滋賀夕刊新聞社は滋賀県長浜を中心に政治、経済、文化の情報をお届けする新聞です。



2008年04月30日

山の保水力と漁業振興

 連休は何処へ行く?とよく問われる。選(よ)りに選って、車の渋滞する人混みの中へ行く気はしないから、こういうときは家で読書したり、近くの山を歩いたり、夏作の胡瓜(きゅうり)や茄子の苗植えなどに時間を潰す。
 戸外へ出て明るい風に吹かれ、草木の芳しいきみどりに触れるのが最高で、早い話が命の洗濯である。
◇命の洗濯には違いないが、そんなに堅苦しいことではなく、したたるような山のみどりに迎えられると体を投げ出したくなるような解放感に浸ることが出来る。さながら空気がうまい、というのが実感だが、その澄みきった新鮮な空気を吸っていると妙なもので体内の血が洗われてゆくような錯覚をする。
◇日本は国土の多くを山が占めているから、山の国といってもいいだろうが、その山がいま荒廃して治国の悩みとなっているのは偶然ではない。
 ぼくは山家(やまが)の出(で)だから、特に関心を持つわけだが、山の保水力一つを考えただけでも腰が抜けるほどの驚きである。
 29日の昭和の日、休日を利用して、古里の野瀬の天吉寺山へ登ってみた。本堂跡の斜面を少し南下したあたりに僅かだがぼくの私有地があり、50年程前に植えた杉が一抱えほどにも成長して雲を突く勢いで高々と伸びている。
 山には山襞(ひだ)と呼ばれる大小の谷があり、境界線の役割もするが、雨水を受けて川の源流となる。
 ぼくの山は、戦前は萱(かや)原であった。一面に萱が生い茂り、秋にこれを刈るのが仕事だった。乾燥させて保存した萱は屋根葺き用に宛てられた。そのころは瓦葺きよりも萱葺きの家が多かった。
 その萱原のすぐ上が頂上になっていたから地下水が年中噴き出るとは思わないのに、山襞の湿地は常時、わずかだが水が流れていた。ぼくが登ったその日は、とっくに雪は消えているのに、その湿地部は谷川のせせらぎのように音を立てて水が流れていた。
 ぼくは山の保水性について感嘆したが、このことは、岐阜、滋賀、福井の三県にまたがる木之本町の奥地・夜叉が池でもみられ、山の頂上近くに池があって常時満々と水がたまっている。
◇山が水を貯水しているから、年間、川の水が涸れないし、その水のお陰で魚が住み、漁業振興に役立っている。
 いつだったか、新聞かテレビの話題だった。岩手県の太平洋岸のある漁業組合が遠く離れた川の上流の山奥で植林や山の手入れの奉仕で汗を流していた。奉仕作業の組合員たちは漁村の人だが、漁業が成績を上げるのは漁獲量によるし、魚が繁殖するのは水がよくて餌になる成分の多いのが条件だという。山の落葉が腐って土壌化し、その土を通して流れくる水が魚を繁殖させ、漁業の振興を助けているのだという。だから山を手入れし、山のみどりを助けるのは、魚を助け、海の幸を豊かにすることにつながるのだ。山が漁業を振興させている、とは思いもよらぬ話だが、聞けば聞くほど合点がゆく。
◇山の保水力は、それだけではない。一時間100㍉以上の集中豪雨となれば、洪水、崖崩れ、床上浸水、田畑の流失などの被害が出るが、その一気水を抑止しているのが山の木々であり、緑である。
 現在は、用材確保の上の本来の森林産業や戦前のような薪炭用の存在価値はなくなったが、その代わり、国土全体の空気、水、景観といった環境面における山の重要性がクローズアップされてきた。
◇各種の山菜、茸類など山の幸もさることながら、山が命を洗ってくれることの恩恵を忘れてはなるまい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月28日

福田首相への赤信号

 注目の衆院山口2区補欠選挙は27日、投開票の結果、民主前職の平岡秀夫氏=社民推薦=が、自民新人の山本繁太郎氏=公明推薦=を破り当選した。
 自民党は負けるべくして敗れ、民主党は勝つべくして勝利した。
 この選挙の意義は大きい。中央から遠く離れた本州最西端の政治地図の運命というよりも近き将来の衆議院解散に伴う日本の政治の動向を占うからである。
 いわば、いつ行われても不思議でない衆院選の前哨戦として重視されていた。
◇敗れた自民党は、福田首相就任後の初の国政選挙だっただけに、なにがなんでもご祝儀当選の縁起をかつぎたかった。その悲願が空しく消えて、たちまち暗雲が垂れ始めた。
 明確な流れというべきか、次なる国政選挙の顔としての福田さんに赤信号が点(つ)いた。
 さかのぼれば、福田さんは登板以来、いいとこなしに日を送ってきた。
 早々に中国や韓国にいい顔を見せたが、それは逆に日本の国民に不快感をもたらした。
 首相が国内問題で、リーダーシップを発揮した例を知らない。道路特定財源問題で、ピンチにさらされたとき、大きくカードを切ったつもりの「一般財源化」も裏では党内で袋叩きにあい、結局、見せびらかしの空手形よろしく、5月国会で帳消しの10カ年計画が提案される。
 何よりも情けないのは、安倍さん以来の鳴りもの入りの国家公務員法の改正案がずたずたに骨抜きにされたことである。公務員法改正のねらいは人事の刷新であり、天下り禁止であったが、見事に空中分解し、官僚は胸をなでおろした。
◇民主党は敵失によって点を稼いでいる格好だが、ここにきて、心の底から国民の支援に応えねばなるまい。日銀総裁の人事にしても、目下のガソリン税についても、この党がここまで戦えるのは、さきの参院選の勝利によるものである。つまり国民が民主党の政策に肩入れをしたからである。もっと端的に言えば国民が政権交替を望んだからである。土台に白アリが発生して久しいから根本的に建て直さねば、との思いが国民の政治的関心を深めたのである。
 この国民の心に素直に応え得るかどうか、民主党への関心は急浮上するが、それが本物かインチキかは時間が証明してゆく。
 目下は、党首の小沢一郎氏の求心力がまがりなりにも維持しているが、高揚する国民的人気には程遠い。一つは中国寄りの姿勢がきわ立っているからである。いうべきことを言わない訪問外交は、むしろ国益を損なう。同じことは拉致問題への北朝鮮の対応にも問われる。
 小沢さんは、小泉さんの継承者である安倍さんには協力しなかったが、福田さんには大連立への協力を約すなど、その政治的方向は親中国寄りであり、今回の北京オリンピック聖火リレーに対する野党党首としてのコメントも聞かずじまいであった。
 彼のイメージともいうべき豪腕は、日本の政治改革の上で期待するものだが、それが錆びているか、冴えているか、今後の歩みが注目されよう。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月25日

褒め合う心(見聞録)

 天理教のSさんが発行している「陽気ぐらし新聞」。25日付け滋賀夕刊で紹介したが、湖北地域で評判を呼んでいる。
 掲載されている人生訓は、500文字程度なので、たった1、2分で読めるが、その内容は現代の社会や家族が失いつつある、助け合い、励まし合い、楽しみつつ生きるという、前向きの歩み方。
◇例えば「褒め合う家族」の一節を紹介すると―。
 「褒められると自信がついて、やる気がわいてきます。褒められて嬉しくならない人はおりません。上手な褒め方であれば、もっと嬉しくなります。人間は、自分を嬉しくさせてくれる人を信じたくなります。また、尊敬されると、相手を尊敬する気持ちが生まれます。家族は、誰よりも信じ合い、誰よりも尊敬し合うものでなければ。そしていつも『ありがとう』と礼を言い合い、感謝をし合うと、そこから助け合いがうまれます。助け合いは信頼の始まりです(中略)家族が褒め合い、尊敬し合い、感謝し合い、助け合っていると必ず家族は繁栄します」。
◇24日付の米科学誌「ニューロン」によると、褒められると脳が喜ぶことが、脳内画像の解析から科学的に証明された。
 自然科学研究機構生理学研究所(愛知県岡崎市)の教授グループが世界で初めて、褒められた人の脳内画像の撮影に成功したというもの。
 その画像から、人に褒められた時の脳内部位「線条体」の活動が、金銭のような報酬を得た時と同じ動きをすることが判明。他人から評価されることも「報酬」として認識されることが分かった。
 研究グループは「『褒められと伸びる』ともいわれる人間の社会的活動の解明への第一歩」とコメントしている。
 報酬をもらう時と同じ作用というのは、なんとも下世話な結果だが、褒めるという行為が、人間の感情にプラスになるということが科学的にも裏付けられた訳だ。
◇古来、宗教と科学は相反するような関係だが、科学技術の進歩が、先人の人生訓や宗教の教えを裏づけることになるのだろうか。
 とはいえ、科学的根拠がなくとも、信頼や尊敬、助け合いの心が、より良い人間関係の醸成、平穏で温かな社会の構築に繋がることは、人間の感覚からして、しごく当然のこと。
 ただ、その感覚をどこかに置き忘れている人間が増えているのが、今の世の不幸か。「陽気ぐらし新聞」を無償で配る信仰者に見習い、善意の輪が人の心を少しでも変えてゆけると信じていたい。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月24日

