現されるはずがない。例えば、崩壊前のソ連は、世界の共産党国家の総本山であり、マルクス・レーニン主義の元祖国家として、共産主義の教科書を国家建設に当ててきたが、その中の重要項目である格差廃止、平等の理想は実現したか。事実は逆で、共産党独裁の政治の中で、共産党官僚が特権的地位を握り、学者であれ、農民であれ、能力のあるものが抜てきされ、優遇されてきた。なるほど賃金などは一律平等の部分もあったが、この平等は、悪平等のそしりをまぬがれず、能力のあるものが力を出し切らず、もしくは出し惜しみして生産性や品質向上の妨げになった。
 その弊を除去する目的で、生産、科学、スポーツその他の面で顕著に活躍したものに勲章その他の栄誉制度を設けた。
◇中国は共産大国であり、日本における親中派のものは、さも悪しきものの如く「格差社会」と日本をきめつけるが、その中国に格差はないのか。貧しい農民や労働者が不平たらたら生活していても、それを訴えるデモや反政府闘争は許されない。人民は党の役人の命ずるままに屈しなければならぬ。それでも、この国には億万長者がわんさと生まれ、自国産の米を食わずに、日本の「こしひかり」など高級米を食べており、何千万円ものデラックス外車を乗り回している階層がある。日本では想像もできぬ格差社会である。
◇人間は同じ親の子として生まれても、兄弟姉妹決して平等ではない。体つき、知能、心のありよう、いわゆる後天的なものを除いても、すべてそれぞれの持ち味があり、決して平等、均一ではない。
 学校へゆけばクラス全員成績が違う。いい成績のものが、人格が上で、人間が上位というわけではなく、成績は決められた規格の中での学力の一つのめやすである。高校、大学へ進んで、さらに知徳を磨くが、それぞれの段階で、知的テスト、試験のあるのは、競争社会の必然である。その進学の課程で、能力に応じた研鑽や就職のコースをとるのは本人の自由で「できるもの」と「できないもの」の格差が生じるのは人間界である以上避けては通れない。
 お金にしたってそうである。金持ちの息子が必ずしも金持ちになるとは限らないし、貧乏人の子が生涯貧乏で送るとも限らない。貧しくて、小学校へもろくに行けなかった松下幸之助さんは世界の松下の社長になった。
 人間社会は、米に一等、三等と等級をつけるように、人間に等級をつけることはしないが、本人の努力によって、優位な人生を送るか日影の道を歩むか、千差万別である。さらに言えば金や物質、地位に恵まれることが幸福の条件とは限らない。方丈記の著者・鴨長明のように一丈四方の庵で、山の中に暮らしても幸せを見出す生活ができるのであり、心が卑しく、貧しければ、いかに外見を飾っても幸せとはいえない。【押谷盛利】

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2008年09月24日

麻生内閣と国民の関心

 福田後継内閣が24日発足する。22日、自民党総裁に選出された麻生太郎氏が第92代首相となる。
 この内閣と自民党政治が続くか、もしくは三日天下となるかは、一にも二にも引き続き展開される衆議院選挙の結果による。
 麻生という顔で、失点挽回を図る自民党に今こそ政権奪回の好期と勢いこむ小沢民主党がどれだけ国民の支持を得るか。
 これは、自民対民主の政局の問題というよりも国民の政治に対する民度を計るバロメーターとしても歴史的な選挙といえる。
◇ぼくは、早くから、自民党総裁選について言及したことがある。その結果によって、自民党の国会議員、党員の頭のよさが分かる、と書いた。さて、結果は出たが、残念ながら賢明な選択をしたとは思えない。
 今度の総裁選は、次の衆議院選の前哨戦だから、その戦いにのぞむ顔が衆議院選のムードに関わるからこそ、その総裁選を注目したのだが、自民党は麻生に圧倒的支持を表明した。
 その舞台、演出、出演者の状況から、ぼくは茶番劇と評したが、一言に集約するなら、古い自民党に里帰りした。ただそれだけである。新味はなにもない。
 まだ新総理が決まっていない段階で、早くも閣僚の顔ぶれが出ている。いわゆる新聞辞令だが、その陰に実力者の顔が見え隠れするし、政治の秩序を乱す二重権力構想が目に浮かぶ。
◇自民党の新総裁と麻生内閣による解散を一番喜ぶのは民主党など野党ではないだろうか。つまり、政策と党の方向を競う点において、最も戦い易い布陣といえるからである。
 もし、総裁選で、小池百合子氏が当選していたら、民主党は苦しい戦いを余儀なくされるに違いない。
 まず、小池氏は日本初の女性総理という顔で、国際的にもトップニュースで扱われるだろう。彼女はアラビア語、英語に堪能な国際派政治家として、日本の政治のレベルを飛躍させるであろう。何よりも彼女は、いま日本人が切に望んでいる公務員改革と特殊法人の改廃にメスを入れるに違いない。それらは、他の4候補の叫ばない「永田町を潰す」の官僚政治打破の決意である。彼女は自ら小泉路線を継承すると改革ののろしを高く掲げた。いま国民の望んでいる声は国民の目線に応える改革である。
 さらに、マスコミは取り上げなかったが、さきの防衛省汚職に関し、防衛大臣新任早々、彼女は防衛省に君臨する守屋次官を更迭すべく対立した。このとき、自民党の多くは守屋の肩を持って、小池氏を「ゆきすぎ」と批判した。結果はどうだったか、守屋をめぐる不愉快な防衛汚職が次ぎ次ぎ明るみに出たではないか。
 彼女の政治家的実践力は、小泉内閣時代の環境大臣としての実績でも証明されている。
 この顔を陣頭に立てて衆議院選にのぞめば、退潮の自民に起死回生のカンフル注射になると思ったが、自民党は地方も中央も選択を誤った。
◇自民党はその古い体質を自ら脱皮することをしなければ、国民の信をつなぐことはできない。いまも世論調査で、国民支持・人気第一の政治家が小泉純一郎氏であることを思えば、国民の改革への熱い心が分かるはず。
 残念乍ら麻生総裁と麻生内閣は時計の針を20年、30年逆回転させた。郵政民営化に反対した政治家を党の重要ポストや閣僚に登用した。官僚主導の政治と短期大臣によって、日本の運命が先細りすることのないよう、国民はあらためて、自民党の再生に注文する必要がある。【押谷盛利】

