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2008年06月30日

牛肉と韓国の反米闘争

 日本と韓国。この両国の関係がおかしくなっているのが悲しい。両国は近くて遠い国なのか、遠くて近い国なのか。地勢的には、対馬海峡を一つ隔てた至近の隣国である。歴史的には古代から彼我の交流は密接で、仏教を含む大陸の文化や産業は韓国を通じて日本に入った。
 朝鮮半島は地勢的にロシアや中国と地続きであるため、国際的刺激にふれ過ぎて国の独立と人民の幸福が歴史とともにその振幅を大きくしてきた。
◇日本と韓国の2国間の歴史を分析するのは他日に譲るとして、目下、韓国問題と北朝鮮について触れ、日本の国益を考えてみたい。
◇1945年の日本の敗戦を契機に朝鮮は日本の植民地から解放され、1948年、北韓38度以北は北朝鮮、以南は韓国として独立した。北は金日成を主席とする共産党国家で、中国やロシア(旧ソ連)の支援を受け、韓国は李承晩大統領による民主国家を目指しアメリカの支援を受けた。
 北と南が破局的な衝突をしたのが1950年の朝鮮戦争であり、北朝鮮軍がソ連の支援のもと、韓国に侵攻し、ソウルを席巻し、一時は釜山に達する勢いだった。しかし、国連軍や米軍の支援で戦局は一転し、53年に休戦協定が成立した。
◇以来、北と南は互いに反目しあい、今日に至るまで国境での軍事的トラブルや、黄海での北の軍艦による韓国船攻撃、北のスパイの摘発など、両国の緊張は今も続いている。
 しかし、韓国側は、金大中、廬武鉉大統領の時代から対北外交に180度の転換がみられ、いわゆる太陽政策なる融和政策を進めるようになった。これは教育面と労働運動のなかで巧妙に進められた北の思想戦の成果といえるが、その太陽政策のカードに利用されたのがアメリカと日本だった。
 北は、武力による韓国統一を目前にして、アメリカに潰された恨みから、反米を最大の国是として、その声を韓国に浸透させ、反米感情を組織化することに工作とスパイの重点を置いた。同時に、アメリカと軍事同盟を結ぶ日本をアメリカ従属の敵として、日本叩きを韓国政治の基本にした。
◇金大中、廬武鉉の時代を経て、韓国内は不思議な現象が見られるようになった。これまでは、北の武力トラブルや大韓航空機の爆破事件、韓国民の北による拉致、北のスパイの上陸や工作などに強い姿勢で対処してきた方針がすっかり変わって、何か不幸な事件が起きるごとに、それを大きく報道することを避け、外交の重点に北を支援し、北と親交することを政府の方針とした。国内の不安や政治的、経済的混乱などが生じると、それをアメリカのせいにする空気を意識的に高めてきた。
 それは、北と南を分断させている元凶はアメリカだとし、アメリカの軍事搾取によって韓国民は犠牲を強いられ、アメリカの従属国家とされている、と分析し、ことあるごとに「アメリカ出てゆけ」と、アメリカ軍の撤退を要求するようになった。これは北の工作が効果を上げた結果で、悲しいかな、その工作の真実が隠されて、一般韓国民は北の独裁支配の飢餓と人権無視に鈍感にならされてきた。
 その反米闘争のカモにされたのが米国産牛肉である。李明博大統領がこれまでの親北外交をチェックし始めたとたん、いち早く、李政権打倒闘争を組織し、その戦略に米国産牛肉を取り上げた。生後30カ月以上の牛肉は安全であるとして、輸入再開が米国と合意されるや、なだれ現象の如く、輸入反対のデモが連日、ソウルで展開され始めた。牛肉こそ、いい迷惑で、デモを組織するねらいは牛肉にあるのではなく、反米そのものが目的なのである。李政権を潰して、再び親北政権を、との戦略がそこにあることを知るべきだが、日本のマスコミは知らぬ顔をしている。韓国内の牛肉デモは北と北のスパイ、工作隊の連合による反米闘争と知るべきである。【押谷盛利】

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2008年06月27日

第2の夕張市の危機(見聞録)

 今、近江八幡市が揺れている。市立総合医療センターが生み出す赤字が市の財政を圧迫し、このまま放置すれば「数年後には第2の夕張市」になるとされているからだ。
 市立総合医療センターは、市の財政負担を軽減するため、建設や運営に民間資本を活用する「PFI方式」を取り入れ、2006年10月に開業した。前市長が旗ふり役となり、日本初のモデルとして注目を浴びた。
 大手ゼネコンの大林組が100%出資する民間会社SPCが病院を建設して建物を所有。給食や清掃、警備、滅菌など医療行為以外の業務を担当し、開院30年後に建物を市に無償譲渡するというもの。
 市とSPCが結んだ契約の総額は682億5000万円にのぼるが、当時の試算では、市が独自に建設、運営するより出費を56億円減らせるはずだった。
◇医療センターの前身、市民病院は43年間の運営のうち、39年間黒字を維持し、自治体病院の優等生だった。
 ところが、医療センターは開設して1年目の2007年度に、24億円の赤字を出した。市は基金8億5000万円を取り崩してセンターへ貸し付けるなど、資金繰りが悪化した。
 専門家チームは、このまま放置すれば、2013年度末に債務が約70億円にまで膨らみ、市が財政再生団体に転落する恐れがある、と指摘している。
 財政再生団体への転落は企業でいう倒産にあたり、夕張市のように国の管理下に置かれて、あらゆる住民サービスが犠牲になることを意味する。
◇26日夜、近江八幡市の文化会館で、地元住民有志による「近江八幡を救う会」が医療センター問題について市民集会を開いた。
 会場に入りきれない市民がドアを開け放ち、通路に椅子を並べての熱気溢れる会となり、市民の関心の高さをうかがわせた。
 会では、冨士谷英正市長が赤字問題の原因や改善策について解説した。
 それによると、根本的な赤字の原因は、収入が予測よりも少なくても、SPCへの支払い額が契約で固定化されていること。さらに、前市長がSPCと結んだ契約の不透明さも指摘した。例えば▽建設費の30年間分の金利負担が99億円にのぼり、その利率は破格の5・37%▽所有権移転の手続きだけで3億4000万円▽発生していない修繕費2億円(年額)の支払い―など。
 冨士谷市長は、SPCとの契約を解除して病院建物を買い取り、運営業務も市が担当する方針をSPC側に打診しているが、受け入れられず、弁護士同士の論争に発展していることを明らかにした。
◇民間資本の活用は、自治体の財政負担を軽減させるはずではなかったのか?
 今回の医療センターの赤字化の最大の原因は、「日本初のPFI」との触れ込みに踊らされ、業者サイドの計画を十分に検証せず、採算ラインを度外視して豪華な病院を造ったためだ。
 その責任は業者の提案を鵜呑みにした市と市議会にある。
 「民間にできることは民間に」との流れは「小さな政府」を目指すうえで不可欠だが、どんぶり勘定の収支予測と業者任せの計画で、自治体がコントロール機能を失えば、税金が企業利益の犠牲にされかねない。
 近江八幡を教訓とすべきだろう。

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2008年06月26日

ウソで固めた話と総理

 「ウソつきはドロボーの始まり」とは、子供のころから聞く話だが、サルカニ合戦のサルにしろ、狼少年にしろ、その結末は哀れを誘って一巻の終わりとなる。
 英会話学校「NOVA」の猿橋望(さはし・のぞむ)元社長が逮捕された。
 とかくの噂がたえなかったが、ウソで固めた経営方針に狂いが生じ、最後は3億円の横領という恥ずかしい容疑で臭い飯を食うことになり、事業は破綻(はたん)した。
 人間がインチキ商法に引っかかるのは、かかる方にも一端の責任はある。例えば教育関係なら、○○の資格が優先的に取得できるとか、他の大学へ編入の特典あり、就職引っぱりだこ、などと好条件を並べたてる。
 商売上なら、代理店契約で、会社からの委託商品の販売で利益を保障するとか、購入先を紹介するとか。
 機械や設備を買わされて、製品の買い上げを保障するなどと、好条件で「もうけ欲」を刺激する。
◇欲に弱いのは人間の共通の心理だが、その欲にうまくつけこむのがサギ師である。
 逆にいえば欲の皮が厚いほどサギ師に乗せられやすい。
 例えば資金を出せば月5%の配当を保証するという手がこれである。これは利息ととらえてもよいが、どんな企業でも月5%というようなバカげた金利を払ってまともな経営が出来るわけがない。
 月5%の利息なら年利は60%ということになる。
 常識的判断が作用すれば明らかにインチキと分かるが、欲ぼけが高(こう)じると真偽の判断が狂ってしまう。
◇政治の世界でも同様である。日本の総理といえば、日本の政治を左右する最高の権力者だけに、常に選挙を思い、国民受けをねらうから、それが欲となって真実を見る眼がくもることがある。
 例えば福田さんは北朝鮮との国交に一歩前進の姿を見せ、「拉致被害者を再調査する」という北の話をまる受けして、これまでの経済制裁の解除や北の船の日本の入港を認めることにした。
 北の言質(げんち)がどれほど不信に満ちているか、は、日本国民、みんなが知りすぎるほど知っているのだ。
 ウソで固めたこの国は、民主国家ではないから情報は閉ざされたままであり、日本人の拉致被害者が現実にどんな暮らしをしているのやら、何人が殺されているのやら、全く明らかでない。
 そして、これまでの交渉では、いちいち判で押したように、「拉致はありません」、「すでに解決ずみです」と繰り返してきた。だから、今度、再調査するといっても、あとで、「調査したがいなかった」、「何人が死んだ」と答える可能性が見え見えである。
◇全く信用できぬ話なのに、総理がそれに乗るのは、米と北との交渉で「乗り遅れてはまずい」、あるいは、「北と外交の道筋をつければ点数が稼げる」という欲があるからだ。
 個人の欲ぼけは借金をふくらませたり、事業の破綻に結びつくだけだが、国の総理の欲ぼけは一つ違ったら国の独立や国民の安全をないがしろにする危険がある。
◇これ以外にも政治家の欲ぼけが世の中を悪くしたり、国民に重税をかける原因となるケースが多い。
 道路族やダム族などはウソで固めて国民の信託にドロをぶっかける手合いと思えば間違いない。
 眉に唾をつけねばならぬとは、飛騨牛売りの商人や吉兆の社長ばかりの話ではない。【押谷盛利】