土台の腐りは並でない

 19日付の時評で「官のでしゃばりを突く」のテーマで、明治以来の伝統ともいうべき官僚支配による半封建的国家について触れた。
 その後段で、「なぜ、官僚が支配し、横着をきめこむのか。それは政治家が官僚に頭が上がらないからである」と総括した。
 続いて、23日の時評は「建て直すための設計」なる一文を書いた。この時評は少しユーモアを含めて、肩のこらぬ書きっぷりをしたつもりだが、ペンを走らせるぼくの心の中は怒りに溢れていた。
 あの時評の核心は福祉にしろ、医療にしろ、年金にしろ、カネに行き詰まったら奥の手は消費税だとする安易、無責任流を追及することにある。
 国民はお人好しというのか、金持ち、けんかせず、というのか、腹の立つ政治や許せない役人の犯罪に対して、わりかし、たんたんと呑みこんで、一週間ほどするとけろりと忘れてしまう。
◇ぼくが23日の時評で、唐突にも「建て直すための設計」を書いたのは、あの文章の最後の項目に尽きる。
 「この国は今もって役人の天国であり、官僚は表は政治家に尾を振っているが、裏ではアホ扱いにして、最後は国民のカネで帳尻を合わせる」。
 「まやかしの、国民不在のおどろおどろしい政治が戦後一貫して続いてきた。その口惜しさ、不満があるから大阪府の橋下知事への支持率が70%にも80%にもなっているのだ」。
 「白アリで土台が腐ってきているのだから建て直すしかないが、設計の基本は正直ものがバカを見ぬシステムであろう」。
◇役人天国にメスを入れるということは官僚支配の政治体制を改めることであり、小泉さんや安倍さんが信念的に取り組んだ公務員改革がそれである。
 正しくは「国家公務員制度改革基本法」というが、福田さんも逃げるわけにはゆかぬから渡辺担当相を留任させて国会を乗り切るハラだったが、案の定(じょう)官僚と族議員の猛抵抗にあって、中身はずたずたに骨抜きにされ、おそらく審議の段階で潰されるであろう。
 公務員改革を小泉さん以来3人の首相が「重要法案」として、国民受けの目玉商品としながらも途中でけつまずくのは、いかに官僚の力が強大であるかを如実に示す一例である。
◇官僚は表は政治家をたてるが、裏ではハナから笑っている。政治家なにするものぞ、とバカにする一例は、21日、初公判の行われた防衛省汚職の元防衛省次官の守屋武昌被告にみることができる。
 5年近くも次官を勤めていた守屋被告は防衛省の天皇とまで言われていた。この言葉が端的に示すように大臣より上位ということが公認されていた。上位というよりも天上の一人で、別格のえらいさんだった。
 この男、次官生活が余りに長期にわたるので、省内の綱紀の面からも替えねばならぬ、と小池百合子防衛大臣が策したところ、「やれるもんならやってみろ」と、すごみをきかせて官邸や防衛族議員に手を回して、その人事案を潰してしまった。
 あげくの果ては、小池さんの首を引き替えに退任した。
 小池さんは、それでも彼を防衛省の顧問として採用するハラだった。
◇もう国民は忘れたかもしれないが、薬害エイズ事件で製薬会社と旧厚生省役人の癒着が問題になった。厚生省OBが製薬会社へ天下りして、国民の健康よりも製薬会社の利益に奉仕した。その官僚やOBを支援していたのが厚生省族議員である。
 土台の腐りは並でない。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月23日

建て直すための設計

 年金の問題や長寿者の医療保険などが、けんけん、がくがく、国民総議論の対象になっている。
 言うなれば、高齢者社会に突入して、国も国民も尻に火がついた感じである。
 悪いことは政治のせいだ、と一方的に非難することは避けたいが、現在のもろもろの矛盾や百鬼夜行めく役人天国の黒いかげは、上り坂だった戦後経済の落とし穴であり、それに便乗した政治と政治家の投影である。
 そして、政治家と役人の泣きどころをとらえた経済人の欲ぼけの結果でもある。
◇年金の掛け金を払っていない人たちがいる。まじめな国民から見ればウソのような話だが、こういう人は受給できる年齢に達しても年金をもらうことは出来ぬ。
 こういう人を無年金というが、これではかわいそうだから、無年金の人にも渡せるようにしては、という話が持ち上がっている。
 ふざけるでない。それならまじめに掛けている人はどうなるのだ。こんなことがまかり通る世であれば、なににしろ、払わん勝ちの風潮を招くのではないか、と反発する声がある。
 いや、待てよ。無年金の人を放っておくと、生活保護法の方から救済せねばならなくなる。年金を渡す方が生活保護法の金より安上がりになるから…、と話は深刻になる。
 ところで無年金者を救うにはその分、カネがかかるが、それはどこからひねり出すのか。
◇いま評判の悪い後期高齢者医療保険も年金から天引きできる人はよいが、年金もなければ所得もないとあれば、この人たちの医療はこれまた生活保護法にたよるしかない。
◇病気になったときの治療のため、職場の健康保険や自由職の人らの国民健康保険制度があるが、これらに加入していない人もあるし、加入していても保険料未納の人もいる。保険がかかっていないからといって救急医療で運ばれてきた人を診察し処置しないわけにはゆかぬ。じゃ、そのカネはだれが負担するのだ。どこから出るのか。となると、これまた厄介である。
 議論の果ては、最後は国が面倒を見るより仕方がないではないか。そんなおめでたい議論ならカネのなる木を探してこい。
 ほいきた。それそれ。カネのなる木は消費税よ。これを上げさえすれば万事がまるくおさまる勘定。いまは5%だから、10%、いや、同じ上げるなら15%、20%に、と国民の暮らしなど眼中にない捕らぬタヌキの皮算用。
◇日本のこれまでの政治は常にこのようないい加減さで、最後のつけは国民のふところねらいだった。
 国民も右肩上がりの景気に安住して、いいとこの旦那のように、あれもよし、これもよしと応ように構えてきた。
 その応ようさのせいで、とんちんかんな政治や国民不在の役所仕事にも文句一つつけるでなく、なるようにしかならんわいと、それこそ長者かお大尽気取りで太平の眠りをむさぼっていた。
◇だから、盗人に仕事をさせたような年金保険庁の増長を許し、ろくでもないことにカネを湯水のごとく使ってきた道路特定財源を見逃したり、不信だらけの道路会計と道路族議員の横行を許してきた。
 この国は今もって役人天国であり、官僚は表は政治家に尾を振っているが、裏では政治家をアホ扱いにして、最後は国民のカネで帳尻を合わせる。
 驚くなかれ、こんなまやかしの国民不在のおどろおどろしい政治が、自由と民主主義の美酒を浴びながら戦後一貫して続いてきた。
 その口惜しさ、不満があるからこそ大阪府の橋下知事への支持率が70%にも80%にもなっているのだ。
 白アリで土台が腐ってきているのだから建て直すしかないが、設計の基本は正直ものがバカを見ぬシステムであろう。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月22日

比叡山で学んだ心得(見聞録)

