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忖度いろいろご臨終

 相手の気持ちをおもんばかる心、それを忖度(そんたく)という。おしはかる心と言ってもいい。いま問題の「後期高齢者医療制度」が問われているのは、75歳以上を切って、別扱いとし、保険税を天引きする制度に、どことなく、厄介者扱いの感じがするからだ。
 人間は「ひがみ根性」を持つなと言われても自分の弱みや欠陥に触れられると、つい、ひがんでしまう。
 例えば、加齢してゆけば、十人が十人老化する。「私は老人ではない」と心で思いつつ、若返っているつもりでも面と向かって「老人」だの「年寄り」だのと言われるとあまり嬉しくない。孫が言うからかわいいが、他人から「おばあさん」と言われれば、一瞬だれのことかいな、ときょろきょろしたくなる。
◇ぼくは、若いころ、会社の下っ端(ぱ)の事務手伝いに就いたことがある。そのころの職制は傭員、雇員、社員といい、傭員には守衛や事務所の小使い、給仕に多かった。ある日、課長が、ぼくの方を見ながら「給仕さん」というではないか。ぼくは、この言葉に馴染みがなかったから、なにを言っているのだろう、と聞き逃していたが、再び「給仕さん」と声を掛けてきたので、ああ、ぼくを呼んでいるのだな、と気がつき、あわてて課長の席へ行き、用件を聞いたことがある。この時の不愉快な気分は今も頭にこびりついている。
◇それと似た話を子供のころ、父から聞いたことがある、小学校の用務員をそのころは「小使い」と呼んでいた。生徒たちは「小使いさん」とさんづけしていた。この方は、ぼくの遠い親戚に当たるお年寄りで、父は「小使いさん」なんて、言ってはいかん、とぼくをたしなめた。以来、学校でもそういう言い方はしなくなったが、聞く側ではいい気持ちがしないのは当然であろう。
◇言葉づかいについては、日本語には敬語があり、忌み言葉や換え言葉もあって、いわゆる他を忖度(そんたく)する心がゆたかである。
 言葉は人を救い、奮起もさせるが、反対に傷つけることもある。子供仲間の「いじめ」にしたって、その子が苦にしている身体的欠陥などを悪口のように言うのは暴力に準じるいじめといってよい。
◇昔の軍隊では、飯当番が漬け物などを付ける場合、三切れを嫌った。三(み)は身に通じ身切れを忌み言葉とした。切られたり、鉄砲の弾でのケガや死を恐れたかである。
 昔の皇居には後宮といって女官が多く仕えて、女房(にょうぼう)言葉が使われていた。例えば醤油のことを「むらさき」と言った。土産は「おみや」、焼き餅は「おやき」、竹の子は「たけ」、松茸は「まつ」、饅頭は「まん」か、「おまん」、わらじは「わら」、こんにゃくは「にやく」、ちまきは「まき」、浅漬は「あさあさ」、煎り豆は「いりいり」、数の子は「かずかず」、するめは「するする」、いかは「いもじ」、鯉は「こもじ」、鮨は「すもじ」、海苔(のり)は「のもじ」、えびは「かがみもの」、素麺は「しらいと」、鯛は「おひら」、豆腐は「おかべ」「しろもの」、水は「おひや」。
◇銀杏(ぎんなん)は「いちょう」と言い、公孫樹とも書く。孫の代になって、実が生(な)るから、こう書く。
 宴会でも、めでたい席の閉会の挨拶は「おひらき」という。あるいは「中締め」などといって、ごかます。中ごろ、つまり宴たけなわを締めるということだから、一層盛り上がらねばならぬが、事実は「これで、おひらき」ですよ、の意味。
 死者の最期の脈をとるときの医師の表情と言葉は、何とも言えぬ暗い重い響きがある。「ご臨終です」。そのあとは家族の泣きの涙とあわてふためきである。冷酷無情の響きであるが、あれ以外に適当な言葉はない。【押谷盛利】

2008年05月26日 14:40 |


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