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2008年06月25日

判コと振り込めサギ

 「ほんまにほんま?そのうそほんま」。笑い話ではないが、人の世は真実を求めながら、どこまでが真実で、どこからウソか皆目(かいもく)見当がつかない。
 昔は今より世の中がおおらかだったのか、粗悪品のことを安ものときめていた。インチキでなしに安売り専門に品質を落としたり、加工の技術を三流にした。
 その結果、売る方も買う方も「安かろう、悪かろう」とアウンの呼吸で取引した。
 今は、悪い商品を良い商品並みに売って荒稼ぎする不徳漢が増えてきた。それが「偽」の商(あきない)の当世流で、商業道徳などはカビが生えて倉庫で眠ったままである。
◇ウソつきは地獄で、エンマさんから釘抜きで舌を抜かれる、と子供のころ聞いていたし、地獄絵図で、その恐ろしい姿を見たことがある。
 ウソやおまへん、と真実を主張しても世間では「そうか」と素直に聞いてもらえんから面倒でも法律が顔を出さねばならぬ。
 早い話が「判コ」である。判コ好きの日本人は、よっぽど人が信じられぬのか日常生活でも経済行為でもやたらと印鑑を使いたがる。
 首より大事な判コと、ぼくの祖母はよく言っていたが、その大事な判コに「軽印」と「実印」のあるのも変な話である。実印がほんまの判コなら軽印は偽ものか、そんなことなら判コの意味がなくなるではないか。
 どこが違うのか。実の方は役場に届け出がしていて、「これは本ものです」という印鑑証明が発行される。
 銀行から金を借りる場合、借用証を出すが、それに押す判コが実印で、「ほんまもん」であるとの印鑑証明を添付しなければならぬ。
 ならば、軽印はどうでもいいのか。街頭の安売りの判コにはいろんなのがあるから、もし失ってもそこで代わりを買えばいい。
 そんな程度の判コを、だれもがどこでも気楽に使うが、それを一切、「ほんもの」と思う社会習慣は、考えれば変てこな話である。そんないい加減な判コなら、いっそのことやめて、西洋風にサインした方がましではないか。
 そう考えるもの分かりのよい人が増えつつあるのか、このごろは宅急便や書留便の受け取りもサインでOKというようになった。
◇人が人を信じられなくなったから、役所や警察などは本人と間違いないか、を確かめるため、運転免許証とか健康保険証の提示を要求することがある。これだって他人のものを盗んで使う手もあるし、現に国際的犯罪では盗んだパスポートを巧妙に利用する。
 「もし、もし」の電話による振り込めサギなどは、証明だの、印鑑だの、面倒なものは一切無しで、口先三寸の見えない演技で何百万円ものカネを振り込ませている。
◇「ようやる」ではなく、「ようやられる」と、被害者にあきれるのだが、これはあきれてはいけない。被害者のこころは日本人全体に通じる「責任感」、「わが子への愛情」、「世間さま」を思うお人好し、まじめ人間の集約化された一例と見るべきである。
 近代化の進む核家族化現象が老後の生活や高齢者の医療介護などに悪影を投じているにも拘わらず、日本には厳然として「恥を知る」美学や、「わが子の不幸は一家の不幸」とする連帯感や「子のためなら私の命でも」とする母の愛など、とっくに消えているかと思う美徳が今なお生きていると尊さを思うべきである。
 インチキの電話にはまっての「やられ損」は悲しいし、悪い奴は憎いが、判コがなくとも人の話を真実と受け取る人のよさ、人を信じるおおらかさがまだ残っていることを嬉しく思う。【押谷盛利】

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2008年06月24日

ストップ!お役所依存(見聞録)

 大阪府の橋下知事が猛烈な財政改革を迫られるように、地方自治体の財政難は深刻度を増している。
 将来のランニングコスト、需要予測を見誤った公共施設、道路の建設、過剰な住民サービスの提供といった過去のツケに加え、高齢化社会での福祉費、医療費の増大が財政難の原因と分析できるだろう。
 自治体の場当たり的な支出や議会のチェックの甘さも指摘されようが、一方で住民の自治体サービスへの期待や甘え、政治に対する無関心が根源とも言える。
 税金を支払う住民が自治体を運営する心構えで、地方自治に関わるべきなのに、「税金はしょせん他人のお金」「市役所に任せられる仕事は市役所に」といった具合に、何でも自治体任せにしてきたツケではないだろうか。
◇旧浅井町で4年前、「澄川(すみかわ)革命」なる取り組みが行なわれた。
 これまで県に頼っていた一級河川の美化活動を地域住民自ら取り組もうというもの。
 当時、旧浅井町内を流れる草野川では柳などの樹木や雑草が、人が立ち入れないほどにまで繁茂。放置すれば、台風や大雨の増水時に、流された木々や草が流れをせき止め、氾濫の恐れがあった。美観も損なわれていた。
 住民からは災害を心配する声が出ていたが、管理者の県に財政の余裕はなく、放置されたまま。
 そこで旧浅井町が町民から一口1000円のカンパとボランティアを募って、樹木の伐採に乗り出した。町予算の持ち出しゼロを原則に、住民の善意に頼ったこの活動に流域住民が手を取り合って協力した。
 県が管理する一級河川を、カンパを募って住民ボランティアで整備する取り組みは珍しく、当時の滋賀夕刊でも「美しい川を住民の手で」と報じられた。
◇あれから4年、市町合併後、澄川革命と呼ばれた草野川の整備活動はストップしていたが、今月22日の日曜日、地元の上草野連合自治会(有木重實会長)の関係者ら23人が草野川の約1㌔で樹木の伐採に取り組んだ。
 以前に刈り取った樹木の繁茂が目立ったためだが、今度は、自治体の呼びかけではなく、連合自治会が自主的に取り組んだ。
 チェーンソーで河川内の樹木を伐採し、枝を払ってクレーンでトラックに積み込んだ。約5時間かけて2㌧トラック8台分を運び出した。蒸し暑い中でのボランティアに脱帽である。
 大雨による増水被害を懸念し、住民自らが率先したこの活動は、これからのコミュニティのありようを示しているようだ。
◇振り替えれば1995年の阪神淡路大震災。この未曾有の大災害は自治体の想定をはるかに超え、救命活動や安否の確認は近所同士の助け合いだった。
 この頃から戦後衰退していた地域社会の連帯感や、コミュニティの役割が改めて見直されてきた。
 高齢化社会の中で自治体の経営難、コミュニティの希薄化が懸念されるが、何でも「お役所任せ」にする無責任、無関心な生活にそろそろ終止符を打つ時なのかもしれない。
 住民ができることは住民が行い、税金は自治体にしか取り組めない分野に用いるべきだろう。
 なお、7月5日朝には長浜新川で「クリーンアップ作戦」が計画されている。午前8時に六荘公民館前に集合。嘉田由紀子知事も参加する。ボランティアの申し込みは湖北地域振興局河川砂防課(65)6639へ。

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2008年06月23日

萎みゆく明日へ警告

 明日は「あす」とも「あした」とも読む。人類の一番原始的な夢は「あした」かも知れない。アフリカのソマリア出身のモデル、ディリーさんの「砂漠の女」に大自然を生きる古里の生活が描かれている。
 時計もなく、暦もなく、戸籍もない人々の暮らしは、家族が世界であり、朝が来れば水の確保と羊やラクダとの暮らしが始まる。夜が来れば、明日を信じ星を仰いで眠る。明日への希望が彼らの生活のはずみとなる。
 彼らは「今日(きょう)」がある、という厳然たる事実を家族の愛の中で、日が落ちるまでの砂漠での家畜たちとの生活の中で確認する。今日という確かな1日は彼らの唯一の生き甲斐であり、幸せの象徴である。
 彼らにとって「あした」は未知の世界だが、しかし、希望を抱きつつ明日を信じる。「今日があるから明日もあるだろう」と確信する彼らは、今日がそのまま明日につながってゆく神秘性ゆえに1日を集中して昇華してゆく。
◇「今日があるから明日がある」、「今日が消えて明日が生まれる」。素朴な古代の人々は朝日に合掌し、夕陽に祈った。「あした」「あした」を重ねつつ、播いた種の成育を楽しんだ。今日の苦労は明日の肥料である、と信じた。いい花を咲かせよう、いい実を生(な)らせよう…との願いは今日を最高に充実して送ろう、の情熱と勇気をはぐくむ。
◇昔から日本では「女は弱し、されど母は強し」と言い伝えられてきた。女性の弱さは肉体的非力を言ったもので、皮相的、外観である。ところが、その弱いはずの女性が母になると、がぜん、強くなる。それは「子」ゆえに強くなるのであって、子を守り、育ててゆく本能といえよう。
 なぜ、母が子を必死に育て、守るのか。それを考える人は鳥であれ、けものであれ、すべての生きものの生きざまを見るとよい。
 人間のように、教育の場があるわけでなく、大自然の意志といってもいいが、天地創造の神さまの御心ということが出来よう。
 明日の幸せ、明日の繁栄に直接つながるのが種族の今日の無事であり、無事の証しが、子孫繁栄へつながる繁殖行為につながってゆくわけで、人智を超えた本能である。本能こそは天地創造の神が最初にインプットされたすべての生きものへの贈り物といえよう。
◇今の世は、大自然の恩恵を踏み外して、いちじるしく人工の世を開拓した。いわば限りなく神の御心にそむき、科学万能を極めようとしつつある。その弊害は具体的には地球の温暖化や災害につながってゆくが、恐ろしいことに生物の明日に夢が萎みつつあることだ。
 生物の明日は、今日より発展的に、今日より幸せに…と歴史は教えてきたが、その明日への夢が萎み始めた、というのはどういうことなのか。それは種の弱体化や滅亡につながる不安要素と思えばよい。
 他の動植物界はすでに弱体化、滅亡の道へ転落しつつあるのは、学者の研究による指摘の通りである。
◇では、人間界はどうなるのか。本当に明日への夢が萎み始めたのか。
 たとえば少子高齢化が進めばどうなるのか、そういう時代を予測したとき、われわれの子孫はどんな生活を余儀なくされるのか。
 今、突発的な殺人犯罪が話題となっているが、環境と食生活の汚染が人間の体と心をゆがめる公算はますます強くなってゆく。医療費が国民経済を圧迫するだけでなく、心の病気が世の秩序安全に障害をもたらす危険が加速する。
 一面では性の神秘が破壊され、性の倒錯が恒常化し、童貞男が増えてゆく。国民はクスリ漬けとなり、クスリに人生がコントロールされてゆく。
 「明日を思う」救国の人、出でよ。【押谷盛利】

