滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2008年08月30日

在日韓国人と建国60年

 ぼくの手元に8月15日付の民団新聞がある。在日韓国民団の機関紙であり、紙面は日本語で、日本の文字ながら、内容は韓国の情報や在日韓国人の動静その他が掲載され、在日韓国人のコミュニケーションの場となっている。
 15日の新聞は、韓国建国60周年を記念する記事が過去の歴史を含め多彩に編集されている。そのなかで、現在の韓国の経済状況や韓国民の祖国によせる愛国心など興味深い世論調査の結果を見ることが出来る。これは、建国60周年を機に実施した韓国ギャラップ社や韓国リサーチ社の世論調査の結果である。
◇成人を対象にした調査の一つに「韓国の経済発展に満足しているか、どうか」が問われている。
 満足しているが82・1%と多かった。年代別に見ると20代、30代よりも40歳以上で満足度が高かった。「社会秩序の安定」や「国民意識の成熟」で満足度が高かった反面、「政治的な発展」や「教育条件の改善」については不満が多く▽国際社会において韓国はどの程度の地位にいるか、の設問には「中の上(40・6%)」、「中進国(43・2%)」が最も多い。
◇1948年の建国以来、現在までの韓国の歴史についてどう思うか。
 「誇らしく思う」が解答の77・3%。
 日本の植民地支配から開放された「光復節」は知っているが、韓国の建国日については知らない人が多かった。
◇この60年間に韓国に対して影響を与えた国のうち、「肯定的な評価」は米国が80・7%と最も多かった。米国の「否定的影響」は17・2%と低かった。
 中国については肯定的評価が56・9%、否定的評価が40・4%。
 日本については肯定的評価48・7%、否定的評価49・6%でほぼ同じ。
 北朝鮮については否定的影響69・2%、肯定的影響27・2%。これは韓国人の北に対する率直な思いであろう。
◇なお、韓国の発展の足跡について、成均館大学のユ・ホンジュン教授の「建国後の産業および就業構造の変化」の論文が紹介されている。
 これによると建国直後に6・25戦争の惨禍を体験した韓国は、第一次産業(農林水産業)の従事者が就業人口の85%を占める典型的な「開発途上国」だったが、それから60年後、同従事者は7・9%にまで低下。一方では第3次産業(小売業、サービス業など)の比率は8・1%から73・5%まで急増した。
 特に注目すべき点は、全体就業者に占める女性の割合が1965年の21・9%から2005年の40・9%にまで向上し、女性の経済活動への参加が活発になったと指摘している。
◇このほか、15日の民団新聞は、「祖国と在日、私の60年」の見出しで苦難の道を歩んだ人々の実話を載せている。
 このなかで、東京在住の柳再萬さん(77)の話に胸を打たれた。
 柳さんは6・25戦争をラジオで知ったのは19歳だった。新聞で志願兵の募集を知り応募した。「自分の国が負けたらおしまい」という愛国心からだった。
 許南明さん(77)は「よく生き残ったものだ」と、無謀な南侵をした金日成への怒りをあらわにしている。
 在日2世で、ソウル大在学中にソウルを占拠した北朝鮮軍に拉致され、南朝鮮学徒義勇軍に強制入隊させられ、南下しているうちに朝鮮人民軍へ編入され、自らの意志に反し、釜山包囲網に加わった。夜間、隙を見て部隊を脱出し米軍に助けられた。【押谷盛利】

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2008年08月29日

アフガンでの出来事(見聞録)

 アフガニスタンで農業指導をしていたNGO「ぺシャワール会」の伊藤和也さんがテロリストに拉致され、殺された。31歳だった。
 同会は1983年、中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された。現在では、パキスタン、アフガンで医療支援だけにとどまらず、水源開発、農業活動などを支援している。
 伊藤さんも同会の一員として、5年前、現地に入り、アフガン復興への高い志、そして、現地住民と一緒に汗を流すその姿に、地元との信頼関係を築いていた。
◇アフガンは、イスラム原理主義勢力の「タリバン」が支配していたが、アメリカ同時多発テロに端を発した、テロ掃討作戦により、政権を追われた。
 だが、外国人や敵対勢力に対する誘拐、殺害などを繰り返し、国土を混乱させることによって、勢力を再び拡大させている。
 タリバンは、その無差別な殺人行為から、イスラム原理主義の「アルカイダ」と同類にされるが、「アルカイダ」がアラブ系の国際主義であるのに対し、タリバンは土着主義。
 外国軍がアフガンに駐留する限り、タリバン勢力はテロ行為を繰り返して排除を目指す。
 中村医師は「2000万人のパシュトゥン民族を抹殺せぬ限り、タリバン運動は消滅しない」と、対テロ戦争の見えない出口を指摘している。
◇長浜市八幡中山町の柴原規子さんもペシャワール会の会員。寄付などを通して、その活動を支援してきた。
 昨日、柴原さんに、その会報を見せてもらうと、最新号に伊藤さんら4人の農業指導者による共著のレポートが掲載されていた。
 「地域に広がり始めた試験農場の成果」と題し、2007年度の農業計画を報告している。
 現地で栽培した日本米の面積当たりの収穫量が、現地米の1・5倍にのぼり、大評判となったこと、「千歯こき」を試作して脱穀に挑戦したところ「日本の戦前の道具を持ち込むとは怪しからん」と現地人から冷やかされたこと、子ども達による盗み食いにより、毎年、収穫前に全滅していたブドウが、初めて収穫できた喜びなどを伝えている。
 「少しでも多くの成果がアフガニスタンの将来に引き継がれることを願い、これからも一つ一つの積み重ねを大切にしていきます」―。こう綴ったのが伊藤さんの最後のレポートとなった。
◇アフガンの平和と安定を希求する日本は、国際社会の一員として活動を行ってきた。経済支援のほか、海上自衛隊によるインド洋での給油活動だ。これら政府による支援は、ペシャワール会などNGOによる活動と合わせて、アフガン復興の両輪となっている。しかし、政府の関与は原理主義者の神経を逆撫でし、NGOを標的したテロを誘発しかねず、それが現実になった。
 柴原さんは「あれほど親日感情があり、絆が深まっていたのに大変残念でならない」と嘆いている。
 しかし、国土荒廃のため、現在も多くの子ども達が餓死の危機にさらされている。柴原さんは「私達が何気なく食べているスナック菓子1袋を買うお金で、アフガンの子ども達5人をとりあえず餓死から救えます。そういう現状を日本の子ども達にも考えてもらえれば」と話している。