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2008年09月22日

麻生総裁と事大主義

 自民党総裁選を茶番劇と見る識者があった。福田路線を継ぐ脚本があらかじめ用意され、その筋書き通りにことが運び、何も知らぬ陣笠国会議員や党員はあれよあれよという間にその茶番劇の入場券を買った。平成20年9月21日と翌9月22日を歴史的な日として記憶しておこう。
 9月21日は自民党から政権を奪うべく小沢一郎氏が民主党代表に再選された日で、政治生命をかけて近づく総選挙を戦う、と宣言した。
 22日は受けて立つ自民党総裁選で、麻生太郎氏が選ばれた。
 福田内閣は始めは処女のごとく、終わりは脱兎の如しで、見るべき実績もないまま追われるように退陣し、改造1カ月内閣の醜態をさらして1年で幕を閉じた。安倍内閣に続く短期内閣だが、トカゲの尻尾切りよろしく、自民党は再び福田路線を継承する。安倍内閣以降日本の政治を支配した自民党権力の古い体質があまりにも見え見えであるが、こっけいなのは、自民党の多くが、国民に眼を向けないで、党内権力とこれまでの政治的伝統に目を奪われている矛盾である。
◇ぼくは麻生氏の圧勝を通じて、ふと「事大主義」なる言葉を連想した。事大主義とは自分の信念を持たず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度や考え方をいう。日本人は多少の軽蔑の意味をこめてこの考え方を「長いものには巻かれよ」という。その意味は、勢力、権力あるものには逆らわない方が得である。
 今回の自民党総裁選で、森元首相が、麻生応援の陣頭に立ったが、彼は自分の派バツの集会で、「勝ち馬に乗らねば、新しい内閣、執行部で冷や飯を食うぞ」と脅しのような発言をして、同じ派バツから小池百合子氏を応援している人らを牽制した。この森発言がいわゆる事大主義である。
◇事大主義の元祖は日本では小早川秀秋(1582―1602)といわれる。豊臣秀吉の妻ねねの兄、木下家定の子で、始め秀吉の養子となり、後に小早川隆景の養嗣子となった。秀吉の死後、関ヶ原の戦いで、石田三成方の西軍の重鎮だったが、戦局を見て東軍に寝返りした。その功で家康は備前、備中、美作の50万石大名に列した。
◇事大主義の親類言葉にオポチュニスト、風見鶏(かざみどり)がある。風見鶏というと、年配者は元首相・中曽根康弘氏を思い出すはず。政界や言論界で、彼のニックネームとされていたが、必ずしも彼のためには名誉あるニックネームではない。
 風見鶏は本来は風向計なのだが、これをもじって定見を持たず周囲の状況を模様眺めしてから都合のよい側ばかりにつく人のことをいう。
 彼が田中角栄氏に取り入ったことは有名で、その結果、総理になったが、政界通の言論人はその内閣を田中曽根内閣と阿諛(あゆ)した。
 オポチュニストは日和見主義者、御都合主義者と訳し、その考えがオポチュニズムであり、定見を持たず、大勢に追随して立場を変えることをいう。
◇ぼくが今回の自民党総裁選で、事大主義を感じたのは「寄らば大樹の陰」、「長いものには巻かれよ」の古い日本人の体質をまざまざと感じたからである。
 自民党の国会議員や自民党員は、自民党政権、自民党権力は永久不滅と思っているのかもしれないが、そういう驕りが墓穴を掘る。
 なるほど、いまの衆議院勢力では、麻生新総裁は直ちに総理に指名されるが、それは3日天下で終わる可能性なしとしない。近く行われる解散、総選挙でもし民主党や野党が過半数をとれば小沢内閣になるからである。【押谷盛利】

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2008年09月20日

農相の辞任と国民感情

 太田誠一農水相が19日辞任したが遅すぎる。福田首相は彼の傲慢とも思える発言に対し、いち早く首を切るべきだった。
 なぜなれば、彼の発言は、中国ギョーザをかばい、今回の汚染米問題でも業者の肩を持って、消費者である国民を虫けらのように思っているからだ。
 こんな男が大臣として、たとえ3日でも政府の中枢にいたことは我慢のならないことで、実は、こういう大臣の考え方がこれまでの日本の政治では当たり前であった。
 その当たり前の官僚独善の政治を根本的に刷新し、改革するのがこれからの課題で、その端緒が今回の自民党総裁選であるが、それが案外分かっていない。
 これについては総裁選の結果を見て、鋭く分析するが、あらかじめ予言しておくが、その結果によっては、自民党の国会議員、党員はアホか、もしくは、反国民か、明らかになるだろう。
◇さて、問題の太田農水相放言だが、我慢して今日まで騒ぎ立てなかった国民のお人好しも余り感心したことではない。
 太田農水相は8月の内閣改造で新任した直後、中国の毒ギョーザによる世間の騒ぎに言及し「日本は安全なんだけど、消費者、国民がやかましいから徹底していく」とうそぶいた。毒入りのギョーザがなぜ安全なのか。毒入り饅頭を食べても被害が出なければ安全なのか。これを聞いただけで、この男は政治家失格だ、とぼくは思った。
 いま、中国で大問題になっているのが大手乳業メーカー3社の牛乳やヨーグルトから化学物質メラミンが検出されたことで、すでに死亡者もあり被害が続出している。
 日本へ輸入されていないか、大いなる関心事だが、日本の農水相のような信用のおけないやり方なら、こっそりと入っているかもしれぬ。毒性は毒性なのに、被害が出ていないから安全だとはよくもぬかしたものだ。
◇太田発言は中国ギョーザに関して「国民がやかましいから」とバカをほざいたが、20日のニュースを見るがよい。長野市で19日、和菓子屋の職人2人が中国製のあんをなめたところ、吐き気と手足のしびれで病院に運ばれている。食品の安全について、国民が関心を持ち、やかましくいうのは当然ではないか。本来は消費庁なんて役所や大臣をつくるのではなく、食品を担当する農水省や通産省、厚労省などが厳しく行政すれば足りることだ。それを野放図にしているのが、これまでの行政ではないか。例えば、化学物質の入っている米、カビの生えている米などは、上陸した時点で、輸出先へ送り返すべきではなかったか。
◇太田大臣は、汚染米が大問題となっている矢先、「人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いではいけない」ともいった。
 就任後2カ月も経っていないのに、なぜそんな開き直りのようなことがいえるのか。まるで、新聞やテレビの騒ぐのを茶化しているような発言である。
 こういう発言を聞くと、つくづく日本の官僚や警察の既往の問題処理の考え方にあきれるのだが、深く触れる前に簡単に説明しておく。
◇警察は被害者が「ストーカーに追われている」、「暴言を吐いて、恐ろしい人から借金の取り立てを迫られている」、「家の中で息子が荒れて殺されるかもしれない」などと、相談に来ても、実際に被害が形に表れないまでは動こうとはしない。詐欺事件が事前に防止の手を打てば被害が少なくてすむ場合でも明らかに被害が出ない限り捜査はしない。
 食品汚染もそうである。毒性物質の混入が明らかであるにも拘わらず、被害が出なかったら、「白」だ「安全だ」とする考えは一体、だれの方を見て仕事をしているのか。国民の方に目を向けるのが国民から選ばれた政治家であり、国民に奉仕する国家公務員ではないか。被害が出てからでは遅いのである。それが分からぬ政治をどこで改めるのか。【押谷盛利】

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農相の辞任と国民感情

 太田誠一農水相が19日辞任したが遅すぎる。福田首相は彼の傲慢とも思える発言に対し、いち早く首を切るべきだった。
 なぜなれば、彼の発言は、中国ギョーザをかばい、今回の汚染米問題でも業者の肩を持って、消費者である国民を虫けらのように思っているからだ。
 こんな男が大臣として、たとえ3日でも政府の中枢にいたことは我慢のならないことで、実は、こういう大臣の考え方がこれまでの日本の政治では当たり前であった。
 その当たり前の官僚独善の政治を根本的に刷新し、改革するのがこれからの課題で、その端緒が今回の自民党総裁選であるが、それが案外分かっていない。
 これについては総裁選の結果を見て、鋭く分析するが、あらかじめ予言しておくが、その結果によっては、自民党の国会議員、党員はアホか、もしくは、反国民か、明らかになるだろう。
◇さて、問題の太田農水相放言だが、我慢して今日まで騒ぎ立てなかった国民のお人好しも余り感心したことではない。
 太田農水相は8月の内閣改造で新任した直後、中国の毒ギョーザによる世間の騒ぎに言及し「日本は安全なんだけど、消費者、国民がやかましいから徹底していく」とうそぶいた。毒入りのギョーザがなぜ安全なのか。毒入り饅頭を食べても被害が出なければ安全なのか。これを聞いただけで、この男は政治家失格だ、とぼくは思った。
 いま、中国で大問題になっているのが大手乳業メーカー3社の牛乳やヨーグルトから化学物質メラミンが検出されたことで、すでに死亡者もあり被害が続出している。
 日本へ輸入されていないか、大いなる関心事だが、日本の農水相のような信用のおけないやり方なら、こっそりと入っているかもしれぬ。毒性は毒性なのに、被害が出ていないから安全だとはよくもぬかしたものだ。
◇太田発言は中国ギョーザに関して「国民がやかましいから」とバカをほざいたが、20日のニュースを見るがよい。長野市で19日、和菓子屋の職人2人が中国製のあんをなめたところ、吐き気と手足のしびれで病院に運ばれている。食品の安全について、国民が関心を持ち、やかましくいうのは当然ではないか。本来は消費庁なんて役所や大臣をつくるのではなく、食品を担当する農水省や通産省、厚労省などが厳しく行政すれば足りることだ。それを野放図にしているのが、これまでの行政ではないか。例えば、化学物質の入っている米、カビの生えている米などは、上陸した時点で、輸出先へ送り返すべきではなかったか。
◇太田大臣は、汚染米が大問題となっている矢先、「人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いではいけない」ともいった。
 就任後2カ月も経っていないのに、なぜそんな開き直りのようなことがいえるのか。まるで、新聞やテレビの騒ぐのを茶化しているような発言である。
 こういう発言を聞くと、つくづく日本の官僚や警察の既往の問題処理の考え方にあきれるのだが、深く触れる前に簡単に説明しておく。
◇警察は被害者が「ストーカーに追われている」、「暴言を吐いて、恐ろしい人から借金の取り立てを迫られている」、「家の中で息子が荒れて殺されるかもしれない」などと、相談に来ても、実際に被害が形に表れないまでは動こうとはしない。詐欺事件が事前に防止の手を打てば被害が少なくてすむ場合でも明らかに被害が出ない限り捜査はしない。
 食品汚染もそうである。毒性物質の混入が明らかであるにも拘わらず、被害が出なかったら、「白」だ「安全だ」とする考えは一体、だれの方を見て仕事をしているのか。国民の方に目を向けるのが国民から選ばれた政治家であり、国民に奉仕する国家公務員ではないか。被害が出てからでは遅いのである。それが分からぬ政治をどこで改めるのか。【押谷盛利】