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2008年06月21日

拉致問題とフヌケ外交

 政府や政治家は日本の国益と国民の安全を守るのが最大の使命であると思うが、いま、政府の進めている北朝鮮外交はその点で憂慮されている点が多く、国民の安全と国益をどう考えているのか、注目したい。
 最近のニュースで、北朝鮮が拉致被害者の再調査をするとか、38年前の1970年に起きた日航ハイジャック事件の犯人たちを返すとかの約束を信じて、これまでの経済制裁や北朝鮮の船舶の入港を認める、などを約したことを知った。
 ぼくは、以前にも書いたが、北朝鮮の金正日独裁政権は箸にも棒にもかからない悪魔のような国である。
 日本人の拉致被害者は100人を超えるであろうといわれているのに、これまでそれを否定し続けてきた。小泉さん時代に5人を返したが、それで幕は下りた、と勝手に放送して、ことあるごとにこの問題は解決ずみ、と放送してきた。
 小泉さんの2回目の交渉のとき、残された何人かは病死、事故死と証拠もない話を「調査の結果」と、うそぶいたことがある。こともあろうに、横田めぐみさんの遺骨だとして、別人のだれの骨か分からないものを送ってきた事実がある。
◇以来、この国は、拉致問題は解決ずみ、調査の結果は、あれでおしまいと言い続けてきた。
 それなのに、いまアメリカとの核交渉で、アメリカから「ならずもの」と「テロ支援国」の極印を解除してもらうために、いままで否定していた拉致被害者を再調査すると言明した。
 そればかりか、ハイジャックして日本から逮捕状の出ているヨド号事件の犯人グループを送り返すという。
◇ぼくは拉致問題解決には制裁と交渉の2面作戦しか効果が上がらぬとする安倍前首相の政策を立派であり、当然であると支持してきた。
 しかし、福田さんになってからころっと様相が変わってきた。当初から北と中国にベタベタとほほえみかけてきた。
 中国のチベットにおける人権弾圧に何らのコメントすら出来なく、北京オリンピックの入場式出席予定についても民主国家の総理らしい権威を失っている。
 そして今回の北朝鮮への制裁解除のゆるフンぶりである。
 再調査するというのは、口先だけである。それは過去の経緯が明白に示しているではないか。
 真に北が誠実と反省の心があれば、謝罪して、すべての拉致被害者を送還させるべきではないか。その送還の実績を見た上で、始めて制裁の解除がなされるべきである。
◇それなのに、北は拉致被害者でなく、ヨド号ハイジャックの赤軍派を返すという。日本は経済制裁のカードにヨド号犯人を掲げたことはない。
 彼らは国法を破り、志願して北に骨を埋める覚悟の確信犯である。彼らは北では反日教育で洗脳され、日本人拉致の犯罪に手を貸した民族の裏切りものでしかない。
 いまさら日本に帰ったとて、日本のために何の役に立つのか。恐らく北の工作員と連携し、北を祖国としてスパイ活動したり、北の利益のために奔走するだろう。
 たとえ帰っても、一時的には日本の法律で逮捕され、刑務所へ入るだろうが、いずれは出所する。30年以上も前の犯罪だが、彼らが残した赤軍派のテロ活動は国際的なテロ行為に発展し、世界からひんしゅくを買った事実は今も消えない。
◇今度の北朝鮮に対する甘い外交をめぐって、安倍元首相と、自民党内の親北朝鮮派の山崎拓前副総裁が対立しているが、ぼくは国益に立つ安倍さんを高く評価したい。
 安倍さんは演説で「政府以外の人が甘いことを言って北朝鮮と交渉するのは百害あって利権ありかと言いたくなる」と批判したのは勇気ある発言で、北や中国にベタベタする政治家は究極は日本を売るのではないかと案じるのである。
 拉致は人ごとではない、国民みんなの心配事と思うべし。【押谷盛利】

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2008年06月20日

ごり押しダム建設(見聞録)

 国土交通省近畿地方整備局は淀川水系の4ダムの推進を打ち出す計画案を公表した。
 計画案は昨年8月に発表した原案通りで、余呉町の丹生ダムをはじめ、大戸川ダム(大津市)、天ケ瀬ダム再開発(京都府宇治市)、川上ダム(三重県伊賀市)の4ダムを建設するというもの。
 今後、関係府県に計画案を提示したうえで、決定する。
◇しかし、整備局の計画案については「見切り発車だ」と批判が集中している。
 というのも、諮問機関である「淀川水系流域委員会」がダム建設を不適切と判断しているにもかかわらず、その意見を無視して計画を原案通りに推し進めようとしているからだ。
 そもそも、流域委は、これまでの行政主導のダム計画に住民の意見を反映させるために誕生した画期的な組織だった。
 1997年の河川法改正では河川整備に住民の意見を反映させることをうたっている。
 これまでの河川整備は、流域住民の声が届くことなく、国が画一的に計画を策定していた。
 それぞれの河川は、形が異なれば、想定される災害の規模も違う。治水、利水などダムの用途も異なれば、流域に住む住民の思いも様々だろう。
 つまり、そういう多様な流域住民の意見を計画に反映させようとしたのが河川法改正であり、流域委はそのシンボリックな存在である。
◇流域委は2001年から7年にもわたる会議を重ねて流域住民の声を聴き、ダムの効果を分析してきた。
 そして整備局の示す4ダムの建設計画案について「建設は不適切」との結論を下した。整備局がダム代替案としての堤防強化や河川改修の研究を十分に行わず、「ダム建設ありき」の姿勢が見えたからだ。さらに、その効果や費用についても疑問が残る。
 例えば、これまでの流域委の検証では、大戸川ダムは200年に1度の大洪水でも淀川の水位を19㌢下げる効果しかない。事業費は大戸川、天ケ瀬、川上の3ダムで計2650億円になる見通しで、当初計画より740億円膨らむことが分かった。
◇流域委の検証はまだ終わっていない。にもかかわらず、整備局の突然の計画案公表は、住民の声を反映させよ、とした改正河川法の主旨と流域委の存在を全面否定するものといえるのではないか。
 治水や渇水対策に効果があるのか、代替案はないのか、自然環境に与える影響は、住民の思いは―。それらの問いをクリアしたうえでの、ダム建設でなければならない。
 今後、ダム計画案は事業費を負担する府県が検証するが、環境派・嘉田知事が整備局のごり押し案をどうけん制するのか、注目したい。

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2008年06月19日

えらい世になりにけり

 戦後世相を今に引きずっている日本人の一番悪いところは無責任体質である。
 その裏返しは、わがままの自己主義。
 無責任体質は、ものごとすべて、うまくゆけば自分の力、自分のお手柄。逆に、うまくゆかなければ、親が悪い、会社が悪い、同僚が悪い、役所が悪い、政治が悪い、と他のせいにする。
 人生は長いレースだからしくじりもあれば成功もあり、人間関係だって、子供のころから少年期、青年期を通じ多彩でもあり変化もある。なにごとも時間が自分の都合のよいように回ってはくれぬ。
◇このごろ、若いものが事件を起こすと「切れる」という認識で、世間が寛大に見る傾向がある。
 親が将来を期待しすぎて勉強、勉強と、有名大学へかき立てる。子は親と現実のはざまで悩んでいたとか。
 友人に恵まれず、いつも孤立していたから、悩みの相談をする人がいなかったとか。
 就職はしたが、自分と思いが違いすぎて、それが原因で上司の不機嫌を買ったとか。
 人と話をしたり、交際が苦手なので、好きな子がいても相手にされなかったり、告白が出来なかったり…。
 などと、事件を引き起こす社会的背景や個人的背景を善意につかみ出そうとする。
 そのあげくが「かわいそうだった」、「もう少し、彼の心をくみとってやる人があったら…」と、逮捕されたものに同情を寄せるきらいがないでもない。
 突然の事故の被害者になるケースや予期せざる天災で身内を亡くしたり、自らケガをする場合はまったくの不運であり同情されるが、そうした不可抗力以外の不本意な結果について、いちいち他人のせいや、社会のせいや、親のせいや、とその責任をなすりつけるやり方が甘えであり、わがままであり、常にいい子であろうとする無責任体質といえるのではないか。
◇このような無責任体質は戦後育ちの特徴で、一般的には団塊世代以降の日本人の温室育ちの副産物ともいえる。
 こういう体質のそもそもの出発点は何か。それは戦前、戦中派の親のコンプレックスの哀れな自己投影である。
 戦前、戦中派は「もの不足」の世を生きてきた。上級学校へ進んで勉強したくとも貧乏でそれどころでなかった。食べたいものも、着たいものも得られず、旅行はおろか、楽しい遊びですらがまんしなければならず、子供のころから親の手伝いに汗を流してきた。
 戦後はその反動がわが子に向かった。習いものをしなさい、塾へゆきなさい、有名高校、有名大学へ進学しなさい。
 「何が食べたい、何が着たい、どこへ連れていってほしいのか、何がほしいのか、なんでも買ってやるからな―…」と、親は自分たちの子供のころの苦労を二度と子供にはさせまいと、大事に大事に育ててきた。
◇その結果の団塊世代であり、そして、その子らが、今、若ものとなって社会の第一線に活躍しているのだ。
 したがって、親も子も限りなく甘えん坊であり、苦難に耐えるという、ど性骨に欠ける。ありがたいという、感謝の心はなく、なにかにつけて愚痴や不満の飛び出すのが、これらの戦後派である。
 そのつけが今、苦々しくも回ってきた。
 人を殺して死刑の判決を食らっても「生きたい」ともがいて弁護士に執行の引き延ばしをはかる。
 人を殺傷する鬼畜生の犯人でありながら、悪かったと反省や謝罪する心がなく、世の中のせい、人のせいにする。自分が命がけで働くことをせずに、これよこせ、あれよこせ、と要求するだけは一人前。
 そんな人間だから親が病気になっても、しんみに世話をしたり介護することをしない。
 社会福祉や社会保障は国の責任でしょう、とうそぶくのだから、ほんま、これはえらいことになりにけり…。【押谷盛利】

