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味噌汁とマージャン

 環境は人を変えるという。文科省の大臣や学校の校長さん、あるいはお寺の坊さんの説教ではないが、人が生まれるためには、そして立派に成長するには環境がいかに大切であるかは、みんな耳がタコになるほど聞いているはずである。
 聞いても、知っても、それを生活に役立てるべく実践しなくてはなにもならない。
 今も昔も難しいのは聞くことよりも実践である。
◇ぼくは友人や後輩たちからなぜゴルフをやらないのか、と不思議がられることがある。なぜ、といっても特別な理由があるわけではない。世(よ)盛り(世帯盛り)のころは暮らしに追われ生活に追われて、ゴルフに使うおカネもなければプレーする時間的余裕もなかった。いわば貧乏という環境がぼくをゴルフから遠ざけた。
 しかし、それを今、ぼくは後悔していない。ゴルフに使うカネや時間を他の趣味に回すことが出来るし、歩け歩けの運動なら、毎日の散歩や年に何回かの山歩きなどでカバーできているはず。
◇ぼくはまた友人や何かの飲み会でマージャンに誘われるけれども「できませんので」と、これまた恥さらしの無趣味で仲間外れになってしまう。
 学生のころ、先輩や仲間が夜遅くまでパイをごろごろと音立て遊んでいたが、ぼくは自分の部屋に籠もって読書したり、宿題に取り組んでいた。
 マージャンに興味がなかったわけではないが、昼はアルバイトの仕事、夜は学校へと、両道の難行は若さとは言え、時間のやりくりに青息吐息であった。
 時間に追われる忙しい生活は、電車の待ち時間にも読書、電車に乗っても読書、といった調子だから、ゆっくりと映画を見るゆとりさえなかった。
 夜、昼、働き通しであるから病気をしているヒマもなかったのか、今から思えば健康という賞をもらっていたのかもしれない。日曜と休日が最高の楽しみだったが、その休日も洗濯が待っている。冬の冷え切った水道水でごしごしと洗濯板を使っていると、指の先が縮んでしまって感覚が麻痺してしまう。
 クリーニングに出すカネもなければ湯を使うゆとりもない。ひっそりと風呂屋でパンツを洗うのが、貧乏学生の悲しい知恵であった。
◇そのころぼくは、朝は飯屋に通った。熱い味噌汁と干しイワシや野菜煮、漬物。昼は勤めていた会社の食堂で。夜は食堂のおばさんの好意で昼の残りを頂いて早々と学校へすべり込んだ。
 ぼくは運がよいのか、ぜいたくは出来なかったが、食べ物はいつも腹いっぱい恵まれた。そのせいか、どうか、食べ物に好き嫌いせず、常に手を合わせて感謝するのが習慣となっている。
 そして、常に思うことは、このご飯が、このおかずがぼくの肉体や血をつくって、ぼくに働く力を与えてくれるのだ、との自覚であった。
 だから、ぼくは食べものを粗末にするのは大嫌いであり、イワシなどは大きくても頭から尾まで、まるっぽはらわたも骨も食べてしまう。大アユでもそうである。
 毎朝365日、朝飯に味噌汁を欠かしたことはないが、これは学生時代の飯屋感覚が今に続いているからであろう。
 高校(定時制)2年生のとき、国語の広幡先生が俳句を作れと皆に指示した。今も忘れないその時のぼくの哀れな一句がこれである。
 「味噌汁をもう一杯欲しい雪の朝」。
 そのころぼくは大阪市立の扇町学生寮に入っていた。一杯きりでお代わりは出来なかった。そんな味噌汁の俳句を何十年もの後々まで覚えているのだから「食べもののうらみは恐い」。
◇このごろは使い捨て、食い捨て。ゴミの山が社会問題化しているが、もったいないから残してはいかん、といくら口を酸っぱくしても消費は美徳の変な環境になじんでしまったから家庭でも飲食店でも生ゴミの山である。
◇若いころのぼくの環境で、もう一つ得(とく)したのは勝負ごと、かけごとに手を出さなくなったことである。これも時間とカネに尽きるが、競馬、競輪はもちろんのこと、パチンコはやらないし、宝くじなどには全く興味がない。
 出来の悪い人間像だと自嘲したくなるが、墓場から父や母が眺めて結構結構と笑ってくれていると思うのが一つのやすらぎである。【押谷盛利】

2008年03月01日 14:31 |


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