 比叡山ドライブウェイが開業50周年を迎えたというので、ドライブがてらに出掛けた。山道にはまだ、満開の桜が残り、空気は肌寒かった。
 山頂では色とりどりの花を咲かせた「ガーデンミュージアム」がオープンしたばかり。園内は花だけでなく、ルノワール、ドガ、ピサロ、セザンヌ、モネ、ゴッホといった19世紀の印象派の画家の作品が野外に並べられ、花と絵を合わせて鑑賞できる、ちょっと風変わりな趣向だった。
◇その帰りに訪れた比叡山延暦寺でありがたい法話を聴く機会に恵まれた。
 延暦寺は約1200年の伝統を持つ天台宗の総本山。平安時代初期の僧侶・最澄が788年に開いた。多くの名僧を輩出したことで知られ、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮らが同寺で学び、さながら仏教の総合大学のよう。
 一度は信長の焼き討ちにより焼失したが、豊臣秀吉や徳川家康によって再建され、中核の根本中堂は三代将軍・家光の手で建立された。ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。
◇そういう深い歴史を持つ延暦寺の住職から聴いたありがたい法話では、人が生きて行くうえで心に留め置くべき3つの心得を説いていた。いずれも最澄の言葉。
 一つ目は「道心」。正しい生き方を常に求める心のことで、最澄はその教えの中で「国宝とは何者ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす」と語っている。
 二つ目は「忘己利他」。字の通り、何事につけても自身のことはさて置いて、人のために尽くせとの教えで、最澄はそれを「慈悲の極み」と説いている。いわば究極のボランティア精神だろう。
 三つ目は「一隅を照らす」。まずは自身の周りを明るく照らすことを考えよ、皆が自身の周りを照らせば、全人類、地球が輝くではないか、という意味。それぞれが自身の道を、持ち場をしっかり守り、生き抜くことが世のためになる、という教えだそうだ。
◇今月3日、大塚産業グループの新入社員一同が長浜市役所を訪れ、図書10万円分を寄贈した際、目録を受け取った北川貢造教育長が「利他」の心構えで社会貢献して欲しい、と新入社員にエールを贈ったが、1200年前の最澄の教えは、現代の世にも通じている。
 これらの教えは未来へ渡って受け継がれるべきであり、学校教育、例えば、社会や日本史の授業の中で、取り上げることも、「道心」の醸成につながるのではないだろか。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月21日

善光寺を見習うがよい

 北京オリンピックの前奏曲・聖火リレーが国際的な抗議や妨害を受けて、中国の威信を失墜させている。
 聖火リレーが日本に来るのは今月26日であるが、その長野聖火リレーを前に出発地の善光寺は18日、出発地の辞退を表明した。
 トラブルなどが起きて参拝者に迷惑がかかっては、との警備面での不安が表向きの理由だが、実際はチベット仏教に対する中国の弾圧への抗議である。人権と平和を担保するはずの北京オリンピックが、報道陣をシャットアウトして、チベットの人権を蹂躙している中国政府によって裏切られたことは国際社会の怒りを買って当然である。
◇聖火リレーは世界5大陸、21都市を巡っているが、欧州各国はもちろん、アメリカにおいても祝福どころか抗議や妨害の渦が巻いている。すでに、英、独など7カ国の首脳が北京五輪の開会式の不参加を表明しており、なぜ、オリンピックを北京に許したのか、と批判の声が世界に溢れている。
 本来、聖火リレーは、オリンピックへの期待と称賛をアピールする前奏曲であり、歓迎と祝福の波で迎えられるものである。
 ところが、今回に限って、中国の人権侵害を怒る声が聖火リレーの妨害行動に点火した。
◇いま、世界から異様な眼で見られているのが、聖火ランナーの前後左右を防衛しているように並走する青いスポーツウェアを着た中国人の集団である。
 これは聖火リレーが妨害にあって消されてしまうことを恐れた中国側が用心棒の集団を派遣しているもので、「聖火の管理」を目的としている。
 祝福されるべき聖火が妨害されることを恐れての防衛つきリレーとなったが、世界のもの笑いであり、中国の面目かたなしといってよい。
◇ところで、聖火リレーどころか、開催地の北京で、とんでもないスポーツの統制大会が話題になっている。
 20日、マラソンのテスト大会が北京で行われた。天安門広場から国家体育場までの五輪コース(42㌔)を選手50人が走ったが、警察官のほかボランティアを含めて数万人の警備員が大通りを2㍍間隔で妨害に備えた。
 天安門広場周辺は厳重に通行が規制され、道路はスタート1時間前の午前6時半から通行止め。周辺の地下鉄は天安門広場寄りの出口は封鎖され、一般市民はスタート地から排除された。取材証を持った記者も足止めされ、抗議した外国人カメラマン3人が警察の車で連れ去られたという。
 沿道には多くの市民がつめかけたが、みな、そろいの帽子を被り、大雨にもかかわらず、じっと応援していたから、おそらく当局の指示で動員されたのでは、と思われたようだ(21日、産経参照)。
◇ぼくは、長野聖火リレーの出発地を辞退した善光寺さんの僧侶の英断を称賛するにつけても、分からないのは日本の仏教団体のフヌケぶりと人権や平和を仕事のように叫ぶ連中及び中国参りに熱心な政治家の態度である。
 仏教団体は、靖国の話になると、中国のお先棒をかつぐかのように、首相の靖国参拝を反対するくせに、中国のチベット仏教弾圧や人権蹂躙には、何らの抗議声明や行動を起こさない。
 日本の政界の中には、過去2回も流れた「人権法」をまたぞろ国会へ出す動きがあるが、その推進役になっている議員らはなぜか、中国の人権侵害には目をつむっている。チベットでの人権蹂躙は「中国の国内問題」とばかり、まるで中国のお抱え政治家のようなポーズである。
 日本のマスメディアの中にも、中国の都合のいいことは大々的に報じ、都合の悪いことは極力小さく扱うか、避けるようにしている。
 どこの国籍をお持ちかと疑いたくなるが、その点、善光寺さんは「えらい」。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月19日

官の「でしゃばり」を突く

 ものの管理や売り買い、運営、経営をするのに公(国)営と私営がある。
 企業を例にとれば公営企業と会社のようなものである。同じ博打(ばくち)でもパチンコは私企業、競馬は公営。国鉄と呼んだころのJRは国営だったが、今は民営。
 かつての総理・小泉純一郎さんは「民でやれるものは民に任せるがよい」として、道路公団や郵政の民営化を断行したが正論であり、民主主義の経済法則にもかなっている。
◇明治維新当時の日本は、世界の先進国に追いつくため広く西洋文明を取り入れたが、その政策推進に一番の隘路(あいろ)となっていたのは金融財政の未成熟だった。
 このため政府は国立銀行を立ち上げ、これを見習わせるように各地で民間銀行の奨励した。また鉄道、電信、軍備、その他国家的規模の大事業展開に当たり外国からの資本導入を考え外債を発行した。
 国(政府)は国土の建設、安全、利用、国民の教育、福祉、警察と司法、国防、産業振興など民営になじみにくいところや利潤性のない部門は国営もしくは公営事業として取り組み、その必要な経費が税金の対象となり予算化される。
 したがって、出来るだけ国のでしゃばりをやめて、極力、民間企業に任すことが望ましく、民主的文明国家になればなるほど官より民への発想が広がってゆく。
◇逆に、なにもかも政府や府県が采配したり、政府系の法人が顔を突っこむのは民よりも公が上であるという官尊民卑の独裁国家というべきである。現代の共産国家や一部の軍部独裁国がそれである。
◇日本は表向きは規制緩和で民が成長し、産業界はもとより、国民に関係の深い生活部門など民主導の文明国家のよそおいをしているが、子細に見ればあらゆる部門に官がちらちらして、役人王国の片鱗をうかがわせる。
 ぼくはこれを「官のでしゃばり」と批判するのであるが、厚かましくも官僚は民間企業や団体を「下におれ」とばかり「行政指導」なる言質でもって言いがかりをつけたり、面倒な規制などを押しつける。
 なぜ、今の世に官が横着をきめ、威張るのか。
 それが明治以降の日本の官僚の生きる方程式であり、伝統である。この一点に関する限り、日本は決して民主主義国家ではなく、官僚支配の半封建社会というべきである。
 なぜ、官僚が支配し、横着をきめこむのか。それは国民代表たるべき政治家が頭が上がらないからである。その典型的な一例が先の日銀総裁人事の首相提案である。
 このほか、もろもろの官優位とそれによる業界との癒着、国民軽視のかずかずをしっかり総括する政治家や言論人に期待したい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月18日

8紙の論調 読み比べ(見聞録)