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2008年08月28日

韓国と北朝鮮人の苦悩

 日本人は8月15日を終戦記念日として記憶するが、なかには6プラス9と怒りと悲しみをこめて記憶する人もいる。6は広島に、9は長崎に原爆が投下された日である。6と9を合わすと、偶然にも15になる。15という終戦の日は永遠に6と9の数字の組み合わせから逃れられない。
 同じ8月15日でもお隣りの韓国は建国記念日として記憶する。
 今から60年前の1948年8月15日、韓国は独立した。戦後の3年間、国連軍が面倒を見ながら独立のアドバイスをしてきたわけで、1948年8月15日という独立の日を韓国人が祝うのは当然のことである。
 明治45年の日韓併合によって朝鮮半島は事実上、日本の植民地化したが、日本の同化策の影響と半島住民の貧しさから日本への移住者が急増した。
 今は朝鮮半島の北半分が北朝鮮、南は韓国、と二つの国に分かれているが、これは日本の敗戦時の国際間の思惑の申し子みたいな結果で、半島の住民はいい迷惑をしているというべきで、気の毒というよりほかはない。
◇それというのも敗戦間際のどさくさにまぎれて満州(中国東北部)を占領したロシア(当時ソ連)が勢いのおもむくまま朝鮮半島に侵入し、自国に都合のいい共産国家をつくりたかったからである。しかし、8月15日で戦争停止の連合国との約束があって、いかに強盗的根性を発揮しようとしても国連軍がそれを許さなかった。
 その結果、北半分はソ連がお目付け、南は国連軍が管理しつつ、両国の独立をはかることにした。
 そして、1948年、38度線を境に北が「北朝鮮」、南が「韓国」として独立した。
 半島の人々は独立という喜びを手にした一方で、常に相手国を憎み、不信感を募らせる悲しい宿命を帯びることになった。いわばアメリカとロシアの勢力争いの犠牲を強いられたわけである。
◇さて、独立はしたものの、その2年後の1950年6月25日、両国は血で血を争う悲劇の渦中に苦しむことになった。
 それは、北朝鮮軍が金日成の指揮によって、38度線を破って韓国に侵入した朝鮮戦争だった。北朝鮮軍は一時は破竹の勢いで釜山まで押し進んだ。容易ならぬ事態に国連軍は韓国軍支援に立ち上がった。
 仁川に上陸した国連軍は北朝鮮、ソ連、中国の連合軍の背後を突いて、戦況を一変させた。一時はソウルを占拠した北軍が次第に追いつめられ、逆に平壌が危うくなった。
 双方に多くの犠牲者を出したこの戦争は朝鮮動乱とも呼ばれ、ようやく3年後の53年に終結した。
 38度線に非武装地帯を設けて、両国に平和は訪れたが、その戦禍と兵士、人民の損害は甚大であった。韓国人は、今もそれを念頭において、6・25戦争と呼んで忘れない。
 しかし、金大中大統領以後の韓国の対北太陽政策と北の巧みな情報教育活動の結果、北がこの戦争を仕掛けたことを知らない中・高生が50%を超えているといわれる。
◇日本には北朝鮮系の人と韓国系の人が混在し、それぞれが小・中・高校と、金融機関を持ち、一方は在日朝鮮人連盟、他方は在日韓国人連盟に所属しているが、共産主義か、自由民主主義かの思想の板ばさみで、困っている人が多いのではないか。
 日本人には想像もできない苦悩を強いられつつ、日本に居住する半島出身の人々の心を思うとき、自由にのびのび、繁栄を楽しむことの有り難さを感謝するべきであろう。【押谷盛利】

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2008年08月27日

日照雨とキツネの話

 日が照っているのに、急に雨がぱらつくことがある。昔の人はこれを「狐の嫁入り」といった。狐の嫁入りは、このほか、夜、山中や野を気味が悪い火がともったり、消えたりすることをいう場合があるが、これは狐火(きつねび)ともいう。
 日が照っているときの雨は、文字どおり「日照雨」だが、これを古くから「そばえ」と呼んでいる。そばえは、漢字で「戯え」と書く。戯は、たわむれる、ふざける、おどける、しばいする、の意味があり、芝居の脚本のことを戯曲、戯文といい、江戸時代後期の小説類を戯作と称した。
 だから戯作を作る人や小説家は戯作者であり、漫画は戯画であり、冗談(じょうだん)は戯談。
◇戯(たわむれ)について、筆を進めているのは、世の中、四角四面では面白くなかろうという、先祖の知恵が働いていると思われるので、ふと、それに言及したくなったからである。
 われわれは、話の中でよく「ウソ!」「それホンマ?」とか、「冗談だよ、それ」などと驚いたり、話をそぐらすことがある。
 冗談の冗は、ムダ、無用、よぶん、利益にならない、まじる、わずらわしい、くだくだしい、などの意味があり、「ふざけた話」に相当する。
 戯もふざけなら、冗もふざけであるが、なぜ、日本語の中で、先祖がこれらの文字を生かして、今に至ったかと考えると、日本人の思考や生活態度の探索の旅を楽しむことができるかもしれない。
◇狐と狸の化かしあい、といわれるように、人間のずるさを狐や狸にたとえるのは、狐や狸にとっては「ぬれ衣(ぎぬ)」であり、迷惑な話であろうが、どういうわけか、日本人は、狐や狸が人を化かす、と考えてきた。
 義経千本桜の芝居に狐忠信(きつねのただのぶ)なる人物が登場する。彼は子狐の化身で、鼓の皮になった親を慕い、佐藤信忠の姿に化けて現れ、その鼓を持つ静御前を守る。
 狐は人も化かすが、狸も化かす、と信じられてきた。狐は目つきも鋭く、動きも敏捷で、尖った口が気味悪い。その点、狸は、どことなく、ユーモラスな感じで、鈍感なところが親しまれる。化かすのは下手なのか、すぐばれる。徳川家康のことを狸じじいというが、信長と対象的に見て、どこか、人を油断させるしたたかさに人なつかしさを感じるのかもしれない。
◇話を戻すが、狐の嫁入り、日照雨を「そばえ」と呼ぶのは、「お天道(とう)さん、ご冗談でしょう、お天気なのに雨など降らして」という素朴な民の声が聞こえるから愉快である。
 つまり、たわむれの雨というのが「戯(そば)え」なのだ。「そばえる」には、たわむれるの意味があるから、ぼくの子供のころは、親からよく「そばえたらアカン」と注意されたものだ。兄弟や近所の子どもたちが、キャーキャーいいながら遊び呆けていると、「いつまでもそばえてたらアカン」といわれたが、このごろは死語化している感じで、それを思い出させるのが「そばえ」である。
◇人間の暮らしの中には、ゆとり、笑い、が必要であることは、精神の緊張が体を損なうからである。だから歌舞音曲の世界が人の心をなごませる。落語も芝居も小説も同様である。緊張しきっていれば糸は必ず切れる。適当に加減して、ゆるめてやることの必要性が「たわむれ」の思想である。
 ただし、たわむれの戯(ぎ)は同じ「ぎ」でも偽装の偽ではない。
 冗談をいう人は楽しくて人気があるが、偽善、インチキ、ごまかしは軽蔑される。「ウソは泥棒の始まり」と昔の人は教えた。【押谷盛利】

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2008年08月26日

インターホン(見聞録)

 滋賀夕刊の読者勧誘のため、長浜や東浅井を歩くことがあるが、昔ながらの集落と新興住宅地では、家人の対応の差が歴然としている。
 新興住宅地の多くが、インターホン越しでのやり取りで終わり、家人の顔を見ることが少ない。玄関先まで行きながら会えない空しさに、セールスの厳しさを実感している。
 家人からすれば、わざわざ玄関に出向くことなく、カメラ付きのインターホンならば、訪問者の顔を見ることができ、安心。訪問者を断るのにも、対面しないほうが、心安いだろう。
 一方、昔ながらの集落の家人は、玄関先で話を聞いてくれることが多く、成果を問わず、殺伐とした気持ちになることは少ない。
◇昨日、今日と2回に分けて滋賀夕刊に掲載した虎姫町の板谷明香さんの随筆「切符」では、時代の移ろいにより駅の改札でハサミによるパンチがなくなったことに「人間味に欠ける」と淋しさを募らせていた。
 携帯電話もそう。電話と呼びながらも、若者の間では通話することなく、メールで文字をやり取りするのが一般的。時間や都合を問わず、送受信できるのは便利だが、肉声や直筆に比べ、そこに無機質さが漂う。
 機械化が人間関係を希薄化させている、といえば大げさだが、人と人の接点が簡略化されている。
◇小欄が住むアパートなんかも、人間関係は希薄で、近所付き合いは皆無と言える。住民とすれ違った際に挨拶を交わす程度。チャイムが鳴っても新聞や宗教の勧誘、セールスがほとんどで、まれに、大家さんが連絡事項を伝えに来るくらい。
 先週の23日、チャイムが鳴った。モニターには子どもが映っていたので、親に連れられた宗教勧誘かな、と思いながら玄関先に出たところ、5、6人の子ども達が「地蔵盆です」と言う。
 長年、アパート暮らしの小欄にとって、そういう地域の催しは無縁と思っていたので、面食らっていると、付き添いの保護者が申し訳なさそうな顔で「お邪魔しました」と子どもを連れて帰ってしまった。
 何も言えないまま、見送ってしまい、その時の子ども達の期待はずれの顔がまだ記憶に残っている。
 新聞勧誘に歩いた新興住宅地で殺伐とした気持ちにさせられながら、こちらも子ども達を同じ気持ちにさせてしまったのではと、少し自己嫌悪に陥った。

