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此岸から彼岸への旅

 この世は此岸、あの世は彼岸。昔の人は、言葉を上手に編み、上手に使う。此岸は迷いの世界、苦の娑婆であり、彼岸は悟りの世、涅槃(ねはん)にたとえることが出来る。
 さらに言えば此岸は地獄、彼岸は極楽であろう。
 なんで、この世が地獄なんや。毎日、うまいもんを食べ、好きなことをして、たまには旅行もし、恋人とデートもし、と顔をしかめる人もいるだろうが、どう考えても極楽には程遠い。
 今の瞬間を一時的に取り上げれば、なにもいうことはない、幸せ、いっぱいと思うかもしれないが、さきごろの中国の大地震のように、あっという間に建物の下敷きになって何万人の人が命を落とすこともあり、明日の運命は未知数である。
 日本でも神戸震災は記憶に新しいし、関東大震災も85年前のことである。
 災害は地震だけではない。台風による風水害、雷、雪、冷夏。文明の進歩で自然を征服したつもりの人間が、大自然の猛威に、いかに手も足も出ないかは、ごく最近のミャンマー、中国の不幸を見れば分かる。
◇人間の地獄は災害によるものだけではない。
 人間が人間を殺す最大のスケールは戦争であり、人は昔から神仏に帰依し、愛を説くが過去を振り返れば戦の歴史である。宗教の戦、民族の戦、国家間の戦がそれである。一つの独立した国家にあっても、人権を無視して、権力者が血なまぐさい強権支配を展開する。独裁国家は今も問答無用に批判者を殺し続ける。
◇災害や戦が無くても人間は自らの心の中に鬼を住まわせ、地獄の苦しみから逃れられない。心の中の鬼は、人さまざまで、いろんな形で自らを苦しめる。その一つが欲である。欲は本質的には生きるために神が与えたものであるが、それが度を越したり、変質したり、他人との競合が葛藤を招くことがある。欲がひどくなると、自制心を失って他人のものに手をかけたり、法を犯したりしがちである。男女の愛が妬心の始まりで、それが悲劇の因となるケースは物語りや小説のテーマのみならず、日々の暗いニュースにも登場する。
 その他、職場、学校、家庭。人は必ずしも安穏の生活、ルンルン気分を満喫しているとは限らない。心に陰があり、欝心が募るとき赤鬼、青鬼、もろもろの鬼に苦しむことになる。
◇聖人、君子、生き仏のような人でも苦から無縁というわけにはゆかぬ。
 人は必ず加齢し、肉体的に衰えてゆく。精神的にも若さを失ってゆく。肉体の衰えは行動に表れるし、手足の力の弱みが人の助けを得なければならなくなる。そのことはあらゆる万物の宿命であるが、それに伴う病魔との戦いである。
 加齢の結果、90歳、100歳の長寿を健康で祝える人は最高の幸せだが、病気がちで、身寄りもなく、寂しく老後を送る人は、本気ではなくともつい「早く参らせてほしい」とのつぶやきが出る。早く参らせてほしいという願望は此岸におさらばして、彼岸に行きたいとの思いである。つまり、生きているいまが地獄なのである。
◇古来、多くの宗教家が苦しみに苦しんだ末、一人でも多くの人をこの世で生きている今を救いたいと発願され、教えを完成された。したがって、乱世とか末世とか、人の世の地獄が叫ばれる世ほど、人は宗教に安らぎと救いを求め、先導の師にすがろうとする。
 結局、人間はいかに物質的に豊かになり、生活環境に恵まれても、心の闇から解放され、自らの中の鬼を払うには神仏にすがるよりほかはない。そう思うようになる。つまり、神さまに助けてもらおうとするのである。ただ凡夫は神さまになかなか会えないのであるが…。【押谷盛利】

2008年05月19日 13:34 |


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