 18日付けの朝刊各紙のトップ記事は、イラクでの航空自衛隊の活動について、名古屋高裁が違憲判断を示したニュース。
 空自は昨年6月のイラク特措法改正で活動が2年間延長されたのを受け、クウェートからバグダッドへの輸送などを担当している。
 裁判は市民グループのメンバーらが、国を相手取り、派遣が憲法違反であることの確認を求めたもの。判決では、原告の訴えを棄却したものの、バグダッドで武力衝突が起きていることを指摘し、特措法の「戦闘地域」にあたると認定。そのうえで、「多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸する活動は、他国による武力行使と一体化した行動で、武力行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と結論付けた。
 この判決に対する各紙の社説を読み比べると―。
◇嬉しさを爆発させているのは朝日新聞。写真入りのトップ記事のほか、社会面でも写真2枚配置など計7ページで関連記事を掲載。社説では「武装した米兵を輸送しているのに、なお武力行使にかかわっていないと言い張れるのか」と判決を評価し、「高裁の司法判断は重い。判決を踏まえ、与野党は撤収に向けてすぐにも真剣な論議を始めるべきだ」としている。
 赤旗も、朝日同様に判決を高く評価し、共産党の穀田恵二国対委員長の「今こそ撤退すべきだ」との声を紹介している。
 毎日新聞は「あいまいな説明は許されない」との見出し。特措法で示す「戦闘地域」の定義のあいまいさ、政府がこれまで明かさなかった空自の具体的な輸送人員・物資の内容について、「国民に丁寧に説明する責務がある」とした。
◇一方、読売新聞は「兵輸送は武力行使ではない」との見出しで、「事実誤認や、法解釈の誤りがある。極めて問題の多い判決文」とバッサリ。原告の請求を退け、違憲確認についても「利益を欠き、不適法」と判断しているのに、主文ではない「傍論」で違憲判断の見解を加える必要があったのかと、疑問を呈している。
 また、多国籍軍による武装勢力の掃討活動が国連安保理決議を根拠とし、イラク政府も支持していることから「正当な治安維持活動にほかならない」と述べ、「イラク空輸活動は、日本の国際平和活動の中核を担っている。空自隊員には、今回の判決に動じることなく、その重要な任務を着実に果たしてもらいたい」と締めくくった。
 産経新聞も同じく「平和協力を否定するのか」との見出しで、「きわめて問題ある高裁判断」と批判。「日本はイラクをテロリストの温床にしないという国際社会の決意を共有している」「国際平和協力活動を違憲という判断は日本が置かれている国際環境を考えれば理解に苦しむ」と指摘し、政府が表明している活動継続を「当然なこと」としている。
◇日経新聞は「集団的自衛権論議を」を見出しに、「集団的自衛権を巡る政府の憲法解釈の無理を浮かび上がらせた」。
 中日新聞は「空自の早期撤退を促すもので、さらには自衛隊の海外『派兵』への歯止めとして受け止めることができる」と評価。「撤退も視野に入れた検討が必要ではないか」。
 京都新聞は「違憲判断に向き合え」との見出しで、情報公開の徹底、空自撤退是非の議論などを求めている。
◇社説から見えてくる各紙の姿勢を整理すると、朝日、中日、赤旗は高裁判断を大きく評価し、毎日も一定評価。日経、京都は異論なし。読売、産経は真っ向批判。
 今、福田首相は、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法案をまとめ、今国会提出に向けて調整を進めようとしている。
 昨今の国際情勢を考えれば、日本が海外の平和活動に参加することは欠かせない。だが、過去の湾岸戦争のようにカネを出すだけでは国際社会は認めてくれない。テロや武力衝突の危険にさらされる現地で日本人がどのような形で貢献するのか。
 今回の一高裁の判断に一喜一憂するのではなく、イラク特措法のような期限付きの急造法に変わって随時派遣を可能にする恒久法の整備が欠かせないのではないか。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月17日

役人天国に対する公憤

 ぼくは口が酸っぱくなるほど役人天国の日本のひどさをこぼしてきたが、この役人天国を根本から改革しない限り日本の国民は救われない。
 役人天国は幕藩体制の江戸期から始まり、明治期の薩長専横期を通じてがんじがらめに構築されてきた。
◇江戸期はさむらい社会で、その俊英が幕府や諸藩の政治を取り仕切っていたが、バックボーンに朱子学、陽明学、あるいは孔、孟の学問などがあったから現代の官僚のように省益優先、予算分捕り、私権に埋没など非倫理的傾向は抑えられてきた。
 しかし、地方や末端においては取り締まりや課税の上で苛酷な政治が行われる場合があり、ことに代官は政治を食いものにし、百姓衆を苦しめて一揆の原因になることも珍しくなかった。
 経済の観念を忘れてルーズな藩運営や無駄な浪費で藩財政に穴を開け、その結果が重税や借金名義の金の調達に及んだ。
 飢饉で死者の出る世に賄賂で遊芸にうつつをぬかす代官もいた。幕藩という絶体制武家政治だったから国民の不満は内攻し、寄らば大樹の陰で泣く泣く諦めるか一揆の抵抗を誘った。
◇江戸期の秀れた武士階級による政治を踏襲したのが明治期の官僚で、「官員さまならお嫁にやろか」などの戯(ざ)れ歌まで登場した。
 明治の官僚制度は徹底した上下関係で構築した身分制が特色であった。
 出自、学歴、コネクション、能力などから一番低い階層が傭員から雇員。その上に何段階かの役人らしい呼称の制度が役所機構を支えている。
 これにも下から上へ序列があり、判任官、奏任官、勅任官、そして最上級が親任官。判任官以上は各大臣や行政官庁の長が任命した。
 奏任官は高等官であり、高等官二等以上が勅任官。最上級の親任官は天皇の辞令によるもので大臣や陸海軍の大将などが任ぜられた。
◇明治期以降、昭和に至るまで日本の政治は官僚支配だったが、その官僚も独占的に幅をきかしたのが薩(薩摩)、長(長州)、土(土佐)だった。いずれも倒幕の功によるもので、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、吉田松陰、坂本龍馬、後藤象二郎らの影響が伝統的に尾を引き、軍部の人事にまで徹底した。
◇明治期以降の官僚支配は、他方、産業の興隆と関わりを深め、土地、物資の払い下げ、特権の付与、許認可権を通じ財界と癒着するようになった。
 政治家は財界の代弁者になり下がり、裏面から日本の政治を財界が動かすようになった。
◇さて、今の日本の官僚はどうか。明治期の古い官僚制度はなくなり、国家公務員上級試験をパスしたものがキャリア組として支配し、その下にノンキャリア組が実務をつかさどる。
 戦前の官僚と違うところは、組合という内部組織が省庁と対等の発言権を持ち、全体としてのさまざまな権益を確保し、組合の利益を最優先させるシステムを創り上げたことである。
 日本の官僚組織はキャリア組とそれ以外のノンキャリアによる組合との二重構造の上に成り立ち、この両者がなれあって国益を阻害し、国民のためによからぬ弊害を醸しつつあるのが今日の実態である。【押谷洋司】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月16日