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2008年08月25日

河野衆院議長への怒り

 8月15日の終戦記念日に行われた全国戦没者追悼式典での河野洋平衆院議長の追悼の言葉が聞くに堪えぬひどいものであった、とすこぶる評判が悪い。
 ぼくもそう感じて腹立たしく思っていたが、たまたま24日付の産経で、政治部の阿比留瑠比氏が「戦没者への礼を知らぬ河野議長」と、名差しで批判しているのを読んで、やれやれと胸をなでおろした。
 全国戦没者追悼式は天皇、皇后両陛下ご臨席のもと、戦没者の遺族や関係者が約7000人が出席した。
 天皇陛下は戦争で亡くなった軍人、軍属、一般市民の犠牲者を哀悼されて、式典のムードは厳粛そのものであった。そのムードをぶち壊して、まるで中国に媚び入るような「反省」を強調した式辞が河野議長から流れた。とたんに、会場の空気がざらつき出し、参列者の国会議員の1人が聞くに堪えなかった、という。
◇聞くに堪えなかったという河野式辞は一体どんな内容だったのか。
 「(日本軍による)非人道的な行為で、人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでいる方々には改めて心からのお見舞いの気持ちを申し上げたい」。
 どこの国の犠牲者を念頭にこの河野式辞が読まれているのか、会場の戦没者の遺族はこれをどのように受け止めたか、まるで、参列者が、かつての日本軍の代表者のように責められている感じである。
 戦争に対する怒りや、反戦平和の叫びはおのずとそれを行うにふさわしい場があるはずである。
 記者は「なぜ、日本の戦没者を追悼するための式典で、遺族の気持ちを逆なでしてまで日本の加害を言い募らなければならないのか」と怒りを表している。河野氏は昨年の追悼式でも次のようにあいさつして、日本側を悪しざまにのべている。
 「わが国の軍靴に踏みにじられ、戦果に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国将兵にとっても同じ悲しみである」。
◇また河野氏は15日の式辞で、国論の統一していない追悼施設の設置にまで言及し、この場にふさわしくない政治的脱線までおかしている。
 「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いをひとつにして追悼できる追悼施設の設置に真剣に検討を進めることが求められる」。これはまるで国会論議ではないか。河野氏がそう信じるなら自民党の選挙公約でそれを国民に訴えればよいではないか。全国の戦没者追悼式の場で、靖国反対を宣言しているようなもので、遺族の不快感が想像される。
 河野氏は2年前の追悼式では「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」とも語り、遺族を前にして戦争の反省をこれでもか、これでもかと、まるで中国や韓国の指導者が行う演説調であるが、そういえば、彼はかつて、日本軍の「慰安婦」問題について、安倍首相(当時)が「慰安婦の強制連行はない」と否定しているにも拘わらず、平成5年の官房長官談話で「強制連行」を認めている。
 彼は日本をおとしめることに快感や政治的意図を持っているのであろうか。【押谷盛利】

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2008年08月22日

「プラハの春」から40年(見聞録)

 ソ連がチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」を戦車で弾圧してから今年で40年目。チェコの国内では当時を偲ぶ追悼の催しや講演会などが盛んに行われている。
 「プラハの春」は1968年にチェコスロバキアで起こった民主化運動を指す。自由が制約された社会主義体制への批判が高まったことを受け、共産党第1書記に就任したドプチェクが「人間の顔をした社会主義」をスローガンに掲げ、改革を打ち出した。
 党への権限集中の是正、市場経済の導入、言論・芸術活動の自由化、西側との経済関係の強化などを提唱し、検閲法、言論統制法を改正したり、結社・集会の自由を認めるなどし、国内で一気に民主化への気運が高まった。
 しかし、民主化の波が他の中欧・東欧諸国に波及することを恐れたソ連はワルシャワ条約機構軍を率いて8月20日、チェコスロバキアに侵攻。非武装の市民を相手に戦車約6300両、航空機約800機、大砲約2000門を投入し、全土を占領下に置いた。民主化を求める若者ら100人以上が犠牲となった。
 この弾圧により同国の民主化は1989年の「ビロード革命」まで、20余年も遅れることになった。
◇弾圧の舞台になったチェコの首都プラハは、オーストリアのウィーン、ハンガリーのブダペストと並ぶ中央ヨーロッパの古都。3都市はいずれも旧社会主義国の首都で、冷戦時代は旅行に訪れるのが困難だったが、民主化された今では世界中の旅行客の憧れの的となっている。
 中でもプラハの美しさは別格で、市内の中心をヴルタヴァ川が流れ、古い町並みや建物が数多く現存している。川のほとりの歴史地区やプラハ城は、中世にタイムスリップしたかのような幻想に酔わせてくれる。
 中欧や東欧の魅力は、冷戦時代の社会主義体制下で経済発展が遅れたことから、古い町並みが改造されることなく残り、時代と素朴感を残していることだろう。
 その素朴な町並みが残る背景に、民主化を求める声が、たびたび、時の政権や軍部によって弾圧されてきたことを思うと、現在でも中国やロシアが民主化を弾圧している事実が気味悪い。
◇奇しくも、今、ロシアの戦車が小国グルジアを踏みにじっているが、40年前の「プラハの春」と重ね合わせ、ロシアにソ連の亡霊を見ている中欧・東欧人が多いのではないか。
 その点、戦後60余年、侵略や弾圧の危機にさらされず自由を謳歌してきた日本人は、40年前の「プラハの春」弾圧や、現在進行中のグルジア侵略よりも、北京オリンピックに夢中になり、チベットや新疆ウイグルでの中国政府による弾圧も、どこか遠い地域の話と思って頭の隅に追いやっているのではないだろうか。

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2008年08月21日

消費者はおとなしい

 政治は国の舵取りと国民の暮らしに関わるが、古代の中国から現在の西欧民主主義国家に至るまで、その権力を握ってきたのは王であり、大統領、首相であった。
 当然ながらその施策、外交等によって、国家を繁栄させたものもあれば、滅亡させたものもある。
 歴史を顧みるまでもなく、政治が国の興亡と国民の幸福につながっていることを思えば、仮りに現在の日本が政治不信をかもしているとすれば、国民は「なぜ」という疑問とともに、不信に由来する内外の諸問題をしっかりと考えねばならない。
 福田内閣が改造して間もない今日このごろ、太田なる大臣が「消費者がやかましいので」と失言して波紋を投げた。失言ではなく、本音がぽろりと出たのではないか、と、勘ぐられるところにこの発言の政治的重みを感じるのである。
◇20日の時評で、政治は国民の幸せにつながるから、国民の合点が支持、不支持に反映するむねを書いたが、ここにいう合点こそ民主主義の原点である。是か非か、議論して納得のゆく道しるべを見出すのが民主主義であるから議論に時間のかかるのを避けてはならない。中国の各地で役所に対する増悪のデモや警察への襲撃事件が頻発しているのは国民の合点しない無理な政治が行われているからである。
 それは「つべこべ言うな」「党(役所)の決定についてこい」という専制暴君の手であるが、人間に人権がある限り、生活権や所有権、あるいは納得を求める声が命がけで飛び出すことがある。
◇太田大臣が消費者の声をやかましいと見たのは、消費者行政を重視しているのか、バカにしているのか、なんともふざけたもの言いであるが、ぼくが判断する限り、この大臣は時代の認識が逆立ちしている。とてもとても大臣などという大役を任せられるご仁ではない。
 ぼくに言わせれば、消費者は「やかましい」のではなく「おとなしすぎる」。インチキのチョコレートや賞味期限をごま化した饅頭(まんじゅう)、食べ残しの料理を別の客に出す店、毒ギョーザ、偽装ウナギ、インチキ牛肉・・・。発覚して話題になったケースは氷山の一角とも思われるが、あわれなほど消費者はおだやかである。もし、それらの食品が原因で公害患者のように身体に故障が生ずれば、放っておかないのかもしれぬが、あまりにも消費者はおとなしすぎる。
 それなのに、「消費者がやかましい」ので、という感覚は、まるで内部告発を悪人視し、偽装問題を大々的に報道したマスメディアを不都合呼ばわりするようなものではないか。そんな感覚の大臣は、だれに向かって政治をしようとするのであろうか。まさか、インチキを売る側の代弁者ではなかろうが。【押谷盛利】

