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追う人生、追われる人生

 「兎追いし彼の山…」という童謡があった。
 追うというのは主体的で積極的で、ぼくの好きな言葉だが、ともすると逆に追われることが多い。われわれの先祖は自然とのたたかいの中で成長し、発展し続けた。自然の恵みに喜ぶこともあれば自然の嵐に泣き苦しんだ日もある。
 暦のない遠い未開の時代は日と月が唯一の暮らしの明かりであった。一日の始まりと終わり、昼と夜の象徴が日輪であり月であった。
 その時代の人々は日を追って暮らしのめどをつけた。今日が終われば明日(あした)、明日がくれば次の日を、と常に前へ前へと心をはずませた。
 前向きの心は日を追う心でもあった。
◇こうして、人類は長い年月の歴史を経て、ものを夢み、ものを計画し、その実現を追う暮らしを常態化してきた。
 兎を追うように、今、追わねば明日(あした)は分からない、という真剣さ、切実さが追う心の真実である。
 したがって必勝パターンというか、勝ち組にあやかろうとすれば、人はだれもが「追う」という積極性と馬力を維持し続けねばならぬ。
 追うというのは目標にねらいをさだめて、獲物を手にするように、準備と決意と行動力が伴わねばならぬ。追っているうちに息切れすることもあろうし、気分の変わることがあるかもしれない。
 そういう意味では根気のいることでもあり、常にエネルギーを燃焼していなくてはならぬ。
◇人間は遊びたいか、働きたいか、汗をかくか、昼寝をするか、と問われれば大方は遊びたい、楽(らく)したい、うまいものをたっぷり食べたい、と、いわゆるなまけ心に支配されやすい。
 そういうなまけ心が土台に潜んでいるから「追う人生」の過程において、つい知らず知らずのうちに追われる人生に歩み方が変わることが多い。
 「早く起きねば学校に遅れるよ」、「何日までに仕上げねば取り消しになるよ」、「早く返さないと利息どころか差し押さえを食うよ」などと身の周辺は時間といい、仕事といい、約束ごとといい、なぜこうも追われるのか、といらいらしながらアクセルを踏む。
◇追われる人生は風のまにまに、気の向くままにと呑気なことを言っている間はよいが、人生という競争ごっこに追われてばかりの敗者の道に転落すれば並み以下の生活に苦しむことになる。
 それも自ら一人の人生ならともかく、親もあれば子もあるという家庭人ならば家族の幸、不幸に関わることである。
 役所においても事業所や店においても、そこで働く人の心がけ次第で重く登用され、収入やポストが上がってゆく。その心がけとはすなわち「追う」か「追われるか」の心のスタンスである。
 自分で創意工夫し、今日より明日へと前進する追う姿勢で働くのと、上司から言われて、まだか、まだかと追われつつ働くのとでは先へゆくほど開きが大きくなる。
◇人はみんな幸せになりたいと願う。幸せは前方からこちらへ転がってくるものではない。こちらから青い鳥を追ってゆくのが幸せづくりのイロハである。
 学校での勉強、職場での実績、社会での信用、趣味の練達、われわれをとりまく環境の一切は生存と行動の主体であるわれわれ自身の前向きな追いの姿勢に関わっている。
 追われるよりも追ってゆけ。【押谷盛利】

2008年02月20日 16:06 |


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