やめてもらいましょう

 年寄りは哀れである。腹が立っても力が伴わないから泣き寝入りするしかない。
 いま、評判の悪い医療制度改革。4月から75歳以上の老人を対象に後期高齢者の保険料が年金から天引きされる。そのうちに厚労省の役人は「晩期高齢者医療制度」を設けるかもしれない。評判の悪さを伝えるテレビ画面で、おばあさんが「死ねということでしょうね」とさびしげにぽつりと語ったことが忘れられぬ。
◇ぼくの親しい教養ある90歳近い女性が、過日の歌会で、「愚痴袋閉ざして肌着を干しにけり…」という深刻な作品を披露して話題になった。若い夫婦や孫と同居しているのだが、この老婦人は25歳の若さで夫の戦死にあい、以来、一人の息子を育てて戦後の厳しさを乗り越えてきた。いまは楽隠居の身だが、嫁、姑(しゅうとめ)の問題もあって必ずしも朗々、幸せ満帆ということにはならない。出かかった愚痴を抑えることも処世の知恵であろう。
 彼女にとって、もったいないと思うのは、洗濯ものの扱いである。若いものが自分のものも一緒に洗ってくれれば一度で済むことであり、時間や水の浪費も助かる。そう思うのだが、それがしてもらえぬので、つい愚痴が出そうになるが、口に出してはおしまいだから、「ここは矢張り我慢のしどころ、今日も愚痴袋をしっかり閉じて自分の肌着を干しましょうわい」と自らに言い聞かせる歌である。思わず、もらい泣きするほどの深い内容がこめられている。
◇これと逆の悲劇をこの耳で聞いたことがある。これも夫に死別して長寿している老女性だが、いつも食事の後の一家の洗いものは自分の仕事として取り組んでいるのだが、ある日のこと、いつものように食器を洗っていると、孫が傍へ寄ってくるなり「おばあちゃん、洗わんといて、かなん、おばあちゃんはきたないから」。これを聞いて、かわいい孫からこんな言われ方をして、といたたまれないショックを受けた彼女。ひょっとしたら嫁と孫との話題の中で、嫁が言わしたのでは、と思うと泣くにも泣けぬ悲しさに、思わず近くの拙宅へ愚痴をこぼしに駆けつけた次第。
◇こういう老人の悲哀は老若同居の場合であるが、それでも息子夫婦と同居している生活はにぎやかであり、安心もできる。
 このごろは、結構な家、屋敷があり、何不自由もないのに、若いものが家を出る。大方は市街地のマンションか、新興住宅地での一戸建て。残された老夫婦は、年々体力が弱まり、互いにいたわりながら余生にしがみつくが、それでもいつかは一人ぼっちにならねばならぬ。夫(妻)の遺影に語りかけながら自由のきかぬ体に鞭打って孫や曾孫の成長を楽しむ姿はいじらしい。
◇後期高齢者か晩期高齢者か、何とでも言うがよかろうが、この人たちが戦後の潰れかかった日本を背負ってきたのである。世界第2の経済大国にのし上げたのはこの人たちの辛苦の汗の結晶ではないか。
 いま、ひるがえって、この人たちの日ごろの生活ぶりを垣間見るがよい。若いときの苦労が骨身にしみついているのか、それこそ、爪に火を灯(とも)すばかりのつつましさである。わずかな年金で、ぜいたく出来るわけでなし、着るもの、食べ物、何から何まで無駄を省き、時間があれば、何かをしたくなる働きぐせがある。
 ただ悲しいのは、足腰や頭の衰えが年々ひどくなり、思ったように体がついて回らないことである。
 こういうお年寄りの暮れなずむ晩期を思えば思うほど、役所の無駄づかいに腹が立つ。国民の尊い税金を湯水のように使う横着さ、無神経さ。医療費や福祉で金のいる時代なるがゆえに、苦しいときはお互いさま。役所人間にも泣いてもらいましょう。天下りなんて甘いものもやめてもらいましょう。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月11日

五輪と弾圧とプラン氏(見聞録)

 平和の祭典の盛り上げ役である聖火リレーが各地で妨害や抗議行動に遭い、イギリスのテレビ局は「さながら障害物競走」と揶揄した。
 ロンドンやパリでの大規模な抗議行動は、今度の北京オリンピックが平和の祭典とは名ばかりという印象を与え、サンフランシスコでの突然のルート変更は、聖火リレーの意義さえ失われたように感じられる。
 聖火を守るため幾重にも警察や大会関係者がリレー走者を取り囲み、屈強な中国人SPは、走者が胸につけた人権擁護バッジを「はずせ」と命じたり、「もっと聖火を高く掲げろ」と怒鳴ったり(11日付け産経)。
◇10日来日したダライ・ラマ14世は北京オリンピック支持を訴え、中国との対話路線を改めて強調した。
 しかし、一方の中国政府は、一連の抗議行動をダライ・ラマが扇動していると主張して、中国のマスコミもダライ・ラマと西欧諸国の対応を批判。
 そもそもの根本であるチベット民族への弾圧には触れずじまいだ。
 中国は世界経済に欠かせない存在となり、五輪を主催するまでに国力を豊かにしたが、それは経済的裕福さを身に付けただけであって、人権尊重や民主主義という視点では遅れに遅れている。
◇世界が中国の経済的影響力を恐れて、チベット弾圧をはじめとする人権問題に目をつむり、北京オリンピックを祝福するのは正しいのか。
 イギリス首相をはじめ、チェコ、ポーランド、ドイツなどの首相が開会式のボイコットを決めたことは、それぞれの国内の北京オリンピック反対世論に向けたガス抜きとの側面はあるものの、国際社会と中国政府に一定のアピールを示せるという点で評価されるだろう。
◇日本はどうだろうか。聖火リレーは、南米やアフリカ、中東などを経て、今月26日に長野に入る。長野でも抗議活動が行われる見通しだが、政治家や経済人が、今回のチベット騒乱、弾圧に対して、効果的なアクションを取れないのはどういうことか。
 10日のダライ・ラマの来日に対しても、日本政府は接触を避け、安倍晋三前首相の昭恵夫人との面会で茶を濁すだけだった。
◇話は変わるが、先日、米ニュージャージ州の病院でディス・プランという人物が65歳で亡くなった。
 ニューヨークタイムズ記者の助手としてカンボジアでクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の武装蜂起などの取材に携わり、プノンペン陥落(1975年)後のポル・ポト政権下で、強制労働と虐殺の時代を生き抜いた。4人の兄弟は殺された。後にカンボジアを脱出して、アメリカに亡命。
 ポル・ポト派による大虐殺を描いた映画「キリングフィールド」のモデルともなった彼は、新聞社のカメラマンとして活動しながら、その生涯をかけて虐殺の事実を訴え続けた。
◇ポル・ポト派は中国政府の支援を受けた経緯を持つが、その張本人のポル・ポトはすでに死去し、生き証人のプラン氏もこの世を去った。
 それでも今、ダルフールでは中国関与による「民族浄化」が続き、チベットや新疆ウイグル自治区では弾圧への抗議の声が封じられている。虐殺は形を変え今も続いている。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月10日

退陣への内濠を埋める

 日銀総裁人事は、すったもんだの挙げく、日銀出身の京大大学院教授・白川方明(まさあき)副総裁の昇格で一件落着となったが、このための空席を埋める副総裁人事は、民主党の反対で潰れた。
 店晒(たなざら)しされた候補の渡辺博史氏は、元大蔵省官僚の財務官で一橋大学の教授。
 福井俊彦総裁の後任として、最初は財務(旧大蔵)次官の武藤敏郎氏が候補に上がったが、民主党の不同意で、元大蔵次官の田波耕治氏に白羽の矢が立った。しかし、これまた大蔵官僚なるがゆえに民主党の受け入れるところとならなかった。
 諺に三度目の正直というが、今回、首相が副総裁にかつぎ出した渡辺氏はやはり大蔵(現財務省)出身のエリート官僚だった。
◇かくすれば、かくなる、ことの分かり切っている人事案を性懲りもなく持ち出した福田首相の腹の中は理解しがたいが、それほどまでに大蔵官僚との縁が深いのか。切るに切れない恩義でもあるのか、その執拗さは異常である。
 民主党が反対するであろうことは、あらかじめ分かっているはずなのに、あえて、討ち死に覚悟で敵前上陸するのは旧日本軍の大和魂だったが、福田さんのしつこさは、やけのやんぱち気味で、百に一つの奇策によって敵前突破を考えたふしがある。
◇その奇策とは、渡辺副総裁案を堂々と提案して、国民衆目の中で、三度目の反対をやるのか、やらぬのか。民主党との大バクチを仕掛けたとする見方である。
 事実、民主党内は、総裁については野党の筋を通して勝利したのだから、いつまでも日銀人事で政治を低迷させては国民の批判を受けるのではないか、と、今回は首相提案に同意すべきではとの声が多数を占め始めた。ことに、鳩山幹事長が同意派であり、反小沢派のほか大勢はそれに傾いていた。
 しかし、その福田さんの仕掛けた伸るか反(そ)るかの大バクチが小沢さんの怒りに火をつけた。
 小沢一郎民主党代表は、この3月国会を政権潰しの好機ととらえ、年金、道路特別会計とからめて、将棋でいう雪隠(せっちん)攻めの大手をかけていた。
 その大手の大義名分は「官僚の天下り反対」なる党の基本方針だった。ことに日本のこれまでの政治は大蔵官僚の主導で展開しており、この根っこの改革がすべての改革路線の入口である、としてきただけに、よりによって、日本の金融、経済の本山ともいうべき日銀トップに大蔵官僚の天下りを許すことは自己矛盾であり、国民への裏切りでもある、との理論から、小沢代表の反対が熱を帯びた。
 小沢代表の我慢のならなかったのは、この副総裁人事で、党が二つに割れ、代表の求心力にかげりを生じさせることだった。
 敵の首が風前の灯(ともしび)にさしかかった段階で、なにを好んで、敵に塩を送らねばならぬのか。戦略を間違えてはならぬ、とする小沢理論が党の最高役員会を支配したのは、民主党の良識といえるのではないか。
◇福田さんは、これまでに3人の候補を店晒しにしたが、その責任は大きい。人事提案権は首相にあっても、国会で同意されねば、当事者には不本意であり、不名誉でもある。
 結果を予測することなく、なにがなんでも自説を突っ張るやり方は強引としか言いようがないが、その強引さも「天下り反対」の声には通じなかった。衆参国会のねじれ現象の認識の甘さは政治家の資質の問題でもあり、退陣への内濠(うちぼり)を自ら埋める愚を犯したというべきであろう。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月09日