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2008年08月20日

「これなに、あれなに」

 幼児は親に「これ、なに」「あれ、なに」と、うるさいほど、ものをたずねる。
 なにがなんだか知らないが…というセリフもあるが、人は合点がゆかぬと面白くない。
 納得(なっとく)といってもいいかもしれない。政治は直接、間接、国民の暮らしや幸せにつながるから、国民の合点が支持、反支持のブレにつながる。
 幼児が、親に質問をぶつけるのは、疑問を感じる場合と未知なるものへの興味、さらには目の前の事象に関する本能的知識欲による。
 その疑問や問いに答えず、「うるさい」とさえぎったり、「子供は聞かんでよい」、などと、つっぱねると、子供は心に消化不良をおこす。
◇「なんで?」、「なんでやねん」と疑問を持つのは、合点のできない場合があるからで、実は人間の知は「なんで」の問いから始まる。よく笑い話にあるように「何を問うのか、問うことが分からない」という人がいる。
 問うのは頭の働きであるが、合点する、しないも頭の働きである。
 このごろ、人間の将来を考えて、やや心配になってきたのは、問うたり、合点する頭の働きを省略するのが流行の兆しを見せていることである。それは、頭の働きだけではなく、手足の動きについても似たことがいえるのではないか。
 問うのが面倒くさい、考えるのが面倒くさい。手や足を使うのがうっとおしい・・・というのが今風(いまふう)の文化だと思っているのかも知れないが、これには悲しい落とし穴がひそんでいることを知らねばならぬ。
◇オリンピックの陸上競技、ことに100、200、5000、マラソンなどのレースには黒人選手の圧倒的強さが光る。かつて東京マラソンで、エチオピアのアベベが裸足(はだし)で優勝したときは世界の人々が感動した。
 エジプトの子供は今も40度の猛暑を裸足で歩いている。エジプトに限らず、ソマリア、ケニアなど砂漠地帯に住む人は、水を確保することが1日の第一の仕事であり、子供は親の仕事を助ける意味で、何㌔も何十㌔もの道を歩いて水を求める。その幼少のころからの日常生活が驚異的な足腰の鍛錬につながっているといえよう。
◇考えることをしない。足腰を使うことをしない。それが新しい文化だ、とだれが教え、だれが、はやしたてたかは措(お)くとして、今の近代国家はその方向で産業構造が成り立っている。むろん、日本も例外ではない。産業構造が成り立っているというのは、そういった産業が全開し、日本の経済を支えている、ということになる。
 結構なことではないか、快適で便利な暮らしが保障されているようなものではないか、と、いわれそうだが、その今風の文化が落とし穴を抱えている、と警告したいのである。
◇今は厖大な辞典類の代わりに電子辞書が登場した。パソコンという知的万能選手が、ケータイを配下にしてあらゆる情報はもとより、買いものから、支払い、なにから何まで指一本で目的をかなえてくれる。
 歩くことより自転車の方がラクだ。自転車よりも車の方が早くて便利だ。海外へは船より飛行機が早い。しかし、そういう近代社会が人間の足腰を弱めたばかりでなく、排ガスによる汚染と地球の温暖化をすすめたし、何よりも地下のエネルギー源を乱開発することになった。
◇仕事と生活上の省力化は、頭と手足の働きを抑止すること、とりわけ脳細胞の活性化を妨げた。考える習慣が消えた代わりに、失敗や不満はストレスとなり、脳内に鬱積する。その結果、自殺、他殺がウンコするほどの力みもなく、まるでゲーム機の主人公のように没自我の境で敢行される。
 「この時評は若いお母さんに読んで欲しい」。【押谷盛利】

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2008年08月19日

五輪の「演出」に思う(見聞録)

 チベット自治区や新疆ウイグル自治区での騒乱、テロは、中国共産党の独裁政権による圧政を世界に改めて知らしめ、オリンピック開催国として疑問符を付けられた。しかし、いざ開幕すれば、新聞もテレビも五輪一色で、紙面には連日、メダルを獲得した日本人選手の笑顔が大きく掲載されている。
 開会式はそのスケールの大きさに、「100年の夢」という中国政府のメンツをかけた用意周到さに感心したが、後に、演出という名目の「偽装」が判明し、「中国らしさ」を見せ付けた。
 開会式で歌を披露した少女の歌声は、実は別の少女の声を当てた「口パク」だった。大きな足跡の形に打ち上げられた花火はCG(コンピューター・グラフィックス)だった。
 演出効果を高める目的だったのだろうが、海外メディアに「偽装」と騒がれた中国政府は、中国国内でこれに関する報道を規制している。
◇これらの「偽装」は、中国政府のなりふり構わぬ五輪への準備を振り返れば愛嬌のうち。
 例えば、まだ住民のいる古い街並みを無理やり破壊したり、地方からの陳情団を摘発し北京市外に追い出したり、化学薬品を積んだミサイルを発射して雨雲を消して見せたり―。
 こういう過去を見れば、口パク、CGなどは可愛い「演出」だろう。ただ、あれも、これも「演出」では、と勘ぐってしまいかねない。新記録が続出している競泳会場「ウォーターキューブ」のコースは実は50㍍ではなく、それより短いのでは、と冗談まじりに噂されたり…。
◇開幕式で気味の悪かったのは、56の民族衣装を着た子ども達の入場行進。多民族国家・中国を象徴する演出で、各民族の華やかな衣裳に、まだ見ぬ小数民族の故郷への旅情を誘われた。
 しかし、後に、大半が漢民族による「コスプレ」だったことが判明し、民族融和の合い言葉が政府の欺瞞であることを象徴付けた。
 中国では政府が認定している民族が56あり、人口の9割以上が漢族で、その他の55民族は少数派。チベットや新疆ウイグルのように、少数民族が集まる地域では限定的に自治権を認めているが、五輪を機にしたデモやテロを見る限り、自治とは名ばかりの圧政が住民を苦しめていたことを物語っている。
 ウイグル族やチベット族以外にも、小乗仏教を信仰するアチャン族、独自の文字を有し、祭祀や治療を行うシャーマンが存在するイ族、イスラム教徒のウズベキスタン族、キルギス族、銀の飾りを多用した民族衣装などで知られるミャオ族など多種多様な民族が暮らしている。
◇デモやテロが続く中国で、民族融和を掲げる五輪開会式の目玉の演出だったにもかかわらず、漢族がそれぞれの民族衣装をまとっていたのは、いずれ、少数民族を漢族に同化させるとのメッセージ性を「演出」しているのでは、と勘ぐりたくもなった。

