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インターホン(見聞録)

 滋賀夕刊の読者勧誘のため、長浜や東浅井を歩くことがあるが、昔ながらの集落と新興住宅地では、家人の対応の差が歴然としている。
 新興住宅地の多くが、インターホン越しでのやり取りで終わり、家人の顔を見ることが少ない。玄関先まで行きながら会えない空しさに、セールスの厳しさを実感している。
 家人からすれば、わざわざ玄関に出向くことなく、カメラ付きのインターホンならば、訪問者の顔を見ることができ、安心。訪問者を断るのにも、対面しないほうが、心安いだろう。
 一方、昔ながらの集落の家人は、玄関先で話を聞いてくれることが多く、成果を問わず、殺伐とした気持ちになることは少ない。
◇昨日、今日と2回に分けて滋賀夕刊に掲載した虎姫町の板谷明香さんの随筆「切符」では、時代の移ろいにより駅の改札でハサミによるパンチがなくなったことに「人間味に欠ける」と淋しさを募らせていた。
 携帯電話もそう。電話と呼びながらも、若者の間では通話することなく、メールで文字をやり取りするのが一般的。時間や都合を問わず、送受信できるのは便利だが、肉声や直筆に比べ、そこに無機質さが漂う。
 機械化が人間関係を希薄化させている、といえば大げさだが、人と人の接点が簡略化されている。
◇小欄が住むアパートなんかも、人間関係は希薄で、近所付き合いは皆無と言える。住民とすれ違った際に挨拶を交わす程度。チャイムが鳴っても新聞や宗教の勧誘、セールスがほとんどで、まれに、大家さんが連絡事項を伝えに来るくらい。
 先週の23日、チャイムが鳴った。モニターには子どもが映っていたので、親に連れられた宗教勧誘かな、と思いながら玄関先に出たところ、5、6人の子ども達が「地蔵盆です」と言う。
 長年、アパート暮らしの小欄にとって、そういう地域の催しは無縁と思っていたので、面食らっていると、付き添いの保護者が申し訳なさそうな顔で「お邪魔しました」と子どもを連れて帰ってしまった。
 何も言えないまま、見送ってしまい、その時の子ども達の期待はずれの顔がまだ記憶に残っている。
 新聞勧誘に歩いた新興住宅地で殺伐とした気持ちにさせられながら、こちらも子ども達を同じ気持ちにさせてしまったのではと、少し自己嫌悪に陥った。

2008年08月26日 15:38 |


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