道路特別会計への怒り

 口が、からからに渇いて飲みものを欲しくなるときがある。
 貧しくて、飲まず食わずに働いた、と昔の人の苦労話を聞いたことがある。が、この場合の「飲む」は飲酒であろう。食わずは、まともな米飯にありつけず、大根や藷飯、草木の葉や根を食べたという粗食のことであろう。
 汗にまみれて走っているマラソンの選手がレースの途中で水を飲みながら走る姿をテレビで見るが、喉(のど)が渇(かわ)けば、ぶっ倒れるかもしれない。
 これから夏へかけては喉の渇く季節だが、ご馳走を前にして、ひどく食べたくなるのを「喉が鳴る」という。食べものに限らないが、欲しくて、欲しくて、たまらないのを「喉から手の出るほど」と形容する。
◇中国の古代から伝わって、なじまれている教えの一つに「渇(かつ)しても盗泉の水は飲まず」がある。
 喉が、からからに渇(かわ)いても、盗泉という名の池の水は飲まない、という意味。盗みというものの罪悪感の厳しさを教える言葉で、よく似た戒めが他にもある。
 「李下(りか)に冠(かんむり)を正(ただ)さす」。すももの実を盗んだと疑われるから、すももの木の下では帽子をかぶり直さない、という意味。
 もう一つ似たのが「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」。瓜(うり)を盗むのかと疑われるから、瓜畑では靴が脱げても履き直さない、という意味で、いずれも人に疑われるようなことはするべきではない、という教え。
◇いまの日本のお役所は中央も地方も公務員の道を逸脱するばかりか、刑法犯に該当するような、盗み、ごまかし、使い込み、不適正乱費、収賄などの不法、不謹慎、不愉快な事件がありすぎる。
 公務員の綱紀の弛緩(しかん)窮まれり、といった感じで、善良かつ、まじめな職員には気の毒だが、国民の血税を吸う鬼蜘蛛(くも)か、白昼の覆面ドロみたいで腹が立って、立って、腹の虫がおさまらない。
◇さきには、防衛省の次官が兵器取引をめぐって企業と癒着し、省内はもとより政治家まで汚染して官僚と防衛族議員らに国民の疑惑と怒りが集中した。厚労省関係では不必要な施設や建物類をつぎつぎ建てて、年金資金を浪費し、年金保険庁の如きは国民はもちろんのこと、政治家の知らぬうちに、まるで湯水の如く年金会計のカネを使っていた。
◇今度は、国交省の役人が、例の道路特別会計とガソリン税の暫定税率に関する国会質疑の中で、道路以外に不正に乱費していたことが分かった。
 空いた口が塞がらないというが、この天下御免の大泥棒の如き実態は詳しく的確に国民の前にさらけ出す必要がある。甚だしきは私用に一人の役人がタクシー代500万円分も使っていた。道路名目の税金が自分らの住宅や遊び、飲み食い、その他、アホらしくて聞いていられぬくらいのデタラメぶりである。
 盗泉の水どころか、下水の水を頭からぶっかけてやりたい、とそう思うのが国民の心情である。
 値下げしたガソリンを4月末、再び上げるという、税法改正なんて、この期(ご)に及んでそんな厚かましいことをするようでは、国民は大挙して征伐するであろう。それが近代民主主義のルールであり、民意に基づく政治システムである。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月08日

若衆の意気にじむパンフ(見聞録)

 子ども歌舞伎が見物の長浜曳山祭りは9日の裸参りから一気に盛り上がりを見せ、来週の15日に本日(ほんび)を迎える。
 長浜曳山祭りに合わせて、出番山の各山組ではパンフレットを制作するのが慣習となっているが、今年、解体修理を終えて真新しい曳山を披露することになる本町組春日山(筆頭・川尻浩史さん)では、200ページを超える「完全保存版」のパンフレットを作成し、話題を呼んでいる。
 曳山の歴史や歌舞伎用語の解説をはじめ、湖北地域の観光情報なども盛り込んでいる。特に別冊の芸題(外題)集には、1769年から1987年までの200年以上にわたる出番山と芸題を一覧にまとめ、曳山祭りの歴史を一目で分かる貴重な資料となっている。
◇昨年の秋から「ただのパンフレットではなく、ずっと残る本を作りたい」と、市川剛正さんを先頭に若衆が情報収集や編集に取り組んできた。別冊の芸題集は、市内の「ある研究家」が過去の文献などを参考に収集したデータを譲り受け、再編集したもの。
 200年前の曳山祭りには近年に見られない芸題がずらりと並び、その種類の多さに目を見張る。
 曳山祭りの外題の歴史を網羅した資料は現存していないそうで、春日山のパンフレットは非常に貴重な資料となりそうだ。
◇この資料によると、当初は毎年のように12基が出場し、狂言を執行していたが、19世紀後半から時折、6基に減少。経済的理由が原因とみられ、終戦直後は3基にまで減少。近年の4基体制は1955年から続いている。また、戦乱や飢饉などで狂言が休止したとの記録も残っている。
 例えば、1868年(明治元年)は鳥羽・伏見の戦に端を発した戊辰戦争が勃発したことから、休祭となった。また、1885年(明治18)には落雷で八幡宮の本殿の回廊などが焼失。このため、狂言執行を見送り、各組で余興したとある。
 1898年(明治31)には前年の凶作による米価の高騰に加え、八幡宮の「鳥居復旧工事未着手」のため、狂言執行を見合わせ、武者渡りだけを行っている。
 1913年は明治天皇崩御、1937年から1945年までは戦争のため、狂言を中止した。
◇なお、この春日山のパンフレットは2500部を発行し、曳山祭り関係者や図書館などに配布した。
 400年余り続く曳山祭りは今、旧市街地の過疎化、少子化により役者不足、さらにそれを支える若衆不足が深刻化しており、そんな逆風の中で、先代から続く伝統と文化を後世に受け継ごうとする若衆の意気が、春日山のパンフレットからも感じ取れた。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月07日

解散はあるか、ないか

 このごろ、どこへ行っても話題になるのは政局の先行きである。
 福田政権が立ち往生に近い局面を見せていることから、そぞろ吹く風が解散の声である。
 「解放はあるのでしょうか」。「あるとすればいつごろですか」。よく聞かれるが、そういう解散風をあおっているのは新聞か。それとも関わりのある政治家たちか。
 いずれにしても来年9月で任期が満了するからおおざっぱに言えば、いつ解散があってもおかしくはない。そうは言うものの、解散の声が政局がらみで台頭しているのは政権担当者にとっては名誉なことではない。
 いま、解散が国民の話題になっているのは、福田政権が崖っぷちに立っているからである。言葉を変えれば政策に行き詰まっているからである。そのため政権運営がもたもたし、国民の信が薄らぎ始めたといえよう。
◇抜き差しならぬ窮地に立つときを「前門の虎、後門の狼」にたとえる。
 福田さんの前門の虎は民主党であり、後門の狼は自民党内の反改革派である。
 政権が安定し、さゆらぎもしない時は、解散風など吹くはずがない。
 気の早いマスコミは、内閣の支持率を刻々と報道するし、次の総理には誰が望ましいか、と世論調査する。そうした風は福田さんにとっては望ましいものではなく、逆に足を引っぱられるようなものである。政権がもたついて、総理の威令が与党内に響かず、結果的に国民から不信の声の募るのは、総理の器量と指導力によるものであり、その責任の一端は自民党の執行部にある。
◇なぜ、福田さんが崖っぷちにに立たされているのか。要するに旗を振っても党内が素直についてこないし、不退転の信条がないから、なんということなく頼り甲斐のない宰相に見えてくる。はっきり言えば国民の気持ちとずれている感じがするのである。そのずれはどこから来ているのか。やはり小泉さん時代の抵抗勢力におんぶして生まれた政権だけに、その勢力(反改革派)に頭が上がらず、国民の求めている方向とずれているからである。
◇例えば、小泉さん時代、小泉改革に抵抗したのは親中派だった。彼らは中国の顔色をうかがって、小泉さんの靖国参りに反対した。
 小泉さんが道路公団の民営化を進め、道路特定財源の一般化を叫ぶや、これを骨抜きにしたり、反対した。
 小泉路線を継承した安倍政権が公務員改革に優先して取り組んだが、結局、潰されてしまった。いま、福田政権で、その仕上げが最終段階に来たが、名前だけの改革で、官僚の人事権など骨抜きになってしまった。
◇今日、国民の不満を買っているものの一つが、対中外交の腰抜けである。毒ギョウザについて、いち早く輸入禁止の措置をとるべきだったが、もたついている間に、中国側の宣伝を許し、日本側にも原因があるのかも、と思わせるような、いい加減な対応になってしまった。
 そして、目下、世界の世論が指弾している中国のチベットにおける人権弾圧への無対応である。明確に中国を批判し、人権を踏みにじる鎮圧政策が北京オリンピックの信用を落とすことを、日本の首相として発信することが期待されたが、福田さんは見て見ぬふりをして、世界に信用を落としている。
◇この内閣は早晩潰れるだろう、と見られながら、解散出来ないのは、いま解散したら自民党は議席を減らし、政権党から転落しかねないという危機感があるからである。しかし、つぶれかかった企業は信用が無いから破綻を一層早めるように、国民の支持率の低下した内閣が居座り続けるのは国民の利益にならない。七月のサミットまで持てばよし、サミット後、総辞職し、次の内閣で解散する可能性が強いのではないか。そう僕は分析している。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月05日