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2008年06月18日

公立病院の危機と市民

 医者が足らん、看護師が足らん、介護士も足らん、銭(ぜに)が足らん。足らん足らんで地方の病院はお手上げの形。
 病院は総合病院が建て前であるから内科、外科はもちろんのこと産科、精神科、なんでもござれのはずだが、それがおかしくなって開店休業の科もあれば、病棟があくびをしていたり、休床したり、いやはや、ご難のご時勢である。
 ご難なのは患者だけではない。肝心の病院も経営不振が悪循環すれば施設はあっても医療担当者がなく、雪だるま式の赤字で倒産廃業となりかねない。
◇なんで、そんなことになるんや。そう不思議がるのが素朴な人間の共通の疑問。
 医者は毎年、新しい玉子が孵化して新進気鋭が医療現場を活性化しているはずではないか。昔と違って、検査や治療もコンピューターや最新の電子器具の登場でスピードアップされているではないか。
 待遇も一般職と違って厚遇されるし、住宅その他についても援助、その他の特別なはからいも用意されている。
 病人が多くなりすぎて医師の絶対数が足りないのか。それとも医師が研究室に閉じこもって現場へ出ようとしないのか。税務申告の高額所得者は例年医師が独占しているではないか。
 など、など、医療の世界の門外漢は近年の公立病院の医師不足に頭をひねる。
◇正直な話、親方日の丸で、ゼニのこともヒマのことも考えずにお大尽のような、殿さまのような医師を保証しない限り、大方の公立病院は医師不足は避けられまい。そのゆきつく先は休科、休床、休業、廃業になりかねない。大変な問題である。
 その実態が知らされていないから、知らぬがほとけかもしれぬが、後期高齢者医療制度の不満どころの騒ぎでない。地方の人間は満足な医療を受ける機会をなくする恐れがあるからだ。
 そのよう見本が産科の先生の不足である。
◇どういうこっちゃこれは、一体全体、なにが起きているんや、と行政も議会も市民もみんな冷静に刻下の危機を分析しなくてはならぬ。
 一つは救急医療の伴う苛酷な勤務体制であろう。今、問題になっているのがコンビニ感覚の安易な救急受診の弊害である。
 このほかに、公立病院内を大手を振って歩く患者側の誤れる人権意識である。
 医師や看護師がびくびくとびびってしまうような言動があっても病院側は目をつむるなり、泣き寝入りすることもある。
 それにこのごろは一つミスが出たり、結果が芳しくなければ声を大にしての責任追及や補償問題、あげくの果ては法廷闘争などとなって、役所人間とみられる公立病院の医師は逃げにかかる。独立して開業する道をとる人、他府県の条件のよい私立病院を選択する人。
◇かくして、地方が医者ひでりになってゆくのは過疎化の末の限界集落並みであり、いまのうちに手を打って、居心地のよい雰囲気づくりをしなければならぬ。
 なんぼ、保険制度があっても肝心の医療機関が機能しなければ困るのはその地元の住民である。
 病院も市役所も臭いものにフタをせず、本気で対策を立てないと取り返しがつかなくなるのではないか。【押谷盛利】

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2008年06月17日

減らそう「コンビニ受診」(見聞録)

 現在開会中の長浜市議会で、市立長浜病院の医師不足問題が取り上げられ、「コンビニ受診」が医師の過密労働の一因になっていると指摘された。
 病院の夜間・休日の救急診療は、急病や重篤患者への対応のため、病院側が必要最低限の医師を配置している。しかし、近年、軽症の患者が「平日は仕事がある」「調子が悪い」などという理由で利用するケースが増え、コンビニに行くような感覚で気軽に救急外来を利用する様子から、こう呼ばれるようになった。
 次々と訪れる患者に、宿直担当の医師は休む暇もないまま翌日以降の勤務に入り、時には30時間以上もの長時間労働を余儀なくされる。極限まで疲労し、医療崩壊の一因ともなっている。
 さらに、軽症患者を診ている間に本当に重篤、救急の患者への処置が遅れる可能性もある。
 野田秀樹院長は「今後、さらに救急患者が増えると、本来必要とされる重度症状の患者に支障を来す」とコンビニ受診の増加に危機感を抱いている。
 コンビニ受診は救急搬送でも裏づけられ、長浜市消防本部の2007年度統計によると、救急搬送6772件のうち、6割が入院を必要としない軽症だった。
◇市議会一般質問で押谷憲雄議員は、兵庫県丹波市で展開された「病院を守る運動」を紹介しながら、市民への啓発を求めている。
 医師不足にあえぐ丹波市の県立柏原(かいばら)病院では、小児科を中心にコンビニ受診が相次ぎ、疲労の極限に達した医師が職場を離れる悪循環が続いていた。
 そこで、地元の主婦が「小児科を守る会」を結成し、コンビニ感覚での受診を控えるように啓発活動に取り組んだ。その呼びかけに市民が共感したことで、安易な救急診療が減ったうえ、地域が病院を大切にしているというイメージ効果で、医師の増員も実現した。
◇医師不足問題は、地域医療の現実を無視した国の制度変更だけでなく、地域住民の利用スタイルにも原因がある。
 医療を受けるのは当然の権利とばかりに、コンビニ感覚で利用すれば、現場の医師に負担がかかるのは当然だ。
 30時間以上、不眠不休で連続勤務する医師に診療してもらいたいだろうか。
 丹波市のケースは、地域医療の崩壊を市民の手で救ったケースと言えるだろう。
 押谷議員は城西大学(埼玉県)の伊関友伸准教授の言葉を次のとおり紹介している。
 「医師という医療資源は、泉と似ている。行政や住民が勝手に汲み上げれば泉は枯れる。行政は病院経営の質を上げ、住民は医療資源を浪費しない。この条件が揃わないと、自治体病院、そして地域医療の崩壊は防げない」。
◇だが、コンビニ受診が特に小児科で多い背景には、核家族化による母親の孤立がある。ひと昔前なら、同居の祖父母から何かとアドバイスをもらえたが、今では症状を判断し、対応する相談相手がいない訳だ。
 このため、夜間に子どもを急いで病院に連れていく必要があるかなどを電話で相談できる「小児救急電話相談事業」が各都道府県で実施されている。
 滋賀の場合は、電話で「#8000」のボタンを押すか、077(524)7856に連絡すれば、担当の小児科医に相談できる。利用できるのは土・日・祝日・年末年始の午後6~11時と限定的でまだまだ課題を残すが、「滋賀県救急医療情報ネット」のホームページにも情報が掲載されているので参考に。

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2008年06月16日

千円たばこ是か非か

 たばこを1000円にしてはどうか、という議論が国会で持ち上がっている。
 喫煙家は税金を吸っているようなものだからいい顔はしないが、国の台所を考える政治家は申し分のない税源である、として、上げた後の税収の使い道まで考える。
◇たばこは嗜好品で、酒やコーヒーのたぐいである。食料品ではないから、これがなくては生きてゆくことが出来ぬ、というものではない。
 言わば生活にアクセントをつけるというか、暮らしの中に見出す恒常的な楽しみといえる。
 その些細な国民の楽しみを重税によって奪うのか、という反論が一方にある。
 たばこくらいお好きなように、といいたいところだが、愛煙家を取り巻く環境はことほど左様に甘くない。
 それは健康によくない、というマイナス面を引きずっているからである。
 健康によかろうが悪かろうが、吸っている本人が得心していることだから放っておけというのが愛煙家の本音かもしれないが、そうはいかないよ、と柳眉を逆立てるのは、あながち美人ばかりではない。喫煙の煙をいやがる嫌煙家の主張が嫌煙権として公認されつつあるからである。
◇このところ病院、飛行機、娯楽施設、新幹線など禁煙の枠が年々広がってゆくので、自分のカネで、なにがしかの税を払っていながら、小さい顔してこそこそと悪事を働くように喫煙する人を見ると哀れを催すくらいである。
 それほど周囲から悪しざまに思われ、袋叩きにあいながら、なぜ、やめられぬのか、といいたくなるが、それが嗜好品の嗜好品たるところで、「死ぬまでオレはやめないよ」とうそぶく人もある。
◇たばこは健康によくない、と製品にプリントしながら堂々と売っているのだから、考えてみれば矛盾だらけである。
 いま、政府は後期高齢者の医療を先頭に国民医療費の高騰に頭を痛めているが、これを解決する一番の近道は国民の健康を守ることである。
 ならば、健康に悪いといいながら、これを市販している図は、いうことと、していることが逆である。
 結局、カネ(税)が欲しいから、国民の健康は二の次ということだろう。
 それでも、やはり、ひかかるので、このさい、おやめになる方が賢明ですよ、という暗示をかけて、1000円たばこを実現しようという腹である。
◇それにしても評判の悪いのは、未成年者には売りません、という例の自販機のカード制「taspo(タスポ)」である。それでなくとも面倒臭い手続きや許認可のふんぷんの役所仕事には、あきあきしているのだから、わざわざ戸籍調べみたいなカードをつくるバカはいない。欲しかったらコンビニで買えばよい。このごろは至るところコンビニだらけである。
 ひょっとしたら、このカード制、未成年者対策を口実にコンビニ援護策だったのかもしれない。アホに輪をかけて、カード制が客の自販機離れをよんだ。あげくの果ては小売店の売り上げ激減。それどころか、地元の市町に落ちるたばこ税がこれまた激減の見通し。
 カード制で得したのは、自販機の改造業界とコンビニだけ。
◇それはともかく、好きなものはやめられぬから、体に悪くともやるがよいが、家の中では家族、ことに赤ちゃんにはよくないし、職場や会合等では、みなから煙たがられるので小さい顔して、外で吸うがよい。【押谷盛利】