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2008年09月19日

地産地消のお弁当(見聞録)

 コンビニエンスストアのセブンイレブンで18日から、滋賀産の食材をふんだんに使った弁当の発売が始まった。普段はコンビニ弁当を避けているが、試みに買ってみた。
 「滋賀の恵み弁当」と銘打ったこの弁当、ご飯に、県産小松菜と焼きほぐした琵琶湖産ビワマスを彩り良く盛り付け、おかずは、県産の牛肉煮、甲賀の伝統野菜「下田なす」を使用した煮物、漬物は伝統の「日の菜漬」など、地元食材が盛りだくさん。
 味はコンビニ弁当にありがちな「しつこさ」「くどさ」を控え目にしており、食べやすい。
◇弁当のパッケージには滋賀のシンボル「Mother Lake」のロゴが。
 実は、セブンイレブンと滋賀県は17日に「地域活性化包括連携協定」なるものを結んだ。「地産地消」「健康増進」「青少年健全育成」など10項目について連携し、この弁当は「地産地消」のシンボリック事業として、登場した。23日からは「日の菜とじゃこおかかのおむすび」、県産牛を使った「焼肉めし」、長浜名物の「のっぺいうどん」も登場するそうだ。
 商売上の戦略とはいえ、「地産地消」からは縁遠いと思われるコンビニ弁当が、滋賀の味を県民に広く紹介することで、地域農業の活性化、食文化の醸成に一役買うとあれば歓迎されよう。
 今後、セブンイレブンでは県内産の農林水産物や畜産物を活用し、滋賀にちなんだ料理や味の商品を開発する予定で、該当商品には「Mother Lake」のロゴを添付する。農業高校などと連携して、地元特産物を活用した商品開発も検討しており、長浜農高とのコラボレーション商品が陳列される日が来るかも。
◇さて、食品の安全を脅かしている事故米流通事件だが、監督の農林水産省と、悪徳業者の三笠フーズが諸悪の根源とはいえ、生産者の顔が見えなくなるほどに複雑化した流通を、改めて考え直す必要があるかもしれない。
 食材がどこでどのように生産され、どういう過程を経て消費者の口に運ばれるかということを。
◇地元で取れた食材を、地元で消費することを意味する「地産地消」の考えは、追求すれば日本国内で消費する食材は、なるべく輸入に頼らず国内で賄おうとの方針でもあり、自給率4割の日本の食料戦略においては、率先して取り組むべき課題であろう。また、生産者と消費者の距離を縮めるという点で食の安全性確保に効果的だ。
 コンビニ業界が地産地消に乗り出す時代なら、せめて、教育、保育、病院、福祉施設でも地元産の食材を提供できるようにしたい。「安いから」と、メタミドホス入りの中国産米やギョーザを食べさせられてはかなわないし、添加物まみれの食品で味覚が麻痺するのもまっぴらだ。

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2008年09月18日

金もうけは「よぞい」か

 前にも書いたが人間の悪(わる)を「よぞい奴」と陰口を叩くことがある。人間の糟(かす)ともいうが、手っ取り早くやくざな奴と切り捨てることもある。
 よぞいは方言で、本来の正しい言葉は「おぞい」という。漢字では「悍い」と書くが難しい。
 漢和辞典によれば「悍」は「かん」と読み、あらい。気が強くあらあらしい。たけだけしい。つよい。気が強く勇ましい。などの意味を持つ。
 おぞいが、よぞいに音変化したのは分かるが、いま、われわれが使っている「よぞい」は、あらい、強いよりは、もっと悪い意味で、人が嫌がったり、軽蔑するときに用いる。
 われわれが今使っている「おぞい(よぞい)」は、むしろ発音は違うが、「怖気(おじけ)」に近い。怖がってびくびくするのを「怖ける」というが、暴力団に怖けるのは暴力を恐れるからである。
◇さて、よぞいは「よぞくるしい」ともいうが、皮肉なことにわれわれは「よぞい人間」を軽蔑し遠ざけようとするのに、実際はよぞい人間の横行によって世間が成り立っている。
 矛盾した話のようだが、こと金銭に関わる話になると人間のよぞさが余りにもきわ立つ。百聞は一見にしかずというが、工業米や汚染米が日本列島を騒がしているとみるや、あれよ、あれよといっている間に、その毒された米が滋賀県にも入り、長浜や彦根、近江八幡、その他にも消費されていることが分かった。
 「悪貨は良貨を駆逐する」とはグレシャムの法則だが、流通経済の場合、悪い商品が良い商品を蹴り飛ばすのは、値が安いからで、安ものを仕入れて、普通の商品なみに売れば儲かるにきまっている。
 インチキ商法が濡れ手に粟で金もうけするのは商業道徳に反し、長い目でみれば自ら墓穴を掘るのだが、現代社会のようにモラルが地に落ちては、ウソやごまかしが幅をきかし、消費者は何をつかまされるやら何を食わされるやら、だれを信じてよいのか、と物一つ買うにも怖気づくあんばいである。
 金もうけの「よぞい」部分の一例である。
 だが、この地上から物の流通が消えたらどうなるのか。産業は成り立たぬし、人々の生活にも不自由を来すのではないか。
◇このごろは高度なコンピューター社会になったから、政府は学者にうんと研究費を出して、ウソ発見器を開発したり、駅の改札をすっと紙きれで通るように探知機を当てれば有害物質がすぐ反応するような商品を世に出せばよい。
 「これは中国のウナギです」「これは、かびの生えている輸入米です」と、すぐ分かるから商人は控えるかもしれない。
 なかには毒を承知で、安いからと原料に使う不心得ものがあるかもしれないから、消費者は毒発見の器を有効に使うことを考えねばならぬが、これは政府の仕事である。
 しかし、そこまで進んでも役所と商売人が癒着すれば万事アウトである。とことん金に執着するからであるが、ほんで、お金はよぞいとも言える。
◇いま国に借金が800兆円あるとか言うが、歴代内閣の放漫政策のばらまきの陰にその何割かが無駄に消えていった可能性もある。金もうけもよぞいが、官僚も政治家もよぞい。それを考え議論しながら国民は成長してゆかねばならぬ。【押谷盛利】

