朝鮮の南北統一問題
政治に疎(うと)いものは、知らず、知らずに一つの強い思想や政治権力の思惑にはまって、結果的には国を誤る世論の形成に一役買うことになる。
政治に疎いというのは、単なる無関心派もあるが、関心はあっても、真実の探求ではなく、表面に現れた団体の宣伝やマスコミの報道に盲目的に慣らされる場合が多い。
◇具体的に例をあげれば、日本には戦後いち早く「原爆反対」、「平和」の市民運動が組織され、その動きは闘争的といわれるほど活発化した。
この場合、原爆賛成か、反対かと迫られれば世界唯一、最初の被害者である日本人が賛成するはずがない。十人が十人、みんな反対である。原爆反対の運動は日本よりも、その保有国である米、英、仏、中国、ロシアにおいてこそ盛り上げるべき政治課題である。「平和」についても同様で、日本人で戦争賛成、平和反対論者は一人もいない。それをいいことに「平和」の名を掲げて市民運動を組織するのは、原爆と同様、その背景には政治思想の陰謀が秘められている。
つまり、大衆運動と結びつけることによって、社会主義革命への前線整備が目的なのである。分かり易くいえば誰もが共感し、納得できる闘争目標をもって、集会、デモ等に参加させ、その参画行動が社会主義教育の実践的効果を果たすのである。
こうした大衆組織が他の労働組合や学生団体と統一的に全国レベルの大衆闘争に発展させることが政治、思想面における陰の指導者の戦略なのである。その大衆闘争は、かつては、昭和34・35年の安保闘争で国会周辺の治安を麻痺させた。明らかな政治闘争であり、革命の予行演習でもあった。
◇いま、朝鮮半島で、南北共通の民族的悲願は、南北統一であろう。同じ言語、同じ民族でありながら、北と南に政治的に分断国家を形成しているのは、不合理であり、両国民にとっての不幸でもある。ましてや、そのことが国際社会の平和に影響ありとせば、両国の統一は国際的にも歓迎されるべき課題といっていい。
ただし、問題は統一の課程であり、統一後の国家形態の姿である。目標は正しく、民族の悲願でありながら、これが進まないのは、北と南の政治権力の違いと、国家の成り行き、政治そのものの質の違いが相反するからである。
◇人権が保障され、思想、宗教、職業、結社、集会、表現、デモ等の自由が許される国、つまり、自由、民主主義国家として統一されることが朝鮮半島の民族としては最もベストの選択であり、そうあるべきだと思うものの、実際の半島の政治縮図はそういう方向には至っていない。北は明らかに労働党支配の独裁国家であり、総書記とも将軍とも呼ばれる金正日権力が国民の死活を握っている。逆に南の韓国は、西欧民主国家の道を選び、大統領は国民投票によって決められ、政権は国会の承認によって政治をすすめる。
◇この二つの南北両国家は、思想的、政治的に全く相反するから、一口に統一といっても、先進国のような選挙によるわけにはゆかぬし、統一後の政治のあり方についても意見は全く対立する。
このような考えに立てば、望ましい統一でありながら、道は遠い。しかし、国民の声は統一への関心が高い。一つには、真実を知らずに、統一そのものが王道楽土に結びつくかの如く思っているか、あるいは政治的に溝を埋めようとする思想工作に乗せられているからであろう。
いま、韓国において「南北統一」の世論がかき立てられているのは明らかに北側の工作の成功といえるし、その統一の実現は最終的には北の軍事力による武力支配につながる。いわば、北は、目下、韓国内での革命の演習を政治日程にしているのであり、一つは米牛肉の反対デモである。ねらいが巧みなばかりに、真相を知る人は少ない。【押谷盛利】
2008年07月16日 15:54 | パーマリンク
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.shigayukan.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2158

- 07月 17日 李大統領を敵視する北
- 07月 16日 朝鮮の南北統一問題
- 07月 15日 領土問題への姿勢(見聞録)
- 07月 14日 北に殺された韓国女性
- 07月 11日 伊吹山再生の行方(見聞録)