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2008年06月13日

ニセモノと本物の魅力(見聞録)

 ビール大手5社の発表によると、5月のビール類の出荷量のうち、最も低価格な部類「第3のビール」が、984万ケース(1ケースは大瓶換算で20本)となり、発泡酒(976万ケース)を抜いた。
 食品価格の高騰などに対応するため、嗜好品にかける費用を抑制したい消費者の生活防衛色が濃くなっていることがうかがえる。
◇第3のビールは、従来のビールや発泡酒と違う原料、製法で作ったアルコール飲料。酒税法上「ビール」や「発泡酒」に属さないことから、税率が低く低価格を実現。1缶(350㍉㍑)で130円前後と、本物のビールの3分の2程の価格だ。
 2003年の酒税法改正を契機に普及した。以前はビールより税率が低い発泡酒が売れ行きを伸ばしていた。これはメーカーがより安いビールを実現するため、改良を重ねて生み出したわけだが、税収不足に悩む政府は法改正であっさりと発泡酒の税率を引き上げた。
 このため、再度、メーカーがビールに似たアルコール飲料の開発に乗り出し、2004年から第3のビールが市場に並ぶことになった。
◇5月のビール類の出荷量は、ビール5・5%減、発泡酒9・1%減と、いずれも前年同月を割り込んだが、第3のビールのみ16・3%増と大きな伸びを見せた。
 味も本物に劣らず、値段が安いとなれば、「ニセモノ」と分かっていても、そちらに手を伸ばすのが、今の消費者の心理だろう。
◇生活防衛とはいえ、たまには本物も楽しみたいと思うのも「愛飲家」の心理。ちょうど長浜には、地ビールを楽しめる「長濱浪漫ビール」(朝日町)がある。
 米川沿いに位置し、かつて米蔵として使用されていた白壁の建物を、醸造蔵として再生させ、レストランを併設している。
 秀吉博が開幕したばかりの1996年4月27日、地ビールブームの先駆け的存在としてオープンした。
 当時の滋賀夕刊の記事によると、オープン初日は店の前に行列ができ、開店と同時に170席全席が埋まった。その後も1時間待ちの状態で、待ちきれない客の中には「立ち席」で飲み始める人もいて、昼は観光客、夜は市民で賑わった。
◇麦芽、ホップ、イーストのみを使って醸造され、日本地ビール協会金賞に輝いた「長浜エール」をはじめ、「淡海ピルスナー」「伊吹バイツェン」「黒壁スタウト」の4種類がスタメン。
 味は日本で好まれる「のどごし」よりも、コクや苦味を重視し、どちらかというと欧米で好まれる風味。
 最近は、この4種の他にビターチョコレートをイメージした濃厚な「ショコラエール」、夏向けの「ゴールデンエール」なども登場している。
 貯蔵タンクとサーバーが直結しているので、作りたての生ビールをその場で楽しめるの一番の魅力だ。
◇長浜浪漫ビールでも、原材料の高騰で4月から価格の値上げを余儀なくされたが、現在、6月末までの期間限定で、ビールを1杯たった100円で提供するフェアを開催している。地元客に本物の味を楽しんでもらいたいと、毎年6月と12月に開催しており、連日、盛況。

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2008年06月12日

正しい食事と優しい心

 マクロビオティックの健康法の中で最も重視するのが食事のとり方だが、好ましい標準食事についてその一部にふれておく。
◇各食事量の最低50%以上は、さまざまに料理した完全穀類とする。ほぼ、それと同等のものは、玄米、完全小麦、イーストを用いない完全粉パン、完全粉チャバティ、完全粉ウドン、大麦、キビ、カラスムギ、ライムギ、ライムギパン、トウモロコシ、ソバ粉、ソバ。
◇毎日の標準食から除外すべき食べ物。
 熱帯、亜熱帯産の果物、果物ジュース、ワインその他のアルコール飲料、ソーダ、人工飲料、コーヒー、着色茶、ハッカやハッカ茶のような芳香性、刺激性のあるもの。砂糖、蜜、シロップ、サッカリン、その他の人工甘味料。
 好みにより米蜜、麦芽糖、その他穀物やその芽から加工した甘味料は、少量なら用いることもできるが、避けたほうが無難。
 着色されているもの、保存料、防腐剤を用いた化学合成食品、精製された穀類、粉とその加工品、かんづめ、冷凍食品を含め大量工業生産された食品。添加食品と種々の飲料、合成酢。
 油は常温圧搾手絞りのごま油。なたね油など植物性のものを料理に応じて少量。
 薬味はごま塩、梅干、鉄火味噌、純正醤油。
 食べるときは一口50回以上噛む。就寝前3時間以内は食べない。
◇人間は宇宙のあらゆるものを摂取して生きるが、ほとんどの者は生きるための物質的食物にのみ関心を持つが、正しくは精神的食物の摂取を忘れてはならない。
 人間はミネラルと水とあらゆる生物の生命を食べる。また呼吸機関と皮膚の呼吸によって大気を食べる。
 第3に長波から短波、高周波から低周波とあらゆる種類の振動を感覚器官と身体全体で食べる。
 このほか至るところから不断にやってくる放射線や波をも感じとる。
 こうした物質化されず、目に見えないものは精神的食物といえる。物質的食物は間を置いてとるが、精神的食物はたえず摂取し、それは無限である。
 この二つは質と量の面で、対立相補関係にある。
 物質的食物を多くとると、精神的食物は少なくなるが、精神的食物を少なくとると物質的食物を多くとることになる。
 動物性の食品をたくさん食べると精神的食物のうち短波の呼吸が減り、長波の呼吸が多くなる。動物性の食品には直接環境に対する知覚を制限する傾向があり、無限の時間や広範な空間に対する認識力と感受性を鈍らせる。
 植物性の食品をたくさん食べると、短波の呼吸が増え、長波の呼吸が少なくなる。さらに心理的、精神的視野が広くなり、相対界のささいなことへの関心が薄れ、ゆったりとした気分を保つことができる。
◇われわれは精神的食物の量と質はコントロールできないが、物質的食物の摂取を加減することで間接的にそれを制御することができる。つまり、毎日、なにを食べるかによって、われわれの心理や精神の質が決まってくる。
 日常生活のなかで、肉体、精神、心理の活動の調和を保つには毎日の食物に正しい秩序を保たなくてはならない。必要以上に動物性の食品を食べると精神活動は外の世界に対して利己的、攻撃的になる傾向がある。
◇マクロビオティックな食事をすれば、自然の感覚が回復し、衣服、とくに肌に触れる下着は不自然な合成繊維ものを避けて、木綿、麻などの植物性繊維か絹などの生物繊維を好むようになり、色や装飾品も優しく上品なものを好むようになる。
 また住居においては、金属やコンクリートのような建築材料より木や石、土のよさを認めるようになる。
 木や石は雰囲気を和らげる落ちつきを与える。家具類もそうである(日貿出版・久司道夫著、マクロビオティック健康法参照)。【押谷盛利】