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2008年09月17日

世界恐慌の危機と日本

 日本には昔から「無い袖は振れぬ」という言葉がある。響きは貧乏人の捨てセリフに似ている。借金が積もりに積もってどうにもならぬ。月末も大年になるとあちこちから借金取りが束になって押し寄せる。女房の着物は申すに及ばず、質屋へ入れる質種(しちぐさ)も切れた。
 矢のような債権者の声に「どないなとしとくなはれ」と開き直るセリフの一つが「無い袖は振れぬ」。
◇いま世界は米証券大手・リーマンの破綻で世界恐慌の危機にさらされている。リーマンの負債は63兆円に上るというから倒産は倒産でもけたが違う。
 世界の経済を動かして荒稼ぎしているとみられ、日本の大手銀行も出資している。
 アメリカの出先・日本法人「リーマン・ブラザーズ証券」も連鎖倒産したが、負債総額3兆円は00年の協栄生命の倒産に次ぐ戦後2位だという。金融庁の調べでは出資しているのは法人の機関投資家や個人の大金持ちばかりで、一般の個人は少ないという。
◇あるところには金が集まる、と、これも伝説的に伝えられているが、どの道、金は抱いて暮らすわけでもなく、飲んだり食べたりするにも限度があり、結局、銀行に預けたり、株に投資したり、あるいは相場や不動産に張って利殖することを考える。
 手っ取り早い話、国民の払っている年金の掛け金だって、あるいは銀行、信金、農協などへの貯金も、それぞれが金庫に眠らせているわけではない。
 世界の金融市場をぬけ目なく探して、少しでも有利に利ざやを稼ぐために投資する。外債などがそれである。
◇世界同時株安は、ちょっとしたきっかけから生じるが、もともとが相場市場というつかみどころのないマネーゲームであるから暴落というリスクはついて回る。
 日本は昭和の初期、銀行が次ぎ次ぎ潰れる金融恐慌の苦い経験を持つが、それは、大正期の第一次世界大戦後の好況期のもたらした反動であった。
 アメリカの経済破綻が日本の輸出を圧迫し、生糸、絹製品の暴落、米価の低落、失業者増の連鎖不況につながった。株の暴落が銀行の取付騒ぎに発展し、地方の銀行が倒産していった。
◇恐慌は生産過剰などが原因とされているが、それが経済の不況をもたらし、失業者が増え、輸出の不振や商品の滞貨を招き、金融危機、企業の倒産につながり、最悪の場合、社会不安が国民の安全安心感を失わせる。
 なぜ、金融危機や株の暴落を心配するのか。それは命より大切と思い込んでいた人々の価値観を根底からひっくり返すからである。
 例えば、毎日、所持している株の上がり下がりに血圧を上げ、株価の上昇に生き甲斐と幸せを感じていたはずなのに、ある日、一夜明ければ大暴落し、あれよあれよと気をもむうちに、紙きれ同然の悲哀を感じることが決して誇張ではないからだ。
◇考え方によっては、たとえ株価が暴落して、借りた金が返せなくとも、債権者は命までも取ろうとはしないから、とクソ度胸をきめ込むこともあろうが、これまでの黄金信仰を一挙に踏み潰す精神的混乱は予期せぬ悲劇さえ誘う。
 そこへいくと、持たざるものは、ない袖は振れぬから、いかにぼろい話でも乗ることはない。それを「無いものの強み」と片意地を張るが、そういう人を含めて、いろいろな人が混在し、泣いたり、笑ったりするのが浮(憂)き世であり、娑婆である。
 結論をいえば日本の経済は上り坂にはならぬ。増税などはもってのほかである。【押谷盛利】

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2008年09月16日

経済の原点は?(見聞録)

 アメリカの低所得者向け住宅ローン「サブプライムローン」問題を引き金とした金融危機は、米証券大手「リーマン・ブラザーズ」の破たんを導いた。その影響はさっそく日本にも上陸し、今朝の日経は618円安となった。
 同社は、8月末時点で140億ドルを超えるサブプライム関連の損失を計上する大幅赤字で、9日以降の4日間で株価を80%も下落させた。
◇サブプライム問題は、世界の金融市場を冷え込ませたが、今度のリーマン破たんはそれに拍車をかけ、日本経済に与える影響も少なくないとみられている。
 一つは、米国の金融不安に起因するドル下落で、円高ドル安が進行し、日本の輸出経済に打撃を与えるというもの。
 もう一つは、金融・証券市場に不安を抱いた投資マネーが、原油や食糧品にシフトし、物価高騰を招くというもの。
 また、大口債権者のリストには、あおぞら銀行、みずほコーポレート銀行、新生銀行、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行などが列挙されている。
◇証券市場は企業の資金調達の場だが、投資企業(家)によるマネーゲームの舞台ともなっている。株価傾向の分析や独自情報に基づく売り買いで、利ざやをかせぐ。
 ギャンブルのような側面を持つが、そこを生き抜くには、投資と回収のタイミングを見極め、情報の精度を研ぎ澄ますしかない。莫大なリターンがあれば、それに伴うリスクも大きい。
 リーマンは創業150年の歴史を持つ世界有数の大企業で、世界恐慌の経営危機も乗り越えてきたが、莫大な資金運用の結果、たった1社のサブプライムの破たんで倒産に追い込まれた。それは、金融・証券業界が内包するリスクと分析できよう。
◇一時、話題になったライブドアは、株式市場から得た資金で企業を次々と買収してマネーゲームに明け暮れたが、結局は粉飾決算が露呈してその勢いを失った。
 そして、ライブドアへの資金提供主として知られるリーマンも破たんした。
 以前、長浜で講演した政治評論家の三宅久之さんは「モノ作りの原点に立ち返らなければならない」と語り、米国の金融、市場を真似て、手っ取り早く金儲けしようとする最近の日本の経済構造に疑問を投げかけたが、改めてその言葉を思い出した。

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2008年09月12日

ダムによらない治水(見聞録)

 熊本県の蒲島郁夫知事が11日の県議会で、国が同県相良村に建設を計画している川辺川ダムについて、白紙撤回を表明し、「ダムによらない治水対策を追求する」と脱ダムを宣言した。知事の反対表明により、川辺川ダム計画は中止に追い込まれる可能性が高いという。
 川辺川ダムは、1966年に計画が発表された治水、発電などの多目的ダムで、貯水量1億3300万㌧は九州最大級。すでに2000億円が周辺整備に費やされ、水没する五木村の移転もほぼ完了している。
 国土交通省は貯水型と穴空き(流水)型の2種を検討していたが、治水効果、自然環境への影響、財政負担などの点で県民から反対の声が続出し、蒲島知事はそういう声に耳を傾け、ダムに頼らない治水対策の判断を下した。
◇川辺川ダムをめぐる蒲島知事の「脱ダム」宣言は、同じく流域知事の賛否が注目される余呉町の丹生ダムなど淀川水系4ダムにも影響を与えそう。
 国土交通省近畿地方整備局の諮問機関、淀川水系流域委員会は13年に及ぶ研究のすえ、その治水効果に疑問を投げかけ、「ダム建設は不適切」と判断した。しかし、整備局は今年6月、4ダム計画を盛り込んだ河川整備計画案を発表し、「ダムありき」の姿勢を見せつけた。
 河川整備への住民意見の反映をうたった「改正河川法」の主旨をないがしろにする姿勢に、県民から批判の声が渦巻いているが、整備局はどこ吹く風。
◇10日から12日まで行われた長浜市議会一般質問でも、竹内達夫議員が丹生ダム問題を取り上げ、「事業費は、新幹線新駅の6倍、1430億円にのぼる」と指摘したうえで、今本博健・京都大名誉教授(前流域委員長)の「ダム優先の発想転換が必要」との言葉を紹介し、ダム推進を訴える川島信也市長に翻意を促した。しかし、川島市長は「治水、渇水対策、特に瀬切れ対策に必要不可欠」と、丹生ダムの必要性を訴えた。
◇蒲島知事が県民の意見に耳を傾けた判断を下したのは、改正河川法の主旨をないがしろにする「ダムありき」の国土交通省へのけん制として喜ばしい。
 滋賀県の嘉田由紀子知事は12月議会に丹生ダムについて意見表明する。貯水型ダムの建設を求める地元自治体首長、治水効果に疑問を投げかける流域委、そして知事選で寄せられた県民の声に挟まれて、苦悩を続けているであろうが、県民意見に耳を傾けた蒲島知事の判断をどう受け止め、ダム計画を容認するのか、反対するのか、その判断が注目される。