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2008年08月18日

古里の墓参こもごも

 今年のお盆はオリンピック呆けで、寝覚めが悪く、読書しながらすぐ居眠りしていた。
 それでもまとまった休みのお陰で暑いとは言いながらも仕事疲れを癒すことができた。
 嘆異抄のなかで、親鸞は、「親孝行のため念仏を申したことは一回もない」と、すごいことを述べているが、親孝行はともかくとして、年中行事のようにお墓参りするのがわが一族の習慣である。
 だれから教えられたものでもなく、もちろん強制でもないが、子供のころは親と一緒に墓参りするのが楽しみであった。父がお経を称えると、それに合わせてついてゆくのだが、たいていは日没のころ、やや、日が陰ってからだったせいか、藪蚊がうるさかった。
 ぼくは、うちわをばたばたさせながら蚊を追うのだが、そのころは、どのお墓にも多くの家族連れが、にぎにぎしくお経を上げていた。日が暮れかかるとあちこちにローソクの灯りがゆらめいて幽幻そのものと言った感じだが、参詣者の人群(だかり)と闇間に響くお経の声で、さびしいと思ったことはなかった。
◇お盆中は、毎晩、墓場の近くの露天で芝居の興行が行われた。ぼくら子供は、昼間、その興行の宣伝カーに同乗して、村の中を周るのが楽しみだった。
 芝居の出しものは、歌舞伎風のもので、プロの三味線と浄瑠璃が独特の雰囲気をかもしていた。子供には筋書は分からないが、「わるもんか」「よいもんか」の判断はつくし、狐にだまされてウンコを食った話や、吹いた息が網のように広がって、くもの巣のように敵をがんじがらめにするような場面を手に汗して眺めたものだ。
◇お墓参りの前後、芝居小屋から太鼓が鳴り響いた。あの音を聞くと、心は早くも芝居小屋に向かった。母は、その、ぼくの気持ちが分かるのか、「そら太鼓が鳴り出したぞ。アホから先(さき)こい、アホから先こい」。ほんとに、そんな風に聞こえるから家へ帰って支度するのがいらいらした。
 その芝居小屋の設けられた場所は、野瀬の小堀林弥さんの屋敷畑で、墓場を区切る道の真下にあり、道路の斜面は竹藪で、役者はそこで化粧や振付をしていた。
 林弥さんは興行主でもあり、同家は広い家の中を全部開放して役者を宿泊させていた。後の小堀住建(現エス・バイエル)社長・小堀林衛さんは、林弥さんの次男で、振り出しは竹中工務店の徒弟だった。戦後、現場監督や福井支店長を経て独立した実業家だが、林弥さんに似て、にこにこと笑顔で人に親しまれていた。
◇盆の墓参りは子供のころから欠かしたことはないが、日本の経済成長の証しを見せるように墓の姿も変わってゆく。昔は「さんまい」と呼ぶように、墓原の中央部に式台の花崗岩が敷設され、ここに棺を置いて葬儀が行われた。土葬の名残りであり、長らくそのままの状態だったが、いつの間にか除去されている。
 村は老人が多く、若いものは結婚しても住所を町へ移すので、いわゆる限界集落へ近づきつつあるが、それとは逆現象に、年々、墓域は拡大し、山の中腹や斜面までも開発されて新しい墓が建立されてゆく。昔は自然石が墓標であったが今は経済的なゆとりと見栄も反映して、いずれの墓もまぶしいほどの立派さである。
◇お墓参りとオリンピックだけでは、ご先祖に申しわけない、と家のお仏壇でお経を上げさせてもらうのだが、情けないことに、若いころ絶唱した大きな声が出ない。それでも帰命無量寿如来の「正信偈」のあと「如来大悲の恩徳は・・・」と和讃を称えるころは、しみじみと「ああ、われ、幸せもの」という感慨になるから不思議である。【押谷盛利】

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2008年08月13日

中国自治区の一揆現象

 北京からの華やかな五輪ニュースを皮肉る如く、中国ウイグル自治区内での反政府テロが生々しい。
 12日は、検問所が襲撃され、保安要員3人が死亡し、1人が負傷した。今月の4日以降、同自治区での警察など襲撃事件は頻発し、死者は容疑者らを含めて31人に上る。
 中国の武装警察は自治区内での警戒を強化し、隙のない治安体制を実施しているが、民衆のうらみは地の底にうごめくマグマのように、いつ、どこで噴火するか分からない。
 江戸期の日本の各地で、重税と圧政に泣く農民が決死の覚悟で一揆を起こしたが、今のウイグル自治区内の警察襲撃事件は、一揆が代官所を焼き払ったようなもので、報道されていない陰の部分にライトを当てれば、悲惨なウイグル族の血の叫びが浮き彫りされるかもしれない。
◇11日付の産経に、ウイグル自治区のクチャから、野口東秀記者が最新情報を伝えている。これによると、街中は戒厳状態にあり、中心部は武装警察で封鎖されている。極めて緊迫した状況で、外出は禁止されている。
 10日未明の警察襲撃では11人が死亡しているが、これ以外にも10カ所以上が襲撃されたといわれ、市民や観光客は通行を止められ、報道も制限されている。
 ウイグル自治区のウイグル族の反政府の激しい実力行使はただごとではない。その点で注目されるのは、広島の原爆死没者慰霊式に参列した中国ウイグル自治区出身の外科医・世界ウイグル会議英国代表のアニワル・トフティ氏の談話である。これは産経新聞が同氏との会談内容を11日付で報道したものであるが、心を痛めるのは、1964年以来、中国はウイグル地区で46回もの核実験を行ったという事実である。この事実は極秘にされているが、この結果、ウイグル地区内での住民は核実験の死の灰の影響を受けて、多くの人が内臓異常や腹、のどなどの肥大、先天性異常の大脳未発達で歩くことも話すこともできない障害児ばかりが生まれる村もあった。
 山で木を伐って調べたところ、広島原爆の300倍もの放射性反応が出たという。
 トフティ氏は、区都ウルムチの病院の腫瘍専門外科医だったが、病床に占めるウイグル人の割合が極めて大きいことに気付き、調査したところ、ウイグル人の悪性腫瘍発生率は、中国の他の地域の漢人と比べ35%も高かった。漢人でもウイグル自治区に30年以上住んでいる人は、発生率がウイグル人と同程度に高かった。
 同氏は英国テレビ局のドキュメンタリー番組に協力し、取材で潜入した所で、放射能汚染の影響とみられる数々の悲惨な光景を目撃したが、これによって、99年英国に政治亡命することになった。
◇核実験による放射能汚染の悲惨さは人類初の被害者である日本人が一番よく知っているところであり、戦後ではロシアのチェルノブイリ原発事故が知られるが、中国は、核実験46回の事実も、それによる放射能汚染も、そして後遺症の存在すら認めていない。のみならず、海外の医療団体の調査立ち入りも認めず、すべて闇から闇に葬り去ろうとしている。「死か」「抗議か」、ウイグル人の決死の叫びが、警察襲撃となり、五輪を通じて、世界の関心を引こうとするのは充分理解できるし、それこそ世界の安全と平和のため、日本人も声援の連帯を送るべきであろう。
 そして、記憶すべきことは、中国が初めて、核実験をしたのは東京五輪の開会期間中だった。その陰で過去から現在まで、実験のモルモットにされたウイグル人の人権、生命、土地、資源の行方は?
 こうした隠された事実への怒りがこの国の人々の一揆現象とみるべきであろう。【押谷盛利】

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2008年08月12日

採掘場を訪ねて(見聞録)

