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「山の神」は妻の美称か

 伊吹山は湖北の人たちが何千年、何万年と連綿して仰いできた産土(うぶすな)山である。
 神さまが坐(いま)して周辺の生きものを見守ってくれている。もちろん人間も守られている。そんな感じの一種の信仰の対象とされている霊山といっていい。
 伊吹山は北の伊香郡、正面からの長浜、南からの米原方面、遠く彦根、能登川方面からのたたずまい。それぞれに言い知れぬ風格を持ち、土地の人は自分たちの村から見る伊吹が最高だと自慢する。
◇霊山というのは神霊の宿る山をいうが、日本はもともと山国だから、山の恩恵を受けることが多く、山を無視しての生活は考えられなかった。
 生命をはぐくむ水の源流は山であり、山から流れる川の水が船やいかだを運び、その水によって田や畑の農作物が育った。もちろん、水中生物、なかんずく魚類が繁殖し、人間の食用に供された。
 だから、日本人は山を尊び、山を大切にし、地域それぞれに山神を祀った。
 春になって初めて山へ入るにも入山の祭りを行うほか、村人たちは山を共同で維持管理するため、さまざまな「決め」やボランティア活動を課した。
 山は修行の聖地であり、遊びの対象などではあり得なかった。
 今日、夏山、冬山で遭難死事件が珍しくないが、考え方によれば神の怒りの信号ともいえる。
◇妻のことを「山の神」というが、なぜそう呼ぶのか。一家の主婦はその家の神さまである、という尊称なのか、ふざけ言葉なのか、味わってみることも夫婦円満の秘訣かもしれない。
 普通、山に祀られている神さまは女神とされている。農民、きこり、山林業、鉱山関係者らが祀る。
 人間の生活は家が本拠である。家は夫婦が要(かなめ)であり、先祖から現在へ長い歴史と伝統によって発展してきた。その歴史と伝統によって固められてきたのが現在の「わが家」である、と自覚すれば家は一種の風格を持ち、犯し難い尊厳性が存在すると考えよう。
 そこで、山が自然の象徴として尊崇され、神霊化され、女神さまが宿ると仰がれてきたように、風格のある歴史的「家」にもまた神さまが宿っているはずだ。一家の台所をあずかる主婦は言わば生きている神さまではないか。この神さまが子を生み、子を育て、さらなる家の繁栄の根源ではないか。まこと女房こそは神さまである、と考えたとて否定すべくもない。
 山の神も女神、家の神も女神。しかも人間界の山の神は結婚後、年月を経て発言権が大きくなり、たくましさが出てきた女性をいうにふさわしい。
◇当節は、山の神の威厳が強すぎて、男どもの坐り心地が悪くなったが、何はともあれ子孫繁栄だけは忘れてほしくない。国からのお手当によって、子をもうける、もうけない、なんてそんな次元の低いものではない。【押谷盛利】

2008年02月16日 13:33 |


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