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2008年09月11日

総裁選とマスコミ情報

 大新聞を見ていると、今度の自民党総裁選への姿勢がうかがわれて面白い。政治家は新聞を通じて世論操作をすることがあるが、その新聞がまた政治家に悪乗りして世論操作に手を貸す場合もある。
 いまの大新聞は一部を除き、外に向かっては親中、親韓、親北朝鮮であり、内に向かっては反自民、親民主である。
◇自民党はいいところもあるが悪いところが目立つ。政権党だから、当然ながら悪いところが批判の対象となる。よほどの勇気がない限り、与党の悪口を与党の議員が言えるものではない。
 だから国民に代わって、政権党の悪口を言ったり、批判することはとても大事なことで、民主主義政治における新聞の使命でもある。
◇しかし、こと国際問題や日本の独立、安全に関する限り、自分たちの勝手な主義で国民世論を操作することがあってはならない。
 総裁選を報道するに当たって、新聞やテレビの予想などが必ずしも的を射ているものではない、という教訓を思い出すことがある。
 それは、第一次小泉内閣の誕生した総裁選だが、新聞やテレビ、評論家は橋本龍太郎・元首相の圧勝を予測し、小泉純一郎氏は万年候補の扱いだった。ところが蓋を開けるや小泉さんの圧勝となって幕が下りた。
 なぜ、マスコミの玄人(くろうと)情報に反し、小泉さんが勝ったのか。そのカギは国民の手にあった。国民の心が全国の党員に乗り移り、それがそのまま総裁選に反映した。
◇ならば、今回の総裁選をどう占うか。告示早々、マスコミ情報は麻生の勝利を予想しているではないか。
 そのマスコミ情報の発信源はどこにあるのか。一つは国会議員の態度、いま一つは地方議員の首脳部の見方である。言わば、自民党の内部に明るい専門的情報といえる。別の表現でいえば玄人(くろうと)情報である。玄人情報の欠陥は「かくなれかし」の主観が入ることであり、鹿を追って山を見落とすの愚におち入り易い。
◇いま、総裁選で鹿はだれか。山は何か。鹿は自民党の親分衆や幹部、地方の顔役である。山は国民を指す。最終的に国民の心と党員の心は一体化する。今回の総裁選の最大の意義は、総裁選後の新総理による衆議院の解散・総選挙が決定づけられている点である。
 二大政党時代を前に、早くも次期政権への最短距離にある民主党は小沢一郎代表を立てて闘志をかき立てている。その門前の狼を屈服させるかどうかは新総裁新総理の顔にかかっている。
◇自民党がひとりよがりして国民受けのしない総裁を選んだとしたら、仮りに新内閣が発足しても、総選挙で敗れるであろう。
 総選挙で敗れる事態が生じたならば、新しい総理はいまの野党が握るかもしれない。政界再編成のあるなしに拘わらず、これまでのように、自民党総裁即総理の慣行は潰(つい)えるであろう。
 ならば次なる総選挙用の顔は一体だれがいいのか、だれが国民の心を反映するのか。
 この答えの分からない自民党員は失礼乍ら暗愚といいたい。
 一つ二つヒントを提示しよう。
 現在、国民を迷わせ怒らせている食品偽装の根はどこにあるのか。輸入の甘さ、農水省の監督の甘さ。無駄な国費の乱費、天下り、公益法人と公務員改革の骨抜き。【押谷盛利】

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2008年09月10日

自民党総裁選始まる

 自民党の総裁選は10日告示された。予想通り5人が顔を揃えたが、さて、22日の投票の結果、だれが笑い、だれが泣くのか。
 ぼくは、さきの時評でも書いたが、この総裁選の勝者が福田後の総理大臣となる。それだけでも大いなる国民的関心事だが、それ以外にもう一つ大きな問題を抱えている。それは新しい総理によって衆議院が解散し、総選挙が行われることに直結していることである。
 いま、この時期に福田さんが辞めたことは、来年9月の衆議院の任期満了まで、じり貧のまま日を重ねることは自民政権の崩壊につながる、と予測したからである。
 つまり、近未来の解散を見越して、自民党が出来るだけ傷を負うことなく、人気浮揚の一瞬をとらえて総選挙を行うのが福田辞任のからくりだった。
◇これは、自民党自身が福田を切ったというよりも国民世論が福田に「ノー」のレッテルを貼ったとみるべきである。このような背景による首相の辞任劇は自民党のお家芸だが、これを「トカゲの尻尾切り」という。尻尾を犠牲にして生きのびるしたたかさが、自民党のお家芸だが、国民はそれを許容するのか、あるいは許さないのか。その選択を含めて、自民党の国会議員と党員の頭脳が国民の前に開陳される。その意味では、茶化し半分の劇場型選挙と見るべきではない。
◇総裁選は、5人乱立の激戦だが、本命は麻生太郎幹事長、対抗が小池百合子元防衛相である。どちらが勝っても、その顔を看板に衆議院選が戦われる。
 いま一番大事なのは次の政局である。総選挙は早ければ11月、遅くても年内といわれているが、その結果次第では、福田後の新内閣は3日天下になる可能性なしとしない。
 森喜朗元首相は、派バツの会合で、非主流派になって冷や飯を食ってはならぬ、むねの発言をしているが、3日天下の可能性に気付かないとしたら後々のお笑いぐさになるだろう。
◇はっきり言えば、国民は、自民党内のコップの中の争いなど、どうでもいいのである。大事なのは、トカゲの尻尾切りで、古い体質の自民党政治が続くのか、続かないかの関心で、いまなお消えぬ小泉待望論がそれを象徴している。
 残念乍ら、いまの自民党の派バツの親分衆は、古い体質の自民党がお好きなようで、国民の声より党利党略に関心がそそがれる。古い体質への復古調を願う親分衆は、小泉改革を苦々しく敵視してきた。安倍、福田の短命内閣を通じて集中的に進めてきたのは「反小泉路線」だった。
◇反小泉路線は「改革潰し」であり、その典型が公務員改革の骨抜きであり、派バツの蘇生であった。
 古い型の自民党は、派バツ政治であり、それはそのまま族議員政治を意味し、さらに官僚の天下りと、政官業の癒着政治に直結してゆく。その古い型の自民党を壊党的情熱と勇気で改革しようとしたのが小泉元首相であり、彼の出現は国民を基盤とする党員の新しい波による。いわゆるトカゲの尻尾切りへの訣別であった。
◇自民党が国を救い、国民の希望に答えようとするならば、その視線は国民に向けたものでなければならぬ。新しい総理による次の総選挙は100%自民党が目減りする。これは政界、マスコミ界、一般情報通の常識だが、ぼくもそう思う。しかし、目減りの大小によって、自民党政権が続くか、民主党内閣になるか。その岐路は重大である。次期総選挙で、いかに目減りを低く押さえるか。そのカギは総選挙の顔である。派バツの親分衆に守られて出てきた顔に国民がどんな反応をするか。それとも新鮮な、永田町の遺伝子に毒されない顔を歓迎するか。それを判断するのが総裁選に投票するものの頭の働きである。【押谷盛利】

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2008年09月09日

長浜発のレゲエ(見聞録)

