「よみがえれ古里」運動
「郷愁」を大辞泉で引くと、①他境にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア②過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。と説明している。
言葉を換えれば母を思う気持ちであろうし、幼な馴染みの友を連想する人もあろう。
西条八十作詩、古賀政男作曲の「誰か故郷を想わざる」は高齢者ばかりでなく若い人にも知られている。
「花摘む野辺に 日は落ちて みんなで肩をくみながら 唄をうたった帰りみち 幼な馴染みの あの友この友 ああ 誰か故郷を想わざる」。
これも古い話だが生命の長い歌謡曲にペギー葉山の唄った「南国土佐を後にして」がある。
「南国土佐を 後にして 都へ来てから幾年ぞ 思い出します 故郷の友が 門出(かどで)に歌った よさこい節を 土佐の高知の ハリマヤ橋で 坊さんかんざし 買うをみた よさこい よさこい」。
郷愁で最もポピュラーな歌は「兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川…」である。
郷愁のイメージは何か。母であり、山河であり、友、その他、蛍狩り、盆踊り、初恋、夢。
◇いま、なぜ郷愁なのか。実は故郷がだんだん昔の面影をなくしつつあり、兎追いし山や釣りをした川が姿を変えてしまったことが国政上の問題になっているからである。
人の住んでいた集落から人が出ていって、廃村になったところもあり、そこまでゆかなくとも空家ばかりが多くなって、住む人の半分以上を老人が占めるという限界集落、もしくはそれに近い村が増えつつある、この現状。
◇故郷の消滅や変形はもろもろの日本の今日的危機を象徴しているともいえる。
お年寄りと医療、福祉は避けて通れぬ今日的課題であるが、かつては旧村単位に存在した医院や診療所が消えて、老人たちの医療機関への距離が遠くなり、農村地域の人口減による路線バスの休止などが老人の足を奪う結果になった。
◇農山村の人口は減るばかりだが、それを具体的に証明するのは各世帯の構成員の実態である。
若い夫婦が村を離れてマンションに、あるいは独立家屋に移住するから、どの村の家も老人世帯が圧倒的に多くなる。必然的に高齢者は年と共に病気勝ちとなり、施設へ入るか、息子の家に引きとられるか、家で最期を送るかであるが、家を出た息子らが再びわが家へ変える確率は極めて少ない。いきおい、家は潰すことはしないが、住むものがなくて腐朽がひどくなる。そういう現象が年々継続するから人口は減る一方で、限界集落があちこち目立つようになる。
◇限界集落化すれば山や川を守るものはなく、村はイノシシ、猿、熊、鹿などの獣害を受けるし、みるみる活気を失い、治山、治水、村人の医療福祉、村の維持その他で、国や県、市の行政上の助けを求めねばならず、なによりも気になるのは田畑の維持管理である。
◇誠に残念なことだが、いまの二世、三世は、戦中、戦前派のような古里意識がなくなった。そのことは神社や寺の維持にも関わるし、親類縁者の疎遠にもつながってゆく。それが都会にも反映し、人間疎外なる心の砂漠化を押しひろげてゆく。「よみがえれ・古里」運動を提唱するゆえんである。【押谷盛利】
2008年06月04日 13:30 | パーマリンク
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