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うまい空気と楽土の話

 30日の時評は山の讃歌であった。山へ登り、山のみどりに迎えられると体を投げ出したくなるような解放感に浸ることが出来る。空気がうまいというのが実感で、その澄みきった新鮮な空気を吸っていると体内の血が洗われてゆくような錯覚をする、とも書いた。
 それを命の洗濯とたとえたが、読者のAさんから「うまい空気って、どんな空気なのか」と電話で聞いてきた。一言で返事するのに困ってしまった。
 仕方がないから「うまくない空気の反対を想像してみてください」と話したことである。
 例えば家の近くで土木工事が行われ、ブルトーザーや重機のエンジン音が不快な音を立てる。その音と共にディーゼルエンジンの排ガスがあたりに漂う。あの一酸化炭素の臭いは気分が悪くなるほど身にこたえる。東京都の石原都知事は数年前、ディーゼルの大型トラックの都内乗り入れを規制したが、あの臭気と排ガスを都民の健康上から追放したのは英断だった。
 騒音と臭気公害が指弾されたのは30年以上前の環境行政のお手柄だが、しかし、善良で羊のような市民は余り問題にしないが、いまなお一部では事業所や工場からのいやな臭いや音にへきえきすることがある。
◇不快な音や臭気は自然から程遠い都市につきもののようだが、現代人は馴れっこになっているから音にも臭いにも鈍感になってしまった。水道水よりも天然の地下水や山の水がうまいにきまっているが、都会人は水道に頼りきっているからカルキ臭いのが気にならなくなっているようなものである。
 真夏、長い間、雨が降らず、ダムの水が涸れ、河川が干上り、水飢饉にさらされると、うまい、うまくないを通り越して、一滴の水をも拝むようになる。
◇かつて、四日市、名古屋、川崎、尼崎市では空気の汚れが人体を傷つけたということで被害者が公害訴訟を起こし、国側が破れた。
 問題の都市は石油コンビナートがあり、工場排煙のほか、それに関連しての輸送トラックの排ガスがひどく、住民は日々の不快感だけでなく、気管支や肺を病むことになる。それぞれに生活がかかっているから、空気が汚染されていても家を払って転地するわけにもゆかぬ。いわば近代産業と交通のもたらす犠牲者であり、都会の空気が田舎の空気に比べてうまいはずがない。
◇しかし、田舎の空気といえども車の排ガスや農機からの一酸化炭素による大気の汚れは避けられない。
 このような現代人の生活環境は文明と経済のもたらす副産物であり、生活する以上逃げるわけにはゆかぬ。
 恐いのはそういう環境に馴れきって、美しい空気や静かな雰囲気を保持するための知恵や努力を忘失することである。
 伊吹山は湖北民の憧れの対象であり、産土神(うぶすな)の坐(いま)す聖地でもある。近年レジャーの対象となって3合目あたりに大きな音を立てて音楽を全山に響かせている。
 憩いとやすらぎの聖地を俗化してよいものか、大いに疑問だが「ノー」という声を地元で聞かない。それが恐いのである。
 長浜に楽市が進出したとき、西友ストアが人気取りで、長浜港から楽市への観光ヘリコプターを企画したことがある。当時、ぼくは地元町の役員として、また言論人としての立場から騒音公害阻止を叫んで反対したことがある。田舎の山や農村風景は水と緑と空気のうまい楽土であり、ゼニカネでととのわぬ先祖伝来の宝でもある。【押谷盛利】

2008年05月01日 16:08 |


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