 中米カリブ海に浮かぶジャマイカ。その小さな島が生んだ偉人のうち、日本で最も有名なのはおそらくボブ・マーリーだろう。
 首都キングストンの貧民街に育ち、黒人の解放や愛、希望を歌に託し、ジャマイカ音楽「レゲエ」を世界に広めた。1981年、脳腫瘍のため36歳の若さで亡くなったが、今でも世界中のアーティストを魅了して止まない。
◇レゲエは、今、若者の間で人気を集め、多くのアーティストが歌っているが、それでも馴染みが薄く、耳にする機会の少ない音楽かもしれない。
 1960年代後半からジャマイカで発展した大衆音楽で、独特のアクセントを持つビートにのせ、リズミカルに歌う。特に歌詞が印象的。
 社会矛盾の指摘、植民地主義、物質主義への批判、貧困といった政治的、社会的なテーマに加え、男女の愛や日常の出来事などを歌詞にしている。レゲエを聴いていると、異ジャンルの音楽に比べ、メッセージが直情的で、何を訴えたいのかが、分かりやすい。
◇「MONKEY KEN」のアーティスト名で活動する長浜出身の児玉健司さん(38)が、21日リリースするCDアルバム「モンキー・マジック2」は歌詞がユニーク。中でも「長浜の歌」は知る人ぞ知る名曲で、「長浜に来たら鳥喜多の親子とかしわ鍋食べていけ~」の歌詞で始まり、茶しん、豊公園、楽市、長浜港、大通寺、長浜八幡宮、長浜城、黒壁ガラス、さいかち浜、夏中さんなど、長浜の名物や名所が数多く登場する。リリースされた10年前は地元の商店街や中学校の給食の時間に流れていたそうだ。
 このほか、日本人のアイデンティティを歌った「日本人」も興味深い。
◇KENさんは21年前、17歳の時にレゲエの魅力の虜となった。当時はロックバンドがブームで、レゲエはマイナー音楽もいいとこ。KENさんは同級生の「DJ SHARK」こと佐藤正明さんと一緒に、ひっそりDJ活動を始めた。以前、関西一円のライブハウスで活躍していた2人に、地道な音楽活動や、将来の夢を聞き、記事で紹介した。
 今週末の13日には高島市の箱館山スキー場山頂で5回目となる「びわ湖レゲエ祭」が開かれるが、KENさんは1回目から関わってきた。今年は8000人を超える来場者が見込まれる気配で、レゲエはすっかり市民権を得たようだ。
 昨日、8年ぶりにKENさんに会った。大好きなレゲエが、滋賀で野外イベントを開催できるまでに広がったことを満足そうに話す姿に、夢や志を持つ大切さを学んだ。

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2008年09月08日

工業用の毒米を食品に

 江戸時代の近江商人は商人道として三方良しとする3つの柱を鑑(かがみ)とした。
 3方とは、お客、売り手(商人)、取引の場所。つまり、売り手も買い手(消費者)も、そして、商売に関係するその土地の人々、これら3方が互いに利益にあずかる、これが商人道徳の基本であると教えた。
◇世の中が荒(すさ)みきったのか、人間が悪くなったのか、このごろは、金もうけのためにインチキする商人が「偽装」の名をほしいままに、しばしば摘発されたり、報道される。人道地に堕ちた、というべきだが、それを他人(ひと)ごとのように嘆いているだけでは世の中よくならない。
 日本人は、陰で不満をこそこそいうが、表へ向かって発言したり、行政や政治家に対策を求める声を上げない。世に、はびこる悪(わる)は、それをいいことに、手を換え品を換え、客の不安をかき立てて偽装商品を流通させる。
◇日本人のお人好しを笑うかのように、外国からインチキ商品や汚染食品が輸入されているが、ここにきて痛感することは、知らぬがホトケの国民をいいことに、流通商人が公然とインチキ商品を流して巨利をむさぼり、それを見て見ぬふりをする役所側の怠慢である。
 その最もいわましい事件が、今年早々問題になった中国の毒ギョーザ事件である。これは、外から運搬中に仕込まれたものではなく、製造過程で混入したものに他ならぬ、と科学者の見解があるにも拘わらず、日本の政府は、中国ペースに乗せられて、中国の責任追及をあいまいにしてきた。6月に入って、中国内で、毒ギョーザによる被害者が出ていることが分かりながら日本の外務大臣は、これを発表しなかった。ウヤムヤの好きな官僚の悪い体質が外国から侮りを受け、国内のインチキ業者をのさばらせる結果となった。
◇なにが、消費者行政だ。口先ばかり、いいことをいって、それで国民の健康や安心が図られるというのか。
 バカも休み休みに言えと怒りのおさまらない昨今、今度は食べてはならない工業用の汚染米を、食料用として流した商人が現れた。その食べてはならぬ工業用の米が業者の手を通じて、焼酎(しょうちゅう)製造業者や菓子製造業者へと流れていたという。まさに聞き捨てならぬ間接殺人未遂事件である。
 農林水産省の発表で明るみになったもので、米販売会社・三笠フーズ(大阪)が工業用と限られている事故米を食用と偽って転売していた。事故米からは、中国の毒ギョーザで問題となった有機リン系の農薬成分、メタミドホスや、発ガン性が指摘されているカビ毒のアフラトキシンB1が検出された。
 同社の工場のある福岡県は、有害食品として回収命令を出したが、すでに転売した米は菓子や焼酎の原料として加工されたとみられている。
◇三笠フーズの冬木三男社長は、転用については、5、6年前からで、自分が指示したこと、もうけのため始めたこと、そして、帳簿も改ざんしたことを認めた。
 メタミドホスが検出されたのは、もち米で03年度から政府が中国から輸入した。同社はこれまでに事故米800㌧を仕入れたが、食用と偽って販売し、未出荷分を除く295㌧が菓子など食品メーカーで加工された可能性がある、という。
 またアフラトキシンが検出されたベトナム、米国、中国産の米9㌧も仕入れており、これらは焼酎会社や肥料会社に売られた。政府の輸入した事故米は、他にも落札されている可能性もあり、この際、その流通のごま化しを厳しく調査するとともに、三笠フーズから、どこへ売られ、どこで食品化されたかを明らかにする必要がある。偽食品が、国民の健康を傷つけることを警戒するがゆえに食品衛生法で規正しているわけであり、悪徳商人には厳罰こそ天誅である。【押谷盛利】

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2008年09月06日

自民党総裁選と県連

 「百家争鳴」という。自民党の総裁争いが、これにふさわしいか、どうかはともかく、多くの候補者が「われこそは」と救国の志を立てるのはいいことである。
 百家争鳴の本来の意味は、多くの知識人、文化人が、その思想や学術上の意見を自由に発表し、論争すること、と大辞泉にある。
 今回、名前の出ている自民党の先生方は、国民から選択された政治家だから、それなりの知性や思想はお持ちであり、顔も売れているから百家争鳴にふさわしい総裁選になるのではないか。
◇自民党の総裁選は、ひょっとすると、これが最後で、次の政局を見渡すと、早くも政界再編成の動きもあり、一寸先は闇という言い古された言葉が案外現実性を持つかもしれない。
 いま、自民党の総裁選が国民から注目されているのは、総裁がそのまま福田後の内閣総理大臣になるからである。
 つまり、総裁選後の臨時国会で首相の指名投票があり、そこで新総裁が100%の確率で総理に選ばれる。衆参ねじれ国会なるがゆえに衆議院で指名されても参院では外されるかもしれないが、その場合は、衆院の決定が国会の決定となる。したがって、参院で、民主党の小沢さんが優位に指名されても、結局、衆議院の自民党及び公明党の多数勢力の投票が国会の意志決定となる。
 だから、今度の総裁選は、次の総理選びと同じことになり、国民が大いなる関心を寄せるのは当然である。
◇それにしても恥ずかしいのは滋賀県の自民党である。今回の総裁選は臨時だから、党則によって、選挙権は全国会議員のほか、47都道府県に各3票割り当てられる。
 そこで問題は、各都道府県の3票はどうして決めるのか、だれが行使するかであるが、開かれた政党として所属党員の選挙による方式が一般化された。滋賀県の場合は、前回、投票の結果、福田、麻生の取り分けが1対2で、麻生票が2、福田票1が中央へ持ち込まれた。
 きょう現在の情報では、全国どの府県でも党員による投票を決めているが、滋賀県連だけは未定である。
 滋賀県の党員に割り当てられた3票は、県内の党員投票の結果によるのが当然だが、その当然を素直に踏み切れず、いまだに、未定というのは、いかにもお粗末で、無知、非文明というよりほかはない。
 県連には幹事長や総務会長など幹部のほか、役員の多くに県議会議員が名を連ねているが、彼らに、この選挙の重要性が分かっていないのだろうか。それに県連の組織下に、各支部が存在するが、その支部長、幹事長ら、支部の執行機関は、当然の権利である党員の投票権執行をどう考えているのか。あまりにも旧態依然の古色蒼然さが情けない。
◇さて、問題の自民党総裁選、当初の予想が日増しに変化してゆく。これまでの構図は、本命・麻生太郎幹事長、対抗小池百合子元防衛相だったが、ここにきて、与謝野馨経済財政相、石原伸晃元政調会長、そして5人目に石破茂前防衛相が出馬を表明した。
 まだまだ続く気配がある。参院議員の山本一太外務副大臣、棚橋泰文元科学技術相の両氏が出馬の意向で推薦人を集めている。
◇面白いのは、派バツの親分衆の統制がきかないことと、次期総選挙がらみの思惑が反映して、右往左往議員の多いことである。親分衆の威光が地に落ちたのは、まぎれもなく小泉改革の結果である。
 ぼくは、詳しくは、次に譲るが、自民党の党員や国会議員の頭脳がどれくらいのものか、判断できる貴重な実験であると考えている。
 それは、どういう意味か、要するに次の内閣は総選挙管理内閣の色が濃いのだから、総裁すなわち選挙の顔である。これの認識が前提である。【押谷盛利】