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2008年06月11日

身心の健康と食事法

 8日、発生した秋葉原の無差別殺害事件は内外に大きな衝撃を与えた。
 ここ10年、日本各地で残虐な殺傷事件が頻発し、ことに憂うべきは青少年犯罪が目立つことである。これは何も日本に限ったことではなく、アメリカをはじめ西欧先進国でもみられる不幸な社会現象といえる。
 宗教や国籍、人種や習慣の相違を越えて生活と台所革命を通じて健康と幸福の理論を実践している久司道夫(くし・みちお)氏は、今からほぼ30年前に「このままの状況が続けば20世紀末の世界は、人類の半数が、慢性的な病気と狂気におののく破算社会が訪れるであろう」と予言している。
 すでに21世紀に入って10年になろうとしているが、その予言を立証するごとく、われわれは今、不安と不健康に苦しんでいる。
 物質文明の限りなき繁栄を作り出した人類が、目下、急速に生物学的にも精神的にも退化と衰滅に向かうという矛盾を病んでいる。
 早い話、われわれ自身やその周辺に眼を転じよう。
 心臓病、癌、糖尿病、虚弱体質、その他いろいろな変性疾病や精神病、犯罪など肉体的、精神的劣弱化の傾向は全世界に広まりつつある。
◇この危機意識に基づいて人類の救済を考え実践しているのが、久司道夫氏の唱える「マクロビオティック」理論である。
 これは、陰陽を基本とする宇宙の秩序、自然の法則に調和する生活を目的とする精神文化で創始者は桜沢如一氏(1893~1966)。彼の理論を継承し発展させたのが久司氏で、今、アメリカで爆発的な話題を呼び、その著作(英語)はドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル語に翻訳出版され、欧州各国に大きな反響をもたらした。
 マクロビオティックはギリシャ語で、マクロは「大きい、偉大、長い」の意。ビオは英語のバイオ(生命)。ティックは道、方法、理論。つまり、巨視的な宇宙観、宇宙の秩序に従った生活の道。別の表現をすれば長寿と若返りの方法といえよう。
 これまでの人類はギリシャ文明以来、自然を征服することによって物質文明を築いてきたが、今、その反省に立って、宇宙の秩序、自然の法則に調和する生活に切りかえることによって、血液と細胞を浄化し、人間性の進化を実現しようとする。これが久司理論の出発点である。
◇以下、簡単にマクロビオティックの食事についてのべる。
 人間は肉体、精神の全体にわたって健康で幸せであるためには正しい食事法を実践すべきであり、温暖で四季のはっきりした温帯での原則。
①食事は植物性のものからとる(ときには動物性の食物を補足してもよい)。
②精白しない穀類を主食とし、それで各食事の半分以上を占める。
③野菜類はいろいろの料理法で、塩または塩を含んだ調味料を用い加熱調理するが、体質や気候により生か、それに近い状態で食べてもよい。野菜はその季節のもの、その地方でとれたものから選ぶ。
④海中植物は陸上の植物より量、頻度ともすくなめにして副食に加える。
⑤果物と堅果は、その地方でとれるものならば体質に応じ、季節に応じてとることが出来る。
⑥動物性食品は量、頻度ともできるだけ少なくし、多いときでも食事量の15%以内にとどめるとともに、必ず多量の野菜、ショウガ、シイタケなどを添えて食べる。
⑦調味料は無精製の塩と植物油。熱帯、亜熱帯産の香料、芳香性草本は避ける。ダシはコンブ、シイタケ、カツオブシ、煮干しを用いる。
 化学調味料や合成酢は使わない。
⑧飲料は同じ気候圏で生育する草本植物から作られたもの。
⑨毎日、食事量の5%程度(小さな椀で1、2杯)の味噌汁か、純正醤油のすまし汁をとる。具は種々の野菜、海藻、豆類、と変化をもたせる。
⑩飲料は、ほうじ茶、タンポポ茶、ゴボウ、乾燥根茶、その他無芳香の草本植物茶、穀物茶は毎日飲むのがよい。芳香がなく刺激のないものならよい(日貿出版・久司道夫著、マクロビオティック健康法参照)。【押谷盛利】

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2008年06月10日

思考停止の増税策(見聞録)

 沖縄県議選で与党が敗れ、過半数を割ったが、その敗因は後期高齢者医療制度における高齢者イジメの結果と分析できよう。
 最近話題の「居酒屋タクシー」といい、官僚による税金の不透明使用が明るみになる中での、高齢者への相応負担を求める制度に、有権者がノーを付きつけた。
 とはいえ、今後ますます進展する高齢化社会にあって、国の担う社会保障制度の維持は避けられない。
 高齢者への負担を求める制度が失敗し、新たな財源の模索が迫られるここに来て、タバコ税の引き上げが与野党で熱く語られ始めている。
◇自民党の中川秀直元幹事長、民主党の前原誠司副代表らが、たばこ税率の大幅引き上げを目指す超党派の議連を近く立ち上げる。目標は1箱1000円だという。
 欧米ではタバコ1箱当たりの価格は700円程で1000円を超えることも珍しくない。タバコの健康被害が重視され、重税化されている所以だ。議連では日本の300円前後のタバコを、欧米並みに増税して、社会保障費に当てようと、もくろんでいる。
◇タバコ1箱1000円論は、日本財団の笹川陽平会長の主張。
 日本財団は競艇の売り上げの一部を財源に、財団や社会福祉法人を支援する公益法人。
 同氏は、1箱1000円に値上げし消費量が変わらないならば、9兆5000億円(消費税4%分)の税収増が見込めると試算。たとえ消費量が3分の1になっても、3兆円を見込めるとした。
 この主張に、飛びついたのが与党。政府では来年度から基礎年金の国庫負担率を3分の1から2分の1に引き上げることを決めており、必要な財源2兆3000億円の確保に頭を悩ませていたからだ。
 また、消費税の引き上げで賄おうにも、▽ガソリン暫定税率の延長▽道路特定財源の不明朗支出▽後期高齢者医療制度の失敗で、有権者の反発みえみえの福田政権下では、自殺行為。
 タバコ税の引き上げで当面の課題をしのげるなら、歓迎ということだろう。
 取り易いところから取るというのは、過去の発泡酒の増税に似て荒っぽい手法だが、嫌煙家は歓迎だし、医療費の抑制にも効果があるだろう。
 野党にも財政再建と医療費削減の一石二鳥になると、タバコ税の引き上げに理解を示している幹部もいるから、与野党足並み揃えてのタバコ税引き上げが現実味を帯びてきた。
◇ただ、気がかりなのは、税金を取るだけ取って、相変わらずの無駄遣い体質が続くのではないか、ということだ。
 税収が不足しているからと、国民の反発が少なそうな分野で増税してしまえ、というのは自転車操業的発想というか、思考停止気味のように感じる。
 「居酒屋タクシー」のような笑えない話題を振りまくくらいなら、官僚には襟を正して無駄遣いを抑制し、国会議員にも税金の使途を徹底チェックしてもらいたい。そうでなければ愛煙家、タバコ農家、小売店が浮かばれない。

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2008年06月09日

秋葉原での殺傷事件

 安心、安全を願わぬ人は一人もいないが、いつ地震が起こるやら、集中豪雨に見舞われるやら、自然災害の危険と背中合わせの生活、それがはかない人間の宿命であろう。
 しかし、最近は自然災害だけでなく、人間が人間を傷つけたり、殺すという事件が余りにも多く発生し、人災の危険からどうして身を守るか、いやはや大変な世の中となった。
◇日曜日の8日正午過ぎ、電気製品の総合市場として賑わう東京・秋葉原の繁華街で7人を刺し殺し10人を重軽傷させるという大事件が発生した。繁華街は日曜日で、車の通行を禁止し、歩行者天国の別天地だった。
 おりから、別の道をトラックで乗り入れた若い男が無鉄砲に通行人の中へ突入して、3人を死傷させたほか、今度は歩行者天国へ引き返し、狂ったように次から次へと通行人を刺し、大恐慌の中、ようやく警察官に取りおさえられた。
 25歳の若もので「だれでもいいから人を殺したかった」と、とんでもないことを口走り、日曜日の秋葉原を鮮血で染めた。被害者は20歳前後の若い人が多く、なかには中年の男性が家人に「今日はパソコンか何か買いに行くから」と家を出たが、「普段行ったことない町へ出かけて、地獄にあってしまった。再びこんなことがあってはならない」、と報道関係者に泣いて訴えていた。
◇良心というもののコントロールが働いて、人間は犯罪や非行から遠ざかる、といわれるが、このごろはその良心のコントロールがあやしくなってきた。人を殺すという大それたことは思うだにしなかったはずなのに、このごろのニュースは毎日のように悲しい殺人事件を追う。
◇それにつけても思い出すのは今から11年前、97年5月に起きた神戸市の中学生犯罪「酒鬼薔薇聖斗」事件である。
 中学生のA少年(当時)が小学5年生のB君を殺し、その首を校門にさらした猟奇事件である。少年は殺したB君の血を飲み、わくわくする気分で首を正面から眺めたという。
 少年はその2カ月前にも2人の女の子をナイフやハンマーで殺傷している。
 神戸事件の翌年(98)3月、今度はアメリカの中学校で、2人の中学生がライフル銃を乱射して、女子生徒4人、教師1人を死亡させ、生徒9人と教師1人を負傷させた。
 聖域ともいうべき学校を舞台にした殺人事件は現代社会への痛烈な警鐘であるが、なぜ、こうも人は地獄への道を急ぐのであろうか。
 いまなお、われわれの目に焼きついて離れないのが、オウムの狂信者による東京の地下鉄サリン事件(95年3月)がある。
 一瞬にして何千人の被害者を出したこの事件は化学薬品の恐怖の大量殺人の実験版だが、われわれは、このような危険な環境に追い込まれているという事実から逃げてはならない。
◇今回の秋葉原事件は、だれが考えたって、普通の人間の「しわざ」とは思えない。運転免許を持ち、車を運転し、刃物を店で買うという普通の人間のしわざであるが、そうかといって、普通の人間が人を殺したり傷つけたりすることはしない。そこが問題であり、現代の危機が問われるのである。
◇要するに、正常と思われる人が、ある日、あるとき、突然おかしくなり、常には考えもしない大犯罪の主演者になるのである。
 ある日、あるときの「突然」の「魔」の差した事件を人は「きれる」ともいうが、分かり易くいえば、きくはずのブレーキがきかないのであり、ものごとの価値判断が狂うのである。だれでもよいから「殺したい」というのは、普通の人の、野に咲く美しい花を切りたい気持ちと似ている。常に狂っていれば病院に入れるなど処方の方法はあるが、常は普通で、突然狂うのは処方の方法がない。
 そういう人が増え続けている現実を深刻に考えたい。【押谷盛利】

