終の棲み家か雪五尺
「おりおりに伊吹を眺め冬籠り」。これは有名な芭蕉の句である。
江戸期は、今よりももっと雪が多かったようだ。
次は有名な一茶の句である。「これがまあ終(つい)の棲み家か雪五尺」。一茶が財産相続の一件が落着して懐かしい長野の古里へ帰ってきた当時の深雪を思わせる。江戸では、5尺もの雪を見ることはなかったから、さながら別天地のような古里である。しかし、お粗末でもわが家はわが家。それに子供のころから遊び呆けた山や川がある。やれやれとの深い感嘆と喜びの溢れた庶民的俳句といえよう。「終の棲み家」という表現はいかにも世捨て人らしい文人の境地をあらわしたもので、人間、生まれ故郷の見えない何かに守られている、といった原初的な宗教的情操をすら感じさせて切ない。
◇雪国の人は、雪は降るべくして降る、という先入主観が母親のお腹(なか)の中から宿っている。その諦念の如き雪への受け容れ情緒は雪を賛美することはあれ、のろったり、忌み嫌うことはしなかった。
それどころか、天からの授かりものとして、これを「お降(さが)り」と言い、今も俳句の新年の季語に残っている。
情緒的に雪を迎えるだけでなく、生活の中の覚悟や明日への準備、さらには現実の雪対策まで、先祖代々言い伝えている。
さきの芭蕉の句に出てくる「冬籠り」は「雪籠り」ともいうが、積雪や雪空の中では動きようがなかった。防寒具といえば蓑(みの)くらいのもので、履きものも藁(わら)靴しかなかった。乗りものは自転車すらなく、どこまでゆくにも徒歩である。無理して出掛けても雪で道を迷ったり、寒波と雪に埋もれたりすれば一命にかかわる。
隣村や寺参りでも命がけである。屋根の雪のなだれや、道と思っていたところが川であったりして、大騒ぎすることがある。
とにかく、雪深い冬は外へ出ずに家へ籠るより仕方がない。それが最高の冬の暮らし方であった。
◇家に籠って、何をするのか。その年に使用する山や畑用に使う縄ない、草履(ぞうり)やわらじ作り。あるいは炭を入れたり、米を入れる俵編みなどが男の仕事である。
女性は家族の衣類の繕いや手入れ、その他平常は仕事のため放っておいた家事万端、さらには冬の保存食の管理など、用事はいくらでもあった。
雪といっても一茶が観念したように5尺も6尺も降った。6尺といえば2㍍近いから、今のわれわれは想像のしようもない。一茶は江戸から帰った最初の冬で1㍍50㌢程の雪の洗礼を受け、うらむどころか、すがすがしい気持ちでこれを寛受した。
◇冬といえば、当世はスキーだの、スノーボードなど、果ては冬山登山とか、まるでお遊びの対象のようだが、江戸時代は、そうした遊びの対象は考えも及ばなかった。
冬山に心を騒がせたのは猟師たちであった。猟犬を連れて、かんじきを履いて、雪深い山へ入ってゆく。ねらいは熊であり、猪、鹿であった。兎や山鳥の類も獲物には違いないが、やはり値打ちのあるのは熊がぴかいちである。熊の胃といって、肝の部分だけでも大層な価値がつく上に、その肉の希少価値が喜ばれた。
猟師たちが大猟で引き揚げると、村はちょっとしたお祭り気分である。肉の裾分けもさることながら、その大猟のお陰で村へ金が入ってくる。
◇雪の中では、特別な金もうけはないから、1年の休息とばかり、遊びやばくちの花も咲く。俳句、冠句、情歌など文学の道、じょうるりを聞いたり、にわか(芝居)をして楽しむ風流もあった。
近代文明に浸かっている今のものも、今朝の雪を見て、昔の人はどうしていたのか、と思うのも無意味ではない。【押谷盛利】
2008年02月14日 14:44 | パーマリンク
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.shigayukan.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1552

- 02月 19日 いのちの食べかた(見聞録)
- 02月 18日 雪の多賀大社で結婚式
- 02月 16日 「山の神」は妻の美称か
- 02月 15日 今週末は長浜音楽祭!(見聞録)
- 02月 14日 終の棲み家か雪五尺