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2008年09月05日

学生の気ままな旅(見聞録)

 京都造形芸術大学の学生が青森から京都まで約1200㌔を、リヤカーにねぶたを載せて歩いているのを、2日付の滋賀夕刊で紹介したが、このような自由で気ままな旅ができる学生が羨ましくもある。
 そもそも、今回の旅の発端となったのは、授業で「ねぶたの発祥地は京都」との一説を知ったことという。
◇ねぶたは歴史上の人物や歌舞伎を題材にした大型の灯籠を指し、東北地方では夏祭りの定番。8月上旬に開かれる青森ねぶた祭りは、その規模、華やかさから知名度ナンバー1だ。
 ねぶたの起源は、七夕の灯籠流しが変化したものと考えられているが、諸説あるため特定されていない。
 坂上田村麻呂が陸奥国の蝦夷征討の戦場で、敵をおびき寄せるため、大きな灯籠を作り、笛や太鼓で賑やかにはやし立てたのが始まりとの説もある。
 京都発祥説は、1593年、津軽一帯を治めていた武将・津軽為信が上洛し、大灯籠を作って豊臣秀吉の前で紹介したとの故事に由来する。それを地元に持ち帰ったことで、東北地方に定着したのでは、という説。
 そこで学生グループは、今度は青森でねぶたを作って京都に持ち帰り、一夜限りの「京ねぶた祭」を企画した訳だ。
◇学生がデザインしたねぶたは「輪入道」「ぬえ」「茨城童子」という京都の妖怪3種。それをリヤカーに載せ、8月上旬に青森を出発。秋田、山形、新潟、富山、石川、福井へと日本海沿いを歩き、そして京都を目指して現在、滋賀を通過中。4~6人のグループに分かれ、リレー形式でねぶたを引き継いできた。
 道中、地元住民の家に泊めてもらったり、食事やお風呂を世話してもらったりと、行き当たりばったりの旅ながら、各地で温かい接待を受けている、と聞く。
 長浜を訪れた学生も、お寺に泊めてもらったり、スイカやお茶を呼ばれたり、カンパも受けた。風呂の場所や野宿できるポイントも教えてもらった。
 野宿、風呂無し、そして酷暑の中のリヤカーと楽しいばかりの旅ではなさそうだが、各地で人の心の温かさに触れられたのが、何より貴重な経験となったのではないか。

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2008年09月04日

臭いのものに蓋をする

 汗くさい、陰気くさい、泥くさい、バカくさい、ドンくさい、などと、名詞の終わりに「くさい」をつけてある雰囲気をかもす用法がある。
 この場合の「くさい」は臭いと書く。あまりいい意味に使用しないから、気をつけねばならぬが、体臭などは自分で気づかない場合があるから厄介である。
 臭(にお)いは鼻でかぐものであるが、すべての「におい」が不快感をもたらすものではない。「香り」もにおいだが、これはいい意味に用いられる。
 「香」はかんばしい、よいにおいがする、の意味であり、香気、香水、香味などのほか、香華(こうげ)、香炉、線香、などは耳なれた言葉といえよう。
 少し難しいが聞香(ぶんこう)や抹香もある。
 香華は香花とも書くが仏前に供える香と花。聞香は「もんこう」ともいうが、香をかぎわける風流な遊び。
 香を入れる小さな容器が香合、香盒(こうごう)で、漆器や蒔絵、陶磁器など美術品が多い。
◇短歌などに詳しい人は、においを「臭い」と「匂い」に使い分けて、いやなにおいは「臭い」、いいにおいは「匂い」。
 したがって「花が匂う」「ご馳走が匂う」と書き、通常「花が臭う」とはしない。
 文字で書く場合は「臭い」「匂い」で区別できるが言葉で発音する場合は、かなりデリケートで、前後の言葉を通じて不快なものか、こころよいものかを判断するしかない。
 「魚の腐ったようなにおい」は分かりやすいが、「ふな寿司のようなにおい」となれば、聞き手によって、いいにおいともとれるし、逆に不快に思う人がいるかもしれぬ。
 「におい」については日本人は特に敏感で、風にも雪にも雨にもそれを感じるが、それは主に文学の世界や芸術の領域であり、嗅覚を超えた神秘的ともいえる感性で、目で見る、耳で聴くにおいというべきであろう。
◇ぼくは化粧品のメーカーに勤めている人に聞いたことだが、化粧品の命は「におい」で、いかにその人に合うにおいか、市場でもてはやされるにおいか。要するに「におい」の研究とその実用化が製造の原点であると聞いて、なるほどと感心したことがある。
 女性が化粧品に凝(こ)るのは美しい容姿への憧れであるけれども、その美しさの前提が「匂い」である。
 その裏返しが「におい消し」である。トイレに香を置くのもそうであるが、昔の人は「臭いものには蓋をしろ」といった。
 このごろ流行の食品偽装はもともとは「臭いものに蓋」をしていたわけだが、あまりあつかましすぎて、悪発酵したと解すべきであろう。太田誠一農水相は事務所費の臭い問題で蓋をしたままドロンを決めこむのか。【押谷盛利】