時計の奴隷となる生活

 日が長くなったが、その分、夜が短くなってゆく。アフリカのソマリアでは時計を持つ人が少ないと聞いたが、日本でも昭和の初期までは腕時計を持つ人は少なかった。
 時計を持つようになってから文化が進み、産業が発展してきたが、同時に時計社会が人間性を悪くし、人間の心身を傷つけるようになった。と、ぼくは思っているが、これについては少し説明がいるだろう。
 いま、なぜ、時計か。こんな便利なものにイチャモンをつけるとは、少しアタマがおかしいのでは、と、いぶかる人もあるかもしれない。
◇時計は時間を知らせる生活必需品となっているが、ソマリアの生活ではないが、大正以前の大方の日本人は腕時計を知らない。
 今のような柱時計は江戸期には存在しなかった。時計は時を刻み、時を知らせるものであるが、昔の人は、太陽や月の動き、それによる影から時を推測した。もともと、時計という概念がないから四季を通じて季節感や一日の時間帯に体調や生活をなじませてきた。
 おおざっぱに言えば日が昇って朝が来たら、寝床から起きて働き、日が暮れて夜になったら仕事をやめて寝る。その間、男は男、女は女の持ち分をこなしたり、共働したり、子育てや教育、あるいは村の共同作業、普請などもする。
◇時計は持たないが、感覚的に時間を知り、一日をエトで12に分け、子(ね)の刻(こく)は夜中の12時、及びその前後の2時間。丑(うし)の刻は午前2時、その前後の2時間。卯(う)の刻は午前6時、その前後の2時間。巳(み)の刻は午前10時、その前後の2時間、といった具合。現在、正午といっている昼は午(うま)の刻の真ん中。
◇時計を持たないころは、時計そのものを知らないから特に不便を感じることがなく、いわば大自然の呼吸のまにまに、自然と調和した生活を送り、祭や暦を軸に地域が一体化して共同社会を形成していた。
◇時計を持たぬ生活は時間に追われたり、時間を気にする「いらいら」がなく、ひたすら天を畏敬し、生活のため労働にいそしんだ。一時的に所得の多い年があっても、いつ不況にさらされるや、あるいは病気、その他で働けなくなる万一に備えて日常生活は質素と倹約に撤した。
 自然を大切にし、自然のままの生活を信条としてきたから化学物質に汚染される心配はなく、人々の体は自然治癒力が備わり、医薬品も先祖からの申し送りや共同生活の智恵で漢方(かんぽう)に類するものに依存し、現代のような薬漬けや薬品の副作用に縁はなく、水も空気も食べ物もきれいで美味しく、不眠、欝、躁(そう)などの精神症的な人はいなかった。
 また、対人関係においては、誠実、礼儀を教育の場で教えるまでもなく、人々は信頼しあい、郷土の誇り高く村(町)を守ってきた。仮に、生活に窮し、病気で困っている家庭があれば隣り近所、親類などが助けた。
◇時計の進歩は、電気、原子などを動力に、文字盤と針によるアナグロ式と数字によるデジタル式に発展し、四六時中、腕から離さず、時計をつけたまま入浴する人もあるくらいだが、便利のよさは逆に時間に拘束され、時の奴隷になっている感じさえする。
 現代人はもはや、腹時計すら狂ってしまったから、一日中腹の空(す)いているときがなく、常に何かを飲み、何かを食べなくては生きてゆけなくなってしまった。
 時計を持って地獄へ行くとよい。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月04日

野口健氏がチベットを語る(見聞録)

 中国政府は5月1日からチベット自治区ラサへの旅行客の受け入れを再開する方針を示した。
 オリンピックまで4カ月を切り、国内の安定を国外にPRするのが狙いだろうが、3月14日の中国政府に反発する騒動以降、いったいどれだけのチベット人が殺され、拘束されたのだろうか。
◇登山家でチョモランマ(エベレストのチベット名)登頂をチベット、ネパール両コースから成功させた野口健氏が、自身のホームページでチベット問題を取り上げている。
 「永年に渡り中国に支配されチベットの文化が葬り去られようとしている時に命をなげうってでも中国の侵略を国際社会に訴え、そして救いを求めようとしている彼らの行為を一体誰が責められようか」と、今回の騒動に理解を示している。人権問題よりも中国との政治・経済の連携を重視する政治家や経済界、五輪オリンピック取材への中国政府の圧力を恐れる大手マスコミを尻目に、真っ向からこの問題に切り込み、注目を集めている。
◇野口氏は1996年にチョモランマに遠征して以来、毎年のようにチベット入りしているが、中国資本による相次ぐ開発に、ラサの町の姿が失われつつあることを憂い、「チベット人街特有のくねくねと入り込んだ路地裏はすっかり整地され、代わりに大通りはショッピングセンターに高級ホテル。走っている車はワーゲンやベンツ、BMWのような高級外車が増えた」と現状を語っている。
 ホテル、土産物屋、ショッピングセンターのオーナーの大半は漢民族。青海鉄道の開通で観光客が急増し、より漢民族の経済的支配が強まっている。
 「私は何度、中国の警察が街中でチベット人を木の棒で殴っている姿を見てきたことか。一部の観光産業に携わるチベット人には経済効果があったかもしれないが物価の上昇に伴い大半のチベット人は生活が苦しくなり、また経済的格差が生まれている」と語り、オリンピックのボイコットという選択肢が含まれることもやむをえない、と訴えている。
◇登山家といえば、2006年9月に中国、ネパール国境の峠でネパールに向けて歩いているチベット人に対して中国警備兵が発砲し、近くにいたルーマニア人の登山家がその様子を撮影。その映像がインターネットによって世界中に配信されたことは記憶に新しい。
◇中国の体質が変わらないまま北京オリンピックが成功すれば、チベット人への弾圧をはじめとする非人道的行為を、国際社会が「政治とスポーツは区別すべき」という建て前を「盾」に認めることになりはしまいか。
 そもそも、中国政府は聖火リレーをチョモランマ山頂で計画しているが、それこそチベットの中国化を内外に認知せしめる政治的パフォーマンスではないか。 
 野口氏は「チョモランマは私にとっての聖地でもあります。中国にとってタブー中のタブーであるチベット問題について発言を繰り返せば二度とチベットに入れなくなるかもしれない。(中略)私の故郷が一つ奪われてしまうかもしれない。極めてデリケートなテーマだけに正直、発言に躊躇もしたが、しかし、現場を知っている人間は逃げられない。そして語らないことは(弾圧に)加担する事と同じだ」と締めくくっている。