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2008年06月07日

鮨を握って日本一の話

 「若いときの苦労は買ってでもするがよい」。これは子供のころ聞かされてきた親や大人たちの言葉である。
 若いときは、2日や3日、徹夜しても体にこたえることがなく、物を持つにしろ、重労働をするにしろ、疲れを知らぬ馬力があった。
 だから、体力、気力の溢れている若いころに苦労を重ね、心身を鍛えておけばそれが世盛りの40、50歳に生きて、老後の大成と幸せにつながってゆく、と教えたのであるが、今もこの言葉は立派に通用すると思っている。
 しかし、現実には、過去の言葉として退けられ、「苦労はせんでもよい」、「辛いことや苦しいことは相談に乗って上げよう」と世の中は子供や若いものにやさしい。言わば今の子は昔の大金持ちの子のように「おんば・ひがさ(乳母・日傘)」で大事に育てられる。
◇最近、読売紙上に連載の鮨(すし)を握って日本一といわれた小野二郎さんの話はしみじみと金剛石のような輝きを見せていた。
 5月から6月5日にかけて21回にわたり連載されたが、本人は80歳をとっくに過ぎているが今も現役で、多くの店員を使いながら仕入れと握りに異彩を放っている。
 舞台は東京で、店の名は「すきやばし次郎」。この店を創めて43年。その間、一人前の鮨職人を目指してやってきた人は150人というが、ものになったのはたったの9人。そのうちの2人は二郎さんの息子だから、実質の卒業生は7人。実に5%という成功率。
 この世界、下働きから少しずつ仕込みのイロハを学び、最後に玉子焼きを覚えるまで10年はかかるという。
 小野さんは、最近はこらえ性のない人が多いとあきれている。
 どうしても鮨職人になりたいと、半年空きを待って来たのがいた。さぞ張り切るかと思ったら、3日間、店の中で立っているだけ。翌日から姿を見せないので電話したら「足がむくんでやめます」。
◇小野さんは7歳で浜松市の割烹旅館「福田屋」に入った。ここで戦争を挟んで20歳まで働いた。
 小学校に入るころ、父が病気で入院生活。母は住み込みで生糸工場に。やむなく叔父に引きとられたが、そのうち福田屋に丁稚(でっち)奉公。店は50人くらいの泊まり客、100人、200人の宴会もあり、板前や運びの女性ら20人ほどが働いていたが、下働きの子供は二郎さんだけ。朝のぞうきん掛け、出前、片付け、使い走りと日付が変わるまでの働き通じで、寂しいとか、悲しいとか思っている暇がない。唯一の楽しみは授業中の居眠りであった。
◇こうして、3年生になったころ包丁を持たされ6年生のときにひと通り使えるようになり、婚礼や法事などの宴会が立て込むと子供ながらに出張料理を任された。
 このころの田舎の婚礼は実家に人を招いて夜通しの宴会となるので、いろいろな料理を店で仕込み、自転車で運ぶ。料理を何段にも小分けした木箱をリヤカーに乗せ、それを自転車で先方へ届けるわけだが、途中、ひと山も、ふた山も越え、到着すれば味つけ、仕上げ、後片付けまで寝ずの仕事だから大変な重労働だったが、その報酬はといえば着替えと小遣いが1日1銭。
 出前先でもらう駄賃やご祝儀、正月のお年玉だけがありがたく、そっくり貯金し、16歳で徴用されるとき6円になっていたので、それで腕時計を買ったという。
◇小野さんは健康に恵まれ、5年前、六本木ヒルズの超高層ビルに次男の隆士さんを独立させ、六本木店を開業させた、本店は長男の禎一さんに任せ、目下は親子トリオでこの道一筋の人気もの。
 いまの新卒生は、せっかく就職しても1年も経つか経たぬうちに退職するものがあり、その言い分は申し合わせたように「仕事が合わない」。日本国中、いくら探しても最初から合う仕事なんか見つかるはずがない。
 「いったん就職したら、ある程度はしがみつかないと仕事の面白さなんてわかりゃあしませんよ」とは氏の述懐。
◇仕事に限らず、今の世は「自立」を軽視し、国からの援助、社会からの援助に頼り勝ちで、うまくゆけば自分のお手柄、ゆかなかったら、世の中が悪い、政治が悪い。
 この甘えん坊体質をどうして退治するか。【押谷盛利】

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2008年06月06日

教育機会ない子ども(見聞録)

 女性団体の国際ソロプチミスト長浜(北嶋明子会長)は、音楽家育成のコンサートや乳がん健診啓発、絵本寄贈、清掃奉仕などに取り組んでいる国際組織。
 6日付けの滋賀夕刊で紹介したネパールでの女性教師育成支援もその活動の一つだ。
◇ネパールは中国とインドに挟まれ、世界最高峰のエベレストをはじめとする8000㍍級の山々に抱かれた自然環境厳しい国。面積は北海道の約1・8倍程で、人口は約2500万人。60の民族、100の言語を持つ多民族国家だ。
 その自然環境と宗教に由来する風習、そして多民族ゆえに近代化が遅れている。国民の多くが農業に携わり、平均年収は約2万5000円。世界最貧国の一つとして知られる。
 また、識字率の低さが国際機関から指摘されているが、同国では未だに5年制の初等教育すら義務化されておらず、小学校に通うのは、該当児童の半数。
 特に女子は学校に通わせてもらえず、識字率は2~3割程度にしかすぎない。
 というのは、ヒンズー教を国教とする同国では男子を大切にする一方で、女子は10代半ばで嫁ぐまで、農作業や家畜の世話から、兄弟姉妹の世話まで家事労働力として重宝されているのだ。
 貧しい村では男子が学校に通えても、女子には教育の機会さえ巡ってこない。
◇世界各国の女性団体やNGOでは学校を建てたり、教育資金を援助するなど教育環境整備に取り組んでいる。
 同国第3の都市ポカラにある女子短大カニヤ・キャンパス・ポカラ大学に併設された「さくら寮」もそのひとつ。
 日本のNPO「日本ネパール女性教育協会」が、女性教師育成を目指して2年前に設立した。数少ない女性教師を増やし、僻地の小学校に赴任してもらうことで、少女たちの社会的自立の目標とするのだ。女性教師がいると少女も学校に通いやすくなるという側面もある。そして、目指す教師像は、壺井栄著「二十四の瞳」の大石久子先生。
◇さくら寮では、僻地出身の高校卒業生を年間10人受け入れ、短大で2年間の教員養成コースを学ばせている。10年間で100人の教師を育成する方針だ。
 この5月29日に1期学生10人が卒業した。2年間、授業料や生活費を援助してきた国際ソロプチミスト長浜の会員3人が卒業式に出席し、卒業生や在校生と対面。日本からの記念品をプレゼントし、これから始まる僻地での教師生活にエールを送った。「卒業生が地域の女子教育のリーダーとして活躍することを願ってやまない」と期待を込めている。
◇なお、国際ソロプチミスト長浜では同協会に賛同し、「教育里親」を募っている。
 1カ月1万円の支援を5年間(就学2年、教員義務期間3年)続ければ、小学校教師1人を養成できる。費用は就学中が授業料、教材費、生活費、寮の運営費など、僻地小学校への勤務後は給与補助、教材費補助など。1口5000円から。学生との文通や、視察もできる。
 この教育里親制度は、女性教師を養成できるだけでなく、彼女が小学校で指導することでその何倍、何十倍、何百倍もの数の子ども達に教育の機会を、夢や希望を与えられる。
 関心のある方は国際ソロプチミスト長浜の広報委員長・北村晃子さんTEL(63)6775へ。

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2008年06月05日

日本の農業への無頓着

 町村官房長官が世界的な食糧危機を念頭に、これまでの日本の農業の減反政策を見直すべきではないか、と発言したことが政府と与野党の中で大問題となっている。
 自民党の執行部は「そんなことをすれば米価の値下げで、農民が食えなくなる」と、いち早く反発した。それに意を強くしたのか、農水省の次官が「減反政策をやめることは致しません」と調子づいている。
 思わぬ反響に驚いた町村長官は「食糧危機の中でのあるべき農業について問題を提起したに過ぎぬ」と、控えめに自説のトーンを緩和した。
◇しかし、町村長官の発言を袋叩きにするのが賢明な政治家とはいえない。
 町村氏の発言は極めて道理のあるもので、一方的にこれをけなすのは農民の立場にすりよるポーズというべきで、国家や世界のあるべき姿を考える真の意味での政治家の識見とはかけ離れている。
◇減反政策というのは需給調整の一手段で、金もうけと生活が不離一体となっている人間界ではこのような矛盾した政策はしばしば登場する。
 登場はしているがそのことがいいことか、正しいかは自ら別問題である。かつて大正時代、アメリカで小麦相場が暴落し農民が苦境に立たされたことがある。
 このとき、この国の取った農民擁護政策は麦を海へ捨てることだった。捨てるくらいなら、困っている人や貧しい人にただでくれてやればいいのに、と思うのだが、それでは相場のアップや金もうけの手段にそぐわない。海へ投げ捨てて、小麦の貯蔵量が少ないことを宣伝すれば小麦の相場は上がる。それで農家は助かる、という国家的商売のアイディアだった。
◇戦後の日本は一時的に繊維産業が尻上がりに発展したことがあり、機械を24時間フル回転した時代があった。
 ところが衣料業界の変遷と中国、韓国等の安価な繊維製品の進出で国内メーカーは軒並み後退を余儀なくされた。
 長浜の浜ちりめんもその一例であるが、かくして政府は織機の破壊と減産政策を実施した。
 織機の破壊に補償費を出し、力づくで織物産業を締め出したが、補償費を出すやら、使える機械を粉砕するくらいなら、外国からの輸入をストップし、国民に対して、その分、安く提供する政策の方が労働者も国民も喜ぶのではないか、と思うのだが、そうではなかった。
 各地の小規模な織機屋なんか眼中になかった。日本の財界を動かす有力な商社が設備の金を中国や韓国に投資して、いうなれば商社の子会社のような形で安価なメイド・イン・チャイナやコリア製を日本に持ち込んで利益を上げた。国民のことや地方の小企業のことなど眼中になく大商社とそれにつながる流通業者の利益が国の政策となった。
◇同じ理屈は農政にもいえる。農民は政府の方針で、経営規模を大きくし、機械化した。
 その機械化を効果あらしめるには基幹作物である米、麦、大豆の作付を維持しつつ、農地の適切な管理をすすめねばならぬ。
 このためには外国からの安い米や豆類の輸入を規制し、価格維持のための米食奨励、古い米などの菓子原料、家畜飼料化で、総合的経営の安定を図らねばならぬ。
 それなのに、今の日本の実態は農地がどしどし潰れ、荒廃し、農民が経営に自信を失いつつあるではないか。
 価格補償制度は各国にもあり、減反政策ほど矛盾したバカげたやり方はないはずだが、ここでも国際金融資本の後塵を拝するだけで、日本の農業の危機に無頓着といわねばならぬ。【押谷盛利】

