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山の保水力と漁業振興

 連休は何処へ行く?とよく問われる。選(よ)りに選って、車の渋滞する人混みの中へ行く気はしないから、こういうときは家で読書したり、近くの山を歩いたり、夏作の胡瓜(きゅうり)や茄子の苗植えなどに時間を潰す。
 戸外へ出て明るい風に吹かれ、草木の芳しいきみどりに触れるのが最高で、早い話が命の洗濯である。
◇命の洗濯には違いないが、そんなに堅苦しいことではなく、したたるような山のみどりに迎えられると体を投げ出したくなるような解放感に浸ることが出来る。さながら空気がうまい、というのが実感だが、その澄みきった新鮮な空気を吸っていると妙なもので体内の血が洗われてゆくような錯覚をする。
◇日本は国土の多くを山が占めているから、山の国といってもいいだろうが、その山がいま荒廃して治国の悩みとなっているのは偶然ではない。
 ぼくは山家(やまが)の出(で)だから、特に関心を持つわけだが、山の保水力一つを考えただけでも腰が抜けるほどの驚きである。
 29日の昭和の日、休日を利用して、古里の野瀬の天吉寺山へ登ってみた。本堂跡の斜面を少し南下したあたりに僅かだがぼくの私有地があり、50年程前に植えた杉が一抱えほどにも成長して雲を突く勢いで高々と伸びている。
 山には山襞(ひだ)と呼ばれる大小の谷があり、境界線の役割もするが、雨水を受けて川の源流となる。
 ぼくの山は、戦前は萱(かや)原であった。一面に萱が生い茂り、秋にこれを刈るのが仕事だった。乾燥させて保存した萱は屋根葺き用に宛てられた。そのころは瓦葺きよりも萱葺きの家が多かった。
 その萱原のすぐ上が頂上になっていたから地下水が年中噴き出るとは思わないのに、山襞の湿地は常時、わずかだが水が流れていた。ぼくが登ったその日は、とっくに雪は消えているのに、その湿地部は谷川のせせらぎのように音を立てて水が流れていた。
 ぼくは山の保水性について感嘆したが、このことは、岐阜、滋賀、福井の三県にまたがる木之本町の奥地・夜叉が池でもみられ、山の頂上近くに池があって常時満々と水がたまっている。
◇山が水を貯水しているから、年間、川の水が涸れないし、その水のお陰で魚が住み、漁業振興に役立っている。
 いつだったか、新聞かテレビの話題だった。岩手県の太平洋岸のある漁業組合が遠く離れた川の上流の山奥で植林や山の手入れの奉仕で汗を流していた。奉仕作業の組合員たちは漁村の人だが、漁業が成績を上げるのは漁獲量によるし、魚が繁殖するのは水がよくて餌になる成分の多いのが条件だという。山の落葉が腐って土壌化し、その土を通して流れくる水が魚を繁殖させ、漁業の振興を助けているのだという。だから山を手入れし、山のみどりを助けるのは、魚を助け、海の幸を豊かにすることにつながるのだ。山が漁業を振興させている、とは思いもよらぬ話だが、聞けば聞くほど合点がゆく。
◇山の保水力は、それだけではない。一時間100㍉以上の集中豪雨となれば、洪水、崖崩れ、床上浸水、田畑の流失などの被害が出るが、その一気水を抑止しているのが山の木々であり、緑である。
 現在は、用材確保の上の本来の森林産業や戦前のような薪炭用の存在価値はなくなったが、その代わり、国土全体の空気、水、景観といった環境面における山の重要性がクローズアップされてきた。
◇各種の山菜、茸類など山の幸もさることながら、山が命を洗ってくれることの恩恵を忘れてはなるまい。【押谷盛利】

2008年04月30日 14:49 |


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