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月03日

チベット弾圧と中国

 中国のギョウザ事件やチベットに対する弾圧、北京五輪の聖火ショーなど日本の新聞を見る限り、ウソとマコトが混在している感じで、国民は眉に唾(つば)をつけて、しっかりと真実を見きわめねば判断を誤る。
 日本の政治家やマスメディアは日本の歴史や伝統にどれほどの誇りやプライドを持っているのか。信用できぬことが多すぎるので要注意である。
◇独裁国というのは右にしろ、左にしろ、言論、集会の自由はない。日本を例にすれば、江戸期はお上(かみ)に盾(たて)つく出版物や集会、デモは許されなかった。旅行の自由もなく、一方的に藩の命令や代官のお達しが庄屋を通じて住民の暮らしを規制した。
 明治以降、形の上で民主化の欧米路線に転換したが、それも束の間、昭和の初期は軍の横暴と軍人内閣の専制で思想統制を強化し、治安維持法のもとに自由な文学や宗教までを弾圧した。政党は解散させ、労働組合や農民組合をご用化した。新聞はご用新聞となり、軍の情報操作によって、国民は真実を知る権利を奪われた。
◇いまの中国は戦争中の日本どころではない。共産党独裁の軍事・警察国家で国民の人権は無視され、反政府、反共産党の言論、集会、デモは一切許されぬ。工場誘致などで土地を強制的に取り上げるが、村民の抗議に対しては弾圧と逮捕で応じるだけである。
 今年の3月以来大騒ぎしている毒ギョウザ事件についても中国の民衆には知らされていない。国内各地で起きている人民の反発や抗議はほとんど知らされず、仮に報道しても政府の都合のいい宣伝で、戦争中の日本の大本営発表のような極端な情報操作が行われている。
◇チベットにおける中国の弾圧を中止せよの声は世界に広がり、欧米で北京五輪の開会式ボイコットの気運が高まっていることは、2日付けの時評で書いたが、弾圧はチベットのみならず、中国新疆ウイグル自治区にも波及している。
 3月23、24日に自治区南部のキータンで住民1000人のデモが起こっているが、中国内での自由取材が制限されているため、このニュースは台湾の通信社を通じて日本にも後日報道された。このデモで500人以上が逮捕されたが、日本での新聞報道は見落とすくらいの小さな扱いだった。
 デモは軍によって鎮圧されたが、参加者はウイグル族政治犯の釈放、逮捕している住民に対する残酷な刑罰をやめよと要求した。
◇中国のチベットにおける人権無視と武力弾圧に対する反発はジャカルタやネパールにも波及し、中国大使館前での抗議デモに発展しているが、31日北京の天安門広場で行われた聖火歓迎式典後、欧米19カ国を回る聖火リレーにどんなハプニングが生じるか、そういう点で、平和と人権のオリンピックが一党独裁の共産国家の政治ショーの場に堕ちてはならじの、強い信念の報道姿勢が日本のマスコミに望まれる。
◇日本の国会も道路特定財源と暫定税率で時間を潰すだけが能ではあるまい。
 真実の平和と自由と人権を希求する高い理想の下に、中国のチベット弾圧をやめて、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世との話しあいをするよう、国会決議をするぐらいの見識を見せてほしい。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月02日

チベット弾圧と日本

 中国の毒ギョウザ事件にしろ、チベットでの弾圧にしろ、日本の政府や政治家はフヌケの如くだらしがない。ことに日本を代表する福田康夫首相の中国に対するへっぴり腰は日本の国際的信用を落とすばかりか、もの笑いのタネにさえなっている。
 ギョウザ事件に対する日本政府や政治家、それにマスメディアのだらしなさについては別の機会にゆだねるが、我慢のならぬのがチベットの弾圧に対する中国寄りの姿勢である。
◇チベットのラサでは、29日再び大規模なデモが発生した。14日の抗議デモと騒動は中国軍の武力によって鎮圧されたが、民衆の中国政府をのろう怒りの声は燎原の火の如く燃えさかる勢いで、29日は数千人の規模にふくれ上った。
 しかし、これまた軍の戦車など武力で解散させられた。その翌日の30日、今度はオリンピックの発祥地・ギリシャのアテネで、北京五輪の聖火を中国側に引き渡す式典の最中、会場の外で中国のチベット弾圧に対する抗議行動があり、20人以上が逮捕された。
 これは北京五輪の開会式ボイコットを各国首脳に要請している国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団(本部パリ)」のロベール・メナール会長の指導によるもので、同氏は産経新聞の記者に「欧州で開会式不参加を表明する国が増える中、アジアの大国、日本のボイコットは意義がある」と述べ、福田首相にボイコットへの期待感をにじませた。
 メナール氏は五輪自体のボイコットを訴えているのではない。人権無視の北京で政治指導者らを満足させるだけの見せ場である開会式のボイコットが目的だ。日本の首相にも開会式の3時間半だけ空席にしてもらいたいだけと述べている。
◇中国の人権侵害に抗議する声は世界にひろがっているが、ヨーロッパではドイツ、ポーランド、チェコ、エストニア、スロバキアの首脳が開会式欠席を表明している。フランスのサルコジ大統領は不参加もあり得るとして圧力を強める姿勢を見せている。
 また、欧州連合(EU)は29日の非公式外相会合で、チベット自治区での弾圧を直ちに中止するよう中国側に要求する声明を採択した。ブッシュ米大統領も中国の胡錦涛主席と電話会談し、ダライ・ラマ14世との対話を要請した。
 チベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ14世は5月に訪英し、ブラウン英首相と会談するが、同じ時期、日本の福田首相は胡錦涛主席を招き会談する。
 人権無視、弾圧の張本人と会談する感覚もさることながら、福田首相から、中国ギョウザの輸入禁止のリーダーシップを聞いたことがないし、チベットの事件についても「声高に中国を批判したり、北京五輪と関連づけることは適当でない」、との煮え切らぬ態度が世界から笑いものにされているのでは。
◇インドPTI通信の外信による情報では、チベット自治区の騒乱について、「中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装して行った可能性がある」との「やらせ説」を報道している。ニューデリーでのダライ・ラマ14世の記者会見の記事だが、こういう深刻なニュースに世界の良識が集中しているときだけに、日本政府や日本の政党の姿勢が嘆かわしい。
 経済大国・日本及び日本首相の存在感が薄れつつあるのは恥ずかしいことでもある。それに、日本の新聞は、取材の自由を許さない中国であることを知りぬきながら、中国政府や中国の国営通信や国営新聞の話を真実めかして報道しているのは情けない。【押谷盛利】

| | トラックバック ( 0 )

2008年04月01日

結婚号外で得た幸せ(見聞録)

 きょう4月1日は、社会制度や生活スタイルが何かと変わる。ガソリンの暫定税率の期限が切れ、ガソリンスタンドでは一斉に値下げが始まった。後期高齢者医療制度のスタートなど社会保障の仕組みも変更され、役所や学校では人事異動があった。
 滋賀夕刊新聞社でも、きょうから東浅井の配達体制を変更し、体制の整った地域から直販となる。週刊版は、従来通りの体制を心掛ける。
 連日多くの読者から購読依頼を頂戴し、引き続き東浅井の読者にその日の滋賀夕刊を届けられることを嬉しく思う。
◇先週の土曜日、滋賀夕刊新聞社の女性編集者が多賀大社で挙式した。7年に渡る大恋愛の末、祝福のゴールイン。披露宴には親族、友人、会社関係者を合わせ約90人が出席し、小欄も同席した。
 日ごろから何かと迷惑をかけているので、何かお礼ができないかと思案し、披露宴会場で「結婚号外」を発行することにした。
 新聞社によっては、社員の結婚を祝って号外を発行し、会場で配るといった習慣がある。以前に「日刊スポーツ新聞」の記者宅を訪れた際、友人のために制作した結婚号外を見せられ、いつか機会があれば、挑戦しようと決めていた。
◇若手社員が手分けして、新郎新婦への直接取材に加え、幼馴染みや会社の同僚から聞き取りし、2人の生い立ち、学生時代、出会い、デート、プロポーズの言葉など紙面に載せきれない程の情報を収集。
 当日は多賀大社にプリンターを持ち込み、披露宴の様子を撮影し、その場で印刷。神社側のスタッフの協力で披露宴会場で出席者全員に号外を配ることができた。
 スポーツ新聞をイメージしたカラーの号外には「祝結婚」の文字を躍らせ、2人の馴れ初めなどを紹介。紙面に並んだ友人や同僚からのお祝いメッセージには、2人の門出を応援する温かい気持ちがこもっていた。
◇後日、幸せいっぱいの新婦から「記憶にも記録にも残った。家族にも大好評でした」と嬉しいメールが届いた。日ごろの取材、編集技術で、新郎新婦や出席者に喜んでもらえたのは、幸せなこと。誰かのために、仕事し、喜んでもらうことが、こんなにも清々しいとは。
 日々の滋賀夕刊の編集にも読者に喜んでもらうために、工夫する点が多いと気付かされ、読者からの提言を期待したい。

| | トラックバック ( 0 )


しが彦根新聞
滋賀夕刊電子版
滋賀夕刊宅配版
滋賀夕刊デジタルトライアル
 
長浜市
長浜市議会
長浜観光協会