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2008年06月04日

「よみがえれ古里」運動

 「郷愁」を大辞泉で引くと、①他境にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア②過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。と説明している。
 言葉を換えれば母を思う気持ちであろうし、幼な馴染みの友を連想する人もあろう。
 西条八十作詩、古賀政男作曲の「誰か故郷を想わざる」は高齢者ばかりでなく若い人にも知られている。
 「花摘む野辺に 日は落ちて みんなで肩をくみながら 唄をうたった帰りみち 幼な馴染みの あの友この友 ああ 誰か故郷を想わざる」。
 これも古い話だが生命の長い歌謡曲にペギー葉山の唄った「南国土佐を後にして」がある。
 「南国土佐を 後にして 都へ来てから幾年ぞ 思い出します 故郷の友が 門出(かどで)に歌った よさこい節を 土佐の高知の ハリマヤ橋で 坊さんかんざし 買うをみた よさこい よさこい」。
 郷愁で最もポピュラーな歌は「兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川…」である。
 郷愁のイメージは何か。母であり、山河であり、友、その他、蛍狩り、盆踊り、初恋、夢。
◇いま、なぜ郷愁なのか。実は故郷がだんだん昔の面影をなくしつつあり、兎追いし山や釣りをした川が姿を変えてしまったことが国政上の問題になっているからである。
 人の住んでいた集落から人が出ていって、廃村になったところもあり、そこまでゆかなくとも空家ばかりが多くなって、住む人の半分以上を老人が占めるという限界集落、もしくはそれに近い村が増えつつある、この現状。
◇故郷の消滅や変形はもろもろの日本の今日的危機を象徴しているともいえる。
 お年寄りと医療、福祉は避けて通れぬ今日的課題であるが、かつては旧村単位に存在した医院や診療所が消えて、老人たちの医療機関への距離が遠くなり、農村地域の人口減による路線バスの休止などが老人の足を奪う結果になった。
◇農山村の人口は減るばかりだが、それを具体的に証明するのは各世帯の構成員の実態である。
 若い夫婦が村を離れてマンションに、あるいは独立家屋に移住するから、どの村の家も老人世帯が圧倒的に多くなる。必然的に高齢者は年と共に病気勝ちとなり、施設へ入るか、息子の家に引きとられるか、家で最期を送るかであるが、家を出た息子らが再びわが家へ変える確率は極めて少ない。いきおい、家は潰すことはしないが、住むものがなくて腐朽がひどくなる。そういう現象が年々継続するから人口は減る一方で、限界集落があちこち目立つようになる。
◇限界集落化すれば山や川を守るものはなく、村はイノシシ、猿、熊、鹿などの獣害を受けるし、みるみる活気を失い、治山、治水、村人の医療福祉、村の維持その他で、国や県、市の行政上の助けを求めねばならず、なによりも気になるのは田畑の維持管理である。
◇誠に残念なことだが、いまの二世、三世は、戦中、戦前派のような古里意識がなくなった。そのことは神社や寺の維持にも関わるし、親類縁者の疎遠にもつながってゆく。それが都会にも反映し、人間疎外なる心の砂漠化を押しひろげてゆく。「よみがえれ・古里」運動を提唱するゆえんである。【押谷盛利】

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2008年06月03日

ガソリン高騰と脱石油(見聞録)

 原油価格の高騰で石油元売各社は石油製品の卸値を一斉に引き上げ、ガソリン価格はついに1㍑170円代に突入した。
 高騰の要因は、投機マネーの原油市場への流入だ。米国のサブプライムローン問題に端を発した金融不安が引き金で、金融市場に見切りを付けた投機マネーが原油市場に流れ込み、価格を吊り上げているのだ。これは何も原油だけでなく、食品分野へも投機が波及し、食品価格高騰の一因にもなっている。
 中国やインドなどの新興国のおう盛な需要の増加も原油や食品価格を高める要因といえよう。
 米国の原油先物相場が高値で推移していることから、今後も原油価格が上昇するとみられ、米投資銀行ゴールドマン・サックスは2年以内に1バレル150~200ドルになるとの見通しを示している。これは先月22日の史上最高価格135ドルを大幅に上回る金額で、これほど高値になれば、日本でのガソリン価格はゆうに200円を超すと試算されている。
◇原油高騰はガソリン価格だけでなく、製造、運送、通信などあらゆる分野の値上げラッシュを招き、家庭の負担を増す。企業は材料調達やランニングコストの高騰で打撃を受ける。
 原油高騰があらゆる価格の上昇を招くという現象は、今の社会の石油依存症ぶりを示すものだろう。
◇先日、ニュージーランドの航空会社がバイオ燃料を使用して航空機を飛行させる計画を明らかにした。
 使用するのは次世代バイオ燃料として注目を集めている多年生植物「ヤトロファ」から抽出した油。ヤトロファは食用でないため、トウモロコシを原料にした油と違って、食料供給に直接的に影響しない。さらに、生育が早く、やせた土壌や乾燥した気候に強く、生産効率は菜種の3倍という。
 このように、今、先進国では脱石油を模索する動きが加速している。
 日本は過去のオイルショックを契機に省エネ技術の研究開発で、世界最高水準にあり、欧米では日本製のハイブリッド車が人気を集めている。脱石油、省エネ分野で産業振興を図れば、消費減退による経済的打撃を防げるのではないか。
◇また、脱クルマというのも、これからの時代の向きかもしれない。環境問題に敏感なドイツでは街の中心部へのクルマの乗り入れを規制し、路面電車やバスなどの公共交通を充実させている都市もある。
 新エネルギーの開発も急務。風力や太陽光発電、バイオ燃料の生産は、費用対効果の面から、石油資源に比べて普及は限定的だが、原油高騰が続けば、いつか、価格バランスが逆転する。そういうことを想定して、エネルギー政策に転換が求められよう。
 EUでは2020年までに消費電力の13%を風力で賄う計画を立てている。デンマークでは現在、消費電力の2割を風力で賄い、2025年には5割にまで高める方針だ。
 日本も石油からの脱却を、そろそろ本気で考える時期なのかもしれない。

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2008年06月02日

チャイルド・スポンサー

 「ワールド・ビジョン」という国際NGOの存在及び活動を知っている人はどれくらいあるだろうか。
 1950年に設立された団体で、キリスト教精神に基づき、地域開発、緊急援助、不幸な子の救援、社会や政府への働きかけなど実施している奉仕組織。
 このワールド・ビジョン、目下、低開発国などで、食や医療に恵まれず、むざむざと死んでゆく子どもたちの救済活動に一般の協力を訴えている。
 その訴えによると、いま、世界で、3秒に1人のペースで子どもたちが命を落としているという。
 それは食べるものがなくて餓死寸前に追いやられていたり、クスリがあれば助かる病気で苦しんでいるからである。
 この不幸な子どもたちの命を救うのに有効な手段は生活環境を変えることで、安全な水や食糧が手に入る仕組みづくりをしなければならぬ。
 そのためには、まず、カネがいる。
◇ワールド・ビジョンは、子供のために一人一人がスポンサーになってやってほしいと呼びかけている。
 一日あたり、150円、ペットボトル1本分、毎月4500円の支援をすることによって、かけがえのない命を救うことが出来るという。
 チャイルド・スポンサーは、貧困に苦しむ子どもとその家族、地域の自立を促すプログラムで、紹介される子どもやその家族との文通や報告書を通して、支援の成果を実感することが出来る。支援する期間は任意。
 事務局では、2002年以来、フィリピンのチャイルド、(15歳の女の子)を支援している横井さん(女性)の実例を示している。彼女は昨年3月、現地を訪問し、少女が暮らす地域で、リーダー育成や住宅支援、給水システムなどワールド・ビジョンの取り組みの成果を確認、地域の人々が自立に向けて歩んでいけるよう細やかな支援が行われている様子を知って、自分の支援活動が生かされていることを喜び、助けあいと自立への希望に自信と誇りを表している。
 この「チャイルド・スポンサー」にはだれでもなれるので、心のある人は詳しい説明書を送ってもらえばよい。
 FAXは03―3367―7652。
◇ぼくが、なぜ、ワールド・ビジョンに触れ、不幸な子どものための「チャイルド・スポンサー」について紹介したか。心ある人は知ってもらえるだろうが、日本の小学生は30%以上、中学生は50%以上、高校生はほとんどがケータイを所持しているではないか。その使用による電話代をどれだけ払っているか。人それぞれの利用の頻度によるが最低でも4000円や5000円払っているはず。自分の小遣いか、親のスネかじりか、どちらかであろうが、その贅沢さを低開発国の子どもたちと比較したいからである。
 1カ月、4500円の支援で病気や命が助かるという不幸な子どもたちと比較すれば、日本の子どもの置かれている裕福さ、物質的豊かさが十分理解できるはず。
 世界には食べるものもなく、飲む水もなく、病気になっても医師にもかかれず、クスリも手に入らぬため、みすみす若い命をなくしてゆく子があるのだ。
 そうした不幸な子どもの存在を知ることも大切だが、さらには自分の小遣いを減らしても、そして親に少し手伝ってもらってチャイルド・スポンサーになることもできる。
 国際的に視野を広めること。世界の人と仲よくなろう、ということはこれからの日本を背負う若い人たちには特に望ましいことといわねばならぬ。
◇いまさら、隣人愛を説こうとはしないが、いまの日本は、日々の食事の残飯処理が話題となったり、食べすぎや太りすぎが成人病の原因になったりすることはめでたさを通り越して、豊かさのもたらす不幸といえぬこともない。
 心あれば隣人愛を具体的に、それも力のない小どもたちに注いでやってほしい、と願うのである。【押谷盛利】

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