父を殺す子と甘い塩
このごろ思うことは、世の中、諸事、なにごとも砂糖のように甘くなったことである。
戦前は、恐いものの代表格に、地震、雷、火事、親父があげられていた、親父以外は今も変わることがないが、親父は一転して、恐いどころか、甘い部類に移籍した。
もの分かりのよい、やさしい親父で、前の晩は娘とカレーライスを作ったりした。そのお父さんを中学生の娘が夜中に刺し殺した。
最近、埼玉県で起きた事件だが「なんで」と国民みんなが不審がっている。逆に息子に殺された父親もいる。テレビなどで知る範囲の風評は、いずれもいいお父さんだった。
殺した息子や娘は、異口同音に「勉強せよ」と言われるのがいやだったとか、腹が立った、ともらしているが、それだけで親を殺せるものだろうか。
◇ぼくは、つくづく、今の父親はかわいそうだと思う。こんな些細なことが親殺しの動機のように報道されると、それでなくともやさしい父か、今後どう息子や娘に真向えばよいのか。うっかり「勉強しろ」とも言えなくなるのでは。
いつの世でも「勉強しろ」と言うのは、言わば親の務めである。いい子になってもらおう、社会へ出て恥ずかしくない人間になってほしい、との親心があるからこそ、「勉強しろ」と言うのである。世の親で、わが子に勉強しろ、と言わない親があるだろうか。
勉強ばかりではない。ああもしろ、こうもしろ、と口うるさいのは、いい人間になってほしいからで、これが「しつけ」である。そればかりでなく、ときには「やめときなさい」「してはいけません」と抑制したり、ストップをかけることもある。すべては子のためを思うからである。
◇その「ありがたい」お父さんが子に背かれ、殺される、とあっては、今の世は一体、どうなっているんや、親子の価値観は?と今さらの如く自信をなくしている親が多いのではなかろうか。
その原因を詮索すれば、いろいろあげられようが、その一つに、冒頭指摘した、世事一般の甘さがあるのではないか。地震、雷と同列の怖さを持つ親が、戦後一転して砂糖のように甘くなったのはまぎれもない事実である。
獅子は、たくましいわが子の成長を願って、わが子を谷底へ突き落とす、というではないか。父は子を厳しく叱って、いわゆる愛の鞭を加えただけではないか。乃木希典という日露戦争時、旅順を攻略した大将は幼少のころ、泣き虫の弱虫だった。父は希典を鍛えるため真冬、彼を裸にして、井戸の水を頭からぶっかけた、という逸話が残っている。
世の父親が、母親と同じように、わが子にベタベタと砂糖のように甘さをきかせていては、返って逆効果を招くのかもしれない。「なめたらアカンぜよ」と気を取り直しても中学、高校、大学生になった子は、尊敬するどころか、親を見下げるようになる。父の威厳はもろくも潰れ、見るかげもない。
◇つらつら思うに、甘いのは世の父親のみではない。このごろ、我慢のならぬのは、食品がすべて甘み過剰である。
特に問題の多いのは加工食品である。アブラっけと、甘みをつけておけば、人は喜んで食べるものと早合点する。調味料は、日本人の伝統食品の一つだが、味噌、醤油、酢、塩に至るまで、塩加減を甘みにし、本来の辛さ、酢っぱさを失っている。あまい味噌、あまい醤油は口あたりはよいかもしれぬが、醸造の本来の味覚を損ねている。
酢は、もともと酢っぱいものだが、これすら酢味を抑制して、口あたりをよくしているが、ほんまものではないから、体にもよくないし、効果も薄い。なによりも本来の味から遠ざかっている。塩は塩からいものと決めてかかっているが、どっこい、このごろの塩は、甘い。
このような偽もの時代だから、人間の体にもよくないし、人間の心にもプラスにならない。【押谷盛利】
2008年07月28日 18:20 | パーマリンク
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