消費者はおとなしい
政治は国の舵取りと国民の暮らしに関わるが、古代の中国から現在の西欧民主主義国家に至るまで、その権力を握ってきたのは王であり、大統領、首相であった。
当然ながらその施策、外交等によって、国家を繁栄させたものもあれば、滅亡させたものもある。
歴史を顧みるまでもなく、政治が国の興亡と国民の幸福につながっていることを思えば、仮りに現在の日本が政治不信をかもしているとすれば、国民は「なぜ」という疑問とともに、不信に由来する内外の諸問題をしっかりと考えねばならない。
福田内閣が改造して間もない今日このごろ、太田なる大臣が「消費者がやかましいので」と失言して波紋を投げた。失言ではなく、本音がぽろりと出たのではないか、と、勘ぐられるところにこの発言の政治的重みを感じるのである。
◇20日の時評で、政治は国民の幸せにつながるから、国民の合点が支持、不支持に反映するむねを書いたが、ここにいう合点こそ民主主義の原点である。是か非か、議論して納得のゆく道しるべを見出すのが民主主義であるから議論に時間のかかるのを避けてはならない。中国の各地で役所に対する増悪のデモや警察への襲撃事件が頻発しているのは国民の合点しない無理な政治が行われているからである。
それは「つべこべ言うな」「党(役所)の決定についてこい」という専制暴君の手であるが、人間に人権がある限り、生活権や所有権、あるいは納得を求める声が命がけで飛び出すことがある。
◇太田大臣が消費者の声をやかましいと見たのは、消費者行政を重視しているのか、バカにしているのか、なんともふざけたもの言いであるが、ぼくが判断する限り、この大臣は時代の認識が逆立ちしている。とてもとても大臣などという大役を任せられるご仁ではない。
ぼくに言わせれば、消費者は「やかましい」のではなく「おとなしすぎる」。インチキのチョコレートや賞味期限をごま化した饅頭(まんじゅう)、食べ残しの料理を別の客に出す店、毒ギョーザ、偽装ウナギ、インチキ牛肉・・・。発覚して話題になったケースは氷山の一角とも思われるが、あわれなほど消費者はおだやかである。もし、それらの食品が原因で公害患者のように身体に故障が生ずれば、放っておかないのかもしれぬが、あまりにも消費者はおとなしすぎる。
それなのに、「消費者がやかましい」ので、という感覚は、まるで内部告発を悪人視し、偽装問題を大々的に報道したマスメディアを不都合呼ばわりするようなものではないか。そんな感覚の大臣は、だれに向かって政治をしようとするのであろうか。まさか、インチキを売る側の代弁者ではなかろうが。【押谷盛利】
2008年08月21日 15:27 | パーマリンク
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