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中選挙区郷愁と派バツ

 自民党の派バツ全盛期を郷愁する古い体質の政治家の中には、今日の混迷とも言われるねじれ国会を見て、再び、かつての中選挙区制度の復活を夢見る。
 現在の小選挙区制に移行したのは、55年体制の少数党乱立と派バツ政治への不信から来る一大政治革新であった。
 2大政党対立による政権移譲こそ分かり易い政治であり、国民の審判が目の前で形に現れる点で民主政治にふさわしい選挙制度といえる。
◇小選挙区制度は1994年に国会で議決しているからまだ15年しか経っていない。にも拘わらず、元の中選挙区制への復活論が出るのは古い時代の、派バツと官僚政治、族議員全盛時代への郷愁が頭にあるからである。
 中選挙区制度は古い時代への逆行であり、愚民政治と金権政治に直結するが、以下その点について触れる。
◇中選挙区制当時の滋賀県は全県を一区とし、定数は5名であった。戦後、何回かの総選挙が実施されたが、一番多いパターンは自民3、社会2の当選だった。この他では無所属、諸派、共産党が当選したケースもある。
 そのころの政界は自民党の独走時代であり、野党は乱立しつつ、政権への夢を捨てて、永久野党に甘んじていた。
 この緊張感のない政局が後に批判を呼んだ、自民党対社会党のなれあい政治、なれあい国対(国会対策)を生んだ。
 この自・社のなれあい国会が、自民党の派バツを助長し、短命内閣による大臣の粗製濫造を招いた。
 その間、一時は、民社、公明がワナを仕掛けて、自民党の反主流と結んで政権奪取を試みたこともあったが、所詮は強力な自民党派バツに蹴散らされた。
 また、今の衆院議長の河野洋平氏らが自民党を出て旗揚げした新自由クラブに政治刷新を期待したが結局は連立内閣によって、元のサヤに納まってしまった。
◇自民党の派バツ政治は不死鳥の如く強大であり、無敵といわれたが、この派バツ政治の弊を改めない限り日本の政治の近代化はあり得ない、と自然暴発したのが1993年の宮沢内閣不信であり、その後に誕生した非自民の細川内閣がその歴史的所産といえる。
 細川内閣を生んだ当時の野党及び自民党の離脱組の情熱が一夜のうちに瓦解し、村山内閣を経て、再び元の自民党政治に返ったのは、野党の政権欲が金権体質に汚染され「非自民」の一体的政党への展望を見失ったからである。
◇国民として強く記憶しておきたいのは、村山社会党内閣を継いだ橋本政権以来、日本の政治は再び自民党に帰したが、この間、細川内閣に結集した野党は散り散りになり、雲散霧消、紆余(うよ)曲折を経て、最終的に民主党、公明党、社会党に収斂(しゅうれん)された。このうち、公明党は自民党と組んで政権与党となった。
 内閣を組織するほどの力を持った社会党は無残にも敗退路線を走り続け、存在感を薄くした。
 自民系、さきがけ系の多くは、元の自民党に還るもの、民主党に合流するもの、消えてゆくもの、さまざまだが、選挙民は常に政治刷新、政治改革を願い、その象徴的政治事件として、反派バツの小泉内閣を誕生させた。
◇安倍内閣は小泉政治を継承したものだが、派バツ郷愁派はここぞとばかり復権を目指し、今日の福田政権を実現した。福田首相はロボットに過ぎず、この政権を動かしているのは台頭しつつある派バツ連合である。この勢力による第2期派バツ政治は、中選挙区制によらない限り安定しない。だから、ひそかにその復活を称え始めた。【押谷盛利】

2008年03月19日 13:57 |


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