 石灰岩の採掘により、大きくえぐられている伊吹山の現状を視察するため、田中章五、西川敏輝両県議や、伊吹山自然再生協議会の委員が10日、採掘場を訪れ、小欄も同行させてもらった。
◇採掘は標高1240㍍の地点から麓に向けて、37度の角度で行われ、現在は標高940~980㍍で採掘中。この部分が長浜や米原、彦根から平に見える部分だ。
 発破で石灰岩を砕き、大型ショベルとダンプで回収して、山中に掘った坑道を通して標高548㍍地点にまで運ぶ。そこから地上に落下させ、ベルトコンベアで工場へ運搬する仕組み。
 採掘場にあるブルドーザーはショベルの部分だけで大人の背丈を超え、ダンプトラックは98㌧を積載できる大きさ。その規模が山を削るという大事業を物語っている。
◇案内役は滋賀鉱産伊吹鉱山部の部長・中山智博さん。地質学専門で、鉱山歴28年というだけあって、鉱山業にかける思いにブレがなく、自然・景観保護を訴える県議や委員の要望、質問に、理論的に切り返し、この手の視察への準備は十分との印象を受けた。
 西川県議が、何も地域のシンボルである伊吹山をこれ以上、傷つけることはないではないか、将来の子や孫のために、今の伊吹山の形を残してもらえないかと要望すれば、中山さんは、子や孫のために鉱物資源を掘り続けるのが鉱山業の仕事です、と返す。
◇採掘現場への視察に同行して、最も驚かされたのは伊吹山の特徴。伊吹山は99%が石灰岩質と聞かされていたが、採掘現場でその事実を目の当たりにした。
 というのも、重機で地面を削った部分の断面を見ると、石灰岩層の上、わずか50㌢程しか土がなく、そこに木々や草花がしがみつくように根を下ろしているのだ。
 伊吹山は、表面に薄い膜状に土が付着し、かろうじて緑が生まれている訳だ。
◇採掘跡では30年以上前から緑化が行われているが、ペンペン草が生えた程度しか緑が復元できていない部分もあった。
 中山さんによると、まずはそういった草を定着させ、それが積もり積もって土を作り、そして木々が生えてくるという。
 伊吹山は、植林すれば済む単純な構造ではなく、緑化には50年、100年という相当の時間を要するように感じた。
◇石灰岩はセメントの材料としてだけでなく、ガラス、タイル、蛍光灯、プラスチックなど、我々の幅広い日常の中で使われる。
 そういうことは承知なのだが、地域のシンボルである伊吹山が今後も、5年間で10㍍というペースで確実に削られてゆく。遠い将来、長浜南部から見て、伊吹山の左側、東浅井郡から見て、正面にあたる部分はすべて削り取られる。
 地域経済を支え、そして日本の高度成長の礎となった伊吹山は、今後もその犠牲的な姿を見せ続けるのだろうか。そろそろ、一服させてあげたい。

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2008年08月11日

腰抜け外交を批判する

 8日から北京オリンピックが始まったが、平和で自由なスポーツの祭典にふさわしくない事件が中国各地から伝わってくる。
 報道の記者やカメラマンが逮捕されたり、北京ではアメリカからの観光客が殺されている。
 中国の人権弾圧は想像以上だが、その圧政に反発する少数派民族の決死の抵抗が血ぬられたオリンピックとして世界の人々を悲しませている。
 人権弾圧をやめます、という中国側の言葉を信じて北京オリンピックは招致されたが、結果は逆に、中国の言論統制、個人の自由を奪う警察国家の実態が明るみにされた。明らかに時期尚早の北京オリンピックだった。
◇さて、その中国ウイグル自治区で、今月4日、武装警察部隊が襲撃され、警官16人が死亡した。
 報道各紙はウイグル独立派のテロと断定しているが、問題の根はそれほど単純ではない。
 実はウイグル自治区は、北京オリンピックに抗議し、連日のようにあちこちで警察襲撃などの事件が続出しているのだ。ウイグル自治区の血の叫びが、これまで、軍と警察によって押さえ込まれ、外部の報道陣の取材禁止によって、その不満が隠されていた。
 たまたまのオリンピックを通じて、世界にアピールするのが彼ら少数民族の決死行といえるのではないか。
 その限りにおいて、われわれは中国の実態を知り、弾圧され、人権を無視されている少数民族の不幸に連帯の愛を忘れてはならない。
◇この点で、その動向の注目されるのは、わが福田康夫首相である。福田さんは、最初、北京オリンピックの開会式に行くかどうか、あいまいにしていたが、結局、出席した。この結果、国民の多くは、首相が8月15日は靖国へ参るのでは、と希望的に観測するが、彼の靖国参拝は100%あり得ない。中国にひれ伏す彼の外交的態度で明々白々である。
 いま、日本人を怒らせている事件の一つに中国ギョーザ問題の未解決がある。
 問題の毒性物質は日本では使われていないのだから、明らかに原因は中国での生産過程にあるといっていいが、中国は非を認めもせず、謝罪もせず、原因追及に日中双方で当たるべしと抗弁してきた。
 その矢先、先月、毒ギョーザによる被害が中国国内で数件発生している事実が明らかになった。
 日本政府は、その事実を知りながら先方の要請に答えるべく、このニュースを国民に知らせなかった。もちろん、中国の民衆も知るはずがない。
 問題は政府のメンツなどで隠すべきことでなく、国民の健康と安全に関わる「いのち」の尊厳そのものである。日本の高村正彦外相は、オフレコの約束を守っただけ、と反省の色すら見せないが、まさに国民の生命より中国の顔色優先の奴隷外交そのものである。
◇毒ギョーザ事件と並行して注目される今一つの外交問題は、北朝鮮の拉致被害者の調査と日本への帰還である。
 北朝鮮の巧妙なる手の内は過去に実証ずみだが、今回もまたうすもやのような実効性のない約束を信じて、制裁解除する機運が濃厚である。
 「調査」などは本来必要がないのである。北は完全なる警察国家、スパイ国家であり、拉致日本人は確実にその掌握下にあるはず。1日も早く日本へ帰すこと、これのみが交渉の主眼である。わかっているのかね、と、その腰抜け外交に言いたいのである。【押谷盛利】

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2008年08月08日

苦言と祝福の五輪(見聞録)

 きょう8日夜、いよいよ北京オリンピックが開幕する。世界205カ国の代表1万人以上が28競技302種目に挑戦する史上最大の規模となった。
 言論、宗教、民族への弾圧に反発するテロの不安を抱えるが、宗教も文化も世界観も異なる世界中の選手が参加するスポーツ祭典だけに、主催国の中国に、多様さを受け入れる「深さ」が少しでも身に付けば、と期待したい。
◇数年前、ちょうど反日デモがピークに達していた頃、北京を訪れた。天安門広場から南西2㌔ほどの場末の安宿を拠点に観光に繰り出したが、宿の前の通りは舗装されておらず、砂埃がひどく、近くの公衆便所からは悪臭が漂っていた。各地からの出稼ぎとみられる労働者が溢れ、すぐ近くの道路工事では、つるはしを振り下ろして地面を掘削していた。その様子に、まだ発展途上国なのだ、という印象を強く受けた。
 国際都市の上海に比べ、経済発展から取り残された古都というイメージを強く受け、かろうじて、壮麗な故宮とその前に広がる広大な天安門広場が、北京の威厳を保っているように感じたものだった。
 また、故宮のような歴史的遺産もさることながら、ごちゃごちゃとした通りに、各地からの出稼ぎ労働者や、観光に訪れる「おのぼりさん」が溢れているのも魅力だった。
 その古くて、汚らしくも、賑わいを感じた昔ながらの町並みは、オリンピックに合わせて解体され、真新しい建物に生まれ変わっていると聞いた。北京の魅力が半減した気分にもなるが、1964年の東京オリンピックでも、急ピッチで新しい建造物が建てられた。高速道路を日本橋の上に走らせるなど、今振り返れば、なりふりかまわぬ整備だったという気がしないでもない。
 国際社会への仲間入りのため、無理に背伸びするのが、オリンピック主催国の気持ちなのだろう。
◇きょう開幕のオリンピックは、一党独裁政権の主催とあって、読売、朝日、毎日、産経の主要4紙の社説も祝福ムード一色とはいかない。それぞれを紹介すると―。
 朝日は「限界への挑戦が始まる」「祭典が映す隣国の多難さ」の2本立て。前半は「戦争や貧困、環境問題。そんな国際社会の現実からいっとき離れて、世界の人々が4年に1度、スポーツで競い合う。そしてテレビ中継を通じて同じ時間と感動を共有する。そのことの意味は決して小さくない」と、一般論を掲載し、後半で「経済格差や腐敗、環境汚染など、急速な発展のゆがみが噴き出している。ウイグルやチベットの問題も内政の枠を超えた深刻さをはらむ」とし、「隣国の多難さを思う」と同情している。
 毎日も「開かれた中国へのステップに」「日本の新星の出現に期待」の2本立て。国際オリンピック委員会に中国側が約束した民主化、少数民族対策などの「宿題」を忠実に実行しなかったことが、今回の混乱を招いたと分析。取材規制に対しては「五輪開催都市とホスト国には素顔を全世界にさらけ出す覚悟と度量が求められる」と述べている。
 読売は「世界が中国を注視している」と題し、少数民族問題、経済・地域格差、役人の腐敗、人権問題、報道への様々な制限、記者への暴行、毒ギョーザに代表される食の安全、環境問題など、中国が内包する課題を列挙し、「平和裏に祭典が終わることを願っている」との選手の言葉を紹介。
 産経は「真の国際標準を学ぶ機会に」と題し、テロや邦人記者への暴行について「中国がかかえる民族問題の深刻さと、人権や報道の自由に対する当局の強権的姿勢を改めて世界に印象づけた」とした。「市民の人権や生活を守り、表現の自由を保障し、テロや暴動を起こさせない政治を行うことこそ五輪精神にかなう」「17日間の北京五輪が、中国の多くの人々が真の国際標準を知る機会になることを望む」と締めくくっている。