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2008年09月03日

党利党略の福田退陣

 福田内閣は発足後、1年も経たずして崩壊した。
 9月1日は震災記念日だったが、まるで大地震で大きいビルが潰れたように、この日の夜9時半、福田総理が辞任を表明した。
 日本は、経済は一流、政治は三流というのが国際評価らしいが、その通りです、と世界に恥じをさらした格好であり、当然ながらマスコミを通じる国民の声は「不可解」「無責任」とばかりである。
 与党の自民党、公明党は本音を言わず、複雑な表情だが、暗黙のうちに「やれやれ」の声が見られるというのも非情なこの世界の現実であろう。
◇だれが、どんな角度から、どう、ひいきめに見ても今度の福田退陣は大ペケである。
 考えても見るがよい。人心一新、景気をよくし、国民に希望の持てる安全な生活を、と大見栄を切って内閣改造したのが去る8月1日であった。
 人のうわさも75日どころか、まるまる1カ月で希望の星が消えてしまったのである。
 内閣改造の大騒ぎは何だったのか。全く時間と労力と金の無駄づかいに終わってしまった。
 開けてびっくり玉手箱というが、中から出てきたのは自民党政治の最も唾棄すべき党利党略だった。
◇自民党は長い間、日本の政治を動かしてきただけに経験も豊かで、知恵者も多いはずなのに、なぜ、昨年の参議院選で負けたことを素直に認めようとしないのか。
 日本の政治権力は代議政治によるのだから、国民の政治に関する直接的な声は、直近の国政レベルの選挙がそれを集約するとみなければならぬ。
 直近の国政選挙は昨年7月の参院選であり、この選挙によって自民党は民主党に敗れ、その結果が衆参のねじれ国会を生んだ。
 衆議院は自民党が圧倒的多数を占めているが、これは3年前の小泉郵政解散の当時の国民の声だった。
 いかに、国民が小泉改革に期待したかが証明される史実であるが、不見識にも自民党の実力者たちは、小泉さんの退陣を「時こそよし」とばかり、急角度に路線を変更して「反小泉路線」に切りかえた。
 その犠牲にされたのが安倍前首相であった。正確にいうならば、小泉後継の安倍を、反小泉陣が寄ってたかって潰してしまったのである。
◇安倍さんが投げ出したのは1年前の9月12日だったが、その後継争い劇を通じて国民に鮮明に映ったのは古い自民党への先祖返りであった。
 つまり、小泉さんが一掃しようとした派バツの復活だった。
 派バツの復活は族議員時代への逆コースであり、官僚との癒着であり、同時進行の形で、靖国叩きと、中国、韓国寄りの政治、さらにいえば北朝鮮への制裁解除政策である。
◇福田さんが大見栄を切って内閣を改造しても御祝儀人気は出ずじまいで、むしろ下降線をたどっている現実をみれば、国民は派バツ政治の復活と中国や北朝鮮にでれでれしている福田流に愛想をつかしているのでは、と見るのが公正な判断であろう。
 もし、福田さんが虚心に国家の将来や今後の国政について考えるのであれば、8月1日の内閣改造などをやめて、その時を契機に衆議院を解散して国民の声を聞くべきであった。
 もし解散を断行する自信がなかったならば、いさぎよく、その時点で内閣を放り出して、後は次の総理に任せるべきだった。
 内閣改造という横道をしたのが党利党略であり、一見個性の強い政治家と思われたのに、実際は操り人形のように党の実力者や派バツの力学の前に無力そのものであることを露呈した。【押谷盛利】

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2008年09月02日

辞任タイミング論(見聞録)

 福田康夫首相の突然の辞意表明で、いよいよ解散総選挙が秒読みの段階に入った。
 「安心実現内閣」を組閣して1カ月たらずで、突然、首相職を放り出したとして、さっそく批判を浴びているが、本人に解散する気がないのだから、どこか、都合の良い時期に辞任するしか、他に方法がないと考えれば、しょうがなくもない。
 内閣改造後も低迷する支持率に加え、目前の臨時国会ではインド洋での給油活動のための新テロ対策特別措置法の延長が、民主党の強硬反対と公明党の再議決反対で、成立が微妙になっており、投げ出すには、ちょうど良いタイミング。
◇さて、総裁選だが、現状では、麻生太郎幹事長を軸に調整が進むとみられ、対抗候補には小池百合子・元防衛相、谷垣禎一・国交相、石原信晃・元国交相の名前が取りざたされている。誰が出るにせよ、有権者の関心が高まることは間違いない。
 総裁選後の臨時国会では、定額減税など総合経済対策のための補正予算、新テロ対策特別措置法の延長などが焦点となるが、参院で多数を持つ民主党はどちらにも反対しているため、次期政権も苦しい舵取りを余儀なくされるのは必至。
 このため、自民党は総裁選で集まった有権者の関心が冷めやらぬうちに、解散・総選挙に打って出るとみられ、早ければ11月にも踏み切る可能性がある、と各紙は伝えている。
◇一方、解散・総選挙で政権交代の好機が訪れることになる民主党だが、代表選(8日告示、21日投開票)は、小沢一郎代表の無投票3選が確実な情勢。
 総裁選で複数の候補を競い合わせることによって有権者やマスコミの関心を引こうとする自民に比べ、民主党代表選は、何の話題性もなく、盛り上がりに欠けたまま終わる気配。
 そう考えると、福田首相の突然の辞任は、一国の首相として誉められたものではないが、小沢代表の3選に水を差して民主党の存在感を消し飛ばす、という意味において、国政運営よりも党利党略に明け暮れる自民党体質からすれば、賢明な判断か。
 当面は自民党の総裁選がクローズアップされようが、誰が次期総裁になるかが総選挙の浮き沈みに深く関わってくる。

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2008年09月01日

関東震災と現代の覚悟

 9月1日は防災デー。震災記念日でもある。
 いまから85年前、1923年(大正12)のこの日、午前11時58分関東地方を襲った大地震は、東京を火の海にした。家屋の倒壊が火災を招き、全壊約13万戸、全焼約45万戸、死者・行方不明約14万人。ちょうど昼前だったため、各戸とも炊事時間と重なり、ガスやかまどの火が火事に結びついた。震源地は相撲湾で、マグニチュード7・9。最大震度6。被害は関東一円に及び、流言飛語が飛び交い、多数の朝鮮人が虐殺された。
 日本は活火山、死火山を問わず、列島の地中深くに地震を起こす活断層が走っており、高温のマグマが大地の亀裂をうかがっている。
◇いまは、気象学が進み、近未来における地震発生の可能性を発表するが、それも警告に終わり、緊急時の避難指針には距離がある。
 これは、近いうちに襲われるかもしれないが、まだ時間的ゆとりがある、ということで、心の準備を怠るな、という意味だろう。
 しかし、危ない、と予告されていても、いつ発生するのか、時期が分からないだけに、当該地域に住む人が家をはらって転居するわけにはゆかない。
 人がその地に住むのは、住みなれた土地や家もさることながら、職業や子供の教育環境もあって、現実の暮らしが歴史的、伝統的な住環境を支えている。だから、遠からず地震が来ると、予期されていても、あたふたと住居を変更するわけにはゆかぬ。群衆心理で、一気にその地を逃れようとすると、パニック状の被害が出る心配もあるから、学者といえども地震予報は難しく、慎重の上にも慎重であらねばならぬ。
◇昔の人は、地震は地下の「ナマズ」が怒った、というようなとらえ方をしたが、地下の何ものかが怒ったという素朴な感情は非現代的ではあるが、天地に神が宿るとする古代人の神秘的発想自体は弱者の人間としての原始宗教につながり、尊いともいえる。
 地震を「なゐ」ともいう。「なゐ」は大地を意味し、なゐ震(ふる)う。なゐ揺れる、ともいった。さらに転じて、地震そのものを「なゐ」と呼んだ。方丈記に「恐れのなかに恐るべかりけるはただなゐなりけり」とあるくらいだから、昔も今も、恐ろしいものの中の最大の恐きもの、と思われているのはあまりにも当然である。それを身近かに感じたのは、1995年の阪神・淡路大震災である。
◇土は国土、国の意味もあるが、本来は大地である。大地には神が宿る、というのが日本人の伝統的信仰である。その人の生まれた土地を産土(うぶすな)、その土地の守り神を産土神(うぶすながみ)という。われわれが旅行したとき、みやげを買うが、「みやげ」は「土産」と書く。その旅先の土地でとれたもの、それが「みやげ」の語源である。
◇土は生活と密着しており、そこから産出するもろもろの生きものの助けを借りて、人間は生き、発展し続けてきたが、現代の科学文明は、土の尊厳性を忘れて、とかく、土をいじめとおしている。土と水と大気は生命の根幹だが、いま、それがいずれも傷つき、汚れ、それぞれに宿る神々から怒りをかっている、と考えることは間違っているだろうか。
 われわれは先祖以来、土足で、人さまの家に上がることを禁じているが、同じ考え方に立つならば、水や空気や土地を汚すことは、それぞれの神さまの住ま居を土足で踏みにじったり、唾(つば)を引っかけたりする行為であろう。
 あらためて、なゐ(地震)が大地であることを思い、土地のお陰で、いま生かされていることを感謝し、もし万一の大地の怒りにあったときは、どう対処するか、備えと心の用意は忘れてはなるまい。【押谷盛利】

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