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萎みゆく明日へ警告

 明日は「あす」とも「あした」とも読む。人類の一番原始的な夢は「あした」かも知れない。アフリカのソマリア出身のモデル、ディリーさんの「砂漠の女」に大自然を生きる古里の生活が描かれている。
 時計もなく、暦もなく、戸籍もない人々の暮らしは、家族が世界であり、朝が来れば水の確保と羊やラクダとの暮らしが始まる。夜が来れば、明日を信じ星を仰いで眠る。明日への希望が彼らの生活のはずみとなる。
 彼らは「今日(きょう)」がある、という厳然たる事実を家族の愛の中で、日が落ちるまでの砂漠での家畜たちとの生活の中で確認する。今日という確かな1日は彼らの唯一の生き甲斐であり、幸せの象徴である。
 彼らにとって「あした」は未知の世界だが、しかし、希望を抱きつつ明日を信じる。「今日があるから明日もあるだろう」と確信する彼らは、今日がそのまま明日につながってゆく神秘性ゆえに1日を集中して昇華してゆく。
◇「今日があるから明日がある」、「今日が消えて明日が生まれる」。素朴な古代の人々は朝日に合掌し、夕陽に祈った。「あした」「あした」を重ねつつ、播いた種の成育を楽しんだ。今日の苦労は明日の肥料である、と信じた。いい花を咲かせよう、いい実を生(な)らせよう…との願いは今日を最高に充実して送ろう、の情熱と勇気をはぐくむ。
◇昔から日本では「女は弱し、されど母は強し」と言い伝えられてきた。女性の弱さは肉体的非力を言ったもので、皮相的、外観である。ところが、その弱いはずの女性が母になると、がぜん、強くなる。それは「子」ゆえに強くなるのであって、子を守り、育ててゆく本能といえよう。
 なぜ、母が子を必死に育て、守るのか。それを考える人は鳥であれ、けものであれ、すべての生きものの生きざまを見るとよい。
 人間のように、教育の場があるわけでなく、大自然の意志といってもいいが、天地創造の神さまの御心ということが出来よう。
 明日の幸せ、明日の繁栄に直接つながるのが種族の今日の無事であり、無事の証しが、子孫繁栄へつながる繁殖行為につながってゆくわけで、人智を超えた本能である。本能こそは天地創造の神が最初にインプットされたすべての生きものへの贈り物といえよう。
◇今の世は、大自然の恩恵を踏み外して、いちじるしく人工の世を開拓した。いわば限りなく神の御心にそむき、科学万能を極めようとしつつある。その弊害は具体的には地球の温暖化や災害につながってゆくが、恐ろしいことに生物の明日に夢が萎みつつあることだ。
 生物の明日は、今日より発展的に、今日より幸せに…と歴史は教えてきたが、その明日への夢が萎み始めた、というのはどういうことなのか。それは種の弱体化や滅亡につながる不安要素と思えばよい。
 他の動植物界はすでに弱体化、滅亡の道へ転落しつつあるのは、学者の研究による指摘の通りである。
◇では、人間界はどうなるのか。本当に明日への夢が萎み始めたのか。
 たとえば少子高齢化が進めばどうなるのか、そういう時代を予測したとき、われわれの子孫はどんな生活を余儀なくされるのか。
 今、突発的な殺人犯罪が話題となっているが、環境と食生活の汚染が人間の体と心をゆがめる公算はますます強くなってゆく。医療費が国民経済を圧迫するだけでなく、心の病気が世の秩序安全に障害をもたらす危険が加速する。
 一面では性の神秘が破壊され、性の倒錯が恒常化し、童貞男が増えてゆく。国民はクスリ漬けとなり、クスリに人生がコントロールされてゆく。
 「明日を思う」救国の人、出でよ。【押谷盛利】

2008年06月23日 15:21 |


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