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親の教えと牛の尻がい

 自分のことは自分でせよ。自分らのことは自分らで…。といった意味で「尻は自分で拭くもの」を書いたが、多くの反響を頂いた。そのなかで、Aさんから「尻」はいかにも品がない。もっといい表現がないものか、との指摘を受けた。
 言われればその通りだが、日本語としては決して品がないどころか、尻を使った言葉がたくさんある。
 頭と尻は対局を意味し、イロハカルタの「頭隠して尻隠さず」のように馴染まれてもいる。
 5月は田植期で、水が生命である。田に水を注ぐところが、水口(みなくち)であり、水の出るところを尻水戸(しりみど)という。
 尻と同じ言葉を探せば「けつ」がある。けつは穴と書く。しかし品から言えば「けつ」の方が一枚落ちる。
 水汲みに使う容れ物を馬穴(ばけつ)という。以前はブリキ製だったが、今はポリエチレン製が主である。なぜ水の容器が馬穴なのか、と不審に思う人が多いのではないか。これは外来語のバケットによるもので、これがバケツになった。
 江戸時代以降の荷馬車もそうだが、戦時中の陸軍の騎兵隊や野砲隊は馬を兵器同様に利用した。馬は大量の水を呑むので、休憩ごとに水を手配せねばならぬが、そのさい用いる手ごろな水桶がいわゆるバケットで、丈夫な分厚い布で出来ていた。軽くて畳めて、持ち運びが至便だから、昔の消防ポンプには必ず付いていた。
◇いまは年寄りが動けなくなると老人施設へ入れるのが普通となったが、半世紀以上も前はほとんどの家庭で息子や娘、嫁が面倒をみた。介護のうち一番頭を痛めたのが排泄のことで、世話をされる側はとことん、我慢して自分のことは自分でしようとする。しかし病気が重篤となると最後は世話を受けねばならぬ。だから親は早くから「動けなくなったらししばばは頼むぜよ」とわが子に言ったものだ。
 いわゆる「尻」の世話である。本来は自分ですべき処理であるが、体がいうことをきかないから、赤ちゃん並みに家族の世話を受けねばならぬ。
 しかし、これは昔むかしの大昔からの順送りだからだれもが「おっかあ、心配せんでええ」とこれまでの日本社会は施設などは思いもよらなかった。
◇親の尻を拭かないどころか、かわいいわが子を虐待する若い親が増えつつあるというから、世も末である。なさけない話で泣くにも泣けぬ悲惨さである。
◇なぜ、このような怖い鬼のような話が出てくるのだろうか。
 人間が動物以下になり下がったというべきか。鴉や犬、猫の子育てを見るがよい。涙ぐましいばかりのかわいがりようである。子育てをする慈愛は万物に与えたまうた神さまの尊いみこころであるが、それを万物の霊長である人間が踏み潰してゆくのであるから、人間放棄である。鬼のような親の将来も案じられるが、虐待されて育った子の将来もまた不安な因子を持つのではないか。
◇もう忘れ去られた言葉であるが、言い残しておきたいのでつけ加えておく。「牛の尻がいと親の言うことは外れそうで外れない」。
 尻がいは耕作用や運搬機に使役する牛につける道具の一つ。馬にもつけるが、牛の胸から尻にかけて取りつけ、うまく舵が取れるよう二本の長い柄(え)の先端につけるもの。
 親さまの言うことは長い人生体験から習得した知識、知恵であるから踏み外しがない、という問わず語らずの伝承のようなもの。
 そういう素敵な親を持つわれわれなのに、それに反して子を殺したり、虐待する親。必ず尻が来るにちがいない。【押谷盛利】

2008年05月17日 13:57 |


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