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2008年08月07日

消費庁なんて誰のもの

 行政の組織を簡素化するのも、公務員改革を進めるのも一言でいえば小さい政府をつくるというアイディアである。
 小さい政府とは金のかからぬ政府、つまり税金上の国民の負担を少なくするという政策である。
 これは小泉改革の一つの柱だったが、福田内閣になって、がたがたと音を立てて崩れてしまった。官僚は既得権を奪われたり、縮小されることには組織をあげて反対するが、逆に新しい機構をつくることには異常なまでに積極的である。
 新しい機構は新しい役所システムと考えれば分かりやすい。今度、消費者行政の担当大臣になった野田聖子氏は、郵政を民営化することには徹底的に反対した。これまでの役所の権限や予算権、事業方針を民間の株式会社に移すわけだから役人にとっては居心地のよい職場を追放されるようなものだ。
 だから、民営化反対者は官僚癒着型、育成型といっていいだろう。
◇その野田大臣が今度は消費行政を消費庁に格上げし、これに関わる役所機構を整備充実するという話だが、なんのことはない、国民の買いたいもの、商人の売りたいものは本来、自由なビジネスである。戦争中の統制経済ならいざ知らず、商品の売り買いに国が出しゃばる権能はないはず。したがって自由経済の今日、組織を複雑にした消費庁などという役所は百害あって一利なしである。
◇結局、消費庁という新しい役所機構を独立させ、目下、世間を騒がせている偽物ブームに喝を入れるという人気取り政策の一環であるが、役人の本音はいろんな外郭団体などをつくり、天下り用に下地を整備することに帰する。
 ひらたく言えば、国民の消費生活を守るという口実のもとに役人の天下り場を増設するということなのだ。
◇福田内閣は役所制度の改革と公務員改革を実現するため安倍前首相の方針に基づき、骨のある渡辺喜美氏を担当大臣としたが、その渡辺氏を一刀両断にクビにした。渡辺氏が強く改革路線を主張し、公務員の天下りに厳しい規制をかけようとしたので官僚は自民党の派バツや福田総理を動かして、追放したまでである。
 この人事一つを見ても福田改造内閣が官僚密着型、癒着型であることが明らかであり、さらに、小さい政府を否定して、逆に役所機構を増やしたり、金食い政府をつくることが鮮明となった。
◇政府が金づかいを圧縮することを考えず、金づかいを荒くすれば、受注する業者は喜ぶかもしれないが、その金は国民の税金である。
 したがって、この内閣はいやがおうでも、必然的に金食い政府になるから、遠からず、増税のおちんが国民の頭上にのしかかる。
 いま、一番望まれるのは、政府内の無駄づかいを徹底的に洗い、本当の意味での小さい政府を目標にしなくてはならぬ。燃料の高騰や消費の陰りなどで、とかく景気が曇り勝ちなのに、増税論などはまっぴらご免である。【押谷盛利】

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2008年08月05日

観光客もグローバル化(見聞録)

 先週の土曜、長浜市の豊公園で開かれたイベント「灯りの森」は、ロウソクに火を灯したガラス容器が暗闇に浮かび上がり、幻想的な空間が市民の話題を呼んだ。
 長浜青年会議所を中心とする実行委が地域愛や家族愛、地球環境などをテーマに開催し、観客5000人(主催者発表)が訪れた。
◇「灯りの森」の会場で写真を撮っていたところ、テレビカメラを持った一団に出くわした。引率の市職員に聞いたところ韓国の済州(チェジュ)島にあるテレビ局の取材クルーだという。
 なんでも、長浜を特集するというので、2日の夕方に長浜入りし、その足でこの会場を訪れた。市民にインタビューして、催しの様子や長浜の魅力などを取材していた。
◇済州島は韓国最南端の島。長崎県の五島列島から180㌔の距離にある。温暖な気候で、海の幸も豊富なため、年間500万人を超える観光客が訪れる。日本からも観光客が多く、ツアーが組まれている。
 しかし、島の宿命か、地元経済は決して元気とは言えず、経済の活性化が課題となっているそうだ。
 そこで、日本でも数少ない成功例として脚光を浴びている長浜の町おこしを取り上げることになったという。
◇国際観光振興機構によると、昨年、日本を訪れた観光客は834万7000人で前年より13・8%増えた。アジア、特に韓国からの観光客が急増し、260万人、全体の3割を占めた。
 国は2010年までに年間の外国人観光客を1000万人にする「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を実施しているが、目標は達成できる見通し。
 今年10月の観光庁発足を機に、2020年までに倍の2000万人を目指す方針だ。
◇外国人誘客を目指すのには訳がある。
 というのは、国内の観光客は少子・高齢化により頭打ちが想定されるからだ。今後、各地で観光客の争奪戦が激しくなるのは目に見えており、今から経済成長著しい東アジアを中心に世界に目を向けるのは、必然だ。
 長浜でも、今後、官民一体の誘客戦略が求められるが、海外のテレビ局、取り分け日本に近い韓国で、長浜がクローズアップされることは観光戦略の明るい兆しといえよう。
◇さて、「灯りの森」会場でテレビクルーが、長浜ロイヤルホテルの浴衣を着て公園内を散策するカップルを取材したところ、日本人ではなく、台湾人観光客だった。
 いよいよ長浜もグローバルな時代になったなと感心すると同時に、本格的に外国人観光客の誘致戦略に動き出す時期かもしれないと感じた。

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2008年08月04日

派バツ政治への逆戻り

 福田改造内閣は古い自民党への復帰体質の色が濃い。
 小泉純一郎元首相が派バツの連合勢力を一蹴して一躍総理・総裁に輝いたのは一にも二にもその明確な改革路線に国民の熱狂的な支持が高まったからである。
 そのときの小泉公約は、派バツ政治の解消であり、これへの熱情は「自民党の解党的改革」であった。解党は壊党につながる悲愴なる決意であった。
 第2の小泉公約は「民でやれるものは民」、第3は公務員改革を含む行政改革であった。第4の公約は靖国参拝であった。
◇この小泉公約を引き継いだのが安倍前首相だったが、党内の守旧派は、安倍氏の温厚さと政治経験の浅さをいいことに、安倍潰しの包囲網を敷いた。彼ら守旧派は安倍潰しに外国勢力を加担させた。中国の反日感情を激発させて、内外からの安倍おろしを画した。
 第1次福田内閣は党内を波立てずに知らず知らずのうちに反小泉、反安倍路線に切り換えたところがみそであり、その苦心の策は安倍改造内閣の大臣をそのまま抱えこんだところに証明される。
◇ところが今度の福田改造内閣は仮面を捨てて、鮮明に古い自民党体質へ復帰を宣言した。
 そのことは命がけで立ち向かった小泉改革を否定することだった。
 第2次福田内閣は派バツ連合内閣であり、党役員も大臣人事も派バツが先行した。
 小泉内閣の目玉である官から民へは、郵政民営化に象徴されたが、福田内閣は民営化反対で党を出た保利耕輔氏を政調会長の要職に、同様の野田聖子氏を科学技術・消費者行政担当大臣に救い上げた。
 第3の小泉公約は公務員改革であったが、安倍内閣以降、終始その最先頭で努力した渡辺善美行革、公務員制度担当大臣をクビにしてしまった。
 第4の靖国参拝は、福田総理の口からは出るはずもないし、あれほど内政干渉してきた中国からの声も消えてしまった。
 国内の反小泉政治家は、中国や韓国の尻馬に乗って、憶面もなく靖国叩きをやっていたが、それもなくなった。
 このことは、福田の政治色が親中国、親朝鮮であることを内外に知らしめた。
 その結果として、アメリカのブッシュ政権を後押しして、核問題の6カ国会議で、いいようにあしらわれて、あげくの果て、拉致問題の見通しのないまま、経済制裁の解除を打ち出してしまった。アメリカはいいこと幸いに、北朝鮮を「テロ危険国家」の指定から解除することにした。
 このことは、日本の安全と平和に関する重大問題につながり、竹島問題とともに長く日本史に屈辱的汚点を残すであろう。
 この点、福田総理は国民を愚弄した。あまりにも北朝鮮寄りの無能外交に気がとがめたのか、拉致問題で小泉、安倍時代から正論を前面に、拉致被害者の家族から信頼されている中山恭子氏を首相補佐官から拉致問題担当大臣に引き上げた。
 この問題の弱腰を目隠しするためのテクニックであり、外堀はすでに埋められている。
◇いずれにしても、古い体質の自民党は復活した。国民は税金での尻ぬぐいだけは許してはならぬ。【押谷盛利】

