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明日に夢があるか

 明日(あした)には夢があるという。本当に夢があるのだろうか。
 人生を悲観的に見るのはつつしまねばならないが、このごろの諸事万端に思いを致すとき、明日の夢に疑問符を感じるのはぼくだけではあるまい。
◇例えばである。ゴミの収集日を考える。燃えない、あるいは燃やしてはならぬゴミは選別して、多くは不燃物として埋立てゴミに処理される。各地区から毎回、山のように出る不燃物は日本全国、どこかの山か、荒れ地に捨てられて処理されるが、年々歳々、増えることはあっても減ることはない。
 今は戦後世代が定年の時期を迎え、その息子や娘が核家族化して独立する。古い家はリフォームされるし、若ものたちは別居して新しい家やマンションに入る。住宅産業は盛んだが、その住環境のすさまじい変化がゴミの廃棄に輪をかける。家庭からの不燃物とともに産業廃棄物がこれまた日本の地中に埋め立てられてゆく。
 何十年、何百年、何千年、際限なく狭い国土が汚されてゆく。
 それは日本だけの話ではない。過日の国際ニュースで、イタリアのナポリだったか、市中に捨て場のないゴミの山が出来て、政府がその処理に頭を痛めている、というどこにもありそうな話が伝わった。
◇バカげた話である。物が欲しくて、その需要に応えるべく産業が近代化して、大量生産する時代に入った。そして大量消費社会は家庭をゴミの予備廃棄場と化した。世界的食糧危機の叫ばれるなか、外食産業は生ゴミと食べ残しの処理に環境面の負を重ね、人々は家庭であれ職場であれ、常に何かを食べ、飲み、飽食の因果がクスリ漬けとゴミの増加に一役も二役も買っている。
◇バカな話は再生産を繰り返す。うまいからとて、口卑しく、美食のつけが糖尿、心臓、脳梗塞などを招き、太らぬためとか、ダイエット食品が市場化され、室内運動具が流行する。
◇バカは死ななきゃ直らない、というが、国民は青い鳥を求めて幸せを夢見るはずなのに、誘いあったり、教えあったりして自ら死を急ぐ。病気としか考えられぬが、それも自死のみならず、関係のないマンションの住人に迷惑を与えるなどさむざむしい情報が跡を絶たぬ。
 いや、それよりも、むごい話が殺人鬼の流行的現象である。
 知人のさる娘ごが、夜、塾へ通うが、一家の悩みは帰りの不安である。父親と母親が交替で送り迎えをすることにしたが、人間不信の行きつくところは、と思えば思うほど明日への夢は萎みゆく。
◇外食産業の大手・吉兆は偽ものの汚名返上と思いきや、客の食べ残しを再使用したというので、物議をかもしている。
 どこにでもありそうな話である、というようなことになれば、国民みんなが自分の首を絞めているようなものである。そもそもの原因は食べ残しである、ああ、食べ残し、60年前以上を生きた人々に聞くがよい。「食べ残し?そんなもんがあるのかね」、「煮物のつけ汁でさえ残さず飲んだんよ」、「お膳の上には食べられぬ頭の骨くらいしか残っていないのよ」。
◇こんな世の中にだれがした。政府は、なんでもことを興せばよいと、行政改革に逆行する。
 バカも休み休みにするがよい。「消費省」なんてつまらぬことを考える。【押谷盛利】

2008年05月07日 16:39 |


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