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韓国と北朝鮮人の苦悩

 日本人は8月15日を終戦記念日として記憶するが、なかには6プラス9と怒りと悲しみをこめて記憶する人もいる。6は広島に、9は長崎に原爆が投下された日である。6と9を合わすと、偶然にも15になる。15という終戦の日は永遠に6と9の数字の組み合わせから逃れられない。
 同じ8月15日でもお隣りの韓国は建国記念日として記憶する。
 今から60年前の1948年8月15日、韓国は独立した。戦後の3年間、国連軍が面倒を見ながら独立のアドバイスをしてきたわけで、1948年8月15日という独立の日を韓国人が祝うのは当然のことである。
 明治45年の日韓併合によって朝鮮半島は事実上、日本の植民地化したが、日本の同化策の影響と半島住民の貧しさから日本への移住者が急増した。
 今は朝鮮半島の北半分が北朝鮮、南は韓国、と二つの国に分かれているが、これは日本の敗戦時の国際間の思惑の申し子みたいな結果で、半島の住民はいい迷惑をしているというべきで、気の毒というよりほかはない。
◇それというのも敗戦間際のどさくさにまぎれて満州(中国東北部)を占領したロシア(当時ソ連)が勢いのおもむくまま朝鮮半島に侵入し、自国に都合のいい共産国家をつくりたかったからである。しかし、8月15日で戦争停止の連合国との約束があって、いかに強盗的根性を発揮しようとしても国連軍がそれを許さなかった。
 その結果、北半分はソ連がお目付け、南は国連軍が管理しつつ、両国の独立をはかることにした。
 そして、1948年、38度線を境に北が「北朝鮮」、南が「韓国」として独立した。
 半島の人々は独立という喜びを手にした一方で、常に相手国を憎み、不信感を募らせる悲しい宿命を帯びることになった。いわばアメリカとロシアの勢力争いの犠牲を強いられたわけである。
◇さて、独立はしたものの、その2年後の1950年6月25日、両国は血で血を争う悲劇の渦中に苦しむことになった。
 それは、北朝鮮軍が金日成の指揮によって、38度線を破って韓国に侵入した朝鮮戦争だった。北朝鮮軍は一時は破竹の勢いで釜山まで押し進んだ。容易ならぬ事態に国連軍は韓国軍支援に立ち上がった。
 仁川に上陸した国連軍は北朝鮮、ソ連、中国の連合軍の背後を突いて、戦況を一変させた。一時はソウルを占拠した北軍が次第に追いつめられ、逆に平壌が危うくなった。
 双方に多くの犠牲者を出したこの戦争は朝鮮動乱とも呼ばれ、ようやく3年後の53年に終結した。
 38度線に非武装地帯を設けて、両国に平和は訪れたが、その戦禍と兵士、人民の損害は甚大であった。韓国人は、今もそれを念頭において、6・25戦争と呼んで忘れない。
 しかし、金大中大統領以後の韓国の対北太陽政策と北の巧みな情報教育活動の結果、北がこの戦争を仕掛けたことを知らない中・高生が50%を超えているといわれる。
◇日本には北朝鮮系の人と韓国系の人が混在し、それぞれが小・中・高校と、金融機関を持ち、一方は在日朝鮮人連盟、他方は在日韓国人連盟に所属しているが、共産主義か、自由民主主義かの思想の板ばさみで、困っている人が多いのではないか。
 日本人には想像もできない苦悩を強いられつつ、日本に居住する半島出身の人々の心を思うとき、自由にのびのび、繁栄を楽しむことの有り難さを感謝するべきであろう。【押谷盛利】

2008年08月28日 15:27 |


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