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2008年08月02日

福田改造内閣の末路

 1日、発足した福田改造内閣は、新しさも魅力も期待もない総スカン内閣の匂いが強い。
 あほらしやの鐘が鳴る、ではないが、国民は嬉しくも悲しくもない、言わば無表情で、なりゆきを見守っていた。
 改造内閣は死期を迎えた病人に最後のカンフル注射をしたようなもので、大臣病患者や派バツの義理を立てて、壇ノ浦に沈みゆく平家のあがきを再現した。
 この改造福田丸は、総スカン内閣とぼくは命名したが、これは国民の声だけではなく、与党である公明党もそんな感じの姿勢であるし、何よりも身内の自民党の中にさえ、暗中模索、どうやって、次の選挙を勝ち抜けばいいんだろうか、と心は選挙区に走り、政治の求心力は気の抜けたビールそのものである。
◇いちいちこの内閣のあほらしさを、あげつらうのも、はばかれるが、一点だけ明確に知り得ることは、男「麻生」の複雑な心境の見せる次期政権と年末前後に予想される衆議院解散の確実性であろう。
◇本来の内閣改造と党三役改選は、総理・総裁の専権事項であるが、今回はその大権を引っこめて、次期政権、総選挙を視野に入れたシフトとなり、陰の実力者が絵を描いた。
 分かり易くいえば、7月の北海道サミットが終わった段階で、福田総理は退陣すべきであったし、政界も国民もそう信じていた。福田の心中を思うものは、もう一度、福田政権を浮上させ、彼の手で解散をさせたかった。しかし、だれがどんな角度から眺めても福田による解散は戦争中の特攻機同様、帰還する燃料なしに敵地に向かうようなもので、自爆か被弾による爆沈が見え見えだった。
◇そこで登場したのが今回の麻生乗り換え機戦術だった。福田内閣は改造内閣で最後の花を咲かせた後、12月前後に辞任する。そして、緊急事態として、党は新総理・新総裁に、麻生を起用する。新麻生内閣の処女性を看板に、いち早く衆議院を解散する。
 この戦術は、北海道サミット後に行われるべき観測だったが、それをしなかった福田の腹は、安倍のお仕着せの内閣から、自前の内閣をどうしても造りたかったのだ。そして、幸いに人気が上昇すれば、それを機に自らの手で解散し、次の内閣にまで視野を広げた。
 しかし、現実は厳しく、時間の経過とともに内閣の人気は下降気味であり、最早や猶予ならず、と遂に8月1日の改造内閣に決着した。
◇さて、ここで、のるか、そるかの大ばくちを選んだのは麻生だった。彼は賢明だから、仮に改造内閣で、無役となったら、彼の政治生命は先細りするだろう、と読んだにちがいない。
 しかし、かといって、福田丸に乗り込めば、ともに泥舟の運命に泣かねばなるまい。そこに彼一流のどたん場の決断と読みがあった。もし、このまま無役で通したら、福田丸沈没の後は、地獄が待ち受ける。だれが次期総裁になるにしても、その手による解散の見通しは暗雲そのものである。よほどの奇跡がない限り、次期総選挙は民主党の圧勝の可能性が強い。そうなれば、「麻生総理」は永遠の夢となる可能性が濃い。
 ここに彼の政治家としての決断のヒントがあり、それを後から支えているのは福田の後見人・森喜朗元首相である。森の実力と手形の信憑性をもとに、彼は土壇場で福田と2人きりで今後と当面の人事を話合った。この会談で、小派バツながら、彼は幹事長のほか、子分を1人大臣に送り込んだ。そのほか党役員人事で津島派の顔を立てた。全体の大臣の顔ぶれを見ても極力、小泉色と安倍色を払って「増税」、「親中」と「反改革」、「人権擁護法」派で、布陣した。年内に彼は福田に代わり、総理・総裁となるだろうが、その後は闇である。【押谷盛利】

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2008年08月01日

外国人との共生考える(見聞録)

 今年は日伯交流100周年。「伯」はブラジルを指す。日本からブラジルへの初めての移民船が渡ってから、ちょうど100年を迎えたことに由来する。
 初の移民船は781人を乗せて、神戸港を出航。ブラジル・サントス港に着いたのは1908年6月18日だった。
 広大な土地を持ちながら農業労働者が不足していたブラジルに、日本の貧しい農村部の住民を移住させる国策で、戦前、戦後を通じて約25万人の日本人が新天地を夢見てブラジルに移った。その子孫は150万人にまで増え、世界最大の日系人社会が築かれている。
 6月にはブラジル大統領主催の記念式典が現地で開かれ、皇太子さまも出席されるなど、両国で祝賀ムードが盛り上がっている。
◇ブラジルは1970年代以降、激しいインフレなどで経済苦境が続いたことから、高度経済成長を迎えていた日本に出稼ぎに来る逆転の流れに。1990年の入管難民法の改正で定住が認められたことで、多くの日系ブラジル人が来日した。安価で融通のきく労働力として製造現場で活躍しているのは、長浜の南米系労働者に見られるとおりだ。
 ただ、企業業績の浮き沈みによって、真っ先に整理の対象とされたり、言語、文化、習慣の違いから日本社会に馴染めない姿を見ると、同じ日本人の祖先を持つ仲間として、複雑な思いになる。
 さらに日系人の子ども達へのサポートも気がかりだ。日本の学校の授業について行けずに不登校になるケースもある。
 長浜市では昨年、外国人児童に日本の学校ルールなどを教える指導教室「和(なごみ)」を開設し、新しく長浜に住む子ども達をサポートし、注目を集めている。しかし、その運営費や指導員の確保も課題となっている。
◇今、ブラジルは、豊富な鉱物資源と農作物を背景に、急速な経済成長を見せており、ロシア、インド、中国を含めた「BRICs」(4カ国の頭文字)の名で、世界経済を塗り替える大国として注目を集めている。
 日本との貿易も盛んで、地球の反対側に位置しながらも、人とモノの交流が他国に比べてひときわ緊密だ。
◇日本は今、外国人と共に暮らせる「多文化共生社会」を目指しているが、彼ら日系ブラジル人の歴史や生き様を学ぶことは、これからのグローバル化社会での日本人の生き方のヒントに繋がるのではないか。
 長浜では市民国際交流協会が10日に曳山博物館で、日系ブラジル人らを追ったドキュメンタリー映画の上映や、座談会などを計画。市民の手で多文化共生の輪を広げようとしている。
 この100周年を日系ブラジル人ら外国人との共生を考える機会としたい。

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